瀬々と水穂、両者の対局は例の事件以降、設けられる機会はなかった。無論、瀬々と水穂の両名は対局を望んでいたし、それ自体があることは確定的だった。
――瀬々は水穂の負担を軽減すべく、水穂は自身が先鋒として、何ら文句のない形で選出されるために。
それは両者の生活、その節々から感じられるようなものであり、周囲は敏感にそれを感じ取った。――競技の延長線上を超えた意地と意地のぶつかり合い。瀬々と水穂の大局は、そんな位置にまで引き上げられるにたった。
そうして訪れた四月下旬、もうすぐ三連休が始まり、連休によって世間が浮き足立ちはじめた頃のこと。
ついに、水穂と瀬々が同卓する卓が立てられた。
東家に瀬々、北家に水穂、南家と西家を務めるのはそれぞれ、瀬々達とは余り接点のない二年生。どちらも龍門渕内での成績は中位、下手ではない最低限の打ち手として、その場に座ることとなる。
対局は、そんな二年生達の静かな和了からはじまった。
東一局は西家の少女が。
「ツモ! 2000、4000!」
東二局は南家スタートの親が。
「ツモ! 2600オール!」
それぞれの全速力でもって瀬々と水穂を引き剥がしにかかる。現状彼女たちには水穂や瀬々に食らいつけるほどの実力はない。ならば何を持って闘うか。
速度と、それを伴う流れしか無い。開始早々はその少女たちによる和了。どちらも小気味のいい手が、リーチとドラと、ツモによってちょうどいい形に跳ね上がったのだ。
しかし、少女たちの猛攻もそこまで、彼女たちの対局はほぼ、この場所で終わりを告げた。さもありなん、一人の少女がそこで腰を上げたのだから。
――依田水穂が、その瞬間、全力のチカラを吐き出したのだから。
♪
――対局室。水穂達の周囲は人だかりが出来上がっていた。この対局、実質的な龍門渕四天王ナンバーワンを決める闘いであるがために、その注目度は否が応にも上がっていたのだ。
一年生ながら安定した強さを見せる渡瀬々、三年生として貫禄の闘牌で実力を見せつける依田水穂。
そのどちらがレギュラーの中でも傑出した力を持つか、その詳細が今、詳らかにされようとしているのだ。――そしてそれを気にかけているのは何も一般の部員たちだけではない。
透華達その他レギュラー陣もその対局を注視している。
透華、一、そして衣の三名は人だかりの中には見をおかず、少しはなれた場所から対局を見守っている。
――しかし、それでは全てを見通せるわけではない。透華他の者達はあるツールを利用しているのだ。パソコンに卓上の状況を再現する映像を写す、というものである。
これにより、ほぼリアルタイムで卓を見ずとも観戦が可能だ。直接眺めたり、モニター越しに熱気を感じるような、味気と呼べるべきものはそこにはないが。
「さて……ここまでは特におかしなところはありませんわね」
「瀬々も、すごく普通に打牌してるね」
「ここ最近はそういった事もしているからな、多少はどうに入ってきただろう」
一の言葉に追随した衣の“そういったこと”とはつまり端的に言えばデジタル打ちの事だ。その内容は、あくまでその場限りの最善を選べる程度のものではあるが、オカルトに比重を置く瀬々ならば、それでも十分すぎるほどに十分だ。
――むしろそのデジタル習得によるアドバンテージは、自身の技術上昇ではなく他者への観察力向上にこそ意義がある。
「…………おや、来たようだな」
そんな時だった。開け拡げられた麻雀部の出入り口から、一筋の風が室内を凪いで駆け抜けた。瞬く間に周囲を飲み込むかのような力を持つ、重い風。
「……っ!」
「――な、なんですの?」
衣がいち早くそれに気づき、少しばかり楽しそうに笑みを浮かべると、続き、瀬々と透華が反応した。その様子から、透華はすぐにその正体を知った。
「……先輩、ですの?」
――透華には人ではないチカラを感じ取る感覚があり、それが作動しているというのなら、その発信源がここには存在するはずだ。
そしてそれは、この場にいる特別な雀士のウチ、全く反応を見せなかった水穂以外にはいない。
