咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『魔物たちの夜』大将戦①

 天江衣は一人、準決勝対局室に佇んでいた。

 

 ――上を見れば、そこには照明がいくつか散らばって、下を見れば、衣の足元は近くに映った。何度かそれを確かめるようにしてから頷くと――卓に転がされている4つの牌の内、一つを取る。

 現れたのは、{西}――日の陰るところに生まれる方角。

 

 すでに時刻は夜も老けた頃だ。外を見れば、黒に染まった天蓋が見える。――これが長野の空であったのならば、ばら撒かれた星々も、見ることはできたのだろうが。

 

(思えば――)

 

 不思議と、室内は開け放たれた出入り口以外はきちんと封をされるような作りであるのに、穏やかな風が流れていた。それは、顔を伏せ、目元を隠した衣のプラチナブロンドを、透き通る絹糸のようなそれを、撫でてどこかへ消えてゆく。

 ぽかんと開いた口が、何度か言葉を発そうとして、その意味の無さからか、結局音を持たずに閉じてゆく。

 

(思えば、随分遠くまで来てしまったものだ)

 

 周囲を改めて見る。照明で、視界に困ることはない。

 

(父と母、衣を愛してくれたものを二人も喪くしてしまった夜。――衣の空はあまりにも黒くよどみ、歪んでいた。ただぽっかりと、空白のように満月だけが浮かんで、それがその時の衣だったはずだ)

 

 衣の目に映るのは、“証明によって映しだされた準決勝対局室”ではない。それを映す“照明そのもの”だ。明るい、あまりにもそれは明るい。空に浮かぶはずの、孤独な星々を消し去ってしまうほどに。

 

(やがて、そこにじいじとばあばがやってきて、実紀に薫に木葉に、静希に柚月に、透華に一に水穂、純と智樹と――そして、瀬々)

 

 かつてともに卓を囲んだもの、今ともに闘っているもの。

 衣の心に、それは大きな支えとなって存在している。――衣はひとりぼっちの女の子だ。誰かを失ってしまえば、途端に衣は孤独になってしまうし、誰かが支えてくれなければ、ぽっきりどこかが折れてしまうかもしれないのだ。

 

(いろんな人達と関わりあって、世界を広く大きく繋げていって、ようやく衣は人を知れた。人として、誰かと共にいることを知った)

 

 

 ――気がつけば、対局者たちが衣の周囲に揃っていた。

 

 

 第二回戦でもともに卓を囲んだ小瀬川白望。

 そして今日初対決のタニア=トムキン、更には――

 

(なぁ、神よ――いや神でなくとも良い、一を知らぬ愚か者どもよ。世界とは、人が人と繋がり合うことで、それぞれの別する世界を繋げるがゆえに世界となるのだ。ならば――)

 

 神代小蒔、永水女子の大将にして、この卓に座るもう一人の魔物。衣と根源を、同一にする存在。――だが、目の前にいる少女は、そんな“不確かな具現”とは全く別種、――人間らしい、どこかおっとりとしたお嬢様のような一人の少女であった。

 

 だが、分かる。衣には分かる。この少女は、神に愛されている。それもたったひとつの神ではない。あらゆる神に、九面の神に愛されているのだ。

 

 だからこそ、衣は心中で問いかける。神に、神代小蒔を愛するがゆえに、自身の意思を小蒔に委ね、操る所業を行う神に。

 

 

(――ならば人は、一人ぼっちの神とは、違うぞ?)

 

 

 それぞれの牌がめくられて、席順が決められる。――開局時、衣は西家、奇しくも席ぎめの時と同一、日の沈む、衣の属するところに座った。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:神代

 南家:小瀬川

 西家:天江

 北家:トムキン

 

 

 ――東一局、親小蒔――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

(さて……)

 

 小瀬川白望は深々と椅子に腰掛けながら、どこか嘆息混じりに考える。ちらりと共に卓を囲む三人を見やりながら、それから更に手牌までも、見る。

 

(始まった……始まってしまった…………)

 

 面倒である、というのは偽ざる本音である。しかしここまで来て、後一勝で優勝が見えて、諦める者が一体どこにいるというのか。

 それに――

 

(神代さん、なんか今日は変だ……テレビ越しに見てたのと、ぜんぜん雰囲気違う。何か種でも在るのかな?)

