天江衣も、宮永照も、お互いをじっと見つめたまま、その場に立ち尽くして、呆然としているようだった。体の中に生まれた感覚が、少女達を引き止めているのだ。
最初に、その場で再起動したのは、龍門渕透華と弘世菫の両名だった。
「――な、お前……龍門渕か?」
「……弘世さん、ですの?」
確かめるように、お互いに名前を呼び合う。――間違いない、自分の知っている少女だ。それを認識してやっと、それぞれがその場に居る理由を思い出す。
――弘世菫は白糸台の制服を着ている。宮永照もだ。
「……知り合い?」
水穂が、小首を傾げて問いかける。菫も透華も、水穂は知っている。とはいえ菫は、大会に参加している選手の一人としか知らないのだ。
――菫には特徴的な打ち筋があるとはいえ、直接対決しない選手の名を、覚えるのは決して容易ではない。
「二年前の全中で、同卓したことがありますの。とても印象に残る打ち方をしていたものですから、覚えていたのですけど……ご本人でしたとは」
「私は……モニター越しにその姿を見た時、驚いたよ。龍門渕、という名は知っていたが、まさか龍門渕家のご子息だったとはね」
懐かしそうに笑みを浮かべて、それから菫は言葉を続ける。
「実際に一目見て、やはりそうだと思ったが、健勝そうでなによりだ。まずは準決勝、トップ通過おめでとう」
「ありがとうございますわ、そちらも準決勝はトップで抜けられたようで……」
――透華は、衣との特訓に明け暮れていたため、準決勝の映像を実際に見ていたわけではない、それ以前のデータも、あくまで牌譜上のものだけだった。
特徴的な打ち筋は似通っているとは言いがたかったため、名は同じでも、確信に至ることはできなかった。
「あぁ、これは、龍門渕さんがまとめ役か? すごいな、一年でその責任感。私には到底真似できそうにない」
「――そうかな、菫はすごく真面目だと思うけど」
ふと、割って入るように照がぽつりと言葉を漏らした。心底アタリマエのことのように、何のためらいもなく、言葉を放った。
はっと驚いたように菫は照をみて、それからなんとはなしに頬を掻きながらそれに答える。
「……あんまり素面でそんなことを言わないでくれ、照れる」
――照だけに、そんなことを口走りそうになった水穂は、それを耐えた自分を心のなかだけで褒め称えた。
そんな水穂達周囲を差し置いて、透華と菫の会話が続く。
「こちらには、準決勝の観戦に?」
「あぁ、そうだな。私が照を誘ってきたんだ。気分転換になるぞ、って」
「……別にそんな心配しなくてもいいのに」
「自己主張が薄いから色々と不安になるんだよ、お前は」
嘆息気味にそうぼやくと、それから菫は心機一転、と言った様子で更に話題を転換させる。
「それにしても、明後日にはもう決勝戦か」
「早いものですわね、なんだか夢のようにも思えますわ。――お互い副将として卓を囲むというのは、一体何の因果なのでしょうね」
「まったくだな――次は負けないぞ?」
菫の言葉に、こちらこそ、透華は軽く微笑んで頷いた。
――そこで、旧友同士の会話も一段落。多少会話に間が開いて、それを見てか照が菫を伴って階段を下る。ゆっくりと、衣と視線が交差した。
階段をすべて降りきって、衣と台場を同じにして、それから改めて向き合った。
ここにきて、だろう。周囲がようやく現在の状況に気がついた。少数ながら残っていたマスコミ関係者たちが、龍門渕と宮永照の、邂逅を見て取ったのである。
「――おい、あれ、決勝をトップで進出した高校の大将同士じゃないか!」
「すごい画だな。対局室でもないのにこんな光景、そうそう見れるもんでもないぞ」
にわかに周囲が沸き立っていた。カメラが何台か向けられシャッターが切られる。照は慣れた様子で人のよい営業スマイルを浮かべたが、逆に衣はそういったマスコミの目を集めることが苦手だ少し体を強張らせていた。
――とはいえ、すぐさま会話を打ち切ってその場を離れなかったのは、ごくごく単純に、隣立つ瀬々がそれを支えるように間髪入れず寄り添ったためだろう。
瀬々がそれだけ思ったのだ。この邂逅は惜しい、と。この場で断ってしまうには、あまりに惜しい出会いである、と。
