咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『幸運の西の風』先鋒戦②

 ――東三局、親清梅――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 配牌と第一打、さらには理牌、ここまでを終えて麻雀は一息だ。無論そこからさらに次の手牌、次の状況を思い浮かべながら他家の観察にうつるのであるが、前局の余韻はここで、完全に消え去ったといって良いだろう。

 

 無論、それはこの前の局が、さほど高くもない喰いタンドラドラであったからだが。とはいえそれも、あのアン=ヘイリーが和了ったとなればまた話は別だ。

 

(やっぱり、臨海さんはつよいな。それに多分、意識しているのは渡さんか。ちょっと妬いちゃうなぁ。ま、張り合うつもりはないけど)

 

 自分なりの立ち位置、というものがあると心音は考える。ようは人付き合いと同じだ。時節とともに薄れたり、濃くなったりする立場は多く在る。アンの意識における自分も、またそれは同一だろう。意識が薄いのであれば、薄いうちに大きく稼ぐ。

 

(ずっと一緒にいたいと思う人は一人でもいい! ――思い出にとして、ずっと心の中に残り続ける人は、いるけどね!)

 

 なんともまぁ、とっちらけな意識だろう。そう思わざるを得ない状況ではある。それでも、自分自身が楽観的であればあるほど、挑むという意思は大きくなるのだ。

 

(臨海さんの一番やっかいなところは何よりも、テンパイ速度、さっきの喰いタンドラドラ、一度テンパイしたのをわざわざ崩してから手を作ってた。ふざけてるね全く)

 

 つまり、わざわざ手を崩す余裕があったということで、同時にその段階で、すでにテンパイするだけの速度を持っているということでもあるのだ。

 超高速テンパイと、それを一度崩してなお十二分な和了速度、それがアン=ヘイリーの強みなのだ。

 

(とはいえ、それも絶対じゃない。東一局は全然速度が伴わなかったし、テンパイしても和了する感じがしなかった。打点だって低かったし。――この局だって、臨海さんの手は、まだ一向聴だ)

 

 思考と同時に、ぐぐっと握りこんだツモに、確かな実感が伴う。――心音の盲牌精度は高くはない、それでも、この牌は確信を持って、有効であると判ずることができた。

 

 ――心音手牌――

 {二四六②③④⑦⑨24889(横3)}

 

 これで、二向聴。心音の感覚が告げる“牌の声”による、アンのシャンテン数へ近づいた。ほくそ笑みように、ひっそりと心音は頬を緩ませる。

 

(まずひとつ、追いついた――あとはこれを、完成まで持ってく!)

 

 心音/打{9}

 

 ――が、

 

 瀬々/打{8}

 

 その、直後の事だった。

 

 清梅/打{中}

 

 清梅の打牌直後、いまだ慣れないアンの所作、それに伴って――更に一つ上の動作が、降って湧いて――襲いかかる。

 

 

「……リーチ!」

 

 

 ――なっ、と。漏れ出そうになった声を、心音はどうにか、息を呑むような音で収めた。

 

 アン/打{9}

 

(……ッググ、ヤッパリ来たか)

 

 アンがねじ曲げた打牌、そこからある程度の察しはついた。それでも、心音の苦渋はとまらず、苦々しげな表情が、感情全体を支配していく――

 

 

(やっぱ仕掛けてくるか……ね)

 

 そんな心音の様子を、傍目から見守るものがいた。無表情の中に、観察の意思を込める、渡瀬々の双眸だ。それが、悟られぬようにしながら心音を鋭く見やっていた。

 

 宮守/打{六}

 

(あー、畜生、たしかにそこも現物だけど、あたしがほしい牌はそこじゃないんだよな)

 

 ――瀬々手牌――

 {三三四12356789北北}

 

(一発消しは、無理か。ってなると自摸られるな。――がまぁ、問題はそこじゃない。やっぱアンのやつ、宮守のの弱点に気づいてやがるな?)