 

 フンス、と気合を込めて第一打を選ぶ少女は、その特異な巫女服姿を除けば、どこまでも普通のおっとり少女に思える。と、言うよりも、彼女の打牌には覇気がない。魔物と呼ばれるほどの相手ではなくとも、ある程度の実力があれば、打牌に威勢が伴うのはある種当然とすら言えるというのに。

 

(考えてもしょうがない、か。とはいえ、まさかこのまま勝手に失点して飛んでくれるわけじゃないだろうし、そのうち何かあるってわけだ)

 

 しかしそれは“そのうち”で、“今”ではない。彼女自身の気配ははっきりしている。少なくともこの一局中に目覚める可能性は薄いだろう。

 

(となれば――警戒するのは、こっちかぁ)

 

 視線を移す。

 あくまで自然体といった様子で、天江衣が理牌を進めている。――かなりの高速で理牌を進めているが、時折フェイントで牌が実際に動いていない部分もあるため、理牌読みはかなり難しい。

 二回戦ではそうでもなかったが、今回はタニア=トムキンがいるのだから、そのためか。

 

 タニア=トムキン。臨海女子の大将であり、ナンバー2。アン=ヘイリーがいなければ、間違いなくエースを張っていたほどの実力。少なくとも現在インハイで活躍している強豪校の二年生エースたちよりは、ずっと強い。もしかしたら、龍門渕の依田水穂よりも強いかもしれない。――彼女は、第二回戦でその二年生エースと互角の勝負を演じていたが。

 とかく。

 

(バケモノ三人が跋扈する大将戦。渡り歩くのは、ちょっとダルい)

 

 面倒な相手、厄介な相手、相手にもしたくない相手。よりどりみどりだ。普通の白望なら、このまま投げ出して思考放棄しかねない。

 しかし、今の白望は普通じゃない。仲間達に託されたせいで。――先輩に、後をすべて任されたせいで、数多ある他人任せな理由から、彼女は自分に負けられない立場を作った。

 だからここで、負けるわけには絶対行かない。

 

 ――すくなくとも、諦めるのはもっての外だ。

 

(頑張ってみよう。だるくならない程度に――今は、そんなにだるくないから)

 

 ――小瀬川白望は、自分自身の思いを託して、最初の一打を、ここに叩く。

 

 ――――そしてそれから、何事か在るわけでもなく、鳴き一つない静かな状況で、十巡目。

 

(……テンパイ)

 

 軽く自身の座る椅子を揺らして、動かした右手が正面になるように体を動かす。斜めに(かし)いだ態勢から、状況を俯瞰するように、見る。

 

 ――白望手牌――

 {二三四八八③⑤⑦⑧⑨223(横④)}

 

(けど、一つ牌が浮いた。そんでもってこれが――)

 

 ――衣捨て牌――

 {發二615⑨}

 {六4八北}

 

(多分、天江さんの和了り牌。一見通りそうに見える罠、待ち構えるのがこの人流だと思う)

 

 故に、選ぶのだ。まずはここで――自分自身が正しいと思う選択を。負けたくないと思うから、それ故の、まず選択を。

 

 ――白望/打{八}

 

 どこまでが衣の策略で、どこまでがその想定外か――判断するすべは無い。無いからこそ、ここで白望は前進をやめられない。

 

 続く白望のツモは{1}。テンパイに取っていれば、一発で和了っていた牌だった。

 

 しかし、構わない。むしろ白望はそれ以外の思考をする。この牌は――天江衣の安牌である、と。

 

({3}を安牌と演出するために、{1}を切ったから、これが現物であることが最初から解ってる。それが仇になった。――この牌なら、どこを引き直しても有効牌になる。何も問題は――無い)

 

 ――形式テンパイだ。故にここで白望は続けて{八}を打つ。何のためらいもなく、打った。

 そして続けざま――再びその手が入れ替わる。

 

 ――衣/打{2}

 

 ――白望/ツモ{4}

 

(張替え完了……といっても、テンパイからテンパイの張替えだけど)

 

 白望/打{1}

 

 その打牌に、衣が少し驚いたようにする。しかしそれはすぐさま笑みに切り替わると――白望の方をちらりと見た。それでもなお、かわしてくるか――そんな風に、それは見えた。

