――南二局、親水穂――
――ドラ表示牌「9」――
――カンドラ表示牌「{②}」――
状況は、異常なほど混迷していた。和了されるはずだった役満、消えた{西}。どれをとっても、初美の思考はフリーズを解凍する方法を要さなかった。
在るはずだったものがない、それは人の意識を大きく揺さぶる。どれほどの衝撃であるかは、今更語るべくもないだろう。そも初美はそのツモを何ら障害とは思わない。――役満自体はすでにテンパイしているのだ。まさかここから、それを退くという選択肢はない。
(――ですが、ここでの選択は、勝敗を大きく左右する、そんな気がしますよー)
一度手を止めてでも、手牌を入れ替えるべきか否か――宛が外れた以上、{三}を対子にしておく利点は薄い。{二三三}も形から切り出したため良形への変化はそうそう望めない。となれば、ここはあえて{三}を落とす選択は十分にありだ。
{三}が通れば二巡は安牌を確保できることになる。それを考えても、{三}切りの利点は多い。もう一度{三}をつもり直さない限り、再び{二}を引き直すことも十分考えられる。
(それを踏まえての、このツモ。捨て牌的に、一応{⑧}は壁ではあります。同時に{三}も。テンパイはとっておきたいですし、和了を狙うなら、ここからかなり端の{⑧}が両面に変化する可能性は、完全にゼツボー的なんですよね)
選んだ瞬間に、通ったのならそれは正解になる。しかし今、早海は牌を開けていない。となればここで勝利を選ぶのは、自分の打牌以外にありえないのだ。
で、あるのなら。
(だったら、迷いますけど、私はこれを選びます。後ろを向いていては、つかめる牌も掴めはしませんからね――!)
初美は、自身の手牌の上に乗った牌。{⑧}を手にとって、振り上げる。
――初美/打{⑧}
勢い任せの風まかせ、白い煙のような気流を伴って、初美の打牌が、大きく音をひびかせる。――同時に、早海の方を見て、その視線を直線上で交差させる。
「――通り、ますか?」
少しばかりの沈黙に、すかさず耐え切れ得ないといった様子で初見が問う。早海はそれに軽く笑みを浮かべて――
「――いや」
――早海手牌――
{三三⑧⑧123456789}
「――――通らないよ」
あっ……と、小さな声がどこかから漏れた。それが自分の声だと気がつくのに、初美は数秒を要した。
「……ロン。リーチ一通ドラ1、裏は――」
――――ドラ表示牌:{9} 裏ドラ表示牌:{2}
――カンドラ表示牌:{②} 裏ドラ表示牌:{6}
「二つで、12000だ」
(ふ、二つとも、ですかー!?)
パラパラと、何かが崩れ落ちる音。
それは、初美の後方に開かれた――二つの門が、その姿をかき消して、崩れ落ちてゆく音だった――
――南三局親早海――
――ドラ表示牌「{⑧}」――
「決まったー! 跳満直撃ー!」
実況者の声が、会場中に響き渡った。呼応する観客の声は大きい。ムリもないことだ、宮守女子は今年初出場にしてインターハイ準決勝の舞台を踏んだ新星だ。特に贔屓の高校がないのであれば、自然と観客たちはそんなフレッシュな高校に感情を移入させていく。
そしてこの中堅戦後半は特にそれが顕著である。というのも、前半戦で大きく失点した宮守女子が、この後半戦で巻き返し、逆転劇を演じているのだから、誰もが興奮を覚えるのは無理もないことである。
「完全に掴まされてしまいましたね、{三}をかわしたのはいいとおもいますが、こうなってしまってはどうしようもないですね☆」
「役満を張ってる以上、そうそうオリる選択肢はありませんからね」
「そうですね、それが正解だと思います」
――と、前局までの話はそこまでだ。状況に変化が訪れた、目敏くそれに気がついた両名は、そこで軽く言葉をかわす。
視線の先には、若干打牌に迷っているのだろう、手を止めたハンナの手牌があった。
――ハンナ手牌――
{
「不思議な手筋ですね。第一打に{南}、第二打に{白}を打っていますが、オタ風は手の中に残しています」
「{西}と{北}に関してはそれぞれ打牌の前に他家が一枚ずつ切っています。鳴かれませんでしたし、まだ山に残っている、と見ているのではないでしょうか☆」
この時、はやりも、そしてアナウンサーも、ハンナの打牌を迷いと思うことはなかった。なにせ実際迷う必要のない手だ。ハンナの手を止めた理由は、状況の察知、そう読み取っていたことだろう。――そしてそれはある種事実ではあった。