 

 ――宮守女子、鵜浦心音のチカラは万能ではない。瀬々のそれと似通った、最適解を知るという類のチカラは、その副産物として他家のシャンテン数を知ることができる。

 しかしこれには落とし穴がある。端的に言えば、“和了り目のないテンパイはテンパイと認識しないのである。

 

 たとえば{79}の嵌張待ちが、{8}が純カラであるために和了ができない状況にある場合、心音のチカラはそれを嵌張待ちのテンパイではなく浮き牌二つの一向聴と見て取るのだ。

 ゆえの、奇襲。それこそ、第二回戦で見せた瀬々の暗槓による強引な手の進みなどに、心音は意識を対応させられないのだ。

 

 ――この場合は、端的なテンパイであるがそれでも、本来であればテンパイであったという事実が、心音の意識に浸透するのである。

 

(ま、あたしのやったのにしちゃあちゃちだが、二番煎じは好かない、か)

 

 瀬々の意識が、諦めに近く寄り、手牌を倒しクローズにする。直後に、アンの宣言が響いた。――その手牌を見ることで、より一層、心音の顔が青ざめる。

 

 

「――ツモ! 2000、4000!」

 

 

 ――アン手牌――

 {二二二六七八①①①3388横8}

 

 ――ドラ表示牌:{三} 裏ドラ表示牌:{發}

 

・臨海 『111000』(+8000)

 ↑

・龍門渕『100000』(-2000)

・宮守 『95000』(-2000)

・永水 『94000』(-4000)

 

(ドラは乗らない――か。いやさ、今は東三局だったな。丁度開局時西家の席が――親になる番だ)

 

 それもこの半荘、仮親がそっくりそのまま親になった。この対局室は仮親の席がそのまま東の方角になる。つまり今の西家が座っているのは方角としてみても西である、というわけだ。

 

(衣いわく、土御門――だったか。かつて日本の陰陽師全体を取り仕切っていた家系。安倍晴明っていやぁ、あたしでも知ってるな)

 

 超心理学、いわゆるオカルト。麻雀にも当然のように使用される用語ではあるが、その本質上、本場といえるのはやはり魔術や悪魔といった、常識外の分野だ。

 残念なことに、麻雀におけるオカルトならばともかく、本物のオカルトに瀬々は疎い。それというのもそもそも、自分自身がそのオカルトそのものであるという事実。さらにそのオカルトが、恐ろしいほど即物的に使用できてしまうという現状が、オカルトにおける本質、神秘の世界への意識に壁を作ってしまうのだ。

 

 その点衣は、自分自身の異質を幼少期から強く自覚し、考古学者であり、そういったことへの造詣も深い両親から、半ば英才教育のように様々な知識を与えられていたため、そういったことは衣の専門であるのだ。

 

(でもまぁ……こちとら一般女子と付き合いをしなくちゃいけない身なんだよ、風水っていったらあたしも解る。――案外単純な話だよな)

 

 風水、それにおける西は、つまり金運。――土御門清梅は陰陽師である。それもこの麻雀の舞台においてチカラを発揮するような、そんなチカラを持っているのだ。

 得意分野は、風水。いまこの半荘における、幸運の西の風を、清梅は支配するのである――

 

 

 ――東四局、親アン――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(ここからが、ほんとに気をつけなくちゃいけないところだぁね)

 

 手牌を鑑みながら、気合を入れなおすように心音は意識を切り替える。前局、テンパイを一向聴んと読み取った自身の目。それによる衝撃は、生半可なものではない。

 ある程度、手を止めざるをえない程度には。

 

 それでも、次局はアン=ヘイリーの親番だ。ここでもし、アン=ヘイリーの連荘を許してしまえば、宮守は窮地に立たされてしまう。

 それだけは、絶対に避け無くてはならない。

 

(……アン=ヘイリーの手牌は三向聴、手牌さえ良ければ十分上回れる!)

 

 ――心音手牌――

 {三五七②②②⑧⑨13北發發(横5)}

 

(両面無し、ドラ一つだけど活かしにくい。それでも私なら、これくらい簡単にテンパイに持ってけるんだよォ!)

