Infinite Stratos × Imitation Seven feat. Ishinomori Shotaro 作:鈍刀
タグにもある通り、この作品は『インフィニット・ストラトス』と島本和彦氏の漫画『仮面ライダーBlack PART X イミテーション・7』、および『仮面ライダーBLACK RX』のクロスオーバーとなっております。
また、読まれる際には以下の点についてもご注意願います。
・『イミテーション・7』の設定には原作からいくつか変更点があります。
・敵味方ともにISはほとんど出ません。
・仮面ライダーBLACK RXの出番はかなり少なくなります。
なお、この作品は前後編となる予定です。
真夜中、関東地方某所にある人里離れた『月影山』の斜面を人影が駆け下りる。人影は繁る木々の間を通り、地面や木の根を蹴って急勾配の斜面を下っていく。時折足を取られて転びそうになるがなんとか持ち直し、斜面が一度途切れ階段の踊り場のように平坦になった場所に出る。人影が一度そこで立ち止まり、今まで木によって遮られていた月光が人影の全貌を照らし出す。
手入れがされていないのか、不規則に伸びてボサボサな黒髪に、三白眼と頬の傷が印象的な青年だ。中肉中背で、黒いズボンワンピース型の囚人服を着用している。何かに引っ掛けたのか、服の所々に破れが見える。
青年は肩で息をしながらしきりに周りを見渡す。表情には焦りや恐怖が浮かんでいる。他に生物の気配はない。しかし警戒が緩む事はなく、息が整ってくると青年は再び駆け出し、麓を目指して一心不乱で駆け下りていく。時折邪魔になる木の根や倒木を飛び越えて道を急ぐ青年だったが、突然木々の間から僅かに漏れていた月光が消え、暗闇に包まれる。青年は足を止めて走るのを止め、恐る恐る空を見上げる。
青年が見上げた先では、翼を持った人間大の『何か』が飛行していた。鳥でも飛行機でもない、人型の異形としか言いようのない存在だ。異形は青年の存在に気付いたのか、一気に急降下を開始する。青年が咄嗟に地面を転がった直後、異形の足が地面に突き刺さり、重々しい音と共に土が舞い上がる。その異形は人型ながら、人間とはかけ離れた姿をしていた。コウモリそのものの顔をしており、上肢もコウモリと同じく飛膜を持った翼になっている。口からは異様な長さを誇る犬歯が覗き、細かく毛の生えた黒い皮膚が全身を覆っている。一番人間に近い両足にも鋭いかぎ爪が生えている。異形は青年の姿を見つけると、ゆっくりと歩み寄る。青年は恐怖の色を浮かべながら異形へ背を向け、一目散に駆け出そうとする。
「逃げるな! 『7号』! 貴様に最早逃げ場などない!」
その瞬間、外見に不釣り合いに思えるほど流暢な人語を発しながら異形が跳躍し、青年の逃げ道を塞ぐ形で着地する。青年は後ずさりするが、異形は翼の先に付いた爪を突き付けて迫る。
「手間をかけさせおって……本拠まで戻るぞ、7号。1号から6号までの脳改造は完了した。後は貴様だけだ」
「い、イヤだ! 俺は脳改造なんか受けたくねえ! これ以上てめえらの言いなりになってたまるか!」
「フン、何を今さら甘ったれたことをぬかしておる。心配することはない。最初は貴様のように反抗する者もおるが、いざ手術を受ければそんなことなどすっかり忘れて、改造されたことを心から感謝するようになるのだ」
「何が心からだよ! 脳みそいじくり回しててめえらの命令に逆らえないようにしておいてよく言うぜ! てめえらにコキ使われた挙げ句使い捨てられる人生なんて、真っ平ごめんだ!」
「うるさい小僧が! 所詮は『ブラック・ダミー』でしかないというのに、事を穏便に済ませてやろうと下手に出ておれば調子に乗りおって! こうなったら二度と我らに逆らえぬように叩きのめしてくれるわ! キキーッ!」
青年は異形たちの本拠地から抜け出し、逃げていたようだ。青年が『説得』に応じないと判断した異形は甲高い奇声を発し、右翼の爪を掲げて突進する。咄嗟に地面を転がって青年が爪を回避すると、爪が木の幹へ深々と突き刺さる。そのまま青年は立ち上がって駆け出すが、足がもつれて転んでしまい、斜面を転がり落ちていく。異形は刺さった爪を引き抜くと翼をはばたかせて飛翔し、木々の間を器用に通り抜けて青年の後を追う。追い付く度に爪を突き刺そうとする異形だが、不規則に転がる青年に当てるのが難しいのか服を何度か掠めるだけに留まり、木を避ける必要もあって有効打を与えられない。
一方の青年も体勢を立て直すことが出来ず、無様な姿で山肌を転がる。時折木の枝や根、露出した石などが青年の身体に当たるが止まる気配はない。とうとう周囲から木がなくなり、狭い山道が見えてきても青年の身体は加速する一方だ。滑落の勢いそのままに山道を横切って転がり続けていた青年の視界から、地面が消える。切り立った渓谷まで飛び出し、数十メートル先にある谷底めがけて落下しているのだ。常人ならばまず即死する高さだ。異形は落下する青年へ急降下すると足の爪で青年の肩を掴む。だが再上昇はしない。それどころか加速して底を流れる川を目指している。
「て、てめえ! 何をする気だ!?」
「知れたこと、川の水で貴様の頭を冷やしてやるのよ。ついで頭でも打って心を入れ替えろ!」
肩に食い込んだ爪の痛みに顔を歪め、焦る青年を嘲笑うように異形は加速を続ける。水面が間近に迫ったところで肩を離すと同時に蹴り飛ばし、青年の身体を川へと叩きつけて再上昇する。上がった水柱で皮膚を濡らしつつ上空へと戻った異形は一度その場にホバリングし、水面に立つ波紋が収まるのを待つ。川が再び前と変わらぬ静けさを取り戻してしばらくしても、何の変化もない。異形は再び川へと降下し、今度は河原に音もなく降り立つ。
「ヤツめ、水中で気絶しておるのか? 情けない」
水面を見て異形は一言吐き捨てると川へと足を入れ、青年を水中から引きずり出そうとする。
青年を突き落とした箇所まで到達した時、それまで月に照らされていた川の水面に人型の影が差す。異形が慌てて上を見ると、人型をした『何か』が自分めがけて急降下してくるのを発見する。反射的に翼をはばたかせて飛び退き、着陸した河原に戻った直後、『何か』が遅れて着水して水しぶきが上がる。少し経つと『何か』もまた跳躍して異形とは反対側の河原に着地する。そこで異形は月明かりに照らされた影の正体に気付く。
異形と同じく、人に似た姿をしていながら人ならざる者だと一目で分かる存在だ。体型こそ人のそれで、手足の形や指も人間に近いが、それ以外は大きく異なる。全身がどこか甲虫を思わせる漆黒の外皮に覆われており、腕部や脚部、肩周りからは筋肉と血管に似た茶色の関節部が露出している。首回りと手首、足首を赤い1本のラインと黄色い2本のラインが一巡している。腰にはメタリックシルバーが基調のベルトに似たモノが巻かれ、前面には横長の八角形をしたバックルらしきものもある。中央には深紅の輝きをたたえた石状の物体が鎮座している。顔面は人間の面影はなく、紅色の大きな複眼と前頭部から生えた二本の触角、蛇腹状の口吻など、どこかバッタを思わせる。しかし、一際目を惹くのは左胸と左側頭部に刻まれた白い『07』の刻印だろう。
乱入者の正体を確かめた異形は犬歯を剥き出しにして声を荒げる。
「ブラック・ダミー7号! 貴様、我らに歯向かう気か!?」
バッタ型の異形ことブラック・ダミー7号は何も言わず、大きく跳躍する。一飛びで30mはある崖の上に飛び移り、大地を蹴って崖や斜面へ次々と飛び移る。すると異形は翼を広げて飛翔し、ブラック・ダミー7号を追跡する。
「バカめ、いくら『世紀王』と同等の性能があろうとも所詮はバッタ、この『チスイコウモリ怪人』から逃げおおせられると思ったか!?」
チスイコウモリ怪人を名乗る異形はブラックダミー7号を嘲笑い、ジャンプした直後のブラック・ダミー7号めがけて突進する。ブラック・ダミー7号は咄嗟に振り向き、突っ込んできたチスイコウモリ怪人の頭を掴んで受け止め、両手の親指を目にあてがい力を込める。
「ぐおっ!?」
「これならどうだ!」
親指で目を圧迫された激痛に顔を歪めたチスイコウモリ怪人の額めがけて、ブラック・ダミー7号はヘッドバットを仕掛ける。頭を両手で挟みこみながら2回、3回と頭突きを叩き込み、チスイコウモリ怪人の額が割れて血が流れ出す。出来た傷へブラック・ダミー7号が指をめり込ませて肉を抉り、傷口を大きく広げる。締めに鼻孔へ親指を奥まで突き入れる。あまりの痛みに耐えきれなくなったのか、チスイコウモリ怪人はブラック・ダミー7号を放り出してしまい、目と鼻を押さえながらその場を離れる。
「ざまあねえぜ! これで俺はもう自由だ!」
チスイコウモリ怪人が飛び去っていくのを見たブラック・ダミー7号はその背へ中指を立ててみせ、着地しては跳躍するのを繰り返す。次第に山並みの数が減り、アスファルトで舗装された道が見えてくるとブラックダミー7号は一度道路の上に着地する。するとブラック・ダミー7号の身体が光に包まれ、囚人服を着た青年の姿に変わる。
「ヘヘッ、ここまで来ればヤツらももう追ってこれないだろ……後は適当に走り屋か何かを掴まえて街まで送らせるか」
青年は囚人服姿のまま、降り立った峠道を徒歩で下っていく。急勾配といくつもカーブが続いていることから難所として知られているこの峠道が、走り屋にとっては絶好のレーススポットであることを青年は熟知しているようだ。自分が立てる足音以外の物音が聞こえてこない静寂の中、青年は一人歩き続けていたが、その耳に足音とは別の異音が聞こえてくる。一度立ち止まって耳を澄ませ、次第に音が近付いてくると青年は唇を歪めて笑みを作る。
