アン=ヘイリー。“自称”世界最強の高校三年生、去年までは最強の高校生を自称していた。
両親は生まれこそオーストラリアの人間であるが、アンの生まれは欧州の国家である。どちらも雀士として名をはせ、同郷の人間であるということが縁となったのだろう。
そんな両親の元で育ったアンは、それが必然的であると言えるほどに、ごくごく自然に麻雀の世界へと足を踏み入れた。
最初は、他人よりも少しだけ運のいい程度、それをアンが自覚したのは、年齢が一桁に届こうか、というほどだった。
麻雀において、まず先立って必要なもの、それは間違いなく運である。アンにはそれが確かにあった。しかしそれだけで勝ち抜けるほど、麻雀というものは簡単なものではなかった。
少なくとも、世界トップクラスの実力を持つ両親には、アンはただ運に任せているだけでは、終ぞ完勝したということはなかったし、思えなかった。
そんなアンも、少しずつ成長し、知恵を使って麻雀を打つようになる。
今のアン=ヘイリー、最強を自称する少女の原点は、そこにあったといえる。
アンのスタイルはあくまで自分の豪運に則ったものだ。アンそのものには特別な力はない、牌の偏りも、ツモの支配もない。本当にアンは、ただ少しだけ運のいい少女、であったのだ。
そんな彼女の打ち筋に、彩りを加えるのは彼女の雰囲気であるといえる。
麻雀において、なぜ特別な力ではなく、運に頼った少女が強さを持つか、その根源は、アンがもつ雰囲気、立ち振る舞いだ。
とにかくアンは頭のいい少女であり、自分の振る舞いが、いかに他者へ影響を与えるか、理解していた。
結果、アンは麻雀にその“理解”を持ち込むようになる。他者を恐怖させるよう、行動の所作に意識をこめたのだ。
アン=へイリーにもし特別な才能があるとすれば、他人に自分自身を畏怖させるカリスマであるといえる。ただ純粋に、気運という特徴ある少女が、その気運を“強く見せる幻想”を、麻雀の卓上に、作り上げて見せたのだ。
ゆえに、アンはそのカリスマへ、実力――たとえば観察である、だとか、たとえば迷彩である、だとか、技巧によって為される事象だ――を加え、強さというものを確立した。
そこから放たれる、なんでもできてしまうのかもしれないというほどの全能感、それをアンは自ら他者に植えつけてしまうのだ。
神に愛された英雄、アン=ヘイリーとはつまり、そのようにして作られたのである。
そうして、アン=ヘイリーはやがて、世界でも多少は名の知れるプレイヤーになった。それはただ強さを身に着けたから、麻雀そのものに関わる特別ではなく、あくまで人としての特別を晒しているわけでもない。
彼女の父親が、アンの名を知れ渡らせるのに、大きく影響していた。
アンの父親は、いうなれば渡り鳥の旅ガラスとでも呼ぶべき人種で、とにかく旅を好んでいた。旅先でその名を請われ、麻雀の大会に参加、優勝することもあった。
その影響を多きくアンは受けたのだ。麻雀を習って、少しして、アンもその父親の旅に付き添うようになった。最初は弟子のような同乗者として、その後には、ある種相棒のような関係として。
父が麻雀大会に参加すれば、アンもそれにあわせていくつかの麻雀大会に参加、優勝、ないしは好成績で名を残した。
そうしているうちに、アンは父親の娘、という肩書きではなく、アン=ヘイリーという一雀士として知られるようになった。やがて成長し、高校相当のスクールに入学するころには、一人で世界を回るようなことも増えてきた。
アンの過去には、幾重にも折り重なった、数多の出会いが広がっていた。彼女が一人で、父とともに、時には旅先で知り合った仲間とともに、世界を巡り、自分の世界と他者の世界のつながりを拡げ続けた。
それは例えば、自身の不幸を嘆き、他人を信じず遠ざけて、結果何もかもを失いかけていた少女であった。
そんな少女に、アンは不幸とは無縁の奇跡を教え、少女に宿る悪運を語った。それはきっと、アンが繋いできた経験ゆえであり、少女との出会いがあってこそだった。
ほかにも、アンの父のファンだという少女に出会い、その少女は、アンの父を打破したいと語った。無論それは本人にも絵空事だとわかるほどのことではあったが、それでも少女は前を向いて、胸を張って勝ちたいと語っていた。
少女は同時に、娘であるアンにも同時に興味を持った。激しい戦闘狂の気は、アンのカリスマとぴったりはまってしまったのだ。
そして、世界に麻雀をもっともっと広めたいという少女がいた。彼女は自分の世界のすべてであった、麻雀を、今よりもずっと誰かに知ってもらいたいと考えていた。そのために、世界を巡り、麻雀を指南したいと常々考えているようだ。
