長く、そして暑い一日が終わった。
夜の帳はいかにも夏といった風情であったが、しかし東京の熱気は、さらにその夜の一幕に、何かを加えていた。
とはいえそれは、すでにホテルの室内に引きこもってしまった瀬々たち龍門渕の面々には大きく意味があるものではなく、ガンガンに効いたクーラーが、熱戦を切り抜けた少女たちのほてりを覚ましていた。
すでにささやかな祝勝会は終わっていて、明日以降の対策に関しても、資料を渡された後は、また明日ということで解散ということになった。
結果、瀬々と衣、そして透華の三名は、解散の後すぐ、衣と瀬々の部屋へと集合していた。
「じゃ、あらためておつかれさまー」
――カラン、とガラスのジョッキの中で氷が跳ねる。現在瀬々が手にしているのはレモンティーだ。その色合いから、発泡酒、もしくはビールをイメージしているらしい。もしくはたんなる好みの問題か。
残る両名は執事であるハギヨシによって淹れられた紅茶をそれぞれの好みに合わせて楽しんでいる。
衣は風味を楽しみながらもすぐに口をつけ、逆に透華はそのまま香りにうつつを抜かしているようだ。
「いえいえ、まだ喜ぶには早いですわ。第二回戦は龍門渕の歴史においてはある種の関門ではありましたが、それでも私達からしてみれば単なる通過点、姫松がここで消えた以上、気にするべきは明日以降の対戦相手ですわ」
「……そういえば、次は瀬々と因縁のある相手がぶつかるのか」
透華の言葉に、ふと思い出したと紅茶をテーブルに置いて衣が顔をあげる。ゆらりと揺らめく紅い水面に顔を移せば、隣だって座る、瀬々の顔が見えた気がした。
「わかっていたことでは、あるんだけどね」
当然といえば、当然か。
Bブロックの第二回戦が今日終わり、準決勝に駒を進める八校が出揃った。その中には前年度インハイ王者、白糸台やシード校、千里山女子の姿もある。
そして、今日。
瀬々たち龍門渕とは別ブロックにおいて行われた試合、Bブロックもう一つの二回戦における結果が、堂々と発表された。それは龍門渕、そして同時に勝ち抜いた宮守とともに名を並べ、決勝へ進むことが許された二つの席を争うことになる。
それを思い出して、瀬々はどこか複雑すぎる感情を浮かべつつ吐き出す。それは少しばかりの喜びと、膨大な敵意と、そしてにじみ出てくる面倒臭そうなものが集約されていた。
隣から眺める衣もまた、そこに溢れ出る感情の群れに、思わず顔をしかめる程に。
そうやって、何度も何度も複雑すぎる表情を整えて、瀬々はようやく、言葉に変えた。
「東東京代表にして、第三シード――臨海女子」
同時に、永水女子という名前もまた、並んだ。わかっている。どちらも魔物クラスのバケモノを要する怪物校だ。一位抜けの臨海女子に、二位の永水女子は最後の最後まで追いすがったという。
――いや、その表現は正しくない。
「それだけではないですわね、なんでもあの二回戦大将戦――臨海女子の戦いぶりは、いうなれば
それまで圧倒的だった臨海と永水の点差が、大将戦だけでかなり詰められたらしい。しかも厄介なことに、臨海女子はかなり奮闘しているのだ。点棒を失ったのではない
「何、それは衣が気にすべきことであるし、そして臨海女子のこともまた、瀬々が気を留めるべきことだ」
――ここまでは、そも祝勝会における明日への展望を話し合う場でも、さんざん語られたことだ。臨海女子のエースは強い、そして永水女子のエースもまた、化け物であり、魔物だ。
だがそれは、個々が対策を打つ他にないもので、個々が叩き抜くしかないものだ。
だからこそ、その話はここで終わり、そして三者が集まった、本題へと話は移っていくのである。
そう、これは単にただ意味もなく集まって、数刻前の焼きまわしをするための場ではない。本題は自分自身たちのこと、第二回戦にて起きた、不可思議な自体にたいしてだ。
「――それで、衣。説明してくださるのですよね? 一体なぜ、瀬々がこたびの件に答えを持ち出せていないのか、そしてそもそも、私達に一体何があったのか」
