咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『旅の行方』先鋒戦⑦

『決まったあああああああああ! 龍門渕高校渡瀬々、なんとなんとななああああああんと、臨海女子アン=ヘイリーから満貫八千点の直撃だあああ!』

 

 あまりの驚愕に、会場は完全に音を殺していた。それだけではない、インターハイ決勝を見守るあらゆる観客が、その事実に愕然としているのだ。

 ありえないこと――ではないだろう、しかしそれが今であるという事が信じられない事態であったのは静まり返った会場をみれば明らかだ。ここでアンが放銃するなど――誰も考えてはイなかったのだ。

 

 そんな会場に息を吹き返すべく、実況である福与恒子が声を張り上げ宣言する。

 

『インターハイにおいて、これまで一度として満貫以上は放銃して来なかったヘイリー選手がここで放銃! それも、なんという事もない自摸切りで――!』

 

 瞬間、ようやく状況を認識したであろう会場が、一斉にどよめきはじめた。完成ではない、彼らが感じるのは紛れもない“困惑”である。

 

 そしてそれは、臨海女子控え室でも、また。

 

「……どういうことですか! アンがあのタイミングで放銃など! ありえません!」

 

 特に声を張り上げ憤慨に近い形で官女を顕にするのが、ハンナ=ストラウドだ。普段はおとなしいその眼を、きつく細めて画面に思い切りがなりたてている。

 

「落ち着きなよハンナ。ぜんっぜんよくわかんないけど、あの局に、アンが放銃する要素があったんだ」

 

 それを咎めるのはタニアである。当然と言えた、この中で最もハンナとアンに付き合いがあるのはタニアである。

 

「……それに、これはさすがに小鍛治プロが解説するでしょ、でないと誰も納得しないよ」

 

『あのー、すこやん……じゃなかった小鍛治プロ、これは一体――』

 

 おそらくは恒子自身も困惑しているのだろう、健夜をいじるような状況でないところで素の呼び方を使ってしまう辺り、よほどだ。

 唯一冷静――というよりもこれは“いつもどおり”としか言いようがないが――なのが解説を務める小鍛治健夜だ。特になんという事のない感情のこもらない事務的な声でそれに返答する。

 

『――まず、今回のポイントは渡選手が最初に{⑤}を対子にして、手出しで手牌の{⑤}を切った場面です』

 

 手変わりや打点の向上を鑑みれば、そのまま残して辺張に手をかけてもおかしくはないようなツモだ。無論その前の{7}対子落としもあるが、これは先ほどからの瀬々が何度となく行なっていることだ。今気にする必要は全くない。

 

『これにヘイリー選手は喰らいついた。当然、前局に渡選手が奪った流れを取り戻すためです』

 

 そこは対局中の解説でも言っていたとおりだ。アンは流れを重視する選手。デジタルとしての技量はあるがそれ以上に、アナログのチカラを中心に様々な行動を起こすのである。

 

『よって通常であれば他家から見て{⑤}は三枚枯れたことになります。しかし渡選手はそれを見越した上で四枚目の{⑤}を{④}か{⑥}の対子と偽って手牌に組み入れた。少なくともヘイリー選手はそれに惑わされていたわけです』

 

『どうして惑わされたんでしょう。普通そこで{⑤}が出たら順子ができたか両面塔子ができたかのどっちかだと思いますけど』

 

『ヘイリー選手は対戦相手の理牌をよく見ています。ですからあそこですでに{④⑤⑥}の順子ができていたことは見抜いていました。そこから{⑤}がでて、捨て牌に若干対子の流れが見えればヘイリー選手は渡選手が対子を優先したと見た。そしてその後、問題の自摸切りリーチです』

 

 ここで抑えておくべき点は、瀬々がアンから直撃を狙っていたことだ。これはすでに健夜が解説していたことであり、更に直後の{④}ツモで悩んだ理由も、解説済みだ。

 

『あのツモがヘイリー選手にとっては分岐点だったわけです。あそこさえ交わせばあとは純粋のツモ勝負になる、そう考えたんでしょうね』

 

 故に、そこでの打牌に勝利したと考えたアンは続くツモこそが瀬々の狙いであることに気が付かなかった。瀬々の狙いは、リーチをかけることによる認識の誘導。本命を隠すというところにあったのだ。

 

 結果が、放銃。アンはその弱点を露呈することになった。

 