水穂が、吹き出すような気配を顕にした。
それに気がついたのは、瀬々を始めとしたオカルト領域の雀士のみ。それだというのに、龍門渕の麻雀部は突然その音を殺し、静まり返ってしまった。
否、その中で会って鳴り響くものがある。
賽の目が所定の位置で回転を続ける。カラカラと、おのが役目を全うせんがために回り続けるそれは、やがてその足を止める。
浮かび上がるは、牌の山。
二乗につまれたそれが東二局一本場の開始を、対局者達に告げるのだ。
>点棒状況
・東家スタート:18400
・南家スタート:30800
・西家スタート:30400
・北家スタート:20400
――東二局一本場、ドラ表示牌「{9}」――
南家少女からのスタートは、平素と言ってもよい物だった。当然だ、その場にツモへの支配へ手をつけるオカルト雀士はいない。故にその始まりは、あくまでも当然といって好い。
(……配牌は、まぁ悪くないが、水穂先輩の“本気”を相手にするには少し重い)
――瀬々手牌――
{②③③⑥
ここに加えて、第一打を瀬々は打、{南}とした。北を重ねてからの一打目だ。牌姿を眺めれば、ドラさんの手は非常に魅力的に思える。
しかしこの配牌は些か手が遅いと言える。
(どうもあたしのツモは萬子絶一門のツモみたいだ。ほとんど萬子を自摸れないし、萬子を待ちとした和了に、ツモ和了は現状無い)
だれかが萬子をガメていることくらいは解る。それにより、他家は一層軽快を増さなくてはならないこともまた事実。何時寝首を嗅ぎ分けられるかかわからない相手など愛艇にしていてこれほど危険なものはない。
瀬々はひとつ嘆息気味に言葉を漏らすと。
(――まずは、対面の三巡目萬子ツモ、これで一つ、様子を見る。対策だなんだも、それ以降考えるしか無い)
瀬々/ツモ{⑧}・打{白}。
続き、水穂の打牌。自摸った牌を左端、――通常では考えられない場所に追い込める。それからの打牌も、左手側から卓の左端へ、斬りこむような打牌を加える。
水穂/打{⑨}
(手出し筒子切り、打牌事態は平凡だけど、萬子じゃないのはやっぱり気になる)
瀬々/ツモ{5}・打{7}
(この牌は鳴いても使わない、まぁそれにこのツモの様子からすると、必要なのは対面だ)
{7888}の変速多面張で手を作るだろうか、打牌を見なければなんとも言えないが、瀬々はすぐさま次へと意識を移す。
水穂/打{南}
(――ノーコメント)
続く三巡目、瀬々のツモ。
ここまでで、他家の捨て牌は南家が{9}{⑧①}の切り出し、西家が{⑨北}の切り出し。どれも手出し、字牌の整理だ。
西家スタートの少女がが掴んだのは、掴んだのは{三}、その自摸切りにより、水穂の顔がすぐさま下の真剣なものへと変わる。この間数秒の流れもない、しかしある種せき止められたとも言えるその一瞬の停滞は、次なる爆発をより大きな物へと変貌させる。
「チー!」 {横三一二}
劇的な加速を見せる卓上、一気に水穂が打牌を行うと、続くツモの手が伸びる。
水穂/打{8}
そして西家スタートの少女が手出し萬子。動きはなく、親の打牌は{⑤}。
(染めてたのは下家か――。となると先輩の手は、さっきの鳴きと合わせてだいたい読める)
瀬々/ツモ{發}・打{③}
水穂/打{東}
(――役牌払い! さっきの索子中張牌打ちといい、早いのか? 早いのか!?)
自身の思考に焦りが生まれる。水穂の速攻。瀬々の思いもよらぬところから動いた鳴き、こういった鳴きがあることは知っている。そしてそれが、鳴きに対して精通している熟達者でなければ出来ない泣きであることも、知っている。
(先輩の本領、デジタルとしての境地か……!)
水穂にはオカルト的な特徴がある。しかしそれ以上に、水穂は多くのデジタル雀士を同輩の友とするスタイルが根本にはある。かつて数人の仲間と共に、デジタルを学んでいた時機が水穂にはあった。
その下地が、現在のデジタルとしての強さにつながっている。
それでも、
(……負けられない! これが先輩の強さの一つだって言うならさ、あたしはあたしの、強さで先輩を越えてやる!)
