咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『月閃驀進』大将戦③

 あまたの死闘を繰り広げてきたインターハイ第二回戦。その締めくくりを飾る最後の半荘。それすらも、いよいよこの時にはもう、大詰めといってよいほどにまで仕上げられてきていた。

 後半戦も、東場はすでに終わりを迎えていた。それこそ前半戦のような、重苦しく、それぞれが自身の前進を狙う対局、結局のところ、その中身はさして前半戦と変化はなかったのだ。

 

 状況に変化が訪れるのは、南場、本当にまったくもって、それが最後だと、だれかが声高に叫びを上げるような、それほど極まった状況で――最後の猛進、天江衣の闘牌が始まろうとしていた。

 

 席順。

 東家:小瀬川

 南家:小走

 西家:赤路

 北家:天江

 

 南一局、小瀬川白望の回したサイコロを眺めながら、衣はこれまでの対局を振り返る。

 

(やはり……単なる幻想の類は、衣はすかんな。まっすぐ猪突猛進するだけなら、それこそ文字通り、猪にもできる。その点、そこに実力が絡む水穂や、自分なりの搦め手をつかもうとする瀬々は、とても好ましいのだが――それよりも)

 

 ――小走やえに、赤路蘭子、なんのオカルトもない、あくまで一介の常人。非凡なるセンスをもっているとしても、底には決して、非才といえるチカラは備わらない。

 小瀬川白望にしても、同じ事。オカルトを感じ取り、また自身をオカルトの近くに置こうとも、その本質はあくまで自身の打ち筋に則ったものでしかない。

 

(――もっと、ともに卓を囲んで、面白い(・・・)相手がここにいる!)

 

 それは、決して“楽しい”闘いではない。それこそ、仲間とワイワイ卓を囲んで、切磋琢磨しあうことほど、“楽しい”対局は他にない。しかし、それとは別に、闘うことで“面白い”と諸手を上げて認める相手は、別にいる。

 

(衣は普通ではない雀士だ。そのチカラが、誰かを傷つけてしまうこともある。……そんな麻雀、衣はもう打ちたくない)

 

 天江衣は強い。

 どんな麻雀をうとうとも、望めば必ず勝利を呼び込み、他者をその手で退けてきた。それは衣が生まれた時からそうであったこと。

 

 

 ――かつて衣が引き取られた先で、そうではなくなったこと。

 

 

(衣は敗北を知った。それはきっと、弱さだ。負けることに怯える弱さを知った。だが、それと衣の強さはもう、符合しない。衣は衣の打ち筋を、手に入れたのだ!)

 

 衣は弱さを、恐れた。そして同時に、あこがれを抱いた。自分の中にある弱さを変質させることで、自分の弱さを突いて、魔物たる自分に勝利せしめた者達に追いつけるなら、喜んで我が身を投じよう。

 そう、心に決めて――戦ってきたのだ。

 

(お前達は、衣が憧れてきたあの雀士達に似ている。それがどうしようもなく、面白い! なれば、こそ)

 

 一度、ゆっくりと――目を閉じて。意識を膨大な自分自身の中へと溶かしてゆく。

 だれがその瞬間の、衣の変質を見て取れただろう。――きっと、衣の中の何かが、目を覚ます瞬間まで――否、目を覚ました獣を、衣が全霊を持って、御しえた瞬間まで、気がつくものはだれも居なかったはずだ。

 

 ――爆発的なチカラの広まりを伴って、衣の両目が見開かれる。

 

 

(今、この場で衣を、この世を支配する夜天より、簒奪せしめよ――――ッッ!)

 

 

 ――その日、

 

 

 圧倒的な魔物の暴威が二度(・・)広まった。

 

 

 一度は、無秩序な暴君。だれもかれもを一切意識の隅にもおかない、暴虐の天帝。そして――

 

 

 もう一度は、何もかもをその手で消してなお余りあるほどの、徹底的な破壊。――それを、たったひとつの心でもって支配して見せる、天に瞬く造物主であった――――

 

 

 ――順位

 一位龍門渕:122800

 二位姫松 :100600

 三位宮守 :92500

 四位晩成 :84600

 

 

