咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『閉幕前夜』

 長かったお祭りも、ひとつの区切りを迎えようとしている。団体戦が終われば、その次は個人戦。少女たちの祭典は、最初の山場を終えようとしているのだ。

 

 ――明日は決勝戦。そう思えば、対局に臨む龍門渕メンバーの意識は、そちらに向かっていくのが必定と言えた。

 そしてそれは、サポートメンバーである、井上純、沢村智紀の両名にも言えた。

 

 とはいえ、それが彼女たちを興奮させ続けるかと言えばそうではない。あくまで両名は卓の外で五人のレギュラーを支えるのが役目。それをわかっているからこそ、純と智紀はその興奮を、己の作業に対するモチベーションへと変えていた。

 

「そこの資料、ちょっととってくれねーか? あと蔵垣と江口のデータを俺のパソコンに送っといてくれ」

 

「……ん」

 

 人が八人ほど――レギュラーメンバープラス純、智紀で囲めるほどの――大きな机いっぱいに大量のファイルを広げ、純と智紀は一心不乱に作業を続けていた。

 純は受け渡されたファイルと、自身の端末に表示されたデータをひたすら見比べる。

 

「ついでに、七野紗耶香のデータ解析も終わったから、送っておく」

 

「お、ありがてぇな。じゃあ江口と蔵垣の整理は俺がやるから、弘瀬、遊馬のデータ整理、頼めるか?」

 

 室内には、両名の声と、パソコンの駆動音だけが響きわたっていた。余計な音は何もない、少女たちを邪魔するものは、その部屋に存在してはいないのだ。

 

「一緒に鴨下宮猫のデータも……できてたらヨロシク」

 

「おう、そっちは今完成するところ、……だ、っと!」

 

 言いながら、純は勢い任せにエンターキーを押す。それですべての編集が完了、保存を終えればいつでも智紀に受け渡せるものになる。

 それぞれのパソコンにデータが行き渡ると、ふぅ、と一息。純が嘆息混じりにつぶやく。

 

「やっぱ七野ってな、“そういう”雀士か。これだけ見ると、なんでアレだけ和了れるのか全くわかんねーな」

 

「瀬々いわく……完全な技術」

 

 ――この場にはいないが、データ班には欠かせない人材が一人、居る。渡瀬々はオカルトの正体を察知することのできる、誰にもない非常に有益な能力を持っている。それをよういれば、データだけでは判断のつかないオカルトの規則性も、顕にすることができる。

 現在本人は、オカルトを全開にした衣にころころされているところだろうが。

 

「技術つったって、ここまでできるんだったら普通に鳴きで速度を上げてけっつーのな。……いや、それを想定した打ち方もあるってわけか。あとでデータみてみるか、そういう和了をした場面が何度かあるかもしれねぇ」

 

「そうだと思ったから……そっちも検証しておいた」

 

「マジか! すげーな!」

 

 思わず喜びを交えた驚愕から、即座にパソコンの操作に移る純、智紀はちらりとそれを眺めながら、パソコンの作業が滞ることはなかった。

 複数の情報を正確に読み取る必要が、かつて求められていたためだろう。

 

「はーふーん、へー、ほー。なるほどなー」

 

「……面白い?」

 

 確信を持って確かめるように、智紀は言葉を投げかけてきた。興味深げにマウスを弄っていた純の手が、泊まる。

 

「あぁ、出来れば実際の流れを見て確かめてーが、そこら辺は実戦を見ておくしかねーな。それに相手するのは透華だ。これが流れならまぁ、――殺せるはずだ」

 

 龍門渕を率いる二大頭。そのうち一人であるところの透華は、オカルトを殺す技術を身につけた。それは完全な技術合戦ではまるで意味を成さないが、理不尽なオカルト集団を、自身と同一の、競い合いに引きずり下ろすことのできる特攻だ。

 

「最悪なのは……流れに沿っての闘牌じゃないとき?」

 

 ――そして、それは透華の技術で届かないような相手は、もしくは透華に流れのないような状況では、うまく機能しないということでも在る。

 事実、準決勝の副将戦、透華は大きな失点こそなかったものの、ほとんど存在感もなく、対局を終えている。

 