それこそ自身とアン=ヘイリーのように、自身の世界に、多少以上の彩りを与える存在。衣にとってのそれが照であると、瀬々はなんとはなしに思ったのだ。
――アンは、少し違うだろう。彼女は人の心を揺るがす絶対的なカリスマを有するが、それは衣とよく似たたぐいのものだ。気の合う友人もしくは親友となるのなら想像が行くが、それぞれの人生観に影響をあたえるものはないだろう。
「……はじめまして、天江さん」
照は、マスコミに対して浮かべていた処世術染みた笑みを引っ込め、素のままの様子で言葉をかける。そうであることが自然だと思ったから、そうであるように振舞っているのだ。
「――こちらこそ、こうも早く直接逢着することになるとはな」
「一応、菫は天江さんを見に来たっていってたけど、実際に会うとは思ってなかった」
「光栄の限りだ。が、それだけ申し訳ない気もするな。衣達も同様に、直接会場で準決勝の対局を見ておくべきだったか」
「ううん、私も自分の意思で行動することってあまりないから、お互い様」
――別に、照の意思が薄弱なわけではない。ごくごく単純に、遠出すれば二回に一回は菫を頼ることになるため、そのたびに小言を言われたくなかったために、外出を控えるようになったためだ。
「準決勝、おめでとう。それからお疲れ様。他の人達も……特に先鋒の、渡さん」
準決勝にて、最も強者であるとされる者、それがアン=ヘイリーだ。無論それは衣や小蒔といった、新鋭の評価が多少低いというところに理由があるが――少なくとも彼女たちと並べて遜色が無いほどには、アンという少女は強敵であった。
――人の心に残る少女であった。
「――どーも、まぁあたし自身課題が多くて頭は痛いけどね、完勝できた衣とは違うよ」
自嘲気味に瀬々は言う。それは、どこまでも偽ざる本音であり、しかし同時に自身の中に宿った意気込みであった。――焦燥、でもあっただろう。
瀬々は衣と神代の対決を完勝、とは形容したものの、収支的には衣が敗北してはいるのだが、さすがに役満二回の親被りを考慮しないというのは問題があろう。しかも片方は地和、片方は三巡目での和了。止めようのない役満である。衣自身、それ以上に稼いで勝てばいいと、切り捨てていたようだった。
「……まぁ、そうだな。そちらはまぁ、何の仔細もないようでなによりだな」
衣は、少しばかりことなげに、嘆息混じりに返答する。――その様子に、ふと瀬々が視線を向けると、それに気がついたのだろうか、衣はすぐに軽く笑みを浮かべて照を見た。
「皆さん強くて、少し大変だったけど、何とか勝つことができてよかった」
「なんだか小学生みたいな感想だな」
とはいえ、それ以上に言い様がないのは事実だろう。わざわざ対局者の解説をするのも無粋というものだし、対局者達の奮戦があったのもまた事実。
照はそれを本音として、端的に述べただけだ。無論、語彙が少ないだけとも言える。
「明日は……どうするの?」
「特訓だな、瀬々はまだまだこれから延びる。少しでも衣はその手伝いをしたいのだ」
――たった一日とはいえ、それに大きく精神性が影響されたものもいた。国広一は、もう第二回戦の時のような対局はしないだろう。
「そういえば、準決勝の次鋒戦はすごかった。いい対局を見せてくれてありがとう」
「え? ぼ、ボクですか?」
そんな一に、照は素直な礼をいう。もともと期待していなかったのだ。あのような対局をした人間を、照が好むはずもない。
そしてそんな照の思考を、完全にひっくり返すほど、今日の一は奮戦していた。マイナス収支ではあったものの、後半戦ではきっちりプラスで終えている。一万点を越えずに終えたその事実だけで、十分と言える成果だろう。
それから、照と衣と、それから菫に龍門渕メンバーは、しばしの歓談を楽しんだ。大会が終わってからのこと、個人戦のこと――個人戦では衣、瀬々、そして水穂が大会を勝ち抜いていた――といったもの。
それぞれ他校の、全く事情の違う者同士ではあったが、それこそアンと瀬々のように、それ相応の交流であったことは、間違い用のないことだ。
ひとしきり会話を終えて、さてどうしたものか、と言ったところで、龍門渕のスーパー執事、ハギヨシがその場に突如として現れた。
