『先鋒戦、決着――ッ!』
インターハイ県予選は全五十二地区に分かれて行われる。そこに出場するのは数多の高校であるわけだが、当然地区全体の強さはまばらになり、激戦区と呼ばれる地区から、一つの高校がほぼ四十年連続で出場するような、完全一強の地区まである。
現在先鋒戦を終えたこの地区も、どちらかと言えば激戦区というべき地区に入り、全体のレベルは高い。
――しかし、それでもその地区はある一つの高校だけがここ最近、連続で全国への切符を掴んでいた。
その名は臨海女子。別名外国人傭兵部隊とも称される、レギュラー全員を外国人で固めた異質の高校である。
そもそも日本という国は麻雀強豪国である。かつては世界ランク二位というレベルにまで上り詰めた選手もいるし、毎年国際大会では日本のトッププロが世界の雀士と優勝争いを繰り広げている。
最強の優勝候補ではないが、国際麻雀を語る上では欠かせない国でもある。そんな国で、外国人の雀士を集めて優勝を狙ったとしても、確実に勝てるわけではない。
少なくともここ最近は優勝を逃しているし、去年は万全の体制であったはずだというのに、日本の高校生雀士に遅れを取っているのだ。
――それでも。
『圧倒的! あまりにも圧倒的――! 先鋒戦、二度の半荘の末、立ち上がったのは経った一校、半荘が終わってなお、三校の選手は倒れ伏したまま――!』
それが決して、彼女たちが“弱い”ということとイコールにはなっているわけではない。
長野の県予選を、龍門渕が通過点だとみなしたように、臨海女子にとってこの県予選決勝、さして厳しい勝負ではない。
だからこそ、彼女は吠えた。
『威風堂々と、その場を後にするのは、“自称”世界最強の高校3年生、アン=ヘイリーッッ! プラス二十万点の一人浮きッ!!』
――先鋒戦終了時点数状況――
一位臨海女子:300100
二位 :33600
三位 :33200
四位 :33100
圧倒的収支で持って、強豪三校のエースを、少女は圧倒。その場に立つモノの姿を直視できなくなっていた。自身のチカラに絶対の自身を持っていたはずの、事実全国二回戦の壁を越えていけるほどの強豪を支える雀士が、もはや目の前から立ち去る後ろ姿を、途方もなく遠くに思える何かとしか、思うことも認識することもかなわなくなっていた。
神に愛された麒麟児。それがアン=ヘイリー、その表情は穏やかで、揺るがない。彼女にとってこの結果は当然の帰結でしか無い。
――彼女はぶらりと散歩にでも出るような心境で、世界を闊歩し、勝利するのだ。
♪
臨海女子控え室。
アン=ヘイリーはその入口まで戻ってきていた。そのまま特に動きを見せる様子はない。別に中へ入るのをためらっているわけではない、単純になんとなくその場でぼーっとしているだけである。
うつらうつらと、どうやら寝不足であるらしい。それならば部屋に入って仮眠を取ればいいのだろうが、彼女は旅の些細な合間に睡眠をとることも多い。端的にいえば、たったまま眠れる。
故に、おそらくこのまま彼女は、誰かに咎められることがなければずっとオブジェクトのようになったままだろう。
無論、人の行き来が在る出入り口の前でそんなことをすれば誰かの邪魔になることは必定であり、結局アンがたったまま寝呆けていたのはほんの数分のことだった。
ガチャリ――とドアが開いて、その音にふとアンは意識を睡眠の底から急浮上させる。寝ぼけ眼をゆっくりと開けて、ぼやけた視界から開いたドアの先、入り口に立つ少女へと視線を下ろす。
「――何してンの?」
若干イントネーションに違和感を覚えるものの、十分流暢といって過言ではない日本語で呼びかけられて、ようやくアンは正しく意識を覚醒させた。
はっとしながら、少しだけ漏れかけていたよだれを急いで拭うと、先ほどの対局中からは考えられないほどキリっとした澄まし顔で応えた。
「おはようございます!」
「いやさ、邪魔しないでよ」
はっきりと映し出された視界には、男性に混じっても何ら染色のない身長を持つ、アンからすれば豆粒のような少女が写った。
中学に上がったばかりに思えるほどの背丈の少女。プラチナブロンドの欧米人である。クリアな繊維と見紛う程の髪を首元で赤目のリボンを使い一つに束ね、肩に引っ掛けている。
特徴的なのは服装だ。女子高生が女学生と呼ばれていた頃のような女袴は、おそらくは臨海の制服を意識したのだろう色合いとなっている。
「おっと、それはすいませんね――シャロン」