「もちろんだとも。衣が言葉の限りを尽くし、瀬々と透華のつながりを、解きほぐしてやろうではないか」
――瀬々と、透華の、つながり。
それは端的に言ってしまえば、血のつながりということになる。
別段深いつながりではない、瀬々と透華の関係は再従姉妹という関係になる。さらに衣はその反対にあり、瀬々とはもうひとつ親等を別とする。
親族としての関係は、ほとんど希薄といっていい。
それでもなお、瀬々と透華がつながるのか、そのつながりが何であるのか、しかしそれを語る前に、まずは透華が、なぜあのような状態に陥ったのか、その説明を衣は始める。
場の空気を取り替えるためか、一口紅茶を口に含むと、カップをてにしたまま、言葉を選んで、放ち始める。
「まず、透華の中にあるものを、一言で表すのなら、龍神、という単語になるな」
「龍……神、ですの?」
思わぬところから、単語は漏れてでた。瀬々もまた、そこらへんの、いわゆる超心理学的オカルトには疎い、ほう、と吐息を漏らして、言葉を待つ、
「そもそも、龍門渕とは今でこそ学び舎の経営で家督を繋いではいるが、かつてはそこら――龍門渕一体の地域を治める立場にあったのだ。――それも、かの天孫が、この葦原の中つ国に降り立つよりも前から在った――国津神というたぐいの神だったのだ」
「……そういえば、そんなことを昔聞いたことがありますわね、私達の家系は元来水を治める神の家系で、水というつながりから、龍神として扱われるようになったと」
「そう、それが龍門渕――我ら一族の始祖だ。正確に言えば、龍を宿した子、だがな」
――龍門渕、
「そしてその直系、龍の血を色濃く残すのが透華、お前だ」
「――私、ですの?」
そう言われて、透華ははたしてどれほど心を揺さぶられたことだろう。生まれてこの方、多少特殊な出自とはいえ、ごくごく普通の人間であったはずの自分が、人間とはまったく別の何かを宿し、その何かの血を引いている。それを大きな納得を持って語られたのだ。衝撃を受けないはずはない。
「しかし透華よ、お前は昔から、ある程度の自覚は在ったのではないか? 自分自身が、ただ特殊な財閥の家系であるという以上に、感じいる何かが」
「そう、かしら。――そう、ですわね。私は普通の存在じゃない。そうでなければ、私があのようなことになるとは思えませんもの」
副将戦で目覚めた、“氷の透華”。治水という、大河の氾濫を異様なほど嫌うあの打ち筋は、単なる通常の打ち方では、捉えることができないだろう。
そのうえで、納得する。
自分の中にあった異常が、思ったよりも、自分の中で、腑に落ちてしまうことに。
「まぁ、納得してしまえばこんなものですわね。目の前には同じようなオカルトがいる。そしてそれは、私と同じように、龍の血によって、なされている」
オカルトを、否定するような類の打ち手では、透華はない。あくまでオカルトを受け入れて、それに対して行動を起こすのが龍門渕透華だ。
そんな彼女からしてみれば、自分の中に、自分がもつデジタルではない、という打ち方があっても、あくまで単に、受け入れるだけではあるのだが。
「とはいえ、それが私の制御から離れるようでは行けませんわね、それにあの打ち方事態はあまり好きではありませんの、自分で思うがままに振る舞えなければ意味がありませんわ」
第二回戦が終わって、牌譜をみせられて、透華はまず最初に、その打ち方を否定した。オカルトではなく、そのオカルトによってもたらされた闘牌そのものだ。
「それはそうだな、まぁそれに関してはまた話の終わりに……単純に強くなりたければこれほどわかりやすいものはないからな」
――オカルトというものは、そんなことを言外ににじませて、衣は嘆息気味に吐き出した。
「次はあたしかな? あたしがなんであの副将戦で眠っちゃったのか。衣はわかるんだ? ――あたしが知らないはずのことを、なんで衣が知っているんだよ?」
「瀬々は知っているさ。知っていないはずがない」
