(親の四十符三翻は――少し痛いな)
当たり前といえば、当たり前のこと。不意を突かれての放銃が二度。脇が甘いとしか言い様がない。とはいえアンが自分を狙っているのはここまででよく分かる。
であるならば、できうる限りの最善を、この場で模索し、構築する他にない。
(解ってはいたことだ。何も考えず普通に打てば、こういうところからアンとあたしは差がついていく。あたしの武器はなんだ? ツモだ。ツモと言う名の情報だ! それを利用しただけでは勝てないから、支配も加えてアンに挑んだ。このままいいようにさせてたまるかってんだっ!)
届かないから、チカラを手にしてもう一度手を伸ばした。それが間違っているということは絶対にない。少なくとも瀬々は、準決勝の時よりも、一つか二つ格を上げてここにいるのだから。
(ただ消えていくのはゴメンだ。こいつにいいようにされるのもゴメンだ――! だったらあたしは、こいつに勝ってみんなの元に帰るしかないんだよッッ!)
それができるだけのチカラは手に入れた。今必要なのは、それを活かしきる確実な手段だ。アンにいいようにされるなら、それ以上にこっちから、手を打てるだけ、打つしか無い。
直線上に、アンがいる。近くて遠い山の向こう。そこに手を伸ばすべく、渡瀬々の闘牌が始まる――
――南一局一本場、親アン――
――ドラ表示牌「{發}」――
(配牌は……よし、戦えるな)
――瀬々手牌――
{
少しだけ、染め手に近い配牌。無論待ちが辺張でなければ、{白}の重なりなどを考えず染めることもせず勝負へ行っている場面だ。
しかしここは{白}を暗刻にして聴牌できる場面、染めを見ずとも、辺張を払うのは決しておかしな選択ではない。
(まずは……第一打で{1}を払う。多分実力者の江口、勘のいい遊馬、どちらを騙すこともできないだろうが、ここでこいつを抱える意味は、ない)
瀬々/打{1}
動きはない、アンがこれを鳴いてくることはない。そもそも向こうは瀬々のチカラを理解しているはずだ。となればむやみに鳴いて手の内を晒すことはありえないといっていい。
例外は直後にアンが更に鳴きを重ねる場合だ。特に瀬々が鳴けない場所からの鳴きは、アンにとって有効な撹乱となる。
それが功を奏すか、はたまた悪手となるかはその時の状況次第だが。
(さて――)
続くツモ、伸ばした右手から先の感触、盲牌によって感じ取れる牌の種類は、すでに理解している。
瀬々/ツモ{⑦}
(そこ、かぁ)
それでも改めて思考するのは、そこに確認というプロセスが挟まるためだ。ただ理解するだけではない、考えをまとめるために、確信という間が必要だった。
(当然有効牌、ここから狙うのは――)
ちらり、と三者の捨て牌を見る。瀬々を覗く全員がここまで字牌を切っている。アンだけが役牌二枚、それ以外はどちらもオタ風だ。
(染め手。それも{白}を落とすことを主眼においた清一色手――!)
瀬々/打{2}
決めて撃つには、もう十分な時間だろう。明らかに勢いをましたその打牌の直後、美砂樹が二枚目のオタ風を切り出し――アンのツモへと順番が周る。
(――瀬々は、染め手をご所望のようですね)
――アン手牌――
{二四六八
アン/打{④}
(となれば当然、絞りでも入れてそれを防いで行きたいところですが――あまり無茶はするものではありませんね)
そこから打牌が続く。それぞれ何がしかの考えがあるようで、瀬々もひとつ考え、筒子の辺りにツモを加えると手牌の右端から、牌を切っていった。
瀬々/打{三}
(見るにそこは{三四五}の順子といったところですか。面子を崩した、染めていく算段が見えたといったところですか)
否、瀬々は最初から見えている。答えを知る彼女はツモを見るまでもなく道筋を知り、最善手を選ぶことが可能である。だからこそ、ここで染めては、迷うはずもないだろう。
そして、
(――おや)
更に状況は、加速度的に混迷へと進む。
アンのツモは――{白}。瀬々が対子にしているであろう、役牌。
(であれば、ここはこういったところで待ってみましょうか。この牌は、抱えたままにしておきましょう。代わりに――)
アン/打{6}
放った牌は、手牌を切り裂く一枚の{6}。ただ切るにしても、それは些か複雑が過ぎた。他家の目からは、違和感のようなものしか映らないことだろう。
――それでいい。瀬々を悩ませるための一打なのだから、そうでなくては困るのだ。
瀬々は、掴んだ牌を見て顔をしかめる。何かを言いたげな目線をアンに向けて、それから少し意識を思考へ移したようだ。
そして、
瀬々/自摸切り{7}
(――切ってきた! あえてそれをさせないような打牌だったのですがね。しかしそれでも切ってくるのならいいでしょう。お相手仕りますよ、瀬々!)