「バイクか、ちょうどいいぜ。ニケツするか奪うか、どっちにしたって乗り慣れてる方が一番だ」
青年はバイクの音がする方向へと足を速めて向かう。少しして視線の先からバイクのヘッドライトが見えてくる。どうやら走っているのは1台だけではないようだ。爆音と共にバイクを走らせる集団の姿が迫ると、青年はいきなり道路の真ん中に飛び出して両手を大きく広げる。すると走ってきたバイクは一斉に急ブレーキをかけて停車する。全員が黒い革ジャンを来ており、バイクも所々が違法改造されている。暴走族らしい。先頭を走っていたバイクに乗る男はいきなり飛び出してきた青年に腹を立て、下車と同時に青年の胸倉を掴む。
「てめえ! 何の真似だコラ! いきなり飛び出してきやがって!」
「ヘッ、そういきり立ちなさんな……こっちにも事情があってね。ちょいとばっかり頼みがあるんだよ」
「頼みだぁ!? 人を舐め腐るのも……ん?」
平然としている青年にますます怒り狂ったのか、男は拳を固める。後続のバイクに乗っていた者たちも殺気立ち、バイクから降りて青年を取り囲む。だが青年の顔を掴んでいた男は途中で言葉を切り、きょとんとした顔で青年の顔を眺め始める。ヘラヘラと笑っていた青年だが、男が手を出さないことを不審に思い、首をひねる。周囲の男たちも様子がおかしいことに気付いたのか、戸惑って動くに動けないで。だが、取り囲んでいた男のうち、一番小柄で若い少年が何かを思い出したような顔をし、やがて驚きの声を上げる。
「……太刀川のアニキ!? あんた、太刀川のアニキだよな!?」
「お前、どうして俺の名前を……ってお前、サブか!? ってことはあんたは……」
「太刀川! お前、今までどこにいたんだよ!? 3ヶ月くらい前に何人か連れて走りに行ったっきりよぉ! ずいぶんと探したんだぜ!」
「やっぱり加頭のアニキかよ! 久しぶりだなぁ! まさかこんなところであんたに会えるとは思わなかったぜ! しかも真木のアニキに番場のアニキ、滝川と甲鐘までいるじゃねえか!」
太刀川と呼ばれた青年は一瞬きょとんとするが、目の前にいる人間が顔見知りばかりであると気付き喜色を浮かべる。胸倉を掴んでいた加頭という男を始め、集団の中には男の顔見知りが何人もいたらしく続々と男の無事を驚き、喜ぶ声と共に駆け寄ってくる。太刀川にサブと呼ばれた少年も駆け寄ろうとするが、同じ年頃をした少年が声をかける。
「サブ、知り合いか? なんか先輩方とはみんな知り合いみたいだけど……」
「ヤスはまだ入ったばかりだから知らないか……あの人は、俺たちの1コ上の先輩で、まだ若いってのにいくつも伝説を作ってきたスゴい人さ。ウチのチームが関東で最大勢力を誇った『ブラックゴースト』を奇襲で倒したって話、聞いたことがあるだろ? あの時に敵のトップを含めた幹部陣を全員タイマンで潰したのが太刀川のアニキなんだ」
「じゃあ、あの人が『不死身の太刀川』なのか!?」
「そういうことさ。ほら、お前もアニキに挨拶しないと」
ヤスという少年はサブと共に太刀川洋の下へ向かう。洋はすでに顔見知りと再会の挨拶を一通り終えたらしく、サブとヤスを見て上機嫌で声を上げる。
「元気そうだな、サブ。そっちは新入りか?」
「はい、アニキがいなくなっちまってから入ったヤツで、俺と同じ高校通っていたんです」
「俺、安田って言います! あの太刀川さんにお会いできて光栄です!」
「ヘッ、よせやい。そんな大したタマじゃねえよ」
「それにしてもアニキ、その服どうしたんですか? まさかサツに捕まってムショへ放り込まれてたとか?」
「ま、色々と事情があってな……それと加頭の兄貴、とりあえず街まで乗っけてってくれませんかね? それと帰ったらでいんで、単車と革ジャンが欲しいんスけど」
「任せとけ。それとそっちは心配すんな、ちゃんとお前の単車と革ジャンは取っておいてあるからよ」
「じゃあアニキ、ウチのチームに戻ってくれるんですね!?」
「当たり前だろ? 俺は抜けるなんて一言も言っちゃいねえ」
「よく言った! ようし、明日は景気付けに街を流してから歓迎会と行くか!」
洋が三沢が乗るバイクの後部に座ると、バイクの集団は一斉にエンジンを入れて峠を下り始める。
「――脱走者のブラック・ダミー7号、太刀川洋、か。面白い、しばらく泳がせてみるか」
一部始終を黒スーツを着た6人の男が高台から見ていたことなど、その時の洋は知る由もなかった。
◇◆◇
洋が月影山で発見されて1ヶ月。真夜中、とある港の埠頭で洋が所属するチーム『ガオス』と、旧ブラックゴースト傘下で三浦半島を根城にしている一大チーム『ブレインズギア』による抗争が開始されていた。黒い革ジャンと黒いレザーのパンツを着用したガオスは40人程度、ブレインズギアは300人以上いる。数の上ではガオスが圧倒的に不利だ。しかし戦局はガオスに傾きつつある。
「くだばりやがれ!」
「ヘッ、そんなへなちょこに当たってやれるかよ!」
ブレインズギアの一人はメリケンサックを嵌めた右手で洋に殴りかかるが、あっさりと回避される。逆に洋が右足で顎を蹴りあげてやると殴りかかってきた男は膝から力なく地面に崩れ落ちる。それでも金属バットやバール、鉄パイプ、木刀、角材を持った数人が取り囲み、一斉に洋の頭を殴りつける。
「あん? 今何かしたかぁ?」
「なっ!?」
「どうなってやがんだ!?」
だが洋は平然としており、逆に金属バットは大きくへこみ、バールと鉄パイプは反対方向へ曲がり、木刀と角材に至っては折れてしまう。唖然とするブレインズギアのメンバーへ凄んでみせた洋はまず木刀と角材を持っていた男の頭を掴み、無理矢理額同士を叩きつけて同時にダウンさせる。続けてバールを持った男をアッパーでノックアウトし、裏拳で鉄パイプの男のこめかみを打ち抜く。最後に残された金属バットの男は逃げようと背を向けるが、洋に襟を掴まれる。
「どこへ逃げようってんだゴラァッ!」
そして襟を下方向へ引っ張り、男を後頭部から地面に叩きつけて戦闘不能に追い込む。今のような調子で、ブレインズギアのメンバーはことごとく洋にやられた。他のガオスメンバーも侮りがたい強さを持っており、ブレインズギア側の戦意は低下する一方だ。すでにブレインズギア側の下っ端は戦おうとしていない。先ほど洋を襲ったのもヘッドの『親衛隊』だ。後はヘッドを含む数人の幹部だけだ。
「どうした? さっさとかかってきなよ……こいつらのようになりたいんならな!」
「チッ、舐めやがって!」
不敵な笑みを浮かべながらブレインズギアの幹部陣へと歩み寄る洋へ、幹部の一人がナイフを取り出して突撃する。洋は鼻で笑うと身を開いて突進をあっさりかわし、背中へ蹴りを入れる。蹴られた幹部は勢い余って前のめりに転んでしまい、立ち上がる前に洋の踏みつけを背中で受ける。息が詰まって動けない幹部の腹へつま先で軽く一蹴り入れた洋へ、ヘッドと副ヘッド以外の幹部が一斉に殴りかかる。しかし結果は同じだ。あっさり返り討ちにされ、無様な姿を晒して地面へ這いつくばる。
「後はお前らだけだぜ? てめえらもブレインズギアのアタマ張ってんなら覚悟決めな!」
「グッ……!」
とうとう首脳二人と対峙した洋は笑みを浮かべながら凄んでみせると、副ヘッドの方は恐れをなして後ずさる。しかしヘッドは顔を怒りに歪めて前へ出る。身長は2メートル近くあり、ガッチリとした体格に柔道経験者に多い潰れた耳をしている。ヘッドが腰を落として構えるのを見ても洋は怯まず歩いて近寄る。
「柔道黒帯だっけか? そんなに投げるのが得意なら、好きなように投げてみなよ。ただし、10回だ。10回だけお前に投げられたら10発お前を殴ってぶちのめしてやっからよ」
そして腕が届く距離まで近づくとヘッドへ右手を無造作に差し出す。意図が分からず唖然とするヘッドを尻目に、洋は挑発を続ける。
「投げるのは得意なんだろ? ほら、投げてみなよ。それともビビってションベンちびっちゃいましたってか? 情けねえな、それでもブレインズギアのヘッドか? だったら明日からオシメでもしてきな。クッソ情けねえ兵隊どもでもオシメ替えくらいなら出来んだろ」
「舐め、やがってえぇぇ!」
小馬鹿にしている洋に怒り狂い、ヘッドは右腕を掴むと一本背負いを仕掛ける。洋の身体があっさり持ち上がり、受身も取れずに地面へ叩きつけられる。下はコンクリートなので投げの威力は畳敷きの床とは比べ物にならない。だが洋は応えた様子も見せず、ヘッドの顔面へ1本指を突き出す。
「ヘヘッ、1回だ。あと投げられるのは9回だけだぜ?」
「この……野郎ッ! ぶっ殺してやる!」
完全に激昂し我を忘れたヘッドは洋を引っ張り起こして胸倉を掴むと背負い投げを仕掛け、持ち上げては全力で投げるのを繰り返す。洋は投げられる度にカウントを進め、嘲笑うばかりだ。疲労が溜まり、息が上がってきたヘッドと対照的に洋は痛がる素振りすら見せない。
「ほらほら、もうおしまいか? 情けねえな、おい。あと1回しかチャンスは残ってないんだぜ? やられた子分どものためにももっと気張れや!」
「こいつ……!」
力を振り絞って洋を立たせたヘッドは憎々しげに呟くが、背後に繋留用の『ボラード』があることに気付く。するとヘッドは満面の笑みを浮かべ、油断しきった洋をボラードの近くまで引っ張る。意図を掴めていないのか、洋は抵抗する様子も見せない。最後の力を振り絞り、ヘッドは足をかけて渾身の力で洋を顔面からボラードへ投げ落す。
