――東二局、親水穂――
――ドラ表示牌「{⑧}――
配牌直後、晩成高校の佐々岡良美は、先ほどの対局を思い返していた。
速攻を得意とする雀士が、その速度に任せてツモ和了をした。言葉に起こせばそんな単純な内容であった。
無論それに追いつくことのできなかった良美が語る資格はないのだろうが、それでもどこか、平素な内容であるということは否めない。
ただし、そこに対局者のオカルトが絡んでくるのであれば、話は違う。
(なんだ? たしかやえの話では、鳴くと手が進まなかったはず。話が違うじゃないか)
二鳴きもすれば、そのたびに放銃を繰り返すような有様に成り果ててしまう。やえは宮守の対戦相手の牌譜を、そう評していたはずだった。それは果たしてどうだ? 水穂の手は、間違いようもなくツモ和了して見せたではないか。
(不可思議。やえの話が間違っているとは思わない、だが、何がしか理由があるとみたほうがいいな)
――良美手牌――
{
(非常に優秀な手、マーベラスだ。となれば、ここからはやえの真似事と行こうか)
良美/打{8}
この手、おそらくは鳴かなくとも形にはなるだろう、三元牌を二つも含んだ染め手偏重の配牌、理牌せずともその威圧感が伝わってくるそれは、整然とすれば、さらにとんでもない様相を見せる。
通常であれば、鳴いてそれをさらに顕在化させたいところだ、手役を好み、高火力を特徴とする良美からしてみれば、この手はなんとしてでも和了りたい手に違いない。
しかし、ここには五日市早海という鳴きを征する者がいる。少なくとも、オカルトをオカルトと正しく認識するタイプであれば、ここで手を鳴いて進めることはないだろう。
(とはいえ、別にあがるのであれば、この手である必要はない、高火力というのは、一撃でしとめるからこそ高火力足りえるのだ。少なくとも私は、そのようにして晩成のレギュラーをつかんだのだ)
近しいところに、北門美紀という、速度に特化した雀士がいるからこそわかる。麻雀に必要なのは速度ではない。速度は打点を犠牲にする。
真に麻雀がもっとも必要としているのは、どれだけ速度で和了しようとも追いつけない、そんな打点の極みなのだ。――少なくとも、良美はそうして強くなってきた。
(その上で、打点を追うべきものが理解するべきことがある。それは、タイミングだ)
どれだけ高い手を作ろうと、速度でまけては和了できない、高火力とは、実際に和了ってこその高火力なのだ。
だからこそ、タイミング。他家の速度が鈍って見せた、その一瞬をつかなくてはならない。
良美/ツモ{南}・打{3}
(刹那の駆け引きが勝利を呼び込む、それが麻雀、もしここで私が高い手を仕上げても、それに眼を奪われては行けない。タイミングを逸しれば、誰かに振り込んでしまうことも十分ありうる)
この局においてもそうだ。
良美は自身のツモ、{二}をつかみながら親の水穂が放った捨て牌を見やる。
――水穂捨て牌――
{發發三}
ここまで、すべて手出しだ。速度に関しては語るまでもないだろう。役牌対子を切り捨てられるほど、待ちの広いタンヤオ手、もしくはすでに{東}あたりを暗刻にしているかもしれない。
どちらにしろ、親であることをかんがみて、最低打点は5800程度といったところか。
(依田水穂という雀士は、速度に特化したうちの美紀のような雀士として知られているが、よほど配牌の悪いときを除けば、むしろ面前で進めることのほうが多い。というよりも、有効牌を鳴かずともツモっていることが多い)
ろくでもない強者、この卓でいえばほかに、姫松の中堅がそうだ、全国最強クラスの高校の、さらにエースを勤めるタイプというのは、何がしかツモ事態が他人よりよいことが多い。
――ただし、それは良美他、少しばかり格の違う選手が、あまりに相手に和了を許してしまうがために、感じてしまう感覚の問題だ。
とはいえ水穂の場合、実際に他家よりも調子のいいときには、有効牌を多くツモれるのだが、とかく。
(そんな相手が速度で圧してくれば、この手は間違いなく和了れない。ならばこの手における最善の選択は、他人に和了せないというところにある)
さすがの愛宕洋榎といえど、まさかこの手に直接喧嘩を売ってくることはないだろう。それは他の二人もまた同様、そしてそれを補強するために、良美は行動を起こさなくてはならない。
(そう――手役とは、ただ打点が高ければいいというものではない!)
