咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『後ろ向きの夜と訪れる朝』

 夜更けて、人が見上げる空も、黒く底の見えない物へとなった。このインターハイ会場を含めたこの場所で、空を見上げるものはいない、見上げる必要のない程度には、世界は明るみを帯びているのだ。

 しかし、それでもどこか顔を上向けて、何かをこらえるようにするものがいる。

 

 晩成高校次鋒、北門美紀だ。この第二回戦、晩成唯一のポイントゲッターとして、一万点を超える収支を叩きだした。しかし結果は振るわず、中堅戦、そして大将戦と、晩成高校は格上の相手に、大敗を喫する事となった。

 これが実力差か、そこにいる者達は、思わずそう考えずに入られない。

 

「……終わっちゃったなぁ、団体戦」

 

「…………そーだな」

 

 応えるのは、エースにして先鋒、晩成を引っ張る一本の柱である少女、車井みどりだ。彼女は、自分自身のの持つ矜持としてか、顔を前からそむけるようなことはない。しかしそれでも、明らかに何かをこらえているのは確かだ。

 ――目には、涙が溜まっていた。

 

「がんばろーな、個人戦……」

 

「そーだな…………」

 

 ボールを撃ちあうように、言葉を投げ交わすものの、その声音には一切のチカラというものがない。涙をこらえるのに精一杯で、それ以外に意識を向けることができなかったのだ。

 それは皆、言葉を出さないものも同じだ。――佐々岡良美は、自分の実力不足による失点が、大きく己に響いていた。そもそも高校としての実力差がありすぎた以上、もはやそんな失点などさほど意味を成さないのだが、それでも良美は、公開せざるを得ない。――自分があの役満を上がっていたら。そんなこと、無に一つの可能性であるというのに。

 ――そして副将、小林百江もまた、あふれる涙を、必死に腕を抑えてこらえていた。無理もない、彼女は出来る限りのことをした。この二回戦、魔物相手に最小限の被害で帰ってこれたのは、彼女と――結果として第二回戦進出を決めた小瀬川白望程度だろう。

 とはいえ車井みどりや鹿倉胡桃といったメンツは、十分その魔物と渡り合っていたのだが。

 

 そんな折、晩成高校の控え室のドアが開いた。――誰もがその来訪を知っている。

 

「…………すいません、でした――ッ!」

 

 悲痛な声で、叫びを上げる、晩成高校大将、小走やえ。――きっと彼女は、自分があの時、という思いが多くあったことだろう。それが大将というものだ。すべての勝敗を決める立場に立つということだ。

 だからこそ――そのやえの言葉に、責め句を告げる者は誰もいない。――そこに、後ろめたさがあるからだろう。それ以上に、頑張ってきたものを、攻めることができるほど、彼女たちはひとでなしではなかった。

 

 ――それでも、経験上みどりは知っている。負けてしまったものは、慰めと同時に叱咤もまた欲しがっているのだ。かつての自分がそうであったように、今のやえが、そうであるように。

 

(ただ慰められただけじゃ、いたたまれないよなぁ。けども、かといってそれをするのは、憚られる)

 

 思考が回る。思い出してしまうのだ。去年、敗北した自分に叱咤をしてくれた当時の先輩――エースの顔を。その時は、晩成をまとめるコーチが若く、そういった配慮をしてくれなかった。今年は、そのコーチが所要で席を外しているのだが。

 それがわかるからこそ、身にしみて――辛い。誰かをしかることが、これほどまでに自分を追い詰めるものだとは、思わなかった。

 

(でも、やらないわけにも行かない。それをしなくちゃ、私達はずっとこのことを引きずる。――よし、覚悟は決めた! やるしか無い、やるしか無いんだよな)

 

 負けたものの将として、去りゆく者の責務というものがある。それを今、果たす時が来たのだ。

 

 

「……やえ、お疲れ様」

 

 

 ――それでも、叱咤、罵倒の言葉でやえを迎える事はできなかった。ためらわれたのと、みどり自身、やえにかける言葉は、なんでもいいと思ったからだ。

 晩成の大将、小走やえは聡明で、頭の回転が早い少女だ。だからきっとわかってくれる。言葉の意味を、理解してくれると、ある種みどりは信頼していた。

 

