咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

36 / 102
『空色の心』中堅戦④

 ――東三局、親洋榎――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

(あー、もう、なんか…………あーっ!)

 

 ――早海手牌――

 {二四六八②③④⑦⑦⑦⑧中中(横二)}

 

(なんか、なんか違っがーんだよなぁ、なんだろ。体、重いわ)

 

 跳満への振込とはいえ、今の放銃は単なるよくある放銃の一つだったはずだ。それがなぜ、今自分はこうも嘆息が増えているのだろう。

 解らない。わからないことだらけだ。どうしても、体中から抜け出た気配を、たぐり寄せることができないで居る。

 

(どーしちゃったのさ、どーしちゃったのさ私の体。そんなやわな鍛え方、してねーはずなんだけどな)

 

 自分の中には、自分でもよくわからないようなチカラがあって、きっと才能のようなものがあったのだと早海は思っている。

 それが好いことか、悪いことかはともかくとして、今の自分にあるのは、やっぱりそれなのだと、早海は思っても居るのだ。

 

(心音ぇ、シロ、塞、胡桃……なんかさ、おかしいね、ほんと――)

 

 ――早海/打{八}

 

(きっついなぁ――これ、もう)

 

 

 打牌を続けながら、水穂は宮守の中堅、五日市早海の顔を伺う。消沈しきった薄暗さの伴う顔に、言いえもしない既視感を覚えながら、自身のツモを顧みる。

 

(完全な絶一門、どっちかに偏ってるわけじゃないから、割りとなんだか微妙な感じ。とはいえまぁ、これを進めるのが私の仕事だ)

 

 ――水穂手牌――

 {一一三七八九④⑤⑨⑨⑨北北(横四)}

 

 水穂/打{一}

 

 この手牌の魅力は、なんといっても三枚の{⑨}だ。これにより、水穂の手牌はおどろくほどの柔軟性を持つようになる。

 例えば――

 

 洋榎/自摸切り{⑨}

 

 こうやって、親がこの{⑨}を切ればそれだけで、水穂の手牌には三枚の安牌が宿る。たった三巡、されど三巡、その間、如何様にも手を進めることが、できるのだ。

 

(要するに、テンパイした上で私の調子を害さないうちに他家へ和了らせればいい。今は親番じゃないから自摸られてもいいんだけど、ここはもうちょっと、宮守の人に削られてもらおう)

 

 洋榎/打{一}

 

 切り出すのは一九牌、洋榎の打牌はどこか違和感を持つ打牌だ。続く打牌は{3}、言ってしまえば、執拗に字牌を切ることを嫌っている。

 ――その意味は? それは、公式戦で間近に洋榎を見てきた水穂には解る。おそらくは良美も、手牌の絶一門から状況を察していることだろう。

 

(――愛宕洋榎。南大阪最強にして、全国ですらその名を大いに轟かせるインターハイのトッププレイヤーが一人)

 

 全中であれば、自分モノその中に加わっていたのだが、と水穂はどこか嘆息気味に回想する。それは単純に、突然長野に現れた魔物が全て悪いのだが――とかく。

 

(彼女の打ち筋はかなり特徴的だ。浮き牌読み、筋引っ掛け、迷彩――即ち、あらゆる出和了りに即した打ち筋)

 

 トッププレイヤーである彼女たちにも、それぞれのスタイルがある。例えば千里山女子のエース、江口セーラは徹底した火力重視、水穂や、九州最強を誇る新道寺女子のエースなんかは、ある程度速度に特化した打ち筋をしている。

 その中で、愛宕洋榎が得意とするのは徹底した出和了りスタイル。とにかく他家から直撃を取る、何が何でも他家に放銃させる、そんな心境によって至ったであろう雀風だ。

 

 平時から相手をしていて、最も厄介なのは、洋榎のそれが、わかっていても振り込んでしまうような類のものであるからだ。

 人の心というのはいつまでも気を張っていられるわけではない。そして洋榎は心が弛緩した本当に一瞬の隙を突いて、直撃をもぎ取る。

 

