咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『渡瀬々』先鋒戦③

 ――アンタなんか、生まれてこなけりゃ良かったのにさ。

 

(……そうかな、別にあたしのせいじゃないと思うんだけど)

 

 ――お前がいたから、オレの女がダメになったんだ。

 

(女って、だれ?)

 

 ――な、アンタ、なんでこんなとこに!

 

(幽霊かよ、あたしは)

 

 別に、ただ普通に生まれてきて、ちょっとおかしなチカラを持っていただけだというのに。家族は、自分をバケモノとして、見てるのだろう。

 よく解らなくなった。

 

 自分という存在が、果たして何を望まれて生まれてきたのか。――ある日、自分の部屋に放置されたゴミの中から、昔のアルバムを見つけた。燃えるゴミやら燃えないごみやら、ところ狭しと押し込められたゴミ箱部屋を掃除していたら、紐でまとめられたアルバムを見つけたのだ。

 

(あたしの両親は、あたしの部屋にゴミを放置しておけば、勝手に業者が回収してくれると思っていたみたいだ。事実、放置しておくと汚くなるし、人が住める場所じゃなくなるので、定期的にあたしがゴミ出しをさせられていたけど)

 

 そんな中にあったアルバムは、大体二年ほどの期間にまとめられた――おそらくは、自分が言葉を喋り出すまでの――アルバムがあった。それは埃をかぶってはいたものの、今までほとんど手をつけて来られなかったのだろう、ほとんど新品同然のまま、当時の写真を今に残していた。

 

 写真の中では、小さな赤ん坊と自分の両親に分類される誰かによく似た夫婦が、三人揃って笑っていた。時折赤ん坊は泣きはらしていたが、そんな姿も彼らには愛おしかったのだろう、大切な一枚として、保管されていた。

 

 これは、自分じゃない。両親も顔がよく似ているだけの別人だ。そう感覚を元に結論づけた。よく解らなかった、何が正解なのか、感覚の示した答えも、また。

 

 それからふと思い立って、その日は両親と同じ卓について夕飯を食べた。何か変化はあるかと思ったが、いつものような仏頂面で、顔の筋肉一つ動かさないでいるようだった。

 

(まぁ、今にして思えばあれは、間違いなくあたしに恐怖していたんだろうけど)

 

 誰かが片付けてくれるかと思って、茶碗やらなにやらはそのままにしておいた。次の日になってもそのままだったので、これがなくなるとご飯が食べられないから、結局自分で洗うことにした。

 

 観察してみてわかったのは、かつてのあの人達と、今のあの人達は別人だということだ。人間としては同一人物なのに、表情が違う、心が違う。まるで自分自身のようだと思った。

 

(多分、自分がそうしたんだろうな。あたしが持つ別の一面は、他人にまで伝染する。かつての自分と今の自分、精神を大きく持てない人たちは、かつての自分を今の自分に塗り替えられて行くのだろう)

 

 人はそれを変化と呼び、好ましいことを成長、と呼ぶようだ。

 

 

 昔、学校の教師に左利きを右利きに修正されたことがある。その時教師はそれを成長と呼んだ。なんとなくピンとこなかったが、自分は方法さえ理解していれば、肉体の性能限界までならば、あらゆる行動を再現できる。今のところ、自分は両利きとよばれる存在のようだった。

 

 ――な、何を言っているんだね?

 

(知られたくないことを暴露され、怯える目。すぐにそれは、焦燥に変わり、憤怒に変わった)

 

 ――お前さえいなければ、お前さえいなければ!