そんな彼女の考えは、アンにも大きな影響を与え、のちにアンが語ることとなる、麻雀という世界の境界線を越えた存在への興奮は、彼女から与えられたものだった。
数多の人との出会い、そして交流。――別れがあって、そしてまら別の出会いもあった。二度とあうこともないだろうと、そう思う人間だっている。
いっそ会いたくないとすら思うほどのものもいる。
それでも、アンはそんな人たちと関わって、世界観を交わらせたことは想像に難くない。――アンには人とは違うカリスマがあって、それはどこか普通とは違う人々を、引き寄せ惹きよせ、惹きつけ“合って”いるのだ。
そうして今の、アン=ヘイリーがここにいる。
長い長い旅の末、彼女を慕う戦闘狂の友人や、悪運の強い友人の誘いもあって、アンはとある国の、とある高校へ通うことを決める。
とはいえそれは、あくまで特別待遇の、麻雀傭兵としてであって、余談ではあるが、アンは実のところ、高校どころか大学を出てもおかしくないほどの学力を有していたりもする。
その高校の名は――臨海女子、東の隅の、島国の、日本に名だたる名門校である。
アンがその高校を、日本の高校を選んだことにはもう一つの理由がある。日本には、元世界第二位のランカーであった小鍛冶健夜がいる。
世界ランク第二位、つまるところ、
自由奔放、わが道を行く典型であるところのアンは、しかし自身の両親を、決して軽視することはなかった。父も母も、人並み以上に尊敬し、愛していたのである。
ゆえに、自分の感情に、母の思考を感情移入させることは、決して不思議なことではない。
同時に、アンがかつて温めた旧交が、こうして一本の線のようにつながったのだ。アンとしても、その状況に一切の不満はない。
入学するまでに、十五年、それから過ごすこととなる三年、合わせて十八年の歳月は、アンの世界を、ダレの手にも収まらないような大きさにまで拡げるに至った。それはアンのどこか人を引き付けるカリスマと、誰にも束縛されない飄々とした性格が、それを成すに至ったのだろう。
世界を闊歩するその足で、世界を仰ぐその両手で、アンは自分自身の世界を広げてゆく。つながりを増やし続けてゆく。敬愛する両親と、親愛なる親友と、遊愛なる悪友と、アンが渡り歩いた世界の中で、交わし続けた別世界と――
――その最もたる舞台が、この全国高等学校麻雀選手権大会、インターハイだ。
アンは臨海女子に入学してすぐ、一年生の段階でインターハイのそれも大将という高校すべての勝敗を決する場所を任され、全国の舞台へあがった。
それだけ期待が大きかったということであり、アンはその期待に見事、答えてみせた。初出場のインターハイ、一年ながら他者を圧倒する活躍をしたアン、及び臨海女子は夏のインターハイを優勝。更にはつづく二年生時、春の全国大会、いわゆるスプリングにて連覇を達成、臨海女子の全盛をここに築いた――かに見えた。
インターハイを席巻する超特大級の魔物、小鍛治健夜の再来とも言われる雀士、――――宮永照が、インターハイの舞台上に、現れるまでは。
宮永照は強かった。かつて一度として――公式戦の舞台で、ではあるが――敗北を喫したことのないアン=ヘイリーや、三傑の一人、大豊実紀が、そして個人戦で対決した、現在日本トップクラスのプロとして活躍するあの戒能良子や藤白七実が、ろくな抵抗程度しかできずに――敗北したのだから。
あの役満モンスター、大豊実紀やアンですら、プラスの収支で半荘二回を終えるのがやっと。――千点以上の点棒を、稼いで帰ってくるのは不可能だった。
圧倒的とすら言える事実。敗北という結果。だれもアンを攻めはしなかったものの、その瞳にはある種の絶望があった。――とある戦闘狂を除けば――ハンナですら、アンが勝てなければ誰も勝てないと、そう諦めてしまったのだから。
――それでは、当の本人、アンは果たして自身の敗北をどう受け止めたか。――単純である。
――歓喜だ。未だ相まみえることのなかった強敵と対峙したことの、言いようもない歓喜の感情。それこそが照に植え付けられたアンの否定しようがなく、そして揺るぐことのない感情だった。
ただ強いだけでは勝てない相手がいることを知った。――自分以上に、理由なくただ強いと思える相手を知った。そしてそれを知れたことがたまらなく嬉しいと思えた。
勝ちたいと、そうも思うようになった。――そんな感情をアンが同年代に抱いたのは、それが生まれてはじめての事だった。
そうしてこの三年目の夏。アンは最後のインターハイに挑む。結局秋からは先鋒を任される事になったアンは、どうやらその宮永照とは、もう公式戦での再戦機会はないようだが。