「くだばりやがれェッ!」
「アニキ!?」
「太刀川!?」
「あいつ、無茶しやがって!」
粗方雑兵を全滅させたサブたちは声を上げ、救援に向かおうとする。だが、顔面からまともに叩きつけられたにも関わらず、洋は立ち上がる。額から血が溢れているが、意識はハッキリしているようだ。するとヘッドは恐怖の色を浮かべる。
「て、めえは……」
「……約束の10回目だ。次は俺の番だぜ? 歯ぁ食いしばりな……まずは1発目!」
洋は額を赤く染めながら笑ってみせると顎へ右アッパーを放ち、一撃で脳震盪を起こさせて膝を崩す。だが攻撃は終わらない。
「オラオラ! まだ這いつくばるにゃあ早えぞ! 2発! 345発! 6発! 7発8発! 9発!」
ヘッドが倒れかけたところで左のアッパーを叩き込んで無理矢理身体を浮かせ、側頭部へフックの連打を浴びせ、ボディブローを打ちこみ、ワンツーパンチを頬へ食らわせ、もう一度顎を打ち上げる。すでに意識がないのか、ヘッドは無抵抗だ。
「これで10発! フィニッシュブローだぜ!」
そして洋は渾身の右ストレートを顔面に叩き込む。ヘッドは大きく吹き飛ばされて地面へ大の字になって倒れる。まだ生きているようだが、しばらく目覚めないだろう。洋は額に付いた血を袖で拭いながら、最後に残った副ヘッドへ顔を向ける。
「で、まだ続けるかい?」
「ヒィッ!?」
「情けねえ声出しやがって、タマナシのヘナチン野郎が。俺の機嫌が悪くならねえウチにさっさと失せな!」
副ヘッドが無我夢中で逃げだすと残ったメンバーも敗走を開始する。一方的な勝利だ。ガオスのメンバーは勝鬨を上げて洋に駆け寄る。
「流石だぜ、太刀川。前からタフだとは思っていたが、帰ってきてから磨きがかかったな。今まで山籠りか何かでもしてたのかよ?」
「そんな大したことしてませんって、加頭のアニキ。向こうがヘタレ過ぎたんスよ。ちょっと凄んだらビビっちまいやがって。いくら数がいようと昔の俺たちにやられた負け犬どもが、今の俺たちに勝てるわけがないんスよ」
「でもアニキ、顔面からアレに頭ぶつけられた後にすぐ立って殴り返したんだからスゴイよなぁ……もうなんて言ったらいいかわかんないですけど、マジでサイコーでした」
「おだてたって何も出ねえぞ、サブ。それよかちょっと手ぇ貸してくれや」
サブからの称賛を受けても洋は軽く流し、上着からバンテージを取り出して傷口に当てる。すぐにサブは背後へ回ってバンテージを巻いてやる。
「あとアニキ、そろそろマッポが嗅ぎつけてくるころだから、ずらかった方がいいっスね」
「そうだな……よし、ここで解散だ。ケンカに勝っておいてサツにしょっ引かれたら赤っ恥もいいとこだしな。バラバラに逃げりゃあ簡単に捕まりはしねえ」
洋からの提案を受けた加頭がその場での解散を言い渡し、各自バイクへ乗り込むとバラバラの方向へ走りだす。洋は出血が収まるまで港に残り、サブも従っていたが、血が止まったことを確認した洋が声をかける。
「ったく、さっさと出りゃあいいもんを……行くぜ、サブ」
「俺、アニキに一生ついていくって決めたんで。はい!」
洋とサブもそれぞれバイクに跨り、港から出て人通りの少ない小道に入る。しばらくすると遠くからサイレンの音が聞こえてくるが、検問を張るにしても遅すぎる。念のために遠回りしてねぐらに帰ることを決め、カーブがいくつも続く山道へと入る。そこでサブは改めて洋に感嘆する。
「やっぱり太刀川のアニキは凄いよなぁ……男として憧れちまうよ。俺もアニキみたいな漢になりたいね」
「ヘッ、よせやい。俺はそんな大したタマじゃねえ。憧れるんならもっとマシなヤツにしときな」
しかし洋は自分へ向けられる尊敬のまなざしを避けるようにそっぽを向く。洋は喧嘩が異様に強く、バイクの運転テクニックもチーム屈指で、敵には苛烈ながら仲間には寛容だ。特に後輩の面倒見はすこぶるよい。なので上の世代からは一目置かれ、同年代からは信頼され、下の世代からは大いに慕われている。しかし誉めてもすぐ否定してくる。特に尊敬されることを頑なに拒んでおり、付き合いの長いサブから見ても違和感を感じるほどだ。憧れの対象とされたり、尊敬されることが本当に好きではないようだ。
そんなことを考えていたサブと洋の脇を、一台のオンロードバイクが追い抜く。あまり速度を出していないサブたちだが、腹が立つことには変わりない。
「野郎、スピード緩めてたからって舐めた真似してくれたじゃねえか……アニキ、さっきのヤツをちょっと脅かしてやりましょうか?」
「やめとけ、サブ。お前じゃあいつには追い付けねえよ」
「え?」
軽い調子で提案したサブを、洋が真剣な口調で止める。疑問に思うサブだが、洋の視線がある一点に集中していることに気付いてそちらを見る。
視線の先では、自分たちを追いぬいたバイクがカーブの数々をほとんど減速せず、綺麗なコースで走り抜けていた。カーブの中には45度を超える急な曲がり角もある。60キロは優に出ているバイクで減速せずに曲がるのは難しい。しかしバイクはあっさりと突破していく。かなりの運転技術とバランス感覚がなければ出来ない芸当だ。少なくとも、サブには出来ない。そこでサブはあることを思い出す。
「もしかして、あいつが……」
「サブ、何か知ってんのか?」
「いえ、この山道には凄腕の『ライダー
「ライダー幽霊?」
「はい。なんても白装束でバイクに乗って、真夜中になると一人で山道を走っているそうなんです。今まで暴走族とか走り屋が何人も勝負を仕掛けたらしいんですけど、人間離れしたテクで全員返り討ちにあったとか。加頭さんや真木さんも遭遇したって話です」
サブが聞いたのは、よくある怪談話だ。しかし妙な信憑性があり、実際に遭遇したという話はチーム内でもたまに聞く。その中には自分の同期、それに加頭や真木といった先輩も含まれている。
話を黙って聞いていた洋は、突然バイクのスロットルを入れてスピードを上げる。慌てて追いすがるサブだが、洋の目的をなんとなく悟る。
「まさかアニキ、あいつに仕掛けるんですか!? 無茶っスよ! 今は怪我だってしてるってのに! もしあいつが本物のライダー幽霊だとしたら、怪我してなくたって!」
「あいつが幽霊かどうかは、これから確かめんだよ。お前は黙って見てな、サブ」
心配するサブを余所に、洋は強引にカーブを曲がり距離を詰めていく。サブもなんとか洋の背を追いかける。やがて洋がバイクと並走し、サブもライダーの姿が見える距離まで接近する。白い上着と白いズボンを着用した男だ。サブからは背中しか見えない上に、フルフェイスヘルメットを被っているので顔は窺えない。ただ、バイクに座る姿から見るに上背があるし足も長い。どうにか食らいつくサブを余所に、洋が横を走るライダーへ声をかける。
「よぉ、これ見よがしに追いぬいてくれちゃって。ずいぶんとゴキゲンだなぁ、おい……ルールは簡単、先にこの山を降りた方が勝ちだ。負けたり逃げたりしたらどうなるか、なんて言わなくてもわかるだろ? そんじゃ、スタートだ!」
洋は男が何かを言おうとする前に話を打ち切り、一方的に開始を宣言してバイクを加速させる。男も断れないと悟ったのか、遅れてバイクのスロットルを入れる。同時に、それまでを上回るスピードで洋と男のバイクは走り始める。サブは最早追い付こうとする気さえ起きない。
「す、スゲェ……アニキも、あのライダーも、あんな速さでカーブに突っ込んでんのに……」
洋も男も猛スピードでカーブに突入する。しかしテクニックでは男が上なのか、コース取りは洋よりも綺麗かつ無駄がない。スタートダッシュで距離を広げたにも関わらず、男は瞬く間に洋との距離を詰めて並走し始める。洋はプレッシャーを与えるべくプレスをかけるが、男は常に一定の間合いを保ち続ける。
コースの残りは半分を切っている。いずれ洋は男に追い抜かれてしまうだろう。洋も流石に焦っているのか、運転がいつも以上に荒い。すると、前方からバイクとは別の排気音が響きライトが山道を照らす。大型トレーラーが反対側から迫っているのだ。
「あっ!?」
途中で気付いたサブと異なり、洋は勝負に夢中なのか気付いている様子がない。男もまだ気付けていないようだ。やがて男がトレーラーの接近に気付き、やや遅れて洋も顔を前に向ける。だが、時すでに遅し、だ。トレーラーはクラクションを鳴らし、ハンドルを切って急ブレーキをかけるが、間に合わないだろう。洋は咄嗟にトレーラーが曲がった方向と反対側へハンドルを切り、バイクをわざと横転させる。身体ごとバイクを横滑りさせると、摩擦を使い道路から飛び出す手前で止まる。一方、男の方は逃げ場がない。このまま潰されるだけだ。少なくとも、サブはそう確信していた。
しかし男はスロットルを捻り、右手にある土砂崩れ防止用の岸壁へ突っ込む。自殺する気かとも思ったサブだが、男はバイクを思い切り倒し、壁へタイヤを押し付ける。するとバイクは壁の上を走り始め、突っ込んできたトレーラーを上手く避けていく。俗に言う壁走りだ。スノーモービルならともかく、バイクでは易々と出来ない芸当だ。
「なんてドラテクだ……よっ!?」
男に襲いかかった災難は、これだけでは済まなかった。