「負けちゃったな。それでも、最後の国士無双は見事だった。アレは、私でもその選択をする。――事実、テンパイまで持って行って、もしかしたら勝てたのかもしれなかった。やえ、お前の仕事はそれで十分だ」

 

 そんなみどりの言葉に、やえは一切口を挟む様子はなかった。ただ黙して聞いていた。――もうすでに、ある程度は言葉の意味を理解してくれているのだろう。

 だから、申し訳なくなる。こんな言葉でしか、やえを励ますことができなくて。

 

「確かに、――えっと、晩成高校のインターハイは終わった。けど、私達の夏が終わったわけじゃない。団体戦を勝ち抜いた。龍門渕や宮守、私達に勝ったんだ、最後まで勝ち抜いてもらわなくちゃ困る。それに個人戦だってさ、まだ残ってる」

 

 言葉を選ぶ、選ばなくてはならない。この時、みどりはかけてはいけない言葉があると思っている。それは例えば「仕方がなかった」というような慰めの言葉。

 それはきっと、叱責を求める人間には届かない。届かせては行けない言葉だ。

 

「それに、もう少しすれば国麻だってある。国麻は個人戦だから、もうこうやって晩成でチームを組むことはないけど、それでも、まだ私達は麻雀を打てる。だからやえ……前を見ろ」

 

 小走やえは、これからエースとして晩成を率いる立場になる。二年生にして部内ナンバーツー、大将を任せられるだけの実力者が、エースとならないはずはない。

 だからそのために、必要な言葉をかける。

 

「前を見て、晩成を引っ張って行けるくらい、全部を見ろ、全部を見て、それからそれを一切合切想いのままにできるくらい、強くなれ、それは、今のお前に必要なことなんだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

 ――その時だった。

 自分が言葉の連なりの中で発した一言に、思わずみどりはハッとなる。去年のインターハイ、みどりは確かに、同じ言葉で慰められた。それを、思い出してしまったのだ。

 

 ――今の自分と、昔の自分が重なって。

 

(……あれ? 記憶の中の私って、――一年前の私って、こんなに背、小さかったのか?)

 

 そう思った時には、もう遅かった。

 

「……先輩、」

 

 やえが、思わず声をかける。しかしそれ以上は続けなかった。みどりも理解しているからだ。理解してもなお、それを止められないからだ。

 

 ――車井みどりは、そう、大粒の涙を、こらえきれずに流していた。

 

(……う、そ。いや、いやいやいや、ちょっと待って、待ってくれよ! なんで、なんで私が涙を流さなくちゃいけないのさ、ここは、エースで、先輩であるかっこいい私が、やえに大切な言葉を残さなくちゃいけないのに、まだ、まだ泣いちゃいけないのに……)

 

 耐えようと思った。

 しかし、無理だった。

 

 昔の自分と、今の自分。それから、今のやえと、これからのやえ。――そして、仲間とのこと。三年間という晩成高校での生活は、決してみどりを強くはしなかった。ただ、何かを教えてくれたのだ。

 

 成長することと、強くなることは決してイコールではない。

 強くなることが、プラスかといえばそうとも限らない。

 

 

 ――車井みどりは、泣いた。それがきっと、彼女の優しさであり、高校という場所で、教えられたものだったのだ。

 

 

「――やえ」

 

「……はい」

 

「強く、なってね? うぅん、それ以上に…………晩成高校を、よろしく、ね?」

 

「――――はい!」

 

 

 ――そうして、車井みどりの、そして晩成高校のインターハイは終わった。

 涙を流す日の夜は、その涙を隠してくれているようで、誰にも見えない影の中は、少しだけ、心地よさを感じるようなものだった。

 

 

 ♪

 

 

 ――そして、赤路蘭子もまた、どうしようもなくあふれる涙をこらえきれずに、そしてそれ以上に、無理やり作った張りのある声で、チームメイトたちに言葉を投げかけていた。

 

「――本当に、申し訳ないです。姫松高校は、こんな場所で、まけたらあきませんのに、それなのに最後、逆転されてもうて、何も、何もできへんのが、申し訳ないです」

 