 だからこそ彼女は脅威なのであり、人の心に、とにかく残る物を持っているのだ。

 ――とはいえ、長く彼女を見ていれば、ある程度避けれる仕掛けもある。例えば今回のこれがそうだ。

 

 手牌は完全な絶一門状態。だれかが索子をガメているであろうことは確実だ。

 そして河には、異様なほど索子が少ない。――出しているのは、良美と洋榎だ。

 

 ――良美捨て牌――

 {1西⑥8三白}

 {白八(二)}

 

 ――洋榎捨て牌――

 {⑨一3二九發}

 {④七9}

 

 良美のそれは、索子こそ出しているものの、どちらかと言えば筒子に寄った捨て牌に思える、序盤から手出しで中張牌を切る、というのは違和感があるが、一通あたりが濃厚だろうか。

 ――問題は、洋榎の捨て牌だ。一件彼女の捨て牌もまた、そういった索子の高さを思わせるものだが、ここまでほとんど見えていない索子が、彼女の捨て牌に限ってかなりの数お目見えしている。

 無論良美の捨て牌にも同数はあるが、ここで水穂は、ほぼ間違いなく染めているのは洋榎であると判断した。

 

 ――迷彩をかけている、と読んだのである。

 

(さぁて……ここまで来れば、愛宕洋榎をほぼ初見で相手している宮守は、警戒せずに突っ込んでくることになるね)

 

 嘆息気味に、見る。未だ早海の表情にはどこか陰りが見える。――そこから感じられる既視感は、きっと過去の自分に似ているからだろうと、水穂は感じた。

 

(なんか過去のこと、今のこと、何かのことで悩んでるみたいだけど、それを解決するのは私じゃない。ごめんね……キミの仲間はキミを嫌ってはいないはずだから、だからもう少し、誰かを頼った方がいい)

 

 ――状況は、晩成良美の打牌直後、未だ状況は水穂のツモというところから動いてはいない。――否、水穂は牌をつかむつもりはない、あくまで自分の手を眺め、最善の選択を取ろうとしている。

 

「――チー!」 {横二一三}

 

 打牌の直後には、意識の中ではすでに手牌の中へ組み込まれていたそれを、改めて引き寄せる。鳴いた――早海の支配はあるものの、絶不調ではない今の水穂は、十分にツモを狙える。

 

 その上で、洋榎のテンパイにも対応するつもりなのだ。

 

 ――水穂手牌――

 {四五七八九④⑨⑨⑨北北} {横二一三}

 

 水穂/打{④}

 

 膠着していた水穂の一向聴が、ようやくここで動く。長らく待ち望んだテンパイであるが、打点は単なる二翻だ。

 それでも十分とは言えるのだが。

 

 そうして続く宮守のツモ、水穂はそれを、運命のツモだと、位置づけていた――

 

 

 ――早海手牌――

 {二三四②③④⑦⑦⑦⑧2中中(横⑧)}

 

(ようやく形になった、ってぇところか。三色はつかなかったが、それでもこれならまぁ十分かねぇ)

 

 ――早海/打{2}

 

 ここまで、早海は一切、疑問を抱くことはなかった。

 抱く必要が、感じられなかったのだ。

 

(おそらく龍門渕はテンパイしてるだろぉが、それでもせいぜい二千点、リー棒込めて三千点――つーならさぁ、別に私が警戒する必要は、ないよねぇ!)

 

 もとより、この手で迷う必要は殆ど無かっただろう。親からのリーチはない、鳴いても安くなるだろう水穂を相手にするならば、別に手を緩める必要は――どこにもない。

 

「リー……」

 

 

「――――ロン」

 

 

 しかしそれは、全く予想を越えた場所からの発生によって、遮られた。

 

(あ、――あぁっ!)

 

 思わず、しまったと顔をしかめる。親がテンパイしていた。それだけでは済まされない。この打牌は、その和了りが正しいものならば、とても嫌らしい待ちになる。

 

 ――洋榎手牌――

 {34456777888北北} {2}(和了り牌)

 

・姫松 『113800』(+7700)

 ↑

・宮守 『94900』(-7700)

 

(――先切りっ! いやそもそも、これ最初から、染め手だけを考えて、――一盃口すら捨ててるんだ――ッ!)

