咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『黒に染まる月を知る』大将戦①

 長かった半荘十回のメドレー、四者総勢十六名、少女の思いと、そこから紡がれる、打牌の右手。

 先鋒戦を開始する頃には、アレだけ高かった陽の光も、やがて天辺から、斜陽へと堕ちていく、残されたのは、空の熱気と、人の覇気。

 

 日がな人々を、そして大地を照らし続けてきた太陽の熱は未だ衰えることはなく、大地にこもった熱として放射されている。それは現代特有の、世界の病がごときものではあったが、月が空を満たそうと、夜が世界を覆おうと、冷めやらない観客の熱狂を評するにはもっとも的確であるように思えてならない。

 

「……もう夜かぁ」

 

 そんなインターハイ会場を、悠然と歩くものが一人、彼女は人気を避けるように、ガラス張りの廊下をたったひとりで闊歩していた。

 だがそれも、延々と続いていくものではない、後一歩でしきりによって外界が遮られようかというところ、少女はふと、足を止めた。軽く体を翻し、ガラスの外、月の浮かぶ空を見上げる。

 

 特徴的な白髪に、スラリとした体躯、彼女はこのインターハイ出場選手の一人であり、その制服は――宮守女子の夏服だ。彼女の顔には、どこか億劫を交えた鬱屈さが見られる。

 宮守随一の面倒くさがり、それが彼女の性分である。

 

「――――だるいなぁ」

 

 ――小瀬川白望:二年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――104100――

 

 都会の夜は明かりを失うことはなく、そこから星々を垣間見ることはない。とはいえ、それが宇宙の雄、月光にまでまたがるかといえば、そんなことはないだろう。

 幽玄の空には、変わらず月が浮かんでいて、それは白望のすべてを見透かすように、深く、そしてどこまでも輝いて見えるのだ。

 

 手を伸ばしてみようか、なんとはなしにそう考えて、ふと白望はうでを伸ばしかけ、生来の面倒くさがりと、ひとつの思い直しからそれを引っ込めた。

 必要がないのだ。

 

「まぁ、また伸ばせばいいか」

 

 ――あとでもいい、もう少しすれば、そこに月はある。今ここで月に意味のない挑戦をする必要はない。もうすぐそこに、月の化身が、金色の少女が現れるのだから。

 考えて、あらためてダルそうに嘆息をもらしながら、白望はゆっくり歩を、前へと進める――

 

 

 ♪

 

 

「おっつかれさーん」

 

 赤路蘭子の明朗な声が響いた。姫松控え室から対局室へと続く長い廊下のおおよそ中間辺りで、副将である上重漫が少しばかり微妙な表情で帰還したのだ。

 肩辺りまで伸びた茶色がかったセミロングを揺らしながらハニカム蘭子と、若干気後れしたような二本おさげの上重漫。

 

「あ、お疲れ様でーす」

 

「どうしたん? きっちり終始トップで、帰ってきたやん、おめでとさーん」

 

「え、いえでも、アレだけ在った点棒、結局最後まで残せませんでしたし」

 

 前半戦で稼いだ六万もの点棒は、しかし結局、終わってみれば数千点のプラスにしかならなかった。とはいえ本当に微差のようなものとはいえ、完全な一人浮きで終えているのだから、十分といえる。

 

「そんなんゆうて、もしも漫が爆発してへんかったら、あのバケモノさんの一人舞台やったかもしれへんで? 宮守の人みたいなこともできへんかったやろし」

 

「そりゃあ……」

 

 蘭子の言葉に、少しばかり考えて、すぐにそのイメージが浮かんだのだろう。そして同時に、自分自身の立ち位置がいかに危うかったかもしれた。

 

「とりあえず、後のことは私に任せてさ、漫は控え室でゆっくりしてなさいな、……あぁそれと」

 

 肩を軽くポンと叩いて、少し蘭子は漫とすれ違う。それから少し顔を振り向かせ、漫ともう一度目を合わせる。話を切り替えよう、ということらしい。

 

「赤坂代行、帰ってきたみたいやから、せっかくやし挨拶したってやぁー」

 