――シャロン=ランドルフ。臨海女子三年にしてレギュラー、今年からのレギュラーで次鋒を務めている。
そんな彼女が通れないのだろうと横にずれると、しかし一向にシャロンは退室する様子はない。――と、そこで思い至った。
「ふむ、そういうことでしたか。失礼します」
シャロンは入り口の向こう側にアンが居ることに気が付き、態々控え室に入ってこないアンの様子を確かめたのだ。
ふん、と鼻を鳴らすとシャロンが横にどく。一つ頭を下げて、ドアを閉めながらアンは部屋の中に入った。
室内は静かなものだ。丁度今は副将戦。飲み物を買って帰ってきたアンへ意識を向けるものはいない、画面の向こう側では副将――メガン=ダヴァンが闘っているのだから。
「それじゃあシャロン、これが貴方のです」
「あンがと」
隣立つシャロンにまず抱えていたジュースの一角を渡すと、アンはそのまま机に向かい、どさっといくつかの飲み物を置くと椅子に座る。
その中から自身のペットボトルを手にすると、勢い良くキャップをひねってフタを開ける。冷房の効いた部屋に、冷やされた麦茶はよく効いた。口当たりの良い感触が喉を通って消えていく。
――と、その横から伸びる手が見えた。多少細いが、小さな身躯に依るものではない。人並みのものだ。それはゆっくりと幾つか並んだ缶とペットボトルの群れから五百ミリリットルの大きめな缶を取ると、手元に手繰り寄せていく。
プシュ、とよく響く音が噴出した。炭酸飲料である。それを勢い良く飲み下すのが、手元を追ったアンの視線に映る。
そんなアンの様子が、少しずつ呆れに満ちたものへと変わっていった。
「……ハンナ、何をしているのですか?」
ハンナと呼ばれた少女、本名ハンナ=ストラウドはその声に、スティック型の菓子を口に含んだまま振り向いた。
「なにっふぇ、おかふぃふぁふぇてるふぁけふぁなふぃふぇすか」
「食べながらしゃべるんじゃありません」
黒髪の、異国出身らしい顔立ちは整っており、かなりの美少女であるのだが、特徴的といえるような際立った容姿はしていない。
さらっと流れるストレートも、やわらかな目つきも、派手なものではなくどちらかといえば日本美人のような清楚さが特徴的だ。
修道服――いわゆるシスターが着るそれを、彼女はこの場においてまとっているのだ。ウィンプルは身につけず、髪も外気にさらされている。黒地にシンプルな十字架がキラリと光る。
問題は、そこではない。そんな清純の象徴たる修道女が、備え付けられたソファを占領して横になり、くっちゃねしていることが問題なのだ。
口に含んでいた菓子をポリポリと口の中へ押しこめながら、それを飲み込むとハンナは間延びする声で言った。
「いいじゃありませんか、私、頑張って半荘二回も打ってきたんですよ? 褒めてくださいよう」
「今はマダ試合中です。それに一人で長椅子を占領するのはいかがなものかと思いますね」
嘆息気味にアンが胡乱げな目線をハンナに向けると、彼女はそんなものを気にした様子もなく、炭酸を一気に飲み込むと、何やら絶えるように顔にチカラを入れていた。
もう一度、今度ははっきりアンはため息を零した。
それにしても――と飲み物を机に置いて椅子に体重を預けながらモニターの方へアンが意識を移す。
「メガンもよくやっているようで何よりですね。いやぁどこかの誰かさんが他校を飛ばしてしまいそうでしたが、これならちゃんと大将まで繋ぐことができそうで何よりです」
「あの人はとにかく打ち方が巧いからね、大雑把なハンナ見たいにはならないでしょ」
二人がかりの言葉攻め、矛先を向けられたアンナが思わず呻く。――続いたのは臨海女子レギュラー最後の一人、大将を務めるタニア=トムキンである。
彼女だけは臨海の制服を着ている。シャロン程ではないが小柄な背丈に、その背丈に反してそれなりのプロポーション、特徴的なのは赤毛の跳ねた髪だ。耳元で跳ね、何やらケモノ耳のようになっている。
狐のそれが一番近いだろうか。
「こいつってば、必要ないのにリーチかけて、裏のれば飛ばしてるような状況にまで追い込む必要はなかったでしょ。メガンが副将にいるのに、まったく」
「そ、それは……彼らが強いから行けないんです! わたしに真っ向から歯向かってくるんですよ? こっちもそれを正面から打ち破りたくなるのはしょうがないじゃないですか!」
シャロンまでハンナバッシングに加わって、そんな三者の言葉にハンナが吠える。思い切りよく起き上がると、一列にならんだアン達三人に向けてピッと指をさす。