 

 {3}を序盤で切らずに残していれば、一盃口の可能性が洋榎には残されていた。――しかし、{一二}という辺張の塔子落としを薄めるために、{3}をあわせて切ったこと、序盤煮切ったことで、多少なりとも他家から注意を向けさせない手を作ること、それを洋榎は、一切合切この手牌で、やってみせてしまったのだ。

 

 ――戦慄する。

 

 これが、ホンモノ。

 ホンモノの最強が、完全に自分を狙っているのだ。

 

(うそ、だろ? なんで、なんでさ。――なんでこんなに、強いのさ――――ッ!)

 

 疑問は、確かに正当なものだ。しかし、どこか無粋でもある。洋榎を始め、水穂やセーラといったホンモノの強者は、間違い用もなく――強さが認められたのだからこそ、強者なのだ。

 

 そこに理由と言えるものがあるだろうか。

 

 ――否、そも必要すらないものだ。だから、洋榎のそれは強大に映る。強いから、ではまく――強いとわかっているから。

 

 対局者達は、それに慄かなくては――ならないのだ。

 

 

 ――東三局一本場、親洋榎――

 ――ドラ表示牌「{⑧}」――

 

 

「――リーチ」

 

 間髪入れず、といった所か、早海が苦々しげに顔を歪ませて、良美がぐ、と顔を沈ませる。もはや浮かべられる感情は苦渋以外許されてはいないのだ。

 洋榎の牌が曲げられて、たったそれだけで、必要以上の圧力が少女たちに襲いかかる。

 

 ムリもないことだ。親番のリーチ、ここまで順調に三度の和了を重ね、現状の洋榎は間違いなくこの場の征圧者となっている。

 むき出しとなった刃に、膨大なまでの重圧、二つの矛が伴って、襲いかかる。勝者に強者のアドバンテージが加わっているのだ。

 

(……六巡目かっ。まだ一段も切り替えしてないんだぞ!?)

 

 もはや、洋榎の前には県予選、インハイ一回戦を勝ち抜いてきた、猛者としての痕はどこにもない。須らく塵と化す、木材の群れが、そこには横たわっている。

 

(こっちツモが悪い、その状況でこのリーチ。事故でも狙ってるんじゃねーのか?)

 

 萎縮している。

 それは自分自身に、問いかけずともわかっていることだ。相手は強敵、それも間違いなく自分より更に一段――二段は格上に立っているような。

 

 無理もない――洋榎の目を見れば解る。そこに立っているのはホンモノの強者だ、自身の力を振るうことに何のためらいも、気負いもなく立ち振舞っている。

 同時に、そこには笑みが伴っていた。ただ強くある――そのための自負を伴ったような、鋭い笑みに……殺意を混ぜ込んだかのような人を射抜く眼光。そこには、悪鬼修羅の類が佇んでいた。

 

 宣言と同時にたたきつけられた牌が、横に滑って河の牌を叩いて――嫌に大きく、その音が響き渡った。

 

(なんでだ? なんでなんだ。さっきまで私はこいつと真っ向からやりあってただろーがよ。少なくとも、半荘一回は私が勝ったんだぞ!?)

 

 それが、今はどうだろう。たった一つの洋榎の所作にすら怯え、自分自身を見失っているのではないか?

 なぜかはわからない、今――自分の中から何かが抜けきっているのは解る。それはきっとオカルトではないし、精神の根幹というわけでもない。

 

 ――ただそれが、早海の心を、少しばかりえぐっていくようなものだったのだ。ただただ単純に、早海の急所を、少しだけ一突きされたのである。

 

 まぁそれで、

 

 手足一つ動かなくなっていれば――世話もないのだが。

 

(あ――く、ぅぅ。なんでだよ。なんで、何だヨォ…………ッッッ!)