「え、あ、はい」

 

 漫がそうやって軽く頷いて、蘭子が振った手にお辞儀をして、それから勢い良く走りだしていった。それから蘭子は改めて前に体を向けると――あっけからんとした朗らかな笑みから、強烈な、獰猛な笑みえと表情を変質させる。

 

「――さて、頑張った後輩のねぎらいはこんなもんやろなぁ」

 

 瞳はまるで焔のように燃え、踏み出すのは爆発的な風圧を伴う。

 

「そいじゃまぁ、バケモノ退治と、いきましょかぁ……」

 

 ――赤路蘭子:三年――

 ――姫松高校(南大阪)――

 ――101500――

 

 響き渡る言葉は、だれにでもなく――自分の奥底へと、消えていくのだった。

 

 

 ♪

 

 

「ごめんねぇー」

 

 控え室の中、そうそうに帰還した小林百江が、両手を重ねて大将を務める小走やえに謝罪する。やえはいえ、と手を振ってから微笑むと、あくまで自然な声音でもって、それに答える。

 

「いえいえ、とても良く闘えていたと思います。小林先輩の闘牌スタイルを考えれば、あれが最善だったことは間違いないかと」

 

「そっかぁ、それはよかったよぉ」

 

「えぇまぁ、ですからここは、私が最後を決めてみせましょう。奈良の王者、晩成高校は、第二回戦を壁とするようなチームではない」

 

 ゆっくりとやえは立ち上がり、そしていう。

 

 

「――お見せしましょう、奈良の王者、その大将の打ち筋を――――ッ!」

 

 

 ――小走やえ:二年――

 ――晩成高校(奈良)――

 ――90700――

 

 ――そうして、舞台は大詰め、半荘メドレーのトリを務める大将が、対局室へと入室する。それぞれは自身の思いを心のなかへ秘め、睨み合って闘いの合図――そして最後の対局者を待つ。

 

 

 ――最後の対局者。この卓を支配するであろう、最強の魔物を、待つのだ。

 

 

「凝集ご苦労、はるばる遠路をよく来たものだ」

 

 

 対局室は、それまでの対局者、全十六名と、それからこの先闘う四者の思いを蓄えて、信じられないような熱気を保っていた。それはあの副将戦を終えた後でも変わらない。

 あくまでただ思いだけを載せ、ただ感情だけをかぶせ、そこにある。

 

 

 ――そんな対局室を、一瞬にして変貌させるものがいた。

 

 

 人の思いだとか、感情だとかは関係ない、それらが消し去られたのではない。それらを受けてなお、変質するほどにチカラが圧倒的すぎるのだ。

 だからこそ、そのチカラは他者を驚愕させるにとどまらない。――恐怖させるだけでも、まだ足りない。

 

「しかし……物見遊山はここまでだ」

 

 ――その少女は、ただそこに在るだけで、人に異常を植えつけた。

 

「此処から先は暗夜にこそ許された百鬼夜行――心してかかれよ、魑魅魍魎どもよ!」

 

 

 ――天江衣は、そんな気配を伴って、そこにただ、現れた。

 

 

 ――天江衣:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――103700――

 

「ひゅう、とんでもないなー」

 

 そうやって反応したのは、この場唯一の三年生、赤路蘭子だ。言葉の中身はそんな魔物、天江衣に対する反応。――しかしどうだろう、そこに果たして、言葉そのもののような、恐怖の以上の感覚は在っただろうか、――それは、否。断じて、否。

 

 少女たちはこの状況を、あくまで楽しんでいる。

 当たり前だ、衣のそれは異常であって、恐怖ではない。天江衣は彼女たちに牙を向けない、刃を向けるのだ。――人の感情を、魔物を御してなお悠然と在る、少女の剣を、振りかざしているのだ。

 

 それは挑戦状、真っ向から、人と人とがぶつかり合うことを、宣誓するもの――

 

 

「さぁ……死力を尽くして、遊ぼうではないか――――ッ!」

 

 

 そうやって、語る衣の言葉には、いなという返事はなかった。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:天江

 南家:小瀬川

 西家:小走

 北家:赤路

 