瀬々の上家、親の打牌、手出しの{二索}、ならばその意味は――
「ポン!」 {2横22}
瀬々が答えを出すよりも早く、水穂が動いた。三つの牌、対子の{二索}、一枚の{發}。左端から切り払う打牌、しかしそれに、待ったをかける者がいる。
「それ、――ポン!」 {發發横發}
瀬々が動いた。
(このツモ巡、二つ晒してはっきりしたテンパイ、ここで鳴かなくちゃ、自摸られる!)
瀬々/打{5}
一瞬、水穂は呆けたようにした。それからその意図をはっきりと理解すると、それを流し目に変える。挑発だ、見え透いているにも程がある。
(……じょうっとう、かかってきなってことなら、あたしだって相手になってやる!)
水穂/自摸切り{2}
すでに瀬々の視点からは、水穂の手ははっきりと見えている。デッドラインは二巡、それまでに最低でもテンパイできなければ、この手はそのまま敗北する。
だが、
(――いいツモだ)
瀬々/ツモ{⑦}
当然、打牌は{3}これで両面テンパイ。
(この一巡、当たり牌がどっかから出れば……!)
水穂/自摸切り{北}
打牌/{⑤}、打牌/{二}。そして、瀬々は勢い良く牌を自摸ると、ほとんど確認もせずにそれを卓へ叩いた。打牌は{9}。
そして水穂のツモ、これもまた自摸切り。
(……頼むぞ)
警戒はしているだろうか、しかし西家は止まるつもりはないようだ。自摸った牌を一瞥しただけでツモ切りする。打牌、{七}。
――否、これがなくとも次巡、瀬々は当たり牌を掴んでいたのだが。
(ダメか――ッ!)
そうして瀬々は、卓へと手牌をそっと伏せる。すでに勝負は見えた。後は水穂の宣言を待つのみだ。
「――ロン! 1000の一本付けは1300」
――水穂手牌――
{四五六八九66} {七}(和了り牌) {横三一二} {2横22}
ぐっと呻く声。速やかに点棒の移動が行われ、サイコロは再び回り出す。――次なる山が、姿を表した。
・依田水穂 『20400』→『21700』(+1300)
――東三局、ドラ表示牌「{七}」――
「……水穂先輩炸裂、といったところかしら」
「びっくりだね。正直ボクは、あの三巡目の牌姿から……というかあの配牌から鳴いて仕掛けるのは無理だよ」
透華と一、デジタルを信条とする両者が、感嘆の息を空に漏らした。そもそもこの局、水穂の手牌は最悪といってよいものだった。
――水穂手牌(配牌時)――
{一四六九⑨22668南東發}
萬子の一通よりも、むしろの索子の対子に目を向けるような状況で、水穂は速攻のみを第一に考えた。故に第一打は{⑨}。側のないヤオチュー牌、感性による一打は、引いてきた{二}を加味してのものだった。
その後もオタ風を払い、役字牌と鳴き一通の両天秤、三巡目に瀬々が{三}を切り出した時点では、まだ役牌対子との選択は残ったままだったのだ。
それでも、鳴いた。後付を上等として、その手を鳴きで仕上げに向かったのだ。
「水穂先輩の様に、スムーズなツモのできる人では無ければ出来ない。……いえ、例えできたとしても、普通なら怖くてそんな鳴きできませんわ」
「――いや、どうやら水穂のやつ、今の局はさほどそういったチカラを使っていなかったようだ。正確に言えば下ごしらえ。そのための最善の手を打ったというわけだな」
決して水穂のツモの調子がいいというわけではない、最終形は辺張でのテンパイ出会ったし、両面塔子はひとつとして出来上がらなかった。それでもなお、水穂が高速で和了できたのは、単純に彼女の実力といって好い。
――そんな衣の言葉に、透華も、そして一もまた、体を震わせて慄く。漏れてくるのは、恐怖と歓喜に打ち震えたものだった。
「…………これほど、先輩が共に戦う仲間でよかった、そう思わざるをえない日はありませんわね」
「なに、透華は後二年早ければ、水穂の上を行っているさ、一とて、同格だ」
「それはちょっと……信じられないかな。ボクには、あの人がとてつもなく遠くに見える」