 ――南一局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

 ズキズキと、頭に響く痛みを白望は感じ取っていた。違和感だと、心のなかの何かが告げる。無論それは間違いなく自分自身なのだが、今のこの状況では、それすらあやふやなように感じられた。

 

(空気が淀んでる。完全に、私の心すらも掴まれている)

 

 おそらくは、南一局開始時に発せられた天江衣の化け物じみた存在感。それこそがこの卓を支配しているものだろう。ツモの感触が、明らかにいつものものとはなにか違った。

 ――今、自分は流れの中にいる。それは決して、平時に用意されたものではない。

 

(流れを支配する――それこそ流れ事態を、自分のものにしてしまう、か)

 

 天江衣の典型的異能、それが手牌への支配。本来はおそらく、手の進みをどこかしらで制限するものなのだろうが、それを衣は、手牌ではない何か――オカルトに見を染めたものが感じ取る流れのようなものへ対象を向けていた。

 その上で、この支配。意味するところは、流れを完全に掴んだ、ということである。

 

(普通、そんなことは相手の打ち筋どころか、その癖、判断、あらゆる材料を“理解”しなくちゃいけない。それは多分、シニアリーグで活躍するようなプロ――本物の玄人だけが持ちえる技能だ)

 

 相手の持つ諸動作。それは何も、雀卓の上だけの話ではない。相手の一挙手一投足、それこそ視点の移動から、会話の中での、口の動かし方、身動き一つすら、把握し、理解し、解きほぐすチカラ。

 衣の麻雀も、それの応用だ。とは言え衣には彼らのような化け物じみた観察力はない。あくまで雀士として、他家を支配する力だ。

 

(それによって、天江さんは私達を観察――ううん、観察というにはあれはあまりに圧倒的だったけど――とにかくその流れの中で、天江さんは、そんな玄人と同等に、打てるだけの情報を、流れの中から拾い上げた――か)

 

 ――それこそが、おそらく今の天江衣の本質。徹底した出和了りは、情報によって成り立つ高度な技術の麻雀なのだ。これは白望の知らぬところではあるが、衣が大沼秋一郎を始めとした玄人達との闘いの中で、それが可能なほどの技術もまた、磨いてきたのである。

 

 加えて、それを試せるほどの仲間もまた、彼女の側にはいたのだ。

 

 天江衣のチカラは、端的に言えばいくつかの流れによって構成される。まずはじめに必要とされるのが流れを支配すること、他家の鳴きによる流れの動き、それに呼応した他家の機運、それらを感じ取り、同時に最適な流れの操作方法を判別するためだ。

 そして同時に、対局の中で、直に他家を観察し、必要な情報を見抜く。これもまた、技術として衣が体得したものである。その間にも衣は暴れまわるが、本領を発揮するのはあくまで、すべての流れを手にした時だ。

 

 

 ――そして今が、その本領にあたる。

 

 

(天江さんは、決して他家の手を縛らない。だからツモの感触は大きく変わるけど――)

 

 ――白望手牌――

 {三四五③④⑤⑥⑧45557(横⑦)}

 

(決して、テンパイできない訳じゃ、ない)

 

 ――ここに来て、このテンパイ。絶好のものであることは今更語る必要はないだろう。ここに至るまでの巡目は、十二巡、些か重苦しい手では在ったが、順調に仕上げ、完成を見た。

 だが、そこからが問題だ。

 

(この{4}と、{7}、多分どっちを切っても天江さんに振り込むからなぁ……)

 

 この手牌、{7}は完全に不要な浮き牌。そしてテンパイのためにはこの{7}か、もしくは{4}を切らなくてはならないのだ。そしてそれは、まるで謀ったかのように筋にあたる牌なのだ。

 

 しかし、果たしてそれが衣に当たるかどうかといえば、捨て牌からすればそうとは見えない。

 

 ――衣捨て牌(「」手出し、()鳴かれ)――

 {「西」「發」「3」九「①」北}

 {「⑧」(8)④18}

 

 {5}はすでに白望の手牌に三枚見えている。その上{8}は衣の手の中からこぼれ出て、ポンで鳴かれている。結果衣自身の自摸切りにより純カラとなっているのだ。加えて{4}は捨て牌に一枚、{7}は捨て牌に二枚見えている。ここから、{4}と{7}を危険牌と見ぬくのは、ほぼ不可能に近い。