 順位

 一位宮守 :104100

 二位龍門渕:103700

 三位姫松 :100100

 四位晩成 :90700

 

 

 ――東一局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{九}」――

 

 

 粘りつくような場だと、誰かが思った。

 四名の雀士が放つ何がしかの感覚が、それぞれを捉えるために蠢き合って、それが空気を粘つかせていく。からみ合っていくようだよ、誰もが感じているところだった。

 

 とはいえ、それはそうそう動かせるようなものではない。

 傍若無人に振舞って、あらゆるものを切り裂いて、破壊し尽くしていければどれだけ良かっただろう。――不可能だ、そんなこと。この状況は、剣術の達人同士が睨み合う、そんな仕合によく似ている。

 

 動けば死ぬ、というような極端な状況ではないにしろ、一歩でも無様を晒せば、すぐさま他家全てに食い物にされてしまうような状況、ひとつの判断がそのままそっくり、ミスへつながるのだから一大事だ。

 

 ――蘭子手牌――

 {二三三七八九①②⑧⑧678(横東)}

 

(ドラの生牌、となるとここは……)

 

 ――衣手牌――

 {西9二發中白}

 

 衣の打牌は全て手出し、それならば、ここから見えてくる情報はおおい、そうそう簡単に{東}を切ることはできないという判断も、また。

 他家の打牌、それぞれ白望から{三}を、そしてやえからは{四}の手出しを見て思考する。

 

(可能性は多すぎるほどにある。せやから、ここで考慮すべき最も有効な道筋は、きっとこう)

 

 蘭子/打{三}

 

 それから、次巡、状況は思わぬ形で変質していく。

 

 白望/打{四}

 

 その打牌は、逡巡を持って放たれた。違和感を覚える蘭子の思考、可能性が、彼女に不和を告げるのだ。

 

(止められた? 理牌的には、多分手牌に加えたらへんは私の待ちになるねんな、多分{③}を掴んだんやと思うけど、第一打{①}から考えて、{②③④}は浮いてていらん牌やろなぁ)

 

 {④}を単騎で待っているのならともかく、ここでこの牌は不要牌、どうやら白望も、自分と同じように足を止めざるを得ないと判断したようだ。

 

 続く打牌は、{五}、塔子を落としてでも重ねるとなると、{③}の対子辺りが妥当か。

 ――ここまで、手を止めたのは白望と蘭子、しかし彼女たちのツモを置き去りにして、前に進むものはかならずいる。それは例えば、

 

 やえ/打{西}

 

 ――彼女のような、人間で。

 

(……それはちょっと、不用意やないかな?)

 

 それに対する反応は様々だ、蘭子はここで攻めれば出てくる可能性を考慮して、逆に白望はそれを考慮してなお、仕方ないというような顔をしていて。

 これはあくまで、方針の違いだ。攻めに及ぶなら、ここでこの牌は切らなくてはならないし、やえや白望はそれを仕方ないと判ずるのだろう。

 だから蘭子も、考えたことを、表情にまでは持ち込まない。

 

「――ポン」 {西横西西}

 

 たとえそれに、動いていくものがいようとも、仕方ないとは思わないし、憤慨をあらわにすることもない。むしろ――そこからの変化、そこに意識を向けていく。

 

「…………、」

 

 衣/打{③}

 

(なるほど、宮守の人は、これを鳴いて行くのかな?)

 

 宮守は――考えて、そして手を伸ばし、更に考える。手のひらを牌の上において、深々と座った席に体をうずめて考える。――そして一言、

 

「ちょいタンマ」

 

 それから、数秒。

 黙して、沈黙だけが世界を支配して、

 

 白望は観念したように、手牌から、山の自摸へと手を動かした。鳴くことはなく、新たに牌を掴みに行く。

 それから、打牌、合わせ打つように{③}を放った。

 

 更にやえの安牌自摸切りを挟んで――

 

 蘭子/ツモ{西}

 

(あぁ、こりゃなかないのが正解やね)

 

 蘭子/打{二}

 

