咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『親の姿子知らず』先鋒戦②

 ――東四局二本場、親アン――

 ――ドラ表示牌「{二}」――

 

 絶対的強者、この卓を支配するアン=ヘイリーといえど、いつまでも流れが続くわけではない。ダブル立直で和了したとはいえ、それに一発で美砂樹が放銃したとはいえ、そのままアンが和了をし続けるわけではない。

 彼女はあの宮永照のように、圧倒的に戦場に君臨し続けることで勝利する、一種の殺戮兵器のような類ではない。彼女はあくまで、一騎当千の狂戦士。一つの場にあり続けることは不可能といえる。

 

(――とはいえ、戦場自体がアン=ヘイリーに制圧されかねないのも、また事実や)

 

 それはある種、奇跡と言えた。

 現在、二本場に入り回った巡目は三巡目。ようやく手牌に多少の色が見え始めた状況。それを、たった今この瞬間、迎えたことが奇跡であるのだ。

 勢いに乗ったアンは留め難い。しかしそれでも、こうしてブレを示す時がある。

 

(幸か、不幸か……こっちの手は確実に勝負手。なるほどこうして前に意識を(かぶ)けて見てみれば、さしもの英雄も怖くは感じないっちゅうわけや)

 

 ――江口セーラ――

 {二三四五五③④⑤⑤1346(横②)}

 

 アンのチカラは、他人が浮かべる意識に依存する。どれだけ畏怖を与えようとも、それで折れないだけのメンタルを持って対すれば、自ずと支配を打ち破ることができるだろう。

 それは必然だ。

 アンがその根源を人の身に置くがゆえ。

 セーラたち強者が、その隣にあるがゆえ。

 

 ――アン=ヘイリーは、凶弾に倒れる。むしろ、急所に銃弾を受けてなお、圧倒的な暴力でもって襲いかかるのがアンである。

 どれだけ打ち崩そうと、それが絶対になることは、ない。

 

(オレらは結局んところ一発あいつにぶち込んでいきゃええんや。先鋒戦を好きにさせるつもりはないで――!)

 

 そして同時に、見つめる先は遊馬美砂樹の捨て牌だ。状況に必要な判断は異様なほど必要だ。勝利のために、セーラは細い蜘蛛の糸を伝って渡りきらなくてはならない。

 単純なことではない。――この卓に座る対局者は、四人だ。

 

 ――美砂樹捨て牌――

 {發東2}

 

(多分やけど、普通に進むだけじゃ妨害がはいる。誰だって他人に上がれたくは無いもんな。逃げはせん、逃げはせんのや)

 

 ――セーラ/打{五}

 

 だれも、切る必要のない牌。選択した理由は、二枚あったから。――ポンで、アンの手を進める可能性が減るであろうと、そう考えたためだ。

 それが{⑤}ではなく、{五}である理由も、至極簡単。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {⑤①西}

 

 渡瀬々の、異様な捨て牌。染め手とも取れるが、迷いのない{西}の打牌から、セーラはそれを別の手役であると考えた。

 故に、ここで{⑤}を切ることを避けた。――安牌であるため、そして{⑤}の周囲を、使われていると考えたため。

 

 続くツモ、打{6}。

 引いてきたのは{六}だ。――これで一向聴。アンは動かない。――{6}はたった今、アンが切った牌である。

 

 瀬々は自摸切り。そして同時に美砂樹も自摸切り。――動いたのは次巡のアン、手出しだけ。

 

(正直――相手はバケモノと、化け物じみた相手と、妖怪の三人。一番真っ直ぐ進んでバカを見るのは、きっとオレや。イヤァ……)

 

 ――セーラ/ツモ{2}

 

(オレは誰や? 千里山のエースやで? エースに負けは“ありえない”。仮定はオレに必要ない。だれが勝とうが負けようが同じ事、オレは負けずに、勝って帰る――!)