 ――それでも、白望の直感はそれが危険だと告げていた。――なぜか。

 

(……まぁ、理由なんてないんだけどさ)

 

 あくまでもそれは、白望が持つ直感が、単なる人間以上のものを宿しているからに他ならない。――だからこそ、白望は迷った。迷った上で、答えを出すのだ。

 

(多分、これはだれが見ても正解じゃない。それでも――私は正解を選ばない。誰かが選んだ正解は……やっぱダルい)

 

 ――白望/打{⑧}

 

 ベタオリ。それが小瀬川白望の選択だった。もしもこの状況で、それを選択できるものは果たして、どれほど世界にいるだろう。――この状況がオカルトであると認識できるからこそ、白望はオリた。

 あくまで、迷った末の結論として。

 

 そしてそれは、大いに衣を喜ばせることとなる。

 

「――なんと」

 

 この対局中、無駄口を叩くものは居なかった。前半戦開始の前口上に、衣が宣戦布告をした程度、だれも言葉を交わさず、牌を交わしていた。

 それくらい、この状況は極限だったのだ。

 

 ――だが、それを壊すものが、ここにいた。

 

「……いや、これは些かわかりやすいか。そうだな、大変失礼なことをした。――この程度、避けてくれと言わんばかりの捨て牌だったな」

 

 衣の言葉によって、おそらくようやくやえと蘭子は理解したのだろう。

 天江衣の、異常の本質を。

 

 ――出和了り重視、それはあくまでスタイルの結論に過ぎない。その本質は、あくまで玄人の打ち筋を再現するかのように振るわれる、圧倒的な支配力なのである。

 

「では、面白いものを見せてやろう。――これは、ある意味一つの礼だ」

 

 ――白望が打牌すれば、すぐさまその次は衣が牌をつかむことになる。スラリと伸びる右手は、異様に長く、まるで人ではないかのように衣の前から飛び出して、牌をつかむ。

 

 それをころもは手牌の左側(・・)に牌を置く。それに対し、やえと蘭子が息を呑む。――彼女たちはインターハイを代表する強豪プレイヤー、その牌の置き方を、知っているのだ。

 そう、天江衣のチームメイトであり、団体戦において龍門渕の中堅を務める全国トップクラスプレイヤー、依田水穂の和了り牌を左側に置く独特は和了宣言のスタイルである。

 

(……いや)

 

 そんな、全国に名を馳せる程の強豪が反応した事実に、しかし白望は否定を加える。――違う、これは決して、そんなわかりやすい形のものではない。

 

 ――見えているのだ、白望には。天江衣が、このツモで何を意図しようとしているのかを。

 

 

「…………カン!」 {二裏裏二}

 

 

 左側においた牌が、その隣に並ぶ三つの牌、刻子となった{二}と同時に晒される。

 

 そうして、衣が自摸るのは、そう――嶺上牌だ。

 

(……天江さんは、決して鵜浦先輩とかみたいに、何かが見えているわけじゃない。――いや、見えているのかもしれないけれど、それは多分、嶺上牌にまで影響をあたえるものじゃないはずだ。だとするなら、このカンに対するこの人の根拠は――――ッッ!)

 

 きっと、――それを彼女に問いかければ、本当に端的な一言で答えてくれることだろう。

 

 

 ――それが強さだ、と。

 

 

 ――衣手牌――

 {三四五②②⑥⑦⑧56横7} {二裏裏二}

 

・龍門渕『130800』(+8000)

 ↑

・姫松 『98600』(-2000)

・宮守 『88500』(-4000)

・晩成 『82600』(-2000)

 

 ――南二局、親やえ――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

(……これが、本物のバケモノ、か)

 

 小走やえは生まれて初めて、実際に相対することになる、いわゆる魔物と呼ばれるような人種に対する自分の感情を、振り返るように手牌の上に載せられた牌を揺らした。

 

 ――やえ手牌――

 {6677899(横2)} {22横2} {横534}

 

(強いと思う奴はいた。勝てないと思うような相手もいた)

 

 ――湧き上がるのは、どこか回顧じみた感情の群れだ。まるでこの場に立つことに、自分自身が感慨を浮かべているかのように。

 晩成高校にとって、第二回戦は悲願の舞台だ。奈良最強にして、かつて一度しか代表の座を明け渡したことのないこの高校にとって、その闘いの舞台はインターハイである。

 しかし、奈良最強という称号が、インターハイで通用するか、といえば否である。

 