壁に追突した衝撃で荷台の金具が外れ、男の行く手を遮ってコンテナが跳ね上がったのだ。このまま行けば、男は猛スピードでコンテナに叩きつけられる。傾斜は80度近くはある。それでも男は諦めず、今度は無理矢理バイクの前輪を持ち上げてコンテナの壁に接地させ、壁走りの勢いそのままにバイクを登坂させる。そしてコンテナをジャンプ台代わりに空中へ飛び出し、20メートルほど先まで大ジャンプした末に着地する。着地した勢いを殺しきれなかったのか、男はブレーキもかけずにバイクを走らせていくものの、心配そうな様子で一度後ろを見る。
少し遅れてサブが現場に駆け付けると、洋はその場で呆然としていた。トレーラーの運転手が出てきても、黙って男が走り去っていった道を眺めているだけだ。
「このクソガキ! バカな真似しやがって! 俺がハンドル切ってなかったら……!」
「うるせえ!」
だが、運転手に胸倉を掴まれて罵られている途中で我に返り、顎に一発入れて昏倒させる。サブはバイクを停車させて洋に駆け寄る。
「ア、アニキ、大丈夫っスか!? 怪我はないみたいだけど……!」
「……あいつ、手を抜いてやがった」
心配するサブを余所に、洋はポツリと呟く。
「え?」
「俺が必死こいてた勝負の最中もバカな真似はやめろとか、命を大事にしろとか、横から説教しながら涼しい顔で運転しやがって……俺のことなんか、ハナっから敵として見ちゃいなかったんだよ、あの野郎は」
サブは、ただ男が走り抜けていった先を見つめることしか出来なかった。
◇◆◇
織斑一夏には、ずっと憧れていた『ヒーロー』がいた。
超人的な力を持っていたわけでもなければ、悪の組織と戦っていたわけでもない。それでもテレビで放映されていた様々なヒーローたちよりも、都市伝説として語り継がれる仮面のヒーローよりもずっとかっこよく、一番の憧れだった。中学生になった今もなお、その気持ちに揺らぎはない。
物心ついた時から両親がおらず、10歳近く年上の姉と二人きりで暮らしていた。親戚が生活費などの面倒を見てくれていたが、姉は中学生の頃からアルバイトをしていた。
しかし10年前に姉の親友である天才科学者、篠ノ之束が『インフィニット・ストラトス(IS)』を発表したことが転機となった。発表直後に突然日本へ発射された多数のミサイルを最初のIS『白騎士』が全て撃墜し、更にはミサイル迎撃のために集結し、そのまま『白騎士』の捕獲へ命令がスライドされた各国の艦隊を無力化した『白騎士事件』が発生したことで、ISは世界最強の機動兵器として脚光を浴びた。しかし、その力が無制限に振るわれることを恐れた各国の手によってISの軍事利用を制限する『アラスカ条約』が締結された。ISは表向き競技用として開発が進められ、22の国と地域が参加するISの世界大会『モンド・グロッソ』が開催されるようになった。姉は束の友人で、ISの開発にも最初期から携わっていたこともあって日本代表に選ばれ、第1回モンド・グロッソでは総合優勝を果たしている。
そのため、今は生活もだいぶ楽になっている。もう一つ変わったことがあるとすれば、『いじめ』がなくなったことだろう。
小さい頃は両親がいないという家庭の事情や、姉のことを槍玉に挙げられてよくいじめられた。無論、一夏もやられっぱなしでは終わらなかったが、ISが登場して女尊男卑の風潮が強まってくると、国家代表の弟という立場が嫉妬や羨望、憎しみを買うことになり、いじめの苛烈さが増していった。そんな時にいつも助けてくれたのが、自分より5歳上の幼馴染みであった『彼』であった。
彼は近所に住んでいたこともあり、幼い時から自分と遊んでくれていた。偏見の目で見てくる周囲と異なり、彼は一切気にすることなく遊びに誘い、毎日一緒に過ごした。曰く一人っ子なので近所でよく遊んだ一夏を弟みたいに思っていたらしい。それを抜きにしてもかなり面倒見のいい性格で、一夏はよく世話になっていた。その最たるものは、小学1年生の時に起きた事件の後始末だ。
ある時、同級生で同じ剣道場に通う女子が男子にからかわれているのを咎め、男子数人と喧嘩をした一夏だが、その結果姉が学校に呼び出され迷惑をかけてしまった。なので絶対にバレないやり方で仕返しをしようと決めた。やり方は束から教わったもので、いつもレコーダーを持ち歩いて何かある度に録音し、教員へ聞かせるいうものだ。聞かせる際には束の忠告通り、もしバレたら『キョーイクイインカイ』に言いつける、とも付け加えておいた。その甲斐があってバレることなく仕返しを続けてきた一夏だが、ある時教師の不注意でいじめの音声を一夏が録音し、教師に聞かせていたことが発覚してしまった。
そんなことなど露知らず、下校途中で一夏はいじめっ子数人に捕まり、無理矢理公園まで連れてこられた。公園で待っていたのは、いじめっ子の一人が連れてきた中学生の兄であった。案の定、いじめっ子は兄の存在をちらつかせ、レコーダーを壊し二度と録音しないと約束することと、聞かせた音声が嘘であると教師に言うよう脅してきた。もちろん一夏は突っぱねた。中学生が小学1年生を本気で殴らないだろう、という打算もあったのかもしれない。
しかし、一夏が断った途端、中学生は何の躊躇いも一切の手加減もなく拳を顔へ打ちこんできた。鼻が潰れて血が出ても地面へ蹴倒し、腹や胸を踏みつけてきた。いじめっ子は一夏を嘲笑い、中学生に混じって袋叩きにしてきた。殴られ、蹴られ、叩かれ続け、体中に擦り傷や打撲を作ってもがく一夏だが、やられ続けるだけであった。痛みと情けなさから涙を流す一夏へのリンチは続いた。一夏が諦めかけたその時、誰かが乱入してきた。
『てめえら! 人のダチに何してやがる!?』
彼が単身公園に乗り込んできたのだ。乱入した彼はまずいじめっ子を次々と殴り飛ばすと、中学生へ単身挑みかかった。しかしいくら小学6年生とはいえ相手は中学生、粘りこそしたが叩きのめされてしまった。それでも彼は立ち上がり続けた。最初は余裕であしらっていた中学生も、いつまでも歯向かってくる彼に恐怖を抱くようになった。途中で逃げようとする中学生に追いすがっては、彼は鬼のような形相で同じ言葉を繰り返していた。
『謝れ! 今すぐ一夏に謝れ! てめえら全員謝って、二度とこんなことをしないって約束するまで、絶対に帰してやらねえからな!』
『わ、わかった! 謝る! 謝るから勘弁してくれ!』
鬼気迫る表情で一夏への謝罪を要求し続けた彼に呑まれ、最終的に中学生は半ベソをかきながら弟たちと共に一夏へ謝罪し、家へ帰った。その場はひとまず収まったものの、親も親でいわゆるモンスターペアレントであったことから学校へクレームが入り、後日一夏と彼は職員室まで呼び出された。
『あいつらが気に食わなかったから喧嘩を売った。一夏はあそこにたまたまいただけ。何にも関係ない』
職員室での『尋問』を受けた彼はその一点張りだった。姉に迷惑をかけたくないという思いを汲んで、自分に咎が及ばないように庇ってくれたのだ。無論、教師たちも本当のことは理解していたが、元はと言えば自分たちの不注意が発端であることや、内心向こうの態度にうんざりしていたことから彼の主張を認め、一夏はたまたま居合わせただけでこの件には無関係、とされて無罪放免となった。もっとも、彼の方は罰を受けてしばらく学校を欠席する事になったが。処分が決まった直後、一夏はなぜそこまでして自分を庇ったのかを問い詰めた。いくら幼馴染みとはいえ、自分が全部泥を被ることはないと思ったからだ。しかし、彼は笑って答えた。
『理由? んなもん決まってんだろ。お前が俺のダチだからだよ。自分可愛さにダチを売るなんて真似、したくねえ。怪我するより罰を受けるより何よりも、自分が一番守りたいもんを守れねえってのが一番怖いんだよ』
彼がこともなげに言ったその言葉が、今も心に残っている。
その後、ちゃっかり一夏を監視していた束が匿名でネット上にいじめの一部始終を流したことでいじめっ子たちは居場所がなくなり、中学生に至っては小学生をなぶった挙げ句半泣きしたことで後ろ指を指され、一夏が2年に進級すると同時にどこかへ引っ越していった。それからはいじめに遭うことが少なくなり、彼とも良好な関係が続いていたが、小学4年生の春休みに彼もまた引っ越すことになった。少し前に別の幼馴染みが引っ越してしまったこともあり、最初は行かないでくれと必死に頼み込んだ。しかし彼は自分を優しく諭したうえで、こう言ってくれた。
『一夏、お前はもう一人前の男だ。俺が何かをしてやる必要なんて、とっくになくなってる。だから俺を越えるようなビッグな男になって、姉ちゃんを養ってやれるくらいになったら自分の足で逢いに来い。その時は歓迎してやるからよ。弟分とかそんなんじゃなくて、対等な兄弟分としてな』
結局、彼と会ったのはそれが最後だ。引っ越し先を聞くことも出来なかったので、今彼はどうしているのか一夏には分からない。しかし、彼との思い出が色あせることはないだろう。
「――ちか、イチカ、おい一夏」
「……ん?」
思い出に浸る一夏を引き戻すように横から声がする。我に返った一夏は一度周囲を見渡す。
今いるのは教室だ。自分の隣では、赤みがかった髪が特徴的な級友が呼びかけている。目の前には、国語の教科書を持った壮年の男教師が立っている。授業中にボーっとしていたため、目を付けられたらしい。
とても気まずい沈黙が少しの間流れ、教師が先に口を開く。
「……で、織斑君。答えは?」
「えっと……すいません、質問聞き逃してました」
「だろうなぁ……このバカモンが!」
怒声が響いた直後、教科書の角が一夏の頭へ叩きつけられる。
