咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『コネクト』瀬々VS水穂②

 ――もうイヤだ。

 

 

 ――もうイヤなんだ、あんなこと。

 

 

 ――私が、私のせいで、皆を傷つけるのは絶対に。

 

 

 ――――イヤ、なんだ。

 

 

 ――東四局四本場、親瀬々、ドラ表示牌「1」――

 

 

 山から牌を抱えて拾い上げる。四者がそれを何度か続けて行い、自身の手牌とする。――十三枚、自身の手札、可能性として扱うことのできる牌の数。それプラスツモの一枚、以下にしてその牌を利用していくか、それが麻雀というゲームだ。

 

(……ふむぅ)

 

 配牌を終える。第一ツモ、ここでの感触が自身のその次へ向かう。ならば、どうする? ここで一体、瀬々は何を狙える。――見つめるのは、手牌。

 

 ――瀬々手牌――

 {四四八八④⑥⑥⑧2477西} {7}(ツモ)

 

(やってみる、価値はある――――か)

 

 渡瀬々、答えを知るモノ。

 ならばその行き先は、己がのみぞしるということだ。――瀬々は、その行き先すらも、すべてを見通すことができる。

 

 瀬々の感覚がにわかに加速を始める。イメージの中において言えば、瀬々の周囲を回遊する鉄板が、凄まじい勢いで回転を始めるのだ。

 めまぐるしく世界が切り替わっていく、まさしく全てを喰らい尽くすかのように、全てを叩き潰してしまうかのように、それが瀬々の周囲で回転の壁を作る。

 

(――行くぞ、あたしの新必殺技! この状況で、あたしが更に手を進めるための方法――――!)

 

 瀬々/打{西}

 

 ことは、それから2つ目の打牌、対面からの、打、{四}、それは果たして狙ったものだったか、はたまた偶然から飛び出したものか。

 

(――知ってる、あんたの手は字牌が固まってるんだ。それも更にはツモで字牌が加算され――恐らく捨て牌は、数牌だらけになる……!)

 

 それは答えに寄る答え、瀬々は“他家のツモ”を見通しているのだ。しかしそれは本来であればブラックボックス、瀬々のチカラで見通せるのは自身のツモにおける最適解。なにせ他家の“問い”事態を瀬々は見通せないのだ。そこから派生する答えは、決して見ぬくことは出来ない。

 ならば、なぜ瀬々はそう断言できるか。

 

 原理は簡単だ。その他家のツモさえ見抜けるのなら、答えから更にその問いの中身を瀬々は知れる。数式において、Xの答えを求めるようなものだ。

 

「ポン――!」 {四横四四}

 

 しかし、それではすべての説明がつかない。

 

 瀬々/打{④}

 ――続けて、下家の打牌、{一}、これを水穂が鳴く。

 

「ポン!」 {一横一一}

 

 

 だが、

 

 

(――ずらしてきたか! 先輩!)

 

 瀬々は、それを見逃さず――牌をつかむ。

 

(行くぞ……)

 

 回転を続けていた鉄板が勢い良くはじけ飛ぶ。瀬々の周囲には、ただひとつの答えのみが現れた。それは、瀬々が先ほどまで感じ取っていた答えだ。

 だが、それを破棄する(・・・・)

 

 

(――コネクト(・・・・)ォッ!)

 

 

 不意に、衝撃が駆け抜けた。ただひとつ浮かんでいた鉄の固まりに、全く別の固まりが激突したのだ。――瞬間、それは接続される。

 

 ――瀬々のチカラは、複数の答えを所持することがある。それを初めて知ったのは――もとより二つの解の存在を教えられるモノという当たり前を除くことにたいして注釈はつくが――この麻雀が初めてだ。

 それに対し、瀬々はある解決法を求めた。それは単一の答えを知るというだけではなく、さらなる答えをつなげる(・・・・・・・・・・・)という方法だ。

 

 その方法は至って簡単。例えば、瀬々が鳴きを考えた上での問いを作れば、それに対応した答えが現れる。それはつまり、他家のツモを知ることができる(・・・・・・・・・・・・・・)のと同義だ。故に、そこから逆算を入れれば他家のツモも全容が知れるし、その先だって解る。