 全国出場回数四十ほど。一回戦を突破できなかったことは殆ど無い。せいぜい偶然シード漏れした新道寺辺りに、運悪く当たってしまったときだけだ。だが、二回戦から先に進んだことは――片手で数えるほどしかない。

 決勝へ駒を進めたことは――皆無、つまり、優勝回数も、また零。

 

 結局のところ、晩成とはその程度の高校なのだ。確かに強い。しかし、それが全国に通用するかと思えば、そうではない。これは兵庫代表の劔谷にも言えることだが、第二回戦が日本全国における一つの壁だとするのなら――晩成はその一つ上、準決勝という壁が存在する。

 

 そんな晩成の大将――晩成はとにかく伝統を重視する高校だ。つまり大将は、部内ナンバーツーの実力を有しているという意味でも在る――二年生のやえは、来年のエースを務めることがほぼ確定している。

 だからだろうか、こうしてこの場所で、自分では挑むことすらおこがましいような相手がいることが、まるで別世界のように思えてならない。

 

(……不思議なものだな。私は今まで、そんな相手との闘牌を、辛いものと思っていたのに、それ以上の存在相手に――勝ちたいと――そう思っているのだから)

 

 揺らしていた牌、ツモ牌である{2}へと再び手をかける。

 

 このツモには、きっと大きな意味がある。――前局の親被りが響いているのか、宮守は沈黙、二位が盤石に近い姫松も消極的だ。天江衣の手牌も、理牌の形的に索子はなく、字牌を二つ抱えた、鳴きの手であることは想像できる。

 ――全員が、この索子染めで、オリてくるのであれば、それがこの局の最上なのだ。

 

(さぁ……これで{1}は壁になる。安牌が増えるぞ――オリろ、対局者!)

 

 振り上げて、振り下ろす。勢い任せに、宣言を放つ。

 

「――カン!」 {22横2(横2)}

 

 万感の思いを載せて、親ッパネにまで跳ね上がる可能性のある加槓。それが、やえの手を離れ――そして。

 

 

 ――やえは、自分が何かに、穿たれていることに、気がついた。

 

 

「は……!?」

 

「――聞こえなかったか」

 

 高らかに響き渡る声。直接的に聞こえるソプラノボイスは、まさしく高みから、やえを見下ろすような声だった。

 その声の正体と、自分自身に生まれた衝撃の正体。それらを同時いっぺんに、やえは心底から理解し――あまりのことに、思わず愕然となる。

 

 天江衣だ。

 

「カンと同時に宣言したはずだが――そのカン、成立せず、と」

 

 ――衣手牌――

 {一二三②②③④⑤北北北13}

 

(――嵌張待ち!? 馬鹿な、そこの牌は字牌だったはず。……こちらの理牌よみを、欺いただと……!?)

 

「あぁ、あまりのことに理解が及ばないか? ならばいいだろう。もう一度宣言してやる」

 

 天江衣からしてみれば、やえの洞察力は文字通り子供のそれだ。なぜなら衣は、やえとは五十近く年の離れた相手と――それだけ熟練した技術を持つ相手と――何度も卓を囲んできたのだ。やえに読み取られないレベルの理牌動作など、取るに足らない小手先の技術なのである。

 

 

「――槍槓だ。ドラ二つは――5200!」

 

 

・龍門渕『136000』(+5200)

 ↑

・晩成 『77400』(-5200)

 

(侮っていた――いや、違う。侮らされていた!? これが、これが本当の…………本物なのか!?)

