咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『人は揺らぎ惑い行く』中堅戦③

『前半戦、終了――ッ!』

 

 響き渡る実況者の咆哮。会場の熱気をもってしても、同等としかできないほどの勢いを伴ったそれが、代弁者のように轟音をさえずる。

 ここまで、第二回戦において行われるハンチャン十回のうち五回が終了した。中堅戦はそも、団体メドレーの前半と後半をつなぐ中継点である。その区切り目が、ちょうどたった今というわけだ。

 

『トップは躍進! 初出場にして初の全国出場、宮守女子! 激しい削りあいとなった前半戦を、東場の大幅プラス収支で乗り切っています』

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――114600――

 

 立ち上がり、大きく両手を振り上げ伸ばすと、そのまま猛烈な嘆息を漏らす。体全体を心地よく覆う疲労を、単純な気合で振り払っているのだ。

 そうして後、勢いよく空気を吸い込むと、それをとめて体にチカラを循環させる。

 

『続く二位は、何とか首の皮一枚つないだか! 晩成高校! 東二局の役満聴牌など、諸所で存在感を発揮しましたが、和了れたのは南場終盤の跳満のみ、苦しい結果になりました』

 

 ――佐々岡良美:三年――

 ――晩成高校(長野)――

 ――105500――

 

 このハンチャン唯一のマイナス収支となった、良美は座ったまま大きく方を落とす。現状状況はほぼ拮抗しているが、彼女の持ち味である一極集中をもってしても稼ぎ負けたというのは、大きな精神的ダメージとなるだろう。

 それでも、すぐに顔を上げると、目に見えて気合の入った顔を、見せ付けていた。

 

『そして三位、龍門渕高校、依田水穂、この卓屈指の実力差は、しかし微差での収支トップに落ち着きました』

 

 ――依田水穂:三年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――93800――

 

 水穂の表情は、穏やかではあるがどこか奇妙さをともなったものだ。

 こんなものかという納得と、これではいけないという奮起が、まったく同じように同居しているのだろう、感情の複雑さが、彼女の表情からにじみ出ていた。

 

『最下位はかわらず姫松高校、エースの愛宕洋榎も微差の収支プラスに留まっています。彼女と依田水穂、優秀な両プレイヤーの収支が、この程度であることが、この卓のレベルの高さをよくあらわしているといえるでしょう』

 

 ――愛宕洋榎:三年――

 ――姫松高校――

 ――86100――

 

 それぞれが、ハンチャンの結果を如実にあらわした表情をした。早海は苦しみながらも実感を、水穂は不満と納得を、そして良美は嘆息を。

 しかし、彼女だけは違う、洋榎だけは、なんともいえない飄々とした目つきと顔つきを崩さず、口笛を吹いてその場を流していた。

 

『後半戦はこの後すぐ、チャンネルを変えずにお待ちくださいッッ!』

 

 日は昇り、そしてやがて沈み行く。

 今この瞬間は、その一時の頂点だ。上りきった太陽が、ゆっくりと斜陽に傾いでいく。

 

 闇が広まり、刻一刻と、月が待つ夜が、近づこうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:依田

 南家:五日市

 西家:愛宕

 北家:佐々岡

 

 順位

 一位宮守 :114600

 二位晩成 :105500

 三位龍門渕:93800

 四位姫松 :86100

 

 

 ――東一局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

 開始早々であるこの局で、七巡、ここまで進んでも鳴いて手を進めるものはいなかった。

 水穂のチカラはハンチャンをまたぎはしないが、水穂の調子は不満はあれど好調を保っている、初動から鳴いていかなければならないというまでもない。

 同じく鳴きを主体とする早海であったが、この局は上家が思うように牌を切らず、鳴きのひとつも入れられずに進んだ。

 当然、ほかの二名はオカルトに偏重してはいない。鳴いていくことはないだろう。

 

(それを踏まえたうえで、この局で先制できる意味は大きい。まずは前半戦の失点を、取り返さなくては)

 

 そんな中で、佐々岡良美は、自分のツモに実感を感じ、満足げにうなずいた。

 

 ――良美手牌――

 {二二四五六⑥⑦⑧33489(横7)}

 

 辺張が埋まっての聴牌、ここまではかなり順調で、これでリーチをかければ満貫クラスは確定する。

 

(当然ここはリーチだな、後は完全な裏ドラ任せになるが、ひとつでも乗れば私のマイナスは帳消しだ!)