対するようにタニアが机に並べられた未開封の紅茶を手に取ると、ハンナの前を横切りながらツッコミを入れる。
「敬虔なシスターがなんで闘争本能むき出しにしてるのかな」
「むぐっ!」
同時に、シャロンもその後ろに続くと、起き上がったハンナの隣へと座る。ついでとばかりにハンナに向かって言葉を投げかけた。
「そもそも、あんまり人のこと指差すのは感心しないンだよな。なんかハンナにそンなことされると、呪われる気がする」
――ガント、という呪術がある。指をさすことで人を呪う
確かに、ハンナはシスターとしては、あまりにずぼらで胡散臭い。
「むぐぐぅ……」
いよいよ黙りこくったハンナ、そんなハンナに興味を失ったように、――そも、もとよりアンはそちらの方に意識を向けていたのだが、闘牌を続けるダヴァンの姿を見ながら、アンがぽつりと漏らす。
「それにしても、メガンがいないと本当にこの控え室はコスプレパーティの会場みたいですね」
「んなぁ! 何を言ってるんですか!」
それに真っ先に反応したのはハンナだ。
「わたし達は正式な礼装としてこれらの装束を身にまとっているのですよ? それを言ったら貴方のアオザイが一番けったいじゃないですか!」
とはいったものの、街中を歩けば彼女たちの姿は美少女コスプレ集団にしか映らないだろう。アオザイ、修道服、女袴、この中にあっては、臨海女子指定の制服ですら、何かのコスプレの様に見えてくる。
そんなコスプレ軍団の一人、シャロンが諫めるように言う。
「まぁまぁ、それを言ったら鹿児島の方だと、巫女服で大会に出てる奴らもいるンだぞ? あたし等になンのおかしいところがあらーね」
「え? ホントに?」
それにタニアがすぐさま反応する。それを一瞥したシャロンは、スマートフォンを取り出すと何やらそれを操作する。
しばらくして、何かを終えたシャロンは画面をタニアに見せる。
「……ほら」
画面の向こうでは、どうやらちょうど副将戦と大将戦の合間であるらしい。東東京の状況は副将戦のまっただ中であるが、アンが猛烈な勢いで連荘したため異様に先鋒戦が長引いてしまったのが時間の剥離の大きな理由だ。
「――ほう、これはこれは」
興味を持ったのは、巫女服に感心を寄せたタニアだけではなかった。いつの間にかタニアの後ろから、アンまでスマートフォンをのぞき込んでいる。
というかチラリ、チラリとハンナも視線を泳がせていた。彼女の場合、巫女、というものが気になるのかもしれない。
「トップは永水女子、先鋒で稼いでた九州赤山を中堅でまくってるね」
――シャロンが言う。件の巫女服高校、ちょうど大将もまた、巫女服を身にまとっている。画面越しに名を呼ばれた。
永水女子一年――――神代小蒔。
「ふむ、これは永水の勝利で決まりですね。この子、――――ホンモノですよ」
そんな風に言葉を吐き出すアンの雰囲気が、一瞬にして変質した。思わずアンの前に居るタニアが――ゾクリと、体を震わせる。
とはいえタニアがその言葉に反応したのは、アンの“威風”を感じ取ったから、だけではないのだが。
「……それ、ほんと?」
「えぇ、ほんとです。――あの人にも負けはしないでしょうね」
タニアの問いかけに肯定するアン。――即座に、タニアの髪の毛が勢い良く逆立っていく。彼女の特徴的な“耳”も、ピンと張ってチカラを篭った。
「そっか、そっか、そっかぁ」
腕を足の上で組んだまま、思わずタニアは内股になる。その目が、少しずつ驚愕に見開かれたものから、トロンとしたものへと変わっていく。
ポカンとあいた口も少しずつ笑へ変わり、三日月のように広がっていく。やがてそれも一つの頂点を越えたのか、途端に締りのない栗のようなものになる。
気がつけば、タニアは何かをこらえるように眼に涙を変え、頬を染め、口元から少しばかりのよだれをたらしていた。
「――あ、んっ」
その体が、軽く、二度、三度、震える。
何かを、こらえるように、何度か、少しだけ。
――ビビクン、と。
「んっ…………ふぅ」
そんなタニアの様子を尻目に、アンはシャロンからスマートフォンを借り受ける。目的は永水女子ではない。
「……と、でましたでました。こちらは途中の進行が非常に早かったようですね、もう大将戦も後半です」
映しだされたのは――長野県県予選決勝。その試合内容だ。
画面越しに、最後の対局を終えようとしている大将達の姿が映る。その中のひとりを、おや――とアンは注視した。
「……どうしたんですか?」
隣から、何気ない様子でハンナが問いかけてくる。それから少しはっとしたようになって――アンと顔を見合わせる。