「痛ってえ……千冬姉ほどじゃねえけど、マジで痛かったぞ」
「授業中にボケっとしてっからだよ。俺は何回も注意してやったんだぜ?」
「そうそう、なのに一夏と来たら全然気付かなかったもんな……ぶっちゃけ、バイトのし過ぎじゃねえの?」
「バイトは関係ないって。たまたま考えごとしちまってただけだよ」
授業後、休み時間に入ると一夏は隣に座る少年と、自分の前に座る少年と話しながら殴られた箇所を擦る。隣に座る少年の名前は五反田弾、もう一人は御手洗数馬だ。どちらも中学校に入ってから知り合い、すぐに意気投合して友人同士となった。今ではよくつるんでおり、3人でどこかに出かけることも珍しくない。ちなみに弾の実家は『五反田食堂』という大衆食堂を営んでおり、家庭の事情で特別にバイトを許可された一夏が通うバイト先の一つでもある。なので妹の蘭をはじめ、弾の家族とも親しい。
呑気に駄弁りながら次の授業の用意をしている一夏たち3人の下へ今度は少し離れた席に座っていた少女が歩み寄り、声をかけてくる。
「まったく、なにやってんだか。どうせまたいつもみたいに千冬さんのことでも考えてたんでしょ? ちゃんとご飯食べてんのかなー、みたいな感じで」
「人をシスコンみたいに言うなよ、鈴。たまたま考え事をしちまっただけだから」
呆れた様子で声をかけてくる少女へ一夏は心外と言いたげに口を尖らせる。
声をかけてきた少女は
ちなみに鈴は姉の千冬に苦手意識があるらしく、対面すると目に見えてわかるほどに萎縮する。もっとも、千冬は厳格で容赦ないところがあるので当然の反応とも言えるが。
「どの口でそんなこと言うのよ……ああ、それと一夏、今日は何の日か忘れてないでしょうね?」
「覚えてるに決まってんだろ? 今日は千冬姉の2回戦がある日だ。今度当たるのはアメリカ代表の……」
「違う! 確かに大事かもしれないけど、そっちじゃないわよ! 今日はあたしの家で酢豚試食してくれるって約束だったじゃない!」
「……ああ、そう言えば約束したっけな。悪い、すっかり忘れてた」
「あんたねえ! あたしとの約束と千冬さんの消化試合、どっちが大切なのよ!?」
「だからシスコンって言われんだよ、お前は。相変わらず千冬さんが第一過ぎだろ……」
「あれだけ美人なお姉さんがいたら気持ちは分かるけど、今のは流石にフォローできねえよ」
「確かに千冬さんは一夏にとってたった一人の家族だし、大事なのは分かるわよ! でもね、女の子が勇気を振り絞って一世一代の大勝負に出たって言うのに忘れるなんて、いくらなんでもあんまりじゃない! そりゃ千冬さんは美人だし? あたしは背も小さければ胸もないしガサツで女の魅力なんて欠片もないかもしれないけど……!」
「いや、本当に悪かったって。度忘れしちまっただけだからさ……それに鈴は普通にかわいいと思うぞ? 正直、なんでモテないのか不思議なくらいだしさ」
「か、かわいい!? ……フ、フン! あたしの機嫌を取ろうったってそうはいかないんだから! 今日はとことん付き合わせてやるんだから覚悟しなさいよ!」
先日した約束を度忘れしていた鈴に食ってかかられ、弾や数馬からも呆れられる一夏だが、なぜか容姿の自虐まで始めた鈴をフォローする。途中でなぜか赤面し、滅多に見せないしおらしい顔まで晒した鈴だが、すぐにいつもの調子を取り戻す。
茶色がかった長い髪をツインテールにした鈴は顔立ちが整っているし、よく見せる八重歯もあってとても快活でかわいらしい印象を与える。見た目だけで言えば文句なしで学校一の美少女として推薦できる。しかし歯に衣着せぬ言動と下手な男より男らしいと言われる勝気な性分のせいか、今のところ告白されたという話を聞かないし、誰が好きかという噂も出ない。ちなみに本人は自らの育つ気配のない小柄な体格と慎ましい胸にコンプレックスを持っているようだ。現に、今着ているセーラー服の上からでは胸の膨らみが確認出来ない。一応、成長すれば大きくなるとフォローしてみたこともあるが、逆効果だったらしく殴られた。
なお、一夏が言うとおり、千冬は現在ドイツで開催中の第2回モンド・グロッソに日本代表として出場しており、2週間ほど前から家を空けている。その強さは未だに各国代表の中でも頭ひとつ抜けているとされ、下馬評では優勝候補筆頭と目されている。現に先日行われた格闘部門の1回戦ではイギリス代表を無傷で一蹴しており、2回戦のアメリカ代表戦も勝敗ではなく対戦相手が何秒もつか、ということが賭けの対象になっているほどだ。よほどのことがない限り、連覇も容易いだろう。
(そう言えば、箒はどうしてるかな?)
鈴を見ていた一夏はふと篠ノ之箒のことを思い出す。
束の妹である箒と一夏は小学校に入ってすぐに知り合った。姉も通う剣道場に一夏が入門した時、道場主の娘である箒がいたのだ。それから先、箒とは互いに剣の腕を磨き合いつつ、いじめられていたところを助けたことをきっかけに仲良くなり、今の鈴と似たような関係となっていた。もっとも、生真面目で気難しいところがあった箒には、鈴とはまた違った意味で苦労させられたが。小学4年生の時に転校して以来、箒とは一切連絡が取れていないが、自分がバイトもあってやめてしまった剣道を今も続けているのだろうか。
(けど、先に転校しちまったのは運が良かったのか悪かったのか……)
箒もまた一夏の紹介で彼とは知り合っており、一夏を交えて何度か遊んだこともある。しかし、彼の下へ一緒に行くと決まって箒の機嫌は悪くなった。最初は気が合わないのかと思ったが、彼とはそこまで仲が悪くなく、なおかつ暴力はいつも一夏にのみ向いていたことから、箒が彼に惚れていると確信した。なので気を利かせてたまに二人きりとなるように仕向けたが、大抵ますます不機嫌になった箒が一夏を叩くのが落ちであった。箒としては自力で気を惹きたかったのだろう。ゆえに手助けは余計だったと一夏は思っている。
結局、箒は彼が転校する少し前に転校してしまったが、かなり急な話であったせいか別れ際に彼と会うことは叶わなかった。何か言っておきたいことはないか、と聞こうとした一夏だが、余計なお世話だろうと思い敢えて触れなかった。いずれ成長し、再会する機会があれば自分で想いを伝えるだろう。
ちなみに、鈴には箒のことをほとんど話していない。自分に転校した幼馴染みがいたことと、その幼馴染みが女だと話した途端、なぜかは知らないが露骨に鈴の機嫌が悪くなったためだ。
物思いに再びふけりそうになった一夏の意識を、チャイムが引き戻す。鈴は慌ただしく席に戻り、教師が入ってくる直前でどうにか席に座り直す。クラス委員が号令をかけて立礼をすると、すぐに授業が始まる。
(まだまだ及ばないけど俺も頑張ってるよ、洋兄ちゃん)
教師の話を聞きながら、一夏は『洋兄ちゃん』……太刀川洋のことを思い浮かべるのであった。
◇◆◇
忘れたくても、忘れられないことがある。
暗闇の中、大勢のバケモノに囲まれた。
仲間はみんな、バケモノたちに殺された。
逃げようとした。豚のような醜い悲鳴を上げて、恐怖のあまり小便や大便を漏らしながら、必死で逃げようとした。しかし、あっさりと捕まった。
意識を取り戻して最初に見たのは、見覚えがないうす暗い天井だった。周りを見ると変なケーブルで吊るされた男たちがいた。自分の身体にも、ケーブルが巻きついていた。
怪しい白衣を着た男が、何人も自分に群がってきた。訳の分からないことを言いながら、変な機械を取り出すと自分の身体に光を当ててきた。
身体が自分のモノでなくなっていくのを、本能的に悟った。筋肉の一つ一つ、骨の一本一本、血の一滴一滴、脳みその隅々から毛穴の中まで、全身の細胞が今までとはまったく別のモノにされた。人間から、バケモノにされたのだ。
バケモノになってからは、殺した。毎日殺した。朝も昼も夜も関係なく殺した。人も、獣も、バケモノも、自分と同じようなバケモノにされたヤツもみんな殺した。殺さないでという命乞いの声は何回も聞いたが、殺した。なぜ殺すと問いかけてきたヤツは、答えずに殺した。化け物と罵ってきたニンゲン様も、一発で殺してやった。
最初のうちは命令で仕方なく殺していた。殺さなければ自分が死ぬ。罪悪感もあったし、拒絶反応もあった。だが、殺し続けていくうちに罪悪感も消え、抵抗がなくなった。最初は必死に目を背けていたというのに、やがては冷静に死に行く姿を見送れるようになった。拳や足についた血や肉片も、ただ汚いとだけしか思えなくなった。えぐり出してみた心臓が意外と小さかったことに少し驚いた。頭蓋骨から零れた脳を拾い上げ、案外重いものだと感心したりもした。
恨み辛みの声は、どんなに耳を塞いでも聞こえてくる。憎しみの籠った視線は、今でも突き刺さっている。
(俺は悪くない、俺は悪くない、悪いのは弱いてめえらと、強過ぎるあいつらなんだ……俺は悪くない、俺は悪くない)
心の中で必死に唱えた。それでも声は聞こえてくる。視線は突き刺さり続けている。
ふと、顔を上げる。
目の前に、少年がいた。幼馴染みで、自分を慕う弟のような存在だった。
その少年が、視線を向けてくる。
憧れや尊敬の籠った眼差しだ。自分を奮い立たせ、強くしてくれた純粋な視線だ。
(やめろ、その目で俺を見るな……)
やがて重荷に感じるようになり、逃れようとした眩しい視線だ。
(やめろ、俺をそんな目で見るんじゃない。俺はお前が思ってるような男じゃない)
今の自分にはもっとも忌むべき、光に満ちた視線だ。
(その目で、俺を、見るんじゃねえ!!)