 

 勢いよく牌をつかんで、振り上げる。縦にまっすぐな打牌をするのではない、横に牌を曲げた、挑戦への宣言だ。

 

 ――良美/打{3}

 

「リー――」

 

「――まったっ!」

 

 同時に、収納ケースから取り出した点棒を掲げ、振り下ろそうとした――直前、それに言葉でさえぎるものがいた。

 聞き間違えるようなことはない、それは姫松の中堅、愛宕洋榎によるものだった。

 

「その宣言棒、場に出す必要は――無いんやで」

 

 ぱらぱらと、彼女の手が開かれる。右から左に、階段となって。

 

「ロン、や。あんま猛突できるんおもたら、大間違いやで」

 

 ――洋榎手牌――

 {一二三七八九①①12發發發} {3}

 

「8000――どや、ちーとばかし、足が痛いとちゃうか?」

 

・姫松 『94100』(+8000)

 ↑

・晩成 『97500』(-8000)

 

 この日、おそらく初めて、洋榎の笑みに力がこもった。覇気、とでも呼べるものだろうか、強者が持つ、強者故の絶対的風格、それを彼女がようやく、戦いの場に持ちだしたのだ。

 

(――むぅ、浮き牌読みか)

 

 ――洋榎捨て牌(「」手出し)――

 {「9」「西」「中」「④」「⑧」6}

 {「⑦」五}

 

 この捨て牌、中盤からの攻め気ある捨て牌に対し、前半三巡は異様に慎重だ。たんなるヤオチュー牌落としであれば、最初に{9}を落とすことはない。

 ある程度軌跡は見えていたのだろうから、{④}を第一打としても何ら問題はなかったはずだ。それが、ヤオチュー牌から切るという迷彩じみた捨て牌によって、チャンタ系の気配がそっくり、掻き消えてしまったのだ。

 

(そも、{6}の自摸切りで薄められて入るが、{⑧⑦}の打牌は両面落とし、警戒を怠ったか?)

 

 ――相手は姫松の中堅、全国最強クラスの猛者なのだ。それを相手に、ただの平和で、浮かれすぎていたという面も大いにあるだろう。

 

(……実際に相手をして解る。私がただ見落としているわけではない、愛宕洋榎、奴が意図的に、こちらの意識を撹乱させているのだ……っ!)

 

 どれだけ警戒しても、警戒しきれない敵、それが愛宕洋榎だ。彼女は根っからの玄人系雀士、変幻自在の打ち方は、特殊なオカルトによる強さとは違い、対策の打てない怖さ、というものが――存在してしまうのだ。

 

(インターミドル、インターハイと、トッププレイヤーとして名を馳せる愛宕の姿を、直に見てきたつもりだ。実際に卓を囲むのは初めてとはいえ、こちらを完全に読み取る打ち筋、もしも麻雀に触れて間もない、ルーキーが相対してみれば……どうだ? 完全なカモだぞ――ッ!?)

 

 自身の点棒を喪ってなお、良美が警戒するのは、これ以上の失点ではない。――姫松高校、ここまで沈黙を続けていた強豪が、ここに来て、一気に噴出してくることだ。

 自分自身がその踏み台となることは十分に考えられる。相手は格上だ。あの依田水穂ならともかく、まさか自分がそれを越えられるなどとは到底思えない。

 ――ならば、同時にだれかが踏み台になれば? 姫松は、すぐさまそれを食い物にするだろう。

 

(愛宕の天敵は、いわゆる“中級者”、自分の打ち筋が固まらないながらも、雀士として、一定の打ち方を手に入れたレベルの人間……ッ!)

 

 それが、今この第二回戦の卓に居るとすれば、どうか。――間違いなく、彼女は敗北と共に餌食となるだろう。

 愛宕洋榎というモノは、そういったいきものなのだ――

 

 

 ――東二局、親早海――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

 配牌というものは、それぞれの思いが詰まるものだ。当然、内に心を向けるのだから、口数は少なくなる。

 ただし、例外というものもあるのだが。

 

「~~♪」

 

 口笛で、何がしかを口ずさみながら、洋榎は配牌を終えていく。少しずつ手牌が横に伸び、十三の結晶をつないでいく。

 出来上がったのは、いびつながらも、正確な形を得た、配牌。

 

(やえ辺りが好きそうな配牌やな~)

 

 ――洋榎手牌――

 {一六九九②②⑧南南北白白發(横9)}

 