 

 

「リーチ!」

 

 

 セーラ/打{1}

 

「――っ! ポン!」 {1横11}

 

 焦れている。美砂樹の持つ独特な色香が消えて、霧散している。鳴けると思っていたのだろう。直感がそれを告げたのか、はたまた何か判断に足る素材がセーラにはあったのか。

 そんなことは関係ない。鳴くつもりだ、そう判断をつけ、それを避けた。避ければ後は、機を見て和了を狙うだけだった。

 

 決して自分を曲げてはいない。あくまで打点を求め、和了を目指したその結果。セーラは美砂樹を回避せしめた。追い縋るように鳴いたそれは、もはや意味を成さない残骸でしかない。

 勝利した、この局、まずは一人を出しぬいた。

 

 加速度的に、連鎖的に状況は動いた。これによって牌がずれる。起きた弊害は、主に二つ。

 

 

 ――瀬々手牌――

 {三三④④⑤⑤⑧⑧22北發發}

 

(……おや、あたしの自摸れるはずの和了り牌が――)

 

 和了のはずの牌が、どこかへずれた。

 

 

 アン/ツモ{北}

 

(掴まされた――! しかも、一番振り込みたくない相手の牌!)

 

 ――アン手牌――

 {四五六七八九①②③④④67(横北)}

 

 瀬々が掴むはずだった牌が、和了を狙っていたアンの元へと流れてきた。――ここで、瀬々に6400を振り込むことはセーラに自摸られるよりも避けたいこと。

 で、あるならば同しようもない。――アンは、一度自分を殺してでも、勝利を求める、他になかった。

 

 アン/打{①}

 

 

 ――こうして、セーラは一度のリーチで三人殺した。すべての流れを潰して引き寄せ、己のものへと変質させた。後はもう、自身のツモで勝てばいい。

 

 まるでそれは、セーラの進行方向上に先程まで確かに存在していたはずの山脈が、一息にすべて霞がかって無かったことになってしまったかのような。

 決定的な、勝利の感覚。

 

 走る。

 

 疾走る。

 

 ――走り出す!

 

 手を伸ばし、光を掴んだその先で、セーラは勝利の雄叫びを上げた。

 ツカミ、そして振り上げる。そこには確かに牌がある。そこには違いなく確信がある。頂点へ、伸ばされた一本の指。己を示すそれ。

 振り下ろされて、叩きつけられ見せるのは、勝利宣言、和了り牌。

 

 

「――ツモ! 3200、6200!」

 

 

・千里山『110600』(+12600)

 ↑

・龍門渕『89300』(-3200)

・白糸台『84100』(-3200)

・臨海 『116000』(-6200)

 

 ――裏は、無し。

 とはいえ、それが必要であるとは思わない。これで、和了。セーラの勝利だ。東四局、アンの親番が終了。前半戦の南場が、ここから始まる。

 

 

 続く南一局、さしものアンといえども、自身をくぐり抜けられ和了られたのでは、そうそう流れを取り戻すことはできないのだろう。

 ここではまず美砂樹が和了った。

 先ほどの和了で奪われた流れを取り戻すように、満貫手を仕上げた。

 

(――相変わらず、面妖やな)

 

 セーラは横目にそれを見ながらどこ吹く風に。

 

 

(ブラボー、ですね)

 

 楽しげにしながら点棒を取り出し、何気ない動作でそれを渡す。

 

 別に、この対局でどれだけ他家が稼ごうが知ったことではない。その程度にはこの四人は我が強かった。――少なくとも、アンの独壇場に対して、萎縮するしか無かった永水の清梅や、宮守の心音とは違う。美砂樹は胡散臭さを抑えようともしない演技派であり、セーラは強豪千里山のエース。心の出来が常人とは全く違う。

 

 アン=ヘイリーが如何程のものか。

 勝利できないにしろ、食らいつくことくらいは容易なはずだ。――意識して、勝利すらも視野に入れ、彼女たちは闘牌を打っている。

 

 

 ――ならば、瀬々は?

 

 

 渡瀬々はどこにいる? 一体何の麻雀を打っている?

 答えは簡単だ。瀬々は決してそこにいない。まるで心の中を伽藍堂(がらんどう)にでもしたかのように、心を揺れ動かそうとしない。

 

(それにしても、不気味なものです。……渡瀬々、次は貴方の親番ですよ? まさかこのまま、出来損ないのあの人みたいな麻雀を続けるつもりですか?)

 

 アンは、瀬々が不抜けることを危惧した。無理もない、今年のインターハイで、初めて“面白い”と思った相手が瀬々なのだ。そんな彼女が、この場にいる意味を喪失してしまえば、一体何を思って自分は麻雀を打てばいい?

 

(孤独は、ごめんですよ。――最強の英雄は常に、背後を狙われなくてはならないのですッッ!)

