咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『全世界治水』副将②

 ――南一局一本場、親漫――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 状況は未だ漫の一方的な展開が続いている。通常であればすでに東一局で半荘の決着が付いているような状況で、それでも少女たちはなんとか漫に追いすがろうとしていた。

 

(四万点差かぁ……ちょっとまずいかも、ね)

 

 ここから逆転しようにも、胡桃が和了るよりもはやく、漫はそれよりも高い打点で和了っていくのだ。止まらない――止められない。いかにしようにも、それがなんの意味もなさなくなってしまうのだ。

 

(連荘で手が付けられなくなるようなバカヅキっていうのは、個人的に一番相手したくないタイプかな。自分が安全圏にいるならともかく、ね)

 

 宮守でも、バカヅキを相手にするのは苦労した。二位で終わって良い麻雀というのは、なかなか限定されているもので、大概はラスを回避しつつ、トップを目指すような麻雀が平時の胡桃たちの麻雀だ。

 

(特に塞や早海先輩は、自分がバカヅキ状態になったら、他家に追いつかせないタイプのチカラを持ってるから、ほんとに、ね)

 

 そんな風に、苦手意識を感じる相手の、特に厄介な例と胡桃は対峙しているのだ。嘆息の一つも、億劫という感情も浮かばなければ人間ではない。

 ――だが、同時に、こうも思う。

 

(面倒だけど、ここは勝つために戦う場所だしね。それならまぁ)

 

 手牌、そしてその先にある漫の姿。どこか所在無さげでこそあれ、自信は十分に蓄えているようである。自分のツキが、強さであるという自負。ただ勝つのではない、勝って勝って、勝ち尽くすのがチカラなのだ――と。

 それを対して、自分はどうだ? そんな彼女に、一体何の感情を浮かべる? ――決まりきったことだ。

 

(――負けたくない、よね?)

 

 ――胡桃手牌――

 {二三三四八九⑦⑦678北北(横⑧)}

 

 手を進めるにあたって、警戒すべきは漫だけではない。これが先鋒戦であれば、その後に続く四人のレギュラーでの挽回が期待できるがために、期待をするために、共闘という形で漫を抑えることもあるかもしれない。

 しかし今は副将戦、万が一に起爆してしまった上重漫という爆弾は、自分自身の手で処理しなければならなくなる。

 

 問題は、そこだ。――このあとに控えているのは大将ただ一人、そしてその大将が、全幅の信頼をおける人物であるか。無論胡桃は当然だと、頷いて答えるのだが。

 

 もしそれができない場合、副将として座るものはどうだろう。焦りを覚えてしかたがないはずだ。その上で、考える。――この場において戦う人物が、果たしてそれをせずに、座して待つだけの器があるか、どうか。

 

 となれば自然と、四者の戦いは明暗を分けることとなる。精神を強く持つか、魂を気高く持つか、はたまた、散って無残に、消え去っていくか。

 

 胡桃/打{九}

 

(ま、関係ないといえば関係ないか。少なくともここにいるのは全員守りに長けた雀士、それこそ東発のアレみたいな事故でもない限り、自分の麻雀が揺らぐことはない)

 

 胡桃/ツモ{⑥}・打{⑦}

 

 だからこそ、それはつまり、その振込をした龍門渕の副将は、自分自身を揺らがせるほどの衝撃を受けているはずなのだ。

 

(そういう意味では、私が挑むべき相手は二人……このままそっくり、沈んでもらうよ!)

 

 ――胡桃/ツモ{六}

 

(……テンパイ!)

 

 嵌張とはいえ、三色が確定した良いテンパイだ。ドラが付く以上、リーチをかけずとも三翻は約束されるが、ここにリーチとツモ、裏で跳満にまで打点が引き上がる。

 もはや手変わりが期待できる手ではないだろう。だからこそ、だれだってこの手は真っ向からのリーチに打って出る、はずなのだ。それこそ心が折れていない限り――否、心の消耗による焦りがあれば、むしろリーチこそが正しい姿なのだが。

 

(さぁ……行くよ!)