 

 鵜浦心音のチカラ、牌の声を聞くというそれは、主にムダヅモがないということは、それだけで大きなアドバンテージとなるのだ。

 ――故に、

 

 心音/打{北}

 

 ――そのツモは、心音の感覚には、異様なほど異質に思える。

 

 心音/自摸切り{一}

 

 心音/自摸切り{9}

 

(……ん、手が重い、鳴ければ空気が変わるんだろうけど――)

 

 自身の感覚が、それを受け取った心音本人が、ようやくそこで、凝り固まった場の空気を理解する。――重苦しいのだ、今この状況が、異様なほどに、重い。

 

(臨海さんの闘牌スタイルはいうなら豪運快速型、他人よりも早く和了るということに主眼を置かれたような打ち筋。他家の手を縛るような配牌はこれまで見られなかった……となると、これをやってるのは……永水さんか)

 

 ――永水女子先鋒にして主将、三年生の土御門清梅は、明らかにオカルトへ傾倒したような打ち筋だ。しかし、そのオカルトはどこかブレのような物がある。

 結局それは準決勝開始直前になってもなお、全容を知る事ができなかったのだが――

 

(ここに来て、また新しいオカルトか。一体どれくらいの手札を抱えてるんだろーな)

 

 だが、それもあってか、この局はなんとでもなるだろう。さすがのアン=ヘイリーといえど、初見のチカラにまで、完璧な対応をできるはずも、ないのだろうから――

 

 

(……っと、{發}が重なったかぁ)

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五九九⑤⑦⑧345發(横發)}

 

(土御門清梅――さすがにこれ(・・)をなんとかするチカラはない、か。とはいえこの{發}、絶対に鳴けない牌だ。その上で、王牌に{發}は無いから、誰かが対子で抱えてるってことになる。ここからテンパイに持って行くなら、{九}を切って頭を{發}にするのが最善になるな)

 

 ――とはいえ、それには少しばかり速度が足りないことだろうが。

 問題はそこではない、土御門清梅の手牌はおそらくそろそろ一向聴、テンパイにとるのであれば、瀬々はたった二枚しか無い{九}を、それも鳴いてずらされなければ掴むことのできない牌を待ちとして、他家に勝負を挑まなくてはならない。

 

 その上――

 

(アンが不気味だ。永水の奴は他家の運気を吸収して手を縛り、自分の手の打点を上げている。――それはアンですら裏ドラがのせられるか不透明になる強烈なもの……それはわかってるはずなんだが――某か、アンが動いてくる気がしてならない)

 

 ――他家はこのアンの親番、アンという少女を最大限に警戒しなければならない。だというのに、それこそがアンの狙いだと言わんばかりに、今のアンはとにかく静かだ。

 

(あたしから見える情報と、宮守の鵜浦さんの様子を見る限り、アンの奴はまだ手牌を一向聴にもしすめていないはずだ。だとしたらこの感覚は――やっぱこいつの術中ってことかよ)

 

 ちらりと、アンの方を垣間見る。それこそ東二局でのまるで的の中央を射たかのような的確な鳴きを見せられた時以上に、今の瀬々は狼狽して言う。

 他家の精神的な疲労すらも、アンニしてみれば一種の攻撃手段だ、ということ。それだけアンは的確に、人の心理をつくことに長けているのだ。

 

「リーチ!」

 

 だからこそこの局、アン=ヘイリーは動かない、それこそまるでそれが当たり前の姿であるかのように。たとえ永水、土御門清梅からのリーチ宣言があっても、同じ事。

 

 

 ――動けないはずの手牌すら、アンは武器に変えてくる。

 

 

「ツモ――! 4000、8000である!」

 

 

 ――清梅手牌――

 {45678999東東南南南横東}

 

 ――ドラ表示牌:{⑦} 裏ドラ表示牌:{8}

 

・永水 『110000』(+16000)

 ↑

・臨海 『103000』(-8000)

・宮守 『91000』(-4000)

・龍門渕『96000』(-4000)

