咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『ひとりぼっちの少女たち』中堅戦①

 体をずいっと大げさに伸ばし、白糸台の彦根志保が立ち上がる。

 

「まー、別に飛んだりとかはしないと思うけど、ほどほどに頑張ってきます。応援よろしくねっ!」

 

 次鋒戦までが終わり、昼食のための休憩も済んだ。ここからは、中堅戦からはノンストップで大将戦まで、全ての戦いを駆け抜けることとなる。

 折り返し前の半荘四回、大きく前に出たのは――アン=ヘイリーの敗北という異常こそあったものの――先鋒、次鋒でコンスタントに稼いだ臨海女子だ。

 二位の龍門渕は次鋒の失点こそあるものの、十分臨海に追いつける位置。この程度なら、いつもの状況と左程変わらないだろう。

 

 苦戦を強いられているのは千里山だ。エースが不発、次鋒は収支トップだが南三局の振り込みで三位転落、そのまま跳満を和了られ大きく差をつける結果となった。

 

 中堅戦は決勝の折り返しということもあり、大きな動きがあると予想される。

 特に白糸台以外の三校は、例年であればエースを張れるクラスの選手が中堅を務めるため、混戦が予想された。

 

 その中でたった一人、全国クラスのエースに遅れを取るのが白糸台。もとより想定の上で彼女は中堅にいるのだがそれでも、危険なポジションであることに変わりはない。

 故に、気張らなくてはならないのだ。菫や照も、彼女に心配そうな視線をやっていた。

 

「まー、安心しててもいいよう。トビやしないから、トビや」

 

「……まぁ、そうだとはおもうけどね」

 

 美砂樹が、少しだけ目を伏せながら言う。負担を欠けているのは自分だ、すこしばかりの負い目があった。

 

「ほいじゃあ行ってくるでや、重ねて言うけど、応援よっろしくぅ!」

 

 パタパタとかけ出して、白糸台の中堅として、志保が決勝戦の舞台へ向かう。待ち構えるのは最強の一角。全国クラスどころか、世界クラスすら混じった猛者たちだ。

 

 

 ♪

 

 

 席順。

 東家:依田

 南家:蔵垣

 西家:ストラウド

 北家:彦根

 

 順位

 一位臨海 :122900

 二位龍門渕:111300

 三位千里山:94400

 四位白糸台:71400

 

 

 ――東一局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{白}」――

 

 

(大舞台……コクマでも、インターハイでも縁のなかった場所だ)

 

 依田水穂、彼女がこうして、日本中に知れる大会の、決勝にまで駒を進めるのはこれが初めてだ。元より、もっと優勝を狙える高校に進むか、あの三傑が同じ時代に活躍してなければ、こうした舞台で闘う機会も在ったかもしれない。

 だが、そうではなかった。だから、緊張し、少しだけ臆して牌を握っている。

 

(それに、今まで一人で闘ってきた分、仲間の存在が少し、重いかな)

 

 コクマは個人競技だ。県代表として共に優勝を長野の地に持って帰ることを目標とする存在はいたが、それでもそんな彼女たちとライバルとして同卓することは在ったわけで、無条件で同じ目標を目指す仲間は、そしてその仲間とこんな舞台で闘うのは、これがきっと初めてだ。

 

(おっかしいなぁ、今までインターハイなんてどうでもいいツモリだったのに、こうして見るとなんだか緊張してきたよ)

 

 一人ぼっちなだった自分の闘いに、仲間ができたというそれで、多くの何かが水穂を変えた。小さなことが、寄り集まって水穂を変えた。

 

(ありがとね、瀬々他私の大事な仲間たち!)

 

 その上で、

 気にするべきは今の状況。

 

 蔵垣るう子のリーチであった。

 

(スプリングのエース。インハイじゃ初対決だけど、この人の場合……)

 

 ――るう子捨て牌――

 {發西東6六⑥}

 {横二}

 

(何があたっても、おかしくない!)