それから、数巡、良美の手は一向聴まで進む。ただ、そのための待ちが、あまりにも薄い、そんな状況だった。
――良美手牌――
{
良美/打{南}
ここまで、すでに中は一枚切れ、まさかそうそう筒子が上家から振ってくることはないだろう。となれば当然、この手は鳴かなければ聴牌にまで手が届かないということになる。
無論、{①②}および{⑦⑧}はまだ十分に生きているのだが、それを追うよりも鳴いて聴牌にとるのが普通だ。
ただし、早海がいなければ、という条件が付くが。それを良美ははなから毛ほども考慮してはいない。
――そして。
早海/打{中}
「――ポンっ!」 {横中中中}
早海の打牌、最後の{中}を、良美は鳴いた。ためらいなく、臆す事なく。
ただし打牌と同時に、一度だけ早海へと視線を向ける。
良美/打{⑧}
(……動揺なしかっ!)
良美から見た早海の視線は、一切のブレもなく、自身の手牌に向いている。こちらを気にかけていないのではない、気にかけた上で歯牙にかけていないのだ。
視線の先に映る、早海の右手が揺らめいて、虚空に小さな閃きの渦を作る。自摸った牌が、手牌の中へと転がり込んで、すれ違いざま、手牌から一つ牌が零れて落ちる。
だれもが、そうだ。この一巡、自摸った牌をそのまま切るものはいなかった。
(私のツモは――)
右手が、まるで泥まみれになったかのように感じられる億劫とともに、揺らめく。乾燥し、凝り固まった得も言い知れない感覚を伴った何かが、良美の体をどことも知れない塊の向こうへと、つなぎとめるのだ。
良美/自摸切り{9}
(……不要牌っ!)
それから、数巡がそのまま流れた。ここまで、鳴きはない、ずれることもなければリーチも無い、発声一つ、打牌一つにも音が宿らずにいた。
自摸切りは、良美だけ。すでにテンパイを迎えた佐々岡良美だけが、そのテンパイを他家にしらしめるかのように自摸った牌を一つ回転させて卓へと落とす。
二度、三度とそれが続いて、この、熟達者ばかりの卓で、感情の現出が特に顕著であった水穂をして、面倒そうなそれを隠さずに表すような状況であった。
それぞれのツモは、良くも悪くも、良美を意識せざるを得ないものだった。
有効牌を引こうが、危険牌を引こうが、そこにかならず良美がいる。意識せずには闘い得ない場所に、良美が立っている。
ただそれだけで、他家は手を止めていた。
(私が麻雀で攻める時、対局者の対応は様々だ。たとえば美紀はこの世の最悪でも見るかのように私に対して嫌そうな顔をしてくるし、部長は少し面倒そうに苦笑する。逆にやえなんかは、顔色一つ変えずに麻雀を打つ)
精神における構造の違いだと、良美は思う。同時に、麻雀に対する向き合い方の違いだとも。北門美紀は速攻により、他家に和了らせない事を最大の防御とした打ち方、逆にやえは、相手のあらゆる隙を付き、勝利を目指すような打ち方。
美紀にとって高火力による一発は、自身のそれまでの稼ぎを全て無に返してしまうほどのものであり、逆にやえは、そんな状況かでの激しい攻防を得意とする。
それを最も顕著にさせるの判別するのが、リーチや鳴き、捨て牌によってこちらの攻めを相手に認識させることだ。
(攻撃は最大の観察、防御は最大の逃避、という奴だ。相手が守勢に入れば、その様子をじっくりと、観察することだってできる)
どのように守るか、どのように攻めるか、――それを読み取ることは自分自身が攻勢に打って出るそのタイミング、一瞬の隙間を縫うための必須条件だ。
その上で、良美は攻めに特化する。自身の麻雀を、貫くために。
(私は美紀のように使い分けができるわけではない。ただ攻めて、攻めて――必要とあらば叩き潰す、それだけだ)
――良美/ツモ{白}
(――おや、槓材というのは、極端な見方をすれば確かに不要牌だろうが、まさか自摸れるとは)
変化が訪れたのだ。他家が完全にオリの姿勢を見せ、自摸れずに居る自分へと、いらだちを覚えるような状況だ。
そこに、まるで時間の凍結を、叩き壊すかのように――浮き上がった牌。
槓材、四枚目の――{白}。
(さて、試してみるだけのことはしてもいいだろう。やえの言葉とおりなら……これだけは――このカンだけは、このふざけたオカルトを、出し抜けるはずだ――っ!)