『ヘイリー選手は非常にトリッキーな玄人系のプレイを得意としますが、スタイルはあくまで正統派の豪運速攻型。そしてそれを他人に見せつけることで威圧することが武器だった。だからこそ、この勝負に乗らざるを得なかった。そしてその後、渡選手が狙っていた本当のことに気がついても、あそこで引くわけには行かなかったのです』

 

「――アンは、真っ直ぐなんだ。そうプレイすることで流れを引き寄せ他人を威圧できる。曲がっちゃあいけないんだよ、一度曲がったら、流れを逸する」

 

 補足するように、静かな声音でタニアが言った。真っ直ぐすぎるアンは、時には他人にとっての魅力となろう。しかし時には、アン自身を敗北へと導く枷ともなりうる。

 それがここまで露呈しなかったのは、ひとえにアンが“強すぎた”からだ。

 

「……でも、それを利用されるなんて、あの宮永照ですらできなかった! ……あの人だって、アンの強さは不可侵だって」

 

「――あの人も、宮永照も強い。けれども彼女たちの強さはアンのような巧さではない。ただ、渡瀬々はアンと似通ったプレイをすることもできた。器用なんだよ、あの一年生は」

 

 アン=ヘイリーと、渡瀬々。

 決勝先鋒戦で共に卓を囲む少女たちは、少しだけ似たような強さを持っていた。――精神の強さ、心の一定さ。それは実際にアンよりも強いということがわかっている宮永照や、彼女のような存在とは、一線を画するものだった。

 

「アンの言う、答えを知るチカラ……ここまでのことが、可能なンだな」

 

 呆れた様子で、シャロンが愚痴をこぼすように言う。そうとしか語りようがないことなのだ、彼女たちにとってアン=ヘイリーが直撃で沈むなど。

 

「……まだです! まだ半荘は終わっていません。それに――アンは決してこれで折れるはずもない!」

 

 声を張り上げたのは、ハンナ=ストラウド。長い黒髪を振り上げ、どこか嘆願するかのような様子で彼女はアンの勝利を信じるのだ。

 

「ま、そうだけどね。アンは強いよ、ほんと信じられないくらい。だからこそねハンナ、あいつは負ける時だってある。あいつみたいな強者がいるっていうことは、“強者は一人じゃないかもしれない”ってことでもあるんだよ」

 

 ――だれだって、無敵でなんていられない。日本の小鍛治健夜も、世界ランク一位にはならなかったし、日本は麻雀強豪国であるが、常勝の国であるわけではない。

 宮永照だって――当然、アン=ヘイリーだって。

 

「信じることしかできないよハンナ。一人の仲間として、アンをここで見守ろうじゃないか」

 

 ハンナにとってアンという存在は非常に重要なコアである。解らなくはない、ハンナにとってこの世界に於ける幸運はすべて、アンによってもたらされたものなのだから。

 それを理解しているタニアの言葉に、ハンナは少しだけ納得がいかない――というよりも、少しだけ悔しそうな様子で――それに頷く。

 

「わかりました……」

 

 落ち着いたハンナから目を離し、タニアは改めてアンの様子を見る。――現状、モニターに映るアンは背中を見せてその表情までは見抜けない。

 不思議で仕方ないのだ、タニアにはその様子が。未知への興味といったところか、こうして直接ダメージを受けるアンは初めて見るのだから、その反応に意識が向くのである。

 

(どんな気分だろうね。真っ向からの鍔迫り合いで、初めて敗北したアンの感情は。自分の上を行く存在ではなく、自分を“追い抜いていく”存在を初めて知ったアンの感情は)

 

 アンにとって、強者とは最初から自分よりも強かった存在のことだ。親世代の強者然り、同年代の宮永照や少し年の離れたあの女性然り。つまり、アンにとって自分より強力な雀士はいても、自分と同等の雀士は、今まで終ぞ現れてこなかったというわけだ。

 それが、この瞬間、渡瀬々の存在によって砕かれようとしている。

 

(龍門渕の人は、最初はアンに“比肩しうる”程度の相手だった。多分私と同等くらい。興味の沸く相手ではあっても、強敵ではなかった) 

 

 ――それが、この決勝戦で大いに化けた。アンはそれを“取り戻した”のだと休憩の際に形容していたが、それ故に瀬々は異常なまでの進化を遂げた。

 配牌すべてを聴牌に持っていく支配力。打点が乗らないため非常に安い聴牌ではあるがそれでも、速度でアンに競り負けることはなくなった、というわけだ。結果、南一局では瀬々がアンを――心理的な足止めはあったとはいえ――凌駕するという結果になった。