 

 卓上の牌がうごめく。

 リーチ――牌を曲げるという行為は、整然とならんだ河の列を捻じ曲げる(・・・・・)ただひとつの行為、それほどまでに、他家にとっても、自分自身にとっても、特別なはずの行為。

 

 それを、

 

 胡桃は――打牌に伴わず、切り捨てる。

 

 ――胡桃/打{三}

 

 ダマテン。迷うことなく。胡桃はそれを選択した。――胡桃なりの闘牌スタイル。それこそが同時に、強さにもなる。

 

(別に誰がどう列を乱そうが知らないけどさ、私は違う)

 

 クスリと、笑む。それは彼女の平常に近い笑みだ。あくまでそれが彼女の雀風であることの証左。だれにも曲げられない、信念であることの、裏付け。

 

(私はただ――黙して征くのみ、だよ)

 

 まっすぐと睨みつけた先、卓上の同卓者たち。それぞれがそれぞれの意思を浮かべて、それぞれが思うがままに牌を切り出す。――捨て牌の乱れをとってもそうだ。あくまで彼女たちには、彼女たち一人ひとりの個性がある。

 胡桃は意図してそれを薄く隠して――卓に座っている。誰かが同時に、そうであるように。

 

 しかし、それとは真逆のスタイルを持つものも、いる。

 

 ――動きがあったのは、それから二巡後。だれもが予想し得なかった場所からの、一撃。

 

「――リーチ!」

 

 それはまさしく、龍門渕透華のものだった。

 しかし、彼女はあくまで現状、たんなる苦境にあるだけにすぎない。彼女の存在が、異様に映るのはそこではないのだ。

 

「――ッ」

 

 胡桃の耳に、誰かが息を呑む音が聞こえた。――上重漫だ。その表情を見れば、すぐに分かる。その上で胡桃も、どこか驚愕に染められた発汗を、抑えられずにいた。

 

(――嘘、まだ死んでないの?)

 

 ――龍門渕透華は笑っている(・・・・・)。それは単純な歓喜ではない。あくまで敵対者の命を狩るものとして、その狩猟に喜びを浮かべるもの。

 つまり、満面の敵意を、自信の裏付けによって表したもの――!

 

(点差はもう、十万点もある! 二位の私とくらべても、五万点――それをちっとも、苦に思っていないっていうの!?)

 

 一体なんだというのだ、心中の奥底で、それを繰り返すように思考する。

 胡桃とてそうだ。圧倒的な点差に、止められない連荘――それでもまったく胡桃は引くつもりもない。だからこそ、それと同等の場所に、透華がいることへの驚愕を、止められずにいる。

 

 胡桃の立ち位置は、行ってしまえば安全圏、トップの姫松には及ばずとも、他家とは点差を開いた状況。それを胡桃は、これまでのチームメイト三人がつないだ積み重ね、そして自分自身の強さであると自負している。――しかし、透華には今、それが全くないはずなのだ。

 

 それまでの龍門渕の奮闘、トップという立場は突如として現れた三倍満の暴風によって吹き飛ばされた。今の透華に、果たしてなんの支えがあるだろう。あるはずがないのだ。

 

(それなのに、笑ってる! あくまで勝つつもりで! あくまで戦うつもりで――!)

 

 打牌――漫は押し、百江はオリて、胡桃は安牌を自摸って切った。――そして最後、透華のツモが、卓上にひらめく。――それを意地だと、胡桃は思った。

 

(……ッ!)

 

 それこそ漫のように、こんどこそ言葉が胡桃の口から漏れそうになった。――それでもそれをしなかったのは、胡桃の中に、驚愕以上の感情が生まれて差し止めたからだ。

 

 

「――ツモ! ですわ!」

 

 

 ――透華手牌――

 {二二二六七八⑧⑨567西西横⑦}

 

 ――ドラ表示牌:{⑥} 裏ドラ表示牌:{南}

 

「――3100、6100! これまでの借りも合わせて、ここできっちり返してもらいますわよ――!」

 

・龍門渕『69500』(+12300)

 ↑

・姫松 『148200』(-6100)

・宮守 『105900』(-3100)

・晩成 『79500』(-3100)

 

(――――強い!)