そして同時に、事実ではない側面もあった。
ハンナ/打{⑥}
一瞬、会場中が静まり返ったことだろう。――否、これを不可思議だと思うものは、ハンナの闘牌をロクに知らない人間だけであろうが。
実況解説の両者もそれは同様だ。さして驚いた風もなく、会話をかわす。
「これは、なかなかおもしろい打牌ですね」
「ストラウド選手はこういう打牌選択が多いですねー」
それから、更に打牌は進み――九巡目、ハンナの手が異様に変わる。
――ハンナ手牌――
{
「裏目を引いてしまいましたね」
「捨て牌をかんがえなければリャンカンの一向聴なので問題はないと思います☆」
ハンナ/打{北}
――つまるところ、ハンナの打牌はこれが普通なのだ。見慣れていれば異常と思うことはない。そしてそれが強さであると、だれもがわかっているのである。
――ハンナ/ツモ{西}
「おーっと、ここでストラウド選手にテンパイが入ったー! これはリーチでしょうか」
「ドラ無しリーチですが、裏を期待してリーチをすると思います☆ ストラウド選手はテンパイ時の立直率が全国でトップクラスですからね」
『――リーチ』
「いったー! {⑦}切りリーチで嵌張待ちだー!」
「結果的に{⑥}切りがいやらしい形になってますね☆ これは振り込んでもしょうがないかと思います」
それから、ハンナを除く三者の反応は様々だった。――すでに手を張っていた初美は安牌を自摸って安堵混じりにそれを自摸切り。水穂はそうそうにオリの構えだ。早海といえば、打牌からの安牌落とし。しかし実際には偶然浮いていた現物を処理しただけであるため、ベタオリという判断はまだ、下せない。
結論が出たのは――それから更に二巡がたってから。
放銃だった。初美から、ハンナへの。
『ロン――――』
宣言、同時にハンナがせわしなく裏をめくる。――現れたのは、{南}。単なるゴミ手に、まるで暗器がごとく仕込まれた、何かが初美へ牙をむくのだ。
『8000です』
場を支配する少女の宣言に、再び会場中が――大いに湧いた。
――オーラス――
――ドラ表示牌「{②}」――
この局においても、動いたのはハンナとそして早海。半荘の支配者と、前局和了者。状況を掴みかけている、両名がこのオーラスでは激突した。
「ポン」 {發横發發}
――ストレートなスライド、牌が卓を駆け巡り、ジャラジャラと小気味のいい音をたてる。牌を鳴いた早海、捨て牌から速度を匂わせるハンナ、それぞれの視線が交錯し、手牌の元へと帰ってゆく。
(――最後の敵、私が最後に倒すべきなのはあんただ、ハンナ=ストラウド。準決勝のオーラスとして、私は私の勝利を全てに向けて、この配牌で刻み付ける――!)
――早海手牌――
{二四六七③④11688} {發横發發}
(ここから切るべきは、まぁあまり悩まなくてもいいけど――)
――ハンナ捨て牌――
{白南七①}
(――ここ、だーね)
早海/打{七}
叩いた音は、緊迫した状況を大きく揺らす。無色に染まった沈黙の空気。駆け抜けるのは、果たして早海か――
(私がぶっ潰すのは永水だけのはずだったんですけど――おとなしくしていればいいものを、よくもまぁここまで一気に持ち直したものです。敬意を持って当たりましょう)
――ハンナ手牌――
{
(オーラスの最下位とはいえ、よっぽど後続を信頼していると見えます。加えて、ここで自分が和了ることもまた確信している――)
早海の手は、打点は安くともとにかく早い、そんな手だ。おそらくは{發}にドラ一で2000といったところか。珍しく三色のついたハンナの手牌は跳満クラスの打点が見込める。たとえどれだけ早かろうとも、ここでそれを見逃す訳にはいかない。
(――――いいでしょう、これは決勝前の景気付け、ここで消え行く者に、最後の餞をさし上げるのも、悪くはないと思えますよ)
「――リーチ!」
「ポン!」 {11横1}
――ハンナの宣言と同時、すかさずそこで早海が鳴いた。おそらくはテンパイであろう、ポンテンである。牌を食い取られはしたものの、そこから和了りが引き出されることはない、すかさずハンナは卓にリー棒を叩きつけ、自身の存在を過剰に誇示する。
水穂が涼しい顔でそれをスルーし、初美が軽く、ビクリと体を震わせた。