 

(――初めて、自分を“追い抜いていく”かも知れない敵。絶好の好敵手が成長した今の姿は、アンには一体どう映るんだろう……まぁ、悪い感じじゃないか、な)

 

 思考するタニアの視線の先。アン=ヘイリーがゆっくりと目を見開く。動き出したのだろう、彼女の中で何かが。

 

 

 その瞳は、如何にも周囲を焼け焦がすほどの熱を帯びた何かを宿しているように、見えた。

 

 

 ――南三局、親瀬々――

 ――ドラ表示牌「{3}」――

 

 

 生まれた時から、牌を握って生きてきた。

 麻雀だけを糧に、アン=ヘイリーは育ってきた。

 

 ――無論、学校の勉強も、運動も、人並み以上にはできたが何より、麻雀こそが彼女の世界だった。誰かと繋がり合う世界は、いつも麻雀によるものだった。

 

 強者がいて、アンが強者となる世界があって、それらは、まったく別の世界としていつもアンを魅了させていた。

 誰かの強さも、自分の強さも、アンにとってはあらゆるものが、魅力的な世界そのものであった。何もかもが楽しくて仕方がなかった。

 

 それは今も変わらない。――この世界を誰かに伝えるという、ひとつの方向性を得たとはいえ、今もアンは楽しくて楽しくて仕方のない、麻雀の世界で生きている。

 

 

 ――そんな世界で、初めてであったタイプの人間が、瀬々だった。

 

 

 一目見た時から雀士だと解るような、そんな生き方をする少女。それを強く表せる少女。その時交わした言葉のやり取りは、今もアンは鮮明に覚えている。強い雀士は多くいた。――強い“人間”は、今まであまり見たことがなかったからだ。

 

 その時は、雀士としてはひとつの山の頂きを知っている。そんな程度の強さだった。きっとあの時の彼女は、ハンナよりも弱かったかもしれない。

 しかしそれが、準決勝で闘ったときは違った。顕になり始めた彼女のチカラ――麻雀において、一時の強さを極限まで高める事はできても、急激に成長するということはない。しかし瀬々は、才能を“ねじ伏せて引き寄せる”というあまりにも突拍子のない方法で強さを見せ付けてきた。

 

 かつては自分の後ろにいて、今は自分を追い抜こうとしていく雀士。強さのカーストを、大きく違えることのなかったアンの世界観に、初めて現れた成長株。

 

(――あぁ)

 

 渡瀬々。その名前だけで体中が煮えたぎるような思いにかられる。そう、熱く、熱く、熱く、一層熱を帯びて仕方ない。それほどまでに、アンは瀬々のことを――

 

 

(――――すばらしいですね、本当に瀬々は)

 

 

 ――純粋な感嘆でもって、見据えていた。

 嫉妬でも、羨望でもない、あくまで真っ直ぐで曇りのない感情。それを浮かべることができるほどにアンは強く、そして気高く真っ直ぐある存在だった。

 

(羨ましいということを、今まで私は覚えたことがなかった。嫉妬なんて、遠い誰かの感情としか知らなかった。だから今、瀬々を見て気がついた――私はきっとこれからも羨望というものを覚えることはないのだろうと……ッ!!)

 

 なんと幸福なことだろう。なんと輝かしいことだろう。美しい世界を、ただ美しいと想うがままに生きていける。それが本当に――

 

(本当に、私は幸せものです)

 

 多くの仲間達と、尊敬すべき先達と、超えるべき強敵に――――世界でたった一人の好敵手。

 

(だからこそ、ここで貴方を越えてみせましょう。私が築き上げてきた、あらゆる世界そのもので持って、貴方を相手取って差し上げますよ――!)

 

 これから、自分を追い抜いて行ってしまう相手。超えるべき壁になろうとしている相手。宮永照や、あの人のような存在に手を伸ばそうとしている、渡瀬々という少女に対し、今この瞬間しかない、真横を駆け抜けようとしている一瞬で、自分は瀬々に勝ったのだと、そう証明するために。

 

(人生において、“たった一度しかないかもしれない機会”本当に、なんて、なんて今日は、素敵な一日なのでしょう)

 

 最高の一瞬を、最高の闘いを、自分自身の奥底に刻み込むその一瞬だけを夢に見て、アンは牌を――握るのだ。

 

(であればまずは、証明して見せましょう。アン=ヘイリーと、渡瀬々の両名が、今この瞬間、同一の位置にいるということを――!)