 

 ――水穂手牌――

 {一四四③⑤⑤⑦45(横6)} {横五四六}

 

(参ったな、鳴くんじゃなかった。一発は二切ってさけだけど、これすっごい難しぃぞ。この人の場合、先に{六}を切って{二}とかで、{三四五}の待ちは十分ありうる。というか、捨て牌の周りを切りたくないのに、どうしてその周りしか私の手牌に牌がないんだよ!)

 

 切るとしたら、{④}? いや、筋は切れない。切りたくもない。

 るう子の恐ろしいところは“純カラ”は安牌だが、現物以外のあらゆる通りそうな牌は、しかし決して安牌ではない、という点だ。

 

(となればもう、後は野となるか山となるかしかない。地獄単騎。これで振り込んだらふて寝してやる!)

 

 水穂/打{四}

 

 が、しかし。

 

 

「――ロン」

 

 

「んぎゃ!」

 

 ――るう子手牌――

 {四七八九⑦⑧⑨234789}

 

「5200です。お支払いくださいね?」

 

「……はい」

 

 放銃。

 幸先の悪いスタートは、龍門渕の三位転落に伴って、水穂の精神をガンガン傷めつけてくるのだった。

 

 

 ――東ニ局、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

 蔵垣るう子。彼女の特徴は、彼女自身が千里山で二年時からレギュラーを務めていた事もあって、誰もがよく知っている。

 

 端的に行ってしまえば、彼女は牌を重ねない。

 対子にならない、暗刻を作れない。

 

 常に孤独で、あらゆるものよりも孤高であり続ける。彼女自身にそんな気性が在ったわけではない。多少浮世離れし、しかもなんでもできる才女ぶりから、嫉妬の対象になることは在ったものの、千里山の上位層は、人のよい性格であったため、彼女を迫害することはなかった。

 

 言うなれば、彼女はそれなりの人生をそれなりに送った、しかしそれなりではない人間だ。彼女のチカラは、龍門渕の渡瀬々の様に強烈ではないし、彼女自身は白糸台の宮永照の様に最強ではない。

 

 あくまで、一強豪校のエースクラス。日本に、数人はいる逸材の一つ。

 

「……ツモ!」

 

 だからこそ、だろうか。彼女のこの決勝戦に向ける思いは大きく複雑で、高潔で幻想的に、牌を握る姿が映えるのだ。

 

 

 ――東ニ局一本場、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

 遊馬美砂樹のように、人をまとめるチカラや雰囲気は、彦根志保にはなかった。

 

 鴨下宮猫のように、誰にでも好かれる、誰かと誰かをつなげるチカラは、彦根志保にはなかった。

 

 弘世菫や宮永照のように麻雀に強いわけでもない。

 宮永照の鏡を持ってしても、オカルト的なチカラがあるわけではなかった。それでも、このチームはなにか意味があるのだろう。

 

 今年のチーム決めが発表された時、もっとも驚かれたのはきっと自分だ。分不相応に思われただろう、何せ自分はチームに選ばれた他の三年生二人のように好かれてはいない。

 二年生コンビのように、強さを持っているわけでもない。

 

(いつもだれかと仲良くなろうとして、空回りして孤立した。仲良くしてくれたのは、それこそ美砂樹と宮猫くらいだったな……そういう意味では、今年のチーム分けは救われてたけど)

 

 それでもやはり、白糸台の中でただ一人の凡人である自分は、きっとこのチームの中でも一人ぼっちなのだろう。

 

 だからといってこの勝負から、逃げるわけには絶対行かない。

 格好わるいし、誰にも示しがつかないではないか。普段から鬱陶しいと思われることは合っても、好かれはせずとも、一人ぼっちでいようとも、嫌われているわけではない。排斥されるほどのことはしていない。

 

 これまでがそうであったように、これからも、否やこれからは少しだけ、誰かに認められる自分であるように。

 