 常勝姫松、陥落す。きっと、そんなことをこれからしばらくは、言われ続けることだろう。けれどもそれはしかたのないことだ。負けてはいけない勝負を負けてしまったのだから。

 それくらいの罰は、あってしかるべきなのだと、蘭子は心の何処かで考えていた。

 

 ――けれども、それ以上に申し訳なくてしょうがないことが在る。

 

 自分が率いることになったチームが負けてしまったこと。最善だと思っていたレギュラーが、それでも結局、新参校にも勝てなかったということ。

 

 栄光のレギュラーの影で、涙をのんだ三年生は星の数といる。今年はレギュラーのウチ三人が下級生というオーダーで、それが特に顕著だった。部内最強の愛宕洋榎はともかく、他の二名はかなり挑戦的なオーダーであると蘭子は思っている。とはいえ、それがやっかみになることはないだろう。洋榎と漫は言うまでもなく、恭子とて強さを見せた。

 だから問題は、涙をのんでもらうこととなった最上級生、自分と同じ三年生だった。

 

 ――中には、友人と呼べる人物も、親友と呼べる人物もいた。それでも、蘭子は赤坂代行とともに、あらゆる可能性の元、勝利のためのチームを組んだ、だからこそ――申し訳ない。

 

 本来ならば、自分の中では切り捨てないはずの可能性、それを切り捨てざるを得なかったことを、どうしようもなく後悔する、ほかにない。

 

 だからこそ、そんな蘭子を咎める者はいない。いるはずがない――はずだった。

 

 

「なぁなぁ、赤路ちゃん」

 

 

 一人だけ、赤坂郁乃監督代行だけは、それを遮って、声をかけた。――まるで場違いな、間延びする声調で、どこか引っかかるような言葉遣いとともに、声をかける。

 その言葉は、蘭子だけではない、この場にいる全員を、いきり立てるには十分だった。

 

 

「――それ、本心で泣いとるん?」

 

 

 座り込んでいた洋榎が、思わず立ち上がるほど。蘭子と向き合っていた恭子が、怒りの眼差しを即座に向けるほど、郁乃の言葉は無神経に映った。

 

「な、ちょっと待てや代行!」

 

「そうですよ! 何が本心ですか、主将は――!」

 

 それでも、本人はそんなことどこ吹く風といった様子で、再び蘭子に声をかける。

 

「確かにみんなのことを思うのは当然やねん。ウチも一緒にオーダー考えたし、隣で見てるからわかるんよ? 赤路ちゃん、とってもいろんなことを考えてまうのは、分かるんよ」

 

「――だったら!」

 

 いよいよ持って、恭子の声が荒らげられる。だが同時に、思わず立ち上がった洋榎は、難しそうな顔で席についた。この場の様子を見守っていたりんごが、そんな洋榎に肩に手をかける。

 やれやれ――と、そんなふうに。

 

「…………、」

 

 蘭子は、黙ったまま答えない。その顔は涙に濡れて、しかしつらそうではない。どこか呆然と、郁乃の言葉に聞き入っているような様子だった。

 

「――でも、おかしいねん」

 

 急に、郁乃は優しげな口調を真剣な物へと変えた。たじろいだのは、恭子だ。監督の意図が読めない、そんな困惑を表情全体に表しているように思える。

 

「赤路ちゃんは大将で、主将なんよ。チームを引っ張って、その中心だったはずやねん。せやから――」

 

 一拍、あいた。

 それはどうにも間延びした。重苦しいものに思えて、ならなかった。

 

 

「――悔しくない、はずないねん」

 

 

 ――あ、と漏れたのは、恭子と、それから話に聞き入っていた上重漫だ。

 それもそう、そのはずだ。

 赤路蘭子はそもそも一個人として、大将戦を敗退してきているのである。そのことを、一切無視して語る蘭子には、どこかおかしさを感じてならない。

 

 あの時、人和なんかに当たらなければ――あの時、{3}を切ってリーチしていれば、そんな可能性を、蘭子が考慮しないはずはない。

 

「だからきっと、そうやってないとるんは、本心やないと思うんやけど。どうかな」

 

 郁乃は、締めくくるように、いう。

 それから再び、優しげな、しかしどこかそれに自嘲を加えたようにして、いう。

 