ピタッと寄り添うようであった両名がそれを離して、軽く横目に目を合うようにする。瀬々はそうして剣呑に、衣はそうして楽しげに、それぞれの思うがままを瞳に写した。
「いやいや、そりゃないだろ。あたしに判らないことはない。理解できないことはあっても、答えを知らないはずがない」
「ならば、自覚というものがないのであろう。端的に言ってしまえば、瀬々。これは自分自身のことだ。自覚がないのも無理は無い」
「――自分、自身? あたしに一体何がある? あたしには、答えを知るチカラしかないぞ? それ以上は、決してない」
答えを一度失って、答えだけで前に進んで、答えを守ってここにいる。今の瀬々はそうでなかろうが、かつて壊れた渡瀬々は、そして再構築された瀬々も、この“チカラ”だけが導であった。
衣は違うと首を振る。あくまで真っ直ぐ瞳を見つめて、あくまで深く――覗きこむ。
「その根源が、神につながるものであったとしたら? 瀬々の答えが、神によって為される全知――全治の一端であるのだとしたら?」
そうして放った言葉に、瀬々は間髪入れず言葉を注ぎ込む。体を前にのめらせて、咎めた単語を、拾い上げて突きつける。――答えがそこに、補足を加える。
瀬々が、
ただ単純に、
言葉を放った。
「――それって、つまりあたしのチカラが、
――途端。
透華の顔が、みるみるうちに驚愕に変わった。
彼女の手に収まった、紅茶のカップが大きく震え、水面がその姿を隠す。――取り落とさなかったのは、ひとえに透華のプライドによるものか。
一度口を開きかけ、そこに言葉が伴わないことに気がつく。それだけ驚愕が先行していた。理解によって、そうせざるを得なくなっていたから。
――ここまでの会話。瀬々が出した答え。そして、自分の正体。それらの欠片が、否が応にもひとつに繋がる。
衣は瀬々と透華をつなげるといった。その根源が、龍門渕という、透華の背負う
そんな、透華の感情を見て取ったのだろう、それが落ち着くまでの間待っていた、衣がついに口火を切る。
まるで終焉を告げるかのような、
まるで終わりの笛を吹くかのような。
そんあ黄昏めいた、言葉を、吹く。
「今より十五年ほどまえの、9月10日。――渡瀬々、そして龍門渕透華は、
しんと、静まり返った室内。昼のうちに溜められた、夜の熱気から隔絶された世界。ひんやりと冷えた感触は、瀬々と透華の感情を――急激に冷やしているかのような、感覚を覚えた。
「透華が生まれる時に、透華は龍神を宿した。けど、それは一人の人間には少しばかり重荷になると、透華に宿る神は思った。結果、透華のチカラの受け皿になれるほどの資質――多分あたしには自覚はないが――それがあったから、透華の外付け、全治の中における全知の部分を、あたしに“明け渡した”ってことか」
――衣や透華は理解していることではあるが、瀬々には人とは思えないほどの精神性がある。それが本格的に花開いたのは水穂との対決、それによって麻雀における勝利によって瀬々のチカラが完全に開花したその時であるが、とかく。
「そのせいで透華のチカラは、瀬々の外付けを用いても大きく減衰することになったがな」
案外、瀬々による外付けがなくとも、透華はそのチカラを受け入れていたのかもしれない。自覚のないまま、単なる自分の中の自分の一つとして、理解し、納得し、飼い慣らしていたのかもしれない。
「――だが、おかげで面白いことになったぞ、透華」
衣の言葉が、瀬々と透華をひんやりと冷えた室内から、夏の夜の一時に変じていくのを感じた。
それくらい衣がさえずる一言一言は、底抜けに明るく、他者を惹きつけるものが在ったのだ。
――かつて、“英雄”アン=ヘイリーに、瀬々が衣を似ていると評したように、不思議と今の衣には、どこか人を引き寄せる力があった。
透華あたりは、そんな衣の姿を、かつて耳に聞いた“三傑”の残した伝説と重ねて見つめているのだが。