「チー」 {横312}

 

 辺張を鳴いて、これで聴牌。警戒されるだろうが、すでに手牌は爆弾に変わっているのだ。

 

(高めドラ3……きっと、強いひとはこれの高めを引いてこれる。そんな気運をここに持ってこれるんだろうな)

 

 役牌ドラドラ、シャンポン待ちであるから、高めで和了すれば、少しでも仲間の糧となるだろう。数少ない和了チャンス。逃せるほど、志保の麻雀は甘くない。

 

 しかしそれでも――

 

「ツモ! ……1000、2000の一本!」

 

 きっちり高めを引いてこれるほど、彼女は麻雀の流れを引き寄せてはいないのだ。

 それでもこれで、一つ局を前にすすめることができた。中堅戦さえしのげば、後は菫と照の二人が控えている。そこまでつなげれば、それで志保たちの役目は完了だ。

 

(……たとえ誰より弱くても、私の勝利はチームの勝利! 少しでも前に、前に進むんだ。私たちのチームが結成された、その目的を果たすためにも!)

 

 

 ♪

 

 

 龍門渕控室。つめたく冷えたペットボトルの中身を、勢い良く飲み、途中で嘆息気味の大きな吐息を漏らす。

 

「っはぁ、うまいな」

 

「ちょっと……少し静かにしてよ」

 

 そこに一の文句が飛んでくるものの、特に気にする理由もない、瀬々は深々とソファに埋もれると、半目気味にモニターを眺めた。

 

「そうだぞ? あまりこちらの集中を削ぐのはいけないな」

 

 と、更に衣が加わってくる。さすがに対局がこれからな相手にそう言われてしまえば瀬々も諦めざるをえない。

 一言謝って、それからふむ、と話題を変える。

 

「にしても、白糸台も中々思い切ったメンバー選びだよな」

 

「前にも聞いたが、何なんだ? 正気とは思えん選択だな」

 

 衣がなんとはなしに反応する。常軌を逸した、とはまさにこの事。続けざまに、その事実を改めて口にする。

 

「――宮永照以外の全てのオーダーを捨て駒にする、か」

 

 正確に言えば、全員で点棒を照にまわして、照が一人でトップになるまで稼いで勝つ。おそらくは、臨海だって――そしてこの龍門渕でだって取られない戦法。

 同じ大将に魔物を置くオーダーでも、ここまで極まったオーダーは白糸台しかいない。永水は少し近いが、スコアラーが複数人存在するオーダーのため、極端ではない。

 

「白糸台に、決勝レベルの実力を持つのは宮永の他には弘世だけだ。その弘世菫がまた厄介なんだが……」

 

 決勝レベル、ではないといっても、ここまで白糸台は最低限の失点でつないでいる。一つの半荘だけでもみればプラス収支で終わっている時もある。

 中でも際立つのは、この中堅――彦根志保。

 

「これまで、県予選からこの決勝に至るための準決勝、その全てにおいて失点しているのは、こいつしかいない。他の全員はどこかしらでプラス収支になったときはあるのに、彦根だけはプラスにならない、徹底的に、だ」

 

 瀬々が手に持っているペットボトルを揺らす。中身は市販のお茶だ。茶色の中身が、泡を伴って揺れて、そして納まる。

 手持ち無沙汰にそんなことをしながら、いつもどおりの少し低いボイスで続ける。

 

「けれども、こいつが一度の半荘で絶対に“一万点以上失点することはない”。必ず無難な失点でまとめる。まさしく団体戦向けのオカルトってところか」

 

 さすがに、ずっと負け続けるわけではないだろう。おそらくこれは“この状況における最適解”なのだ。瀬々の答えを導き出すチカラではないが、数少ないリソースで、如何に最悪にならないようまとめるか、それが彦根志保の雀風。

 