 

 それが、そのチカラの全てを総称し、瀬々は“コネクト”と名前をつけた。そしてその完成が、今日、この場、この時、この瞬間、あらゆるものにお披露目となるのだ。

 

(先輩、あんたがどれだけ前を行こうが、あたしはそれに追いついてみせる)

 

「……ポン!」 {⑥⑥横⑥}

 

 ――水穂の顔が少しずつ訝しげなものへと変わる。敵意というべき瀬々の感情を、肌に感じ取っているのだろうか、どこかから浮き出すざわっとした感情を確かめるように、体をひとつ震わせた。

 武者震い、と呼ぶのが正しかろう。

 

(あたしは先輩、あんたよりも強い。それをここで証明する。出なけりゃ先輩は止まらないだろ? 止まれないだろ? だったら、誰かが止めなくちゃならねぇ、それがあたしで――何が悪い!)

 

 次に動くのは、水穂だ。

 更に瀬々を揺さぶりにかかる。自身に浮かんだ感覚を信じて、この場に瀬々が、自身の敵であることを感じ取って、水穂は手を動かした。水穂の上家が打つ打牌を、一気に、自身を晒して絡めとる。

 

「チー!」 {横二三四}

 

 だが、それでは今の瀬々には、届かない――!

 

 水穂/打{3}

 

(……解ってる、またドラが沢山あったんだろ? だったらその形は、例えば{222334}ってな形になる。あんたの待ちはそれなんだ。だから、{3}があぶれた。それで聴牌だったがために、{3}をそこから切り出した――!)

 

 ――加えて、水穂の手は瀬々の感覚には“喰い三色”の手に映るのだ。故にその手牌では{4}を切っては和了れない。{3}が最善の選択であり、水穂の和了りはそれしか無かった。

 瀬々がそれをさせたのだ。水穂の手を二度も鳴いて飛ばして、水穂は鳴く意外に手を進められなかった。二度の打牌、それはどちらも、鳴きによって進められている。

 

 ――故の、放銃。

 

「――ロン!」

 

 水穂の驚愕と、瀬々の喜悦。両者の凝視が交錯し、絡み合う。――抜けだしたのは、瀬々だった。自身の牌をみやり、ここぞとばかりに点数を申告する。

 

(追いついたぞ、先輩! 今、この瞬間、あたしは先輩へ、手をかけている――!)

 

「タンヤオ、ドラ一、2000の四本場は、3200――!」

 

 ・渡瀬々  『15700』→『18900』(+3200)

 ・依田水穂 『47900』→『44700』(-3200)

 

 東場、最終の和了は瀬々の出和了り。この半荘唯一の焼き鳥であった瀬々が、水穂の連続和了を六連続で止めるに至った。

 そして、これが半荘、その折り返しでもある。

 

(……追いつくぞ、追い越すぞ、あたしの全力で、先輩を追い越して、そのまま勝って終わらせてやる)

 

「――――南入だ」

 

 滑るような動作で切り替える。南一局、――渡瀬々の、親番だ。

 

 

 ――南一局、親瀬々、ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 手を止める。

 そうして依田水穂は、この日初めて牌を睨んだ。一度瀬々によりせき止められた足が、その牌を恨みがましく見ているのだ。

 

(やっぱりさー、瀬々、あんたって強いよ。なんか自分のツモとか、こっちのツモ、全部解ってるみたいじゃんね。反則かよー)

 

 この場、水穂と対等に渡り合えるのは、間違いなく瀬々だけだ。絶対に負けられないという事情の上で、たとえそれが同じ部活の仲間だろうと、そう思って気をはらなくてはならない。

 

(でもね。それでもやっぱり麻雀は絶対じゃないんだ。私がこれまで、絶対に勝てないと思った相手は四人だけ。衣ちゃんを含めてね。――つまり、あんたは“そっち側”にはいないんだ)

 

 思い出すのは前年度、県予選団体戦の決勝と、個人戦二次予選。全く歯がたたなかった。それはもう、ボコボコのボロボロにされて――全国と、自分の違いを味わった。

 

