咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『龍門日和①&②』

 コン、コン。

 ノックの音がドアの外から響いてくる。しぃーんと静まった室内、瀬々が振り返るより速く、その声は聞こえてきた。

 

「もしもーし、衣、今大丈夫?」

 

「だいじょうぶだぞー」

 

 深々と椅子に座りながら、気の抜けた瀬々の声が室内中に響く、すこしトーンは低いものの、衣の部屋の向こう側、声の主である少女にも届いたことだろう。

 

 遠慮の無い勢いでその少女が衣の部屋へと流入してくる。――瀬々の平均ギリギリの身長よりも少し低い身長に、特徴的な星形シール、メイド服姿は国広一だ。

 入ってきてすぐの一に、すぐさま瀬々は人差し指を口に当て静かに、とサインを送る。

 

「あれ? 瀬々だけなの?」

 

 それに合わせて声を小さくしながら問いかける。近寄りながら周囲に姿の見えない衣をキョロキョロと探す。すると瀬々がそっと開いた手で大きな椅子――一の視点からではその奥を覗けない――を指し示す。

 そっと回りこむと、そこに衣の姿があった。

 小さめの毛布をかけ、すやすやと眠りに付いている。

 

「一緒に遊んでたんだけどさ、いつの間にか眠くなってたみたいで」

 

 ――見れば、瀬々の手元にはゲーム機のコントローラーが置かれているし、そもそもその場所は、広い衣の自室において、テレビが置かれている一角だ。

 なるほどと一が頷いて、やれやれと嘆息してみせる。

 

 その理由は瀬々でなくとも一の様子を見ればすぐにしれた。手に持っている棒状に近い掃除機、館の手入れをしているのだから間違いない。

 

「まいったな、これじゃあ掃除、できないや」

 

 どうやら、聞けば残された一の担当はここだけらしい。となれば衣が起きるのを待つか、別のことをすることになるのだが――

 一は何も四六時中メイドの仕事をしているわけでもない、むしろ土日においてすら、それ以外の時間が長いほどだ。

 これが終われば今日のこの時間にすべき仕事は全て片付いてしまうらしい。

 

「ま、龍門渕は本館はバカみたいに広いが離れはせいぜい広い公民館レベルだからなぁ」

 

「ボクとハギヨシさん、それに歩の三人が入れば、十分回せるんだよね」

 

 加えて、瀬々もたいていの場合は手伝いをしているし、瀬々の自室は瀬々が清掃を担当している、彼女の部屋は学校の教室クラスの大きさを誇る衣の部屋と同じデザインと広さであるため、およそ一割は瀬々の担当だ。

 

「ってぇなると、そうだな、衣をあたしの部屋まで連れて行こうか。それだったらこの部屋も掃除できるだろ」

 

 そういって、一息に瀬々が立ち上がる。それから一つのびをすると、衣の前に移動する。

 

「衣を連れて行くの、頼んじゃっていいかな。いや、ボクがやってもいいんだけどさ」

 

「構わん構わん、あたしはただで居候してる身だしな」

 

 ――言いながら、衣へと手を伸ばそうとして、ふと瀬々は何かに気がついたように手を止める。隣に並んだ一も、同一に体を止めたようだ。

 

「……ほんと、よく寝てるなぁ」

 

 無邪気な、天使のようとでもひょうすべき衣の表情は、その本来の年を思わせないほどにあどけない。衣に惹かれている瀬々が、まじまじと見惚れてしまうほどに。

 

「こうしていれば、ほどよく子どもっぽいんだけどね」

 

 いつもの闘牌とのギャップからくる言葉だろう、一がそんなふうに言う。

 

「いや、いつも子どもっぽいとは思うが、そもそもあたしら、割りとまだ子どもだろ」

 

 そんな風に嘆息する瀬々に、苦笑気味に一が笑うと、ふと思い出したように、顔をはたとしたものへ帰る。

 

「そういえば、寝てる時のギャップといえば、もう一人すごい人がいたよね」

 

「――ふぇっ!?」

 

 青天の霹靂とはまさにこの事、まさかそのような形で自身のことに話題を持っていかれると思っていなかった保護者ヅラの瀬々は、甲高い声をあげながら思わず一から後ずさる。

 

「いやぁ瀬々ってば、普段はぶっきらぼうで割りと壁がある感じなのに、顔は割りと小顔で童顔なんだよね、可愛い系、ってやつ?」

 

 猛追、といって差支えはないだろう。一の言葉がまるでマシンガンから吐き出される銃弾のように紡がれていく。タジタジとした瀬々の様子を、ニヤニヤと意地の悪い笑みでさらに一が追い詰める。

 

「あ、あぅあぅあぅ――」

 