「――カン!」 {白裏裏白}
「…………ッッ!」
良美の前傾、カンと同時に、新ドラ表示牌をめくる。――現れたのは、{⑧}、これで良美の手に、新たにドラが三つ、追加される。
息を呑んだ者がいた。――五日市早海、突然の暗槓に、明らかに先ほどまでとは違う反応を見せていた。
早海のチカラは、鳴きを征するものである。
しかしそこに、全く別の鳴きが加わればどうだろう。そうつまり、河を介さない鳴きである。
たとえばそれは――今眼の前で行われているような、暗槓にして、他ならない。
そして同時に、カンによって自摸るのは、単なる山の牌ではない。その先、人の到達するにはあまりにも深い場所――森林限界に咲く、華を摘む限定状況。
王牌から、鳴いたものとは全く関係のないツモを、引き寄せるのだ。故に、この嶺上牌だけは、早海の支配から、免れる。
(あらゆるツモ、あらゆる流れの中にあってなお、孤高を貫き続ける嶺の華。ただそれだけが――私の蜜と、なるやも知れぬのだ――ッッ!)
指を、掴んだまま、盲牌することもなく手元へと嶺上牌を引き寄せる。答えはおのが眼に映す。
――良美は掴んだ牌をみた。その顔から、ふっと何かが漏れてでた。同時に浮かんだ心良さげな笑みは、彼女の心境を、ダイレクトに表していた。
良美/ツモ{發}
残り一枚という針の穴とすら思える小さな小さなの小三元切符を、このツモで引き寄せた。もう{發}は山の中に一枚しか残っていない。
良美はそれを、オモシロイと思った。
この手牌、和了れずとも、和了ろうとも、この一瞬――間違いなく他家は、大いに肝を冷やしていることだろう。
ならば、それで十分だ。
佐々岡良美の結末が、どのような形であろうと、今この一瞬、間違いなく三者をうがった。
それだけで――十分だ。
良美/打{①}
――――そして、
「――テンパイ」
唯一人だけが、手牌を晒して。
この東二局、波乱に満ちた一局が――終わった。
――東三局流れ一本場、親早海――
――ドラ表示牌「{2}」――
「――チー」 {横435}
五日市早海の鳴きは、絶好と言って好い物だった。ここまで彼女の手は二向聴まで進み、この鳴きで完全一向聴へと至ったのである。
通常であればテンパイまで埋まらないことの多い嵌張を、鳴きで補ったというわけだ。
(しからば、これで私の和了りは天を見るより明らかだ。快晴快晴、空は青く晴れ渡っている……ッ!)