 

(そうやって何度も水をかけられ、あたしは冬の中で凍えて風邪をひくハメになってしまった)

 

 成長を喜んでくれた教師の笑顔は、しかしきっと自分が変えてしまった。彼には、左利きを矯正した後も、右手と同じように左手を使う器用さは、無かったようだ。

 

 生徒たちは、自分に良くしてくれた。とはいえそれも、教師に怯えながらのことではあるが。どうでも良くはないけれど、限りなく救いにはならない救いの手。

 

(昔の友だちと、その時のあたしの間には、間違いなく壁があった。同情はされても、それ以上はない。そんな、言ってしまえば――シアターの壁、とでも呼ぶべきような何かが)

 

 モニターの向こうにいる彼らは、悲劇のヒロインである自分を嫌うことはなかった。同情し。義憤に燃えた。しかしそれらが、少年少女としての限界であったということは、考えるまでもないことだろう。

 

(んで、それが救いになったかといえば、どうなんだろうな。彼らがあたしに味方することで、あたしだけでなく彼らまで不幸になれば、それにあたしは罪悪感を感じる。じゃあそれは、助けという呼び方で呼べるのか? いや、呼べないだろうな)

 

 そういえば、と思い出す。

 少しずつ追い込まれてゆく過程で、自分に関わってきた者達は、教師を恐れて遠ざかるのではなく、むしろ自分に寄り添うようにしてきた。

 

 それは決して、自分を救うためではなかったのではないか? ――なぜ、寄り添ってきたかは分かる。一人にして、自分が自殺してしまうことを防ぐためだ。それをさせたのは、誰か。すぐに答えに行き着いた。教師だろう、と断定する。

 

(自分たちの行動で子どもが自殺した、なんてことを防ぐために教師はあえて周りの連中に危害を加えることはしなかった。周りに人間がいれば、教師から手を出すことはなかった。そうすることで、自分たちがあたしを守れている、と思わせたかったからだ)

 

 別に言葉にしたわけではない。そうなるよう、児童たちの行動を誘導したのだ。思うがままに操ったのだ。自分に、転校という形で学校から去っていくように仕向けるため。

 

 だが、誤算はあった。

 

(教師たちは、あたしの家庭を非常に円満なものだと勘違いしていた。実際は仮面家族という言葉が相応しい、冷えきりぶりだったてのに。あたしの家族の外面の良さが、あいつらの思惑から、一つだけずれていた)

 

 自分が両親に学校でのことを相談し、後は金か何かをちらつかせればいいと、そう考えればいいと考えていたのだろう。もしかしたら何か脅迫めいた事をするつもりだったかもしれない。

 しかし、そうなるはずがないのだ。両親は自分のことなどどうでも良かった。恐怖し、遠ざけようとすらしていた。当たり前だ、自分が少しでも行動を起こせば、自分の人生が破滅することくらい解っていたのだから。

 

 それでも、自分は行動を起こさなかった。学校でも、両親の前でも。おそらくその理由は――

 

(――当時友人だと思っていた子ども達に、迷惑がかかるのを避けていたんだろうな)

 

 結論づけてしまえば、滑稽なこと。家族に、恩師に、友人に、あらゆる存在に、――渡瀬々という一個人の奥にある何かは、壊され続けていたというわけだ。

 

 なんたる皮肉。

 なんたる喜劇。

 

 存在そのものを否定するかのような事実であった。自分を構成するありとあらゆる環境が、何の意味もないと、断言されたようなものだ。

 人が生きていく意義、価値を真っ向から、否定されたのと同じ事。

 

 滑稽だと、ただ笑うことすらできず。

 残酷だと、ただ涙することすらできず。

 哭いて、嗤って、それ以外の感情を失くす他に、道はない。

 

 だからあの時、龍門渕透華に語った瀬々の顔は、そんな表情をしていたのだろう。とても悲しく、あまりにも惨めな顔を、していたのだろう。

 

 ――だとしたら、なぜ貴方はそれを、まるで人事のように語れるのかしら。とっても不思議ね?

 

(……え? 誰?)