 

 

「――ロン! 5200です!」

 

・臨海 『120200』(+5200)

 ↑

・龍門渕『107800』(-5300)

 

(……二巡で和了!? 読みきれなかった。直撃で勢いを失くしたわけじゃないのかよ!)

 

 想定外からの直撃だった。アンが瀬々から出和了りで点をもぎ取ったのだ。前々局で直撃をアンから取った瀬々は、この局を完全な安全圏と睨んでいた。

 ここから復調するにはだいぶ時間がかかるだろう。水穂と同一のタイプだとすれば、ここでアンは和了れない、すくなくともそう見積もっていたというのに。

 

(――あの手牌、間違いなく配牌からテンパイしてやがる。前にダブリーすらかけずにこっちを狙い撃ちしてくれた人がいたけど、それと同じだ。もったいないだろう、そのダブリー!)

 

 考えて、イヤと一つ意識を取り替える。その考えは間違っていない、通常ならば。この局だけみれば、アンはダブリーツモ和了で打点を刻むべきだったのだ。――裏ドラは確実に乗る。瀬々はそれがわかっているからこそ、そういう結論も可能である。

 しかし、次の局を見れば話は変わる。――オーラスだ。それも先鋒戦が完全に終了する最期の対局。そこに、万全の状態でアンは挑みたかったのだろう。

 

 ただツモ和了しただけでは、運が良かったとすら言える。自身の気概に“瀬々を実力で打ちとった”という事実を打ち込むことで、最善の状態でオーラスを迎えようとしているのだ。

 

(となれば、アンは――私との最終決戦をお望みか)

 

 ――二局和了を重ねることで、結局は大きな打点を稼ぐ。常識的に見ればこれにはそういった意味があることだろう。しかし違う。アンはあくまで、瀬々を完全に叩き潰すためにこの選択をした。

 一騎打ちがご所望なのだ。

 

(なるほどな。……いいぞ、相手になってやる。このインターハイ最後の相手。ラスボスはアンタってわけだ。悪いけど千里山に白糸台。この先鋒戦、どうやら主役はあたしとアンの二人らしい)

 

 サイコロが回る。瀬々も、アンもそれは回さない。ゴングにたって、開始の鐘を待ちわびるかのように静かに決勝卓で佇んでいる。

 

 言葉はない。

 少なくとも今は、必要と思えるものではなかった。

 

(――決着を付けるぞ。“最強の先鋒はだれか”それを今、この一瞬でッッ!!)

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{③}」――

 

 

 初めてであった時の印象は、変な奴。

 ――会話をしてみて、面白いやつだとすぐに気がついた。

 

 もし衣に先に出会っていなければ、彼女こそが瀬々にとって麻雀を標す相手であったかもしれない。雀士、渡瀬々に興味を持ってアンは近づいてきたのだから、そうではないのかもしれない。

 

 衣とは少しにている。だが決定的には違うだろう。

 誰かを惹きつけもすれば、時には人に拒絶されうるような衣のチカラとは違い、アンはいつまでも真っ直ぐで、妬みの対象にはなれど嫌悪の対象にはならないような存在だった。

 

 だからこそ、瀬々にとってアンはオンリーワンの、他にない存在であったことは間違いない。ただ一人の存在として――それは、好敵手、ないしは宿敵とでも呼ぶのが正しいのだろうと、瀬々は思えた。

 

 ――準決勝、決勝と、何度か彼女と軽口混じりに挑発しあって、それは一種の情報戦ではあったものの、ある意味楽しさを感じるような、気楽なものであった。

 

 ――瀬々手牌(理牌済み)――

 {六八①②③⑧⑧45678lil()} {(ili)}

 

 瀬々/打{9}

 

 打牌は即座に手元から放たれる。リーチはかけない。この手を2600程度で終わらせるつもりはないのだ。そしてこの手牌――ツモで和了することは不可能。

 瀬々のツモ筋に、{七}は一枚もないのである。同和了するにしたって、まずは手を高め――そしてツモで和了できるようにする必要もあった。

 

 これが、最後に選んだアンと瀬々の勝負の舞台。――互いを気にするつもりはハナから無い。これは純粋な速度勝負である。どちらが和了るか、ただそれだけを競う勝負だ。多少の妨害はあれ、もはや決着を付けうるのは両者の技術と流れにしか無い。