 安牌を、ハナって直後、気配が一方向から押し寄せる。――解っていたことでは在る。衣の鳴きが、狙いによって正確に襲い掛かってくることくらい。

 

(流れは感じても、私には手を出せない領域なんやね、やけど、この子はためらい鳴いてそれを引き寄せる。流れを支配するんは、やっぱオカルトの領域なんやで)

 

 ――おそらくは、白望もそこに近いだろう。だが、蘭子は違う、蘭子はオカルトに、真っ向からぶつかっていくタイプであり、それはたとえば、やえも同じ事だろう。

 やえは攻め、蘭子はオリた。その結果がこれだというのなら――果たして衣は、どこまでそれを見通している?

 

「ツモ! 4000オールだ……ッ」

 

 ――衣手牌――

 {一二三九九78東東東横9} {西横西西}

 

・龍門渕『115700』(+12000)

 ↑

・姫松 『97500』(-4000)

・宮守 『100100』(-4000)

・晩成 『86700』(-4000)

 

(どちらにせよ、私はそれに挑むしかないんや。せやから――あんたのそれ、全力で、ぶっ潰させてもらうで)

 

 赤路蘭子には牙がある。

 それは間違い用はなく、そしてそれはきっと――頭脳と、呼ばれるようなものだった。

 

 

 ――東一局一本場、親衣――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

「リーチ」

 

 蘭子/打{九}

 

(やっぱり来るかぁ)

 

 前局の和了から一転、状況は一切動きのないまま三段目――十三巡目でのことだった。衣の薄気味悪い沈黙はさておくとして、やえも、そして白望も動くに動けない状況にあった。

 

(攻めていくには、少し枷が多いんだよなぁ)

 

 それぞれの牽制による回り回っての打牌、一つ手を遅らせれば、リカバリーには三巡を要するだろう。その間には他家の状況が変わり、止めざるを得なかった牌を切ることも可能となるのだが、その直後には、やはり新たに牌を掴まされる。

 それは先程の状況もそうではあるが、それでも、“危険を考慮してでもうちに行く先手”というものがあった。

 剣術の仕合、それも剣の天頂を見た最上クラスの達人たちの仕合に立ち会えば、この状況を再現することができるだろう。

 

 焦れたものが、死ぬ。それこそ前局のように、やえの攻めを衣が打ち取る、そんな状況とて考えられる。――ただしあれは、衣が策を仕掛け、それにわかっていながらもやえが乗った、という、いわば衣が先手を打った状況でも在るのだが――そんな粘りつくような空気、底から生まれる緊迫の一瞬は、しかし無限にも思える剣術の牽制とは違う。

 ――前に出るものがいる。

 

 その中で、最もそれを得意とするのが――

 

「ツモ! 1700、3300やでぇ!」

 

 一発、ではない、リーチからツモまで、更に数巡を要した。よもや流局というような状況で、しかし結局それを制したのは蘭子であった。

 

 ――蘭子手牌――

 {三三四四六六⑧⑧22667横7}

 

 ――ドラ表示牌:{一} 裏ドラ表示牌:{北}

 

・姫松 『104200』(+6700)

 ↑

・宮守 『98400』(-1700)

・龍門渕『112400』(-3300)

・晩成 『85000』(-1700)

 

(赤路蘭子さん……一年の頃から姫松の先鋒を張っていて、今年は後継者である末原っていう人に先鋒を渡した、姫松屈指のバケモノ退治の専門家)

 

 去年は、愛宕洋榎が大将を務めていたため、洋榎が妖怪退治を担う場面も多く在った。しかし今年は姫松のエースポジション、オカルト雀士の少ない中堅に腰を据えているため、この第二回戦で行われた早海との対決を除けば、本格的な対オカルト戦は、特に蘭子のフィールドだ。

 そして、その蘭子は、南大阪最強のオカルト対応型雀士――否、全方位対応型雀士。

 

(麻雀には、幾億にものぼる可能性がある、だっけ)

 

 捨て牌の形は、無軌道な七対子に見える。しかし白望は思考を回しながら、それが蘭子の特徴的な打ち筋をよくよく表していることを知っている。

 

