鉄柱を枕に寝ていたようだ。
ケンゴはところどころ悲鳴をあげる体を引き起こし、あたりを見渡した。落下の衝撃でめくれ返ったアスファルトと、未だ煙を立ち上らせるクレーター。まるで戦場だ。
幸いと言うか、傷らしい傷はない。それでも落下の衝撃だけは鮮明に思い出せる。問題はその後何が起こったのか。
「ごきげんよう、ケンゴ」
日傘。
気づけば無数のひまわりたちがケンゴを覗き込んでいた。ケンゴは歯噛みする。そして、女の背後、がれきの山にもたれるようにして目を閉じているぬえの姿を見つけた。死んでいるのか、眠っているのか。
「残念ね、お姫様はしばらく起きないと思うわよ」
「ふざけるなよ、おい――おい、起きろよ!」
焦ろうが叫ぼうが、彼女はピクリとも動かない。
「勝手に人の生活荒らし回っといて、勝手に家を吹き飛ばして、今度は俺のピンチを知らんぷりか!」
恐ろしく男らしくないことを言っているとは理解していた。だが、叫ばずにはいられない。
「さっきだって、俺を守るために来たんだろ!?」
「驚いた。あなたって」
とんでもない、恥知らず。
彼女の眼。忘れもしない、あの叔父の目と同じだ。しかし命の瀬戸際にあってなりふり構っていられる人間などそうそういない。プライドを捨て、ウソに身を任せる。
「俺を助けてくれ。いや、執行猶予だ。三日でいい。時間をくれ」
「なぁに、この期に及んでまだ口から出まかせ?」
「これだけはマジなんだ」
もちろん、いつものウソだ。
「頼む」
ケンゴは夢中で両手を地についた。焼けただれたアスファルトが手のひらを焦がす痛みも感じないほどに、必死だった。
「頼むぜ、マジで。まだ俺は何もできちゃいないんだ。もう少しでいい。いろいろ、時間が欲しい」
「お願いの仕方としては」
女は不快そうに目を細めた。
「あんまり感心できないわね」
「本当、ここは見逃してくれ。俺がアンタに何をした? さっきまで俺はアンタのことなんか知っちゃいなかったんだぜ? 赤の他人じゃねえか」
「仮にアナタが三日間生きられるとして、何をするの?」
「何とかこの場を脱したら、まずはアンタがぶち壊した俺のねぐらから何とかしてすべての記録媒体を引っ張り出して、電子レンジにかけなきゃいけない。それが終わったら次は人間関係だ。叔父に土下座して、教授にはうっかり愛車に傷をつけたことについて謝る。オヤジはまあいいが、あとはだな」
「はいはい。もういいわよ」
彼女の指先から、何かが放たれた。
短い言葉と、胸の痛み。それが人生最後の記憶になることを覚悟した直後、ケンゴは異変に気付いた。何か、おかしい。胸に手を当てる。指の間で何かがもそりと動いた。
「あなたの望み通り、三日あげるわ」
シャツのボタンを引きちぎるように外す。ちょうど胸から生えた一輪の朝顔が、脅すように花開く。目の痛くなるような、真っ赤な朝顔。強烈な異物感。もう痛みはないが、何かが胸の中で蠢いているのが分かる。
「三日後、迎えに行く。どこにいようが、何をしていようが」
女は赤い朝顔を恋人のように見つめる。呼応するようにふわりと花弁を揺らす寄生者。
「いい子ね」
「なんだよ、これ。おい、ふざけんな、とと取ってくれよ!」
「そんなに怖がらなくってもいいわよ。あなたの嘘八百にも口をつぐんでくれる。おまけに口も硬いから、私にわかるのはあなたがこの町にいる、ということだけ。きっと、いい友達になれるわ」
もちろん、こういうセリフにはお決まりのように「ただし」が付く。
「でも、この子だって生き物。寂しがり屋でね、私からあなたが離れれば離れるほど深く根を張る。町に根を下ろす、なんてね。とりあえずこの子の足元にあるものをよく考えてから動くことね」
文字通りの意味で胸がざわついた。赤い花が見上げている。根の先が、心臓をつついていた。女は狼狽するケンゴを前にくすりと笑って空に浮かんだ。女に追いすがるケンゴだったが、その手は空を掻くに終わった。
「じゃあね、嘘つきさん」
「待てよ、こんなのひどいだろ!」
「そうかもね。でも、少なくとも私は誠実だと思うわ。あなたの命に対しては」
ゆっくりと女は浮かんでいった。ゆっくりとケンゴは絶望していった。地面に膝をつき、胸に根差した死神を見つめる。向こうも見つめている。その花弁の色はケンゴの血の色。唐突に与えられた、三日の刻限。
叫ぶ。喉が枯れるまで叫ぶ。これまで嘘をついてきただけだ。誰でもするじゃないか。どうして俺だけが、こんな理不尽をこうむるんだと。
ようやく本物の朝日が昇るころになって、ぬえは目を覚ました。規格外の攻撃をまともに受けたにしては、体の調子はまあまあだ。回復が進んでいる。それだけの時間意識を失っていたということか。
「ケンゴ?」
気がかりなのは青年の安否だ。ぼろきれ同然のスカートのすそを抑えて焼け跡を歩く内、横倒しになったコンクリートの上に腰かける青年を見付ける。
「ケンゴ」
「あぁ」
「よかった」
生きていた。いつにも増して不機嫌な背中。枯れ果てた声。それでも、彼の無事は十分喜ばしいことだった。
「これを見てもそう思うか?」
しかし、振り向いた彼の胸。堂々と咲き誇る大輪のアサガオ。そして、彼の肉の奥深くにびっしりと張り巡らされた根が見える。彼に差し迫った死の宿命も。
「お前が寝てる間にぜんぶ終わったよ。マジありがとうな」
「ごめん、ケンゴ」
「いいさ」
まずはハードディスクだな、と呟いてケンゴは立ち上がった。その足取りは家とは正反対に向いている。正しくは、どこへも向いていない。何をすればいいのか、どこへ行けばいいのか、彼にはまるで分からない。ケンゴもはや自分に見向きもしないヒマワリが腹立たしくて仕方がなかった。すでにあの女の手の内、ということらしい。
「ねぇ、聞いて」
半歩遅れて、ぬえが追従する。
「心配しないで。何があっても、わたしが守る」
「あぁ」
振り返りもせず、ケンゴは足を進めた。
焼け跡。初秋の風が運んでくるひまわりとアサガオの香り。すすだらけの手で瓦礫の山を乗り越えると、強烈な朝日が青年の目を焼いた。この場で元気なのは、太陽と彼の胸に息づくアサガオくらいのものだ。
「クソが」
太陽の輝きすら気に食わない。ケンゴは唾を吐き捨てた。
第一章『嘘とエニグマ』おわり