(この半荘だってそうだ。あんたは私を止めるのに六回も局数を要した。その内二回は、自分自身テンパイして、私を追っかけた上で、先に和了られた。うん、凄い、私ってば十分すごい)

 

 中堅校のエース、それこそ化け物じみた実力を持たない、技巧派の、同年代で言えば奈良県の強豪、晩成のエースレベルなんかよりは、ずっと強いと水穂は想う。

 だが、それは水穂とて同じ事。負けるつもりはないし、遅れをとるつもりもない。

 

 水穂と瀬々の差は、小さなものだ。長いスパンで見れば、あらゆる対局者とのゲームを鑑みれば、強いのは瀬々だ。

 自分には安定感がない。一度ドツボにはまれば、そうそう勝てないことは理解している。だがそれでも、爆発力は負けてはいない。――インターハイという舞台、自分をいじめるにも十分過ぎる。

 

(負けられないよ……この対局、私の全てを賭けて、あんたに勝つ。そのためにも、まずはひとつ調子を戻す形で――和了らないと!)

 

 ――水穂手牌――

 {一三九九①②⑥3889西西}

 

(ひっどいなぁ、この配牌。対子三つに、両面なしかぁ、まぁでも、これはこう考えることもできる)

 

 ――水穂手牌――

 {一三九九①②⑥3889西西} {8}(ツモ)

 

(――対子手(・・・)。否が応にも、私に対子が集まる手。そう考えれば、ほらさぁ!)

 

 水穂/打{9}

 

(どんどん私に、ツモの機運が向いてくる――!)

 

 水穂/ツモ{一}・打{三}

 

 山が少しずつその姿を減らしていく、その間には、当然水穂のツモも含まれる。多少の無駄ヅモを含みながらも、少しずつ、手を進めていく。

 

(……それにしても、重たい場だ。あたしの全力、それに対して他の人達も答えようとしてくれてるんだな)

 

 ――水穂は、連続和了を止められれば手が止まる。その挽回のためには、高い手を挙る必要がある。

 無論、連続和了の回数、及び打点によっては他家に取り返しのつかない点棒を与えているのだから、そこへの追い打ちという意味もあるが――

 

(――対面は染め手一直線、ドラの牌を染めたか、ここで逆転が出来ればいいんだけどねぇ)

 

 ――水穂視点・対面捨て牌――

 {②⑨一八南⑥}

 {1}

 

 ――水穂視点・上家捨て牌――

 {一九北東92}

 {白}

 

(……下家は、役牌ばっかり抱えてそうだ。重たい手に、何か役を付けるなら、それくらいしか無いってことかな)

 

 ――水穂手牌――

 {一一八九九334888西西} {發}(ツモ)

 

({西}は私が抱えてる上、瀬々が一枚切っている。この子の手牌に{西}がないのなら、多分……)

 

 水穂/自摸切り{發}

 

 ――これは下家の対子だ。そう考えての、打牌。無論、それを鳴かないことまでを含めて、水穂は読み取っていた。

 

 上家/打{中}

 

(そうだよね、なかないよね。鳴いたら打点が下がるものね)

 

 少しばかり、焦りを覚えているようだ。手が、震えているように感じる。わかっている、原因はこの対局で、唯一の例外を与えられた存在にある。

 

(――親番(・・)。私の手が止まって、誰もが高い手を作りたい状況で、唯一安い手であろうと問答無用で和了れる相手。――やっぱり、あんたが私の障害か――!)

 

 ――渡瀬々、彼女だけは、この混戦をいち早く飛び出せる。しかもこういった、自身の手牌とのにらみ合いを前提とした持久戦において、もっとも強いのは、間違いなく彼女だ。

 

(……来た、でも、間に合うか? いや、間に合わせてみせる――!)