 

 瀬々の思考の中にだけある世界。

 そこに、入り込むかのような、甲高い声。どこか懐かしいような気がして、どこか近しいような気がして、瀬々はそれに躊躇うことなく、意識を向けた。

 

 

 ♪

 

 

「――なんだか、変ですわ」

 

 龍門渕高校の控え室には、大きめなテーブルとソファ、その目の前にモニターが設置されており、大体五人ほどが座ることができる。加えてそこに、ソファーよりも頭ひとつ分ほど座る位置の高いテーブル用椅子を利用して、追加で二人が腰掛けていた。

 

 少し遠巻きな形にはなるが、並んで座るのは龍門渕透華と、天江衣だ。衣から誘って、ここに座ることになった。

 

「それはそうだな、瀬々が異常に浸っているのだから」

 

 ぽつりと漏らした透華の言葉、ほとんどひとりごとのような声量であったが、衣は耳聡く聞き取って待ってましたとばかりに返答する。

 すこし透華が驚いたようにしながら、それに続けて問いかける。

 

「衣は何か、知っているんですの?」

 

「瀬々の異常とは、半ば二日も戯れ続けていたからな、あいつの想念もおおよそ分かるよ」

 

 ――アイツといった。それは瀬々ではなく、おそらく瀬々が抱える異常であると、透華は推測する。それをよそに、衣が二の句を継げた。

 

「瀬々のアレは、一種の回想みたいなものだ。郷愁、というには瀬々の生き様は根本がないがな」

 

「……? はぁ…………」

 

 よくわからない、と答える他にない。衣自身、会話の序文でいきなり答えを察しろなどとは言わないだろう。楽しげに自身のリボンを揺らしながら、先程まで向けていた視線を、一度透華から外して彼女に問いかける。

 

「――ならば、瀬々にとって、“わからないこと”とはなんだ?」

 

 愚問である。少しの瀬々を知るモノからそんな答えが帰ってくることだろう。しかし、透華はすぐにその意味に気がつく。瀬々のチカラには制約があった。それを即座に思い出す。

 

「えっと、確か複雑な人の感情に、人知の理解を超える現象、ですわね?」

 

 心は覗けないし、自分に理解できない現状は答えとして知ることはできない。答えそのものを理解できないのだから。たしか、そんなものだった。

 衣は満足そうに頷いて、再び透華に目を向ける。

 

「そう、その通り。瀬々は、わからないことはわからない、しかし解ることは“なんでも”解る」

 

「まさしく神の所業といったところですわね」

 

 だからこそ、瀬々はそれを背負って、生きてきたわけであるのだが。

 

「瀬々はな、そんな神を背負ってきたのだ。自覚を持って、それを受け入れ続けてきたのだ。ならばどうだ? 瀬々は神を恨むこともできたのではないか?」

 

 きっと瀬々は、そんなチカラさえなければ、両親の愛を受け、環境に恵まれ育っていたはずなのだ。それを無かったものにされ、瀬々がそれを憎い、と思うか。

 思って当然だ。人生を狂わされたのだから。――透華は即座に答える。間髪入れず、瞬くスキマも存在しない。わかりきっていることだからだ。

 

「それは――ありえませんわね。だって瀬々は、あんなにも堂々と、今を生きているんですもの」

 

「……そうだ、それは衣も(うべな)うよ。瀬々は、強いんだ。誰よりもまっすぐに前を見て、少しだけ悩みながらも生きていく。出不精だけど、麻雀には逃げずに取り組んでくれるしな」

 

 確かめるように、頷く。

 今、瀬々は自身の過去など感じさせることなく生きている。浮かべる笑みは愛想のいいうわべっ面のものだがそれでも、その仮面の下にあるのは、今を面倒だと思う、彼女特有の感覚だけ。

 何も、恨んでいるわけではないのだ。――ただし、と衣はそこに付け加える。

 

「瀬々には、全知を持ってしてもしれないことがある。それは間違いないな? ――だとすれば、その中に自分自身が当てはまるとしたら、どうだ?」

 