 ――状況は、彦根志保以外の三人が聴牌したところ。傍目から見ても四面楚歌であるのはそうだが、すでに特急券を副露し、手牌を短くしてしまっている彼女は、きっと生きた心地がしないだろう。対局者は全員ダマテンだが。

 

「水穂先輩はまた事情が違うけどさ……この中堅戦にいる人達って、なんか似てるよな。全員が一人ぼっちで、何かを背負って生きているんだ」

 

 

 ――結局この局は、絶体絶命に陥った志保が、聴牌の中で最も安い水穂への放銃で局を流した。たかだか一翻ならば、放銃してもそれは最低限の差し込みと言えるだろう。

 

 蔵垣るう子は孤高を抱えて。

 彦根志保は無自覚の最適を抱えて。

 

 一人でこの対局に臨んでいる。水穂は今までの一人だった麻雀の世界に、多くの背中を感じていることだろう。

 

 そして、であるならば最後の一人、臨海女子のハンナ=ストラウドは――?

 

 

 その頃、臨海女子控室。

 こちらも少しばかり剣呑そうな――というよりも、どこか不安なのを押し隠したようにしながら――アンが嘆息混じりにつぶやく。

 

「最適ではないにしろ、最悪を引きつけないような何か……おそらく宮永照の照魔鏡でも見抜けないでしょうね。そうならないようにチカラを“作り替えている”わけですから」

 

「なんだかよくわかりませんネ。それは麻雀に有効なのデスカ?」

 

 ダヴァンがなんとも言えない様子で問いかける。不可思議なのだ、あの彦根志保という少女が。普通の少女だが、明らかに普通ではないチカラを持っている。しかし実態のない。まるでそう、幽霊を現実に落とし込んだかのような――

 

「そうでもないんじゃないかな。それこそあの人のように、それ自体が強さの秘訣ってわけでもないみたいだし」

 

 タニアの言葉。あの人、幽霊と称されるその人物と、ただ点棒をギリギリでせき止める彦根志保とでは、おそらく格と呼ぶべきものが違う。

 チカラ自体は、同一のものなのだろうが。

 

「まぁ何にせよ。最悪を引かない、というのは、ある意味ハンナのそれに似ていますね」

 

 ハンナの闘牌をよく知っているからこそ、アンはそうやってつぶやく。

 

「ハンナねぇ、正直私らはそのハンナのチカラ、ってかチカラの根源を知らないンだが、何だろーな。やっぱり少し、重いのかね」

 

「まぁ、ノーコメントです。想い出は浸るためのもの、ひけらかすものではありません」

 

 もともと答えを求めていないかのような口ぶりのシャロンに、アンはのんびりとした声音で返事を返した。

 それから深々とソファに体をうずめ、天井をぼんやりと眺める。

 

 思い出すのは、もう十年前近く前の事になるだろうか。

 ハンナも、アンも、とても背が小さかった。遠い、遠い昔の話だ――――

 

 

 ♪

 

 

 ハンナ=ストライドには旧姓がある。ハンナが生まれてすぐの頃、ハンナには優しい両親がいた。人柄もよく、周囲の誰にも慕われる両親だった。

 

 しかし、そんな両親がある時事故でなくなった。ハンナもその時、同じ事故の現場で――車に乗って、移動していた。

 その詳細は大きく省くが、とにかくその結果、ハンナは奇跡的に生き残り、両親は彼女を守るように命を落とした。

 

 まだ、両親の顔をはっきり覚えるよりも前――今ではもう、二人の顔を思い出すことはできなくなっていた。

 そんな事もあってか、ハンナはある孤児院に引き取られた。親族に引き取るという人間はいたが誰もさして善良ではなく、唯一善良ではあるが子どもを養う余裕も知識もない親戚の知己に優良な孤児院があったため、そこに引き取られる流れとなったのだ。

 