 

 その時、小走やえにはもう、目の前の存在が一体なんなのか、わからなくなっていた。それもそうだろう。目の前の魔物は、本当にとんでもないレベルの実力者で、同時に、自分では及びもしない巧みさを、持ち合わせているのだから。

 

 絶対に、適わない存在。

 それは人の心を喰らうのではない。――人の心に、植え付ける、存在なのだ。

 

 

 ――南三局、親蘭子――

 ――ドラ表示牌「{八}」――

 

 

(なんとかここまで、か。おっかしいなぁ、全然勝てる気しーひんのは、なんでやろ)

 

 姫松高校は、常勝を期待される全国最強クラスの高校だ。それこそ晩成のように、ある程度インターハイで敗北されることが想定されているような、一角の強豪校とはわけが違う。

 姫松に、敗北は許されていないのだ。

 

 ただ勝つことだけを求められ、そのとおりに勝ってきた高校。それが姫松であり、だからこそ、姫松は最強なのである。

 

(まぁ、負けるわけには行かへんから、二位を目指すしかないんやけど、くやしいなぁ。姫松の主将で、大将の私が、なんもできへんっちゅうのは)

 

 ――蘭子だから、ではない。

 誰であろうと、そこに立つ少女を、天江衣を打倒することは叶わないだろう。

 

(それに……善野さんのこととかで色々複雑だった末原ちゃんに出てきてもらうために無茶をして、他にもいろいろな人に諦めてもらって、今のこのチームを作った。それがここで負けちゃったら……そんなのやっぱ、あかんよね)

 

 末原恭子に、愛宕洋榎に、上重漫に、天海りんごに、誰もかれも、実力だけで選ばれたわけではない。無論洋榎は押しも押されぬ姫松のエースだし、りんごも、そして何より蘭子自身も、実力があったから選ばれたのは確かなことだ。

 

 だからこそ、涙をのんだ三年生に、これからを目指す下級生に、こんなトコロで終わる姫松を見せたくはない。

 

 そう思って――最初の一打を選んだ。自分の信条だけが載せられた、そんなたった一つの、ちっぽけな一打が。――きっとそれは、自分にとっての一打ではなかっただろう。

 確かに、影で涙をのんだ者達を思うのは当然のことだ。それを胸に乗せ、勝利を誓うことだっておかしくはない。

 

 だが――それと同時に、栄光の中に立つレギュラーは、その時最高のものでなければならないのだ。そう、彼女たちは影を省みることなく、光に向かって、立ち続けなくてはならないのである。

 

 ――だからこそ、甘い。その一打は、蘭子の甘さだ。

 

 ――――赤路蘭子は、あらゆる可能性を考慮する防御力の雀士。放銃の場面はほとんどなく、とにかく慎重な雀士として知られている。

 しかし、そんな蘭子が慎重になれない、自身の本領を発揮できない場面が在る。

 それが親番、配牌直後の、第一打。

 この時だけは他家の理牌が終わらず、可能性が卓の上に現れない。無論視点移動などの情報はあるが、親の第一打はスムーズな打牌が求められる。他家の視線ばかりを気にして入られない。

 

 

 ――だからこそ、それはある種必然でもあり、偶然でも在った。

 

 

「――ロン!」

 

 

 天江衣の、和了宣言がそこで、響いたのである。

 未だ理牌の済んでいない手牌を即座に組み替えて――晒される。

 

「人和……は当然採用されていないが、人和は満貫とするルールもあったな。――8000だ」

 

 ――衣手牌――

 {九九⑥⑦⑧12345689} {7}(和了り牌)

 

・龍門渕『144000』(+8000)

 ↑

・姫松 『90600』(-8000)

 

「あ、う、嘘」

 

「――勝負に、嘘はない。己の気持ちにウソを付くものもまた、勝利はないぞ?」

 

 がくがくと、体が何かに怯えて震えた。

 それはきっと、目の前の魔物、衣に対してではない。――衣はむしろ、教えているのだ。その選択が、逃げのようなものであることを、赤路蘭子の選択が、逃げによって構成されていることを。

 

 

「――さぁ、オーラスだ。衣とともに立つ条件は皆同一……最後の一局、刹那の頂点を、見せてみろ!」

 

 

 宣言とともに、衣は卓上中央の、自身が振るう賽へと一人、手を伸ばす。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 現在、宮守女子は三位、その点差、実にほぼ2000点。リーチにツモで逆転が確定する。二位の姫松は、是が非でもこの局を二位の位置で終わらせなくてはならないのだ。

 そして苦しい位置の晩成――逆転には、跳満のツモが必要。

 天江衣の勝利はほぼ確定的だ。そしてここまで完全に場を支配していた衣の気配も、どこかおとなしいものになっている。当然だ、衣の言葉が確かなら、衣はこのオーラス、最後の対局を見届けると言っている。