 

 威風堂々、自分自身の言葉をはっきり示す透華に、胡桃は純粋な思いを抱いた。それは強さ、――単なる雀士としての雀力、というだけではない。

 それは確かにある。おそらくこの中で、もっとも尖らず、麻雀が巧いのは間違いなく龍門渕透華だ。――しかし、それだけが彼女の強さではない。

 

 そこに伴う、自負。あくまで強者として振る舞う態度と、カリスマ。それが透華の、強さとなるのだ。

 

(まだ、折れないんだ。――前言撤回、やっぱりこの人は私の敵じゃない。……ただ倒すだけじゃ物足りない! 完全に超えるべき、壁だ――!)

 

 それは透華の意思だけではない。その場にある者達を、闘争へと駆り立てる絶対的な挑発、避け得ないほどの衝撃を伴って行われる、宣戦布告だ――

 

 

 ――南二局、親透華――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

 透華の背中は、いつもより小さく思えた。先ほどの跳満でも、完全に他家との点差が縮まったわけではない。少なくとも晩成は射程圏内へと捉えたが、それでも晩成は三位、勝ち抜けのためには最低でも、二位宮守を射程に収めなければならないのだ。

 

 ――ぶるりと、背中が震えた。

 まるで何かをこらえるように、そっと。小さく、一度だけ震わせた。――その正体に気づいてすぐ、それを抑えた。いともたやすく、抑えてみせた。

 

 周囲から見れば、今の自分はどう見えるだろう。乏しいだろうか、奥ゆかしいだろうか、それとも――

 

 だが、きっとどれも違うだろう。彼女たちは透華を知らない。だからこそ、今の透華はきっと、見知らぬ誰かには、弱く震えて見えるだろう。

 事実透華は震えている。

 

 体中から湧き上がる感覚に、そっと震えて、それを必死に隠そうとしている。――それは少しだけ赤らめたような頬からもすぐに解った。

 

 だが、違う。

 

 透華が浮かべているのは、誰もが思い描くような不和ではない。

 そう、

 

(――私、大、ピン、チ! ですわっ!)

 

 ――――歓喜。強敵との対局に打ち震える、絶頂。龍門渕透華という少女は、とことん行き果てたほどの上昇志向を持つ少女、物事は自分自身が目立ってなんぼ、我をはれば、それだけ敵の枚挙にいとまがなくなる。

 それくらい、とにかく直線的な少女であった。

 

(だれもが龍門渕の勝ちを絶望的だとみる。実際冷静な私は、衣ですら一位抜けは難しいと考えている。――ですが、今の私に、そんなことはまったくまったく無関係! ノープロブレム! 心配無用、ですわ!)

 

 その思考はつまり、衣であれば二位抜けは当然、とも考えているのだが、だからこそ――好き勝手に透華は振る舞うことができるのだ。

 

(さぁ、私から目を背けたことを後悔させるくらい、思いっっきり、目立ってやりますわよ!)

 

 ――透華手牌――

 {二三四②③④⑤⑥33488} {(ili)}

 

 意気込んだ直後、ここに来てのテンパイである。完全イーシャンテンの状況から、両面での待ちは確定的であったが、とかくそのツモの中で、特に最悪といえる引きだ。

 

(むむむ、理想的なタンピンに三色がついたはずですのに、まぁでもテンパイはテンパイ、ここから私の覇道がスタートするのですわ)

 

 ――透華手牌――

 {二三四①②③④⑤⑥3lil()488}

 

(ここで考えるべきは牌を曲げるかどうか、――通常であればここはヤミで手変わりを待つべきですわ。{⑦}を引けばで出和了りでも高め跳満が確定、鉄板リーチですし、現状私は親、ただリーチをかければ出和了りが期待できなくなる。ツモで打点が望めるくらいの待ちを選ぶべきですわ!)