(この打牌をすれば振り込むかもしれない、っていう誰もが考えることから、誰も考えないような小さな可能性にまですべて意識を向ける、そのために、その手牌はいびつな七対子の形になりやすい……それでも和了れるっていうんだから、去年までいた藤白っていう人みたいな、対子に愛される傾向も在るみたいだ)

 

 対子を愛し、対子に応える。なんていう、別名対子プリンセス(自称)などという少女が去年のインターハイにはいた。他にも、胡桃が対子を集める手を得意としている。無職に見える打ち筋は、結局のところ七対子の罠が待っている、そんな打ち方は胡桃の領分だ。

 

(……ふぅん、まぁどっちにせよ、ダルいなぁ)

 

 これまでのように、楽な闘いにはならないだろう。この第二回戦も、トップでバトンは回ってきたものの、結局それも龍門渕に取り返されてしまっている。このままトップを狙うなら、勝ちに行く麻雀が必要だろう。

 

(来年、もしもう一度出れるなら、次は好き勝手に打てる先鋒がいいなぁ)

 

 柔和な打ち筋のできる白望は、防衛にも猛追にも向いている。そんな言い分を言い返せずに、大将という位置を任されては見たものの、宮守の進退を担うというのはどうにも億劫で面倒だ。

 だが、それでも、

 

(今は大将を頑張るしかない、かぁ)

 

 それしかできることがないのなら、それをするしかないではないか。

 白望は深々と座り込んでいた椅子から少しだけ体を持ち上げる。――それは本人の、違いようのない宣戦布告であった。眺めて、迷って、選んで、打って、そうして誰かを蹴落とすために、嘆息混じりに、白望が起き上がる。

 

 

(じゃあさっそく、潰させてもらおうかな?)

 

 

 半荘二回、最初の親番、小瀬川白望の奮闘が始まる。

 

 

 ――東二局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 状況の硬直は、この局に入っても終わらない。しかし、それでもただ睨み合っているだけでは誰かが先行する。拮抗した鍔迫り合いの裏で、万にも及ぶ策謀を張り巡らせているかのような――そんな策謀の上を、綱渡りのように渡っていくかのような、そんな四者の凌ぎ合い。

 その中で、先行したのは晩成の小走やえだ。

 

(それぞれの手がさほど違和感なく進んでいるようだ。ただ、龍門渕が若干遅く、他家の手が調子のいい場合は、姫松は手が遅くなるな)

 

 ――他家の手牌を読み取って、やえは冷静に考える。その読み取りは、決して捨て牌からの情報だけではない。他家に対する情報は、それ以外にも多く在る。

 理牌の癖や並び、視点移動と思考時間。それらを大きく噛み合わせ、やえは自身の情報とする。

 

(ここで勝負に出てくるであろう人間は、――私と、そして宮守だ)

 

 ――やえ手牌――

 {三四五六七八八②④⑥223(横③)}

 

 やえ/打{⑥}

 

 やえの打牌に、しかし動き出すものはいない。衣も、そして白望も動かない。蘭子はもとより、そういった妨害を行うタイプのスタイルではない。とはいえ、この中でも最も“堅い”のは、間違いなく彼女か一つ別のランクにある衣なのだろうが。

 

(もしもそこに、宮守まで関わってくるのなら、まぁ当然ながら私がこの中でも最も堅くない、打ち手になるだろうな)

 

 攻めていく上で、やえはとにかく前進を選ぶ、まわりまわって、結局後退を選ぶくらいなら、最初からせめてはいかないのだ。相手がどのような手を打ってくるか、どのような選択を選ぶか、解っていてなお、引くつもりはない。

 

 ――そんなやえの視線の先、この場でやえに次ぐ手の速さを持っているであろう、白望が一度、手を止めた。

 

(やはり、この程度なら見破って判断を迷うか――?)

 

 小瀬川白望、迷うことで手を高める雀士、しかし彼女の打ち筋は、ただ“迷う”というファクターを利用したオカルトではない。彼女自身が高い洞察力を秘め、自身のオカルトを補強する。

 そしてその上で――

 

 白望/打{③}

 

 ――切り込んでくる。

 

(……深い、ところか――ッ!)