 

 人差し指と中指で、狐のようにもみえる牌の掴み方をして、少し確かめ、手出しで打牌。

 

 アン/打{⑥}

 

 素早く右手を動かして、美砂樹の打牌を終えた直後。牌をつかんで盲牌もせずに打牌を選択する。左手で合わせて牌を倒して、そこから右手に切り替えて、打牌を終えた。

 

 瀬々/ツモ{④}・打{8}

 

 更にアンが打牌して、これで三巡。手は続々と完成に向かいつつある。美砂樹とセーラはどうだろう。四苦八苦しながらの打牌――追いついてくるようには、思えない。

 

 美砂樹/打{發}

 

「――ポン」 {發發横發}

 

 アンが動いて、牌が流れた。打牌で更に手が進み、そこからさらに状況は加速する。美砂樹が放ったのは――手出しの{七}。条件反射で、瀬々が動いた。

 

 

 ――動こうとした。

 

 

 最初はチーを宣言しようとしたのだ。狙いすましてナイフを投げて、牌を釘付けにしようとしたのだ。しかし、できなかった。河へ放り込まれようとする寸前、牌を掴む者がいた。

 

 ――アン、である。

 

()()」 {七七横七}

 

「――ッ」

 

 そこに、居た。立ちはだかるようにして、アンが右手で牌を掴んでいた。真正面、向かい合うようにしてアンと瀬々が再び相対する。

 片や腰をかがめナイフを振りかぶるような体勢で。片や風格を詰め込んだ仁王立ちで。

 

 奇しくもそれは、見上げる瀬々と、見下ろすアンという、構図を作った。

 

(……二度も、鳴いたな。知っている。私はアンタのツモを知っている)

 

 それでも、瀬々は勝負のために必要な手を理解していた。続いてアンが――自摸る牌ですら。

 

(掴む牌は、必要ない牌だろう? 少なくともそのはずだ。でなけりゃあそこで{⑥}は選ばない。そうだろう? そしてそれは今この一瞬において、切る選択肢のない牌だろう――? 浮いて不必要なシロモノなんだからな!)

 

 アンは、ツモを見てから少し渋い顔をする。二副露で、聴牌かもしくは一向聴。どちらにせよ待ちは、おそらくノベタンか特殊な多面張であると瀬々は睨んでいる。

 そしてそのどちらも、“単騎”で牌を抱える必要がある待ちなのだ。

 

 故に、切るかどうかはすぐに分かる。必要だから、解ってしまう。

 

 アン/打{⑧}

 

 ――単騎で待とうとも、絶対に掴むことのできない牌。流れによって風をされているのではない、物理的に瀬々が三昧を所有しているから、和了することが不可能なのだ。

 

 よって、

 

 

「――――カン!」 {⑧横⑧⑧⑧}

 

 

 即座に、瀬々が大明槓でそれを食らった。その牌は本来であれば瀬々自身が掴んでいたのだから。瀬々にそれが分からないはずもない。

 

 ゆっくりと伸ばされる右手、左右に座るセーラと美砂樹が、その手の指先を追った。牌を掴んだ右手をピンと張り、つきだしたそれは――アンを切り裂いたかのように、誰にも、映った。

 

 

 ――瀬々手牌――

 {六八①②③④4567(横七)} {⑧横⑧⑧⑧}

 

 

 決勝卓に、そのツモを起点とした爆発が巻き起こる。――音という音が消えた。衝撃という衝撃は、もはや人の意識を貫いて、認識すらも許してくれなかった。

 掴んだ本人ですら目を細め、光をやり過ごすようにして、しかし、アン=ヘイリーただ一人は、その様子を一切目をつむらずに見守っていた。

 

 瀬々/打{①}

 

 衝撃を伴うほどの急速的な流れ。掴んだという、感触はあった。

 

(――アン)

 

 そして、アンもまた山へと牌を掴みに行く。聴牌か、はたまた和了か不要のツモか。――それをアンは、盲牌で確かめることはしなかった。

 

 ゆっくり引き寄せ――そして手出しした。これで聴牌。アンは瀬々に追いついたことになる。

 

 しかし、いけない。先手を許してはダメだ。わかっている。けれどももう、止められない。アン=ヘイリーに、瀬々を止める手段はない。

 

(返してもらうぞ、あたしの勝利――!)