「――自分自身が?」

 

「あぁそうだ。案外そんなものだろう? 衣とて、周りには子どもだなんだと言われるが、自覚はない。――そして自分ですらわからない自分だってある。仮面――“ペルソナ”だな」

 

「誰もが知る自分、自分しか知らない自分、誰かしか知らない自分、そして――」

 

「――――誰も知らない自分、だ」

 

 おそらくは、龍門渕で受けた授業を思い出したのだろう。透華は衣からそんな、大層な横文字が飛び出てくるとは思わなかった。

 

「今の瀬々は、そんな四つの自分を自覚しようとしているのだ。己の中で、――何かに手を引かれるようにしながら」

 

 瀬々の中には、いくつかの仮面が同時に存在している。悲しいと思う自分、嬉しいと思う自分、それらが、全く同じ瞬間に存在しているのだ。

 ――本来、仮面とは取り替えるものである。感情は、同時に浮かぶことはない。悲しみを、喜んで受け入れることはできない。喜んだ時にはもう、悲しみの仮面は取り外しているのだから。

 

 だが、瀬々は違う。

 瀬々は理解ができる。その意味はつまり、感情を顕にする自分を、全く別の自分が“観察”しているのだ。ただしそれは感覚で、つまり答えを知るという理解を利用しない知識の源泉によるもので。

 

「仮面――四つの瀬々を、衣はしっていますの?」

 

「なんとなくは。四つ目の瀬々は、さすがに分からないが」

 

 ――誰もが知る瀬々は、人当たりはいいが根は無愛想の気取り屋。瀬々しか知らない瀬々は、おそらくマニア趣味の瀬々だろう。そして誰かしか知らない瀬々は、彼女が思いの外麻雀に熱中しきっているということ。

 四つ目は、誰にもわからない。瀬々にさえ、衣にさえ。

 ある、一つの存在を除いては。

 

「私は、なんとなくわかりますわ」

 

「……本当か? 誰にも理解できない瀬々を、透華は理解できるというのか?」

 

「厳密には、無理でしょうね。なにせ誰にも理解できないということは、理解したつもりでも実際には違うという意味ですもの。だから私が何を言おうとそれは正解ではない。限りなく正解に近くはあるかもしれませんけど」

 

「なるほど、な。――聞かせてくれないか? 衣には、誰にもわからない瀬々が解らないんだ」

 

 簡単なことだ――と透華は言う。

 まるで、甘えん坊の子どもをあやすように、優しい声音で、語りかけるように紡ぐのだ。己が知る、渡瀬々のブラックボックスを。

 

「――瀬々は、本当は感じたい感情があるはずですの。あの子は感情が欠けているわけではなくとも、感情を知らない子ですから」

 

 透華には、大切な人を喪う、という感情がわからないように。衣には枯渇した才能に苦しむ、という感覚がわからないように。瀬々もまた、“知らない”感情があるはずだ。

 そしてその感情を、理解しようと思えば理解できるのが瀬々である。

 

「複雑である、というのはある種思考の放棄ですわ。だって、どれだけ複雑なパズルでも解けないなんて事はありえない。――途中でピースを投げ出して放置しない限りは、ですけど」

 

 瀬々の知らない感情。

 瀬々が知るべき感情。

 

 透華は間違いなく知っていて、衣だってわかっているだろう。おそらく、普通の生き方をしてくれば、理解できない人間は、いないはずの代物。

 渡瀬々が、壁として透華のように異質を受け入れることのできなかった理由。

 

 ――その名は、

 

 

 ♪

 

 

 ――つまり、貴方は自分の中に複数の貴方がいるの、ここまではいいかしら?

 

(ふぅん、随分めんどくさい人間だな、あたしって)

 

 ――反応が薄いわね……でも、感情はしっかり理解できたわ。驚いてるでしょう。そして同時に納得してるでしょう。あぁ、だから感情が薄いのね、だって相反してるんですもの。普通、どっちかしか浮かべないものよ?

