『前半戦、終了――! トップにたったのは貫禄の臨海女子! 他者を完璧に圧倒しての一人浮きー!』
――アン=ヘイリー:三年――
――臨海女子(東東京)――
――136400――
響き渡るアナウンサーの声。威風堂々、まさしくその言葉を体現するかのように、アンは何の気負いもない表情で立ち上がる。――半荘一回戦、最初の対局の結果がそこにあった。
『この状況! この佇まいを見ればひと目でその結果を見て取ることができるでしょう! 先鋒戦、最初のトップはやはりアン=ヘイリーかッッ!?』
対照的に、沈みきった表情をするのは、宮守女子と永水女子のそれぞれ先鋒。鵜浦心音と土御門清梅だ。顔を伏せたまま、自分の世界へと篭りきっている。
それだけ、アン=ヘイリーという少女が強大であった、ということだ。
――土御門清梅:三年――
――永水女子(鹿児島)――
――83900――
――鵜浦心音:三年――
――宮守女子(岩手)――
――83100――
――だが、この圧倒的としか言うことのない対局で、ただ一人その蚊帳の外に立つ少女がいた。ただ一人、黙然としたままアンの後を追うように、しかし背を向けて全く別の出入り口から会場をあとにしようとする少女。
『ギリギリ二位で半荘を終えたのは龍門渕高校、渡選手はこの先鋒戦唯一の一年生ですが、ここまで一度の振り込みもなく、アン=ヘイリーを除きただ一人、二度の和了を決めています。彼女を始めとした三校は、果たしてアン選手に追い縋ることはできるのでしょうか』
――渡瀬々。
心の何処か奥底に、鋭く尖った芯を宿して、戦場を征く獣の瞳で前を見る。キッと睨みつけるような鋭い視線は、果たして闘いの先に何を映すか――
『Bブロック準決勝、先鋒戦後半は、まもなくです――――ッ!』
♪
席順。
東家:ヘイリー
南家:鵜浦
西家:土御門
北家:渡
――東三局、親清梅――
――ドラ表示牌「{⑦}」――
(場に西風が吹いている。私の気は、十分に満ちているはずである)
陰陽師、風水、そして麻雀。土御門清梅の麻雀は、本来そんなオカルトに満ち満ちたものだった。一麻雀部の部長としても、そしてなにより一雀士としても、それは未来永劫、変わらないはずだった。
――だが、違った。
(それだというのに、なぜ私はこうもそれを掴めずにいる? まるで幸運を、誰かに吸い寄せられているかのように)
ちらりと向かう視線の先。アンは今も何かを待ちわびるように闘牌をしている。一体彼女の、どこに不可思議なチカラがあるというのだろう。
答えは単純だ。――アンにそんなおかしなものはない。
(わかっている。私の麻雀がそも、この女にまったく太刀打ちできていないことくらい)
アンが持つのは、圧倒的な才覚、それも自身の強靭な意思と無限に満ちた研磨によって作られてきた、単なる出生だけに理由を置かない本物のチカラだ。
――清梅のチカラは、単なる一流のそれ。自身の小さな世界を守るだけの力はあっても、更に世界をつなげて、あらゆるものを守りぬくだけのチカラなど、無い。
――清梅/打{西}
だから、
「ポン!」 {西横西西}
たとえアンが目の前で、清梅の心をうがとうと、清梅はそれを、見ていることしかできないのだ。
(……ぐっ、しくじったか)
これでおそらくアンは和了の準備を整えただろう。第一巡、誰もが手を出すことを躊躇う最初の牌からして、アンはなんの躊躇もなく手を出した。
――清梅手牌――
{二三八九⑥⑦⑦345東東發}
(しかしこちらも、この程度で怯むような手牌ではない。風は私の味方でなくとも、吹くのをやめたわけではない!)