「――ポン!」 {7横77}
場が動いた。アンの鳴きで、瀬々のツモがアンへと流れたのだ。直後に掴んだアンのツモは{白}。狙いすましたかのように、瀬々のツモを喰いとったのだ。
(さぁ、ここからどう和了って見せますか? 貴方の愛しいツモは私へ流れた、貴方の選択した打牌によって――!)
そこからは、完全にアンと瀬々の攻防が続いた。セーラも美砂樹も、決定打となるような有効牌をいくども掴めなければ進まない、嵌張辺張だらけの手だった。故に、攻めきれなかった。
あとに残るのは瀬々達二人。どちらも、ゆっくりとその手は進行していく。
アンは数巡の間、着々と{8}を暗刻にして手を進め、瀬々は{四}を切って、手牌を染め手へ向けていく。
牌を切った直後、瀬々は手牌の上に乗せたツモをそのままアンからみて手牌の中央右寄りに加えた。どちらかと言えば、筒子の方に近い。そんなツモが、一度あった。
(――こちらは一向聴。それに対し、あちらは一体いまどれほどの手ができているのでしょうね。……そうそう、簡単な手は作れないでしょう。となれば間違い無く、私のほうがこの手は速い)
一向聴へ手を進めた直後、アンは勝利を確信して打牌した。浮かべる笑みはかき消さず、己の武器として利用する。
直後、だった。
「リーチ」
完全に、想定もしていないところから、リーチがかかった。
――瀬々/打{④}
「……は」
どういうことだ。表情にはしなかった。それでも一瞬アンは揺れた。浮かべた笑みをより一層引き立てる敵意を込めた眼光が、一瞬揺れるのがきっと瀬々には見えたことだろう。隙だ、逃すはずもない。
しかし、それ以上にはならなかった。漏れだしそうになった驚愕をアンは即座に抑えて別の感情へと変質させる。
「――は、はは。アハハハハッ! 面白いですね、そのリーチ。一体どんなからくりなんでしょう」
笑みだ。同時に顔を伏せ自身の長い髪で隠すようにして、それから己の瞳だけでもって、瀬々ににらみを聞かせようとする。
もう、理解していた。瀬々のリーチのからくり位、アンはもとより理解していた。
(私は、相手の情報を感じ取るのに、様々な情報を利用する。当然です、なぜなら私に、手牌を覗き見るオカルトなどナイのだから――! それを、逆手に取ったというわけですかッ!)
玄人の、隙を付くリーチ。理牌よみを逆手に取って攻めてきたのだ。
(始まりは、打{三}! あそこで掴んだのは筒子ではなく{四}か{五}どちらかの対子。その後の順番を鑑みれば判断は簡単、――{五}だった。ということは、瀬々ははじめからあのタイミングを待っていたというわけですか。私が牌を、鳴けるかどうかすらわからないのに!)
これみよがしに{6}を切ったのが、失敗だったのではない。その直前、{白}を“掴まされたこと”そのものが、瀬々の狙いによる策だったのだ。
そうして、アンがリーチ直後に掴んだ牌。それは瀬々が最初に掴んだ――その後瀬々が掴むはずだった、{7}。
(――一発消し、カンはなくはない。けれども、それじゃあ何の意味もない。このツモの意味は、カンで一発を消すことではなく、“嶺上開花で和了ること”だというのに、それでは全く意味が無いッ!)
聴牌していれさえすれば、こうなることはなかったのだ。このカンから嶺上開花で、この局は終了するはずだ。しかし一向聴では、聴牌へと手を伸ばすための方法でしか無い。――意味が無いのだ。
(それに、ここでカンをすればドラが増える。瀬々は配牌テンパイ時ドラも、裏ドラも掴むことはできないようですが、槓ドラは違う! めくったドラが瀬々のものになる可能性は大いにあります! 故に、ここでカンはできない)
それを含めて、この形でリーチをかけたのでは、安牌以外はキレないだろう。どれを切っても、放銃する可能性が、確実にある。
故にアンの打牌は自摸切りの{7}。明らかに苦渋をにじませての、静かな打牌だった。
直後。
「――ツモ!」
渡瀬々が、手牌を晒した。
「リーチ一発ツモ。チートイツは、2000、4000の一本!」
(――初めて)
――瀬々手牌――
{五五④④⑤⑥⑥⑦⑦⑧⑧白白横⑤}
・龍門渕『105000』(+8300)
↑
・臨海 『123000』(-4100)
・白糸台『83900』(-2100)
・千里山『88100』(-2100)
(初めて、今年のインターハイで純粋に、“負けた”と思った。勝てなかったのではなく、純粋に私が劣った。これがその、最初の対局)
一年ぶりのことだ。去年、あの宮永照に敗北して以来初めてのこと。アン=ヘイリーが敗北を純粋に感じたのは。それを否定することができなかったのは。
(それを為したのは、やはり貴方でしたか――渡瀬々! 私が期待する、今年最高の好敵手!)