 

(いやでもさ、驚くでしょ普通、納得もするでしょ普通)

 

 ――その両方を浮かべるのがおかしいと言っているの。すでに推測を立てて、それを驚愕を持って受け入れるのは、驚愕があくまで感情の導入でしかないのよ。だというのに、あなたはその驚愕と、そこから続く納得を、同時に覚えるんだもの。

 

(でも、しょうがないじゃん? 驚くし、納得だってするんだからさ)

 

 ――ホント、不思議だわ。見てて全ッ然飽きが来ないもの。

 

(へー。ところでさ、アンタ誰?)

 

 ――それを聞くのも割りと遅いと思うわ。驚いて納得して、それからようやく本題(そこ)にはいるのね。ほんと、おかしな子。

 

(あー、というか別に言わなくていいよ、自分で考えるから)

 

 ――へぇ? 珍しいこと言うじゃない。いつも自分の感覚に頼りっぱなしの貴方がさぁ。

 

(いや、なるほどね。アンタはあたしを知ってるわけだ、それなりに――それなり以上に?)

 

 ――別にそうとも限らないわよ? トンデモなく勘のいい女の子かもしれないわ。貴方のチカラを理解できてしまうくらい。

 

(……そんな実例があたしのすぐ側にいるのは認めるがな、ありえないだろう。あたしはアンタの声を聞いたことがない。あたしのチカラに興味をもつ人間で、それだけ勘が良ければインハイに出て、なおかつあたしがモニターで試合を観てないとおかしい。だって、これから対戦するかもしれない相手なんだから)

 

 ――個人戦の選手、という線は?

 

(それもないだろ、なにせ個人戦で有名になる選手を、雀士をしてきて一度も耳にしたことがないなんてありえないしな。そもそも、外部の人間だっていう線も薄いだろ、こんな場所で、あたしとアンタは気がつけば会話してるんだぞ?)

 

 ――そう、そのとおりね。となれば答えは?

 

(……あたしにチカラを宿した張本人、()()()()()だろう? でなけりゃあんなタイミングでこんなこと、するはずないわな)

 

 ――当たりよ、大当たり。いつも私に頼ってるくせに、洞察力もあるんじゃない。

 

(理解力、と言って貰いたいね。少なくとも、アンタを理解するのがあたしの仕事だ。状況の理解力は人並み以上だと自負しているよ)

 

 ――そういえば貴方、私がいなくてもかなり優秀だったわね、本当に、そういったところも面白いのよねぇ。あぐらをかかないってところかしら。

 

(……………………)

 

 ――ま、そこらへんは貴方の美徳よね。自分を抑えるのではない。驕らないから楚々として見える。って……? どうかしたかしら?

 

(……………………)

 

 ――え? いや、あの、なんで黙ってるのかしら。それになんだか物言いたげな目でこっちみてくるし、何なのよもう。

 

(……………………)

 

 ――あ、その、えっと……ね? 解るでしょ? 沈黙しないでよ、こっちは不安になっちゃうのよ? だってだって、貴方と話するの初めてだから、その……あ。

 

(……………………)

 

 ――…………そう、よね。当たり前よね。私は貴方にチカラを与えた。それはある種偶然によるものと、必然によるものが交じり合っていたけど、言い訳にはならないわよね。

 

(……………………)

 

 ――えっと、その、あの、う、……あ、あたし、違う。私のこと、嫌いになった?

