咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

19 / 102
『ファイナル・アンサー』瀬々VS水穂④

 ざわめく室内、前局までの水穂の和了は、部内全体をざわつかせるには十分なほどだった。――慌ただしく言葉が行き交い、対局を行なっていた卓も、もはやその体を成さなくなっている。

 

「――静まりなさい! 対局者は全員対局へ、観戦者も、あまり対局をしているものの気を散らしては行けませんわよ!」

 

 そんな透華の怒号が響きわたってようやく、周囲も一定の音量へと言葉のトーンを落としたようだった。

 静寂、とは言えないまでも、整然とした部内へと状況は帰還する。

 

「……とんでもないことになったね、二連続地和未遂、しかも片方はリーチをかけずに瀬々を狙い撃ち、か」

 

「逆転、厳しくなって来ましたわね」

 

 現在水穂と瀬々の点差は41000点。どちらも収支でいえばプラスに近い側に立つというのに、その差は歴然としている。

 これでは三倍満のツモ和了でも届かない、役満ツモか、三倍満直撃でなければ、水穂の点棒には決して届かない。

 

「――これでは、水穂先輩を瀬々が超えるどころか、先輩の先鋒がポジションとして決定的になってしまいますの」

 

 ――水穂に、こんな麻雀を打ってほしくはない。きっと誰もが、彼女の化け物じみた姿を感じ取って、そう思っているはずだ。

 

 そうやって不安げに視線をかわして、ふとあることに気がつく。

 

「……衣? どうしたの?」

 

 そんな中で唯一人、あの喧騒の中でも、小さな会話の中でも沈黙を貫くものがいた。――天江衣は何事か、険しい表情をしながらモニターへ食い入っている。もうすぐ最後の一局、オーラスが始まる。

 トップ目の水穂が親である以上、これが正真正銘最後の一局、これを逃せばもう、瀬々は水穂に追いつけない。

 

 その運命を決する一局に、衣はある感情をぶつけていた。

 

 ――ふざけるな、と。

 

 水穂の最終到達点、それをこの龍門渕高校麻雀部の中で、読み取ったものは二人いた。対局者である渡瀬々、そしてこの少女、天江衣である。

 彼女もまた気がついていた。もしも水穂が、チカラの極端に到達してしまったのなら、その時の起こってしまう事態、その概要を。

 瀬々という答えを知るものを除き、唯一、衣は水穂のオカルトの深淵に、たどり着こうとしているのだ。

 

(――止めろ、止めてくれ。もし、もし水穂がそれを和了ってしまえば、もうア奴は麻雀を打てなくなる――!)

 

 かつての感傷をすべて引き剥がしてしまった水穂は、もはや麻雀牌を握れなくなってしまう。自分の中にあったトラウマを完全燃焼し、また、改めて何の解決もなく滲み出させてしまうのだから。

 燃え尽きて、牌を持つ意義を失い。傷ついて、牌を持つ意思を消し飛ばす。水穂に、もう麻雀と呼ぶべき存在は、一片も残らない。

 

 それだけは、それだけは絶対に、してはならないことなのだ。

 

(――止める? いや、それは出来ない。瀬々があの卓にツイている。瀬々が続行を望んでいるのなら、衣はもう止めることなんて出来るはずがない!)

 

 ギリっと歯噛みしなら、自分の中に生まれたジレンマを、吐き出そうとして、吐き出せずに唾として衣は飲み込む。

 

(あんな、楽しそうな瀬々を、衣が止められるはずがない――!)

 

 ならば、どうする?

 ――天和は、誰かのチカラによって止められるものではない。それはもはや、それこそ天に、神に祈る他に道はない。

 

 衣は思い切り顔を天頂に突き上げ、睨みつける。

 

(――神よ! 見ているか、この半荘を!)

 

 祈る、そして引き寄せる。

 衣のチカラは、神に愛されているが故のモノ。衣はかつて、それを自身の意思で衣のモノへと取り替えた。だが、今この瞬間だけは、それに頼る。

 自身のうちにあり、そしてなお誰かのものである魔物の感覚に、衣はただ訴えかけるのだ。

 

(真にオマエが麻雀を愛しているというのなら、止めてみせろ! 牌を握ることをやめようとしてる雀士を、オマエの手で、止めて麻雀というものを、教えてやれ――!)