少年の首を絞める。きっと今、鬼のような形相で首を絞めているのだろう。だが、いくら締めても少年の視線は変わらない。あの時と同じ、真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
(俺はお前が思ってるようなヤツじゃねえ! 俺は情けねえビビリで、クズで、人でなしなんだ! 何人殺しても何とも思わなくなっちまった薄汚え人殺しなんだ! 血も涙もねえ化け物なんだ! だから、今の俺は……)
『――お前だって簡単に殺せちまうんだぞ! 一夏ぁッ!!』
「うおっ!?」
夜中、最近始めたアルバイト先の『スナックアミーゴ』のカウンター席で居眠りをしていた洋は目を覚ます。夕方に仕事が終わり、店を一旦閉めている間だけひと眠りだけするつもりだったが、かなりの時間寝てしまったようだ。すると雇い主でバーテンの史郎が声をかけてくる。
「洋くん、どうしたの? なんか魘されてたみたいだけど……」
「いえ、なんでもないッス……それとすんません、コーヒーもらえませんか?」
史郎に気遣われているほど、酷くうなされていたようだ。コーヒーを頼むと史郎は洋に背を向ける。
月影山から逃げ出して1か月、洋は悪夢に悩まされ続けていた。
4か月前、親しい仲間と街を流していた洋は、突如人と動物を組み合わせた怪物に襲われた。逃走を試みたが怪物の力が非常に強く、バイクをあっさり破壊された。それでも逃げようとした仲間や居直って立ち向かう仲間もいたが、ことごとく殺された。その間、洋は恐怖のあまり腰を抜かしていた。怪物たちが洋を取り囲んだところでようやく正気に戻ったが、すぐ恐怖に支配されて泣き叫びながら逃げようとした。だが怪物たちに捕まり、意識を失ってしまった。
意識を取り戻したのは、月影山にあるアジトの手術室で改造手術が施される直前だった。後で聞いた話だが、怪物たちは自分以外にも大勢の人間をさらっており、自分はその中でも改造される『幸せ者』だったらしい。洋は抵抗する間もなく改造され、30人近い他の候補者と共に『ブラック・ダミー』と呼ばれるバッタの能力を持った化け物となった。
ブラック・ダミーとなってからの日々は地獄だった。毎日のようにブラック・ダミー同士で戦わされ、時には他の怪物とも戦った。それだけではなく、毎日決まった時間に捕らえた人間を殺すよう命令された。最初は逆らおうとした洋だが、実際に逆らったブラック・ダミーの一人が全身を怪物に貪り食われる、という罰を受けたのを見て諦めた。それからは処刑されないよう、命令に従って殺しを続けた。最初は罪悪感で心が痛んだが、やがてはマヒして何も感じなくなった。時折、間引きと称して怪物が襲いかかり、何人かブラック・ダミーがやられたが、必死に抵抗して返り討ちにした。
そして1か月前、最終試験と称して生き残った14人のブラック・ダミー同士の決闘が行われた。この頃になると同じブラック・ダミーに対して仲間意識が湧いていたが、他のブラック・ダミーは躊躇いもなくかつての仲間を殺していた。しかし、まだ心が残っていた自分は戦うのを拒否した。それでも襲いかかってくる相手のブラック・ダミーと、戦わなければ怪物に食わせるという声に生存本能が呼び起され、無我夢中で立ち向かった。ふと我に帰ると、自分は相手のブラック・ダミーが死んだにも関わらず、ひたすら拳で頭を殴り続けていた。その後、胸と側頭部に刻印を施された自分たちは脳改造を待つのみとなった。しかし、洋は警備に出来たわずかな隙を突いて脱走した。他の6人と違い、僅かながら残っていた良心が耐え切れなくなり、脱走に踏み切ったのだ。
かつての仲間と合流してからは消える前と変わらぬ振る舞いを心がけてきた。あの3ヶ月のことは二度と思い出したくなかったし、現実逃避をしたかったというのもある。しかし、実際はこのざまだ。話の内容が内容なので誰にも相談出来ない。
史郎が振り向いてコーヒーを出すと一気にあおる。熱い。熱いが、飲めないほどではない。そのまま財布から千円札を取り出してテーブルに置くと洋はスナックアミーゴを辞し、店の前に停めたバイクに跨る。これからガオスが根城としている廃工場で集会があるのだ。遅れる訳にはいかない。バイクを走らせながら、洋は夢に出た少年のことを思い浮かべる。
(一夏……)
一夏と洋の実家はかなり近いところにあったので、洋は一夏と姉の千冬に面識がある。引っ越してきたよそ者ということに加え、他に歳が近い子供がいなかったということもあって幼少期は一夏と一緒に遊ぶことが多かった。洋にとって一夏は弟のような存在だった。
特に千冬がIS操縦者になり、一夏が寂しい思いをするようになってからは構う頻度が増した。一夏には両親がいなかったし、洋もまた離婚して自分を引き取った父との関係が冷え込み、家に居づらくなっていた。だから一夏のことは実の弟のようにかわいがった。長じるにつれて家庭環境の悪化から悪さをするようになり、家の内外から冷たい目を向けられるようになっても、一夏は変わらず自分を尊敬や憧れの籠った目で見てくれた。それが無性にうれしく、一夏の憧れるかっこいい男であろうと頑張った。時に中学生へ喧嘩を売ってボコボコにされたこともあるが、一夏の笑顔を見られるのであれば苦にならなかった。
しかし、中学生となり本格的に不良の道を歩み始めるようになると、次第に一夏の視線が重くのしかかってくるようになった。父親の再婚が決まったことで関係がこじれにこじれたことに加え、不良として悪どいことをしたり情けない姿を晒したりもした。その中で洋は、自分が一夏の期待に沿えるような人間では無いことに気付かされた。一夏が信じているほど自分は格好よくないし、強くもなく、優しくもない。一夏が抱いているイメージとはまるでかけ離れている人間だと。自分はただ一夏からの称賛と憧れの視線に酔い知れ、いかにも一夏が望むヒーローであるかのように振る舞っていただけに過ぎなかった。要するに、小さい子供がやっている『ヒーローごっこ』と同じだ。
それでも本当の姿を一夏に気付かれ、軽蔑されることを恐れた洋は全てを隠して前と同じように、いかにも一夏のよき兄貴分であるかのように振る舞い続けた。結局、偽りのヒーローを演じることに疲れた洋は街を離れ、一夏の前から姿を消そうと決心した。幸い、高校は実家から遠く、父親も洋をすぐにでも追い出したかったので、先輩の伝手で下宿先を見つけ、高校へ通うことにした。そして卒業が決まると同時に家を飛び出した。黙って別れるのは流石に心苦しかったので、最後に一夏へも別れの挨拶をしに行ったが、その時はもっともらしいことを言って煙を巻いた。体よく縁を切ったと言っていい。
高校に進学した後は一夏という抑えがなくなったことや、下宿先がガオスOBの営むバイクショップでよくガオスメンバーとつるむことが多くなったことから、学校でもたびたび問題を起こし、とうとう退学処分にされてしまった。ただ、洋はこれ幸いとばかりにガオスへ加入し、アルバイトをいくつも掛け持ちしながら活動にいそしみ、現在に至るわけだ。
胸に去来する複雑な思いを振り払うように一度頭を振ると洋はバイクを加速させ、街外れにある廃工場へ到着する。他のメンバーはすでに到着しているのか、自分以外のバイクは全台停まっている。洋は這い工場の扉を開けて中に入る。
「すんません、遅れちまって……あれ?」
いつもならライトが点いている筈なのだが、中は真っ暗だ。それに皆の話し声も聞こえてこないし、暗がりの中とはいえ誰の姿も見えない。何かあったのだろうか。暗がりに目を慣らしていきながら、ゆっくり歩いて建物内を歩いていく洋だが、途中で何かが足に当たって転びかける。少しずつ目が暗闇に順応していき、工場内部の様子がハッキリと見えるようになる。
「なっ……!?」
転がっていたのは、四肢がもがれて大量の血を流し切った死体だ。床には流れ出して固まった血だまりがある。顔には恐怖と苦悶の表情が浮かんでいる。着ているのは洋と同じ革ジャン、すなわちガオスのメンバーだ。建物の床には、同じようにガオスメンバーの死体が転がっている。いずれも遺体が酷く欠損しており、内臓や脳髄が飛び出しているものも少なくない。洋の脳裏に、月影山での3ヶ月間がフラッシュバックする。かつての自分もこれと同じようなことをしていたのだ、思い出さない筈がない。
仲間がことごとく死んでいるというのにショックも、悲しみも、怒りも湧かなかった。声を上げることも逃げることも、まともに思考することさえできなかった。ただ、ポツリと呟くだけだ。
「誰が、こんなことを……」
なぜか、一番気になったのはそこだけだった。誰が自分の仲間をこんなむごたらしいやり方で殺したのか。それしか洋には考えられなかったのだ。
「本当は分かっているんだろう? 太刀川洋。お前も同じことをずっとやり続けていたんだからな」
「だ、誰だてめえは!?」
「『誰だ』はないだろう? 兄弟……いや、ブラックダミー7号と呼んだ方がいいかな?」
犯人のことを考えていた洋の背後から、男の声が聞こえてくる。思わず振り返って凄んでみせようとした洋だが、どこかフレンドリーな声色で言葉を続ける男の姿を見て黙りこみ、顔から血の気が引く。
黒いスーツを着た若い男だ。背丈は洋とさほど変わらない。黒いスーツの上下に黒いネクタイを着用し、サングラスをかけている。男は洋のもう一つの名を呼んでサングラスを外し、笑みを浮かべる。
「まさか、忘れたなんて薄情なことは言わないよなぁ? 一緒にあの訓練を潜り抜けた『仲間』なんだからな」
サングラスを外した男が指を鳴らすと、倉庫の陰から5人の男が姿を現して洋の前に立つ。いずれも体格はまちまちだが、同じ格好をしている。見間違えるハズがない。1号から6号までのブラック・ダミーだ。なぜこいつらがここにいるのか。何の目的で自分の仲間たちを殺したのか。様々な疑問が浮かんでは消えて混乱する洋の心中を読んだのか、最初に声をかけた男が話し始める。