 

 リーチに対し、見返りのある手、タンヤオに、三色とドラ、それがついて初めて勝負にもって行けるレベルの手だ。現状は連荘のためなら、テンパイでも十分なわけだし、ダマテンであれば出和了りも期待できる。さすがに手牌読みの鋭い宮守ならともかく、ただ防御に特化しているだけの、晩成辺りなら安牌の有無によっては十分狙える。

 そもそも透華のデジタルはネット麻雀を基礎に積み上げられたもの、ネット麻雀は相手を問わず半荘を行い、相手の癖よりも自分の打ち方というものを重視する打ち方をする。

 だからこそ、ダマテンは誰かが出すかもしれない、リーチはだれも出さないだろう、という考えで、麻雀を打つべきなのだ。――しかし、

 

(それでも、それでも今の私ならば、ここはこれ一択――)

 

 

「――リーチですわぁっ!!」

 

 

 胡桃が少し驚いたようにして、百江が面倒そうにして、漫が覚悟を決めているようで――三者がそれぞれ全く違う反応を見せる。それに対抗するのは透華の笑み、先ほどと同じ――前局の跳満と同一の――攻める視線で周囲を威嚇する。

 

(晩成が出さずとも、姫松は絶対に追いかけてくる――だったら、それを狙ってこちらから打って出るのも一興。そもそも状況に――消極的な選択は必要ない!)

 

 漫だけが脂っこい打牌を吐き出して、他はベタオリ、――想定通りの状況だ。そして漫の打牌も、おそらくそれなりに安全マージンを確保してのものだろう、無筋のものではない。

 

(それに――)

 

 そうして、自身のツモ、いちどぐっとうでを握りこみ、そうしてから引き絞って放つ。――解き放たれたそれは、勢い良く卓上を滑空し、牌を掴んだ。

 振り上げる。

 振り下ろす。ただそれだけの一工程に、透華はまんべんなくチカラを込めた。

 

 勝利の確信も、また、込めた。

 

 

「――ツモ!」

 

 

(こういうことだって、十分あり得ることでしてよ?)

 

 ――ぐっ、と。今度は三者一様に、苦々し気な表情を吐き出した。一発ツモ、これほど心臓に悪く、衝撃的なツモもない。

 そしてその上で、透華はすぐさまドラ表示牌を掴んで自身の手元へとたぐり寄せる。そして――

 

「メンピン一発ツモ、――裏裏!」

 

 ――裏ドラ表示牌「{7}」

 

 

「――6000オール!」

 

 

 透華の声は、そうして広く、なおかつ強く、響き渡った――

 

・龍門渕『87500』(+18000)

 ↑

・姫松 『142200』(-6000)

・宮守 『99900』(-6000)

・晩成 『70400』(-6000)

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

 

「はっはー、相変わらず、透華のやつマジでかっこいいな」

 

「まさしくねー、県予選決勝以来かな?」

 

 ――楽しげに持ち込んだケバブをかきこみながらつぶやく純に、水穂はカラカラと笑いながら同意する。全員が今の状況を、絶対的な窮地をものともしていない。

 ただ一人、瀬々だけは顔をうつむかせたまま微動だにしていないが。

 

 それに気がつく様子はなく、一が軽くジュースをストローで吸い上げながらつぶやく。冷房によって夏の暑さから開放された室内に、極限まで冷やされた糖分は、事の他ご褒美のように思えた、

 

「やっぱり透華はすごいね、こんな状況になれば、ボクだったら心折れてるよ」

 

「……実際、一度折れた」

 

 智樹の言葉、それは先程の参上を見なおした上での追撃であった。事実後半戦終盤は、もはや完全に、一は和了を諦めていた。まぁそも、絶不調の状態から勝利しようというのは、衣か瀬々出なければ不可能なことであろうし、瀬々でも難しいだろうが、とかく。

 

「いやいや、インハイ第二回戦と言えば日本中の強豪がついに顔を合わせる最初の場、ひとつの壁だよ? そこの場で不調の状況、六万点レベルの失点は覚悟しなきゃね」

 

 覚えがあるのだろうか、水穂が嘆息気味につぶやく。現状対局室に身をおくのは透華であるが、彼女が問題なく戦えている以上、話題は別の問題に移っていくのはさしておかしくはないことではある。