だからこそ、ここで前進を止める訳にはいかない。目の前にはアンがいて、それを止めるためにも、ここで清梅は足を止めることを自分に許せはしないのだ。
それはあくまでごくごく当然のこと。強敵がいて、それは自身と相容れないような、真っ向からぶつかり合うような相手であって、そうとわかれば清梅はもう、止まるという選択肢を完全に失う。
――だというのに、世界は思ったよりも、清梅に対して薄情だ。
心音/打{七}
チャンスだった。もとよりこの手は{東}のバックでもいいからとにかくテンパイを優先する手。ドラ3か、それとも役牌2つか、どちらであろうと、打点の高い手を作ることは可能だ。
だからこの手を止めない理由は何もない。それは誰の目で見るよりも明白だった。
「チー」
宣言と、そして牌を倒す。その一瞬、しかしそれよりも早く、動くものがいた。
「ポン……!」 {七七横七}
清梅の言葉を、真上から押しつぶすように、アンはその言葉をささやいた。――ポンはチーよりも優先される。それだけの最も単純でわかりやすい理由で、清梅の手がひとつ、潰された。
(……狙ったのか!?)
そんなはずはない、アンの強みは単なる豪運と、虚勢の覇道。そこに本物のチカラはなく、清梅や永水の巫女衆のように。本当のオカルトを宿しているわけでもない。
だからこそ、おかしく見える。
本物のように振舞って本物のように成し遂げる少女が、まさしくその、英雄そのものなのではないか――と。
(否定、せねばならない。おかしなものだといわねばならない。しかし、できん。それはできん。私が、この土御門清梅自身が、それを、何もおかしいと、思えなくなってしまっているから!!)
あぁまったく、理不尽だ。理不尽で、理不尽で、不条理極まりない雀士だ。アン=ヘイリーという少女は、土御門清梅という、ちっぽけな器では、到底穿かれそうにもない。
(手の届かない相手だとはおもった。しかし、追いつけない相手ではないとも思った。だから、ここまで手を伸ばしてきた。それに間違いは、無いはずだった……だのに、ここにいるアン=ヘイリーは、まるで私の、前にいるとすら思えない……!)
アンが手を伸ばす。先は山、牌の重なる場所。四者はそれぞれ、全員がそこから牌を引き寄せる。はずだ、しかしそれとは全く矛盾するかのように、アンは清梅とは全く違うツモをする。
清梅には、運を引き寄せるチカラが在るはずで、それはいまも、この場で間違いなく、作用しているはずなのに。
「――ツモ!」
――アン手牌――
{二三四66⑦⑧横⑨} {七七横七} {西横西西}
「500、1000!」
・臨海 『138900』(+2000)
↑
・龍門渕『97200』(-500)
・宮守 『81800』(-1000)
・永水 『82100』(-500)
アンの声が、清梅の耳を執拗に叩いた。それは意味を成さないとすら感じられる言葉の群れ。清梅のすべてを、かっさらってなお余りあるような声。
清梅は自身の敗北をかみしめて、アンはその手に点棒を得る。
そして、続く東四局、ここでもアンの異常性ははっきりと明確になる。
――東四局、親瀬々――
――ドラ表示牌「{中}」――
――二巡目のことだった。
手牌に引き寄せたツモを、十三の牌の中に組み入れる。アンはそれをじっくりと見聞したのち、少し黙って、それから直後に牌を切り出した。
それから、心音が何かに怯えたように、牌を選ぶ。それは結局のところ、アン自身を恐れていると、周囲にうつるものだった。
それこそ、この卓に置いてもっとも状況を理解しているはずの瀬々ですら、それは正確に読み取れるものではなかったのだ。
だから、――続き、清梅がツモった牌をそのまま切り出した時、“――あ”と声を漏らしたのは、アンのシャンテン数を知ることのできる、心音ただ一人であった。
「――ロン」
こんどこそ、清梅の奥底は、まるで何かに搾り取られるかのように悲鳴を上げた。
「……3900」
・臨海 『142800』(+3900)
↑
・永水 『78200』(-3900)