「透華のチカラは本来であれば、衣の中に眠る羅刹のそれを超えている。人の手に余る神のごとき存在であったのだ。――しかしそれが、果たして流転極まりないことに、そんな未来は何処へ消えた。だからこそ、できることもある」
それはさながら、支配者の演説のようであった。事実衣はこの部屋の支配者であり、代表者だった。聴者、透華と瀬々は衣に惹きつけられたものの一人だ。
とくに瀬々は、衣の存在が在ったからこそ――そこに何かを惹きつけられたからこそ、そう思うものがある。
故に、彼女たちは次第に衣に心中を侵されて行く。浸して使って、染まってゆく。
そんなところに、衣の言葉が、突き刺さる。
「――なぁ透華、そして瀬々。お前たち。――――一つ世界を、超えてみる気はないか?」
続ける。
誰にも言葉を遮らせることなく。そこは衣の独擅場。ただひたすらに、衣が二人に、まくして立てる。
「自分の枷を振り払ってみる気はないか? 自分の何かを脱ぎ捨ててみる気はないか? 自分のすべてを一新してみるきはないか? ――今の自分に、不満はないか?」
そうして、衣の言葉は終わった。
有無を言わせることもなく、ただ一瞬のうちに、瀬々も透華も自分の中に沈み込んでいった。
「――私は、」
最初に、それから復帰したのは龍門渕透華。
衣以上の“何か”を宿す、龍の神の真の寵児。
「麻雀を始めて以来、自分の強さは自分のものとして来ましたわ。ですから、今更神にすがろうなどという気はございませんの」
神のチカラは、必要としない、それが透華の答え。――しかし、ただそれでも、ということはない。透華は続ける。
「……ですが、あのようなチカラ、認めるわけには行きませんの。ですから、もしもあれを手中に収めることで消し去る事ができるなら、それもまたやぶさかではありませんわ」
単なる強さとして――それこそ支配に身を任せるのではなく、支配をあくまで手段の一つとする。自分以上のチカラを持つものに対し、自分をそこまで引き上げるのではなく、相手を“自分と同位にまで引き下ろす”。
それが透華の、結論だった。
「なるほど、相手が自分より強い雀士なら、自分をそこに上げるでななく、相手を自分のもとまで“引きずり下ろす”ってか、そりゃあいいな」
「あぁ、あくまで自分主体に――透華らしい、いい選択だ」
――そんな瀬々と衣の評に、透華は割って入る。それで――と、口を開いたのだ。
「一体、どのようにすればそれは私の元で跪きますの?」
「なに、簡単だ。何度も呼び起こし、その際の感覚を覚えればいい。あとはその感覚を意図的に引き出し――意図的に止める。それだけで透華の望む支配が得られるだろう。そしてそれは――瀬々、お前も同じだ」
「……そうかい」
――衣の言葉は、同時に問いかけでも在った。
瀬々は、どうする? と。
「明日、衣が全力で魔物を暴れさせれば二度か三度は起きるだろう。その時に感覚を覚えればいい。さすがにそれだけでは足りないだろうが、
「…………」
沈黙で、瀬々は答えた。
――考えるようにして、改めて、口を開くのだ。
「あたしには……オカルトしかない。透華や衣のように、強い自分はあたしの中にはない。だったらさ、出来る方法はひとつしかない」
瀬々は体を前傾にして、どこか訴えるように言う。そこに伴う感情を探すかのように、いう。自分でも答えはまだ出きっていないのだろう。しかし、それでも口から漏れる言葉は変わらない。
答えがどんなものであろうと、そこに付随するものは変わらないからだ。あくまで瀬々は、最も必要だと思う、答えをはじき出す。
「そのオカルトでもって、強くなる。あたしのオカルトを、最強なんだって、胸をはれるくらい強くなれば、いいんだろ?」
麻雀を、うたされるのではない。
あくまで自分で、オカルトを選ぶ、それが瀬々の答えだ。
衣もまたそれで満足したのだろう、一つ大きく頷いて――結局それでこのお茶会は終わりを告げた。瀬々と透華、その身に宿る龍の、眼は果たして――どこに在るのだろう。
執筆速度が今月の半ばまで安定するはずなので、さっそくいつもの2日更新に戻してみます。