 ハンナはその間、両親を失ったことを理解することはできなかった。

 それはある意味の幸福であったのかは知れないが、少なくとも傍目から見て明らかな悲劇の中で、ハンナは自分を見失ってしまった。

 

 孤児院の子どもたちは誰もが善良で、一人ぼっちになったハンナに救いの手を伸ばそうとはした。しかしハンナは、それを拒否してしまった。――大切な人を喪う恐怖は子どもたちもよく知っている。やがて彼女がいつか自分の方から仲間の輪に入って来れるよう、子どもたちは距離を置くことにした。

 

 しかし、ハンナはそんな子どもたちの気遣いを理解しながらも、受け入れることはできなかった。一人で孤独なまま一年が過ぎ、二年が過ぎ、それでもハンナは捻くれたままだった。

 

 恵まれた環境を得ながらも、どこかボタンを掛け違えてしまったがために、失われてしまったハンナの幸福。

 それが埋められることになるのは、ハンナが孤児院にやってから五年ほどの時間がたってからだった。

 

 

 ――ハンナが引き取られた孤児院の院長は、昔麻雀のプロとして世界に名を残したプレイヤーであり、運営資金はそこから出ていた。

 現在は孤児院出身のプロが稼いだ賞金の一部が寄付され、それによって運営は賄われているが、そのプロを育て上げた院長は健在であり、その院長を目当てに各地から名だたる雀士が時には学びに、時には交流に、孤児院を訪れていた。

 

 その中の一組に、いたのだ。後に世界最強の高校3年生を名乗る名雀士、アン=ヘイリーと、その父親が。

 やってきてそうそうのうちに、アンは麻雀で孤児院の子どもたちを圧倒。またその派手な打ち回しから周囲の人気を独占するようになった。

 アン自身、世界有数のプロが育てた同年代の雀士に満足し、楽しげに麻雀を打っていたがある時。偶然外に出てきたハンナの姿を見、彼女を意識するようになる。

 

 感じ取っていたのだ。ハンナの才能を。

 当時のハンナは麻雀のルールこそ覚えていたものの、独特のツモパターンが基本的なデジタル内と相性が悪く、自身に才能などないと思い込んでいた。

 

 そこにやってきたのがアンである。第一声は単純だ。アンがハンナに

 

『――麻雀を打って見ませんか?』

 

 そう、問いかけたのである。

 しかしハンナは人見知りが激しかったためそれを拒否、逃げるようにアンの前から消えてしまった。それからというものの、ハンナを意識するアンと、それから逃げるハンナ。ハンナを変える好機とみた孤児院の子どもたちの追走劇はハンナが自室に立てこもる形で決着。

 

 引きこもるハンナの説得に当たったアンは、ハンナの不幸を、己の奇跡で塗り替えてみせると言った。――ハンナの事情は、追走劇の間に聞いていた。

 

『明日の朝、二人で少し外に出ましょう。貴方の生きてきた道筋に、一度としてなかったであろう奇跡を、私がこの目で見せて差し上げます。あの大きな空の真ん中に、光の柱を打ち立てるのです!』

 

 声高な、しかし丁寧な言葉でアンは言う。習いたての言葉なのだろう。彼女の国とハンナの国では、使う言葉が違った。

 住んでいる世界も、きっと違った。

 

 いよいよ部屋の前に孤児院の子どもたち全員と、アンが押し寄せる状況に嫌気が差したのだろう。ハンナは不承不承アンの提案を受諾。次の日、二人は外へ――ハンナにとっては、数年ぶりの空の下へと、出かけることになった。

 

 

 ♪

 

 

「――ハンナ、いいですか? 世界には幸福と不幸があって、幸運と悪運があります。別にどれが良い、悪いではなく、日ごろの行いになんら関係もなく、それらは平等に私たちを襲うのです」

 

 無言でうつむくハンナに、アンは何度も何度も繰り返し言葉をかけた。かける言葉は陳腐なものだが、まるで新興宗教の教祖が如き言葉を手繰るアンのそれを、ハンナは無視することはできなかった。