 

 もはやそこには、自分という存在が居るのかどうかすら曖昧で、五日市早海は、得も知れない違和感に、ただただひれ伏すしか無いのだ。

 

 なぜならそこは、もはや洋榎が、ただただ猛威を振るう場所でしか無いのだから。

 

 早海は、なんとか手牌にのこった現物を切った、良美を眺めて目を伏せる。――もうだめだ。そうやって、噛み締めた歯には、必要以上の力がこもった。

 

 

 ――打牌の直後、その瞬間だった。

 

 

 ――まるで世界が広がるかのような衝撃が……奔った。

 

 

「っ!?」

 

「――これは」

 

 最初にそれに気がついたのは早海と洋榎だ。早海はいいえも知れない感覚から、そして洋榎は積み重ねてきた経験から。

 それから良美も、少し遅れてそれにきがついた。彼女もまたインターハイで活躍してきた強者、そのくらいだったら感じ取れる。

 

 無論それだけで済むようなものではない。これまで全くといっていいほど忘れられていたオカルトに近い何かだ。

 重圧、とは違うだろう。まさしく暴風を伴うかのような威圧の塊が、どこからか噴出しようとしているのだ。

 

 その先にあるのは、依田水穂、速度を伴う疾風の少女。

 

(――愛宕さん、悪いけど、貴方の待ちは私には通じないんだよね)

 

 洋榎の威圧によって生まれた状況を、水穂は唯一人冷静に感じ取っていた。洋榎の狙いが何であるのかも、ほぼ確実に、読み取っていた。

 

(それだけ勢いまかせにリーチをしたら、他家は怖がってベタ降りする。でもその待ちは筋引っ掛けの、ワンチャンス)

 

 ――洋榎捨て牌――

 {發東五七②横七}

 

 ここに加えて、先程の打牌、良美の{七}切りで{八九}はワンチャンスの待ちとなるのだ。

 

(大体、純チャン系の{八}か{九}待ち、引っ掛けだろうから、{八}が濃厚、それはつまり、他家にオリさせて、安牌が無くなったところを狙う打ち方だ)

 

 けれども――水穂はそれに対して考える。

 

(だけど、甘かったね、今の私は、さっきのテンパイである程度調子を取り戻してる。どれだけこっちのオカルトを見透かしてるかわからないけど――遅いよ、それじゃあ全然、私には、届かないッ!)

 

 思考が停止し、一気に牌へと手を伸ばす。

 もうすでに時は十分な機を持った。後はそれに、ただ一度の終止符を打てばいい。

 

 

 だから、続く、行動が、露となる。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 精一杯弧を描いた水穂の右手は、上空の軌道を保ったまま、勢い良く加工する。風の跡には、薄く煌めく、白色の軌跡が移った。

 左側(・・)、水穂がそこに、牌を叩きつける。

 

 ――水穂手牌――

 {横五三四③④⑤34567888}

 

「2100、4100ッ!」

 

・龍門渕『103100』(+9300)

 ↑

・姫松 『108700』(-5100)

・宮守 『92800』(-2100)

・晩成 『95400』(-2100)

 

 勢い良く響いた宣言は、その場所に――どうしようもなく響いているのだった。

 

 

 ――東四局、親良美――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

「リーチッ!」

 

 続けざま、とでも評することができるだろうか。まさしく、水穂のツモは完全に調子をあげていた。

 この時、河の流れは三巡目、三者、全くといっていいほど手が出来上がってはいなかった。

 

(――早いッ!)

 

 早海はなんとも言えない苦々しげな状況に、すぐさま現物を切り出す。実力の伴った内回しをする彼女は、かなり堅い打ち手だ。

 とはいえ、それでもこの状況、気圧されて、いつペースを取り戻せるかもわからない。

 とにかくここで、何としてでも和了らなければ――そう考える少女は、しかし一歩を、前に進める事ができずに居る。

 

 自分の中に生まれた違和感。――否、それは生まれたのではない。浮かんだ(・・・・)、かつてから抱えていた不和を、ようやく自分自身が自覚したに過ぎない。

 

 だからこそ困惑する。戸惑ってはいないはずだった。迷ってはいないはずだった。それなのに浮かぶ感情が、どうしても早海の心を、締め付ける。

 

