咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『背負いすぎた背中』

「ツモ! 2000、4000だ!」

 

 今日もまた、龍門渕に雀士が集う。宅に着くのは渡瀬々と天江衣、丁度その終局においてのタイミングだった。両者の関係は明確な勝者と敗者、はっきりと明暗の別れた形となった。

 共に卓に就く者たちも、それぞれの成績を見れば、衣の一人浮きであることがはっきりと分かる。

 

「あー、ぜんっぜん追いつけなかった」

 

「着想は悪くなかったのだがな、いかんせん調整不足だ。それでは些か放恣にならざるをえんよ」

 

 いえば付き合うというのに、衣はそんな風に嘆息気味な忠言を漏らし、それもそうかと瀬々は頷く。現状、この対局はレギュラー選出に関わる部活内リーグ戦の一幕だ。無論この結果は成績に反映される。

 現在瀬々の順位は三位、ここ最近の不調が不動の地位から瀬々を引きずり下ろしてしまった。

 これでは行けないとはわかっているものの、現状瀬々の目的は果たされていない。むしろこのような負けられない状況のほうが集中が増すというものだ。

 

「……焦りがあるかもな、ぶっちゃけ、うまくやれる気がしない」

 

「着想は悪くないといってるじゃないか。衣が一から面倒みてくれるぞー!」

 

 年上ぶるように腕を振り上げる、どこから見ても小学生にしか見えない衣に、苦笑とほころびを掛けあわせたような笑みを漏らしながら、瀬々はふと考える。

 手詰まりになっているのはその通り、現状瀬々の“それ”は完成に至っていない。となればここは誰かの手を借りるのもやぶさかではないのだが……

 

(この場に一と透華がいないのがなぁ、いっそ今日は部活はこれくらいで切り上げて、ウチの方でハギヨシさんたちと……と、あら?)

 

 激しく回転する思考回路、しかし周囲の変化を目ざとく感じ取る瀬々の習性が、辺りの空気が淀み、停滞していることに気がつく。

 凍っているようだと、感覚がその答えを告げた。

 

「……どうしたのだ?」

 

 衣は瀬々を覗きこみ問いかける。自分の世界に入った瀬々が、ふと何がしか違和感を感じていることに、少しばかりの危惧を抱いたのだろう。

 大丈夫たと瀬々は手で制しながら、席についたままの麻雀卓の前からすっと離れる。

 

「いや、なんか人が集まってるみたいだな」

 

 先程まで卓の間を行き来していた人の流れが途絶えている。周囲にはまだ対局を行うものたちが席についているからわかりにくいが、どうやら何かあったらしい。

 すぐに視線を走らせれば、その先は部室の一角へと至った。

 

「――水穂先輩? なにしてるんだろ」

 

「行ってみるか?」

 

 隣だっての問いかけ、小首を傾げる動作は愛らしいが、今はそれに見惚れている時ではない、訴えかける感覚を受け止めるように右手を頭に添え、理解を及ばせる。

 

「なんか、喧嘩腰って雰囲気だな、少し一方的だけど」

 

「それは大変だな!」

 

 場の不和は見逃せないタイプだろう、年上ぶっているような時の衣もそうだが、彼女は思いの外責任感が強いらしい。

 根っからのリーダー気質、透華の従姉ともなればさもありなん、といったところか。

 

「――だったら、貴方はもう麻雀をやめたほうがいいよ」

 

「それは……っ!」

 

 近づいてみれば、二人の耳元にそんな会話が聞こえてきた。卓の岸と岸、向かい合うように二人の少女が言葉を交している。

 一人は依田水穂、もう一人は――たしか三年生の部員だ、少し前までは部内対抗戦でも上位につけていたはずだ。

 

「……何があったのだ?」

 

「あぁ、それはえっと」

 

 人だかりの一角、丁度同学年の少女がいたために、衣が無遠慮に声をかける。その少女は何とも言いがたい表情で言いよどむ。

 殺伐とした光景だ。言葉にしがたいものがあるのだろう。

 

「たしか、あの人かなり成績が落ち込んでたな。それの関係か?」

 