 

 しかし、

 

 ――白望/ツモ{九}

 

 それは単なる、白望の幻想であったようだ。とはいえ、これは当たり牌ではない。白望の感覚が正しければ衣は{3}の単騎待ち、{九}も同時に待つような、シャンポン待ちではないはずなのだ。

 故に、きろうとした。

 一度手牌の上においた牌を、底から話そうとして――――

 

(生牌だけど、まぁ当たるような牌じゃ――――)

 

 

 ――――――――止めた。

 

 

(――ッッッッ!! こ、れは、そうか、生牌! {九}は天江さんには当たらない、けど{九}は――天江さんの槓材になりうる牌だ)

 

 

 出和了りは、もうすでに考えられない状況だ。わざわざ待ちを変えない限り、衣はずっと{3}で待つ他にない。しかしこの状況ではそれも違う。出和了りという形での和了りを狙うなら、わざわざ和了り牌を狙わなくても、良い。

 となればありうるのは――大明槓一択だ。大明槓からの嶺上開花、責任払いは確かコクマから採用されるルールだったはずだが、インハイにはない。しかしそれでも、他家の牌を利用したという事実は残る。意識の上を行く、衣の闘牌はそれで完成だ。

 

(だったら、これは切らない。切ってなんか、やるもんか……)

 

 白望/打{4}

 

 伸びた手牌が、また縮む、近づいた気がした手が――また遠ざかって消えてゆく。和了の芽は、白望の前に浮かんだり消えたりと、忙しい。

 

 白望/ツモ{3}・打{2}

 

 それでも白望は足を止めない。止めてなんかいられない。ただただひたすら真っすぐに、己が信じるこころを秘めて。

 

 白望/ツモ{七}

 

 ただ、前に。

 

(もう、残りの巡目は少ない、これでまた{3}を引いたその時は、こっちが負けたっていうことだ。でも、もしも最後の{3}が、あの王牌の中にあるというのなら、それこそ、天江さんにだって手を伸ばせないはずなんだ)

 

 だとしたら、これはもう、敗北の理由をすべて、消してしまったことになる。

 

「――――通らば」

 

 振り上げて、振り下ろす。打牌と、それから勝利宣言のリーチ棒。

 

 

「―――――――――リーチ!」

 

 

 本来であれば、ありえない待ち。

 本来であれば、ありえない打牌。すでに自分が切っている牌で――三枚切れの{八}で、フリテンリーチをかけるなど、一体誰が想像できよう。

 

 結局、この半荘の終幕は、白望が掴んだツモで、――反転して晒された、その一つの牌で、終わりを告げた。

 

「――ツモ! リーチ一発ツモに、裏は二つ! 2000、4000……!」

 

 ――白望手牌――

 {二三四七九③④⑤⑦⑧⑨33} {八}(ツモ)

 

 これで宮守女子が二位に浮上した。――そして同時に、原点復帰。先鋒戦東発で削られてから、ここに来て初めての――原点であった。

 

・宮守 『106000』(+8000)

 ↑

・臨海 『139100』(-2000)

・龍門渕『97300』(-2000)

・永水 『57600』(-4000)

 

 

 それを確かめながら、衣は驚いたようにそれを見る。――{八}を対子落としした時、衣はこの勝負に自身の勝利を見た。

 

 しかし、結果はどうだろう。衣の手は潰え、今ここで勝利を晒しているのは小瀬川白望である。――初対面の相手であるならともかく、衣にとって白望は二度目の対局相手、少なくとも、彼女の癖やスタイルはそれなりに把握している。

 故に、たとえここで躱されようとも、和了れるような手を作っていたはずなのだ。

 

(よもや、二度もこちらの策を交わすどころか、和了まで持っていくとは、――いや、直撃を躱すだけならば問題はない、次の衣のツモで、衣は不確定ながら和了をするつもりでいた。それの上を行かれたことのほうが、問題か……)

 

 ――衣手牌――

 {一一一九九九⑥⑦⑧3東東東}

 

 衣の作戦はこうだ。まず、最初に{3}を釣り出す捨て牌を作る。これが躱された場合は{九}を大明槓するよう待ち構える。そこで嶺上開花を和了れるならばよし、和了れなくとも、衣の本命は白望から{3}を喰いとることだ、そうして和了る、たとえ嶺上開花が成立せずとも、だ。