「ウチな、監督代行って、短い間で、経験も殆ど無いんやけど、それでも赤路ちゃんのことはわかろうと思ってきたんや、せやから、ちょっとおかしいと思う。赤路ちゃんは今、悔しくない、はずないねんよ」

 

 そんな言葉に、りんごが続く。彼女はこの場にいる唯一の三年生であり、蘭子の同級生――かけがえのない学友でもあるのだ。そんなりんごが、ポリポリとほほを掻きながら、恥ずかしそうに言う。

 

「なんかなぁ、悔しかったら泣いたほうがええと思うで。特に蘭子は、そーいうの貯めこんどるやろし。責任だったら私もとる。やからお願い、全部、吐き出して?」

 

「う、」

 

 それでもう、限界だった。

 蘭子の顔が、みるみるうちに崩落し、どこか子供のような柔らかさを思わせるようなものへと変わる。それが本当の、赤路蘭子の、顔だった。

 

 

「うあああああぁぁぁ、あぁぁぁああああああああああああぁぁぁぁあぁあ!」

 

 

 控え室中――会場中に響き渡るような慟哭が、蘭子の口から飛び出した。

 三年間、――否、誰かを率いるという蘭子の性質上、生まれてずっと、溜め続けてきた何かが、その時を持って、一斉に崩落したのだ。

 

 蘭子は、どこか一人で大人になった気でいた。そして、どこか子供という部分を、忘れていたのだ。

 

 だからそんな部分は、心のどこか、ずっとずっと奥底に、溜まってよどみ続けていたのだ。

 

 

「ああああああああああああぁぁぁあああああああぁぁあああぁああああああああああああ!!」

 

 

 それが崩壊してしまえばもう、蘭子の涙を留めるものはいない。

 いるはずが、なかった。

 

 

 ――こうして、敗退した二校のインターハイは終わりを告げた。長くて、苦しくて、それでもどこか楽しくて、前を向こうとして、できなくて、もどかしくも、輝かしい記憶となるような、そんな闘いは――終わりを、告げた。

 

 

 ♪

 

 

「……ツ、ツモッ! 500、1000!」

 

『決まったー! 第二回戦をトップで勝ち抜いたのは、臨海女子――!』

 

 大将戦が、そこで終わった。

 臨海女子大将、タニア=トムキンは、大きくいきをひとつ吐き出して、立ち上がった。

 

『そして第二位で進出を決めたのは――――永水女子! 新鋭の高校が、ここに来て準決勝出場を決めた!』

 

 勝利したのは、タニア。しかしその顔にはどこか、焦燥に近いものが浮かんでいた。彼女の特性は、とにかく強者に対して挑みかかっていくような挑戦性。それを持ってしてもなお、その対局は、疲れを覚えるものだったのだ。

 

『その勝敗はまさに紙一重――! 化け物じみた闘牌を見せた永水を相手に、臨海は大きく差を詰められました!』

 

 ――神代小蒔:一年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 

 彼女の瞳は、どこか遠くを見つめるようで、――この場において最も実力を発揮した、タニアにすら興味が無いかのようだった。

 

『むしろ、臨海女子のタニア選手は、よくぞ逃げ切ったとほめられるべきでしょう。それほどまでに永水女子の神代小蒔は強かった――否』

 

 タニアの瞳が、語る。

 ――次は負けない、と。

 

 

『――永水女子は、強かった…………ッッ!』

 

 

 神代はそれに応えることなく、会場を後にした。タニアもそのあとに続いて、両名は、来るべき決戦の舞台へと、意識を向けるのであった。

 

 

 ♪

 

 

 そして、すべての終わった夜、龍門渕高校が宿泊するホテルにて。

 渡瀬々、龍門渕透華――そして天江衣が、向かい合ってた。

 

「――さぁ、衣」

 

 代表するように、瀬々が最初の口火を切った。

 

 

「――話してもらえないか、あたしと透華、二人の抱える“何か”の秘密を」




準決勝開始の準備が整ったので、記念に一話上げておこうと思います。
そして第二回戦のあとしまつ。晩成と姫松の話でした。どちらも強豪校ですから、同じような終局になりますね。

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