変幻自在とはまさしくこのことか、鳴きによってこの場は誰もが足を止めざるを得ない。しかしそこを、まるで岩石の隙間をすり抜けるかのごとく、形を変えた早海の攻めが通りゆく。
依田水穂は名のしれた長野のプレイヤー、三傑の存在により、高校では日の目を見ることがあまりなかったものの、それでも彼女は、デジタルの最先端として知られている。
そんな少女が、果たしてオカルトの十人であったと知れば、彼女を評価する者達はどう思うだろう。
当然、いくつかの反応にわかれるだろうが、五日市早海はその中でも、とりわけ寛容な立場にあった。
自分自身がオカルトそのものであるがために、早海はそういった事を平気で受け入れ、許容する。
驚きはした、しかしそれも憤りには変わらなかった。オカルトだろうが、デジタルだろうが、オールマイティに精通することは決して悪いことではない、晩成の大将のように、オカルトへの対応に特化したデジタル雀士も、決して少なくはないのだ。
そして早海には、水穂の姿がかくも映った。オモシロイ相手と、興味の対象として水穂を映した。
それはそう、水穂自身を、強敵と認めながらして、自身の優位を決して疑おうとすらしないのだ。
(――あんたがどれだけ早かろうがヨォ、どれだけ私のチカラをねじ伏せてもサァ。足りないんだよネェ、やっぱり。決定的な――一打ってやつが!)
思考とともに、早海は体を沈めて、体勢を整える。それは陸上の、スタート直前におけるセットアップに似ていた。
深く屈みこんで、一瞬を待つ。闘争心が強いのだろう、そこに早海は、三日月染みた笑みを浮かべた。
スポットライトが星々の代用とかした対局室の暗闇に、五日市早海が持つ、異様の姿が浮かび上がった。
「ポォン!」 {八横八八}
依田水穂はとにかく早い。
しかしその速さを活かすためには、どうやら一向聴にまで持って行かなければならないようだ。そこから聴牌し、自摸って、ようやく和了。
早海の支配が、そうさせていた。
故に、速度へ特化した早海の打ち筋は、水穂のそれを凌駕する。早海には、面前で手を進める必要がないのだ。
他人の鳴きは抑制し、しかし自分にはとことん甘い、それが五日市早海のチカラの利点である。
だからこそ、彼女はそれを最大にまで駆使をして、自分の和了に、こぎつけるのだ。
「――ツモ! タンヤオ三色ドラ一は2100オールッ!!」
――早海手牌――
{三四③④⑤⑥⑥} {五}(ツモ) {八横八八} {横435}
・宮守 『114100』(+6100)
↑
・姫松 『80300』(-2100)
・龍門渕『90900』(-2100)
・晩成 『114700』(-2100)
――卓上に牌を、目一杯叩きつけた反動で、浮き上がった手を収めながら思う。遠い所まで来たものだ、と。
麻雀を初めて、こんな大きな舞台まで来て、早海は自分自身のチカラで闘っている。
不思議なものだ。
ここには心音がいない。白望も、塞も、胡桃もいない。昔の自分にしてみれば、思いもしないことだった。
たった一人で、麻雀をすることなど――思いもよらない、事だったのだ。
♪
「よっこいせーい」
間の抜けた声とともに、それとは正反対のどさり、という恐ろしいほど重苦しさを感じる音が響き渡った。
ふぅ、と一息嘆息しながら早海が腰を上げると、後ろでそれを見ていた数名の友人が、おぉと感嘆の息を漏らしていた。
「すごいねー、あたし達全員で運んだのと同じのを一人で運んじゃった」
「さっすがはやみん、ねぇねぇ、やっぱ運動系の部活にはいった方がいいんじゃないの?」
そんな風に、友人たちが早海をまくし立てる。苦笑しながらそんな様子の友人たちに、苦笑気味な謙遜を伴った言葉を還す。
「いやーね、いつも言ってるけど基礎ができてなきゃ運動なんてもんはできないよ、少なくとも私はできない」
