咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『勝利を知る者』先鋒戦①

 ――東一局、親セーラ――

 ――ドラ表示牌「{6}」――

 

 どんな麻雀であろうと、立ち上がりというものは、おおよそ静かに始まるものだ。それぞれが意識を今に向け、しかし今後のことを見据える上では、もっとも余裕のある状態。

 故に、それぞれが手牌を吟味し、この対局中、もっともスタンダードといえるであろう打牌を選択する。

 

(――さて)

 

 ――セーラ手牌(理牌済み)――

 {三四②⑥⑧⑧⑨456西發中(横一)}

 

(最初のツモ自体はいらへんけど、この手牌はタンピンやし、タンヤオが消えて一翻下がる役牌はいらない。それにここから、多分二つも対子は重ならへん。オタ風は、安牌にも平和の対子にもなるしキープ、やな)

 

 セーラ/打{中}

 

 江口セーラの闘牌スタイルは極端な打点重視の火力型。当然たった一翻にしかならない役牌は最初から切り捨てて、タンピンにドラを乗せるような手を彼女は考える。

 その為の一打。ただ火力に頼るのではない。火力のある手を作るために必要かつ、守りにも入れるスマートな手を作るのが彼女のやり口だ。

 

 

(……正直、色々と不安はあるが、まずはひとつ、和了っていかないと)

 

 ――瀬々手牌――

 {一八九④⑦⑧⑨1119南北(横8)}

 

(ひどくはないけど、和了るには微妙くさい手牌。三色にいけって言ってるけど、自分のツモだけじゃどうやったって{七}が掴めないな。{④}が後で重なるし、三色ドラ1を鳴いて目指す形が最善か)

 

 瀬々/打{北}

 

 打牌自体は差して違和感はない。少なくともこの一打。他家から見て瀬々の意思は読み取れないだろう。万能と言っていいほどのチカラを持つ瀬々ではあるが、周囲からそれを感じ取る事ができない、というのが最もたる彼女の強みである。

 そうして選んだ一打とともに、瀬々は自分自身だけが垣間見ることのできる、答えに一歩を踏み出した。

 

 

(ふふ、これはこれは……)

 

 ――美砂樹手牌――

 {一五九④⑧⑨27東西北發白} {横3}(ツモ)

 

(もともと和了るのが私の仕事ではない、とはいえ、そもそも麻雀をする気すら減退する素敵な手牌ね。……一枚足りないのが小憎たらしいわ? まぁ、そういうことならそういうことで、いくらでもやりようは在るわね)

 

 和了るのはほぼ絶望的、九種九牌にも一枚足りない出来損ないの手牌に、やれやれといった様子で呆れ気味の苦笑を浮かべる。とはいえ、それが美砂樹の手を止める事はありえない。

 白糸台の絶対的エースは、言うまでもなく宮永照である。ならばただの三年生で、部長でしかない遊馬美砂樹が先鋒を務めるか、その理由は、彼女のスタイルが、先鋒に適しているためである。――意識を一つ、嘆息でもって切り替えて、遊馬美砂樹は前傾へと打牌を向ける。

 

 美砂樹/打{發}

 

 

(――、)

 

 ――アン手牌――

 {四六八④⑤⑨2446東中中(横七)}

 

 アン/打{東}

 

 ――今のアンに、足を止めうる牌は必要ない。ただ前に進むだけ。まずは鳴いて、一つを和了ろう。

 思考はすでに、意識するでもなくまとまっていた。打牌は、それに基づいてのもの。それを持って、アン=ヘイリーの、最初の選択に帰るのだ。

 

 セーラ/打{中}

 

「……ポンッ!」 {中中横中}

 

 アン/打{⑨}

 

 即座に右手を動かして、打牌の直後に晒した{中}をスライドする。勢い任せに叩きつけられた牌。それらは跳ね上がり。セーラの眼ががそちらへ向いた。

 そうなれば、そこへ納まるアンの右手に釣られ、自然と両者の視線が衝突する。ニヤリと挑発的な笑みを浮かべるアンとは対照的に、セーラはどこかふてくされたように、そこから視線をそらしていった。