 別に衣は王牌が見えるわけでもなければ、それを嶺上開花を自由自在に操れるわけではない。何かを知るチカラでも無い限り、王牌は基本手を伸ばすことのできない不可侵領域だ。

 

 少しばかり考えを巡らせて、それから得心の行く答えを見つける。

 

(……なるほど、この麻雀にかける思いのあるがため、か。人の意志が、思いもよらぬ形で衣の前に現れているのだな)

 

 それはたとえば依田水穂のように、直接的なツモの良し悪しでなくとも、衣や井上純のように流れによってそれを操ろうとしなくとも、確かに自身の“勢い”を、変えるだけの意思があるというわけだ。

 

 準決勝まで登りつめ、より一層大会にかける思いが強くなる。アタリマエのことだ、そうでなければおかしなことだ。衣の場合――それ以上にすべての対局が、全力投球であるのだが。

 

(いいだろう、衣と相対するものが、衣に全力で――全力以上で挑んでくるというのなら、衣はそれに、衣の全てで相手取るだけだ!)

 

 意気込んで、意識を秘めて次へ向かう。東二局の――開幕だ。

 

 

 ――東二局、親白望――

 ――ドラ表示牌「{⑦}」――

 

 

(――く、ふふ)

 

 理牌をしながら、第一打を見定める。己が猛進するべき場所を見つけ出す。それがタニア=トムキンの、狙いすました直進スタイル。

 

 ――タニア手牌――

 {二三七七⑥⑨1358東白發(横③)}

 

(楽しい、楽しい、楽しいなぁ――本当に、楽しくて楽しくて楽しくて、楽しくて全く、仕方ない!)

 

 笑みが、浮かんできてしょうがない。

 体が震えて仕方がない。快感だ。悦楽だ。いいえもしれない、タニア=トムキンとしての悦びだ。

 ――理牌を終え、どこか放心した様子で背もたれにもたれかかる。それから何度か、ビクンと体が震えた。頬に、誰の目から見ても明らかなほど朱色を差して、それから勢い良く体を振り上げ起こした。

 

 タニアは自分だけのもつ、誰にもない特別な判断基準から、勝利のための手を選ぶ。それは無数に浮かんだ未来への糸、そのたった一本だけを選んで直進する、猪突猛進型のストレートな打ち筋だ。

 

 ――この手牌にも、多くの可能性があるだろう。役牌を大事にしてもいいし、タンヤオもさほど難しくないような手牌。丁寧に育てれば、三色チャンタ辺りも、ありうるかもしれない選択肢。

 その中から、タニアは最初の三巡で、自分が和了るべき理想形を、頭のなかで完成させる。

 

(――ツモの感触から察するに、早そうな感じだ。それを加味してここで打つべきは――――こことみた!)

 

 タニア/打{1}

 

 ダン――、と一打。

 

 タニア/ツモ{五}・打{東}

 

 警戒に音を立てて、第二打。

 

 タニア/ツモ{發}・打{中}

 

 最後に、勢い付けた鈍い音を伴って、第三打。――それはさながら、助走をつける、陸上選手の如く――――そして、爆発的な加速でもって、勢い任せの打牌が始まる。

 

 ――実況室――

 

「トムキン選手の高速打牌が始まったー!」

 

「トムキン選手はとにかく打牌のスピードが速いことで有名です。他家を焦るようなスピードはいただけませんが、不思議と他家はそのスピードに圧倒させません☆ それだけタニア選手が警戒され、些細な情報すら見落としたくない、ということだからです」

 

 はやりの解説。スピードに圧倒されることはない。それはまさしくその通り。若干小蒔は慌てているようだが、それでも実際には二度目の対局、打牌に焦りがにじみ出ることは今のところない。

 白望や衣など、本当に全くのんきなものだ。タニアのペースに振り回されることなく、自分の判断で選択を選ぶ。

 

「トムキン選手はまず、最初の三巡を多少長考しながら打牌します。これは陸上選手の助走のようだと、表現されたことがありますが、トムキン選手はこの三巡で他家の様子を窺い見ます☆」

 