 

 だから――

 

 

(だから……頼む! 水穂を、救ってやってくれ!)

 

 

 そうやって、祈る先にあるのは、一つではない。神と、麻雀牌と、そしてもう一人、衣が知った初めての別世界、浮沈のごとく聳え立つ、一人の少女にして、雀士。

 

 

「――瀬々(・・)ッッ!」

 

 

 言葉に漏らしてすら、そうして叫ぶ。

 消え去るようなそれは、誰かに伝わることもなく、一人の少女と、卓にツク、一人の少女の元へと、消えてゆくのだった。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

 ――そして、その時は否が応にも訪れる。

 少女が望み、少女が託した、最後の一つ。それを握ってようやく――水穂は世界へと、帰還した。

 

(……あ、れ?)

 

 ――手牌を見る。

 

 ――組み替える。

 

 正常な意思のもと(・・・・・・・・)、その手牌を、まるで珍しいものを確かめるように、何度も何度も見返していく。

 

(……なんで、これ)

 

 ――ごくりと、唾を飲む。

 ありえない、こんなこと、ありえるはずがない。――こんな、こんな手が、許されていいはずがない。

 

 ――天運とは、まさしくこのことを呼ぶべきなのだろうか。

 

 

(――ない)

 

 

 ――何が? 答えは、すぐに現れる。

 

 

(――――和了って、ない)

 

 

 ――想いにとらわれた(・・・・・・・・)正常な魂が。それをありえないと否定する。

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②⑦⑨⑨368西北發} {③}(ツモ)

 

(嘘、嘘、嘘嘘嘘――! なんで、なんで私が和了れないの? ダメじゃない、これじゃあちっともダメじゃない)

 

 先程まで、二度も地和を逃したものの配牌ではない。依田水穂というモノが、この状況で手にしていい配牌ではない。

 

 そうやって、迷って、怯んで、戸惑って、

 ――やがて、ある者から、声をかけられる。

 

 

「どうしたんですか、先輩。切らないんですか(・・・・・・・・)?」

 

 

 渡瀬々。まるで図ったかのように声をかけて、思わず彼女が何かをしたのかと意識を向ける。――だが、そんなはずはない、瀬々にはそんなチカラはないし、何かイカサマのようなものができるはずもない。

 ならば、なぜ?

 なぜ依田水穂は、和了れなかった?

 

「……まさか天和とか、そんなわけないですよね」

 

 瀬々は続ける。

 ――意識をずらすような不可思議な言葉、そう認識して、水穂はそれを追い払おうとした。だが、出来なかった。

 なぜ? 簡単だ、耳を傾けたくて、仕方のない自分が何処かにいたから。

 

 ――瀬々は答えを知っている。だから、そうやって言葉をかけた、そう思えてならない、自分が何処かにいてしまうから。

 

「そうですよね、だって麻雀はこれから(・・・・)なんですものね」

 

「――ッッ!?」

 

 瀬々の言葉は、まるで雷雲を切り裂くかのようなものだった。水穂の中に、今まで感じていた重苦しい感情以外の、何かがそっと、広まっていく。

 

 パキン。

 

 何かにヒビが入る音がした。

 

 ――たまらず水穂は問いかける。そうしなければ、瀬々の言葉は引き出せない。

 

「……何を、行っているのかな。あんたと私の点差はもう四万点を越えてる。ここからどうやって逆転する気? それとも、二位で満足して、その点棒を守るつもりなの?」

 

 違う、そんな訳はない。

 わかっている、わかっているのだ。それでも水穂は問いかける。問いかけずにはいられない。

 

「――あたりまえじゃないですか。先輩とあたしの点棒なんて、三倍満でも直撃させれば一発でひっくり返りますよ。まだ、ゲームは終わってないんですから」

 

 パキン。

 

 また、何かが少しだけ、崩れる。

 

「……へぇ、面白いこと言ってくれるじゃない。無理に決まってるのに、こんな点差、ひっくり返すことなんて、できるはずない!」

 

「そう思えるから楽しい。――麻雀ってのはそんなもんですよ」

 

 即答だった。

 楽しいと、瀬々は重ねて、そういった。

 