ただそれが口元から、声音となって漏れることはなかった。ただ表情だけを悔しげに揺らして、その奥にあるものをただひたすらにのみこんだのは、果たして清梅の精神力か、それとも彼女が持ち続けてきた、自身のチカラへの小さな矜持であったか。
――それを知るものは、ここにはただ一人、土御門清梅一人しかいない。
だが、誰もがわかっていることが在る。
―ーアン=ヘイリーは止まらない。いやそれ以上に、今もなお彼女は加速している。もしもこの先に、彼女の姿があるのだとすれば? もう、それは誰にも手の出せない場所に彼女が入るということになる。
この局は、とくにそれが顕著だ。ダレの手も進まなかった状況。そこでアンがたった二局で手を作った。ダマで三翻、それを仕掛けるまでの間、他家はひとつのシャンテン数すら、進めることはできなかったのだ。
――そして、南入。
前を征くアン=ヘイリー、留まりを見せない先鋒戦最大の支配者の親番が始まろうとしている。
――南一局、親アン――
――ドラ表示牌「{六}」――
(……なんだろう、胸が痛い。心がきしみを上げてるんだろうな)
ストレス、だろうか。心音は反芻しながら自分の中にある感情を確かめる。それはあの時――麻雀を始めようという早海を見ていた、あの時に似ている。
楽しそうだったな、と回顧する。それまでの早海は、どこか何かに焦っているようで、それに光明の見えた瞬間の早海は、とても楽しそうで――つらそうだった。
そう感じたのはきっと、光を見るまでと見る前からの、落差にあったのだろうと心音は思う。
そして抱いた感情の正体も――
(悲しい、とはちょっと違う。たぶん辛いんだろうけど、それ以上に――見てられない。ただその違いが、弱さから目を背ける対象が、違うことだ)
その時は早海で、今は自分だ。――今の自分は弱い。それを間近で実感させるような相手がそこにいる。それがあるから故に、どこか傍観の感情が、どうしても心音には浮かばないでいられなかった。
(やっぱ、勝てないなーほんと。ここまで来た自分が場違いに思えるくらい。――第二回戦の時は、そんなことなかったのにな……?)
むしろ、それを引き受けたのは早海なのかもしれないと、心音は思う。早海が第二回戦で闘ったのは、全国最強クラスの高校のエース、愛宕洋榎と、その一歩後ろを行くような相手。
対する心音は、それに対応するような相手は一人であった。――もう一人のバケモノが、心音よりも明らかに格上であることも、心音の諦めを誘う原因だろう。
(五巡、ここまで自摸って、有効といえる牌は殆ど無い)
――心音手牌――
{
(せいぜいツモって来れたのはオタ風の{北}を対子にしたことだけ。それ以外はまったく手が進んでいない。進む気配すら見えない)
――いや、この手牌は見覚えがある。似たような手牌は、かつて何度も相手にしてきたはずだ。あまりにも流れが無い手。五向聴の状態、まずは両面塔子を用意することから手を作らなくてはならない手。
無論、それが和了れたことがあまりにも無い経験であるがために、この手を重く感じるのだがそれ以上に、この状況で、これが和了れないだろうという確信は、もっと別の場所にある。
――アン=ヘイリーがいる。
ただ、それだけの理由だ。
(私のチカラすら、まるで私を諦めたかのように機能しない――解ってる。それはつまり、何を尽くしても、私より早く、臨海さんが和了するってことだ……!)
心音/打{⑨}
諦めが心音を支配する。それはきっと心音の感情だろう。諦めてもいいのだという手招きだろう。――しかしそれは心音の炎に冷水をかけることはない。
麻雀を、打たなければならないから。心音の後ろにいる、四人の雀士に、後を託さなくてはならないから。
――まだ心音は、終われない。終われない場所に、いる。
(困ったもんだよね、あぁまったく困ったもんだよ、諦めたくてしょうがない。諦める他に選択肢がない。でも……私の手はまだ止まらないんだ。それは震えと、闘いにむかう意地のせいなんだよね……!)
