空に月が昇る頃、インターハイ決勝の舞台に上がった四校。その大将が戦場へと赴く時が来た。
すでに、決勝の卓には、千里山と臨海の大将がそれぞれ席に付いている。
準決勝。天江衣相手に何とか食い付き、神代小蒔を何とか振り切り、この決勝に望みをつないだ臨海の大将。
――タニア=トムキン:三年――
――臨海女子(東東京)――
――122000――
片や、ここまで苦しい戦いを続ける千里山の大将。その部長であり、千里山全体を取りまとめる、文字通りの“総大将”。
――穂積緋菜:三年――
――千里山女子(北大阪)――
――76200――
その二人が見下ろす先にもう一人、少女がいる。肩までかかったセミロングに、特徴的な一房の跳ね。
どこか物静かな雰囲気と、気だるさを思わせる瞳。しかし、そこから除くのはあまりにも直線的な“敵意”の瞳だ。戦場で人を射殺すほどの、眼光が漏れだして、広がっている。
名を、宮永照。
前年度インハイチャンプにして、白糸台優勝の立役者。つまり、“日本最強の高校生”。どころか、かつて世界最強の高校生を名乗っていた、アン=ヘイリーを打ち破った、化け物クラスの雀士。
ふと、足を止めて振り返る。言葉はない――必要ない。
それは、
――きっと誰よりも爆発的で、
――きっと誰よりも、直接的なものだった。
「――諸人も、いまこの時を待ちわびていたことだろう」
宮永照がいて、タニアも、緋菜もそこにいる。であるとすれば、今ここにいないのは、ただ一人しかありえない。
天江、衣だ。
「衣もそうだ。そして同時に、郷愁の念にもかられるよ。思えば――遠くまで来たものだ」
ゆっくりと、宮永照に近づいていく。両者の背丈は、頭一つ分では足りないほどに違う。見上げるものと、見下ろすもの。
しかし、立っている場所は同一だ。ただ、そこに持ち込む背景が違うだけ。
最強と、誰にも知られる一人の雀士と。
今その最強に、牙を立てると目される雀士。
どちらも、徹底的に強く。可憐で、情熱的だ。
「否やは無い。今ここで決着をつけよう。――宮永照」
「……こちらこそ、全力であなたを倒す。――天江衣」
どちらも、手を差し出すことはなかった。
ただ言葉だけを交わして卓上に向かう。本来交わすべきそれは、しかし卓上で、形を伴わず為されるものだ。
もはや言葉は必要ない。
照も、衣も、ただ無言で席ぎめを行い、そうして席に着く。
――決勝戦。スタートだ。
♪
席順。
東家:天江
南家:トムキン
西家:穂積
北家:宮永
順位。
一位臨海 :122000
二位龍門渕:100900
三位白糸台:100900
四位千里山:76200
――東一局、親衣――
――ドラ表示牌「{4}」――
始まった。
最後の戦いだ。泣いても笑っても、誰がどう見ても否定のない、正真正銘最終決戦。無論、この後には個人戦が控えているが、留学生である自分には関係ない。
連鎖は十分、二万点オーバーの余裕がある。ただし、二位は原点まで点棒を戻しているし、三位も同様だ。そしてその二位と三位はバケモノ。一人ですらこの点差で逃げ切ることは難しいというのに、二人で襲いかかってきたのでは、無茶も無茶としか言えないほどだ。
それでも、
――タニアの顔は、曇らない。
(だってそりゃあそうでしょう。関係ないモノ! そんなこと、勝敗を決めるには少し遠いからね!)
だから手を作る。三巡でスタートを切り、即座に仕上げる。
(そもそもアンが大将で私が先鋒でしょう! とか。まずサトハが入ってない時点でオーダーが間違ってるとか、そういう臨海特有の事情も全部関係ない! 勝てる気がしないっていう私の心情も、関係なぁいッ!)