 これはオカルト的なところで言えば流れの有無。だれがどう、手を進めていくのかという事を見る。アナログ的に言えば、理牌読みにより、手牌の全容を探る。――この卓には衣がいるため、彼女ばかりは理牌もそううまくはイカないが。

 そして、最後にデジタルてきな速さをみる。――速さが基準に満たしていなかっただら、テンパイもスルーだ。あくまで勝つために必要な選択を、彼女は取る。

 

「そして最後の三巡目で自分が目指す手を決定、それは例えばタンヤオであったり、混一色ツモの大物手であったり――そして同時に、ベタオリであったりします」

 

「絶対に最初に決めた手以外は和了らないんですよね?」

 

 はやりはかつてタニアの局を解説した時、すべての局においてタニアが目指していた手役を当ててみせた事がある。この解説は、そのことを後のインタビューでタニア自身が肯定したために、解説されている事実だ。――もとより、タニアの一点突破スタイルは、非常に有名であったのだが。

 

「――この手は、おそらく役牌三色の2000ですね」

 

「え? 三色も付くんですか?」

 

「それを見て手を作っていることは間違いないかと」

 

 ――直後、衣が少し考えてから{發}を打つ。タニアは即座に反応した。一瞬の刹那、宣言までに、一秒は必要なかっただろう。

 

『ポンッ!』 {横發發發}

 

「仕掛けていったー! まずは瑞原プロの宣言通り、役牌一つを確保だー!」

 

 モニターの先では、衣が目を細めてそれに反応する。この行動自体は予測済み、――衣が反応したのは、あまりにそれが衣の予想通りに進んだためだ。

 

「他家は追いかける形になりますね。この中で一番早いのは天江選手ですが、果たして追いつけるでしょうか☆」

 

 はやりの解説、そこから更に巡目は進み――タニアの手牌は以下のような形に完成を見た。

 

 ――タニア手牌――

 {二三五七七③④(横四)} {横435} {横發發發}

 

 タニア/打{二}

 

 はやりの読み通りの役牌三色テンパイ。二翻は2000の手。若干安さはあるものの、あそこからここまで、手を変形させてのテンパイに、かかった巡目はたったの七巡。最良すぎるほど最良といえた。

 

 そして――

 

 タニア/ツモ{②}

 

「ツモったー! 安目とはいえこれで臨海女子、大将戦最初の和了――――ッ!?」

 

 実況の声が、しかし途中でストップする。ありえないものを、目の前で見たから。――否、タニア=トムキンのスタイルと、はやりの言葉を信頼する実況は、それを振り返って思えば疑問とは思わないだろう。

 しかし、状況に付随するあらゆるオプションを取り除いて、単なるツモの一場面と考えた時、それはありえない選択に――変質してしまう。

 

 タニア/自摸切り{②}

 

「これは、和了拒否、フリテンのまま高めを待つつもりか――!」

 

 狼狽気味に発声するアナウンサー、間髪入れずにはやりがこの状況に必要な情報を提示する。

 

「山に{⑤}はのこり二枚です。{②}はこれが生牌でした☆」

 

 かなり厳しいものが在る。しかしそれでも、タニアは全く気負う様子もない。むしろそれに動揺しているのは、{②}と{⑤}が当たりであろうと見ていた白望と衣、

 どちらもタニアの闘牌を、面倒そうに見やっていた。

 

 一つずつ、打牌は進む。衣は、自摸切り――不要牌で、相手はフリテン和了れるはずもない。白望はと言えば、少し考えて衣の現物を切った。小蒔は安牌がなかったのだろう、少しホッとした様子で、{②}を選んで手牌から、切った。

 

 それで、一巡が過ぎた。同卓するもの、モニター越しにタニアへと意識を向けて――タニアはなんでもない様子で牌を掴む。

 本当に何の気負いもなく、ただただ勢い任せの速度で牌を引き寄せ――

 

 タニアのツモが、勢い紛れに卓上を揺らめく。裏向きになっていた牌を空中で回転させるように滑ると、表向きに反転する。

 直後。

 

『――ツモ! 500、1000!』

 

・臨海 『141100』(+2000)

 ↑

・龍門渕『96800』(-1000)

・宮守 『105000』(-500)

・永水 『57100』(-500)

 

 こんどこそ――タニアの思い描いたツモ通り、タニアは和了を決めるのだった。

 