たった二局、ほんの刹那の出来事だった。それぞれを合計しても、全五巡。それまでに要した時間は、果たして数分もかかっただろうか。
それほどまでに鮮やかな手段で、アンは和了を二回も――否、東二局の和了を合わせれば、三回か――決めていた。ここまで、状況はほぼアン=ヘイリーの一人舞台。彼女がこの後半戦で吐き出した点棒は、千点棒にすら満たないのである。
(風は……ある。しかし、これはなんだ? 私に向かうすべての気配が、なにかよからぬもので封をされているかのような――)
――清梅手牌――
{
(ぐ……手牌の進展を来にして、{4}を払ったところにこれか。しかし、そういうことならばやりようはある。流れがないというのは、必然的に裏目が多くなるということになる。それを意識して打てば、テンパイまでは行ける)
――チートイツ。それはこの状況を打開しうるものだろうと、清梅は踏んだ。なにせチートイツはゴミクズのようなまとまりのない手を、最低限の組み合わせで持って特例として役にしたのだ。他の手役とはわけが違う、ただ一つ開け存在の許されたオンリーワンだ。
(しかしそこまで、か。最後の一つ、完成に近づいたテンパイの選択を、私が正解できるとは到底思えない。それくらいこの手は、異様が溢れだしている。それくらいこの手は、最悪に満ちている)
もう、これ以上の闘牌になんの意味もないのではないか。そう思わざるをえない様な錯覚。自分の中に、自分自身であるという確信が、全て根こそぎ、奪われていくかのような感覚。
とどまることはない、せき止められることはない、それは、今も、清梅の体を支配している。
清梅/打{發}
打牌をする。
そこまでだ、それ以上は続かない。
――アン=ヘイリーがそこにいるから、アン=ヘイリーが笑っているから、もう清梅は動けなくなる。動きたくも、なくなってしまう。
それでも打牌ができるのは、そう。
一つの見栄のようなものなのかも、しれなかった。
――そして、最後に。渡瀬々が牌を掴んだ。
手を伸ばして、手のひらに牌を載せ、それを振り下ろすように手牌の上に載せる。音が響いて、それから状況を、確かめるようにした。
――瀬々手牌――
{
それでもなお、瀬々の手は進まない。シャンテン数も、全く前に進んでいない。面子の一つもできていない。だが、どうだろうか、その眼には、一体何が映っているだろうか。
――答えは、自分自身。そしてアン=ヘイリー。この場において、それ以外は全く必要ないかとでも言うように、意識を伴わない集中で、周囲に観察の眼を向けている。
心音には意識を向けない。手が進まないことも、鳴いていけないだろうことも解る。だから意識しない。清梅も動揺、ここまで彼女たちがどう手を進めてきたかは分からないが、それが全くの無意味であっただろうことは、解る。瀬々がそうである以上、ある種の意味でそれ以下の、彼女たちには手が届かない。
――瀬々手牌――
{|三三七九③③⑧⑧中②36中六}
(アンの場合、理牌読みもある程度してきそうだね)
簡単な思考、それ以上はなく、瀬々にはそれ以上の思考は必要ない。
ただごくごく単純に、牌を選んで――叩く。
瀬々/打{⑨}
甲高い音。これでアンの直後の打牌から、すべての雀士が打牌を終えたことになる。一巡、である。
直後に、――アンの手が動く。
――一挙手一投足に、だれもが怯えるような動作で返した。例外は、やはり瀬々ただ一人だった。
「ツモ」
宣言、それからジャラ、と手牌を晒し――
――アン手牌――
{四五六④⑤⑥⑥⑥45678} {6}(ツモ)
「4000オールです」
・臨海 『154800』(+12000)
↑
・龍門渕『93200』(-4000)
・宮守 『77800』(-4000)
・永水 『74200』(-4000)
静かな声で、言い放った。
――南一局一本場、親アン――
――ドラ表示牌「{發}」――
(――やっぱり)
瀬々のこころは、得体のしれない何かいいようなまでに揺さぶられていた。それは決して本人の意思だけでなく、自分以外のなにかも間違いなく宿っている。
しかし、それを端から無視して自分の中に渦巻く感情を、まとめてなぎ払うように瀬々は高速で思考を回す。
思い返すのは、これまでのこと。
――アン=ヘイリーのこと。
(――――やっぱりアンは、強い)
今この場に流れている何がしかの空気、他家もそれを感じ取るだけの嗅覚はあるだろう。今この場は、とにかく何かが重いのだ。
そしてその正体は、在る感情に対する萎縮である。
そう、これは場の空気自体がよどみ、一方方向に流れているのではない。あくまで雀士達の精神が後ろ向きにあるがゆえに、それぞれがその気配に引きずられているだけなのだ。
結果が、牌の重さ、ある種の支配として他家に襲いかかっているのである。
その中でただ一人、当たり前のように牌を自摸るものがいる。アン=ヘイリー、彼女だけがこの場で唯一、直線のまま手を前に進める存在。
(そりゃあそうだ、この状況はアンが自分のチカラで、自分が望んで作ってるんだから、想いのままに、自分だけが前に進むことも、当たり前のように、できる)
ちらりと覗き見たアンの表情には、異様なほどの気配を伴っていた。研ぎ澄まされた彼女の闘志と、集中に集中を重ねがけした意識の束が、この準決勝の卓を覆っていた。
訴える違和感。――昨日一日をかけて行われた衣との特訓、透華を交えて行われたそれは、瀬々にある変化を与えていた。今まで全く実感の浮かばなかったオカルトに対して、ある程度の感覚を訴えられるまでに成長したのだ。
無論、もとより強者を感じ取るだけの気質を瀬々は得ていたが、それをこの状況での察知にまで応用出来るまでに至ったのである。
(アンのチカラが異常なまでに周囲を侵食してる。こいつのチカラは本来、他家をここまで萎縮させるチカラはなかったんだけどな)
――まったく、と嘆息気味に吐き出して、瀬々はそれから自身のツモへと手を伸ばす。これ以上の和了を、そうそう見過ごす訳にはいかない。
――瀬々手牌――
{
(正直、ここまで調子に乗ったこいつは、ほとんど誰も手が付けられね~だろうな。それこそ、あたしの“これ”ですら、今はまだ難しいと言わざるをえないくらい)
瀬々の手牌は、言うことのない四向聴、ここから完成に向かうには、それなりの無茶が必要だろう手牌。しかし同時に、ある程度の手役を望めるだけの手牌。
無論、そのためには越え無くてはならない壁が多いのではあるが。
(それでも、あたしはこれに逃げず手を打つ。今のあたしがアンを超える。それができるのは、今のあたしだけだ――!)