 

 

 清梅が切り開いたはずの活路。しかしその終着点は、――アン=ヘイリーによって、束ねられているのだと、そう思わせるほどの、チカラが今、そこにある――――

 

 

 ――南一局、親心音――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

「――ポン」 {發發横發}

 

(む、ツモが戻ってきても、素直に喜べねーよう)

 

 アン/打{五}

 

 アンの鳴き、それにより心音の払った{發}が浚われた。勢いよくスライドした牌が、カンッと異性のいい音を響かせて跳ねる。余裕ぶったアンの態度が、そこには現れているような気がした。

 不意に、心音の視界がぶれた。

 

(……疲れてるのかなぁ)

 

 ぼやき、それからツモへと手を伸ばす。ダルいということはない、手にもまだ、チカラが宿っている。それだというのに、この感覚は一体南なんというのか。

 

 ――心音手牌――

 {二二四四五⑧⑧⑨34北北(横⑧)}

 

(重なった。臨海さんの鳴きで随分流れが変わったけど、こっちの手牌に対して臨海はテンパイ、一手の遅さが否めない)

 

 考えながら、自然と伸びた{⑨}への手を触れる直前で、心音は差し止めて考える。何度か頭を振って、意識を別の方向へ切り替える。

 

(まずいまずい、この対子場の状況で、ヤオチュー牌が生牌っていうのは正直おかしい。{⑧}が三枚あるから通りそうだけど、対々和が十分あり得る以上、この打牌は不用意だよ)

 

 今の自分が気にするべきことは、テンパイであることを事実として認識し、気をつけ無くてはならないということだ。

 

(幸い今なら現物がある。この牌を切っていくのは、勝負手を張っていざ勝負、そんな状況で構わない――!)

 

 心音/打{五}

 

 ――その直後の事だった。どうやらテンパイにこぎつけたらしい永水が、心音の止めた{⑨}を手出しで切り、放銃。

 

「――8000」

 

 苦しそうに、うめき声を上げるのだった。

 

・臨海 『111000』(+8000)

 ↑

・永水 『102000』(-8000)

 

 そして、南二局、心音に四巡目にしてタンヤオ手のテンパイが入る。当然リーチをかけ勝負に出た心音、アンの動きは龍門渕の打牌を鳴くこと、それによる一発消しにとどまった。

 

(――なんだか知らないけど、動かないのならそれでもいい。一発は消えても、和了は和了だ)

 

 意気込んだ心音の思考の元、和了り牌を掴むまでに、五巡。その間、龍門渕は完全にベタオリ、残る二校の動きはしれないまま、この南二局を終えることになる。

 

 そしてつづく南三局。

 ――この日最初の衝撃が、インターハイ会場すべてを包んだ。

 

 

 ――南三局、親清梅――

 ――ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 実況席、実況を行うアナウンサーと、それに対する解説者、瑞原はやりが座る場所。

 小さな個室に、しかし二人というメンバーはさほど余裕のある状況だ。

 

「きまったー! 南二局は宮守女子の初和了、これで焼き鳥脱出です!」

 

「かなり高速のテンパイですが、この手を作れるのは、やはり鵜浦選手のような手作りセンスがあってこそだと思います☆」

 

「そうですね、これは龍門渕の渡選手もそうですが、鵜浦選手はとにかくムダヅモが少ない、まるで牌が見えているかのように!」

 

「牌が見えるという事はありませんが、やはりこの辺りは鵜浦選手の巧いところでしょう」

 

 まるでオカルトを前提で語るかのようにシャウトするアナウンサーを、はやりが宥める。とはいえ、そのはやり自身が高いテンパイ速度を武器とする、まるで牌が見えているかのような雀士なのだが、とかく。

 

「そしてこの局も臨海女子、ヘイリー選手は沈黙です。東一局でもそうですが、リーチ直後に鳴いたあと、一切手を進めることもない――!」

 

「他家からみてもそうですが、鳴いてからツモった牌はすべて、リーチ者の現物です。このまるで謀ったかのような感はアン選手の強みですね☆」

 