なんでも戻りの遅い龍門渕メンバーを心配してここまで来たのだとか。
もはや気がつけば、以上の言葉はない。いつの間にか、時刻はだいぶ夜も更けてきているようだった。それを知ってか、興奮気味だった衣の緊張も、ここに来て途切れ、大きなあくびを漏らす。
夜が弱いのだろうな、と言葉にせずともなんとはなしに思った照と菫。なんとなくそれは全員察したが、間違ってはいないのだから、誰も否定するものはいなかった。
「――天江さん。貴方の闘牌は素晴らしかった。それと今すぐにでも闘ってみたいと思う自分がいる」
そうして最後に、締めくくるように照が言葉を紡いでいく。謳うように、奮うように語られるそれは、まさしく強者のものであった。
「だからこそ、貴方に対して言葉を送りたい。健闘を祈る、と。その上で私達に――私に勝利を、と」
――それに対して、ある種の違和感を覚えたのは瀬々だけであった。いや、菫も多少は感づいていたのだろうが、彼女はそれを表情に出さなかった。少なくとも、それはおそらく、瀬々と菫の持つ経験の差であろうことは、想像に難くない。
宮永照は、誰かに向けて語るかのように、言うのだ。
「…………衣も、だ。衣もそれは同一に思う。こうしてこの場所この瞬間で、邂逅がかなった奇跡を嬉しく思うよ」
「――私は、全力で次の決勝に望むつもり。そのために、お互い健闘を尽くすこととしよう」
「あぁ、そしてその勝負の結末が、己の勝利であることを望む」
「……私もだ」
言葉を交わし、己が瞳に炎をともす。それが最大限の意思表示であるとわかるから。――衣と照は、自然と二人で握手をして、それからその場を――離れることとなった。
♪
宮永照との邂逅。
思わぬ偶然ではあったものの、有益であったと文句なしに言えるものだったはずだ。衣にとって、照は始めて出会うたぐいの少女であるはずだ。それを、衣が面白いと、楽しいと思わないはずはない。
瀬々は最初の内、そう考えていたのだ。
ハギヨシの運転する社内において、うつらうつらとする衣の隣に陣取って、瀬々はどこかぼんやり思案していた。思い出すのは、先ほどの邂逅のこと。
言葉の上では、照と衣はお互いの健闘を祈り、明後日の決勝へ向けて邂逅を終えていた。しかしそれを瀬々は、実際その通りには思うことができなかったのだ。
(――衣は、宮永照に対して何がしかの感情を抱いたはずだ。それはくやしいけど、あたしが衣に与えるような類のものじゃない、はず。とすれば――だ。きっと衣は、あたしの思うような感情は、抱かなかったってことだ)
衣は決して自分で自分を抑えつけるような類ではない。そうではないような、生き方をしてきた。今更それを、この場で変えるほどもないだろう。
マスコミが周囲にいたあの状況で、衣がそれを言い出さなかったのは、言い出す必要がなかったからだ。衣の隣に瀬々がたち、衣を支えたからこそだ。
よって、衣は自分の言葉を嘘にはしない。だとすれば、瀬々が感じた衣の違和感は、誰かに語るものではないということ。胸のうちに秘めて、そのままにしておくためのもの。
(もしくは、あの場では語れなかっただけかもしれないな。いつか言葉にしてくれるなら、それはそれで問題はないけど、今はなんというか、暇だからな……もうちょっとだけ考えてみるか)
あくびをひとつ。緊張が溶けて眠いのは、何も衣だけではない。少し見れば、周囲の者達もだいたい、どこか眠そうにしている。会話はない、誰かの眠りを妨げてしまうかと思えば、退屈を享受することのほうが第一であるように思えた。
(まさか恋の始まり――? いやいや、それはさすがになんか毒されすぎだ。ありえんありえん。まぁでも、衣が感じたのは、今まで思ったこともない感情だろう)
おかしなことではない。あの時の衣が、いつもと違うように見えたのは間違いない。感じ取ったのは自身の感覚、気のせいという事もないだろう。
その意識が、照に向いていたということも、また。
(じゃあ、なんだ? 怒り? 衣の怒りは、――あの時、先輩に浮かべたものがきっとそう。だから違う。そもそもなんで衣が誰かに怒らなくちゃ行けないんだ。衣にとって照は始めて出会うタイプの強者だぞ?)