冷や汗のような、なんとも言葉に表し用のない発汗を抑えきれずに、一はポツリとそう漏らして返した。
返答は簡単だ。衣は何気ない様子で笑うだけ。
「気がつけば、そこにいる。成長とはそういうものだよ。本当に、気がつけばよくもまぁこんなトコロまで来たものだ。衣も、透華も、一もな」
それが会話の締めくくりとなった。衣が視線を動かすと、衣の声に聞き入っていた一も透華も、それに釣られてモニターへと顔を向ける。
配牌はすでに終え、現在が水穂のツモのようだ。
――水穂手牌――
{六③③④23457北西白白} {八}(ツモ)
水穂/打{北}
前局の配牌が嘘のような好配牌、役牌対子を鳴いていけるなら、十分な高速和了が見込めるだろう。
「――始まりましたわね、先輩の真骨頂」
――依田水穂には自身の精神状態がダイレクトにツモへ影響するという特徴がある。一度地獄モードに突入すればそう簡単にはそこから抜け出せないし、逆に調子のいい時は好配牌、バカヅキが継続して訪れる。
それらを加味した上で、水穂の取るもっとも最上級の選択が、この高速和了。
ようは簡単だ。自身が和了すれば水穂の精神状態は上向きの方向修正されるし、他者に和了られるのならば、それは全く真逆に触れる。
ならば自身が連続で和了を続けることで、自分のテンションを好調で維持すること、それが水穂の取る選択だ。
「今はマダ未完の大器、しかしこれはすぐに化けるぞ。それも、人の予想を超えた先に――その答えがある」
水穂/ツモ{③}・打{西}
「人の予想を……」
「――越えた、先?」
透華と一、両者の声がシンクロし、衣に合わせて目線を送る。そうしている間にも、大局は動き、水穂のツモ、そして打牌。
それは透華と一を困惑させるには十分といえるものだった。
「――えっ?」
水穂/ツモ{七}・打{
「なんで? 確かに手は早いけど、この状況だったら{④}を落とせば十分じゃないか!」
たった三巡、それだけで水穂は役牌対子を見限った。確かに数牌が溢れれば、手牌から役牌の対子を落とす選択肢もあるだろう。しかし役牌というものはそのままそっくり、鳴いても鳴かなくても、一翻の手になるのだ。
もしも役牌を見逃すというのなら、通常は平和とタンヤオ、この二つが複合するような状況でなければならない。さもなくば、態々手を遅くする必要はない。
それでも、水穂は対子を落とした。透華達の、予想を越えて、打牌を行う。
「――なぜ? と言いたいか? 簡単だよ、役牌が対子になれば、残る役牌は二枚。――果たしてそれは、一体誰がつかむのだ?」
水穂のツモは最高潮には至っていない。もしフルスロットルのツモを水穂が体現していれば、自摸るのは間違いなく水穂、しかし今は、
「それに、だ。透華も一も、もし手牌がヤオチュー牌まみれのゴミ手だったのなら、まずはどこから手をかける? オタ風か? 役牌か? 一九牌か?」
「……無論、オタ風から――あっ!」
そうして、納得がいった。そもそも水穂はここで役牌が鳴けるとは思っていないのだ。ここ三巡で、三者の捨て牌を水穂は見た。
瀬々が{一東②}、現親の少女が{北西西}、現北家の少女が{西南1}。誰もが最初に役牌へ手をかけることはない。例外は瀬々であるが――
「瀬々は止めるぞ? それくらいの判断、アヤツに出来ないわけがない」
そうやって衣は否定する。故にこの状況、水穂は誰からも{白}は出ない、そして自身は自摸れないと判断したのだ。
「加えて、{白}を二枚所持しているよりも、数牌に取り替えたほうが純粋に待ちが広いね。……役牌対子に、少し盲目になりすぎていたかな。それに、先輩の手がとにかく速さ重視だっていうことに惑わされてたよ」
そうやって、反省気味に一が漏らす。そもそも、一とてここで打牌を実際に選択するのなら、恐らくは役牌対子に手をかけるだろう。
見誤っていた。この水穂の闘牌という状況に、目を曇らせていたのだ。