 

(全然)

 

 ――即答!? わざわざこっちに喋らせておいて、その答えを即答? し、しかも事実だしぃ、なんなのよ、もう。

 

(んーとさ、どうしても気になったんだよ、アンタはさ、あたしをすっごく気にしてるみたいだった。だったらどれくらいあたしのことを気にしてるんだろう、ってさ)

 

 ――まぁ、そうね。貴方を傷つけたのは私だものね。でも、そうなると貴方は私を恨んでいないということになる。それは少しおかしいわ? だって貴方は、私を気にしていないという感覚と同時に、怨嗟の感覚を覚えて不思議ではないはずだもの。

 

(そうだけどな。でも、違うんだよ、前提が間違ってる。あたしは普通じゃない。アンタがいようがいまいが、あたしを不幸にしようがしまいが関係ない。だってアンタのいう複数のあたしに、アンタは何も関係ないじゃない)

 

 ――あ、そっか。なるほど、ね。確かに普通だったら恨んでもおかしくはない。けれども、貴方は私という存在に関係なくおかしいから、……いいえ、“強い”とこの場合は言い換えたほうがいいわね。貴方はとても強かったから、私なんて気にする必要もなかった。

 

(むしろ、感謝してるくらいだ。理由はどうあれ、アンタがいたからあたしはあの人生を生き残ってこれた。だからアンタには、ありがとう、ってそう言いたいんだ)

 

 ――どういたしまして、ね。…………ねぇ、本当は解ってるんじゃないの? なんで私が、貴方とこうして話をしようとしているのか。

 

(あたしに自分のチカラを貸し出すため、だろう? どうしてもあたしが壁を越えられなかったから、それを後押しするために、アンタの方からあたしのところへ来てくれた、ってところか)

 

 ――ご名答。よく分かるわね。そしてそれを踏まえた上で一応聞いておくわ。このチカラ、本当に貴方は扱えると思う?

 

(さぁね。でも扱ってやるさ、でないとあいつには――勝てそうにない)

 

 ――あいつ、ね。それが誰だかは、聞かないでおいてあげるわ。でもそうねぇ、このチカラは本来人間には出すぎたもの、それを得たとして、貴方は果たして今の貴方でいられるかしら。

 

(どういう意味だ?)

 

 ――そのままの意味よ、チカラを得た人間が、一体どうなるかは想像できるでしょう? 傲慢と油断、そして孤独を抱えて、一人でいるしかなくなるのよ。

 

(そうかな、あたしの知る強者は、必ず隣に誰かがいた。たとえいなくとも、誰かを引き寄せる魅力があった。それにあたしがなれないとは、どうして言える?)

 

 ――それでも、貴方に与えるのは神のチカラ、神の祝福(のろい)よ。その効力は貴方だって知ってるでしょう?

 

(だからどうした、あたしは今幸福だ。そしてそれはこれからも続く、幸福が摩耗して、退屈に変質するまでだ。そしてそうなった時、あたしはその退屈を不幸に変える。かつての幸福を何処かに捨てて)

 

 ――、

 

(なぁ……つまんない質問をするなよ。知ってる答えを質問するな、解ってるだろ? アンタなら)

 

 ――……

 

(わかんないなら言ってやる。あたしはあたしだ。どれだけ変化しようとも、それもまたあたしなんだよ。今のあたしは変わらない。昔のあたしだってそうだ。言っただろ、同時にあたしが、存在してるって)

 

 ――――暗い。

 暗い、夜の底だった。人が生きていくことはできない場所。根の堅州国といったか、死者が住まう黄泉の国。その境目にある一つの坂の上位と下位で、一人の神と、一人の少女が会話をしていた。

 少女は不遜な態度と表情で、神に自身の意思を宣言する。神は黙った、黙ったまま、答えなかった。

 

 本当に、生まれた時から強い少女だったと、神はそれを知っていた。複数の人格。同一に存在する感情の発露。それらを束ねるだけの精神的強度。どれをとっても、神はどうやら敵わないようだった。

 

「ここから帰れば、多分あたしはアンタのチカラを借り受けているんだろう。今まであった壁が取り払われ、少しずつしか漏れて来なかったアンタのチカラが、本格的に卓を、あたしの手牌を支配するんだろうな」

 