「あぁ、そこなんだよなぁ、副将ともなれば、どっちかってーとそういうオカルト系の手合いが先鋒、大将の激戦区の次に多いはずなんだが」

 

「ここまで見事に……当たらなかった」

 

 透華の技術は一級品だ。全国――どころか世界ジュニアでだって戦えるだけのチカラを持つ、日本屈指のデジタル雀士であることは間違いない。

 だが、それに対し、透華が苦戦するような相手は、デジタルとしての技術ではなく、アナログとしての技術を極めた手合いだ。

 

「――そういう点で、透華がもっとも副将で警戒するべきなのは白糸台の弘世菫だな。もともと直撃狙いを得意とするトリックスタイルの雀士だったが、白糸台に入って――おそらくは宮永のせいだな――化けやがった」

 

 精度の高い読みは、百発百中の千里眼に成り代わり。聴牌速度まで向上したというのだから異常の一言に尽きる。

 

「それなら……問題はないと思う」

 

「まぁ、それもそうか――」

 

 一言、智紀のそれに頷いて純は、意識をパソコンへ向け、自身の作業へと戻っていく。とはいえ、言葉は続けざまに放たれて――

 

 

「――弘世菫がオカルトを操る限り、うちの透華は無敵だからな」

 

 

 ――二人っきりの室内に、拡がっていった。

 

 

 ♪

 

 

 蒸気が部屋中を覆い尽くすように、広がっては少女たちの体を覆い尽くす。すでに湯船に沈められたそれは、どことなく水気を伴って、艶やかさを持っているかのようだった。

 周囲に人はいない。時間が時間であるということもあり、先ほど出て行った一人がいなくなったことで、現在、ホテルの大浴場は、龍門渕高校のレギュラーメンバー、国広一、龍門渕透華、そして依田水穂の三人による貸切状態となっていた。

 

「いやー、お二人ともおつかれさまー、特に一のほうは!」

 

 今日一日中、魔物状態の衣と対局し続けていた一に透華、両名を楽しげにねぎらう水穂。うんざりといった様子で、それに透華はだんまりを決め込み、一は苦笑い気味に返答した。

 

「あ、はは。いや、そう思うなら変わってくれると……」

 

「絶対にヤダ!」

 

 即答だった。瞬殺だった。それも、間髪入れずなどという話ですらなく、もはや完全に、遮って答えを吐き出していた。

 

「……実際、あの衣と打ち続けても、面白くないだろうことは確かですわ。衣自身が、あんな打ち方しかできないのなら、私もそれがイコール衣だと思うでしょうけど」

 

 透華が、嘆息気味に言葉を吐き出す。声にはどこか疲れが見え、現在この大浴場で最も温泉を満喫しているのは透華だ。

 

「そうだよねー、衣がああいう打ち方しかできないってことは、衣は孤独だったって意味だしね。……拒否できるわけないよ。でも、私の場合、どうなんだろうな」

 

 水穂は、少しばかりの自嘲を込めて嘆息した。一と透華の視線が、一斉に水穂へと向く。どういうことかと、問いかけるような視線だった。

 ――龍門渕透華は、言うまでもなくそういった打ち筋など気にしない豪胆な性格、国広一は透華に無理やりこの龍門渕へ連れて来られたような経緯があり、拒否はできないだろうし、彼女自身強い心を持っているから、恐怖はしても拒否はしないだろうという想像は付く。

 

 しかし、水穂はどうだろう。依田水穂は、一体どう思ってバケモノの衣に接するだろう。

 

「衣は、一人で戦況を全部ひっくり返すレベルの雀士だし、それが“あの”衣でも同じことだっていうのは、瀬々と闘っているのを見るだけでわかるし」

 

 ――衣には、超高速高打点のスタイルと、一向聴地獄による手牌支配がある。この内、どちらにも瀬々は対応できていなかった。終盤になるに連れ、多少はそれに対抗しうる手牌を引き寄せていたようだが、それでも支配を敗れるかどうかは半々だった。