続く、水穂ツモ、{5}。すぐさま更に{白}を手牌から落とす。その“次”は更に早かった。水穂に続きツモを選んだ水穂視点での下家が、先ほど抱えたばかりの対子に呼応した牌を切り出す。当然、打{5}。
「ポン!」 {55横5}
水穂/打{7}
これで、聴牌。{白}の対子を落としたことにより残された、{③}、{④}使いの変速多面張。そうして一巡、二巡と自摸切りが続く。
その状況を聴牌と読み取ったのは、恐らくその中では瀬々ただ一人。観客者達に目を移しても、実際に対局し、聴牌を感じ取れるものは恐らくほとんどいない。
そんな、
「――ロン、タンヤオドラ一は2000」
寝首をかくような、一撃だった。
・依田水穂 『21700』→『23700』(+2000)
――東四局、親水穂、ドラ表示牌「{西}」――
「――ツモ! 500オール。そしてぇ……一本場!」
・依田水穂 『23700』→『25200』(+1500)
続く水穂親番、和了までに至った速度は、もはや考えたくもない、たった三巡、その間に手を揃えた水穂は、そのままツモで場を作る。
リーチもかけず、しかしためらいもなく和了る。
(……まずい、先輩の気配がどんどん大きくなってる)
瀬々の思考が、オーバーヒート気味に苦しげなものを漏らす。吐息を伴って吐き出されたそれを、瀬々は右手で無理やり口ごと押さえつけた。
(こっちの手が追いつかないんじゃ、何かしようにも手を出せないし……あたしのチカラが長期戦向きなのがちょっとばかり仇になったか――?)
思考を半分目をそらし気味に考えて、いや――と再び立ち返る。現状自身のチカラを嘆いても仕方がない。
ならば、機を待つ他に道はない。
(これ以上水穂先輩に暴れさせるわけには行かねぇ。そうなりゃもう、この半荘は水穂先輩のもんだ。あたしと先輩の対決だとか、レギュラーポジション争いだとか、そんな事情、全部関係なくなっちまう!)
今がダメなら、その次を、その次がダメならば、またその次を、
(別にすぐさま先輩を止めろ、だなんて言わない。だが、すこしでもいいからあたしに答えやがれ! 先輩の顔色ばっかり、伺ってないでさぁ!)
――睨みつけるように卓上へと瀬々が視線を奔らせる。その延長線上、瀬々の上家に座る依田水穂は、積み棒をおいた手をそのまま、サイコロのスイッチへと向ける。
賽は踊りだす。その結果を、自身にはない誰かにゆだねて――――
――しかし、次局一本場、瀬々の手はあいにくの五向聴、鳴きも、ツモも奮わない状況での打牌。
水穂のツモはさらなる加速を見せる。あっという間に副露を晒すと、自身の捨て牌に二枚以上の牌を置かず和了。――もはや人の手の付けられる場所に、彼女はいない。
つづく二本場、ここからが正念場。水穂のテンションは、すでに最高速の一段階手前――爆発寸前にまで、迫っているのだ。
・依田水穂 『25200』→『28400』(+3200)
――東四局二本場、親水穂、ドラ表示牌「{1}」――
(仕込みは上場。テンションマァックス!)
ニヤリと歪む口元を抑えながら、水穂は自身の配牌へ目を落とす。すでに理牌は終えた、第一打も正確なものを行った。その上での手牌。
――水穂手牌――
{一二三四四四七八③④⑤79}
{四萬}ツモ、からの打牌{四萬}、当然、配牌からしてその手はイーシャンテン、ということになる。ダブリーならずというその手に、水穂は隠し切れない戦意をにじませる。
直後、水穂の下家が役牌を打牌。
「――ポン!」 {白横白白}
鳴いたのは、瀬々。一気に先ほど水穂が鳴くことの出来なかった{白}を鳴き、手を進める。なんとなく――あくまでなんとなく、であるのだが。水穂はそこにある感覚を感じた。
(これが、瀬々と私の違い、ってやつなのかな)
瀬々/打{發}
水穂対面/自摸切り{8}
(私はそれを切り開けなかった。あんたはそれを切り裂いた。別にそれがどうこうって気はないよ、あんたは鳴ける。私は鳴けない。だけどね、瀬々)
――水穂/ツモ{九}
(強いのは――私だ!)