 

 もう、振り上げられた瀬々の右手を、引き止められるものは、誰もいない。

 

 

「――ッ」

 

 

 沈黙。確かめるような盲牌と、それから、視認。わかっているはずなのだ。このツモの詳細も、瀬々には理解できているはずなのだ。

 ――それでも、明けられるその一瞬まで、意識が宙を浮いているようだった。

 

 ――理解する。そんな単純な話ではなかった。

 

 そうして、目にして、それからやっと――――

 

 

「――――ツモ」

 

 

 手牌を開いて、勝利を宣言した。

 

 新ドラ表示牌は{⑦}タンヤオに、ドラに、四つ新しい槓ドラが乗った。

 

 手牌を伏せる美砂樹とセーラ。悔しそうなセーラに、少しだけ満足気な美砂樹の両名。勝利を約束しなければならなかったものと、勝利よりも必要なことのあったもの、それが二人の表情を分けた。

 

 そして、アン=ヘイリーは顔を伏せたまま、笑っていた。

 

「3000、6000……!」

 

 静かな瀬々の宣言だけが。先鋒戦終了を告げる、合図となった。

 

 

 ♪

 

 

 ――江口セーラ:二年――

 ――千里山女子(北大阪)――

 ――85100――

 

 ――遊馬美砂樹:三年――

 ――白糸台高校(西東京)――

 ――77900――

 

 それぞれが、自身の結果を勝利ととるか、敗北ととるかは個人の感覚による。特に江口セーラは稼いで帰る――すなわちプラス収支で勝利することを義務付けられたエースであるため、この結果は敗北となる。そして逆に遊馬美砂樹は、稼ぐということそれ自体が役割の外にあるがため、この結果でも十分勝利と言えるものだった。

 

 では、先鋒戦で闘った残りの二人はどうか。

 

 決まっている――この両名も、勝者と敗者だ。

 

「――、」

 

 勝者、渡瀬々と――

 

 ――渡瀬々:一年――

 ――龍門渕高校(長野)――

 ――119800――

 

「……、」

 

 敗者、アン=ヘイリーである。

 

 ――アン=ヘイリー:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――117200――

 

 点棒で言えば、前者の二名とくらべてどちらも十分に“稼いだ”。

 しかし、先鋒戦という一つの場で見てしまえば、勝ったのは瀬々、負けたのはアンである。それほどまでに、たったひとつの順位の差は、両者には大きく見えた。

 

「……負けましたね。まったくもって完全に、私は外国人で個人戦には出られません。アン=ヘイリーのインターハイは、貴方への敗北で、すべての幕を下ろしたわけです」

 

「――まぁ、そうだな」

 

 否定はしない。してしまえば、自分が勝ったという事実が嘘になるから。それだけは、否定するわけには行かなかったのだ。アン自身、敗北を否定されるわけには行かなかっただろう。事実なのだから。

 

「自分が最強だと、そう信じてきた時が私にはありました。――それは今でも代わりません。宮永照とアン=ヘイリーは、ほぼ同じ土俵に立つ最強同士だと、自負していますから」

 

「……まぁ、負けないだろうな。あたしもそう思ってるし」

 

「だからもう、私にとってはこのインターハイが最後の公式戦だろう、と思っていたのです。辿り着くところまでついてしまいましたし、もう公式戦に出る機会は中々なくなると思いますから」

 

 ――公式戦に出る機会は中々なくなる。その意味するところは、アンは自国でプロになるつもりはない、ということだろう。少し意外だった。彼女はこれからも自身の最強を追い求めていくだろうと思っていたが、それ以外に何かやることがあるらしい。

 単純に、“意外だ”とだけ感じて瀬々はアンの言葉を聞いていた。

 

「ですが、最後にあなたと戦えて本当に良かった。負けて悔しい、本当に悔しいですよ。――また、こういう場所であなたと闘いたいと思うくらいには」

 

「……そうかい。あたしには、よくわからないな」

 

 言って、踵を返し会場を後にする。椅子に座ったままのアンに、瀬々は振り返ることをしなかった。――こうして、インターハイ決勝先鋒戦。半荘十回戦における二つが、終了した。

 

 ――波乱と、どこか寂しげな一人の少女を残して。




更新の遅れとともに長らく続いてきた先鋒戦が終了しました。
最後の最後はごくごく単純な速度勝負。意地と意地、その他もろもろをぶつけあうこととなりました。
次回からは次鋒戦。それぞれの戦いをお楽しみいただければと思います。

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