 

 セーラ/自摸切り{東}

 

 瀬々/打{南}

 

 美砂樹/打{東}

 

 アン/ツモ{5}・打{四}

 

 何事も無く、状況は一巡。更にそれが動いたのは、続くセーラの打牌によるものだ。

 一瞬、牌を見て逡巡。しかし考えがまとまれば、自摸った牌を嫌そうに河へと放った。静かな打牌音が、響く。

 

 セーラ/自摸切り{7}

 

「チー」 {横789}

 

 そこに動いたのが、瀬々だ。狙いすましたかのように、セーラから{7}を鳴く。こちらはほとんど無音で、鳴いた牌を右端に寄せた。

 

 可笑しそうに笑うアン。瀬々はそれを無表情のまま睨むと、鳴きと同時にすでに晒していた牌を打牌する。

 

 瀬々/打{一}

 

 端から牌が三つも消えて、だいぶ手牌は縮んで見える。しかしそれはアンも同じ事。両者はまさしく、同じ場所に立っていた。

 ――その、一瞬だけは。

 

「チー」 {横①②③}

 

 アン/打{2}

 

 跳ね上がる打牌。――しまった、という様子で顔を伏せながら浮かべる美砂樹の笑みは、どこか苦渋の顔に似ていた。

 

 セーラ/自摸切り{九}

 

 こうなってしまえば後はもう、すでに聴牌を終えた、一人の雀士が和了するのを待つだけだ。

 

 瀬々/打{④}

 

 前に進もうとするものも、いないことはない。しかし届かないのだ。なぜならば、この卓における絶対的な強者は、すでに決まっているからだ。

 

 美砂樹/自摸切り{④}

 

 ――それは、彼女をおいて他にいない。そう、アン=ヘイリー以外には。

 

 

「――ツモ。500、1000」

 

 

 ――アン手牌――

 {六七八4456横7} {横①②③} {中中横中}

 

・臨海 『102000』(+2000)

 ↑

・龍門渕『99500』(-500)

・白糸台『99500』(-500)

・千里山『99000』(-1000)

 

 そのアンが和了る。

 強者、アン=ヘイリーが、まずひとつ、刻んだ。

 

 

 ――東二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 瀬々/打{一}

 

 ――これで、一巡。第一打から、続く瀬々の第二打まで。四者の一巡が回ったことになる。それを踏まえた上で、遊馬美砂樹は自身のツモを掴むのだ。

 

(アン=ヘイリーに対抗するためには、単純な速度だけじゃ適わない。さっきの局、龍門渕の渡さんもテンパイしていたみたいだけど、結局は追いつけなかったものね)

 

 ――美砂樹手牌――

 {四八九②③⑧1199西北中} {横2}

 

(となれば、私のするべきことは実に明白。アン=ヘイリーの上家に座ったという事実を、最大限に利用していく他はない)

 

 誰かの牌を対面が鳴けば、一巡ツモを飛ばされる者が出てくる。当然それは牌を鳴いたものに遅れを取るということで、美砂樹はそれを利用しようというのだ。

 

(今回考えるべきは江口セーラの捨て牌と手牌。――準決勝からやりあってきて、なんとなくこの人の癖は掴んでいるから、他の人よりも読みやすいわね)

 

 ――とはいえ、セーラは火力重視型であるため、そうそう鳴くと言うことはしない。彼女がなくとすれば、鳴くに見合った火力と速度を、体現しうる時だけだ。

 それを判じた上で、セーラの打牌は{⑨}。そこから見えてくることは、ある。

 

(江口セーラは理牌を終えた手牌の私から見て右寄りの部分から{⑨}を切った。彼女の癖から鑑みてつまり、萬子と筒子はさほど集まらず、索子と字牌が固まっているということ)

 

 ――{19}と、自摸った{2}。美砂樹は一瞬それらに目をかけて、すぐに外す。

 思考は一瞬。すぐに意を決したように、彼女は自身の右端から牌を選んだ。

 