 が、さすがにこのままフォロー合戦になってもしょうがないだろうと、水穂はすぐさま話題を転換させる。

 

「それにしても透華ってば、随分“ブレ”たねぇ」

 

「そういえば、そうだな。透華のやつ、また随分と派手に宣戦布告をかますものだ」

 

 ここまで無言でモニターに食らいついていた衣が、ふと気がついたようにそこで会話の輪に加わってくる。

 

「ってもよー、あの状況だったら俺ならすぐにでもリーチかけるぜ? そこまでおかしいか?」

 

 ――少なくとも、そのリーチで他家を威嚇するというには十分意味がある。そのほうが流れを引き込みやすいからな――純はそういった。同時に透華は、素でそれをしている――とも。

 

 とはいえそれはおいておくにしても、通常の目線で考えれば、透華のリーチはかけるかけないで正解はないだろう。ダマでも和了れるとはいえたかだか千五百点、打点をその程度で終わらせる意味は薄い。

 

「まぁ、純くんの例は特別だけど、リーチすることがさほどデジタル的におかしいとは思わないな。智樹はどう?」

 

「私は……? ……多分、かけない」

 

 おそらく瀬々はかけるだろう、少なくともテンパイの時点でリーチ一発はわかっているのだ。その後手変わりを待つよりも、まずは親ッパネを和了るとみていいだろう。

 逆に衣は、今透華が戦っている宮守の副将のように、徹底的にダマを好む、リーチはかけないに決まっている。

 

 それぞれの打ち方の事情こそあれ、リーチの是非は真っ二つに割れた。どちらが正解というわけではない、ということだ。ならば、なぜ透華のリーチは“ブレ”であるのか。

 そこに話題の焦点が当たる。――答えたのは水穂だ。衣も理解しているが、彼女がオカルトの“根本”以外を語るのは、いささか違和感が拭い切れない。

 

「んー、透華的には、あそこはリーチじゃないんだよね。だってさ、ソッチのほうが安全だから」

 

 ――オリるにしろ、攻めるにしろ、リーチをかければその後{④}か{⑦}を引いたところで三色の形になることはない。更に{⑦}はドラ、自摸切りすれば振り込む可能性とて、ある。

 それを無視した上で、最善であるのは間違いなく、いつでも柔和に手を変化させられるダマテンのほうが確実だ。

 

 それだというのに、透華はリーチを仕掛けた。この理由も、水穂が端的に語った。

 

「――でも、透華はリーチをかけた。これってさぁ、完全に―――ノリだけでリーチかけてるよね」

 

「あー」

 

 一が納得したというようになんとも言えない声音を漏らす。それは透華に拾われて以来、あらゆる見地から透華を眺めてきたことによる、人生最大級の“納得”だった。

 もしも瀬々が、顔をうつむかせて黙りこくり、会話の輪に入っていれば、同じように反応していたことだろう。

 

「けどよぉ、それが透華のいいところでもあるんだぜ」

 

「……そういえば、そう」

 

 そこに加わるのは純と、智樹。どちらも龍門渕のデータ班――端的に言えば、もっともデータの中でチームメイトたちと関わってきたものの言葉である。

 

「ほうほう、それはそれは、透華の癇癪はある意味透華の美点ではあるが、それは麻雀にも作用するのか? 奇怪なり!」

 

 楽しそうにうさみみ型のようなリボン揺らして、楽しそうに衣が問いかける。

 

「っつーよりも、その透華の癇癪――病気がそっくりそのまま、麻雀でも披露されてるんだよ」

 

 龍門渕透華は、令嬢らしく、理知的で、そしてなおかつ人を引き寄せるカリスマがある。しかし同時に、気象こそさほど荒いものではないものの、とにかく目立ちたがりであるという困った特徴がある。

 それによる雀風のブレに大きく現れる。今回のように水穂が語った――ただ勢いだけでかけたリーチ、それが透華のスタイルを大きく特徴付けているのだ。

 