 いよいよ持って瀬々の顔に朱が混じっていく。爆発寸前の導火線が、顔中を赤々としたものへかのように、もはや普段の体裁を保てず、そのあどけない顔を子供らしく晒した渡瀬々が、そこにいた。

 

 ――見ようによればそれは、同年代の子どもがじゃれあう、微笑ましい光景に移るだろう。

 

「それがさ、こうやって眠ってる衣と一緒にいるのを思い浮かべると、まるで姉妹みたいな――」

 

「な、な、なんで、なんで……」

 

 おおあわあわ(・・・・)てといった様子で、なんとか瀬々は言葉を発する、主語も、述語もない、単なる問いかけ。

 

「いやいや、毎日同じだけ寝ないと起きれないのに、夜更かしなんてするから、ボクが起こしに行かなくちゃいけないんだよ? あぁそっか、そういうところもチャームポイントなのかな」

 

 それが、ついに契機となったのだろう、

 

「あ、う、こ、この――」

 

 瀬々の顔が伏せられ、その様子が一から臨めなくなる。そして、ガバっと涙を目一杯こらえた顔で、そんな瀬々の様子を訝しがる一に向けて――

 

 

「――――いっつも、裸じゃないよ眠れないくせに――――ッッ!」

 

 

 ――攻守逆転、まさにそれはその瞬間だった。

 未だに若干の赤を残すものの、瀬々が驚愕からある種の周知へと変じた一に、目一杯の勝気な笑みを見せる。

 

「な、なんで知って、いやそもそも……」

 

「ハッハッハ、しかもそれが別にそうしないと眠れないからじゃなくて、そうすると気持ちいいからなんだよね! この変態! 痴女!」

 

 その言葉に、一の導火線もまた、着火する。

 

「――ボ、ボクは変態なんかじゃない! 痴女でもないし、そもそも……あ、あぁもう!」

 

 ついに激突しあう赤だこの少女たち、子どものような喧嘩を始めた二人に対し、しかしあるモノが、そっと待ったをかける。

 

 

「――ふみゅう」

 

 

 衣が、そんなふうに吐息を漏らしたのだ。

 

 すわ眠り姫を起こしてしまったかと、両者の体がビビクンッ! と跳ねる。

 しかし、みれば衣はそれ以降起きだすような様子は見せず――――

 

 

 結局瀬々と一の会話はそれ以降消沈、瀬々は一の掃除を、流れに流されたまま、手伝うことになったそうな――

 

 

 ♪

 

 

 霞掻き消えた晴れの日に、跳ね踊るステップが灰色の大地を駆け抜けてゆく、無色の風が、道行くものの頬をなですれ違う、そうして少女の先を、抜けてゆく。

 揺れる人影、淡い赤のリボン、天江衣が、楽しそうな歩の歩みで、その肩を揺らしていた。

 

 彼女の後ろ、その後について行く者が入る、渡瀬々、そして龍門渕透華だ。

 

「だからさ、この場合あたしたちが考慮すべきなのはそういうんじゃなくて、もっと大局的なことだと思うんだよ」

 

「そうはいいますが、それでは目先のことを無視することになりかねませんわ、初期に破綻してしまっては、その案はそもそも全体を見通すとはいいますが、まず一番大事なところが抜けていましてよ?」

 

 差し伸べるように手を伸ばした瀬々が、それを振るって嘆息する。問題点がわかっていないわけではないのだ。そもそも、透華のいう重要基礎をなんとかする答えがないのだ。

 

「だってよぉ……」

 

「ですから……」

 

 あーでもないこーでもない、どうとも言えないにづまった会議は、やがて前をゆく衣によって引き止められることとなる。

 

「むぅ、なんだか言ってることが難しすぎてよくわからんぞ……」

 

「あいにく、私にもよくわからなくなってきたところですの」

 

「あたしもだ」

 

 かくして、もはや人の手を――魔物の手からすらも離れたまったくもって実りのない会話は、ウヤムヤのうちに雲散霧消してしまうのだった。

 

「後ろから聞こえてくる声だけで衣の耳がおかしくなってしまう、もう少し何とかならないのか?」

 

「まぁ、衣には少し早かったかもしれませんわね」

 

 ――本人にすら、会話の意味を把握できなくなっていたという事を棚に上げ、透華は文句を垂れる衣に対して可笑しそうな笑みを浮かべる。

 無論、そんなことを言えば黙っていないのが天江衣だ。すぐさま振り返り、足を止めると両手を振り上げ透華達を威嚇する。

 

「衣を子ども扱いするなー!」

 

「子どもっていうか、衣の場合娘って感じなんだよな、守ってあげたくなる感じ、いや、可愛いんだけどさ」

 

「同感ですわね、こうして見ていると、どことなく家族連れに思えますもの」

 

 要するに、娘というものは、息子というものは、親からしてみれば何時までたっても可愛いものだ、もしそれが、どこか親離れした様子でも見せれば、すこしは見方も変わってくるのだろうが。