 

 ――東三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{四}」――

 

 

「……なんだ、こりゃ」

 

 ――龍門渕の控え室、モニター越しに衣の対局を眺めていた瀬々が、なんとはなしにつぶやく。訝しげな様子で眉をひそめると、それから画面にうつる衣に視線を近づけ、難しそうなかおをした。

 それに反応したのが一である。不思議そうに瀬々の横からその顔を眺め、そして聞く。

 

「どうしたの? 急に変な顔して」

 

「うっさい変な顔じゃない。というかこれ、なんかおかしいぞ? 衣のやつ――なんでこんな闘牌をしてるんだ?」

 

 衣の考えがわからん――そう嘆息しながら、それから続けて、その状況を問いかけた一に対して解説する。

 

「いやさ単純にな? 衣が普通の衣っぽくない打ち方をしてるんだ。えーっとなんだったかな――そう、ベタオリだ。衣がベタオリしてるんだよ」

 

「……ん? ベタオリ? あ、あぁそういえば、今の衣はそんな打ち方してるね」

 

 一が少し考えて頷く。――今の衣の打牌は、一からしてみれば何らおかしな点のない打ち筋だった。デジタル的にみて、三面張を相手にするのは不正解なのである。

 

 ――この東三局で、最初にテンパイしたのはタニア=トムキン。たった四巡で、平和多面張を完成させた。それは三色の一向聴を蹴ってのものだったが、それでも迷うことはなかった。タニア=トムキンは、たったひとつの歩みでもブレない。たった一つの、迷いすら――無い。

 

 それに対して衣は、当初は回り道をしながらの前進によるものであったが――しかし一向聴の状態で、それを拒否、そこから急にベタオリを始めたのである。

 丁度それはタニアの自摸切り連打が、いよいよ怪しさを増してきた段階であったが――

 

 しかしそれは、渡瀬々、衣の隣に立つ少女にとっては、いいえもしれない異質に映る。

 

「――おかしいんだよ、衣はベタオリをしない。いつだって回り道をして、同時に相手の手を潰して和了りに向かう。そこに諦めはないし、どこまでも衣は貪欲に、貪欲に、勝ちをもぎ取ろうとする」

 

「……え?」

 

 瀬々の言葉は、一にとって大いに信頼のおける言葉である。そんな彼女が、衣の闘牌を語った――異質を認識するには十分すぎる理由であった。

 

 状況を認識、それによって言葉が詰まる。一はようやく、この対局に存在する、衣以外のバケモノを、知った。

 

 

 ――この夜。インターハイの会場は、想像を絶するほどの何かが“轟来”した。

 

 

 神秘。

 

 幻想。

 

 不可思議。

 

 摩訶不思議。

 

 光か、はたまた底知れぬ闇か。光であるなら、どれほどまでの眩さか――世界を覆うと、見て間違いないか。それは、あらゆるものの感情を駆け巡り、そして駆け抜け――舞い降りる。

 体中に不和が沈殿するようであった。

 

 冷凍の世界に繋ぎ止められたかのような、絶海の孤島に置き去りにされたかのような、人間の持つありとあらゆる感情が、金輪際根こそぎにされかねないほどの、意思という意思が、呼吸という概念を忘れ去るかのような、圧迫感。

 

 それは、このインターハイに舞い降りた“それ”を、否が応にも認識してしまうからこそ、感じてしまうものなのだ。

 

 ――龍門渕の控え室で、瀬々と透華が同時に震えた。驚愕からくる感覚、瀬々はビクリと体を震わせて、それから何度も目を瞬かせた。透華は逆に、どこか楽しげな笑みを浮かべた。

 

 ――同じように、笑うものは、臨海女子の控え室にも一人。超えたいと思う。思うから、アン=ヘイリーはどこか案ずるように、モニター向こうの、タニアを見た。

 

 

 ――そして、どこともしれぬ会場の一角。どこか鋭い目つきの少女とともに席につく、先程までどことなくうつらうつらしていた一人の少女が目を見開く。

 

 

 東四局は、タニアと神代小蒔のみのテンパイ流局。

 タニアの手は{6777}という待ちの変速多面張。対して神代の手牌は――――

 

 ――小蒔手牌――

 {二二九九①①⑧556688}

 