 

 水穂/ツモ{一}・打{八}

 

 この時、水穂は自摸り四暗刻一向聴、加えてどの牌を引こうとも、三暗刻はほぼ確定的という手牌。ドラが重なれば、更にその上を見れる。

 調子を取り戻すには、十分すぎるほどの手牌。

 

 しかし、

 

 

 それよりも、早く和了る者がいる。

 

 

「――ロン」

 

 水穂の上家、瀬々の対面から、彼女は和了を“掬い取る”。渡瀬々が、この日二度目の和了を決めた。――親の満貫は、子の跳満としての打点を持つ。

 

「…………12000!」

 

 ・渡瀬々  『18900』→『30900』(+12000)

 

 瀬々のチカラは、長期戦を得意とする雀士にとっては完全なる天敵とかす。ツモをわかった上で、自由に手を作れるのなら、それ以上の速度で対応する他にない。

 しかし、この状況、水穂のチカラ、それが水穂に速攻を許してくれない。

 

 ――水穂には未だ、連荘時の流れが若干ながら残っている。それ故に、手は自然と高く、他者を追い詰めるものとなる。

 

 だが、瀬々がそれを許さないのだ。

 

 ――一本場、瀬々の親番は、次なる局を、開始する。

 

 

 ――南一局一本場、親瀬々、ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 一瞬の硬直、何事かを考えて瀬々が手を止めたのだ。その様子を、水穂はテンパイ気配だと判断した。むしろ、瀬々の手はすでにテンパイしていないしていないことが不思議なくらいだったのだ。

 

 やがて決心を決めたのか、手牌の中から一つの牌を選んだ瀬々は、牌と、それをつかむ自信の手を、空条の渦を伴って前進させる。回転する牌の後を追うように、一気に牌が尾を引いて卓上に繰り出されるのだ。

 ――激音。それから、瀬々の目が、水穂たちを睨みつけて、見開かれる。

 

 

「――リーチ!」

 

 

 来た、――誰もがそう思ったことだろう。無理もない、前局から瀬々の手はとにかく前進目覚ましい。それをここまで引き継いでの流れなのだから、当然だ。

 恐らくは、一発ツモ、流せるのならばともかく、そうは行かないのが現状だ。

 

 ――打牌、打牌、続けてのそれが水穂の手を動かさせない。ただ、流れだけが止まらず続く。

 

(――このツモで、聴牌か)

 

 思わず手が止まる。瀬々のリーチは、この場合一発ツモである可能性が高い。これまでのデータ、実戦での感覚から、それはあまりにも明白だ。

 

(……マズイな、聴牌にとっても取らなくても、安牌がない)

 

 正確に言えば、瀬々の打牌に対して切っていける現物がないのだ。そのために、ここで水穂は選択肢なくてはない。

 

 ――水穂手牌――

 {二三三四四四②③④3477} {2}(ツモ)

 

(聴牌に取るならやっぱり萬子を切るしか無いか。絶対に自摸られるにしても、できることなら最低限のことはしたいし……多分、一発さえ避ければ安牌が増えてくるはず。そこからオリるかどうか考えればいい、だったら、結論は出た)

 

 ちらりと、瀬々を見る。すました顔で、右端の牌をいじくっている。今にも倒れんほどに揺れたかと思えば、直ぐに反対側にそれが引っ込んで――当然、それが見えるなんてことはない。

 何かを待ちわびているのだ――そう、感じ取ることが出来た。

 

(――勝負に出る。切る牌は、{二}―{三}―{四}のどれか、一枚)

 

 ――瀬々捨て牌(「」手出し)――

 {「一」「北」「六」「8」9「⑦」}

 {「⑤」白「横八」}

 

(そもそも、私の抱えてる索子筒子はどれも無筋、{②}なんかは通りそうだけど、それはドラの生牌。万が一シャンポン待ちに激突なんてしたら、跳満クラスはほぼ確定、どっちにしろ打てるのは萬子しかない)

 

 加えて、と思考する。かすかな視点移動、向かう先は自身の上家、そこには別途の情報が浮かんでいる。

 

 ――上家捨て牌――

 {東9白①四發}

 {6⑤⑦}

 

(あいにく上家も対面も、普通に現物切ってきたからあたしのサポートにはなってないんだけど……でも、上家には有益な情報がある。私の視点からは、――{四}が四枚見えている)

 

 ――ノーチャンス、麻雀用語の一つであり、主に安全牌の判断として使われる。その中でも特に信憑性の高い判断基準だ。

 つまり、水穂の視点からであれば、水穂がこれから切り出そうとしている牌の内、{二}―{三}の二種類はかなり安全な部類に入る。

 