(――――字牌、ね)

 

 美砂樹/打{中}

 

 その判断は、決してあらゆる情報の中から見て取ることのできる確かなものではない。“直感”だ。美砂樹はそれが人一倍優れている。この判断もまた、その直感からくる、賭けであることは間違いない。

 

 そしてその賭けに、

 

「――ポン!」 {中横中中}

 

 美砂樹は、勝った。

 

 ツモに手を伸ばそうと右手を上げて、思わぬ形でそれを差し止められたアンは、少し驚いたようにして見せながら、美砂樹を見る。大して美砂樹は少しばかり大人びた、挑発的な笑みで持ってそれに答え、両者はそれっきり、視界から相手を外した。

 

(本来であれば、龍門渕か臨海女子、どっちかから直撃をとって貰いたいのだけど、まぁ今は別にそうでなくとも構わない。この局に限っては、私は危険域内ではベタオリさえしていればいい)

 

 ――それから、セーラはもう一つだけ牌を鳴き、シャンテン数を強引に進める。

 しかし、速度を伴った火力も彼女の魅力、即座に手を仕上げてしまえば、あとはもう、和了に向かって猛進するだけだ。

 

(ツモ和了でも龍門渕が親被り、渡瀬々に被害が及ぶ――!)

 

 これは、アンが瀬々を意識していることの弊害と言えた。なにせ最強が意識する最強の一年生である。その異質さから、セーラからも、美砂樹からも、瀬々は一定以上の警戒を持たれているのである。加えて龍門渕の大将が、天江衣であるのだから、それ以上に問題は大きい。

 故に、その瀬々を削ることができるのであれば、躊躇うことなく、セーラは和了る。

 

「――ツモ、2000、3900!」

 

・千里山『106900』(+7900)

 ↑

・龍門渕『95600』(-3900)

・白糸台『97500』(-2000)

・臨海 『100000』(-2000)

 

 ――セーラ手牌――

 {六六⑦⑧⑨東東橫六} {2横22} {中横中中}

 

 セーラからしてみれば、本当は{中}を加槓し、跳満に手を仕上げられればよかったのだろうが、そうそうこの状況でことがうまく行くはずもない。

 そしてそれを、許す美砂樹でもまた、ない。――美砂樹は、セーラの副露直後に掴んだ、四枚目の{中}を含む手牌を伏せ、準備を終えると、続く自身の親番のため、サイコロを回すべく、右手を伸ばした。

 

 

 ――東三局、親美砂樹――

 ――ドラ表示牌「{東}」――

 

 

 この東三局も、千里山の江口セーラを中心に状況が動いた。

 

 ――セーラ手牌――

 {裏裏裏裏裏裏裏} {②横②②} {⑨横⑨⑨}

 

 ――セーラ捨て牌――

 {89二發中4}

 

 さすがのアンも、この局においては、四巡で手を進められるほどの速さを有してはいないようである。手牌と捨て牌から見て取れる、あからさまなまでの筒子臭。しかも、どうやら清一色まで見えているらしいのだから、他家も警戒を及ぼさずにはいられない。

 

 しかし、それは通常の卓における状況であるならば、の話だ。

 ――そう、この卓はどこまでも、異質と異常が跋扈するばかりの場所である。放銃よりも先に和了が先行する臨海女子に龍門渕の両名。そして白糸台の遊馬美砂樹も、異質といえる特徴をもつ少女である。

 

「――リーチ」

 

 直感。他人には何の説明もつかないような、摩訶不思議な美砂樹だけの世界観。故に、そこから飛び出す突拍子もない選択は、通常の場合だれをも看過することはできないのである。

 

 美砂樹/打{⑥}

 

 なぜそれが安全であるのか、美砂樹には到底説明は付けられないだろう。筒子の染めであることは、見ぬいたからこそ現在セーラが有する手牌があるのだろうし、美砂樹でなくとも確信をもてる。しかし、その上で聴牌とすら思える状況で、筒子を押してリーチをかけたか。