「アン選手といえば、その謀ったかのような感、ですね。一つ一つのツモや動作が、まるで本人の手のひらの上であるかのように動く、という」

 

「麻雀は非常に複雑なゲームです。ですので一人の雀士が卓上すべてをコントロールするのは難しいですが、それでもまるで“動かされている”という感覚そのものが、アン選手の武器になってしまいます」

 

 コロコロと、卓上を柔軟に転がる何かのように、軽快なリズムで語られるアナウンサーの言葉を、逐一上乗せするようにはやりが語る。

 そのどちらにもよどみはない。アナウンサーはそれこそが本職であるが、やはりはやりも、こういったことには慣れている、ということだろう。

 

 そしてその語る内容は、アン=ヘイリーの闘牌に集中する。

 他家に対して、まるですべてを見透かしたかのような態度をとることで、勘違いを起こさせるのがアンの雀風だ。アンの振る舞いすべてがある種の張ったりである、それは一種の共通認識として対局者へと広がってはいる。しかしそれでも、アンは未だに強いのだ。

 

「解っていてもなお、どうにもならない存在。アン選手はただそういった態度をするのではない、そこに持ち前の豪運でもって、そういった態度を、成立させるだけの機運を持っています」

 

 そう、それこそがアンの本当の強さ。アンが自身を最強の高校3年生だと、称するだけの、最大の土台。

 

「――その一つが、このような形で、姿を表すことができる。もはやそれは、圧倒的な理不尽に近いものですけどね☆」

 

 物々しい様相で、不意にはやりが声音を低くする。それこそいかにそれが周囲の不安を掻き立てるか、完全に把握した上で、まるで獲物を狩るかのように、はやりが嗤うのだ。

 実況解説の情報は、声しか響かないがゆえに、やりたい放題であるといえる。

 

「なんか、牌のおねえさんがしていい顔じゃない気がするんですけど……」

 

 アナウンサーの苦笑混じりのツッコミは、小さく、マイクの向こう側へと漏れて、消えていくのだった……

 

 

 ――対局室――

 

 

 配牌を終え、心音は心機一転、意識をもう一度前傾にする。無論ここまでの対局、そのほとんどがかなりポジティブな心音の思考が全開になっているとはいえ、それでも何度か、心音は自身の精神を揺さぶられていることを自覚している。

 アンの術中にハマっていることくらいは、理解しているのだ。

 

(それでも、負けられないことは負けられないし、ここは団体戦の舞台なんだから、負けたくなんか無いわけでねぇ!)

 

 純カラの嵌張を察知できなかった感覚の失敗。ムダヅモがないという大きなアドバンテージを持ってなお追いつけない速度、いちいち心音の心胆に直接物理で殴りかかってくるかのような圧迫感。

 ――それでも心音はこの対局、前を向かざるをえないのだ。

 

(……さーて、それじゃあまぁ、行ってみましょうか)

 

 ――心音手牌――

 {三四四五②②⑤⑦⑧1369}

 

 ――だが、そんな心音の心境をあざ笑うかのように、さらなる揺さぶりを、アンはかけてくる。――それこそ何もかもを叩き潰さんがために。

 ――おのが覇道を、世界の全てに刻み付けるかのように。

 

「……ナッッ――!」

 

 いよいよもって、心音の口から驚愕が漏れた。

 

 アン=ヘイリーの第一打。単なる牌の打牌はしかし、一瞬にして攻撃的な最も攻めの姿勢に変わる。牌を横に、“曲げる”のだ。

 

 

「――ダブル立直(リーチ)!」

 

 

(そん、な――)

 

 ここに来て、このテンパイ、馬鹿げているかのような配牌が、今目の前で起こっているのだ。

 

(こっちの配牌は、かなり良い感じの配牌で、普通に進めれば和了までは行かなくても、テンパイくらいは余裕なはずの配牌で……)

 

 心音/ツモ{5}

 

(ふざけんな……! 安牌、なしかよぉ)

 