その瀬々は、今一体何を思っているだろう。勝利に対する実感か――? 否、違う。彼女はただ無表情のままアンを見ている。対局が終わっていないことを、重々承知しているからこそ、次も、そのまた次も、アンを打ち取るべく動くのだ。
――南二局、親セーラ――
――ドラ表示牌「{東}」――
(――あたしの中のオカルトを、必死に手探りでつかもうとしていた時、あたしは何度か衣の闘い方を観察したことがある。その中には、理牌読みとか、視点移動や捨て牌の順序からくる、打点の読みなんかもあった)
――何度も。一度や二度ではない。その程度で技術を理解できるほど衣のそれは単純ではない。熟達するには、熟達するだけの“理由”とでも言うべきものが、かならずある。それを読み取るには、複数の見が必要だった。
そうして、得たのが理牌読みの感覚。手牌を“理解する”チカラとでも言えばいいだろう。
(さて、本格的に使うのはこれが初めてになるだろうな)
牌を整理し、理牌するアンの方を、観察するように見る。視線には気づいているだろうが、それを気にするアンではない。――ここがアンの一種の弱点でもある。彼女は強者であるために、その土台となる技術すべてを、隠匿し結果だけを見せつけなくてはならないのだ。
一度でも、その感覚を崩してしまえば彼女の支配は途絶える。――去年のインハイでそれを実感したからこそ、より彼女は強固な支配でもって今年のインハイに臨んだ。
ただ豪運だけを振るっていたあの頃以上に、アン=ヘイリーは強くなっている――らしい。
(アン、あたしはアンタの血の滲むような努力なんざ知ったこっちゃない。アンタの強さだってどうでもいい。それでも、強いアンタを知ってるから、あたしはそれに負けたくないと思ってるんだ!)
アン=ヘイリーと、渡瀬々は、全く違うようで少しにている別人。瀬々はアンと自分を似ているとは思わないだろうし、アンもまた、瀬々を面白いと思いっているのが、自分と似ている部分があるからだとは思わないだろう。
彼女たちはどちらも強い。アンの強さはすべての強さ、カリスマという言葉では到底片付けられないような絶対的強者の資質。英雄と呼ぶべきチカラの持ち主。
ならば瀬々は? 単純だ。彼女の強さは精神の強さ、不屈などという言葉では全く足りない、反逆者とでも呼ぶのが相応しいようなチカラの持ち主。
その本質は、同じ強さという意味でも大きく違う。しかしそのどちらも、相手に真っ向から挑んでいく“気概”とでも呼ぶべきものがある。
勝ちたいと、思い続ける強さがあるのだ。
(このツモで三巡、そろそろ他家がアンタを警戒する頃だろう、アン。しかし私は知っているぞ? アンタはまだテンパイしていない、どころか一向聴ですらない! 当たり前だ。負けたと思ったアンタのところに、流れはそうそうこないんだから!)
――瀬々手牌――
{一二六六④⑤⑥678999}
思考し、牌を掴む。――引いてきたのは、一枚の牌を対子に変えるツモ。少し思考し、即座に瀬々はそこから、打牌を選んだ。
瀬々/打{⑤}
直後、アンの手がひらめく。
「――ポン!」 {⑤横⑤⑤}
一度断たれた流れは、自身の和了で取り返す。それがアン=ヘイリーのやり方だ。だからこそ彼女はここでたとえ無理やりでも副露を選択する。
まずはひとつ、心のなかでだけ瀬々はそれを数えた。
そして更に、アンを警戒するセーラから、一つ。――それは、直前に瀬々が切ったものの合わせ打ち。上家からしか鳴けない牌であった。
「チー!」 {横768}
更に、そのすぐ後に美砂樹からも、一副露。
「ポン!」 {白白横白}
三つの手牌を、これで晒したことになる。それぞれ他家から流れを喰いとるように、アンは高速で牌を右端へとスライドさせる。
跳ねた牌は、それから飛沫のように、やがて収まり消えていった。
アン/打{南}
勢い以上の、打点を。そう考え多少の色気として残していたのであろう役牌ドラの{南}。それが結局は、聴牌を知らせる物となった。
即座に、美砂樹は現物を打牌する。浮いていた、というのもあるが彼女にはそれが現状の最善策であることは間違いないものだった。
セーラも同様に、現物。違ったのはただ一人、瀬々だけが{8}を手出し。何事かを意識しているようにそれは思えた。
(――瀬々は、張っていますか? 狙うとすれば一発ですか。役はなさそうですしね)
――アン手牌――
{一一④⑥} {⑨}(ツモ)
(ぐ、関係のない牌。……やはりかなり厳しいですか、ここからツモを狙うのは。となれば後は、手変わりを待ちながら気長にツモを待つしか無い。――ごくごく、普通の麻雀ですね)
アン/自摸切り{⑨}
もしもこの場に、通常の麻雀とは違う存在がいるとすればそれはおそらく瀬々だけだ。――それは、たとえアンが好調の時でも変わらない。
アンの麻雀は精神の麻雀。そこに、オカルトという要素はほんの限り程度にしか絡まない。
(……ならば、どうします瀬々。只の人間を相手に、貴方は一体どんな手を打ってきますか?)