瀬々のように、オカルトだよりの半端者でもなく、アンのように――大沼秋一郎などとおなじような――技術の天頂に至るものである達人でもなく。
最もフカシギで、最も超大である相手。
宮永照は、絶対的な強者であり、得体のしれないオカルト雀士でもある。
(無論、別にそれは“あたしの知るところにおいて”ではあるが、それでも、だ。宮永照は、他に比べようの無い雀士、特別な雀士なんだ。そんな相手に対して、衣は一体どう考える?)
――恐怖? 怯え? それはない。衣にとって、未知とは恐怖ではないはずだ。渡瀬々という異物を、嬉々として受け入れた衣が、まさか宮永照に怯える理由は全くない。
(でも、あの時の衣は、どこか無理をしているように見えた。それは負の感情から来るんじゃないか? だとすれば衣は――――)
なんとなくだが、見えた気がした。
――感覚に、手が震えたような気がした。はっとしたようにして目を見開いて、それからそれを集中するように、細めた。
東京の夜が、溶けてゆくように駆けてまどろみ去ってゆく。瀬々の向ける視線の先は、そんな暗闇に満ちた世界であった。
衣は、この世界を知っている。瀬々は、この世界を知っていた。
今の瀬々は、どこにいるのだろう。衣はきっと、明るい世界に居るはずだ。
――だとすれば、衣の感じる感情は、未知への不可思議、不可思議への畏れ、畏怖ではないか?
(あぁ、なんだ)
――瀬々はようやく、考えを巡らせる自分自身の意思をはっきりさせた。
不安なのだ。自分の立ち位置が。衣の浮かべる感情と、自分の今いる居場所の双方が。
(私は今、自分がどこにいるかもわからないんだ。――わかってないんだ、なにも、かも)
自分の中に宿るオカルトが、分からない。壁を作って、遠ざけて――アン=ヘイリーの言葉を拒絶したのは、自分自身だ。
(そして、衣の感情に、私は
「――なぁ、瀬々」
そんな時だった。
衣が、言った。甘ったるいような声で、泡沫と現実と、それらの境界を曖昧にした、とろけてしまいそうな声でもって、言った。
「衣は……よく、わからない、んだ」
――ぽつりぽつりと漏らすそれは、果たして今の瀬々に語りかけているのか。それとも、夢のなかで語りかけるものが、こちらに漏れ出しているのか。
瀬々には、
「――あやつは、宮永照は、衣が初めて出会う手合いだった」
そうして、続けざまに、衣は言った。
「始めてだ……衣が、勝てるのかと、思ってしまう手合いはね」
それが、宮永照であるかというように。
天江衣は、宮永照の、強さを語った。
決勝戦に向けての因縁づくりと、今まで割りとスルーされてた瀬々にようやく出番が。
先鋒戦までにあと大体これ抜いて三話ほどお待ちいただく形になると思います。