(速攻の手牌が、さらに速攻向きになったか? とにかく、こっちも何とか追いつかないと……)

 

 速攻派、依田水穂、相手にしていてただひたすらに早いというのはもっとも厄介なファクターだ。早海には、洋榎のようにどれだけ他家が早かろうと、それより早く和了ってしまおうというような気概はない。

 ――強さは、まだない。

 

 

(まー、やっぱ速度上げてくるやろな)

 

 一人、洋榎はどこか俯瞰気味な視点で対局を眺めていた。

 ゆらりと、どこか幽鬼的な不気味さを伴った視線は、彼女の真意を、ただ“勝ちたい”という想い以上に強めていく。そしてそれは、この卓の強者、依田水穂の捨て牌へと向けられた。

 

 ――水穂捨て牌――

 {北⑦横8}

 

(昔から、一度和了り初めてもうたら手が付けられんかった。一年ぶりに直接この眼で見て解るんわ、それが単なる実力以上のものだったっちゅうことや)

 

 水穂の強さは、オカルトによる引きの強さだ。千里山のセーラのようにポンポンと高い打点を叩きだし、しかもそれが早いと来ている。たしか昨年、もっとも国麻(コクマ)でダブルリーチをかけたのは、水穂だったはずだ。

 

 だが、その水穂の強さが、相対した時の厄介さにまるまる転化するかといえば――そんなことはない。

 

(こいつの一番面倒なんわ、あくまで真髄は手が付けられなくなってから発揮されるっちゅうこと。――そこにたどり着くまでの技術が、異様なまでに卓越してるっちゅうこと)

 

 ただ“速い”だけであれば、いくらでも洋榎には手のうちようがある。流れにさえ気をつければ、ずらしてしまえば他家はつかめない、同じようにボードの操作は洋榎の得意分野だ。

 

(上手い奴に、可もなく不可もないオカルトを載せりゃあ、そら強いやろ。まぁそれでも、ウチは負けへんけどな)

 

 ――洋榎手牌――

 {二三三七八⑤⑥⑦444北北(横⑧)}

 

 洋榎/打{北}

 

 迷わず選んで、考える。

 

(ここから何か掻き分けてくんやったら、まぁ普通に行くんが正解やな)

 

 {北}は安牌、二巡ながして、そこにツモが伴わなければ正解だ。もちろん、そんなことはありえないとも、洋榎は思っているのだが。

 

 ――ちらりと視線を向けて、改めて他の二名を観察する。

 どちらもその視点は水穂の捨て牌にあり、水穂にはない。この状況、もっとも警戒すべきは水穂自身の存在、そのものであろうに。

 オカルトであることがわかっていようといなくとも、彼女たちはそこに意識を、向けられずにいるのだ。

 

 だからこそ、ここでためらい、彼女たちはつまずいている。

 

 ――良美/打{⑧}

 

「ロンッ!」

 

 ――水穂手牌――

 {三三三六七八⑥⑦23488} {⑧}(和了り牌)

 

「ぐっ――」

 

 呻き、そしてそれは敗北に伴う。

 

「――5200」

 

・龍門渕『108300』(+5200)

 ↑

・晩成 『90200』(-5200)

 

 勝利宣言と、敗北宣言、両名想いがぶつかって、そしてはじけて消えてゆく。どこにも痕は残らない。ただ続く、半荘という道が、そこにあるだけ。

 

 

 ♪

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 そうして、やがて。

 対局はオーラスだ。七巡目、長い半荘メドレーに、終止符が打たれようとしている。

 

 ――洋榎手牌――

 {三四四五六八②②345中中(横中)}

 

(きたでーきたでー来てるでぇっ! これならリーチ必要ないやん、いやま、かけて誘ってもええんやけど……まぁ無難にいこか)

 

 ――洋榎/打{四}

 

 最後を決めるのに、これほど嫌な待ちは無いだろう。テンパイ気配はない、しかし見えていないドラから、嫌な予感はひしひしと伝わってくる。

 中盤まで、洋榎は頑なに役牌を停めていたのだ。

 