「鋭いね、大当たりだよ」

 

 同級生は面倒そうに嘆息をしながらチラリと目線を水穂たちに向ける。――言い争いは、どうやら話題をループさせているようだった。

 

「今の貴方は成長がなさすぎる。それは貴女自身が、まず第一に解ってるはずだよ? ねぇ、私が行っているのはおかしな事かな。私が言わなくちゃ、認識できないことじゃないよね」

 

「……解ってるわよ、解ってる」

 

「だったら! 選んで、このままここで成長性のない麻雀を続けるのか、趣味として、二軍で麻雀を続けるのか。……やめる気は、ないんでしょう?」

 

 水穂が、落ちぶれてしまった一軍の人間を、叱咤し問とだしている。現状のそれは、そんな光景だ。

 周囲はだんまりを決め込んでいる。三年生に、二年生は言葉をかける素振りを見せずどこか鎮痛そうにしながら、一年生の事情をよく飲み込めない者達は、あたふたと周囲に意識を配っているようだった。

 

「……い、いいんですか? 止めなくて」

 

 丁度衣が声をかけた一年生の少女が、先輩である一人の少女に問いかける。小声で、どこか後ろ暗いような様子で。

 

「駄目だよ。ああなった水穂はもう止められないし、二人の事情を考えれば、止められない」

 

 二人の、とその先輩は言った。一年生の少女は渋々といった様子で引き下がる。事態を完全に飲み込めたわけではない、それでもその事情というものが、責め立てられるものだけでなく、水穂にも在るというのなら、少女は言葉を加えられない。

 無理もない事だった。

 

「……どういうことなの?」

 

 その言葉は、少女が元いた場所に今も立つ、瀬々に向けられたものであった。単なる問いかけ、答えが必要なのではない、同意がほしいのだ。

 瀬々はそれをわかった上で、更に会話をつなげる。

 

「さてね。そもそも、だ。あの脳天気な水穂先輩が、こうも怒るなんて、普通じゃ考えられないんだよな」

 

「うん、だよね。それに……責め立てられてる先輩も、なんか、変だし」

 

 言葉に寄せられて、見ればその先輩も、どうやら言葉に耳を塞ぐように、落ち込んでいる様子はない。それはむしろ、周囲の水穂に対する態度と同一の、心苦しさを隠し切れないような体裁だった。

 首を傾げる同級生に、瀬々は何気ない様子で答えを明かす。

 

「いやさ、あの人も三年生だし、たしか水穂先輩とも付き合い長いだろ。多分周りの人みたいに、事情を知ってるんじゃないか?」

 

 二年の先輩が理解していることを、同額であるという条件を持つ渦中の人間が理解していないわけがない。それを納得、と言った様子で吐息を漏らすと、ほう、ともれたそれは人垣の中へと溶けこんでいった。

 

(……さて)

 

 会話の必要性が薄れたためか、そこで両者の話題は途切れた。瀬々は少しだけ思案げにしながら今後の展望を考える。

 渦中の三年生ではないが、瀬々も水穂の事情は理解している。それも、恐らくはその中身まではしらないだろう周囲の者達とは違い、瀬々の感覚が、水穂のそれを理解してしまっているのだ。

 

(――どうしたものかね)

 

 考えるものの、別にそれを衆目の元に曝そうというつもりはない。瀬々の中で、先日の一件から自分のチカラにたいして認識が変わりつつあるのは事実。しかしそれでも、他人の過去を暴き、晒し者にするつもりは全くない。

 瀬々の生き方はこれまでと何らかわりはないし、瀬々のスタンスも、基本的には八方美人を貫くスタンスだ。態々、そんなつまみ者になりかねない事をする必要はない。

 

 ――だからこそ考えているのだ。この場において、瀬々の最適解とは何か。いくつか在る感覚の答えから、最善ではなくとも、納得の行くものを選ぶ、それが今、瀬々のスベキコト。

 チカラをみだりに晒してはならない、しかし誰かの助けとなるのなら、惜しんでもならない。それはきっと、間違った考えではないはずだ。

 