「なぜ俺たちがここにいるか、なんでこんなことをしたのかがわからないんだろ? なに、簡単なことさ……お前を探しにきたんだよ、裏切り者の7号」
「お、俺を、だと……!? まさか、俺を始末しに!?」
「本当ならそうだとも、と言いたいところだが、ノーだ。お前にどうしても協力して欲しいことがあるのさ。無論、断るなら答えはイエスに変わるんだがね」
「じょ、冗談じゃねえぜ! 誰がてめらなんぞの言いなりに! どうせそんなことを言って俺を最後には殺すつもりなんだろうが!」
「安心しろよ、用が済むまでは殺さないでおいてやるし、場合によっては生かして脳改造をしてやるんだから……それに、強がったところで無駄だぞ? お前のことはよく知ってる……どうすれば説得出来るかも、な。さて、出番だぜ? かわいい弟分くん」
ブラック・ダミーたちが自分を探しに来たと知って身構える洋だが、別の用事があるらしい。恐怖にすくむ自分を必死に奮い立たせて虚勢を張る洋をよそに、男は声を張り上げる。するとまたしても倉庫の陰から一人の男が歩いてくる。こちらは神父服に身を包んだやせぎすの中年だ。洋は中年が抱えてきた人影の姿を見て思わず声を張り上げる。
「サ、サブ!?」
「……アニキ? この声、太刀川のアニキなんだね!? どこにいるんだよ、アニキ!? 真っ暗で何にも見えないんだ!」
抱えられていたのは、サブだ。ただし、全身の至る所に傷が出来ており、顔面もはれ上がり血まみれだ。両眼は潰されて眼窩には血が固まった痕がある。ブラック・ダミー達にやられたのだろう。目が潰れていることに気付いていないのか、必死に顔を動かして呼びかけ続けるサブをよそに、洋は絶句してしまう。ブラック・ダミーたちはサブへと近寄り、洋に顔を向ける。
「こいつ以外、たむろしていたチンピラどもは全滅さ……7号、どうしてこいつだけ生かしておいたか、分かるか? 本当のお前自身を思い出させてやるためさ……さて、始めるとするか」
男は洋を見て意味ありげに笑うと、サブの右手を取る。そして小指の爪に軽く手をかけ、一気に生爪をはがす。するとサブは声にならない悲鳴を上げて悶える。しかし中年が身体を押さえつけて逃がさない。
「な……サブに何をしやがる!?」
「見ての通り、爪をはがしてやったのさ。これくらい、お前がやってきたことに比べたら大したことがないだろう?」
ようやく我に返り、食ってかかる洋をよそに男はサブを爪を次々と剥いでいく。あまりの痛みに絶叫し、時に意識を失うサブへ無理矢理活を入れて意識を戻しつつ、男たちは手のみならず足の爪までも全て剥ぎ取ってしまう。サブは、虫の息だ。
「ア、アニキ……助け、助けて……」
「無駄だぜ、サブ……アニキは助けてはくれない。あいつはとんでもないチキンだからね、今は地べたに這いつくばって必死に土下座しているんだよ」
「で、デタラメいうんじゃねえ! そいつの言うことを信じるんじゃねえぞ、サブ!」
「強がらなくてもいいものを……おい、アレを打ってやれ。また気絶されたりショック死されたんじゃかなわないからな」
洋を鼻で笑った男が指示を出すと別の男が注射器を取り出してサブの首筋へ打ち込む。直後、今度は男がサブの指を潰し始める。またしてもサブは絶叫と共に悶絶するが、男たちは無視してサブの指を一本一本握り潰していく。
「や、やめろ! サブは関係ねえ! これ以上サブに手を出すんじゃねえよ!」
「だったら、力ずくで止めてみたらどうだ? お前、こいつのアニキなんだろう? それとも、お前が代わって痛めつけられるか?」
止めようとする洋だが、男の挑発を聞いても身体が動かない。サブを助けたいと思っていても、いつものように男たちへ殴りかかることも、身を呈してサブを庇うことも出来ない。ただその場に立ち尽くし、必死な素振りでわめき散らすだけだ。手の指を全て潰した男は、今度は足の指を全て踏みつぶす。サブは想像を絶する苦痛に悶絶するばかりだが、まだ生きている。
「結局、指を全部つぶしても止めようともかばおうともしなかったなぁ……いい加減に認めろよ、7号。お前はどうしようもない臆病者だと。そして俺たちと同じように、弱いヤツを痛めつけることに抵抗のないバケモノだってな」
「アニ……キ……」
男の声を聞いているのないないのか、サブは弱々しく呼びかけつつも洋の方へ顔を向ける。目こそないが、洋へ助けを求め、すがりつくような顔をしている。きっとまだ洋が自分のことを助けてくれると信じているのだろう。だが、洋は動けない。声も出せない。ただサブが壊されていくのを見ているだけだ。男の言ったことを必死に否定しようとしても、否定出来ない自分がいる。
「さて、仕上げだ……訓練の時、お前は一際えぐい殺し方をしていたよなぁ。たとえば、腕をもいだり、足をちぎったり」
男は笑みと共にサブの肩を掴むと、指を深々と食い込ませ、力を入れる。他の男も数人肩を掴んで一斉に力を込めると、筋肉が裂けて骨や関節が千切れる嫌な音が響いた後、サブの右腕が胴体から離れる。最早人間とは思えない咆哮を上げるサブを余所に、男は大量の血が溢れ出し神経や骨髄がついたままの右腕を洋へ無造作に放り投げる。すると洋は小さく悲鳴を漏らし、後ずさりする。男は洋を嘲笑うようにサブの左腕を同じように引き抜き、洋に向けて投げつける。それどころか両足をも人間離れした怪力で胴体からむしり取ってしまい、遂にサブの四肢は全てもがれてしまう。それでもサブの意識は残っている。本来なら気絶どころかショック死してもおかしくはない。
「なんで死なないのか、なんて思っているんだろうな……さっき注射したヤツは特製の強心剤でね、一度注射されると死ぬまで意識を失うこともないし、心臓を潰されたりしない限りはショック死を起こしたりもしないようになる。つまり、死ぬまで気絶することも許されぬまま地獄の苦しみを味わい続けるというわけだ」
男が得意げに説明しても、洋は上の空だ。男たちがサブにしていることを、洋もバケモノの姿になり無我夢中でやっていた。それは事実だ。だからこそ、男たちに反論できない。身体が動かない。何も考えられない。ただ、今まで誤魔化そうとしてきた過去を突きつけられ、それを受け入れられずに右往左往しているだけだ。サブも最早洋が自分を助けてくれないと悟ったのか、血の気が引いた顔を絶望に染める。
「ア、ニ……キ……どう、し……」
「そしてあの日、お前はこんなことをしたっけな……デクの一人を背後から……!」
尚も肩を掴まれて吊られたサブの背後から、男が抜き手を放つ。すると男の右腕が背中から胸を突きぬけ、飛び出した右手には何かが握られている。握りこぶし大の、肉の塊だ。血を数か所から噴き出しながら、規則的なリズムで蠢いている。心臓だ。男は、サブの心臓をえぐり出したのだ。
「こう、ぶち抜いて心臓を抉ったんだよな。そしてこう言ったんだ。心臓って意外と小さいんだな、って」
男は一言告げてから心臓を握り潰し、右手を血と肉片で赤黒く染める。それでサブも完全に息絶え、ピクリとも動かなくなる。
サブが死んでも、洋には怒りも悲しみも恐怖も、人間らしい感情が何一つとして湧いてこなかった。男の言った通りのことを、洋はやったことがある。心臓について男が言っていたような感想を確かに抱いていたが、本当に口に出していたとは思ってもみなかった。なぜだか、どこか他人事のようにそんなことを考えたところで思考が停止する。
しかし、男たちによるサブ、いやサブだったモノへの冒涜はまだ終わっていなかった。
「もう一つ、これも覚えているか? ある時は頭蓋を叩き割って……!」
中年が掴んでいた肩を離してサブの死体を無造作に床へ落とす。すると男が思い切り足を上げ、全力で死体の頭を踏み抜く。何かが砕けて何かが潰れ、肉と体液が潰され弾ける生々しい音と共に頭が潰れ、頭蓋が割れる。同時に、割れた骨からいくつも皺が刻まれた『何か』が飛び出し、液体と共に床へ転がる。それが何かなど、言うまでもない。男はそれを掴み、摘まみ上げる。
「……脳を取り出して、こう言った。脳みそは重いんだなと……ま、このチンピラは多少軽いだろうがな。何にも考えずに遊び呆けていたクズだ、中身なんぞスカスカだろうよ」
男はそのまま、サブの脳を洋に投げる。
洋の身体に当たった脳が、べちゃり、と音を立てて地面にずり落ちる。
何も、感じなかった。何も考えられなかった。何の行動も起こせなかった。頭が真っ白になっていた。
洋の下に歩み寄った男は、洋の耳元に口を寄せて囁く。
「わかっただろ? これが本当のお前だ。認めちまえよ、兄弟」
その瞬間、3ヶ月間の記憶が一気に脳裏で再生されて荒れ狂う。同時に、洋はようやく我に返る。しかし、最初にしたのは驚くことでも怒りや悲しみを露にすることでも、憎悪や恐怖に身をゆだねることでもなかった。
洋は、吐いた。地べたに這いつくばり、胃の中身を一気に吐き出し始めた。何も感じず、何も考えられない状態ではあったが、とにかく腹の中に溜まったものを全て吐きつくしてしまいたかった。食べたものを全て吐きつくしても、吐き気は止まらなかった。なぜか涙と鼻水まで出始めた。それどころか、小便と大便まで堰を切ったように漏れ出した。強烈な臭気と共に人間とは到底思えぬ醜態を晒し続ける洋を見ても顔をしかめることをなく、男は屈みこむ。
「今まで目を逸らしてきた自分の本当の姿を直視して、耐え切れなくなったんだな? だが、心配することはない。俺たちが楽にしてやるよ……もう一度言うぞ、ブラック・ダミー7号。俺たちに協力しろ」
男は、優しい声色で告げる。
洋に抵抗する気力など、微塵も残っていなかった。
ただ、少しでも楽になりたいという思いしかなかった。
◇◆◇
放課後。帰りのSHRを終えた一夏は一人、帰り支度を始めていた。少しでも家計を支えようとバイトを始めたこともあり、一夏は帰宅部だ。もっとも、一夏たちが通う中学では部活動はやりたい人間だけがやるという伝統が根付いており、帰宅部は意外と多いのだが。教科書をカバンにしまった一夏の下に、中学生ということを考慮しても相変わらず胸の膨らみがほとんど見られない体操着姿の鈴がやってくる。