たとえツキが自分に回らなくとも、周囲の状況を観察するアンの眼は衰えてなどいない。故に、アンは注意深く周囲を観察する。
間違いなく現状チャンスはすべて瀬々にある。だとすれば、瀬々が手を打ってこないはずはない。今は瀬々の反撃の時。ここを逃したら、間違いなくアンが調子を取り戻す。
その前に、ここで討つ必要があるのだ。
アンを、――世界最強の高校3年生、アン=ヘイリーを。
(――だとすれば、貴方の手とは一体なんです? 何を見せてくれるというのですか?)
そのアンを、打倒しうる手を今ここで瀬々が放つ。、
そう、
「リーチ」
宣戦布告の、自摸切りリーチ。
(――一発狙いですか! だとすれば……その一発を狙う相手は)
――アン/ツモ{④}
(私、ということになりますね)
直感が告げる。これは危険だ。
この状況は完全にアンを狙い撃つための罠だ。そう、告げている。――自摸切りリーチで一発を狙い、勝つそれによるアンからの直撃だ。
(見るべきは当然、瀬々の捨て牌ですか)
――瀬々捨て牌――
{⑦⑦⑤(7)8横四}
(安牌は、当然のように無し。最初の{⑦}はおそらく頭をドラか何かに変えたのでしょう。ただの聴牌では打点が低いのは瀬々の特徴ですからね)
では、まず何をもって考えるべきか――通らなそうな牌ではない、ほぼ間違いなく通るだろうと、思えるような牌。
(――{④}と{⑥}はそれぞれ{⑦}と{⑤}に囲まれているため安全そうに見える。故に通るような牌ではあります。が、それこそが玄人の狙いであることなど、ママある。となればそうそう、この二つは切れない)
それを見越した上で、ならば聴牌を崩しても{一}を切るか、といえばそれはそうそう簡単に行くものではない。その打牌は自分の流れを捨て去ることと同義だ。おそらく、手変わりは望めない。
(考慮するべきは、そこだけではない。これは“打牌できない理由”です。もう一つ、“打牌できる理由”も考えるべきでしょう。ポイントは――{④}の対子)
打{⑤}から、その理由はおそらく{④}か{⑥}のどちらかを対子にしたためだ。そしてその上で、更に{⑥}を掴んでシャンポン待ち、という可能性は十分にある。
しかし、それ以外も考えられる。例えば最初に切り替えた対子が{一}であるばあい、{一}と{④⑥}どちらかのシャンポン待ちも考えられる。
唯一ありえないのが、{④}を刻子にする可能性。そしてそれを考慮すれば、最善は{一}か{⑥}、どちらかを打牌する、ということになる。
であれば、決まった。
(どれだけ考えても、それが結局はそれが当たり牌で勝負が決する可能性は十分ある。だとすれば、最善の打牌があるならそれを選ぶしか無い。選ぶしか――無いんですよ)
アン/打{⑥}
そうして――
――それが、
瀬々の手牌を、開くことは――――なかった。
故に、アンは確信する。
(――勝った)
この勝負、己の勝ちだと。
疑わなかった、疑う必要などどこにもなかったのだ。
瀬々のツモ、そこから自摸切り。牌を確かめるだけ確かめて、切った。その指先、手の甲に少しばかり顔が隠れる。それを鑑みるまでもなかった。アンは、自身の勝利のため、それを気にしている余裕などなかった。
故に、
切った。その直後の牌を、ツモ切りした。――和了り牌ではなかったから、切るしか無い、牌だった。
そして、
「――ロン」
それが瀬々の、勝利を決定づけるものとなった。
――瀬々手牌――
{一二三六六六④⑤⑥6999} {6}(和了り牌)
ドラ表示牌:{東} 裏ドラ表紙牌:{五}
・龍門渕『113000』(+8000)
↑
・臨海 『115000』(-8000)
ちょっと別なもの書いてるので更新遅いですが。
次回先鋒戦決着です!