 勢い良く猛った感情が、それから急速にしぼんでいく。自分を守れるようなものがなく、踏み込むにもそこにいるのは圧倒的な絶望感を抱かせるに十分な相手。

 勝てるわけがないと、膝をつきたくなるような相手。

 

 ――負けたくはないのだ。

 ――諦めたくもないのだ。

 

 ――――それでも、ダメなのだ。

 

 そこには間違いなく、心音には手も出せないような存在がいて、それが心音を踏み潰しにかかってくる。それが心音には解るのだ。――どうしようもなく、解るのだ。

 

 伏せた顔。ウェーブがかった、本来であればスカーフに隠された前髪が一房、心音の顔を覆う。影に隠れた顔からは、どうしようもないと途方に暮れる、傍観のそれが、伺えた。

 

 それから、ポカンと開いた口。塞がらなくなったそれを、無理やり歯ぎしりのような食いしばりに変わって――

 

(……やって、やる。やってやる! このくらいで、諦めてたまるか!)

 

 心音/打{9}

 

(こんなん当たったら、事故だってーの!)

 

 ――そして、

 

 アンは、

 

 手牌を、倒さない――

 

 ふぅと一息、切り替わった心音の視点。ようやく見えたアンへと挑むための一本道。――その先に見えるものはなくとも、進まなくてはならない道程。

 

 ――それが、

 

 

 心音の目の前で、無残に禍難、大厄に、叩き壊す、者がいる。

 

 

「――ツモ」

 

 

 アン/ツモ{9}

 

(……な、)

 

 勢い良くたたきつけられた牌。それに心音の目線が、いよいよ持って驚愕に見開かれる。――ありえないこと、あってはならない光景が、そこには転がっていた。

 

 ――アン手牌――

 {一二三六七八45678中中} {9}(ツモ)

 

「ダブリー、一発ツモに、裏は――」

 

 ――裏ドラ表示牌:{發}

 

「二つ! 3000、6000!」

 

・臨海 『122000』(+12000)

 ↑

・龍門渕『91000』(-3000)

・宮守 『92000』(-3000)

・永水 『95000』(-6000)

 

 和了れていたはずの手。それを無視してでも自身のツモに持っていった和了。失っていたはずの心音の点棒。アンが手に入れたそれ以上の収穫。

 

 それを同時に認識した時。

 

(――あ、)

 

 ――心音の中で、何かがぐにゃりと、へし曲がる音がした。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(オーラス。二度目の、臨海さんの親番)

 

 ――なんとかしなくてはならないはずだった。心音はアンと直接卓を囲む雀士の一人で、宮守を背負わなくてはならない立場にあって、――それでも、どうにもできない現実が、そこにはあった。

 

(でも……臨海さん、もうテンパイだやぁ、これはどうしようもない、かな?)

 

 ――どうにかし無くてはならない状況で、どうにもならないことが心音にはわかってしまうのだ。自分の手が異様なほど進みが遅いということも。

 それによって、心音自身が、意思を薄弱にさせているということも。

 

(こんなの――現物以外切れないよ、でも)

 

 ――心音手牌――

 {三四四八九④④⑦⑨79西西(横七)

 

 ――アン捨て牌―― 

 {1發8二東南}

 

(安牌、全ッ然ないなぁ)

 

 ガシガシと、頭を掻き毟りたくなるような衝動を、ギリギリでおさめる。体中の落ち着かない感覚が、自身の平常を否定していた。

 ――それでも、この卓に座った以上、心音は逃げ出すこともできないのだ。

 

(理想としては{7}だけど、結局は無筋とそんなに変わらない。むしろ{9}のほうが通りやすいくらい。二枚切れで序盤に裏筋が切られてる。――{7}は私の視点から、四枚見えてる)

 

 そうであるならば、だ。

 

(もしも{9}を待ちにするなら、地獄単騎以外ありえない。だからこの牌は、通る――はず!)