続く――ハンナのツモ、一発は消えている。しかしリーチ後最初に引く牌だ。期待を込めて勢い良くそれを掴む。
「――一発、ならずですね」
ハンナ/打{一}
無論、それが一発でないことはハナから承知。その上で、勢い良く打牌を曲げるのだ。――リーチ宣言牌を鳴かれたことによる“曲げ直し”。
改めて、ハンナは早海に宣戦布告を宣言したのだ。深く深く、笑みを浮かべて、楽しげにウィンブルを揺らして睨みつけるように視線を向ける。
――続く、早海も自摸切り。こちらはあくまで無表情、真剣そのものといった顔でそれに返す。しかし早海のそれは今にも笑い出してしまいかねないほど凶暴なもの、敵を狙うハンターの顔だった。
一度。
二度。
――それぞれの自摸切りが、続く。
一度目はそれぞれの安牌。
二度目は、まったくの無筋。
決着がついたのは、それから更に、一巡後のことだった。
「――ロン」
声を上げたのは――――五日市早海。
「役牌ドラ一は、2000――!」
この卓の支配者は、己の声で、中堅戦終了を、対局つへと告げた。
♪
『――中堅戦決着ッ!』
実況を務めるアナウンサーの張りのあるソプラノボイスが会場中を駆け巡る。一瞬の空白、そしてのち、歓声が対局室すべてを覆った。
「…………、」
宮守女子の控え室は、ある種そんな熱狂と、無縁でありながら同居する、奇妙な空間が出来上がっていた。
――塞と胡桃、親友同士が楽しげにハイタッチを交わし、小瀬川白望もダルそうではあるが、少しだけ安堵の顔を浮かべている。
狂乱する会場ほどではないが、この中堅戦で大きく点を稼いだ早海に、宮守女子は大いに湧いた――ただ、一人を除いては。
「……、」
――鵜浦心音は沈黙する。どこか呆けたような表情で、どこか遠くを見るような目で。
「――――先輩?」
白望がそれに目敏く気が付き、その様子をうかがう。思わず立ち上がり、何がしかに視線を向ける心音。――注視する先には、モニター越しの五日市早海が映っていた。
その白望の問いかけに気がついてか、気が付かずか、心音は呆けたような顔を、どこかふっと、吐息を漏らすような笑みに変えた。
「……先輩」
それは、鵜浦心音という優しさを持った少女が、十八年という、短くも大いに実りある人生の中で積み上げてきた、あらゆる“こころ”を体現した、表情であった。
「早海に出会って、憧れて、一緒に歩いて、競いあうように大きくなった。――私と早海の背って、同じくらいなんだよね」
「――知ってます」
ぽつり、ぽつりと漏らす心音の言葉。白望は、それを否定することも、拒否することもなく、大きなソファに、先程まで心音が隣に座っていた場所に背を預け、答える。
「麻雀で全国に行こうって言われた時、正直なにそれって思った。だって私達には遠すぎるんだもの。テレビの向こう側の世界。普通の女の子が、手を伸ばせる場所じゃ、正直ない。……けど」
「……早海先輩、そのテレビの向こう側に映ってますね」
受け取るように、受け継ぐように白望は答えた。クスリと楽しげに心音は微笑んでから、チラリと白望へ視線を向ける。――白望は、五日市早海を見ていた。テレビの向こう側、遠いと思った世界に、今――早海は立っている。
「私も、あそこでプレイしたんだよね。結果は散々だったけど、楽しかった。本当に!」
ともにそこへうつることはないけれど、同じ場所、同じ卓で早海と心音はプレイしている。不思議なものだ。今、実際にモニターの向こうに早海がいても、まあ自分はこの状況に実感を持って接することができないのだから。
「――なんか、思えば随分遠くまで来ちゃったなぁ。世界がすごく、広がって見える。長い長い旅があったなら、それだけ人は大きくなれるのかな?」
「……旅で色々知ったからだと思いますけど」
「そうだね――多分、そんな感じだ」
満足気に、心音は頷く。それからぽすんともう一度ソファに収まって、白望と肩を並べて――沈黙する。ここにムードメーカーたる早海はいない。今はマダ、帰ってきていない。
「……敵は――」
そんな最中、白望はどこかダルそうにしながらも、躊躇うことなく、口を開く。
「――――敵は、トリます」
そうやって漏らした声。心音は少し驚いたようにして白望を見てから、改めて微笑みを浮かべると、向き直る。
「オーライ、全部任せたよ、宮守の大将さん」
――もうすぐ、副将戦が始まる。宮守からの出陣は、鹿倉胡桃。すでに対局までの空き時間は残り少なくなっている。