 到底、理解することは美砂樹自身にすら適わないのだ。

 

 よって、

 

 他家にそれが見透かせるはずもない。

 

 

(また、厄介な相手と対峙してるわ。……全員な)

 

 ――セーラ手牌――

 {③④⑦⑦⑧⑧⑧(横二)} {②横②②} {⑨橫⑨⑨}

 

(まぁとりあえず一発は避けれたし……)

 

 ――美砂樹捨て牌――

 {9東三7橫⑥發}

 

({②}と{⑨}はこっちを動かすためのもんやけど、同時に不要な浮き牌を余らせていたと見ることもできる。……そもそも、普通そうでなければ筒子は出さん。まぁとりあえず、この牌で当たるこた無いやろ)

 

 セーラ/自摸切り{二}

 

「……ロン」

 

(――む?)

 

 ――美砂樹手牌――

 {三四六七八34556799} {二}(和了り牌)

 

 ――ドラ表示牌:{南} 裏ドラ表示牌:{2}

 

(先切りってやつかいな。……考慮するだけムダな類やけど、オレこーいうんは好きくないわ)

 

 同様はない、しかしそれでも、想定外から放銃したことは確か。ある種セーラのウィークポイントではある。セーラが持つのは人並み以上のデジタル技量。それに独特の火力先行型のスタイルを合わせることで、彼女は千里山のエースたり得ているのだ。

 

「5800ね?」

 

「あいよ……」

 

・白糸台『103300』(+5800)

 ↑

・千里山『101100』(-5800)

 

 今度は、千里山から美砂樹が和了った。まるで、和了のために差し出した点棒を、利子を含めて取り返して行くかのように。

 鮮やかな和了で、

 

「――一本場」

 

 遊馬美砂樹は、積み棒を晒した。

 

 

 ――東三局一本場、親美砂樹――

 ――ドラ表示牌「{8}」――

 

 

(自身が信ずる柱の元に、火力を追い求め奔走する、パワーオブパワー雀士)

 

 ちらりと見やった先にいる、逆立つ髪に負けん気の強い顔立ち。江口セーラは、いかにも真っ直ぐな性分を顕にしたまま、牌を掴んで、切り出している。

 

(人を欺き自身の中に、己としれぬ自身を宿す、摩訶不思議の雀士)

 

 視界を揺らした場所にいる、艶やかな黒髪に挑発的な笑み、遊馬美砂樹は、そのどこか現世のものとは思えぬ雰囲気で、手牌をみやり、それから周囲を観察している。

 

(なるほど面白い催しです。あなた達が畏怖によって自分自身を曲げぬからこそ、それは間違い用もなく明らかになっているのでしょう。で、あるならば、私はそれに全力の意思でもって相手をしなくてはなりませんね!)

 

 ――刮目スべし、アンは勢い任せに牌を掴んだ。それは遥か宇宙の彼方から、振り下ろされる一条の矢。それはまさしく驕り高ぶる人の身に、裁きの鉄槌を下す神の“化身”。

 

 そう、アンはけして神ではない、神を宿すバケモノではない。彼女はあくまで、神のまね事をする化け物じみた英雄(にんげん)だ。それ以上であり、それ以下はなく、たったひとつの頂点として、彼女はこの場に君臨しようとするのである。

 

(ここは、そう。私の舞台なのですよ。――もしも壇上に役者としてアガろうというのなら、それ相応の覚悟をしてくることだ。食いつくされるぞ? 私の意思に、私のチカラにッ!)

 

 打牌、そしてその後、上家から飛び出す牌に食らいつく。殺気すら織り交ぜた、暴力的な表情を何のためらいもなくアンは浮かべる。

 

「チーッッッッ!」 {橫①②③}

 

 刹那の隙。例えばそれは、どうやったって切らざるをえない、鎖の着いた枷を切り外したその瞬間。アン=ヘイリーはその枷を、鎖を掴んで振り回す、必殺の武器に変質させる――!