 無論、衣が何の油断もなく、どちらも同時に使用し、瀬々を圧倒していたこともあるだろうが、どうやらこれは、瀬々の中にある一つの壁が、彼女を遮っていることによるらしい。

 

 全国最強クラスの先鋒に、ある程度であれば対抗しうる瀬々を、簡単に一捻りしてしまう衣の強さは、見ればみるほど、魔物じみたそれに感じた。

 ――その気配も、準決勝で激突した神代小蒔によく似ていた。

 

「やっぱり昔の私って、すっごくわがままだったんだよね、自分に気に入らない子がいれば、すぐにその子を追い出しちゃうし、周りに仕方なかった、なんて思わせてさ、馬鹿みたい」

 

「私は……ああやって、諦めを諭すのも間違いではないとは思いますわ。私は、ですけど」

 

 それでも、衣はそんな水穂を認めなかった。衣が認めなかったから、瀬々が一肌脱ぐような状況になったのだろう。

 一は何も言わなかった。少しだけ何かを思案するような顔で、会話には一切入ってくることはなかった。

 

「――うん、やっぱりね、こうやってみんなとこのインハイに来て、わかったことが在るよ」

 

 水穂は、湯船の縁に押し付けていた体を反転させて、天井を仰ぎ見るように体を伸ばす。あやふやな蒸気の霧は、見据えた先の天井をかき消し、しかし水穂に、安寧を与えているようだった。

 無理もないだろう。体は暖かな安らぎに抱かれ、浮かび上がる思考は、どこか幸せに満ちたものなのだから。

 

「私、すっごく肩のチカラが抜けたみたい。それこそ、憑き物が落ちたっていうか、肩の荷が下りたっていうか。――こんなに気楽に麻雀打ったの、あの時以来だ」

 

 “あの時”、水穂が己に課した罪を、重荷を透華はなんとはなしに知っている。瀬々のように感覚から答えを得たのではなく、水穂の残した、かつての牌譜の一端から。

 ただただがむしゃらひたすらに、己のすべてを掛けて麻雀を打ち、そしてそれは肩を並べて麻雀を打つ、友に捧げるものである。それが水穂にとっての、麻雀の原点であったのなら、

 

 ――たった一人、孤独に頂点を目指す彼女は、一体どれだけ寂しさを背負っていたのだろう。

 

 そしてそれは叶わないと、化け物じみた雀士たちに宣告された彼女は、一体どれだけの絶望を己に与えたのだろう。

 

 想像したくは、ない。

 想像できなくは、ない。

 

 それこそ、透華にとっての“あの時”、あの時見せられた瀬々の顔。悲しみによって、こころどころか、自分自身すら消失させた顏。

 胸を締め付けられて、苦しかったのは、今でも透華の感情にこびりついている。

 

「あぁそっか」

 

 ――語る、水穂の心の内には、一体その何倍の苦しみが、襲いかかっていたのだろう。

 

 水穂の顔は晴れやかだ。

 しかし、どこか寂しそうでも在る。――もっと、もっともっともっともっと、幸せに過ごしたかった。自分の中にあった枷を。外して世界を、歩きたかった。

 いまだからこそ、そう思う気持ちは強くなる。

 

 最後にぽつりと漏らした言葉。

 

 

「――もうインターハイは、終わっちゃうのか」

 

 

 水穂のそれは、透華には決して届かない、言葉であった。

 

 

 ♪

 

 

「なーあ、瀬々」

 

「ん? どうしたよ」

 

 ――夜もだいぶ更けてきて、明日に控えた決勝戦が、刻々と近づきつつあった。

 瀬々は椅子に腰掛け自身の持つ二台のパソコンを両手で器用に何やら弄り、すでに衣は眠気が襲いかかっているのだろう。布団にこもって、うつらうつらとしている状況。

 静かなものだ。パソコンの駆動音も殆ど無いし、衣の寝息もまだ聞こえてこない。

 どちらもどちら、意識を向けることのない状況。空白を、己の居場所とする状況。

 

 そんな時に、衣は眠気を引きずった甘ったるい声で瀬々に言葉を投げかける。瀬々は、何の気なしに、それに応えた。

 