 

 数年の間、自分の世界に閉じこもり、ハンナ自身、外を見る機会を逸していたのだろう。どことなく、“きっかけ”であるアンを拒否しながらも受け入れているようには少し思えた。

 

「さぁ、見ていてください。必ず私が、貴方に奇跡があるということを見せてあげますよ。貴方の持つ、不幸を切り裂くために」

 

 ハンナの手を引き歩いていたアンが、ハンナの手を話振り返る。少しだけ追いかけそうになった手を慌てて引っ込めて、ハンナはアンを真正面から見つめ返した。

 

「3――2――1――――」

 

 指を一つずつ折り曲げて数を数える。まさしくその瞬間を確信しているかのように。

 

 ――ハンナは、アンの言葉に惹かれてはいた。だが、このアンの試みが成功するとは思っていなかった。だからもし、ここで何も起こらなくても、アンを責めることはあるまいと、そう考えていた。

 成功する可能性など、微塵も考えず。

 

 

 しかし、

 

 

「ショー……ダウン!」

 

 

 そんなアンの言葉に引き寄せられるように空は、赤く、果てしなく広がる円柱が支配した。

 

 

 うそ、そんな言葉がハンナの口からぽつりと漏れる。

 アンは当たり前のようにニカリと笑ってハンナの横に並び立つと、浮かび上がった光の柱を眺める。

 

「どうです? ……奇跡なんてのは、起こそうと思っても起こらない、けれども、起こることを確信する位なら、私だってできます」

 

 ぽつりと、一言ハンナは行った。これは太陽柱(サンピラー)である、と。

 

「博識ですね、この辺りなら現象として起こりうるとおもったからこその博打ですよ。確信なんてありませんが」

 

 ありえない。ただでさえ奇跡的な現象が、万が一にも起こるはずのない可能性が、それを起こると確信するなど、確信した上でハンナに言葉をかけるなど――

 

「――改めて言います。ハンナ、私とともに麻雀をしましょう。あなたは気がついていないかもしれないが、あなたには特殊な才能があります。それを活かせば、世界有数のプレイヤーとなることも、可能であると思いますよ」

 

 まくし立てるようなアンの言葉。

 回避しようがない事実。浮かび上がる光の柱と、横にあるアンの顔。2つを見ている内に、ハンナはだんだんと、おかしさが心のなかから浮かび上がってきた。

 

「……ハンナ」

 

 ぽつりと漏らして、アンはそのハンナの肩を抱きしめる。

 笑った。数年間、一度も笑うことのなかった自分が、その時初めて笑顔を浮かべた。同時に浮かべることのできなくなっていた。大粒の涙を浮かべながら。

 

 

 ♪

 

 

 ――南一局、親水穂――

 ――ドラ表示牌「{三}」――

 

 

「リーチ」

 

 来たか。

 周囲の目線が、ハンナに向けてそう語った。そう、時は満ちたのだとハンナは心のなかでだけ反芻する。

 

 これまで、手牌は沈黙せざるをえないようなものだった。

 それでもこの手牌は違う。南場に入り、一気に状況がハンナへと向いてきた。負けたくないと思う気持ちが、噴出するのと同時に。

 

(さぁ――)

 

 カッ、と目を見開いて、対局者とこれから自分が掴む牌を睨みつける。狙いを定めるように、目を細める。

 鋭い目つきでもって勢い任せに振りぬいた右手。

 

 

「ツモ!」

 

 

 ――ハンナ手牌――

 {一一一八九②②234678横七}

 

 ――ドラ表示牌:{三} 裏ドラ表示牌:{九}

 

(全部、叩き潰して差し上げますよ!)