 

 

「――ツモ! 1000、2000の一本付けェ!」

 

 

 弧を描くように振るわれる右手。そこから爆発的な疾風を伴って迫る怒涛は、やがてアンの手元に終息する。勝利を得た彼女の、確信を側に伴って――

 

 ――アン手牌――

 {④⑤⑥⑦⑧⑨2399橫1} {橫①②③}

 

・臨海 『104300』(+4300)

 ↑

・龍門渕『94500』(-1100)

・白糸台『101200』(-2100)

・千里山『100000』(-1100)

 

 三者、三様。未だ他の対局者とは違い瀬々に反応はない。彼女が勝利に乗り出したのも、あの東一局きり、あの局瀬々は勝利しきれなかった。敗北したのではない、届かなかったのだ。であるならば、まだ彼女は牙を失っていないだろうが、それでもこの沈黙は些か興ざめだ。

 残る両名は、分り易いほどに反応が顕著だ。驚きと悔恨の情。敗北の認識によるそれらが混ざり、沈殿していく。彼女たちは間違い無く強者だ。しかし、単なる人でしか無い相手に、弱さがないなどありえない。故に、アンはそこを容赦なく突く。

 

(さぁ、止まりませんよ。止めようなんて思わないことですよ! 此処から先は速度を上げていくことになります。それも単なる人知の速度ではない。人を超えた、悪魔すらも滅ぼす速度です――!)

 

 

 ――続く、東四局。ついに迎えたアン=ヘイリーの親番。

 

 

「――ツモ! 2000オール!」

 

・臨海 『110300』(+6000)

 ↑

・龍門渕『92500』(-2000)

・白糸台『99200』(-2000)

・千里山『98000』(-2000)

 

 まさしく、電光石火。

 

(……二巡で和了るんかいな――!)

 

 江口セーラが、少しばかり面倒そうに顔をしかめる。――解ってはいたことだ。セーラとアンの対決はこれが始めてではない。

 春季大会。間近でたっぷりアンの強さは見せつけられてきた。だからこそ、戦慄する。分かるのだセーラには。

 

(臨海のアン=ヘイリーは、一度連続で和了り始めると、龍門渕の依田みたいに、手を付けられなくなる! いや、依田以上や! それも、調子の沸点が異様に低い! 相手にしてて、これほど馬鹿野郎と思った相手はおらへんで……ッ!)

 

 和了スピードを加速度的に上げてゆくアン。ブレーキの壊れた暴走特急の如く、否、ブレーキが“取り付けられることのなかった”超特急の如く、際限なく彼女は和了を続ける。

 

(次……いや、最低でもその次には止めへんと、この半荘、致命的なシロモノになりかねへん――ッ!)

 

 即座に和了へと向かうアンの速度は、しかしそうそう止められるものではない。それこそそれに対抗しうる支配を有するか、それ以上の豪運で上回る他にない。

 

 しかしそれも難しいだろう。アンは豪運で麻雀を打つ以上に、それを的確に利用することで、他家を萎縮させることを得意としている。対応できないのではない、対応する気概を奪うのである。特にここ最近――去年のインターハイ決勝で、宮永照に敗れてからは――それが顕著になっている。

 

 

 ――それをよく知るのは、龍門渕の渡瀬々だ。

 彼女は現在沈黙を貫き、どこか自閉したかのように行動を起こしていないものの、思考自体は現状に向いているものもある。

 

(――水穂先輩の、気質の支配とでも呼ぶべき、調子がダイレクトに影響するツモ。アンの気質はそれに似ている。要するに、アンが行う一動作で、他人の意識を支配する。麻雀のオカルト的な支配を、人間が、諸動作によって他家を縛ることで可能にしているってわけだ)

 

 先日の準決勝でもそれは行われていた。

 宮守女子と永水女子の先鋒は、アンの意識にやられ、手牌の精細すら欠いていた。この状況も同じ事。そして千里山の江口セーラは、前回の対局経験と、今回の対局から、それを感じ取っているのだ。

 

 そして続く、一本場。

 