 

 敵意を込めて睨みつけるアンの視線をよそに捨て置き、卓上では、サイコロの回る音だけが響いた。

 

 

 ――南二局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{⑥}」――

 

 

「リーチ」

 

 響いた宣言。八巡目にして、初めて響いた声だった。

 

 瀬々/打{3}

 

 ここまで、この卓に置いて“誰も動いていない”というのは異常に当たる。脅威の聴牌速度を誇るアン。瀬々もまた、ムダヅモのない高速聴牌が特徴だ。

 故に、八巡目にして動いた瀬々は、しかし一切注目をあびることはなかった。

 

「ポン」 {3横33}

 

 アンの鳴き、一発消しの側面が強いが、同時に手を進めるための鳴きでもある。躊躇うことなく切った牌は、瀬々を恐れることすらせぬ強打だ。

 セーラも直後に一瞬思考して――

 

 ――セーラ手牌――

 {三五六八②③④⑦⑧⑨lil()56} {(ili)}

 

 セーラ/打{3}

 

 安牌と前進の両立を図る。そして直後――

 

「……ツモ、メンピンツモはっと、1300オール」

 

 ――瀬々手牌――

 {三四五六七④⑤⑥⑨⑨567横二}

 

・龍門渕『91200』(+3900)

 ↑

・臨海 『112700』(-1300)

・白糸台『90800』(-1300)

・千里山『105300』(-1300)

 

 

 静かな声で瀬々が言う。そこでふと、アンが疑問に思うように眉間に皺を寄せる。周囲から察することができない程度の、小さなものだったが。

 

(――ずらしても、和了った? いえ、別におかしなことではないでしょうが――まるで何かが瀬々を誘導しているかのように、……瀬々には、覇気が感じられませんね)

 

 頬に張り付いた痒みのような違和感。そのままそれを掻いてしまえばもう、すぐに消えて収まってしまうようなそれ。果たして、そのまま消してしまって良いものか。

 言い訳がない、違和感を違和感のままにしておくのは、どんな状況でも負けを引き寄せる悪手である。

 

(とはいえ、情報が少ないですね。ここはどちらにしろ和了を目指しつつ状況を重ねていくしか無い。――それにしても)

 

 正面には、瀬々がいる。どこか癖のある彼女の長髪は、ある程度意図したものなのであろうが、今の瀬々にそれは、どこか幽鬼を伴う恐怖に思えて、ならない。

 

 今はそこにいないもの。

 ――どうやら瀬々は、本格的に人間の立ち位置を失ってしまったようだ。

 

(私としては、そんな瀬々好きではないのですけど、ね。それにしても本当に、瀬々は一体、何を見ているのです?)

 

 視線と視線は交差しない。――それでも覗けるその場所に、光と呼べるものは、望めなかった。

 

 

 ――南二局一本場、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 親番、瀬々の第一打は{1}。理牌のされていない手牌から、一切迷うこなく牌を切り出した。それはどうにも“迷うことすらできない”とも思える。

 

 続く打牌は、{3}。

 

(いきなり嵌張落とし、ですか)

 

 違和感を覚えるアン。しかしそれはどうやらアンだけが感じ取ったようではない。セーラも美砂樹も、怪訝そうに瀬々を見ている。

 

(瀬々が何かと闘っている。何かを宿しているのは事実です。彼女の様子は、一昨日の永水大将が見せたモノに近い)

 

 美砂樹/打{發}

 

 アン/打{二}

 

(つまり、“あの時の”瀬々ともそれは似ているというわけです。やはり瀬々には、人以外の存在が宿っていましたか)

 

 異質を覚え続けるからこそ、見えて来なかった情報が見えてくる。今の瀬々がまさにそれ。――彼女は無我を晒しすぎた。これではあまりに、隙だらけに見えすぎる。

 

 セーラ/打{⑥}

 

 瀬々/打{二}

 

(ですが、それならば発しられてしかるべき魔的な匂いが一切しない――それでは、魔物である意味もない)

 

 美砂樹/打{白}

 

 アン/打{8}

 

(それでは些か面白く無い。――困りましたね。覇気のない魔物など、卓に付く意味すら無い。一体どうしているというのですか? 魔物の中に眠る、渡瀬々そのものは……!)