(となると、今はダメだな。もっとわかりやすく、もっと端的な場所を作らないと。そのためにはやっぱり――)

 

 ちらりと、瀬々は視線を揺らす。見遣った先は部内の一角にでかでかと掲示された部内ランキングの現在状況。

 丁度半荘が終わったのか、順位の変動が見られるそれの、しかし不動を貫く上位へと意識を向ける。

 

(……先輩に、負ける訳にはいかないか)

 

 一位:天江衣

 二位:依田水穂

 三位:渡瀬々

 四位:龍門渕透華

 五位:国広一

 

 五名とも、すでにレギュラーはほぼ確定的な成績だ。となれば後はそこに絡んでくるのはレギュラーのポジショニングだ。たとえば、成績トップ――天江衣は大将を希望している。これは本人のモチベーションの問題だが、恐らくその要望は通るだろう。衣は昼よりも夜のほうが強い、そう透華が認識しているためだ。

 衣的に言わせれば、昔の衣ならばともかく、今の衣は昼間だろうが夜間だろうが、全く同一のパフォーマンスを発揮すると言って憚らないが――とかく。

 

(あたしが目指すべきポジションは、先鋒。最も気張って、勝利のみを追求しなくちゃいけない場所。そのために、絶対に二位の位置を確保する必要がある)

 

 数日前、透華から直接話されたことだ。曰く、透華は瀬々を先鋒に据えたいと考えている――と。

 

『恐らく、私達五人を最適のオーダーに据える場合、先鋒は貴方こそがふさわしいですわ。でも、それにはもう少し成績が足りませんの』

 

 透華は実質的に龍門渕の麻雀を仕切る監督のような存在だ。龍門渕にも顧問がいないではないが、本人に自分よりも透華の方が優秀であるという自覚があるためあまり主張をしてくることはない。

 学校としても、派手に伝統を壊さない限り、むしろ透華の仕切りは、黙認ではなく容認されているといっていい有様だ。

 そんな透華が、瀬々に言うのだ。

 

『責めて部内二位、衣に次ぐ実力を持っていただきませんと、水穂先輩を先鋒に置かざるを得なくなる。……できれば、それだけは阻止しなければ行けませんの、先鋒、もしくは大将にあの人を置くことは、あの人のチカラを大きく削ぐことになりかねない』

 

 加えて、水穂もまた先鋒を希望している。最年長のレギュラーとして、一年生たちに自分の戦いを見せ無くてはならない、そんな“責務”を彼女が感じているというのだ。

 

『解ってるさ。あたし自身、そのことはよく解ってる。やっと認めてくれたんだ。やっと手に入れられたんだ。だからあたしは、この場所を失いたくはない』

 

 ――だからこそ、瀬々はその時即答をした。依田水穂に、何かを背負わせてはいけない、何かを背負って、背負って背負い抜いて生きてきた彼女の方に、もう何かを載せる隙間も、それを支えるチカラもない。

 それは水穂にもわかっているだろう。頑なに、ああして秋一郎の言葉を拒絶した、水穂がそれを理解していないわけでもない。

 

 

『そのために、絶対に先輩はあたしが止める。あたしが、龍門渕のエースになって、先輩を支える存在になる――!』

 

 

 小さな、そして胸の奥底にしまわれた、静かな決意。瀬々の言葉は、そうして記憶の隅へと溶けていく。すると瀬々は、今まで気づき用のなかった在ることに、ふと気がついた。

 

(……あれ? 衣はどこいった?)

 

 先程まで瀬々とともにいたはずの少女の、姿が見えない。恐らくは同級生と会話を交している間に、何処かへ消え失せてしまったのだろう。

 ならば――何処へ?