 

 ――東四局一本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{九}」――ー

 

 

 振り上げられるアンの手。しかしそれは、打牌によって伴うものでは決して無い。配牌が出揃い、それぞれが第一打を選ぼうと、理牌を進めるその刹那。

 ――アンのそれは、打牌ではない。

 

 

「――リーチ」

 

 

 勝利宣言である。

 

 アン/打{⑤}

 

「……っ!」

 

 ツモを掴みながら、セーラがいよいよ、苦渋を顔ににじませた。相手は強大。解っていたことだ。このようなこと、半荘を何度も繰り返せば、一度や二度、起こりうるのだ。

 ――その上で、アンはそれがとことん多い。ただたんに、それだけなのである。

 

 解ってはいた。それでも、理解し難い理不尽が、そこにはあった。

 攻めなくては、そんな思考とは裏腹に、切り出したのはたった一枚、手牌に宿っていた現物。それを恐る恐ると言った様子で切り出して、嘆息する。

 セーラがしたのは、アンの狙う射線から飛び退いて、横手にそれたというそれだけのこと。単純な回避である。――しかし、たったそれだけであるはずの行為ですら、セーラの体中から熱を奪った。気力を、削いだ。

 

 江口セーラは生粋の勝負師である。自身の勝利を常に考え、負けを己の恥とする、そんな雀士である。そういった彼女が、逃げという選択肢を選んでなお、安堵と同時に恐怖を覚える。

 アン=ヘイリーにはそれだけの威圧があった。闘気とも、殺気とも呼び替える事ができるかもしれない。

 

 絶対的であり、

 必然的である、この状況。冷静に対応しうるのは、たった一人しかこの場にはいない。

 

 ――瀬々/打{8}

 

 彼女はためらいもなく、中張牌を切り出した。その目的は、他者に副露をさせるためである。差し込んで、一発をずらそうという魂胆だ。

 しかし、動かない。だれもそれを鳴くことはできない。

 

 ――鳴けるのであれば、鳴いている。

 たとえどれだけ相手が強敵であろうと、対局者たちは逃げやしない。打倒するため、全力で持ってそれに食らいつこうとしてくるだろう。

 それがなかったということはつまり、それを鳴ける者がいなかったということにほかならないのだ。

 

 よって、続く、打牌。

 

 美砂樹/打{9}

 

 一枚通った、使われていない可能性のある並びの牌。そこを狙って、打った牌。

 

 が、しかし。

 

 

「通らず、ですよ。――――ロン、11600の一本です」

 

 

 間髪入れずに、宣言が響いた。

 直後、凄まじい勢いでアンは理牌を初め、ものの数秒とせず、手牌が開いた。

 

 ――アン手牌―― 

 {三四五六七八1123478橫9}

 

・臨海 『122200』(+11900)

 ↑

・白糸台『87300』(-11900)

 

(……自摸っていた牌は、{7}だったのね。となると、江口セーラはもしかしたら{⑤}ではなく、{8}を切っていたかもしれない。そうなれば、多分渡瀬々は、その{8}を使って、鳴いていた……か)

 

 後悔のように、意識を回す。過ぎたことはどうしようもないことだ。美砂樹でなくとも、“アレ”を避けるのは容易ではない。余裕綽々で回避して、その上こちらに対して差し込みまがいの打牌をしてくる余裕のあるような、瀬々クラスはそうそういない。

 少なくともこの局に座る。セーラも美砂樹もどちらであっても、あくまで人間の範疇を超えているわけではないのだから。

 

 

 ――しかし、そんな人間の上限に、当然の体で居座るバケモノが、一人いる。

 

 

 ――アン=ヘイリーは、笑みを浮かべる。

 勝者の気風をその身に宿し、あくまで余裕綽々に、

 

 

「二本場――ッ!」

 

 

 続く処刑の、時間を告げる――――




それぞれの能力解説なんかも含めて、先鋒戦一話目です。
まー、ぼちぼちやってきます。闘牌のミスなんかもゆっくり探していく予定。

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