「どれだけ最善を目指しても、どれだけ言葉を知っていても、決して勝てるだけのゲームじゃない。一つの結果に一喜一憂して、ツモを悩んで打牌を選んで、そうやって、勝利を望むのが、楽しいんじゃないですか」

 

 

 ――崩れ去る、黒。

 

 

 ――水穂の中に巣食っていた何かが、溢れ出ていた暴圧が、ようやく、崩れ去ろうとしている。

 瀬々の言葉が、水穂の手牌が、端的に、水穂の心を切り裂いている。

 

 

「先輩、先輩にとって、麻雀ってなんですか? なんで先輩は、麻雀を打ってるんですか?」

 

 

 ――あぁ、そうか。

 

(……忘れてた。麻雀をするってこと。気付けなかった。麻雀を楽しむってこと)

 

 ――でも、持っていたはずじゃないか。

 ――麻雀牌を握った時、誰かと卓を囲んだ時。

 ――あの時、かつてもっていたあの瞬間、自分が感じていたもっともたる感覚が、あったはずじゃないか。

 

(解ってる。解ってるんだそんなこと、――ムキになりすぎてたんだな、私)

 

 楽しもうとして、悔しもうとして、――そんなチカラに振り回されて、一番大切なことを忘れていた。

 

(――決まってる。私の答えは、決まってる)

 

 真正面から、瀬々は水穂を見ていた。待っていた。水穂の答えを、わかりきった、あまりにも簡単な答えを。

 

 

「勝ちたいんだ。勝って麻雀を、楽しかった(・・・・・)と、そう思いたいんだ!」

 

 

 はっきりと、言葉にした思いは、すんなりと自分の中に収まった。

 ――瀬々は少しだけ顔を伏せる。長い髪の隠された口元には、それでもきっちり笑みが浮かんでいた。

 

 目を閉じて、水穂は少しだけ、過去のことを回想する。

 昔、水穂は敗北し、過去の想い出を捨てざるを得なかった。そんな過去があったから、ムキになって麻雀をして、必死に何かを求めてた。

 

 その間も、それより昔も。何一つ、変わってなんか居なかったのだ。

 

(――私は、勝ちたかったんだ。あの時も、あの瞬間も、いつも、昔も、――――これからも)

 

 ならば、目の前にある、勝負はなんだ?

 決着の着いた消化試合か? 否、これより雌雄を決する、依田水穂が求めた答えを手にするための、最後を飾る大舞台ではないか。

 それならもう、感傷はいあない。昔を欲して、今を怖がって、そんな自分は――もう、いらない。

 

 そう思えば、目を開けた先の視界は――いつもとはっきり、違って見えた。まるで世界が、一変したかのように。

 

 そんな世界で水穂は言う。己が言葉で、然と言う。

 

「ごめんね、待たせちゃって。――それじゃあ皆、麻雀を、打とうか」

 

 

 ――空は、快晴。

 

 

 青空に満ちた、どこまで澄んだ空が、広がっている。

 

 

 ♪

 

 

(――配牌はクソみたいだけど、ツモは調子いい)

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑨⑨368西發} {4}(ツモ)

 

 水穂/打{西}

 

(多分、私のチカラは、別に失われたわけじゃない。ただ単純に、私の心が、最後の一歩で、踏みとどまったんだ)

 

  ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑨⑨3468發} {⑧}(ツモ)

 

 水穂/打{發}

 

(――いや、私じゃない何かが、私を止めるために、こんな手をつくったんだろうな)

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑧⑨⑨3468} {1}(ツモ)

 

 水穂/打{1}

 

(……あ、六筒が三枚切れた。それに九筒もちょっと怖いし、単騎の方が待ちは広いな)

 

 ――水穂手牌――

 {三五七②③⑦⑧⑨⑨3468} {四}(ツモ)

 

 ちらりと、視線を瀬々の河へと送る。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {②8六⑥}

 

 さすがにまだ聴牌というわけではないだろう。しかし警戒に越したことはない、態々たった二枚しか場に出る可能性のない牌よりも、単騎の方がよっぽど待ちも広くなる。

 

 水穂/打{⑨}

 

 ――そして、

 

 水穂/自摸切り{9}

 