 さすがに何巡もかけていれば先に衣の手が完成するだろうが、この局、勝敗は三者個人に委ねられたと見て、いいのかもしれない。

 

 そんな三名、その配牌は――

 

 

 ――白望手牌――

 {二四六②②⑦⑧⑨136北發(横7)}

 

 全くもって無難な配牌だ。ここから手を作っていくことは可能だろうが、鳴いていけるような手ではないだろう。無論、リーチにツモが必要な状況で、ドラの一切無いこの手を、鳴いていくことはそもそもありえないことなのだが。

 

(…………、)

 

 その顔は、いたってダルそうで難しそうな顔、しかしその心象は至って平穏な様子で、まずは第一打を、白望は選ぶ。――当然の打牌だ。これを第一打に選ばないものは、ほぼいないといっていいだろう。

 

 白望/打{北}

 

 静かな、あまりに静かなスタートで、白望最後の闘牌が始まった。

 

 

 ――蘭子手牌――

 {一二六九③③⑨346777(横三)}

 

 かなり上々といっていい配牌だろう。おそらくいちばんのネックになるであろう嵌張が最初のツモで埋まり、残る手牌も、受けが広く字牌がない。いつ完成しても、この手はそのままリーチに至る手だろう。

 

(まだ……まだ、終わったわけや、ないんや)

 

 あの時感じた強烈な寒気、それはきっと、衣に対する恐怖ではない。自分の中にある、感情からうまれた一端だ。だからこそ、それは表情に吐露することはなく、自身で抑えて、手を作る。

 

 蘭子/打{九}

 

 不穏はある。しかしそれ以上に幸先の良いスタートで、蘭子は第一打を、切り出した。

 

 

 ――そして、小走やえは。

 

(……やれやれ)

 

 少しだけ嘆息をして、それからこめかみを抑えながら、もう一度、今度は盛大に、息を吐きだした。

 

 ――やえ手牌――

 {一五九①⑥17東東西北發中(横9)}

 

(ここに来て、この配牌か。まったくまったく、やってくれるじゃないか。これじゃあ九種九牌で流すこともできない。……十三不塔は、採用されてないし)

 

 そもそも、塔子がないわけではない以上、十三不塔もこれでは成立しない。最悪といっていい手牌。何をするにしても、ここから作れる手役はひとつしか無いだろう。

 

(まぁ、条件的に厳しいだろう部分はすでに掴んでいるし……わざわざ跳満の手を作るために右往左往する必要もなくなった。――だったら、やってみようか。十三と一つの牌からなる、麻雀における最高役、役満の一つ)

 

 ――やえ/打{7}

 

 

(――――国士無双)

 

 

 ――そうして、三者はそれぞれのスタートを切った。ごくごく平凡な四向聴を引いた衣を加え、最後の対局が始まる。

 

 衣/打{西}

 

 白望/打{發}

 

 やえ/打{五}

 

 蘭子/打{⑨}

 

 ――時には難しい顔をして。

 

 衣/打{六}

 

 ――来るツモに、一喜一憂して。

 

 白望/打{一}

 

 ――手牌から伸びる可能性を夢に見ながら。

 

 やえ/打{⑥}

 

 ――ただ、一心に勝利を目指すのだ。

 

 蘭子/打{⑦}

 

 

 ――そして、それぞれの手牌が、少しずつ完成形へと向かっていく。

 

 

 衣/打{三}

 

 白望/打{六}

 

 蘭子/打{六}

 

 やえ/打{東}

 

 衣は楽しげに対局を見守っている。その場にいながら、楽しげに、最後の勝負を最善のツモでつかもうとしている。

 

 白望はダルそうにしながらも、それでもどこか視線に闘志を宿して――対局者達を睨みつけていた。

 

 やえは高鳴る鼓動を抑えながら、自身のツモを信じ、そして牌を握る手に力を込める。

 

 

 ――そして、蘭子は。

 

 

(…………張った、それも、最善の形で)

 

 ――蘭子手牌――

 {一二三③③③3446777(横5)}

 

(役なしやけど、五面張。これで決着を付ける。この手なら、誰かが途中で必ず出すはずや)

 

 それしか、打てる手がないのだから、蘭子は自身の牌に手をかける。鼓動が、高鳴っているのが感じられた。どうしようもなく音を立てて金切り声を上げるそれを抑えながら――蘭子は高らかに、牌を勢い良く、横に曲げて……解き放つ。

 

 蘭子/打{4}

 

「……リーチ!」

 

(さぁ、小走はこれに対し、危険牌でも切らなくちゃいかん。宮守の人は、さらに小走自身も気にかけなアカンのや。この手牌これで最後に、したるで!)