 

 正確な打ち筋と、大胆な打牌の選択。それができるのは、彼女が見ている中に、“明確な情報”があるからにして、他ならない。

 

「――リーチ」

 

 それだけでは終わらない白望の行動。やえはどこか苦々しげに唇を歪めて、それから楽しげな笑みへと無理やり持っていく。無論、そうであるから、感情に間違いはないのだが。

 まずい、という感情も、やえにはあるのだ。

 

(……麻雀は、あやふやなゲームだ。――だからこそ、こういった“確信”は、まったくもって面倒極まりないなぁッッ!)

 

「――――ツモ。 2600オール」

 

 ――白望手牌――

 {二三四五六①①345678} {一}(ツモ)

 

・宮守 『106200』(+7800)

 ↑

・姫松 『101600』(-2600)

・龍門渕『109800』(-2600)

・晩成 『82400』(-2600)

 

(まぁ……いい)

 

 これで、和了が決まった。それは間違い用のない事実。だからこそ、受け止める。そうして理解し、答えを得る。答えがあれば、あとは単純だ。

 

(そんなオカルトも、絶対的な強者の事実も、全部見抜いて、噛み付いて――踏み抜いてやろうじゃないか……ッ!)

 

 小瀬川白望の闘牌が、迷って、悩んで、掴み取るように。

 ――小走やえは、手を伸ばし、自分のチカラで、たぐり寄せる麻雀を打つ。

 

 そのために、最も必要なことは、自分の信念だ。

 確固としていて、揺るぎなく――迷いない。

 

 そんな麻雀を、やえは打つ。

 

 

 ――東二局一本場、親白望――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 

(数奇にして怪奇! 暗中模索は、かくももどかしく、おどろおどろしいものであるか――ッ!)

 

 対局の中、衣はどうしようもない歓喜を、落ち着きのない子供のごとく、思考の中で振り回していた。

 楽しくてしょうがない、興味が湧いて仕方がない。目に映るすべてのものが新鮮で、視界に飛び込むあらゆるものが、衣の心を震わせる。

 

 ――世界は今、衣のすべてを揺るがしている。

 

(かつて、小さな集合の中で、麻雀を打っていた時は、それはそれで楽しいものだった。実紀や叶恵、秋一郎やじいじたちの麻雀。それらは衣の心を震わせて、衣を一つ大人にしてくれた)

 

 だからこそ、今の天江衣はここにいて、これからの天江衣を作り出している。

 

(――だが、それでも衣は、もっと大きな世界を見たい! 衣の世界を、もっと広げて、もっと大きくしていきたい!)

 

 龍門渕の門を叩いて、渡瀬々と知り合って。

 龍門渕透華がいて、国広一がいて、依田水穂がいて、井上純がいて、沢村智樹がいて――

 

 今の自分が、インターハイの舞台に立っている。

 

(それに、ここにいる雀士は、誰もが衣の真意を覗き込もうとしてくる。――海面に映る月を、まがい物だと決めつけず、自分の中で、実感を持って引き上げたものに、“してしまう”!)

 

 それこそ秋一郎のように、深い洞察力を持つものがいて、それには及ばずとも高い技術力を持つ。そんな衣が相手をしていてもっとも“面倒”であり、“楽しい”相手。

 

(攻略してみろ、烏合の者ども! いくらお前らが束になろうと、衣は翼を落とさない――!)

 

 ――衣手牌――

 {二三三四四五六七23478(横三)}

 

 衣/打{四}

 

 十一巡目、テンパイ。ごくごく平均的な速度ではあるが、状況は四者四様の凌ぎ合い、このテンパイも、どちらかと言えば速度を保ってのものだ。

 そして、それに追いすがろうとする者もいる。

 

「――リーチやで」

 

 蘭子/打{5}

 

(ほう、随分と堅い打ち手では在ると思っていたのだが、リーチをかけてくるか。……待ちは{7778}の辺りか? 面白い、ここは純粋なめくりあいと行こうじゃないか)

 