「えー」
高校二年生の、秋にもなってそれはさすがに無いだろうと、早海は嘆息気味に言う。周囲もそんな早海の反応は最初から分かりきっていたのだろう、ぶーぶーと軽くブーイングを入れながらも、おかしげに笑みを漏らしていた。
「さって、私はこのへんでいいかね? お先に失礼させてもらうよ」
「はいですだ。助っ人さんはもう大丈夫だから、後は本業のあたくし達にまっかせなさい」
「はいな。それじゃあお疲れ様でしたー」
どことなくイントネーションを間延びさせながら、早海は軽く友人たちに手を振ってその場を離れる。あくまで早海は善意の協力者であり、部外者だ、必要がなくなればすみやかに撤収することが肝心である。
と、いうこともあるが、そも早海はこの手伝いをした廊下の突き当りに用事があるのである。その用事のついでに、今回の助っ人を引く受けたといって過言はない。
そして、その廊下のつきあがりにある一室、――図書館へと早海は勢い良く足を踏み入れた。
中ではカウンターに数人の少女たちが溜まり、談笑を楽しんでいる。時折他に人が来れば、すぐさま彼女たちは散って、通例通りの貸し借りが行われる。
早海の目的はそこにたむろしている人物の一人だ。
本を借りるついでとばかりに井戸端を開いている少女たち、その本を借りる側、に彼女はいた。
鵜浦心音、早海最大の親友にして、幼馴染のような関係にある少女。
早海は入口を抜けて直ぐ、心音を見つけて、立ち止まる。無言のまま、その顔から表情を読み取るものはいない。だれも早海に――気づいていない。
二度三度、ぐっと握りこんだ手を開閉して、それから何事もなかったかのように前に出る。
「おーぅい」
腕を振り上げて、心音に自分自身を呼びかけた。
少し遠く、心音のいるグループから、多少会話が漏れてくる。
「あ、早海だ」
「ほんとだー」
「ん。そういうわけだから、失礼するね」
――最後の一言、心音の言葉を皮切りに、どうやらグループは解散の流れに移ったようだ。最初に心音が抜け、その後も、遠目に見て離散気味であることが直ぐ解る。
そうして早海が右手を下ろす頃には、パタパタと心音が、早海の元へと駆け寄っていった。
「おまたせー」
「よくおいでなすった。そいじゃ今日もかえって寝ますかね?」
「あはは、歯~磨いて寝るんだぁよぉ~」
カラカラと笑いながら、駆け寄ったそのままの勢いで、心音は早海の横を通り抜けていく、ふと早海は浮かべていた笑みをかき消し、振り返りながら走る心音の袖を追う。
伸ばした手は、心音をつかむこともなく、心音はすでに図書館の入り口を明けようとしていた。
意を決する様に大きく早海が息を吸うと――
「……なぁ、心音」
親愛なる友人の名を、確かめるように読んだ。
スライド式のドアに手をかけていた心音が、それを離して振り返る。そのまま二歩、三歩と早海の元へ近づくと、その顔を深々と、覗きこんだ。
「なぁに?」
優しげな声、早海の顔にふっと笑みが浮かんで、それから早海は口早にまくし立てる。
「来年はさ、私たちも最上級生になるわけだ。そーすっとさ、もう学生生活は一年しか無いわけよ」
「そう? 早海も私も大学に進むんだし、そーいうんは気にしなくてもいいんじゃないかな?」
「いやさね、そんな先のことは、先になってみないとわからないんだよ。夢ってのは、何が切っ掛けで変わるかもわからないんだから」
「そーかな? いやね、それを否定するわけじゃないけど、別に私も早海も、そう簡単に離れ離れになるわけじゃないでしょ」
心音がそんな風に、おかしそうに笑う。早海はそれに釣られて笑い、それから再び口を開いた。
「ま、でも思い出作りってのも悪か無いとおもうんだぁよ。ってーのも、この最後の一年にさ、何かを始めたいって私は思うわけだ」
「それじゃあどうするの? 部活でも始める? 早海ならともかく、私は運動なんてできないよ?」