 

 思い重ねて、最後に曲げた牌の行方は、その後――彼女の想いとともに、露となる。

 

 

 そして、直後。

 

 ――白望手牌――

 {二三四②②②⑦⑧⑨1367(横1)}

 

(……テンパイ、かぁ)

 

 嘆息混じりに、深々と腰掛けた椅子に体をうずめる。平和はつかないとはいえ、逆転条件のテンパイである。これにリーチをかければ、それでもう、あとは自身のツモを信じるのみだ。

 

(……、)

 

 リーチをかけない理由は、ない。

 それをわかってなお、白望は手を止める。悩んで、迷って、答えを選ぶ。

 

(この勝負――きっと、)

 

 そうして同時に、わかったことが在る。それがあるから、白望はそのツモで、手を止めたのだ。

 ――わざわざ迷って、ここで手を高める必要性は全くない、そもそも高くなることはないだろう。だからこそ、白望はその感覚を、不穏ととった。

 何か――衣以外の何かが、この卓を今支配している。

 

 衣は、あくまで勝利に忠実な一雀士だ。しかし、その衣はすでに支配を解き放っている。けれども、衣が目覚めた時に感じた、あの嫌な感触は消えていない。

 それが意味するところは――つまり。

 

 白望は、そこまで考えて――選択する。正しいと思う選択、勝利へつながる、最適解を。

 

 

 ――白望/自摸切り{1}

 

 

 この時――姫松の勝利を確信していた実況が、観客が、あらゆる人間が――思わず声を出して、呆然とした。この対局を直に見ていたもので、果たしてその先の結末すらも見通している者がどれだけいるだろう。

 

 

 ――そしてその一人が、龍門渕に、いた。

 

 

「……衣の中にいる魔物ってさ、意地が悪いよな」

 

「え? きゅ、急にどうしたの?」

 

 状況は、宮守のテンパイ拒否というあまりにもあまりな展開で、唐突に発せられた瀬々の言葉は、隣に座る一を、大きく動揺させるに十分だった。

 

「いやさ、衣ってさ、自分の中に魔物を飼ってると思うんだ。そんで、その魔物は、すっげー意地悪なんだよ」

 

「……あぁ、なるほど」

 

 すぐにそれは理解できた。かつて――練磨の一貫として、魔物の制御を放棄した衣と闘ったことが在る。テンパイへ至ることができず手牌がイーシャンテンで止まり、衣自身は出和了りの速攻だろうが、ハイテイだろうが、思うがままに和了ってしまう闘牌。

 意地が悪いと、いう他になかった。

 

「んで、今あの卓を支配しているのは――衣じゃない、その魔物だ」

 

「ってことは……宮守の人が{3}を抱えてたのも……?」

 

「そーいうこと。そんで――」

 

 ――直後、観客たちが再び頭を抱える状況が、起きた。

 

 蘭子/ツモ{4}

 

「これも――衣の中の魔物が、せせら笑っているんだろうさ」

 

 ――そう、このツモの意味するところは簡単だ。もしも蘭子が、{3}切りリーチをかけていれば、すべての決着がついていたのである。しかし、運命の女神はそれを嫌った。

 あまりにも意地の悪い方法で、意地の悪い手牌でそれを阻んだ。

 

 同時に――

 

 やえ/ツモ{白}

 

 小走やえが、一向聴のまま止まっていた国士無双を――テンパイへ進めた。

 

「これ、自摸れるかな?」

 

「どーだろうな、ぶっちゃけ直撃受けてもこっちは勝てるから、衣は気にしないんだろうけど」

 

 そもそも、これまでの和了で流れは衣を中心に回っているのだから、まさか当たり牌をつかむようなことはないだろうが――同時に、ここまでで衣の手牌はリャンシャンテン、テンパイには遠いだろうと、誰もが思っていた。無論、それは事実であった。