「ちょっと一夏、もう帰るの? 今日はバイトないんでしょ? だったらちょっと付き合いなさいよ。今日は特別にあんたを陸上部の臨時マネージャーにしてやろうって思ったのに」
「助っ人のクセにそんなことしていいのかよ、鈴……悪い、今日は少しでも早く帰りたいんだ。明日また埋め合わせはするからさ」
「……シャクに障るけど、あんたは女子に結構人気だから喜ばれるわよ? 忌々しいったらありゃしない……でも、なんでそんなに早く帰ろうとしてんのよ?」
「忘れちまったのか? 今夜はモンド・グロッソの決勝戦をやる予定だって」
「ああ、やっぱり千冬さん絡みのことだったのね……度忘れしてたわ」
鈴からの誘いに一夏が首を振って理由を告げると、納得したような諦めたような微妙な表情をして鈴も引き下がる。今日はモンド・グロッソの最終日、千冬が出場する格闘部門をはじめ、部門ごとの決勝戦が開催されるのだ。今回のモンド・グロッソが開かれるドイツとの時差を考慮すると、格闘部門の決勝戦は日本では夜に開始となる。ただ、予定がずれ込む可能性があり、場合によっては明日の朝になるかもしれないが。
ちなみに鈴も部活には所属していないが、類い稀な運動神経を見込まれてよく運動部に頼まれ助っ人として駆り出されている。たまに今日のように部活の臨時マネージャーとして一夏を連れて行こうとしているが、部活が中止になったり一夏のバイトがあったりでいつも流れていた。今回諦めたのは一夏にとって千冬がいかに大事な存在かをよく理解しているからだろう。あるいは、千冬へ苦手意識を持っているからなのかもしれないが。
直後、鈴の友人で陸上部所属の
「じゃああたしは行くけど……埋め合わせのこと、絶対に忘れないでよ? 忘れたらボコボコにするだけじゃ済まさないんだから!」
「ボコボコ以上って、何をやらかす気だよ……分かった、ちゃんと覚えておくからさ。じゃあ、また明日」
鈴が釘を刺してくると不穏な言い回しにツッコミを入れつつ別れを告げる。そのまま足早に教室を出て昇降口に向かい、部活にいそしむ生徒を横目に校門を出る。
千冬からはなぜかISに関わることの一切を禁止されており、試合をテレビなどで観戦することも認められていない。とはいえ、千冬も自分が不在の時にしている時のことを完全に把握出来るわけがないため、一人で密かにテレビで観戦したりすることは事実上黙認されている。もっとも、バレようものなら問答無用のゲンコツが落とされるのだが。なぜ一夏がISに関わるのをよしとしないのかと疑問に思い何度がぶつけたが、ハッキリとした答えは返ってこなかった。だが、自分のために身を粉にして働いてきた千冬に強く出ることも出来ず、今でもうやむやのままだ。今日も決勝戦が遅くなった場合、リアルタイムで見ることが出来ないので録画しておく必要がある。だが、妙に勘の鋭い千冬はたまに抜き打ちで部屋をチェックしてはIS関係の録画映像を収めたディスクを見つけ、壊してくる。なので隠し場所も今のうちに吟味しておいた方が良さそうだ。
そんなことを考えながら道を急いでいた一夏だが、姉のことを考えるあまり注意力が散漫になっていたのか、前から歩いてきた誰かとすれ違う際に肩がぶつかる。そこで顔を上げて相手を確認すると、いかにも不良と言った雰囲気を漂わせている革ジャンの男が見える。どうやら、避け損なってしまったらしい。男の方も肩にぶつかった一夏に気付いたのか立ち止まって振り返る。最初はどう言い訳するか、どうやって切り抜けるか思案していた一夏だが、振り向いた男の顔を見ると一瞬思考が停止する。
(もしかして……?)
男の顔に見覚えがあったのだ。それが誰なのかを思い出せなかった一夏だが、すぐに思い出す。男の方も一夏のことを思い出したのか、表情に驚きの色を浮かべる。数年の間に顔つきも大人っぽくなり、髪型や雰囲気は変わってしまっていたのですぐには思い出せなかったが、間違いない。一夏は喜びを、男は驚きを込めて互いの名前を呼ぶ。
「洋兄ちゃん!?」
「い、一夏ぁ!?」
洋兄ちゃんこと、太刀川洋だ。遠くへ行ってしまったので逢おうと思ってもなかなか逢えるものでもなかったが、思わぬところで逢うことが出来た。もちろん、まだ千冬を養えるような立派な男にはなれていないが、やはり久しぶりに逢えたと言う喜びが一気に噴き出してくる。
「久しぶりだね、洋兄ちゃん! まさかこんなとこで逢えるなんて思わなかったよ! けど兄ちゃん、大人っぽくなったなぁ……俺なんかようやく中学生になったってのに、兄ちゃんと違ってまだまだガキのままだよ。あ、そうだ! 兄ちゃん、千冬姉のこと覚えてるかな? 実は今日決勝戦が……」
嬉しさのあまり一方的にまくしたて始める一夏だが、途中で洋がなかなか話せない状態になっていることに気付き、謝罪する。
「あ……ごめん、兄ちゃん。嬉しかったからつい」
「いや、気にすんなよ。俺だって驚いちまったくらいだからな……けど、やっぱ背は伸びてきてんだな。それよか、少し場所変えて話さねえか? なに、そんな時間は取らせねえから姉貴の試合はちゃんと見せてやるよ」
「うん、まだ時間に余裕はあるし、洋兄ちゃんが迷惑じゃないなら」
「そういう謙遜はいらねえっての……ついてきな」
洋の提案を二つ返事で承諾した一夏は並んでその場から歩き出し、近くにある喫茶店に入る。
席について適当に注文すると、そのまま一夏は洋へ近況を報告し始める。小学5年生の時に中国から転校生がやってきて、今ではすっかり仲良くなったこと。中学校に入ってからは新たな友人が何人かできたこと。少しでも姉の助けになるべく、学校から特別に許可を得てアルバイトを始めたこと。箒たちが引っ越してから、今まで通っていた『篠ノ之道場』が一時的に閉鎖され、バイトが忙しくなったこともあり剣道とは疎遠になってしまったこと。そして今でも洋に憧れ、追い付こうとしていること。一夏がひたすら話している間、洋は時折相槌を打ちながら静かに聞いてくれていた。それに調子を良くしてますます多弁に一夏だったが、ふと思ったことを尋ねる。
「そう言えば洋兄ちゃん、今日は休みなの? 学校にしても終わるのが早いし……」
「いや、もう学校は行ってねえんだ。今は先輩がやってるバイク屋で働いたりしてんだ。今日は定休日なんでたまたまこっちまで足を伸ばしたらお前とバッタリってわけだ」
洋の答えを聞いて一夏は納得する。自分との年齢差から言って、洋は高校を卒業して社会に出ていてもおかしくない。自分の見識の狭さに恥じ入る一夏だが、洋の方は特に気を悪くした様子を見せない。優しさの方は相変わらずのようだ。
「あと兄ちゃん、その格好、どうしたの? なんかいかにもバイクとか乗ってますって感じだけど……」
「ハッキリ言っていいんだぜ? グレたのかってな……ま、そんなところだ。もっとも、そこらのチンピラと違ってガキからカツアゲしたりはしてねえけどよ。あくまで走りがメイン、バイカーってヤツさ」
続けて聞きにくいことを尋ねてみた一夏に対しても洋は怒る様子も見せずにあっさり答えてくれる。見た目は不良になっているが、器の方はますます大きくなっているようだ。自分とますます差が広がったことを確認して気が引ける反面、自分と別れてからも成長を続けている相手にますます憧れを強める。自分が追い付こうとしてもなお差を広げんばかりに成長を続ける洋だからこそ、自分もああなりたいと思ったのだ。自分も負けてはいられない。
注文したコーヒーが出てくると少しずつ飲み進め、時折話しかける一夏へ洋は同じくコーヒーを口にしながら気さくに質問へ答え、あるいは聞き役に回る。どちらも空になったコーヒーカップをテーブルに置き、一夏が時計を見るとすでに喫茶店に入ってから1時間は軽く越えている。体感的には10分も話していないつもりだったが、予想外に洋を束縛していた。
「ごめん、洋兄ちゃん。こんなに時間が経っているなんて気付かなくて……俺もそろそろ帰らないと。今日は付き合ってくれてありがと。また逢えたらいいな……今度は兄ちゃんに負けないくらいの男になれていたらいいんだけど」
「礼はいいっつーの……こっちこそ付き合わせちまって悪い。せっかくだし、送ってやるよ。いつまた逢えるか分からねえしな」
「本当に!? 一緒に帰るなんて久しぶりだなぁ……なら、行こうか」
長々と話に付き合わせてしまったにも関わらず、怒らないどころか送っていくとまで言い出した洋に喜色を露にする一夏だが、洋に促されて先に店を出る。支払いを済ませた洋が出てくると、一夏は足取りも軽く洋の隣を歩いて家へ向けて歩き出す。途中、一夏は洋へ何度か話を振るが、その度に洋は嫌な顔一つせずに付き合ってくれる。それがますます気分を弾ませる。
今まで歩いていた大通りから脇道に入って少し歩くと、路肩に黒いワゴン車が停めてあるのが目に入ってくる。明らかに駐車違反だ。普段はあまり見かけないが、もしパトロール中の警官に見つかれば切符を切られるだろう、などとどうてもいいことを頭の片隅で考えながら、一夏はワゴン車の横を通り過ぎようとする。
次の瞬間、いきなり背後から腕が回され、ハンカチが一夏の鼻と口を塞ぐ。
(な、何だ……!?)
突然の出来事に混乱してロクに反応出来なかった一夏だが、少し経って腕を振り払おうとしたところで全身の力が抜けていくのを感じる。同時に強烈な眠気にも襲われ、意識が徐々に遠のいていく。
(誰が、こんな……)
ようやく自分がハンカチに染みた薬品をかがされていることに気付いた一夏はせめて犯人の正体を知ろうと最後の力を振り絞ってもがく。腕を振り払いながら振り向くが、同時に限界を迎えて相手の顔を見ながらその場に倒れ込む。
(洋、兄ちゃん……?)
背後に居たのは、洋だ。手にはハンカチを持っている。
本当に自分を眠らせようとしたのは洋なのか。なぜ自分に薬を嗅がせたのか。
続々と疑問が頭をよぎったところで、一夏の意識は完全に途切れた。