「んで、過去のデータ……透華は水穂先輩の次に牌譜が多いからな、資料には事欠かないんだけどよ、それを見る限り、透華ってこういうブレが大会とかの衆目の場になると途端に出てくるるんだよ。――しかも、透華のやつはかなり本番に強い。成績がひとつ上のランクにあがるとみていいな」

 

 ――自分が目立つためならば、雀力すら強化させる女、それが龍門渕透華である。

 さすがに今回窮地に陥っているように、周囲がそれに合わせるという事はないし、うっかりが招いた不運により、散っていくこともあるのだが。

 

「あー、昔大会で透華と初めて同卓した時に、恐ろしく強いけど荒い打ち手だな、って思ってたんだよね。で、高校に入って初めて透華と対局した時に驚いた、すごく冷静で堅い打ち手なんだもの、一体空白の期間になにがあったの――? みたいな。まぁその後大会でまた似たような打ち方しててそういうもんなんだなって納得したけどさ」

 

「……ちなみに、どっちのほうが強かった?」

 

 衣の問い、純粋な興味というようすで、瞳を覗きこむようにしながら目を輝かせている。別にそれ自体が難しい問いではないのだが、まっすぐで純真無垢な視線というのは、俗世を生きる人間にはどこか居心地が悪いものだ。

 水穂もそれは同じようで、頬をぽりぽりと掻きながら視線を泳がせ――

 

「んー、どっちもって言えばそうなんだけど、個人的に参考になるのはいつもの打ち方で、負けてる時に期待しちゃうのが今やってるような打ち方、かな?」

 

「水穂の眼から見ても透華は強いか! 透華は衣たちの中で特に厄介な類の雀士だからな、さもありなん」

 

 衣の言葉に、ふと違和感を覚えながら水穂はそれに意識を向ける。透華は衣や瀬々のような、特別な雀士では決してないはずだ。とはいえ衣も瀬々も、時折であればトップ以外の位置に立つこともあるし、その大部分が水穂と、そして何より透華であることは間違いようもない事実ではあるが。

 

 話の内容が、右へそれ、左へそれ、ぐらぐらと何とも言えないブレを見せながらも進行していく。

 それこそいくら横へずれても、ひたすら真っすぐに前を征く、透華のような話の進みは、今の対局が会話の中にあらずとも、透華の背を、後押ししているかのように思えた。

 

 

 そんな折、その会話に一切加わることのなかった瀬々が――ようやくふと、顔を上げた。

 

 

 その顔は不安に揺れているか――といえばそうではない。眼を何処かとろんとさせて潤ませて、心ここにあらずといった様子で頬を赤らませている。普段の勝気な様子からは全く読み取れないほど艶美で、なんとも言えない色気をただ夜はせてはいるが、そうでもない。

 口元からは、少しばかりのよだれが出ていた。つまるところ、寝ぼけ眼というやつである。

 

 そんな彼女がふと、モニターの向こうに気がついたように意識を向けたのである。

 

「あー」

 

 おぼつかない声で、一つ声音を伴った吐息を漏らし、そして――

 

 

「…………やくまん?」

 

 

 いつもより数段に甘ったるい声で、そんなふうに言葉を漏らした。

 

 会話の続く室内は――それでしんと、静まり返った。

 

「……何?」

 

 思わず眉をひそめて衣が言葉を口ずさむものの、瀬々はそれに返さない。もとよりぼーっとした意識は覚醒に向かうことなく、完全にソファーに体をうずめて、こくりと首をかしげてしまった。

 半目を何とか開かせているものの、寝息を立てるのも時間の問題だろう。

 

「――おいおいおいおいおいおい、ちょっとまてちょっとまて、そいつはちょっとまてよおい!」

 

 その時だった。モニターに意識を向けた純が、瀬々の言葉の意味に、行き着いたのである。そこでは――上重漫が打牌を行なっていた。

 

 ――漫手牌――

 {二三三八八八77799北北(横三)}

 

「え? また?」

 

「二回目……」

 

 一がきょとんとした様子でつぶやき、それに智樹が追従する。ありえないという様子は、すぐさま控え室内に広がった。――それもそのはず、先程まで漫の手牌は典型的な七対子一向聴だったのである。それが三巡、まったくのムダヅモなしでここに至った。