 

 ――東四局一本場、親タニア――

 ――ドラ表示牌「{6}」――

 

 

「……和了り牌をガメるだぁ?」

 

 純が三脚ある椅子の一つを占領しながら、面倒そうな目で瀬々を見る。しかし、そこの胡散臭そうだとかいうような、胡乱げなものは一切ない。あくまで真剣に、瀬々の言葉に聞き入っていた。

 

「あぁそうさ、他家がテンパイした時、必要な和了り牌を――あのバケモノは持って行くんだよ。根こそぎ――な」

 

「なにそれ……反則?」

 

 口を挟むように、水穂がつぶやいた。瀬々がそれにやれやれといった様子で首をすくめてみせて、ついでに、と言わんばかりに口を開く。

 

「んで、それだけだったら普通、和了れないだろうって思うけど――“どういうわけか”神代小蒔の集める和了り牌は、対子か刻子になりうるものである場合が多い」

 

 一枚しかない和了り牌や、結果として一枚しかなくなる牌――地獄単騎や、{一一一二三九九}のような特殊な多面張の、この場合は{一}に当たる部分。

 これらは一切掴まないのだ。自分も――他家も。

 

 王牌を切り裂けば分かることだが、神代がガメなかった他家の和了り牌は、その王牌の中に眠っているのだと、瀬々は言う。

 

「……それって、他家はどうやったって和了れないってこと?」

 

「いや、さすがに完璧ってわけでもない。一巡二巡でテンパッて、神代ががめる前に掴むことだったら――まぁ不可能じゃないだろうな。もしくはあたしみたいにツモの在り処がわかってて、ずらしてそれをつかめるのなら、あるいは」

 

 完璧ではない。

 瀬々は端的にそういった。しかしそこから続く説明の語は、まったくもって簡単とは言いがたい極端に難しいもの。――だからこそ、そこにいる存在は、会場中を轟かすバケモノなのだ。そうはっきりと、龍門渕の控え室にいる者達は、改めて認識するのだ。

 

 

「――ちょっと待ってくださいまし」

 

 

 そこに、割って入る者がいる。

 はっとしたように顔を上げ、少しその顔色を青ざめた透華が、口早に言葉を吐き出していくのだ。

 

「神代小蒔の集める和了り牌は、対子や刻子になるもの、でしたわよね……?」

 

「…………あぁ」

 

 瀬々は、その透華の問いかけ、そこにある真意に気がついていた。気がついているからこそ、言葉にするのが重苦しかった。

 最初から、わかっているのだ。だからこそ、躊躇うのだ。

 

 そこに透華は切り込んでくる。――切り込まざるをえないから、切り込んで、問いかけざるを得ないから、問いかける。

 

「つまり、それって――――」

 

 

『――――ツモ』

 

 

 遮るように、声がした。

 人のものとは思えないほど、言葉の域が違う声。たったひとつの発声であったというのにそれだけで、何かを震わせるチカラを持つ――声。

 

「……あぁ、そうだ」

 

 全員が、一斉にモニターをみて、驚愕を浮かべた。

 純が、智樹が、一が、透華が、水穂が――瀬々が。

 モニターの向こうで、対局者達も難しそうに顔を歪めている。

 

「神代小蒔には、対子や刻子が自然と集まる。本人にとって、非常に都合のいい形で。――その手牌が行き着く先は……まぁ、一つしか、ないんだよなぁ」

 

 対子を多く集めてできる手がある。

 それは、ただツモっただけではちっぽけであるが、リーチをかけて、裏が乗れば跳満だ。しかし、――刻子を多く集めて作る手は、そんな一般の手役とは、一線を画するだけの、打点が在る。

 

 

 ――役満、四暗刻。

 

 

 ――小蒔手牌――

 {二二二三⑤⑤⑤444777横三}

 

 

 それが、今ここに目を覚ました“神代”――小蒔の和了した、その役である。

 

・永水 『90200』(+32000)

 ↑

・臨海 『129400』(-16000)

・宮守 『94300』(-8000)

・龍門渕『86100』(-8000)




分割の影響もあいまって、今回は非常に速いです。
魔物大暴れの大将戦、ご賞味あれー。

そういえば点数計算のミスが解決したので今回から点数移動を復帰します。

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