 それが――他家の眼にはどう映るだろう。

 

(浮いてるんやろ? 龍門渕。ここまで一度も振り込んで来なかったんや、最後にあんたのそれを打ちとって、全部終わりにしたろうや)

 

 洋榎が狙うは、ここまで一度として洋榎に放銃することのなかった相手、龍門渕――依田水穂。

 

 最後の最後に、洋榎は自身が認める、もっとも厄介な相手を射程に収めたのだ。

 

 張り詰める緊張の糸、弓の弦が振り絞られるかのように、その一瞬は長く、長く広がっていく。

 言葉がないのは当たり前だ、しかしそこから、音すらも掻き消えてしまったかのように、――奏者の消えたコンサートホールのように、そこは静まり返っていた。

 

 当然だ、そこにある弾き手は、客を楽しませるためではなく、湧かせるためにいるのだから。

 

(他家に和了られたからか、龍門渕の奴は配牌が少しばかり微妙な状態だった。そしてこれは、ストレートなツモの良さによる、歪みを生む)

 

 水穂のツモは、いまださほど調子を落としてはいないだろう。手牌が悪ければ悪いほど、有効牌を引くごとに水穂は調子を取り戻していく。

 そんな真っ直ぐさが、今この瞬間は仇となる。

 

(結果が、手牌に牌が浮いたまま良型にテンパイが進むこと――理牌の感じからみて……手牌はこんなかんじに鳴っとるやろ)

 

 ――水穂手牌――

 {一二三四七③④⑤⑤⑤⑦⑧⑨}

 

(これやったら、どこを引こうとも{七}が浮く、あんたは空中へ磔にされたってわけや)

 

 ――さぁ、と意識の上で目を細める。それが感情として表層に顕されることはまったくないが、それでも。

 洋榎は一瞬に意識を研ぎ澄ませ、それを鋭利な刃物に変えていく。

 

 ただ一点を穿つのだ。

 

 己が決めつけた、勝敗の結果だけを矛にして。

 

(…………こい!)

 

 ――真正面から向かい遭う両名は、さながら夜桜に映える決闘者といったかのような、風情であった。

 

 そうしてそれは、ただ伯仲の拮抗のまま――雌雄を決することとなる。

 

 

(――できた)

 

 ――水穂手牌――

 {一二三四七③④⑤⑤⑤⑦⑧⑨(横②)}

 

(当然、これは{七}を切っていくべきなんだけど……直前の姫松{四}切りが嫌な感じだな。黙聴でこっちを誘ってるって感じがする)

 

 ならば、と水穂が手にしたのは現物の{四}、これであれば間違い無く洋榎に振り込むことはなく、テンパイに取れる。{一}はヤオチューで危ないし、{七}は手牌から完全に浮いているように思えてならない。

 

 ――手に{四}を収め、しかしそこで水穂は手を止める。

 

(……いや)

 

 ――この時水穂は、ただこの打牌を終えようとしていた。形テンでのダマ、そのまま{七}が飛び出せば万々歳。

 だが、それだけで果たして、このては済ませていいものか?

 

(違うね――そんなはず、無いじゃない)

 

 ただ終わらせる。それでいいはずがない。

 

 わかっているのだ。こうしてここまで来て、水穂が手にしたのは、たんなる弱さではないことくらい。

 

(多分、私は昔と比べれば、見違えるほど強くなった。それこそ、過去を取り戻して、麻雀を楽しいと思えるようになった今でも、楽しくなかった時のように、打っている位!)

 

 楽しいからこそ、勝ちたいとおもう。負けたくないから、と思って闘うよりも、勝ったほうが楽しいからと――麻雀を打つ。

 それが、どれだけ水穂には難しいことであったか、今でもそれは――心の楔となって水穂の中に残っている。

 

 だが、

 

(さぁ……)

 

 だからこそ、そこに新たな自分を付けて加える。

 

 

「――リーチ!」

 

 

(勝ちに行こうじゃないか…………全力で、サァッッ!!)