それでも、アンが彼女と闘い手に入れたチカラは間違いなく、今はアンの中に眠っている。それは絶対であると、胸を張って掲げられるだけのチカラを、アンは手にしているのだ。
――そして。
♪
「――瀬々!」
先鋒戦、前半戦と後半戦の最中。短い短い休憩時間、偶然というには少しばかり可能性の幅は大きかろうが、とかく偶然の結果、アンは会場内の廊下で、今最も意識を置く相手、渡瀬々と邂逅していた。
「お久しぶりですね! いえこうして私情の会話をするのは、という意味ですが。先程は対局ありがとうございました、後半戦も……ってあれ? どこへ行くのですか?」
口早に、それこそ速射砲の如く連打される言葉の数々は、しかしどこか無愛想な瀬々の足を止めるには至らなかった。何やら急ぎ足の様子で、こちらに気を止める様子はない。
「私に意識を向ける余裕もない、といった感じですね。まだ後半戦には早いですし――もしやお花を……」
「……怒るぞ」
そんなアンの言葉は、ドスの利いた人の殺せそうな声で、遮られた。思わず感じた殺気に、する必要もないのにアンは一度口を閉じる。それから瀬々の言葉に感じられた真剣さから、一人で納得したように何度か頷いた。
「ふむ、私はそちらには用事はないですし――」
腕組みをしながら考え事をする体で、アンは瀬々の様子を観察する。――不思議な少女ではある。先鋒戦開始時に見た人当たりのよさそうな雰囲気。そしてたった今見せた、人を遠ざけるような雰囲気。まるで矛盾した様相だ。
とはいえ、その人当たりの良さも、他者に自分の世界へ踏み込ませないための壁だとすれば、さほど相反するようには思えない。
無理もないだろう。瀬々の麻雀は、立ち振舞という一種の技術を扱うアンとはまた別に特殊だ。そのチカラの詳細は、いわば最適解を知る、というもの。それもあの宮守の先鋒以上に正確な――あらゆるツモを察知できるほどのチカラであるかもしれない。
それがもしも麻雀という舞台だけで作用されるのではない、例えば“答えを知る”とかいうような、本物の異能によって為されて言うのだとしたら、瀬々が作る壁は無理もないだろう、と思う。
それに加えて、きっとこの少女が抱える異能は
何故ならば、そうでなければ説明のつかない配牌を、時折瀬々が引き寄せているのだ。
無論それも有効牌を完全に察知できるという異能によって支えられているような面もあろうが、そうであるならば第二回戦の時、ほぼ同系統のチカラを持つ宮守の鵜浦心音が、オーラスまでの純粋な稼ぎあいで、瀬々に競り負けるはずがない。
根本的などこかで、ただ神に近づいただけの少女と、瀬々は何かを違えている。その何かが果たして如何なるものであるか、単なる情報だけでそこまでたどり着いたアンには、未だ情報不足な部分ではあるが。だからこそアンは楽しいと思う。――瀬々は一体、どんな麻雀をアンに見せるのか、その一点が。
――そして同時に、惜しいとも思う。
(……瀬々は、未だに壁を作ったままなのでしょうね)
アンにとって、不幸というのは親友の隣人だ。第三者ではない程度の立ち位置で、しかし手を伸ばせない場所から見てきたものだ。
だからこそ、瀬々が不幸な生き方をしてきたことくらいは解る。そしてその不幸が、瀬々にとって必要なものを、教えていないのだということも。
「――瀬々」
思ってしまえば、止められなかった。
気がつけば、アンは瀬々に言葉を投げかけていた。
「……なんだ」
そっけない様子で、足に力を込めながら瀬々は応える。顔は向けずに、――少し後ろから追いかけるアンでは、その黒髪の奥にある瞳は伺えない。
「瀬々にとって――世界とはどのようなものですか?」
「――、」
沈黙。そしてアンはそれが答えかと、そう一瞬考えた。――だが違う、瀬々はたっぷり思案するようにして、それからポツリと、少しだけ漏らした。
「――知らねーよ、そんなこと」
瀬々の漏らした言葉の異常性。それをすぐさまアンは理解した。――しかし同時にかけられる言葉は何もなく、アンはその場に足を止めた。
先をゆく瀬々はそれに振り返ることはなく、そこで両者はわかれた。
――次に会うときは、すでに好戦的な表情の仮面を、お互いその顔に、貼り付けていた――――
最後は時系列が前後しますが、アンの過去回。
いろいろ語れる部分はありますが、ここであえて言っておきたいのは、アンのばかみたいな分析能力。
実のところ、オカルト的な察知なしで、瀬々の能力の真相にたどり着いたのは、今のところアンと大沼プロだけだったりします。