 蘭子には、無数の可能性の中から、そのリーチを最善とする理由があったのだろう。それこそ白望がオリを選択し、やえが{7}切りで動きを見せる状況で、それでも攻めることを選んだのだ。

 

(賽は投げられた。リーチは凡俗の手。無論それが必要であればそうだろうが――自分自身を殺してまで、牌を曲げたいとは衣は思わんな)

 

 結局のところ、衣がリーチをかけないのは、ごくごく単純に、リーチをかければかけたものを食い物にする雀士たちと卓を囲み続けてきたがゆえの事ではあるが、だからこそ、他者のリーチは、どうにも衣には愚直に見えてならない。

 

(そういえば、衣以下のちんちくりんがひたすら黙秘を貫いていたが、どうだろうな……まぁ。世の中には面白い雀士がごまんといる。今は目の前の相手を頂いてやろうじゃないか)

 

 ――衣/ツモ{4}

 

 ここで、自摸切り、悩むことはない。ここまでの流れで、攻めに打って出たものを、流れは好むことはなかったものの、嫌うこともなかったではないか。

 当然、それも打牌から 動きはなく、他家すべてがスルーして、次のツモへと流れる。

 

 やえ/打{五}

 

(――? こちらも張ったか?)

 

 テンパイ気配と、捨て牌からの匂い、どちらもやえのテンパイを色濃くあらわにしている。間違いない、これで手を完成させたのだろう。――衣の視線が、勢い良くやえへと向かう。

 強襲気味に手を打ってきたやえの打牌、多少の“匂い”を鑑みてみても、それは明らかに、挑発のように移ってならない。

 

 ――こいつは、小走やえは、間違いなくそんな打ち手だ。

 自分の分析を疑わず、しかしデータだけを頼りにするでもない。オカルトの専門家は、データを頼るか、感覚を頼るか、そのどちらかに特化しがちだ。しかしやえはそのどちらもを完璧にこなす。そのうえで本人の麻雀は、高い洞察力から繰り出される精度の高い読みと、それを自負とした超攻撃特化の打ち筋。迷わない、そして何より、ためらわない。

 小走やえの最もたるところは、きっとそこだ。

 

 そんなやえの顔が、衣と視線を交わした途端――半月のように、嗤って歪んだ。

 

 硬直、衣の顔が驚愕に磔となる。一瞬の沈黙をもって、みるみるうちにそれが敵意の物へと変わった。――電光石火、まるでそこに進行する打牌がごとく、衣は顔を百面相させる。

 ――山から牌を引き寄せる。勢い任せに、盲牌だけをして、やけくそ気味に河へ放った。――ツモ、ならず。

 

 右手を精一杯引き寄せて、やえが途端にそれを爆発させた。ぐんぐんと迫る山。地平線を統べる手が、接敵と直後に跳ね上がる。爆発的な音が、伴った。

 

 

「――ツモ! 2100! 4100!」

 

 

 ――やえ手牌――

 {三四五八八八⑨⑨66999横⑨}

 

・晩成 『91700』(+9300)

 ↑

・姫松 『98500』(-3100)

・龍門渕『107700』(-2100)

・宮守 『102100』(-4100)

 

(――くるじゃないか! 晩成の――小走、やえッ!)

 

 叩いたツモは、跳ねて、踊って、思う存分衣を震わせた。

 その思いは、目の前に座るただ一人では収まらない。衣は思い切りよく視線を奔らせる。

 

(他の奴らもそうだ。あぁまったく、こういう奴らとの麻雀は、どうにも楽しすぎて困る!)