 

 水穂/打{四}

 

 たたきつけられた牌、水穂のリー棒を叩きつけた水穂の右手が、自身の髪を伴って大きく広がる。

 ただ意思だけを込めた瞳が、彼女の後につながった。

 

 

 ――そんな水穂の様子を見て、洋榎は少しだけ意外そうにしてから、こんどこそ表情に笑みを浮かべて、それと相対する。

 

(おもろいやん。――なんや、一年前よりも、ちょっと素直になっとるやん)

 

 今までの水穂は、きっと技術が彼女を縛り付けていたのだろう。手に入れた研磨の結果が、足枷となり、正解以外を選べなかった。

 だがこの一瞬は、それ以上の意味をきっと持っている。

 

 水穂のリーチ。

 

 勝敗はほぼ見えた。

 

 それでも洋榎は――負けたくないと、純粋に思う。

 

(このリーチで場が動いた。どちらにせよ、まだ{七}が出れば和了れる公算は……残ってる!)

 

 ――洋榎/自摸切り{中}

 

 ツモは、不発。暗槓を仕掛けることもできたが、今のドラは間違いなく水穂の味方だ。単なるチカラのない一雀士に、それが微笑むとは思えない。

 

 ――だから、出和了りに頼った。

 この一巡、早海――彼女は現物を落とした――もしくは良美の打牌で、安牌が出れば――――

 

 ――良美/打{發}

 

 すでに一枚キレ、更にドラ表示牌として顕になっている{發}を落とした。現物ではないが、それは正解だ。

 確実に水穂と洋榎のテンパイをすり抜ける事ができる。

 

 そうして、最後――水穂のツモだ。

 

 洋榎はそっと手牌を倒した。もうこの対局は見えている。勝敗も、決着も、その後に残る余韻も――そして

 ――桜並木の夜の元、洋榎と水穂は、一合として打ち合うことはなく、単純に、意地と意地だけをぶつけあって――一つの対局に幕を下ろした。

 

 勢いを伴った水穂の右手が奮われる。

 

 

「…………ツモッッ!」

 

 

 ――一発ツモ、リーチをかけて、これで三翻。

 

「――1000ッ! 2000ッッ!!」

 

 爆発のような激しく響き渡る咆哮を伴って、水穂が、牌を左側へと叩きつけた。――裏はない、乗ることもなく、半荘は――――終わった。

 

 長い、長い――空色をふんだんに散りばめた、意思と意思のせめぎあいが、やがて過去へとかわって、溶けて沈んだ。

 

 

 ♪

 

 

『中堅戦、決着――ッ! 激しい戦いの末、収支トップは姫松高校、愛宕洋榎! 獅子奮迅の活躍を見せつけました!』

 

 ――愛宕洋榎:三年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――98300――

 

 立ち上がり、その風体は威風堂々、あくまで勝者らしい足取りだ。しかし、どこか顔には不満が残る。稼ぎきれなかったこと。同格の相手を打ち倒すのではなく上回ることしかできなかったこと――課題の残る対局だった。

 

『宮守女子、五日市早海はなんとかとどまった、というところでしょうか。晩成高校の佐々岡良美も含め、厳しい表情を浮かべています』

 

 早海も、そして良美も、この対局の敗者だ。一切合切、なんの言い訳も通用しないほど、完膚なきまでに――彼女たちは負けた。

 だからこそ、次に対する再起が、許されてはいるのだが。

 

 ――佐々岡良美:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――92100――

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――104700――

 

 ――そして、

 

『二回戦次鋒戦での、大きな失点を取り返し、再びトップにたったのは――龍門渕高校ッ! 収支差では一つ及びませんでしたが、それでもトップの座を奪還、強さを見せつけています!』

 

 依田水穂は、どこか満足していないという様相で、しかし納得はしているという様子で――対局室を、後にした。

 

 ――依田水穂:三年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――104900――




中堅戦は勢いのまま流れて終了。
ちなみにキンクリ部分だと割りと他の二校も稼いでますが、それでもプラス収支には及びませんしキンクリ部分なのです、キンクリ部分なのです。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。