 その答えは、すぐさましれた。衣の声が、――よく響く我の強い声音で、部室内を駆け巡ったのだ。

 

 

「どういうことだ水穂!」

 

 

 その言葉の発信源は、明らかに、事件の震源地にほかならない。――思わず、瀬々の表情が驚愕と苦々しさを掛けあわせたような何とも言えない奇妙なものへと変質していく。

 無理もない、想定を外れた衣の行動への認識が、正しく行えなかったのだ。

 

「――何かな、衣ちゃん」

 

 感情の伴わない水穂の言葉を聞いた途端、瀬々の体は跳ね飛んだ。さほど運動神経は良くないものの、それでもその一瞬において、瀬々の動きはまるでスポーツマンであるかのようだった。

 続く衣の言葉。

 

「これではあまりに――――ふぐむぅ!」

 

 それが紡がれるよりも早く、瀬々が衣の口を塞いだ。何事かと目を大きく見開いて、瀬々の存在に気づいた衣が、恨みがましく目線をやる。

 

「ちょっとストップだ衣。落ち着いてさ、少しあたしの話を聞いてくれないか? 先輩たちのことは、あたしたちが飛び出さなくてもダイジョブだからさ」

 

 そうやって瀬々がなだめるように言うと、しかし衣は納得がいかないのか、両手を振り上げてもがく。もごもごと何がしかを言葉に従っていたようだったが、やがて止まった。

 

「……あっちの方行こう、できれば二人で、話がしたい」

 

 そんな風に言葉を投げかけられ、気がついたのだ。瀬々には答えをしる感覚がある。ならば瀬々がこうして衣の行動を静止しているのなら、その答えがどうあれ、それは正しいことなのだ、少なくとも今の瀬々は、感覚をそのまま直接身にまとっているような気配を感じる。

 きっと、間違いはないだろう。そう考えると、衣も退かないわけには行かなくなった。嘆息気味に体の力を抜くと、若干水穂を睨みつけるようにしながらその場を離れていく。言葉はない。疾風のごとく、衣はその場を駆け抜けていった。

 

「…………それじゃあ」

 

 会話をするつもりはない。瀬々もまた軽くお辞儀をすると、水穂の反応を待たず、その場から立ち去っていく。

 

 ――二人が水穂達へと振り返ることは、決してなかった。

 

 

 ♪

 

 

「どういうことだ瀬々! なぜ衣を止める!」

 

「どういうことだもない、アレはあの二人の問題だ。会話事態はともかく、会話の内容はとっくの昔に二人共了承済みなんだよ」

 

 ――人気のない放課後の校舎。すでに衣も瀬々も、帰路につく支度は整っていた。ああいって飛び出してきた以上、もう今日はあの場所には戻りづらいし、衣も戻るつもりはないだろう。瀬々とて、衣の考えを認識できないまま、爆弾の導火線に火をつける気は毛頭ない。

 だからこそ、急ぎ足の両者の会話は怒声に似ていた。何かを張りあうような言葉の連鎖は、人のいない場所においても十分目立つ。

 

 瀬々もそれは理解しているのだが、それを咎める感情よりも、足を急ぐ衣へと意識が向いていっている。

 

「それこそ訳がわからない。衣はあんなふうに自分の麻雀を否定されて、黙っているのが理解できん!」

 

「それもそうだけど、それは衣の考えだろ。あの人達にはあの人達なりの考えがある。世界は同じ場所に人を置かないんだ。……それは衣が、一番良く解ってることだよな?」

 

「……ッッ!」

 

 瀬々の的確な言葉に、衣は思わず足を止める。そうだ、理解していないわけではない。衣もちっぽけな田舎から飛び出して、世界の広さを知って、そしてあの秋一郎との対局で、世界の違いを認識したばかりではないか。

 ――そうなれば、間違っているのは衣なのではないか? 一瞬考える。だがそれは直ぐに否定された。

 

「衣は麻雀をとても大切に思っている、それはよくわかるし、何も間違ってない。むしろあたしからすれば、その考えは眩しすぎる。羨ましくて仕方ないくらいなんだ」

 

 世界は何も間違っていない。ただひとつの正しさが、別の正しさと同居してくれるわけではないのだ。

 衣は、それをここに来て認識する。少しだけ伏せた顔は、後悔に近い。それでも――譲れない境界線を持つ、そんな子供らしくいじらしい姿にも、瀬々には思えた。

 

 黙りこくった衣に合わせて足を止め、瀬々は続ける。

 