 はっきりと、言葉にして、少女は言った。意味するところは簡単だ、――お別れである。

 

「その時に、あたしはアンタに感謝するよ。あたしにチカラをくれたこと。あたしを助けてくれたこと。――あたしをここまで、導いてくれたこと」

 

 背を向けるのだ。もとより、この坂は振り向くことを許されぬ場所。ここから元の世界に還るには、もうあの神の姿を見ることは適わない。

 もう、そこに存在しているかも解らなかった。

 

「ありがとう、嬉しかったよ。――そうだ最後に、これだけは教えてくれないか?」

 

 一歩ずつ、足を前に踏み出して、遠ざかってゆく。やがては言葉が聞こえる距離ではなくなるだろう。それでも少女は問いかける。

 

「あたしには壁があった。その壁は、なんだ? 多分、アンタに対して思っている、感情か何かだと思うんだけどさ」

 

 何気ない言葉。

 答えは――

 

 

「――親愛。家族への、情」

 

 

 ――あった。

 

「……そっか、何もかも、ありがとうな――“母さん”」

 

 軽く、手を振ってその答えに返した。おそらくは、向こうも振替しているだろう。そう思って、瀬々は一気に足の速度を早めた。

 

「さて、じゃあ……行きますか!」

 

 この先に、未だ彼女のするべきことが、待っているからだ――

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 ゆっくりと、見開いた世界は、昔のものとは違って見えた。

 フカシギが当たり前で、完全が見え隠れする不完全な世界。感情の欠陥や、何もかもすら超越したそれは、瀬々にはまったくの異世界に思えた。

 

 ――しかし。

 

(自分が、変わってしまうかもしれない、か。たしかにこれは、異様で魔的だ。でもな)

 

 瀬々は、ゆっくりと伏せた顔を前へと向ける。上へと上げる。

 

「あたしは――」

 

 たとえ、世界が全く異なるものになろうとも、瀬々にはかつてあった自分の世界が変わらず残る。

 

「あたしは――変わらない」

 

 それらを繋げ合わせれば、やがて異なる世界に隣接する世界がきっとある。それを頼りの、あらゆる世界を別世界とすれば。

 自分を、“渡る”存在に変えてしまえば。

 

「いつだって――」

 

 もう、いつもどおりの瀬々がいた。

 

「いつまでだって――」

 

 理牌すらされていない手牌が目の前にある。しかし、解った。瀬々はその手牌の、意味がわかった。いつもどおりの、今までどおりの感覚で――!

 

 

「――――変わってなんか、やるもんか!」

 

 

 勢い任せの打牌、振り上げられる彼女の左手。

 

 

「――リーチ!」

 

 

 ダブル立直。第一打でのみ許される、リーチを超えた二重のリーチ。

 

「っ!」

 

 セーラが、そして美砂樹が驚愕する。今、目の前にいる存在は誰だ? 先程まで、幽鬼のように揺らめいていた何かではなかったか? ――と。

 

 そして、

 

 瀬々の真正面、アンの顔が、三日月のごとく笑みへと変わった。

 

 

「――ツモ!」

 

 

 ようやく、瀬々がこの決勝の舞台にやってきた。

 アン=ヘイリーの待つ、この場所に。自身の足で、壇上に上がった。

 

 

「やっと」

 

 

 ぞくりと、アンは体を震わせる。

 先程まで瀬々にはなかったものが、今は彼女に宿っている。ようやく、この卓最大の強敵として、友人を見れる。そのことに、歓喜と悦楽を、アンは浮かべた。

 

 

「やっと、追いついたぞ! アン=ヘイリーッッッ!」

 

 

 ――先鋒戦前半は、これで終了。

 最後の和了は、瀬々の宣戦布告によって、終結した。




瀬々は強い子です。まっすぐではないですけど。
というわけで次回から決勝戦最初の山場、アン対瀬々の決戦に入ります。

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