「ちがーよ。運動部じゃない。文化部さ」
心音の嘆息めいた言葉に、チッチッチと指を振りながら早海は否定する。少しばかり楽しげな雰囲気の友人に、心音はほうけながらも耳を傾ける。
「文化祭で思い出作りか、悪くないね、それで何やるの?」
「――それもちがーう」
思わぬ否定、文化祭に何かをするというのなら、確かにそれは思い出になるだろう。宮守女子の文化祭は例年通りであれば9月、三年の後半辺りになるはずだ。
ちょうど、そこから受験のために切り替えていくことも、可能だろうと心音は思っていたのだが。
「…………え?」
否定の言葉に、思わず心音は耳を疑った。漏れでた言葉は、たった一つだけだった。
早海はそんな心音の表情に満足したのだろう、キラキラとした輝かしいくらいの顔で、思い切り良く、一言刻んだ。
「――麻雀部、だよ」
もう一度、今度はいよいよ沸点を越えた驚愕が――叫び声に変わろうとしていた。
「おっと」
「むぐぐぅっ!」
早海が口を抑えて、ついでに指をさし、この場所を改めて心音に魅せつける。さすがに図書館で大声を出せば迷惑だし、異様に目立つ、何事かと折角わかれた友人たちが大挙して押し寄せるかもしれない。
それはなんだか台無しだ。
「え? え? あえ? いやいやいや。なんで麻雀なのさ」
「心音、おめーネットで麻雀やってるって言ったよな」
「え? あ、うん、たまに」
「だったら問題ねぇ、私もルールは覚えたし、ここには廃部寸前だけど麻雀部だってあるんだぜ? 私達で出てサァ、全国を席巻してやらないか?」
「麻雀は、そんな簡単なもんじゃないよう」
嘆息気味につぶやいて、心音は楽しげな早海を見る。――本当に楽しそうだ。ここまで楽しそうな早海は、一体何時以来だろう。
まぁ、いいか。――そんなつぶやきが、口元から漏れて、消えた。
「ん? どした?」
「――やるよ」
「お?」
少しだけ、期待を含んだ驚きの声。もう一度、心音は声を、大きくする。
「やってやるさ、麻雀部!」
「――――よっし、じゃあ決まり! 詳しいことは明日からだ。実際の牌を握って、それから色々考えるんだ!」
騒ぎにならない程のギリギリの声を張り上げて、早海は勢い良く図書館の入り口へ駆け寄る。その横に心音が並んで、二人の視線が交錯しあうと――音を立てて、扉は開いた。
♪
――東三局二本場、親早海――
――ドラ表示牌「{西}」――
「――ツモッ!」
――早海手牌――
{二三四七八九⑧⑧678東東横東}
――ドラ表示牌:{西} 裏ドラ表示牌:{②}
「一発ついてぇ、4200オール!」
・宮守 『126700』(+12600)
↑
・姫松 『76100』(-4200)
・龍門渕『86700』(-4200)
・晩成 『110500』(-4200)
麻雀を初めて、ようやく早海は、ここにいる。
心音と共に居ることを望んで、早海は一人で牌を握った。その集大成が、今この瞬間の自分にあるのだ。
(負けられない。負けられないから――闘うしか、無いんだよねぇッ!)
「さぁ――三本場だ!」
――東三局三本場、親早海――
――ドラ表示牌「{8}」――
「チー」 {横⑧⑦⑨}
――水穂手牌――
{一一二七八①⑥⑦789} {横⑧⑦⑨}
(さっき親が流れちゃったせいで勢いが弱い。なんとかして和了らなくちゃいけないから、ここはやっぱり鳴いていくしか無いよね)
水穂/打{二}
鳴きのため、両面は残す。同時に{三}をツモっても活かしにくい{一一二}は{二}を切って頭にする。これなら再び{⑨}を引けば、純チャン三色ドラ一の満貫に移行できる。
そうでなくとも、ここで二翻以上を和了れれば、水穂の勢いは猛烈に加速することは待ちがない。
(さて、宮守の支配はキッツイけど、私は私の打ち方で往くよ……!)