 

 心音/打{9}

 

 ――が、しかし。

 心音の打牌音は直後、よく似たような、しかし別物の何かによって遮られた。それは、誰かが手牌を開いて、立てる音。

 

 

「――ロン」

 

 

 ――アン手牌――

 {一二三七八九⑨⑨⑨1239横9}

 

「……7700!」

 

・臨海 『129700』(+7700)

 ↑

・宮守 『84300』(-7700)

 

(……なんなのさ、もう!)

 

 顔を伏せて、点棒ケースを開けて、手にした点棒は、自分自身の心だろうか。――それすらもわからないような状況で、心音は重苦しいにも程がある嘆息を、吐き出すのだった。

 

 

「さぁ――一本場ですよ!」

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

(さすがではある――が、同時に不可思議でもある)

 

 土御門清梅は自身の中に浮かぶ違和感を、丁寧に一つ一つ解きほぐしてもなお、どこか心の奥底にのこるしこりのようなものに、違和感と、いいえもしない不和を抱いていた。

 その対象はやはり、英雄、アン=ヘイリーにあろう。

 

(南三局のダブル立直。明らかに普通ではない。それこそ私のような、異質を身に宿した者のようにも思える。しかし第二回戦のときからここまで、観察し続けてきた限りでも、そのような兆候は皆無といってよいものだ)

 

 今、この半荘には陰陽師としてのチカラ――それこそ、土御門という家格にふさわしい、実戦級の実力――を持つ清梅のそれが、発揮されている。

 西向き、西家のその意味は金運。他家の運気を奪い取り、自身の勝機に変える力。それが正常に作動していれば、裏ドラなどのせようも無いし、そもそもダブルリーチが可能なほどの配牌が、最初から現れるはずもないのだ。

 

 それこそ――

 

(それこそ、あの龍門渕の血族のように、永水(ウチ)の巫女衆のように、神をその身に宿すほどの権能がなければ、私のチカラは破られないはずだ)

 

 しかし、アン=ヘイリーはのせてきた。ただの人間の位階にいながら、ただの雀士としての存在でありながら、何のチカラもない、ただ運がいいだけの雀士でありながら、思いのままと言わんばかりに、裏ドラをのせてきた。

 

(神にその手を抱かせる者――話としては聞いたことがある。だがしかし、それというのは、これほどまでに圧倒的なものなのか? 人の枠を越えながらも、あくまで人間として最大限のチカラを振るう、そんな存在だと、こいつは言うのか?)

 

 丁度、雀士としての土御門清梅が知る、そんな存在が、一人いる。その人物は化け物じみた観察眼と、卓越どころか、超越仕切った技術によって、他家を全力で翻弄する相手だ。

 

(……だが、それだけでは無いようにも思える)

 

 アンにはそんな怪物染みたチカラがあって、それにより、アンは実力を発揮しているのだとしても、それでもおかしいと思うものが在る。

 

(二回戦の時は、単なる不調だと流したが、この準決勝では明らかにおかしい。これまで西家の風は一度も切らずに温存してきた手札だ。それだというのに、なぜ私はそれを、すべて見透かされているような気になるのだ?)

 

 ――むしろ、そのチカラ自体が、意味のないものだと言わんばかりに、今の清梅の手は思い。東場のアンの親を流したときは、こんな感覚はなかった。

 しかしそれよりも前に、こんな感覚を覚えないでもなかった。

 

(そもそも、だ。西家に座った私が、西家で和了れないのは明らかにおかしい。……なんだ? 何があるというのであるか? それが、一体――何を私に枷とするのだ?)

 

 それすらも、分からない。

 何もかもが、分からない。

 

 すべてがまるで霞がかったようになり、ただアンの姿だけが明らかとなる。

 

 

「ロン――9900」

 

 

 彼女だけがこのあやふやな状況を、まるで当たり前のことであるかのように――その両足で、自由に世界を、闊歩してみせるのだ。

 

・臨海 『139600』(+9900)

 ↑

・永水 『85100』(-9900)




タイトル的には清梅の回だけど、実際はアンの回。
というわけで先鋒戦は大体アンの独壇場です。

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