 

 セーラ/自摸切り{西}

 

 瀬々/打{三}

 

 ――そして、

 

 それから数巡。何事も無く動いていた巡目がここで、アンの驚愕により途絶する。

 

(――{二}ではない!?)

 

 掴むはずだった和了り牌。確信を持って聴牌に近づけたはずの手が、ここに来て和了れないという事実。――掴めなかったのだ。他のだれでもない、アン=ヘイリーが。

 

 ――アン手牌――

 {三四②③④⑥⑥⑥⑦⑧234(横2)}

 

(なーるほど。聴牌を遮るような{2}ツモ。まぁ正直捨て牌を鑑みるに瀬々にこれが振り込むようなことは無さそうに思える)

 

 何気なしに、アンは手牌の上部においた牌を掴む。打牌のために無造作に選択しようとしたのだ。しかし直後にそれを差し止める。わかっている、わかっているのだ。

 

 即座に牌を手牌に組み入れると、選んだのは{⑥}、通りそうな{2}ではない、確実に通る現物の{⑥}だ。{2}でも振り込む可能性は、万が一にもありえないだろう。しかし確信ではない。確実に振らないのが{⑥}だ、だからそれを切る。

 

(こんな時、最も信じられないのが、かも知れないというツモ。――{2}はまだ私の視点から二枚生きている。瀬々の捨て牌を鑑みれば――{2}がありえなくはないことくらい、すぐに分かる)

 

 アン/打{⑥}

 

 直後、セーラの打牌をはさみ、そして瀬々のツモ。そう、ツモである。

 

「――ツモ、1700オール」

 

・龍門渕『96300』(+5100)

 ↑

・臨海 『111000』(-1700)

・白糸台『89100』(-1700)

・千里山『105300』(-1700)

 

 チートイツのツモ。嵌張を落とし、両面すら四巡目には切り払う。そんな手牌、染めるかチートイツかの二択でしかない。この場合は、チートイツがそれだった、というだけのこと。

 だからこそ、平素であるとアンは思う。他人を引っ掛けるようなツモにしても、手にしても、瀬々のそれは些か派手さにかける。自摸ったからまだいいものの、リーチの無いチートイツなど単なるゴミ手と変わらない。少なくともこの団体戦で、和了るべき手ではないだろう。一発が確定的であるのならば、なおさらだ。

 

(――こちらに一発を防がせないだけの手牌操作。しかしそこから放たれる手の内が薄っぺらいこと。やはり今の瀬々は違和感です。人ではない。しかし魔物ですら無い。ならばいったい、貴方は何だというのです――?)

 

 

 ――南二局二本場、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{發}」――

 

 

 渡瀬々の連続和了。アン=ヘイリーを除き、二連続で和了したのは彼女だけ。ならば、そのアンすらも凌駕するべく、三連続での和了に臨むかといえば、全くそんなことはない。

 二本場の瀬々は、沈黙していた。ポンも、リーチも、チーもカンもなにもなく、ただ沈黙のまま、他家とともに深い山を切り崩す。

 

 ――結果。

 

「――ロン、5200の二本、ね」

 

(……む)

 

・白糸台『95900』(+5800)

 ↑

・千里山『97800』(-5800)

 

 和了したのは、遊馬美砂樹。

 放銃したのは、江口セーラ。

 

 一瞬生まれた隙を、狙い撃つかのような一撃だった。無論、まさしくその通りの展開だった。多少想定にあったとはいえ、ここでの放銃は、セーラの顔をしかめさせるには十分だ。

 

(暗槓でドラが増えた直後に、臨海のリーチ。白糸台がうまく臨海を乗せたってことなんやろうけど――)

 

 リーチがかかれば、そっちに視線が向くし、相手はこの卓最大の難物、アン=ヘイリーだ。どうしたってセーラはそちらを対応しなくてはならなかったし、美砂樹までもをカバーする牌が、そうそう手牌にあるはずもない。

 ある種の予定調和、ではないにしろ、然るべき結果を、然るべき形で生んだ放銃、といったところか。

 

(――待ちが、わざわざ悪くなるようにしとる。直感、か。相手にしててこれほどやっかいなモンは他にあらへんな……そんで)

 

 チラリ、セーラは視線を瀬々へと送る。その瞳に浮かべる感情は、気負い。恐怖を浮かべ怯えるではない。ただ純粋に感情をマイナスにする程度のモノ。

 とはいえそれは、セーラの強さからくるものであろうことは容易に想像がつく。

 