(……というよりも、あたしの視点からじゃそこ以外切れる牌、無いんだけどねぇ)

 

 他家の捨て牌を見ても、とにかく下の数牌はどれも安い、水穂自身が順子にしているというのもあるだろうが、十分軽快に値する情報だと、水穂は考える。

 

(となれば、切るのは{三}か{二}、{四}は切れれば三巡しのげるし、瀬々は序盤に{六}を切ってる、けど瀬々の場合そういった通常のセオリーはあんまり関係ない。必要がなければ、{五六六}みたいな形を、序盤から{六六}とか{五六}にすることだって考えられる)

 

 当然の帰結だ。瀬々には無駄ヅモがない(・・・・・・・)。ならば、序盤の{六}切りは、何の情報にもならない。

 

(私が選ぶべきは――これ。この打牌であれば、二巡凌げる)

 

 ――手にかける、{三}。どうやったってこの牌ならば当たらない。この状況で怖いのは{一二}という待ちでの辺張か、{一三}という待ちでの嵌張だが、それならば最初に{一}を切った以上、それよりも、もっといい待ちがあったはずだ。

 

(それに、どっちにしろ私は何か牌を切らなくちゃいけないわけで――それだったら、瀬々が何を思って待ちを選んだかじゃなく、私が何を選ぶべきか、で決めなくちゃいけないんだよね)

 

 結局はそれ、結論を選ぶのは瀬々ではない、自分だ。

 ならば、

 

(――この牌は通る(・・・・・・)。当たり前だ、通らなくちゃ――意味が無い)

 

 振り上げて、持ち上げて、それでもって聴牌にとる。これが正解、今まで選んできた、依田水穂の、選択の“正解”。

 

 

 ――水穂/打{三}。

 

 

 その一瞬を必然と呼ぶのなら、きっとそれは、怒るべくして起こったことだった。

 

(――あ、れ?)

 

 

 ――《この牌は通る。通るに決まってる》

 

 

 水穂の感覚が、ぶれた。自分と自分、別の何かと、本物の何か。それはきっと、言葉ではない。

 

 ――言語ではない。

 

 例えば、振り込んだ瞬間に、これはマズイと、他家が手牌を開ける前に思うようなものではない。

 

 例えば、他家のツモに対して、なんとなく感覚的に悟ってしまうようなものではない。

 

 

「――ロン」

 

 

 『――ロン』

 

 

(――あ、あぁ、ああぁぁあぁああぁぁぁあッッ)

 

 

 二重の感覚。

 依田水穂がたった今感じているそれと、全く同一の、異なるそれ。

 

 ―ーデジャヴと、俗に呼ばれているもの。

 

 

「――リーチ一発、混一色中」

 

 

 『――国士無双』

 

 

(やめ、て。やめてやめてヤメテェェェエエエエエエエッッッッ!!!)

 

 

「……18300」

 

 

 『……48300』

 

 

 ギリッ。

 

 

 何かを噛む、音がした。

 

 ――瀬々手牌――

 {一一一二六七七八八九中中中} {三}(和了り牌)

 

 ・渡瀬々  『30900』→『49200』(+18300)

 ・依田水穂 『44700』→『26400』(-18300)

 

(――まって)

 

 ――あぁ、そうだ。

 

 

 『――あれは、水穂のせいじゃないよ』

 

 

 ――思い返せば、あの時(・・・)もそうだった

 

(――いやだ)

 

 

 『――水穂は、何も悪くない。あれは、事故だったんだから』

 

 

 しまったと思った時には、もう何もかもが手遅れで、気がつけば、水穂はすべての大切なものを失っていて。

 それはきっと、水穂のせいで。

 

 ――だれも、水穂を責めてくれなくて。

 

 

 『――――ありがとね(・・・・・)

 

 

 ――ただ、泣きそうな顔で、精一杯笑うのだ。

 

(――私を、――――依田水穂を、置いて行かないで)

 

 あの瞬間を、想い出に変えて、しまうのだ。

 

 

(…………私の、せいだ)

 

 

 置いていかれてしまったあの時から、きっと水穂の時間は止まったままだ。前に進もうとして、楽天的にあろうとして、しかし水穂はちっとも変わっていない。

 止まってしまったその時の感覚を、今も水穂は覚えている。それはその証明。依田水穂が何一つ、変わることの出来なかったことの、証。

 

 

(私のせいだ。私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ私のせいだ――――ッッ!)