 

「さぁ、正念場だぞ?」

 

 白望/ツモ{3}

 

「……これ、あの人の視点からは、どう見えてるんだろうね」

 

「――国士テンパイ、それ以上はわからないだろうな」

 

 白望は{3}をツモった。しかし、それは同時に、テンパイ気配を見せるやえに、安牌ではないヤオチュー牌を切らなくてはならないのだ。――実のところ、それは間違いなく通るのだが、果たして。

 

「だがまぁ…………あの宮守の人は――この卓唯一の、こっち側だ」

 

 ポツリと、瀬々はそんなふうに、漏らした。どこか確信を持っているかのような、声音だった。

 

 

『――リーチ』

 

 

 選択は――リーチ宣言だった。

 姫松の当たり牌、{3}の浮きを躱し、国士濃厚の相手に、{1}を切っての、テンパイ、そしてリーチ宣言。

 

 

 状況は、大勢を決しつつ在った。

 

 

 そして、更に場面が大きく動く。

 ――リーチをかけていた、蘭子がツモで――{⑨}を掴んだ。

 

 安牌ではなヤオチュー牌、絶対に切らなくては行けないリーチ後の牌。蘭子の顔がさぁっと青ざめる。必死に押しとどめていた恐怖が、ついに溢れて、崩落したのだ。

 

 敗退、そしてそこから浮かび上がるあらゆる可能性が、蘭子を支配し、責め立てる。――蘭子にとって、大将という場所は、最も自分が戦える場所――そのはずだった。

 

 しかし、この一瞬だけは、かつてそう考えていた自分を……他人ごとのように、恨んだ。

 

 そうして、放つ打牌。そこには蘭子の膨大といえるほどの意思の塊が張り付いていた。願って、請いて、待ち焦がれて――そして、放たれた打牌。

 

 

 ――それは、無限にも続くかのような感情の中に在る莫大な時間。

 

 

 対するは、あくまで単純な、意地による前進を見せる小走やえ。

 そんなやえがようやく掴んだ勝利への一欠片。テンパイにいたった手牌を持つやえの待ちに相当する“かもしれない”牌。

 

 それは、やえの両手を――――

 

 

 ――やえ手牌――

 {一九①⑨19東西西北白發中}

 

(――やれやれ、だ)

 

 

 ――動かすことはない。

 

 

 長かった勝敗の行方を決めるのは、蘭子でも、そして、やえでもなかった。

 

 

 ――小瀬川白望が、手を伸ばす。自身のツモへ――この局、だれも揺るがすことのなかった、不可侵の場所へ。

 そして、

 

 

「――――――――ツモ」

 

 

 最後を決めるその声は、どこか誇らしげに、響き渡った。

 

 

 ♪

 

 

『第二回戦、決着――――! 長かった一日、永遠に思えた半荘十回戦、決着をつけたのは宮守女子――!』

 

 ――赤路蘭子は、感じざるを得なかった自分の弱さを悔いて、涙を溢れさせた顔を伏せた。

 

『そして、トップで準決勝に進むのは、大将戦、圧倒的収支で他校を退けた龍門渕高校!』

 

 ――小走やえは、思わず溢れてくる何かをこらえるために、照明の切り替わった天井を見上げた。

 

『更に、それには一歩及ばずとも、素晴らしい闘牌を見せた――宮守女子だ!』

 

 ――天江衣は、そして小瀬川白望は、ともにどこか溜まりきった感情を吐き出す様子で、立ち上がると、こみ上げる実感を抱えて、対局室を退出する。

 

 ――こうして、波乱に満ちた第二回戦は終わりを告げて、勝者と敗者、その明暗がくっきりと、浮かび上がるのだった――

 

 ――最終順位―ー

 一位龍門渕:142000

 二位宮守 :93500

 三位姫松 :88600

 四位晩成 :76400




大将戦、決着――!
実のところ、かなり無難な結末ではあります。果たしてここに至るまで、どのような感想を抱いたでしょうか、皆さんのご意見などはいつでもお待ちしてます。
次回から、だいたい二話くらいかけて準備回をしてから、準決勝開始となります。
開始には少し時間がかかるので、しばしのほど、お待ちいただければ幸いです。
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