「瀬々は、幸せを感じたことはあるか?」

 

「あるぞ? 少なくとも今は、幸せすぎて怖いくらいだ」

 

 かつて、一に語ったことでもある。幸せが、怖い。再び訪れる不幸が、怖い。

 

「そんなものだろう。幸せは、なれる。喜びは薄れていくものだ。かつての不幸によって得た幸せの実感は、やがて陳腐な日常の中で少しずつその姿を失い、消えてゆく。結果として残るのは、退屈な日常の中の、小さな浮き沈みだけだ」

 

「それは一も言ってたよ。幸福と不幸はイコールになる、って。そうか――じゃあ今は、別に幸せでもなんでもないんだな」

 

 ――誰もが目指す大舞台。それを前にして緊張する感覚は、果たして幸福か、否か。頂上決戦に向けて、逸る気持ちを抑える努力は、果たして幸福か、否か。

 そのどちらでもない、というのがある種の結論となるだろう。

 

 そも、今の衣と瀬々の立場は特殊なものだ。故に、通常の日常におけるそれとは異なる。――つまり、どれだけ特殊に感じても、幸福と不幸の二極論において分類が不可能であるのなら、それは陳腐と言えるのだ。

 幸福を感じる必要はない。

 不幸に身を投じる必要もない。

 

 それが今の瀬々であり、衣であった。

 

「衣はな、今が幸福であると悩まずとも言える。しかしその幸福の中に、かつての不幸の中にあった救いである、衣の親はいないのだ。それはある意味、ひとつの不幸ではあるよ」

 

 ――不意に、寂しさを感じる時がたまにある。

 瀬々が生きてきた中で、失ってきたものは数多い。しかし、それは、失って後悔の無いものがほとんどだ。しかし、それでも中には、失いたくないものだって、あった。

 

「なぁ瀬々よ。今日の麻雀、瀬々は何かをつかめたか?」

 

 ――唐突に、衣はそんなふうに話題を切り替えてきた。いきなりのことではあったが、瀬々はそれによどみなく答える。ある種彼女の特技と言えた。

 意識を、意図して切り替えているのである。

 

「多分、つかめた。けどさ、つかんでもなんにもならないんだよ。いったいあたしが何を得たのか、あたしにはさっぱり解らなかった」

 

 オカルトは、確かに瀬々へと宿っていた。それはなんら間違っていない。間違っていないからこそ、瀬々はそれを正しく認識することができなかった。

 言うなれば――与えられた兵器の、使用法を悟ることができなかった、ということか。

 

 衣は、そんな瀬々の顔を見た。

 少しだけ寂しそうに、胸元を両手でぎゅっと握り締めている。目を閉じて、感情のなかに渦巻く不明を、必死に飲み下そうとしているのだ。

 ――わからないから、考えるしか無い。答えられないから、求めるしか無い。

 

 瀬々とは、――渡瀬々とは、

 

 ――――それほどまでに、寂しい少女だった。

 

 意識が急激に昂ぶったのを感じた衣は、抑えきれず、思わず瀬々に問いかける。確かめるように、伺うように。そっと、瀬々に言葉を投げた。

 

 

「――なぁ、瀬々。……瀬々は愛を、知っているか?」

 

 

 はっとしたように、する。

 愛を、知っているか。――それは、何も異性に向けたものである必要はない。だれか、親しいものに向けたものでいい。

 

 しかし、それを瀬々は知らないのだ。与えられなかったから。本当なら知っていておかしくないはずのそれを、彼女は誰にも教えられずにそだったから。

 ――そして、そんなものを知る必要もなく、瀬々は答えを知るチカラを、持っていたから。

 

 

「……知らない、そんなの」

 

 

 未知なる思い。

 湧き上がる想い。

 

 ――それを抑えて瀬々は、なおもただ、そんなふうにつぶやくほか、なかった。




ぶっちゃけ水穂先輩だけあまったけど、龍門渕主従のところにインしておきました。
次回は今回名前出てきた千里山、白糸台の面子紹介と、先鋒戦開始まで。実況はお馴染みいつものあの二人です。
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