「なんだか、どこかで見たことが在るんですよね、この子」
既視感、デジャヴというものだろう、アンはそうやって画面の中で圧倒的な闘牌を見せる少女――天江衣を指さす。
そこでは彼女の手が振り上げられて、そして牌が卓へたたきつけられようとしている。
「どこか……って、これ、まるっきり貴方みたいじゃないですか、アン」
「――あ」
ハンナの何気ない言葉に、アンは更に目を瞬かせる。気がついた。――長野の、去年まで全国で活躍していた高校。春季大会の決勝には姿を見せなかったが、今でもそこの大将についてはよく覚えている。
「……実紀――大豊、実紀ッ!」
三傑。たしかそう呼ばれていたはずだ。
今はインターカレッジで活躍する雀士の一人。彼女の姿に――否、彼女たちの姿に、どこか衣は面影を残しているのだ。
「ハハッ! 瀬々が私に対してこの少女の名前を出すのも納得ですね、あの人たちに似ているというのなら……私に似ているというのも納得がいく!」
――瀬々? ハンナが問いかけた。
何気ない様子で、気にもとめない様子で、――しかしそれは、直ぐにひっくり返されることとなる。アンの一言で、ハンナは瀬々に対する興味を、強烈に持たざるを得なくなったのだから。
「――龍門渕の、先鋒。私が今年、最も同卓を望む相手です」
それと同時に、スマートフォンの画面の向こうでも、一つの大きな変化があった。衣が自摸った卓を手元で晒す。
和了の瞬間だ。
『……ツモ! 32000オール!』
――アンは、そこから余韻を感じた。
ある種の余裕すらも感じられる衣の立ち振舞。悠々とした態度はどこかアンのそれと似通っている。
面白い、ただ単純にそう感じた。
――もうすぐ、東東京の最強が決まる。
十五連覇をかけた臨海女子の闘いが終わる。そうすれば、東東京の頂点として、アンは三傑の去った長野の天頂と、激突することとなる――――
♪
――その頃、別の県予選が一つ、終了しようとしていた。
「ツモ、14000オール」
和了宣言。――途端に、対局終了を知らせるブザーが鳴り響き、暗くスポットライトのみの明かりで照らされていた室内が一気に光を伴う。
同時に、卓につく三名の選手が、全く同時に倒れ伏した。
『決まったァ――! 県予選決勝、ここに決着ゥ――! 最後に決めたのは、
実況の声が、高らかに会場中に響き渡る。
――それに伴う歓声は、しかし響くことはなかった。当然だ。あまりにも圧倒的且つ圧巻の闘牌に、息を呑んでいるのだから。
『西東京最強の座を掴み、全国へと駒を進めたのは――白糸台高校! 前年度覇者にしてインターハイチャンピオン、宮永照擁する最強の高校が、連覇に向けて第一歩を踏み出しました――!』
一つ礼をして、唯一人立ち上がった少女、宮永照はその場を立ち去った。――後には何も、残すことなく。
♪
対局室の外、照の帰りを待つ者達がいた。対局は未だ前半戦だというのに、照の勝利を疑うことなく、白糸台高校のメンバーが待ち構えていたのだ。
「……お疲れ様」
「ありがとうございます」
照は少しばかりトーンの低い声でねぎらいにたいして礼を言う。それをからっと笑うと、照を待っていた四人の中心に立つ一人が、前に出る。
「もっと誇ってもいいのよ? 貴方がいるから、白糸台は最強なんだから」
「いえ、どんな相手であろうと、チームであろうと、私は自分のパフォーマンスを最大に発揮しているだけです」
「あはは、緊張してるわね。普段のお菓子大好きなキミに早く戻って欲しいわ?」
そうやって、長い黒髪の、楚々とした中に妖艶な色気のようなものを含ませる少女――白糸台の部長にして先鋒を務める
「あ、えっと……」
少しだけ、照は鋭い視線をぼんやりとしたものへ変える。
美砂樹は続けた。
「さて、今日はゆっくり休みましょう? そしてそれからゆっくりと時を待ちましょう?」
そんな美砂樹の言い回しに、きょとんと照が首をかしげる。
美砂樹はいよいよ持って何か含みの在るような笑みを深め照に近づくと――そっと耳元でささやいた。
「魅せつけてあげるのよ。貴方が――白糸台が最強であることを、ね?」
そんな言葉は、県予選の会場へ、そして世界へ、溶けて消えて――広がっていくのだった。
臨海のキャラ紹介でした。同時に白糸台の顔見せもあります。特に描写はないですが、菫さんも一緒に待ってたメンバーの中に居ると思ってもらって構いません。
次回からついにインターハイ! そして本作最大のサプライズ的登場もあります。