瀬々/{白}
意識を向ければ、この場所にはオカルトに満ち満ちている。純粋に、デジタルだけで、人の域だけで動いている雀士は全くいない。
瀬々も、心音も、清梅も――アンも、だれもがオカルトを抱えて、そこにいる。
アン/打{發}
本人の気性を表すかのように広がった髪を。さらにかきあげながら牌を払うアン。髪をかき分ける左手が、そのまま横に振るわれて、風を薙ぐ音が重厚なまでに響き渡った。
心音/打{西}
左手で口元を覆い、何事か心音は思考を回している。その様子は未だ留まりを見せず、闘気をまとっているように思えた。――苦しいだろう、強敵、アン=ヘイリーと同卓し、嫌というほど実力差を魅せつけられてなお、彼女は歩みを留めていないのだ。
清梅/打{東}
山高帽を抑えながら、清梅は難しそうな顔をしている。彼女もまた、ここで諦めようということはないだろう。今も彼女は考えているはずだ。自身の勝利のために、最も必要な方策を。ただ、それもアンの和了を上回ることはないのだが。
――誰もが、諦めかねないような状況に思える。しかし実際にこの場へ絶望を持ち込むものは誰もいない。
――瀬々/ツモ{4}
(……謀ったかのような中張牌、あたしのツモの中で、これだけが異様に浮いているんだよ。――重い手牌、あたしの手はヤオチュー牌に固まるはずなんだ。だのに、これだけはこれみよがしにツモが異様だ)
一瞬、瀬々の向けた視線と、アンの見上げた目線が激突する。両者、一切の意思を瞳に載せず、あくまで観察のためのモノ、それが一度ぶつかり合って、そのまま何事もなかったかのように消えていった。
再び顧みた手牌、瀬々は勢い良くその端を掴むと、大きく手を開いてうちはなった。
瀬々/打{發}
――離れていった視線の先。
アンは自身の手牌を鑑みながら、続く思考を回していく。
――アン手牌――
{三三⑨123678南南中中}
(――かわします、か、それでしたら……)
アン/自摸切り{4}
(いかがでしょう。けしておかしな打牌ではないとおもえますが……ね?)