 何一つ、順子につながることのない配牌。しかも索子の絶一門であるから、限られた配牌で、ここまで手牌が悪くなることは異常といえる。

 無論これもあくまで可能性の一つではあるが……洋榎がこの手牌をワルイモノ、だと思うことはない。

 

(十三不塔っちゅう事を含めても、これは“一つの形”しか狙えん手牌やな、七対子も悪か無いんやけど)

 

 順子に必要な塔子が全て、手牌のなかから消え去ることにより成立する、そんなローカル役満がこの世には存在している。当然それはローカル故に、インターハイの舞台では成立しないものではあるが、たった今、洋榎が引き寄せてみせたのは、そんな配牌だ。

 

 それでも、決してこの手を最悪とは洋榎は評さない。あくまでこの手には可能性がある。それを洋榎は知っているのだから、当然彼女は、その可能性を追う。

 

 通常であれば、和了るには、根気よく七対子のための対子を待つような、配牌。洋榎も差支えがなければそのように手を進めるだろうし、出和了りを狙うのに、七対子というのは最強の手だ。

 ――それを切り捨ててでも、洋榎はこの手を、攻めに要する。

 

 洋榎/打{北}

 

 良美/打{南}

 

「ポン――ッ!」 {南南横南}

 

 勢いよく手牌を晒し、洋榎がこの半荘はじめての副露を使用する。自風牌鳴き、特急券の確保である。――が。

 この場において、それは全くの意味を成さない代物だ。

 

 対局者、三者の顔に驚愕の色が奔る。すぐさま水穂はそれを引っ込めたものの、残る両名は困惑気味の表情を浮かべながら、良美はどこか決意を込めて、早海は大いに見せる警戒を込めて、洋榎を見やった。

 しかし、そこにあるのは、勝負師としての洋榎の顔ではない、昼行灯のような、やる気を見せない風来坊の面持ちを保って、状況を俯瞰気味に眺めている。

 

 洋榎/打{發}

 

 良美/打{東}

 

 恐る恐るといったような様子で、良美の牌が前に滑った。遊覧する双眸、洋榎の瞳は、在らぬ方向へと向いて、真正面から向き合うことのないそれが、良美の不安を掻き立てる。

 

 水穂/打{八}

 

(――む)

 

 一巡回って、最初のツモ、洋榎は何やら自分の中を駆け抜ける感覚に、思わず顔をしかめて手を止める。自摸った牌は――無駄ヅモだ、即座に指を離して、それを落として晒す。

 

 感覚が――一瞬消えて正常に戻った。

 

(なるほど、オカルトの中でも、実感を伴ってくるタイプかいな)

 

 ツモは、当然のように無駄ヅモ、そもそもあの手牌、流れがあるにしろ無いにしろ、形にはなるものの他家に先に和了られてしまう形だ。

 速攻によって手を進めることに加えて、もう一つ――奇策が必要になってくる。

 

(索子が高いやろうし、出来れば早めに切っとくんが得策、やな)

 

 ――洋榎/ツモ{⑤}・打{9}

 

 良美/打{北}

 

 水穂/打{⑥}

 

(わっかりやす、鳴いて進めるつもりやろか。……いんにゃ、こっちの索子安さを解っとるんやな? まぁあっちにはオカルトの専門家も居るみたいやし。……なんで宮守の一発が解ったんやろなぁ、不思議や)

 

 先鋒戦、洋榎ですら想定こそしたものの、可能性の低さ故に切り捨てたオカルトを、完全に看破してみせたあの一年、間違いなく龍門渕の魔物は三人居る。表立ったもの以外にも、二人居るのだ。

 

(ま、そこら辺はウチとは関係ない連中がなんとかすることやけど。特に漫ちゃんはそうなってもうたらアレかましてもらう以外に仕事ないわけやし)

 

 さて、と考えながら、牌をツモ切る。これで三巡、そろそろだろうか、と意識を向けて同時に、親番の少女が打牌する。

 

 早海/打{白}

 

「ポン」 {横白白白}

 

「……むぅ?」

 

 少しだけ、訝しんでいるように、こちらを見る瞳があった。早海は何やら考えているようだが、別に洋榎はヒントを与えてやるつもりはない。

 何せ、与えずとも少しすれば――その詳細くらいは見えてくるのだから。

 

 

 ――水穂手牌――

 {四五3344789西西西中(横②)}

 

(うわっちゃ、ものっそ嫌な予感ー、いやいいんだけどねぇ。どうせ全部鳴かないと和了れないだろうし)