 

 やえと、白望と、そして蘭子と。

 ――二つの東場を終え、状況は勢い良く、回転を始める。

 長い戦いは、さらに熾烈をましていこうとしていた。

 

 

 ――東三局、親やえ――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

 ――龍門渕控え室――

 

「ん、なんだろな、微妙によくわかんねぇ感じになってる」

 

 東三局の開始直後、瀬々はモニターにくい入りながらそんな言葉を端的に発した。よくわからない、それは瀬々が発するには些か違和感の生まれる言葉だ。

 

「……どういうことですの? 全員の手牌が良さげな、割とよくある状況に思えますけど」

 

 この局最大の特徴は、全員が二向聴程度の手を配牌時点から手にしているということだ。見れば見るほど羨ましいような手牌だが、四者すべてがそうであるとなれば、状況は確実に混迷することだろう。

 ――しかし、それでも瀬々ならば、最善解を導き出すことができるのだ。手牌を見ただけで、ある程度は誰が和了するかはメドが立つだろう。

 

 通常の場合であるならば。

 

「んー、そのせいもあってか、全員が全員、鳴いてポンポンと手を進めるような感じなんだよな。普通だったら止まらない、っていう牌を鳴くことで全員手が進んでくわけだ」

 

「つまり、このメンツではそれがない、ってことだね」

 

 水穂の確認に、特に逡巡することもなく瀬々は頷く。

 

「おかげさまで、どうにも誰がどう和了るかっていうのがわかりにくい。それくら複雑に、手が絡み合ってるぞ」

 

 ズズズ、と音を控えめに立てながら、瀬々は思い出したように残されたジュースをストローから飲み干す。そうしていると、モニターの向こうでは小さいながらも、動きが前へと向きだした。

 

 ふと、それに気がついたようにして、紙コップ型の容器を机に放り出すと、瀬々は嘆息気味に、いう。

 

「まぁ、でもさ」

 

 全員がモニターへと意識を向ける中、同意を受けるつもりがあるのかないのか、退屈そうに、瀬々は言葉を、吐き出した。

 

 

「こういう状況で勝つのは、特に一番強いやつ、なんだよねぇ」

 

 

 ――宮守控え室――

 

 

「あのダマテンちんちくりん、なんかスゴイじゃん」

 

「……それを胡桃がいう?」

 

 モニターの向こうでは、四者が同時に闘っていて、そこに支配者と呼べるほどの絶対的な存在はない、拮抗した状況、それぞれが意思を鋭く尖らせながら、刃と刃を交じり合わせている。

 モニター越しのシロを眺めながら、心音が嘆息気味に言う。

 

「全員が手を止めるような状況じゃあない、ってところに、他家の手を止めたいという思考も入る――か」

 

「四ツ巴といえば聞こえはいいけど、これったたんに全員が全ツッパしてるだけだよね」

 

 ひとりごとのように、胡桃が語り、塞が嘆息気味に首肯した。

 ――手を止める気がないのであれば、前に進むために、どれだけ他人の牌を絞ったとしても、結局最後はそれを切り捨てていく。――もしくは、それを手牌に組み込んででも、前に進む“チカラ”を得られるかどうか。

 それは、単なる技巧ではない。

 それは、単なる怪奇ではない。

 

 そのどちらもがなければ、叶わないことだ。

 

「シロならここを抜け出せるとはおもうけど、――こうして見るとヤッパリ異常は更に上があるってことかねェ」

 

 ――そこには、さらに上が在る。

 

 

 天江衣が、そこにいる。

 

 

「――晩成の人には、深い洞察力と、攻めっけがある」

 

 塞が鎮痛そうに、いう。

 

「姫松の大将は、慎重で狡猾な雀士だよね」

 

 胡桃が確かめるように、いう。

 

「そしてウチのシロは……何か“変なもの”に迷うチカラがある」

 

 最後に心音が、言葉を締める。

 

 そして見あげれば――そこにその上が、ある。

 

 

 ――天江衣が、和了を決める。

 

 

『――ツモ、2000、4000!』

 

 

・龍門渕『116700』(+9000)

 ↑

・姫松 『96500』(-2000)

・宮守 『100100』(-2000)

・晩成 『86500』(-5000)

 

 それぞれの思いが形に変わり、そしてそれを上回り、衣が闊歩する。

 暗黒の夜に、月はゆっくりと染まっている。――形を変えて、姿をくらませて。それでもなお、失われることなく、知られている。




お待たせしました。いろいろ書いてはいましたが、とちゅうであの人とのこととか書いてたらこんなことになりました。
出来れば一ヶ月前辺りの更新頻度は取り戻したいところですが、連休中はどうなることやら。

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