対決の時は、近い。
♪
「おっつかれさまー」
――対局室と控え室を行き来するための廊下、そこで龍門渕高校の中堅と副将、依田水穂と龍門渕透華が邂逅していた。
口火を切ったのは依田水穂、どことなく能天気なのは、彼女の平常がそれであるためだ。――透華には、今の水穂はどこか不服そうである。
「お疲れ様です」
透華はどこか気品の在る笑みでそう答えると、それから水穂の言葉を待つ。言いたいことは、山ほどあるように思えたからだ。
「いやー、ごめんね、全然稼げなくて。準決勝は臨海のストラウドさんが暴れないってことはわかってたのに、前半戦では役満和了られちゃうし、後半戦では宮守の人にあそこまで点を稼がれちゃうし」
「どちらも、永水は結局マイナス収支、龍門渕の二位は揺らいでませんもの。特に問題はありませんわ」
「でもなんとなくわかったけど、決勝戦も気が抜けないね。決勝の中堅はあの蔵垣さんを相手にしないと行けないし……」
――それもまた、織り込み済みだ。問題ないと透華は笑う。水穂もそれはそうだと笑みを浮かべて――それから改めて意識を切り替え、問いかける。
「……後半戦の南二局。瀬々の言ってた通りのことが起こったんじゃない? あの時永水の人がすごく驚いてたけど――あの時すでに、薄墨さんは役満を張ってたよね?」
「えぇ、予想通りでしたわ。あの局、臨海のハンナ=ストラウドがダマテンをとっていましたの。それも、純カラで和了り目のない{
「確定かー、ストラウドさん、前々から凄い選手だとは思ってたけど、そんなことまでできちゃうんだよね」
軽い声音で言う水穂、しかしそこにはどこかつかれた様子が見え隠れしていた。――気疲れである。二度に渡る強敵との対局による精神的疲労はもとより、これから先を見据えた上での。憂いであるようも、混じっているように思えた。
「――あの卓の勝者が、五日市さんだったことは、誰の目からも疑いようはない。――けど、それが同時に、あの卓を本当に五日市さんが支配していたかといえば、―ー私達龍門渕の見解は、そうじゃない」
「……というよりも、瀬々がそう思っているから、私達もそう思わざるをえないのですけど」
正しい答えにたどり着く、それが渡瀬々のチカラだ。故に瀬々がイエスというのなら、すべての物事はイエスなのである。――答えをねじ曲げることは、さすがの瀬々も不可能であるが。
むしろそれは衣の領分だ。瀬々とは直接関係のない部分にあるといえる。
「あの卓を、ほんとうの意味で支配していたのは、臨海女子のストラウドさんだ。――でなけりゃ、あんなに永水が凹むことはなかった。――永水は、狙い撃ちされていたんだよね」
「前半戦は直接狙ってきていましたけど、後半戦は間接的な削りでしたわね。さすがに南二局までで十分削ったと見るやいなや、自分の攻めに切り替えてましたけど」
――それに対して、水穂は打つ手が一切なかった。あのオーラス、ハンナが連荘をすることなく早海に討ち取られたことは、完全に奇跡に近いことであったのだ。
水穂はハンナの威嚇めいたリーチを完全にスルーしている。せざるを得なかったのだ。戦えるだけの土俵に、水穂は立っていなかったのだから。
「……そろそろですわね。――お先に失礼いたします。出来る限り、点棒は守って大将につなげて見せますわ」
「――永水の岩戸さんには気をつけて、マダアレは、未完成かもしれないんだから」
「解ってますわ、精一杯、自分の全力を出しきってくるつもりです」
そうして、水穂と透華は、軽く視線をかわして、その場を離れた。透華はあまりわざとらしくはしゃぎだす質ではなない。それは水穂と透華の、精一杯の激励であり、交錯であった。
♪
隠して、Bブロック準決勝、副将戦が開幕する。
対決するのは四名。
臨海女子、メガン=ダヴァン。
永水女子、石戸霞。
宮守女子、鹿倉胡桃。
そして龍門渕高校――龍門渕透華。
席順。
東家:岩戸
南家:ダヴァン
西家:龍門渕
北家:鹿倉
順位。
一位臨海 :151200
二位龍門渕:103300
三位宮守 :77400
四位永水 :68100
――対局が、始まる。
点数移動表は、計算に使ってるエクセル先生のやり方が間違ってて点数が実際とは違ってるみたいなので省略します。
全国編終わるまで省略するかもしれないのでご了承をば。