 

 ツモを少しばかり恨めしく思いながらも、一度は手牌の上へとおいた牌を、少し考えてから切る。{②}は七巡目の現在に至るまで、一切卓上に出ていない生牌だ。加えて言えば、良美と早海が、その上――{③}を三枚切って晒している。

 

(ワンチャンス、嵌張とか両面にしている可能性はほとんど薄い。つまりそれは、対子にしている可能性は高いって意味なんだけど……)

 

 ちらりと、洋榎を見る。打牌から即座に、次のツモに移る前に彼女は、行動を起こした。見ている先は間違いなく手牌である。――しかし、一瞬。水穂は洋榎と、己が視線を交錯させたような、違和感を覚えた。

 本当に短い刹那だったとはいえ、その瞬間、水穂と洋榎は目を合わせたのだ。まるで何かの合図のように。同時に水穂は、寒気を覚えた。

 

(普段、麻雀を打っている相手に、警戒されたことはあっても、狙われることはない。そうだね、やっぱり洋榎、キミは私をも、穿とうというんだね)

 

「……ポン!」 {②横②②}

 

 今はその時ではないだろう。洋榎がこの一局で、何をしようとしているのか、水穂は解る。――五日市早海に対する攻撃だ。精神を揺さぶるような一撃。

 瀬々からは機会があれば絶対に挑戦するように、そう言われていたが、そのチャンスというものが、ここまで一切おとずれなかった状況。

 愛宕洋榎が――仕掛けていった。

 

(五日市早海がいる状況で、鳴いて手を進めることはできない。それは鳴いた後に、ツモが悪くなるからだ。他家の打牌を止めることまでは不可能なんだよね、宮守の人の場合)

 

 良美/打{一}

 

 だからこそ、洋榎はその隙を突く、暗槓によるツモは支配できないという以外にも、他家から鳴くのであれば、手を進めること事態はできる、というのが早海のウィークポイントだ。

 

 水穂/自摸切り{⑦}

 

(案外、鳴いていけばツモ和了が封じられても和了れるものだ。ドラ対子を鳴いたりしない限り、鳴いて3900(ザンク)を超えることは早々無いしね)

 

 早海/打{東}

 

 さらに言えば、三つ以上牌を鳴いた時の、早海の支配も特徴的だ。三つ以上の副露には、二つ以上の副露との差が無いのである。

 いくら鳴いても、あくまで他家の有効牌を引きやすくなるだけ、それ以上は、何もない。

 

(それを加味した上で、鳴いて手を作ることは可能といえる。そう――裸単騎だ)

 

 

「ポン!」 {九九横九}

 

 

 誰が切ってもおかしくはない牌、どれだけ責めていることがわかっていても、単なる満貫であれば、同等クラスであれば勝負したくなる。特にここは団体戦、ただ守るよりもよっぽど、攻めたほうが、活躍が期待できる。

 結果の攻め、結果の副露。

 

 これで間違いなく――というよりも、誰の目を見ても明らかなように、洋榎はテンパイしてみせた。

 

 そして、それだけでは終わらない。

 

 出和了りのために鳴いてテンパイしたのではない。――あくまで愛宕洋榎と言えど、必要であればツモ和了での和了もしてみせる。

 これは、単なる対局におけるモノの、もっと外側、人の心理を貫くテンパイだ。

 

 俯瞰するように、悠然と視線を向ける水穂の先に、驚愕と、焦燥と、若干の怒りを交えた早海の瞳があった。鳴きを抑制する支配、それを端から存在しないものとしているかのように、圧迫を物ともせず洋榎が対々和を張った。

 無理矢理の鳴きは、しかし活路を開いた、散々なまでの捨て牌が、しかし同時に、洋榎を導く活路となる。

 

 ――洋榎捨て牌――

 {北發9發16}

 {一六⑧中}

 

(不調の人間に、程よい支配は劇薬だ。何を引いても不要牌、何を引いても当たり牌、配牌全て五向聴、そんな地獄状態にまで陥ることもおかしくはない)

 

 あらゆるツモが有効牌とならない状況――つまり、捨て牌十三不塔と化したそれを見やりながら、続けて水穂は思考する。

 

(でも、最初からそんなに絶不調だったりすると、支配が強ければ強いほど、逆にツモに偏りが現れる様になる)

 

 支配とはいっても、その形態のほとんどはいわゆる裏目のツモを強要するものだ。それがあることにより、本来であれば進めていたかもしれないシャンテン数が、停滞し、支配が正しく成立する。

 

(結果として、裏目裏目の十三不塔は、自摸る牌の種類を、大きく制限するものだ。それこそが、オカルトによって現れる、擬似的な牌の偏りなんだよねっ!)