(一番不気味なのが、こーいう手合いや)

 

 強いのか。

 弱いのか。

 セーラ自身を冒しうるのか。ただその場に佇むだけなのか。それすらわからないほど、存在を曖昧にした希薄な何か。

 実態のない霧は、視界を悪くすると共に光を遮断するのだ。今の瀬々はそれと同じ。

 

(臨海に、白糸台。この卓は言ってまえば、二人がかりでオレが抑えられた、ちゅーことや。せやったら、それにかかわらなかった龍門渕は一体何や――わかっとる。あの捨て牌からわかっとる。あれが今オレらがいる場所とはあまりにもかけ離れた、()質であるっちゅうことくらい)

 

 セーラの選んだ牌は、アンの現物であった。しかしアンの現物はいくらか手牌の中に握っていた。その中でセーラの判断基準は美砂樹によらない。アンと、そして何より瀬々の安牌として放った牌である。

 美砂樹を意識した場合、全くの現物はなくとも、限りなく安牌に近い牌は、アンの現物の中にも一枚あった。

 

 そして美砂樹は、そんな限りなく安全な牌に待ちを定めるほど器用ではない。それは準決勝の対局でもわかっている。放銃は、避けようと思えば避けられたのだ。しかし、セーラはある種の妥協を持ってでも、瀬々という得体のしれない存在から身を守った。

 美砂樹への放銃は失点でもある、しかしセーラからしてみれば、もっとも帰着したかった部分に、無難な形でたどり着いた、ということでもある。

 

 ――なにせそれほどまでに瀬々は常軌を逸していたのだ。

 アン=ヘイリーのリーチまで、八巡。それから美砂樹に放銃するのが、十巡目。それまでの間、渡瀬々のはなった打牌は、すべて“自摸切りだった”。十一巡モノ間、瀬々は一度足りとも手牌を塗り替えることはなかったのである。

 

 結局、セーラの放銃という結果でもって、南二局は終わりを告げて、瀬々の手牌は闇へと消える。はたしてそれが、本当に聴牌による自摸切りであったのか。それとも全く別の意味があったのか、それがセーラに、美砂樹に、そしてアンに明かされることはなく、状況は、最後の二局。――終盤を迎えようとしていた。

 

 

 ――南三局は、アンの和了。

 自身が白糸台に明け渡した千点分のリーチ棒、それを取り戻すかのようにリーチ宣言を引き出してからの、三十符二翻放銃。セーラが何か行動を起こすよりも早く、南三局は何処かへと消滅した。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

 この局でも、アンは決して止まらない。自身の選択に、妥協はしない。

 ――たとえ瀬々が、この頂上決戦での対決を望んだ相手が、とんだ腑抜けに堕ちたとしても、アンの仕事は変わらない。ただ勝つ。

 勝って仲間の元へと帰る。それが最強であり、臨海のエースでもあるアン=ヘイリーの、たったひとつのつとめであった。

 

「チー!」 {横213}

 

 副露から、続く副露。即座に他家から牌を食い取り、聴牌に持って行くまでにかかった巡目は、たったの三巡。豪腕豪傑、アン=ヘイリーの面目躍如である。

 

「――ツモ! 4000オール」

 

・臨海 『125000』(+12000)

 ↑

・龍門渕『92300』(-4000)

・白糸台『86800』(-4000)

・千里山『91700』(-4000)

 

 アン=ヘイリーは止まらない。止まり用がない。まだ半荘は終わっていないのだから。ここから彼女は、長い、永遠とも思える前哨戦を続けるつもりでいた。

 

 勝利のために。

 

 ――己のために。

 

 

 そして、それを阻むものは、居た。

 

 

 アンが和了をする傍らで、一人沈黙を貫く雀士、渡瀬々が、そこにいた。

 そんな彼女は、一瞬周囲を、見回し、さいごにアンへと視界を移しそして、

 

「――ころも」

 

 ただ、そう一言だけ――しかし、誰にも聞こえないような、マイクにすら拾われないような声で――告げて目を閉じた。

 何かを思うように、ゆっくりと湖の中へと沈んでいくように、瞑目した。




次回で前半戦終了です。
ここから更に四話位あるんで、暫定的に先鋒戦は最長になるかと思います。

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