迷いはない、それを生むほど、水穂の場数は――――少なくない。
――良美手牌――
{
(もとより三色の両面塔子は全て揃っていたが、これで更に一つ進んだ、か)
ドラ二つに、この牌姿、優秀といって過言ではない。鳴きを使って進めていくようなものではないが、だからこそこの手牌は大事にしたい。
(鳴いては手が作れない、ここの面子が相当に硬いことも、先の闘いで十分見て取れた。となれば――ここで引く必要は、全くない)
良美/打{8}
――{⑥}ではなく、{8}を切る。これは{⑦⑧⑨}を鳴いた水穂に、遅くなってから{8}を通したくないという防御的な理由もあるが、第一の理由は{7}を無駄ヅモとするためだ。
(最善のツモは当然{9}か{中}、しかし{⑤}か{⑦}のツモも十分にありだ、それならば{中}がなくとも平和で一翻がつく、少し綱渡りになるが、{7}を引くよりはマシだ)
あくまで、良美の基準は高火力、打点を伴わない和了には興味が無いし、和了れないのなら、いっそ更に上を目指すことも十分に考える。
それが良美の打ち方であり、麻雀を始めてずっと、崩して来なかったスタイルだ。
(さぁ、かかってこい龍門渕、そして宮守! 私が真っ向から、その上を行ってみせてやる!)
そして、宮守女子、五日市早海。
この状況を、あくまで楽しげに――俯瞰していた。
(龍門渕も、晩成も、私を意識した上で、自分の打ち方しちゃってまぁ)
――早海手牌――
{
(でもまァ、最後に勝ちに行くんは、私なんだよね!)
リーチは、しない、平和一通、ダマの5800でも十分であるし、水穂がもう一つ鳴けば、リーチをかけて一発を狙うこともできる。
それを踏まえて、ここは黙聴。じっくりと、山に眠る{1}と{4}を待つ。
(きなよ、これで全部、沈めてやるから!)
――早海/打{⑨}
打牌の音が、うなって響いた。
――この局、三者は思い思いの牌を描いて、和了を目指した。
それぞれがそれぞれを大きく意識し、それでも止まることを選択するものはなく、和了へと一直線に向かっていった。
だからこそ、それは。
――それは狩人の眼には、絶好の好機に映るのだ。
「――――ロン」
振込は、晩成。
「なっ――」
なぜ、と言い放とうとしていたのは、振込の事実ではない。今の今まで、“それ”に意識を向けていなかったがためだ。
なぜ、忘れていた?
本来であれば、彼女はこの卓で――最も警戒しなくてはならないはずの人間であるのに。
「蚊帳の外ちゅうんはなんや、しょーじきしんどいし、ツマランわ」
――この中で唯一、全国クラスと呼ばれる高校がある。
龍門渕は、新鋭――名前こそ昔から知られているが、全国第二回戦にて奮戦しているのは、これが初めて。
晩成は、古参――故に第二回戦レベルでは顔も知れているが、さらにその上であるかと言われれば、言葉に詰まる。
宮守は、その逆――完全新参、初出場である宮守が、全国に名を馳せているはずもない。故に、違う。
――それは、第二回戦から登場する、シード校と呼ばれる高校だ。
「でも、おかげでこっちのテンパイ、全然気付いて無いんやから、ウケる」
姫松高校中堅、最強の、そのまた最強。
「三本付けて、7300や」
・姫松 『83400』(+7700)
↑
・晩成 『103200』(-7700)
エース――愛宕洋榎。
「そろそろウチも、混ぜてもらうで――ッ!」
勢いに任せた言葉の締めが、高らかな宣言を――伴った。
またまた早海回。今回は敵としてではなく主役としての立ち位置になります。