 

 

 ――いや。

 

 

 一つだけ、ある。あの時とは違うもの。

 

 今にあって――昔に、無いもの。

 

 

 ――南一局二本場、親瀬々、ドラ表示牌「{八}」――

 

 

(……先輩)

 

 前局、瀬々の出和了り以降、水穂の様子がおかしい。何かをブツブツと呟きながら、切る牌はそのほとんどが中張牌だ。

 まるで意味のないものを切り捨てていくかのような――本来であれば会って当然のものを切り捨てていくかのような打ち筋。

 

 きっと、それは水穂の闘牌スタイルに即したものだ。そしてそれ故に、異質に写ってしかたがないものだ。

 

(思い返してみれば……先輩、あんたは麻雀を“どう”打ってきたんだ? 先輩にとって、麻雀ってなんだ?)

 

 打牌、同時に伏せた顔を上げる。どこか憔悴しきったような、何かに怯える目。だがそれはすぐさま、獰猛な獣のそれに変わる。

 何かに飢えているのだ。何かを欲しているのだ。

 

 ――瀬々にはそれが、水穂の求めるものが、“楽しさ”というものに写ってならない。

 

 強引に手を伸ばすかのような麻雀だ。

 何かをひたすら、バラバラに成った何かを組み合わせるかのような麻雀だ。

 

 

(……妄執、か)

 

 

 瀬々はそうやって、言葉を選んで吐息を漏らす。重苦しい、胸のうちに溜まった何かを吐き出すようなそれだ。

 

(――ここまで、だな)

 

 六巡目、手牌をそっと倒す。もうこの手牌に意味は無い。見えている限り、聴牌は遠く、和了は自摸でなくとも限りなく先の話だ。

 連続での高打点は、それでも瀬々の流れを作らない。

 

「リーチ」

 

 ポツリと盛れるように水穂はこぼす。打牌{二}。きっとその手牌の中身は――

 

 左肩へと伸ばされた水穂の手が、一瞬のタメを作る。次巡自摸、一発での状況だ。そうやって何かを確かめるようにしながら。

 勢い良く左側から跳ね飛んだ。

 

 弧を描く曲線を作る手のうねり。豪風伴うそれは、あらゆるものを、凝り固まった空間を切り裂き、進む。

 

 あるのは、牌。麻雀を絶対とする状況だけが、その場に不動で残される。

 

(――来る)

 

 握りこむように牌を掴んだ水穂の手を瀬々はキッと睨みながら見送る。振り上げられたそれは、卓の端で、牌をふと、取り落とす。

 

 中身は見えない、瀬々の視点では、覗き見ることは出来ない。

 

 

 ――スナップを効かせて、水穂が手首を回すと、勢い良くその手を振り下ろす。

 

 

 ダンッ! と、勢い良く卓を跳ねる音が響いた。浮き上がる牌は、その姿を三者へと晒す――!

 

「――ツモ」

 

 ――水穂手牌――

 {一一九九①南南西西白白發發} {①}

 

 

「――4200、8200」

 

 

 ――何かを、噛む音がする。

 

 ギリッ。

 

 

(――先輩、今のあんた、ちょっとこわいよ)

 

 水穂の顔が、それこそケモノを思わせるものへと変わる。風貌そのものが、バケモノの類に変じてしまったかのように。

 

 ・依田水穂 『26400』→『43000』(+16600)

 ・渡瀬々  『49200』→『41000』(-8200)

 

 追い抜いたはずの点棒は、あっという間に取り戻された。

 ――依田水穂は、形はどうあれ和了を決めた。これで流れが大きく動く。まるでめまぐるしくその立ち位置を入れ替えるシーソーゲームだと、その場に居るものは、ある一人を除いて感じ取るのだった。

 

 そして、対局は南二局へと移行する――




恐ろしくチートな瀬々ですが、基本的に配牌に対する干渉力はないので先に和了れば潰せます。
というのを体現する水穂の打ち方、水穂戦は後二回で決着です。

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