「だからこそ、だ。あの人は麻雀を嫌いにならないうちに(・・・・・・・・・・)やめておくべきなんだ」

 

 あの人、責め立てられていた先輩のことだ。それは衣にも直ぐしれた。だからこそ分からない。嫌いにならないうちに? そんな言葉、今まで聞いたこともなかった。

 そんな衣の様子を敏感に感じ取り、瀬々は続けて言葉を紡ぐ。

 

「あの人が成績において不調なのは知ってると思う。そうでなきゃ、あんなことにならないのも、多分衣は、わかってくれてるよな?」

 

 問いかけに、おずおずとした様子で頷く。言葉の先が読み取れない。――瀬々の見ている景色は衣と大きく違う、そこから飛び出す言葉は、衣には全く見当のつかないものだ。

 

「加えて、龍門渕には世界有数のお金持ち、なんてタイプの学生も多くいる。あの先輩は、本人は至ってフランクなんだけど、そういう家庭だ。んで、だな。こういう家庭は、透華みたいに本人が飛び抜けて優秀だったり、反対するものが発言力がない場合を除いては、あまりこういう競技にいい顔されないんだよ」

 

 別に麻雀事態を反対されるわけではない。龍門渕は強豪で、そこで麻雀を打って結果を残せば、将来のプラスになるのだ。しかしそれ以上は余りいい顔はされない。

 瀬々は競技、といった。これは別に麻雀に限った話ではない。スポーツや、同じ卓上の世界で言えば、囲碁、将棋、強豪の高校に所属し、高校の中で結果を残すのは、その後の人生に多いなプラスとなる。

 

 しかし、それ以上、つまり大学、就職してから、そういった場で麻雀を続けるのは、もしくは麻雀一本でプロを目指すような生き方は、余り好まれたものではない。

 

「透華なんかのレベルになれば何も言われないんだけどな。やっぱり普通の人がそういうプロを目指すっていうのは、周囲がそれを止めちゃうんだ。期待されてない限り、な」

 

「そういうものか?」

 

「……麻雀に限った話じゃないけどさ、麻雀だけで生きていけるほど強い奴なんて、世界に百とか二百とか入ればいいほうなんだよ」

 

 ――ギャンブルとして麻雀の舞台に立つのならばともかく。そんな瀬々の言葉に、衣は余りいい顔はしなかった。それもそうだろう、衣にとって雀士とは、あの大沼秋一郎などの存在を言うのだから。

 たとえ彼が博徒であろうと、その本質、勝負にかけるのは金ではない、プライドだ。――そんな存在が、衣の思う雀士なのだろうから。

 

 話を戻そう、瀬々はそんな風に言葉を選んで切り出していく。

 

「あの先輩の両親もそうだ、多分親的にはいいところの家に嫁がせて、幸せになって貰いたいんだろうな。そのために、麻雀プロなんていう不安定な職種は目指してほしくないんだろうさ」

 

 それもまた、ひとつの愛だろうと瀬々はいう。羨ましそうに、衣を見ずにどこか遠くへ視線を向けながら。

 

「……、」

 

 無言の衣に構わず、瀬々は続ける。

 

「でも、両親は子どもの意見も尊重したい。落とし所としては大学を出て実業団に入り、働きながら麻雀を打っていくのが理想なんだろうけど、今はマダ本人が結論を出していないみたいだ」

 

「ムリヤリ麻雀から引き剥がそうとしているのではないのか?」

 

「親にだって、普通だったら(・・・・・・)愛情ってもんがある。まぁこれはあたしの願望みたいなもんだけど――」

 

 衣と、それからその場にはいない誰かへと視点を合わせながら瀬々は言う。衣は思わず息をつまらせ、そんな瀬々の表情を見る。

 ――とても寂しそうで、とても苦しそうな顔をしていた。

 

 なのに瀬々は、明るく、人のいい笑顔で笑っている。本心を押し隠して、もはやそれが何であるのかもわからないようなごちゃまぜの感情を、耐え切れずに表層へ吐き出しながら、それでもなんとか二の句を継げる。

 