 ――衣の場合、それを考慮する必要はないと言えた。

 

「まったく、一も水穂もそうだ、水穂はともかく、衣はお前たちの中で一番年上なんだぞ? 一や透華はともかく、瀬々に姉のように振舞われるのは納得がいかん」

 

「あたし限定かよ! ってかそもそもあたしの場合、衣と家族って行ってもなんか違うんだよな、何が違うかって言われればなんとも言えないけど、多分なんか家族じゃない」

 

 感情の行く先は、瀬々の答えには映らない、衣が瀬々に接するその感情を、瀬々も透華も理解できないように、逆もまた、然りであるように。

 だからこそ、それをなんとなく、あくまで“なんとなく”理解した透華が、クスリと笑みをこぼして、瀬々に直接言葉を向ける。

 

「それでしたら、お嫁さんにもらったらどうです? 衣はなかなかどうして、器量の良い娘でしてよ?」

 

 母親らしい慈愛の満ちた、と言うよりも、どこか“全てを見通しているのではないか”と言わんばかりの母の眼が、瀬々達へと向けられる。

 そんな眼差しに誘われて、瀬々の顔が勢い良く輝いたものへと変わっていく。

 

「ほんとか!? それは、なかなかのなかなかだな。いやマジで」

 

「こ、衣のことを本人の断りもなくあそぶな! というか、瀬々、その言い方は正直よくわからんぞ!」

 

 ドン――衣の足踏みが、いよいよ持って激しさを増す。もとより、彼女のチカラはそれなりに、透華と瀬々を震わせているのだが――

 瀬々も、そして透華も、その中に異形に近いチカラを宿すとはいえ、本業ともいうべき魔物筆頭、衣のチカラは些か大人気ないと言わざるをえない。

 

「まぁ、とはいえそうそう簡単に衣を差し上げるわけにも行きませんから――」

 

「さ、差し上げるッッ!?」

 

 それでもまったく気圧されない透華の腕組みさなかの一言に、ついに衣は戦慄を覚える。無理もない、透華の言動は、その対象が衣であり、瀬々であるという事を鑑みれば、随分と物騒きわまりないのだ。

 不敬でも在る。

 

 そして、目一杯の沈黙の後、搾り出される透華の言葉、輝きを帯びた瀬々の後方に、ついには後光を思わせる光輪が生まれ出る。

 

「――衣に勝てたら、考えて差し上げますわ?」

 

「……考えさせてくれ」

 

 真剣に腕組みを始める瀬々、どこか真剣みを帯びた彼女の表情に、衣は思わず後ずさりを始めるのだった――

 

 

 ――と、冗談のような会話を終えた少女たちは、再びその歩を進める。目指すは一の待つ離れである。龍門渕本宅の大きさにより、屋外を行き来するにも、往々にして時間がかかる。

 

 そんな最中で持ち出される話題は、先ほどと少し似通っているようで――違う。

 

「それでもあれだな、まだあたし達、一緒に暮らし始めてから一ヶ月もたってないんだよな」

 

「それどころか、今日が初めての週末ですわ? 信じられないでしょう?」

 

「だなー。気がつけば……否、時節は既に日毎に次を迎えているのだろう」

 

 瀬々の嘆息に、透華と衣が、楽しそうに同意する。

 

「だが、家族というものはなろうと思ってなれるものではない、否であろうと是であろうと、ならざるをえない(・・・・・・・・)のが家族なのだ」

 

 両手を高らかにふるいながら、衣がそんなふうに漏らす。――瀬々たちは思案げに、何かを思い出しているかのように自然体であった腕を組み、拘束した。

 

「……良くも、」

 

「――悪くも、ですわね」

 

 先をゆく衣の後を追う、彼女の後ろ姿は、晴れ間の木漏れ日を伴って、どこかこの世よは別の世界を思わせる。ただ思考にふける、透華や瀬々と同一ではない。

 

「家族なんてもの、いいと思ったことは、無かったんだけどなぁ」

 

「――でしょうね。……私も、かしら」

 

 透華は瀬々を知っている。しかしその逆はそうではない、へぇ、と意外そうに瀬々は透華を眺めると、それから首を否定気味にふって、自身の思考を切り替える。

 

「まぁ……悪いもんじゃないよな、いいものであるかどうかは、ともかくとしてさ」

 

「――衣は、それを知っているのですね、羨ましいですわ……本当に」

 

 そうやって向ける視線は、果たして誰に対してのものだっただろう。それは隣立つ瀬々もまた同様、なれば――衣は?

 透華も、瀬々も、そして衣も、帰る場所に歩を向ける。――その場所への思いを、顕にしながら。




前作に足りなかったもの! 萌え要素!
という感じの回。ようやっと息抜きらしい回になった気がします。

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