 

 この場合の、有効牌、早海のチカラにとっては不要とかし、しかしある種有効な活用が望めるツモ――そう。

 

 

「――カンッッ!」 {②横②(横②)②}

 

 

 洋榎の加槓、決死のリンシャンツモが、炸裂する。

 ――カンによって自摸られる牌は、早海の支配から、ただひとつだけ逃れることが許された牌。

 

 そこに洋榎が――手を掛ける。

 

「……まってましたやで、この瞬間を――さぁおいでませ、リンシャン――――」

 

 早海が、良美が、観客者たちが、一斉に洋榎のツモへと意識を向ける。真っ向から打ち破ることが不可能かと思えた絶対的なチカラを、一瞬にして、単純にして打ち破る。

 

 その瞬間は、――はたして。

 

 

「――ツモッッ」

 

 

 たたきつけられた牌、晒されるそれは、{三}。対局者達の表情が――この一瞬をすでに想像していた水穂を除いて――恐慌に包まれる。

 あわや、そう思われた瞬間。

 

「……………………ならずや」

 

 脱力気味に、若干手元で晒した牌を、洋榎はそそくさと捨て牌へと投げ入れる。

 そうしてもれた早海と良美の安堵――しかしこれで全てが終わったわけではない。

 

 だからこそ、すでに凛々しく洋榎を見据えていた水穂だけでなく、二者もた平常通りの感覚に戻る。

 

 ――残されたのは、新ドラ表示牌「{北}」

 再び、対局が行われるかという状況、四者の思考は加速する――

 

 何が当たるか、もはや洋榎の手牌は爆弾のようなものだ。何を切っても、それが絶対安牌といえない限り、洋榎に対する放銃の可能性が存在する。

 満貫確定の手に、全くの動揺を見せずに手出しで牌を切るのは、この中では唯一人、洋榎クラスとも同等に撃ちあってきた、水穂ただ一人であった。

 

 水穂からしてみれば、洋榎が索子で待っている可能性が無いと考えている。そも彼女はこの局、索子の絶一門に陥っているのだ。もちろん引けばそれに待ちを張り替える可能性はあるが、現状洋榎は裸単騎完成時点から、一度も牌を入れ替えてはいない。

 

 そもそも、それよりもよっぽど、待つのにお誂え向きな待ちがあるのだ。多少素直な街だが――水穂は洋榎の待ちを、ほぼそれと断言していた。

 

(愛宕の人って、基本的にあんまり勝負強くない、一発でツモることは稀――人並みだし、手牌が特別いいってことはない。……でも、こういう時たいてい、この人はまるで――――謀ったような待ちをする)

 

 決着は、思いの外早く訪れた。

 

 放銃だ。――ツモ和了では、洋榎が和了れるはずもない。

 

 

 ――早海/打{東}

 

 

 地獄単騎、新ドラとはいえ、まさか最初から自摸っているということはないだろう、そう考えた故に打った。

 否、打たざるを得なかった。

 それだけが、早海が打てると、唯一思った牌なのだから。

 

 ――しかし、

 

「…………ごくろーさん、や」

 

 洋榎は、真っ向からそれを――否定する。

 

 

「――ロンッ! 12000…………!」

 

 

・姫松 『106100』(+12000)

 ↑

・宮守 『102600』(-12000)

 

 倒される牌。ひゅっと、早海の口元から、何かが漏れる音がした。――少なくとも、この一局、洋榎が放った爆弾は、その爆弾を生み出した対局の主に、直撃した。

 洋榎の狙いはここにある。自分自身という雀士への恐怖、場を支配する人間の萎縮、状況の、混迷。

 

(フィールドが、平らであればあるほど、愛宕洋榎はそれを利用する。そうだよね、姫松のエース…………ホンモノの、最強クラスッ!)

 

 蓑を晒してホンモノを隠す、人の群れに潜む何かとなって、雀士を穿つ。

 ――愛宕洋榎とは、そんな雀士だ。

 

 それを実力とした――――ホンモノの雀士だ。




パソコンが新しくなりました。
おかげか心機一転、筆の進みがよくなったようです。要するに適時気持ちの切り替えが自分には必要なようですね。

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