振り上げられる右手、スナップを効かせて勢い良く打牌へと唸るそれは、左隅へ打牌を向ける。――水穂、この半荘最初のリーチ。
卓の端まで精一杯向けられた打牌の{四}。それが、激しい勢いを伴って川へとたたきつけられる。
刹那、轟音が響いた。卓に、現実を伴わぬ激震が奔る。
――閃光、と呼ぶにそれはふさわしいだろう。目にも留まらぬ速さで持って、水穂の牌は曲げられた。
「リーチ」
――水穂捨て牌―ー
{④横四}
(嵌張――ジョォ……ットウ!)
苦しげに打牌を悩む三者、唯一、瀬々だけは鋭く牌を切り出した。打、{4}。
(悪いね、そんなんじゃ私には追いつけない!)
「――――ツモ! リーチ一発ツモは、2200ゥ! オォールゥッッ!!」
引き上げた牌を、
――水穂手牌――
{横8}(ツモ) {一二三四四七八九③④⑤79}
ふわりと、風が水穂の髪を持ち上げる。キラリと閃いた瞳は、その獰猛な表層をともなって、敵に畏怖を思わせるのだ――
・依田水穂 『28400』→『35000』(+6600)
(私は――誰かのせいで、誰かが別の誰かに気を使うようなことはもうイヤなんだ! それだったら、もう私が、その誰かになるしか無い!)
積み棒を重ねる。
止まる訳にはいかない、この連荘を、自分の歩みを、止めてしまう、訳にはいかない。絶対に、もう、止まることの出来ない場所まで、水穂は来ている。
(だから、瀬々、あんたには絶対負けない。負けて――たまるか!)
――東四局三本場、親水穂、ドラ表示牌「{北}」――
追いつけなかった。前局、瀬々は聴牌していながらも、水穂の和了に追いつけなかった。すでに機は満ちている。水穂の速度はすでに最高スピードにまで達した。配牌一向聴での速攻。ならば次は? 考えたくもない。
(……くそ、こんなんじゃ駄目だ。もっと、もっと早い手じゃないと……!)
――瀬々手牌――
{一三六七①⑨⑨589白白中}
瀬々/ツモ{②}・打{中}
(さっきの二本場で水穂先輩は完全に“あったまった”。配牌一向聴から、嵌張に待ちを抑えたはずなのに、一発でツモってきた。ふっざけんじゃない、あたしは先輩に、負けるつもりはねーぞ!)
だが、それでもなお、届かない。
「ポン――!」 {横999}
(……さけられるかこんなもん!)
――水穂のチカラにおいて、彼女の調子が最大限まで向上すれば、どうなるか。その答えはいたってシンプルだ。
まず、水穂のチカラは速度を支配する。配牌五向聴が待ちの広い三向聴、そこからさらに二向聴や一向聴、そして聴牌速度まで上昇する。
配牌時から一向聴へと至ってしまえばもう、止まるものはいない、水穂の高速和了は、だれにも止められることは出来ない。
そして、水穂にはその“次”がある。
それは何か? 簡単だ。それは火力である。
瀬々/ツモ{四}・打{①}
つまり、水穂の手には速度と同時に火力が備わる。それは例えば染め手に寄る配牌聴牌であったり、三色をすんなりと聴牌するものであったりする。
/打{北}
そしてそれは、親番という状況下で発揮され、
/打{西}
時にはそれは、
「――ロン」
――水穂手牌――
{一二三888
・依田水穂 『35000』→『47900』(+12900)
――
依田水穂。
龍門渕が誇るレギュラー陣、唯一の三年生にして、“人間の域”においては最強を冠するモノ。その実力は、果たしてここに、詳らかにされているのだ――――
デジタルとしても、オカルトとしても一級品。それが水穂の麻雀です。
なんで龍門渕に居るんだ、って話もありますが、そこら辺は追々。
さて、四月編ラスボス戦です、今まで以上に盛り上げて行きたいところ。