牌から話した手を、くるりと回して卓の下、膝の上へとおさめる。それから二度三度、確かめるようにして拳を握る。――それは、アンに取って必要な動作ではない。だが、同時に誰にとっても必要なものではない。
確かめるようなそれは、何かをやり遂げた、達成感のようにも思えた――
八巡がたった。異様なほど、一局が長く思えた。無理もない、今現在牌は一段目を切り返し、二段目の序盤だ。――ここでテンパイであっても早いくらいなのに、これまでの対局は更にその半分も、和了に時間はかからなかった。故に、この局は長い。だれもがそう感じた。
事実それは、そのとおりと言えただろう。
――瀬々手牌――
{
瀬々/打{4}
手を止める。これで幾度目だろうか。一つ一つが長いわけではない。だがこの局、誰もが一度は手を止めるのだ。そして瀬々はほぼすべての巡目、何かを確かめるかのように打っているし、ここまで長引いた局はこれが初めてだ、他家もどうにか手を作ろうと必死だ。
(ここまで、進んだ。それそのもの自体が異様に見える、か。たしかにそうだろうな。あたし自身、この感触はぞっとする。……けど、ここで引くわけには行かないんだ)
アンの手は、間違いなく完成に向けて進んでいる。それくらいは解る。だからその上で、考えなくては行けない事は多くある。
――アン捨て牌――
{發4⑨⑤76}
{⑨⑤}
(デジタル的にいえば、萬子の染っぽい感じ、それくらいはあたしでも解る。でもこの手で最も見るべきは{⑨⑤}と連続した並び、最初の{⑨}を切った時点でこいつら全部必要としてなかったんだろうけど、それでも対子が二つ、本来ならアンの手で重なっていたことになる)
裏目、ではない。{⑨}を切るのならばともかく、普通の手で{⑤}をツモ切っていくのは異常だ。また逆に、チャンタ系の手牌で、三打目{⑨}という打牌もまた、異常。
それら、普通ではありえないような理由をくぐり抜け、それでもなお{⑨}と{⑤}、二つの牌を見逃した理由は1つだけ、
――どちらも手牌に必要ないくらい、手が完成していたのである。
(ってことは、それは{4}も同じだよな、{7}が切れてる。多分萬子の染め、か。いやともかく――問題は、この二つの対子に存在する意味だ)
考えながら、同時にこれまでの自身のツモを思い出す。{2}と{二}の二枚を対子として重ね、更には{西}まで刻子にしている。必要性が薄いためにそのまま切り離したが、瀬々はチートイツという手段も使えたのである。
そして、もう一つ。
――前局の瀬々は、なんという事のない進捗の遅い四向聴であった、しかし同時に、あれはチートイツの二向聴でもあったのだ。
(――ここまで、対局の流れが異常なほどアンに流れているせいで、順子を基本とする麻雀が全部ぶち壊されてる)
本来であれば麻雀に存在する手牌の偏り。上方のものもあれば、下方のものもあるそれが、この対局では完全なマイナス状態で固定されている。
――そんな雀士が、二人もいるのだ。
横に伸びない手牌は、そのままそっくり、対子に依る手牌に移行する。
(結果として生まれたのが、この極端な対子場だ。本来であれば、もっとスマートに支配は生まれるんだろうけど、別の支配とぶつかり合ってるせいで、ここまで極端になってるんだな?)
アン/打{8}
(おかげで、ここまで追いつけたぞ。アンの流れだか、永水の陰陽師だかしらないが、ここはあたしが制させてもらう――!)
心音/打{1}
清梅/打{2}
――そして、
――瀬々手牌――
{
この日始めて、瀬々の手牌が、電撃のような何かを帯びた。同時に、重苦しい風が、遠吠えのように戦慄き始めた。
(――行くぞ)
振り上げた手は、青白く光り続ける稲妻を引きずり上げて――爆発的な勢いで加速する。
「リーチ!」
が、
「チー!」 {横123}
それを待ちわびていたかのように、アンがそれを、喰い取った。
(……なに?)
スライドする牌、その後を追うようにリーチ棒を晒した瀬々が、思わずといった様子でアンを見る。――その目にうつるのは、驚愕。頑なに無表情を続けていたはずの瀬々の仮面が――ついにこの瞬間、溶けて剥がれて落ちていったのだ。
(――――う、そ、だろ? ここまで――ここまで考えてたってのか? このバケモノ……!)
直後、瀬々のツモ。わかっている、瀬々が引くのは{1}だ。それでは瀬々は和了れない。だというのに、だからこそ、瀬々はそれを掴んだ瞬間、これまで感じたこともないような感触を、全身で受け取った。
――瀬々/ツモ{1}
(あ、これ、やば――――)
瀬々/打{1}
「ロン、――――18300」
――アン手牌――
{三三三1南南南中中中} {横123}
・臨海 『174100』(+19300)
↑
・龍門渕『73900』(-19300)
感覚、それは瀬々が、この対局で実その身を持って知った、本物のオカルトと、呼ぶべきなにかの集合体だった。
――そして、
次の瞬間、この対局は、まるで意味を成さないものへと、変質する。
実はさらにもう一局ありましたが次回と統合になりました。
よって次回は割と短いです。どう考えてもここで切ったほうが面白いと囁く俺のシャドウが悪いんや。