 

「――3000、6000!」

 

 

 ――南ニ局、親るう子――

 ――ドラ表示牌「{①}」――

 

 

(……ふむ、できました)

 

 ――るう子手牌――

 {一二四五六七八九①③④⑤西(横三)}

 

(待ちは{①}でも構いませんが……ここは一枚切れの字牌ですね。ダマなら出るかもしれません。それに{②}か{⑥}を自摸ってリーチをかけるまでのケイテン、ですからねこれは)

 

 るう子/打{①}

 

 るう子の特殊なツモルールであれば、ここから{②}、もしくは{⑥}を引いてくることは比較的容易だ。現在が未だ四巡目であることを加味すれば、この高速聴牌がどう作用するかは完全に未知数だが。

 

(とにかくここは――これを確実に和了っておきたいです。嫌な予感がしますからね)

 

 思考、そして直後。

 

 

「――カン」 {北横横北}

 

 

 その思考を遮るように、ハンナの宣言が響き渡った。

 

(――{北}の暗槓……ですか!?)

 

 しまったと、思うには少し遅い。直後にハンナが、更に加えて宣言をしたからだ。

 

「リーチ」

 

(攻めてきた、相変わらずぐいぐい攻めてくるタイプの人ですね。……攻撃一辺倒は、私たちの専売特許なのですけど)

 

 るう子/打{西}

 

(……間に合いますか!?)

 

 思考。しかし続くツモでるう子は現物を掴むことしかできず――続くツモ。一発こそ無かったものの、即座にハンナは――

 

「ツモ!」

 

 目当ての牌を引き寄せた。

 そして、

 

「リーチツモ、“裏8”。――4000、8000」

 

 インターハイ決勝。初めてと言える高打点。倍満ツモが、中堅戦に至ってこの卓で否応なしに炸裂した。

 

 

 ――南三局、親ハンナ――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

 ハンナは他人よりもツモが悪い。そしてそれは、最悪といえるほどのものではなく、かと言って単なる確立の部類で掃き捨てる事のできるものではない。

 端的に言って、ハンナは極端に二や八の数牌を掴むことが多い。一や九のような、極端な部類でないことがポイントだ。

 

 もしもヤオチュー牌にツモがかたよるのであれば、それはそれで曲芸染みた魔物的闘牌ができただろうが、それは叶わなかった。

 あまりにも中途半端に運が悪すぎた所為で、ハンナは極端に昇華サれることはなかったのである。

 

 ハンナは両面が自摸れない。

 故に平和はつかないし、一翻が付くことはほぼ稀だ。時折チートイツが付くが、それも人並みと同等か、少し低い程度のもの。

 彼女の本質はもう少し別のところにある。

 それが悪運だ。彼女が生きていく中で、“最悪”になりきらなかったが故の、悪運だ。

 

 両親が死んでも、自分自身が死ななかったこと。引き取られた孤児院が、善良で恵まれたところであったこと。そして――アン=ヘイリーと出会ったこと。

 

 全てをひっくるめて、アンはハンナのそれを“悪運”と呼んだ。では、麻雀における悪運とは?

 

 簡単だ、通常では及ばない場所にある幸運。裏ドラである。

 準決勝、鬼門を発揮していた薄墨初美が、小四喜を和了できなかった理由がそこに在る。ハンナは裏ドラを“最も重なっている牌”に乗せることができる。

 通常であれば雀頭、刻子があればそれが裏ドラになるのだ。

 

 これの応用で、あの時ハンナは裏ドラが“初美の掴みたかった牌”になるよう待ちをとっていた。物理的に取れないようなオカルトを、発揮させていたというわけである。

 

 これがハンナのチカラ。

 ハンナの麻雀。

 

「――ツモ!」

 

 アン=ヘイリーとの出会いによって形作られた、ハンナ=ストラウドという一人の少女。彼女が、歩いて、迷って、さまよって、そうして辿り着いた、誇りとも言える麻雀の境地。

 

 

「……3900オール!」

 

 

 不幸と悪運が、最後に行き着いた姿。

 ハンナが、ハンナである証――


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