 まさしく気がつけば、そんな速度でのテンパイである。

 

「……まずいな」

 

 衣のつぶやき、その意味は即座に知れ渡る。つまるところ、この時点で漫の待ちは四枚――

 

「全山、いつ引いてもおかしくないね」

 

 一枚も他家にわたってはいない。他家は漫の当たり牌を、つかむ様子はない。その上今は、まだ六巡目だ。

 

 

 当然、漫はそれをつかむ機会は、いくらでもあり――――

 

 

「…………ツ、ツモォォ!」

 

 

 目一杯チカラを込めた、漫の叫びが――響き渡った。

 

 

 ♪

 

 

『前半戦、終了――ッ!』

 

 実況者の声が、異様に激しく響き渡った。それもそうだろう、この副将戦は第二回戦屈指の荒れ場、対局の中身は、見るも無残としか言い用のないものである。

 

 

 ――上重漫:一年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――164200――

 

 

 トップは当然姫松高校、今年の副将戦最大獲得素点を大きく更新しての半荘折り返しである。

 

 ――鹿倉胡桃:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――95900――

 

 その後に続くのが宮守女子、二位でのスタートをギリギリの位置まで守りながら、収支はほぼギリギリでのマイナス、収支でも、総合順位でも二位の位置につけている。

 

 ――小林百江:三年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――70400――

 

 この半荘、特にいいところのなかった小林百江、及び晩成高校は三位、しかし最悪の状況でも奮闘した龍門渕と比べ、こちらはなんとか二度の和了で焼き鳥を回避しただけ、いくら守りに特化しているとはいえ、いささか不甲斐ない結果といえる。

 

 ――龍門渕透華:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――69500――

 

 それとは対照的に、この半荘中、獅子奮迅と言える活躍をして、それでもなお収支ラスの結果に終わったのが龍門渕透華だ。三度の和了で稼いだ実に四万点近い点棒は、しかし完全な事故による放銃と二度の親被り、その他ツモアガリでマイナス収支、傍目からみても同情以外のことができないほどの、不運であった。

 ――しかし、当の彼女は至って冷静だ。

 

 

 ――否、冷静すぎるほどだ。

 

 

「――、」

 

 対局終了後、一つ小さな礼をしたまま、彼女はまったく感情を浮かべない顔のまま、完全に黙りこくってしまった。まるで凍てつく氷の女王がごとく、といったところだ。

 

 モニター越しに見ても、異様であることがすぐさま伝わってくるほどに――

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

 

「来たか――!」

 

 衣の表情が、いつもよりもいささか凶暴な貌を見せる。さながら魔物を宿すかのようなそれは、ある種歓喜にウチ震えているかのように思えた。

 先ほどの透華とはまた違うが、これもまた笑みによる威嚇といった風情に近い。

 

 

 ――そして、その時だった。

 

 

 先程まで目を開けて履いたものの、完全に意識を飛ばしていた瀬々が、この時一瞬だけその意識を覚醒した。こくりと首を落とした先――隣に座る衣の顔が、かすれた視界のなかで、異様なほど鮮明に写った。

 

(――あ、)

 

 嘆息、思考の芸術品に見惚れるかのようなそれは、目前の少女に対する刹那の瀬々の感情を、端的に表したものだった。

 

 かつて、瀬々の横を通り過ぎていった衣、その時見せた――人ではないかのような出で立ち。今は手の届く位置に、隣に座る少女は、あの時のように、どこか神秘的な風情を持っている。

 それこそ意思というものが気迫になった、眠り姫たる瀬々の感情を、完全に支配してしまうほどに。

 

(きれい、だな)

 

 ことばにできないほど、脆弱な意識をまどろみにゆだねながら、瀬々は自分の中に生まれた感情を感じ取る。――どこか懐かしさを覚えるような、どうしようもない愛しさを、理解しきれないまま――瀬々は意識をヤミの中へと沈めていった。




割りと精神的な要素が重要な咲世界だと違和感のない話だと思います。

PS.ちょっと試験的な試みもしてます。

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