 水穂/自摸切り{二}

 

 ――自摸切り、自摸切り、自摸切り。

 

 誰も牌を鳴くものはいない。

 ただ、打牌の音だけが聞こえて、それから、瀬々がそこで、牌を曲げた。

 

「リーチ」

 

(――オリろ、ってことかな)

 

 ――瀬々捨て牌――

 {②8六7⑥1}

 {23三⑨横東}

 

(まぁでも、オリないよ。自摸られるかもしれない、他家は絶対に出さない、そうなったらツモできっと、私は負ける)

 

 ――水穂手牌――

 {三四五七②③④⑦⑧⑨346} {6}(ツモ)

 

(絶好の聴牌、ただの単騎待ちみたいな手に、私の両面が負けてたまるか)

 

 リーチは、必要ないだろう。

 これで仕留める。たかだか役満をテンパイしたくらいで、勝った気になっては困る。瀬々を蹴落とし勝利する。それは間違いなく、水穂以外にいないのだから。

 

(――通らば……!)

 

 水穂/打{七}

 

 

 その時、水穂はある感触をうけとった。

 

(――あ、これ、まず)

 

 そう思ったのだ。

 しかし、もう遅い。

 

 

「――ロン」

 

 

 その時には、瀬々はもう、牌を右手で倒しているのだ。

 

(――あぁ)

 

 思い出す。かつて、そして今、自分が負けた時の感情を。

 届かなかった時の感傷を。

 

「リーチ、一発」

 

 昔はそうだった。その感情を、水穂は次につなげていたのだ。それを思い出している今だからこそ、思う。

 

「混一色、チートイ」

 

 本当に、心の底から、丹念に練り上げた、言葉でもって。

 

「ドラ2、――裏2」

 

 

(――――悔しいなぁ)

 

 

「……………………24000です」

 

 

 勝敗の分かれ目を、感じ取るのだ。

 

 ――瀬々手牌――

 {一一七九九南南西西發發(ドラドラ)中中(ウラウラ)} {七}(和了り牌)

 

 ・渡瀬々  『26000』→『50000』(+24000)

 ・依田水穂 『67000』→『43000』(-24000)

 

 ――ありがとう、ございました。

 

 ――ありがとうございました。

 

 ――そうやって、言葉を交わして、少女は願う。

 

 

 次こそは、自身の勝利を。

 

 

 ――そう思うことへの、楽しさを、噛み締めながら。

 

 

 ♪

 

 

 ――かくして、四月、龍門渕高校麻雀部内リーグ戦は終了、レギュラーが正式に発表された。

 

<大将:天江衣>

 龍門渕最強の雀士は、自身のモチベーションなどを考慮、大将に座った。

 どんな点数で大将に回ろうが、必ずトップを取って帰る、そのための布陣。

 

<副将:龍門渕透華>

 部内ランキング四位、卓越したデジタルのセンスからこの選出となった。

 また、理想のゲーム運びとして、先鋒、中堅での稼ぎをそのまま大将へ回すことも期待されている。

 

<中堅:依田水穂>

 自身の調子が大きく闘牌に作用される彼女は、実力なども加味され、中堅へ座ることとなった。

 先鋒で稼いだ点を更に稼ぐか、失った点を取り戻すか、どちらにせよ大将がまだ残されているという強みが、彼女を支えることとなる。

 

<次鋒:国広一>

 部内ランキング五位であり、ストレートな闘牌スタイルを持つ彼女は、守備に優れる。そのための配置。

 また、彼女には若干のブレがあり、それが悪く働くこともあるため、リカバリーの効く位置への配置となった。

 

<先鋒:渡瀬々>

 部内ランキングこそ二位であるものの、エースポジションを任せられたのは紛れもない彼女である。

 エースとしての派手な稼ぎと、他校への牽制が望まれる。

 

 

 ――かくして、龍門渕高校は夏の高校生麻雀大会へと挑む。

 

 四月の風は止み、龍門渕に、新たな風が入り込もうとしていた――




というわけで四月編終了。5月・6月は駆け足で、7月はオールカットで進行します。
インハイ全国開始まで五話か六話予定ですが、県予選決勝の文量によってはもうちょっと伸びます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。