「――そうそう子どもをないがしろになんかしたくない。子どもの方も、それは理解しているから悩んでる。水穂先輩がやったのは、それを出来る限り早期に解決させるための、発破みたいなもんだな」

 

「なんでそんな事をする? 衣はよくわからないけど、そういうのは時間が解決するんじゃないか? あぁいや、時間が選択を共用するのではないのか?」

 

「そうなれば、あの先輩は誰に悩みに悩んだ結論の、それでも残った鬱憤をぶつけると思う? それにもしもプロを目指す道を選んで、挫折するなんてことになってしまえば? 先輩の将来はどうなるんだ」

 

 衣とて、そこまで事情を並べられれば、否が応でも理解せざるを得なくなる。そしてその言葉は瀬々の言葉だ。彼女が正しいというのなら、きっとそこに異論を挟む余地はない。正しさは並列することは出来ても、直列することはできない。衣の言葉は、きっと瀬々を介しても、水穂を介しても届かないだろう。

 そう、理解せざるを得なかった。

 

 あの少女には、地方の強豪でレギュラーを張る程度の、そんな実力しかない。少し周囲を見渡せば、それ以上の存在は、もっともっと多く在る。

 だからこそ水穂が歯止めをかけなくてはならないのだ。恨みをすべて、水穂にぶつけることで、家族としての不和を取り除くために。

 

「――だが、それでは水穂が余りにも哀愍だ。荒誕だ、なぜそうまでして水穂が被る必要がある!」

 

「それが先輩の特性だからだ。自分が嫌われてでも、誰かを不幸にしてはいけない。誰かと誰かの繋がりを断たせてはならない。そう思ってしまってるから、そう動かざるをえないんだよな。どれだけ自覚が会っても、さ」

 

 ――それも、当初の頃はまだ良かっただろう。水穂の思惑通りに周囲は水穂を嫌ってくれた。麻雀を、あらゆるものを引き剥がす現況を疎んでくれた。

 でも、それも直ぐに意味を失くした。世界は思ったよりも優しかったから、水穂の意図が周囲に明るみに出てしまったのだ。本人のあずかり知らぬ所で。

 

 そうなってしまえば、水穂の言葉は力を失う。それでも問題を対処できたのは、一見刺のある水穂の言葉が、熱せられてしまった思考に冷水をかける力は、残っていたからだ。

 

 それでも、そんな水穂の考えを皆が知ってしまった以上、誰もが考える、もうやめてくれと、水穂に無茶をしないでくれと。

 

「だから、あたしも止めた。―――先輩は多分もう、先輩一人じゃあ、先輩だけじゃなくとも、止まれない位置にいる。全部自分で背負いこんで、それでもなお突き進もうとしてしまう。……それを、あたしは見過ごしたくはない」

 

 止めたと、そういった。そうしてからの言葉はがらっと瀬々の声音が大きく変わった。まるで怒気をはらんでいるかのような、重苦しく、そして懸命を込めた声。

 

「水穂先輩を倒す。それが先輩を止める、ただひとつの方法になる」

 

 そうやって響きわたった声は、衣と瀬々、二人の元に、消えてゆくのだった。

 そして、

 

 

「――あれ? こんなトコロにいたんだ」

 

 

 そんな二人に声がかかったのは、それから一分の時もたたない頃だった。国広一が――一度帰宅しているためだろう、給仕姿になっている――二人に声をかけたのだ。

 

 帰宅を誘う言葉を投げかけられ、二人は改めて帰路につく。

 校門にでたところで、一度だけ衣は余り感情を感じさせない、しかしどこか思案気な顔で振り返った。――何をしているのかと問いかける一の声。すぐさま衣は居直ると、勢い良く入り口にて待つ一達の元へとかけ出すのだった。




オリキャラ先輩掘り下げ回。こーいう世界観が優しいところが咲のいいところだと思います。
加えてVS水穂前振り回その1。ちなみに本気水穂と覚醒瀬々のお披露目でもあります。

ふとこんな麻雀まったく出てこない話書いていいのかとかおもったけど、この更新速度なら大丈夫だよなと思い直す今日このごろ。

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