――タニア手牌――
{
(これはタンピンしかありえないね! ドラ1に、スマートなツモ。跳満か、最低でも満貫くらいには仕上げたい)
速度は、気にする必要はないだろう。天江衣が即座に仕掛けてきていない。この局は宮永照が仕掛けないのだ。その上で、待ちの体勢を取っているということだろう。
何せ、相手はあの“凡人”緋菜とタニアである。加えて、きちんとした下地の元に麻雀を打つデジタル活用派。絡め手で、掬い取るのが衣の流儀だ。
――つまり。
「ポン」 {横444}
衣/打{5}
このように、ツモ番をずらし、手を“誘う”。
直後。タニアのツモに、違和感。この感触は――聴牌だ。盲牌による情報と、それを察知する感覚が、無意識の内に現状を認識に導くのである。
――タニア手牌――
{
(――、)
一瞬、思考するかのように手を止めた。その瞳は衣を向き、何かを考えるようにしている――ように見える。
端から見れば、そうとしか見えない。そうとしか言えない。
だが、違う。
タニアの真髄はそこに在る。彼女は雀士としてはかなり高みにその存在を置いている。少なくとも、今年の二年生エース達や、有象無象の名門レギュラーなど歯牙にもかけない。
強さがあるのだ。ただ単純に、そうであると一言述べるだけのチカラが。
「リーチ」
言葉に、チカラは込めなかった。彼女の中には余りあるほどの情熱と、身体を芯から火照らせるほどの熱情が溢れているにも関わらず、それは表に現さない。必要がないからだ。
一度前進する事を決めた彼女に、その劣情は、必要ない。
タニア/打{5}
三色を捨てた。これは単純に、あまりにも都合の良すぎるツモを、回避したというだけのこと。当然といえば当然か。相手は天江衣なのだから。
そう、稀代の幻影。泡沫の如き月影の雀士、それが衣だ。変幻自在の絡め手は彼女の十八番と言って良い。
それを回避するための、現物でのリーチ。たとえ嵌張であっても、正道を避ける。それが邪道へのまず第一の対処法だ。
しかし、それであればこのリーチは下策だ。
ここでリーチをかける意味は無い。リーチこそ王道中の王道。麻雀は、リーチか役牌か、そのどちらかが麻雀を体現する役と言って良い。
であれば、衣に対してそのリーチを打つのは些か思慮不足という他にない。一度かけたリーチは取り下げられず、後は身動きの取れない的とかすだけなのだから。
けれども、違う。
タニアの狙いはそこではとどまらない。彼女は最初にこの光景を幻視した。ある程度予測を立てていたのだ。衣がタニアに仕掛ける方策のうち、もっとも単純な物がコレだろう。
だからこそ、真っ向から受けて立つ形でタニアは進路を決めた。そう、リーチは既定路線である。
そしてもう一つ。
この状況に必要な既定路線がある。
「――チー」 {横567}
“凡人”が策を弄することだ。
まるで狙い定めたかのような行動の素早さであった。電光石火のごとく本人の右手から放たれたドラの副露は、水しぶきのように跳ね、やがて所定の位置に収まる。
ここで緋菜が何をしたか。――至極簡単なことだ。一発消しである。手牌が悪く、勝負には出れない。しかし相手の勝負を邪魔するための、一発消しくらいは最後っ屁で披露する。
ここまでが、タニアの既定路線。
全てが上手く嵌る訳ではない。一度戦略を決定し、しかしそれが完全な下策に終わったとしても、タニアは手を止める訳にはいかない。止まってしまったが最後、タニアの持つ雀士としての勢いが、全てかき消されてしまうのだ。
ちらりと衣を見る。苦々しげに、緋菜を見て唇を噛んでいる。それもそうだろう。まさかここまで、緋菜が“ボンクラ”であるとは思いもしなかっただろうから。
実際タニアも、ここまで上手く戦法が嵌るとは思っていなかったのだ。
緋菜は、モニター越しに対局を見るのと、実際に同卓するのとでは百八十度印象が変わる雀士だ。たとえ衣に百を知る策士が手を貸したとしても、衣自身がその策士の言葉を真に受けられないほど、緋菜の麻雀は、実際と見識とでは、その姿を変える。
無論、実際に目で見て、そして理解してしまった衣に、二度目は通用しないであろうが――問題はない。衣に通用せずともいいのだ。彼女はこれから間違いなく攻略側に回る。強大な敵となることはない。
「――ツモ! メンタンツモ裏2。2000、4000!」
何せ、ここまでが衣の戦場で。
――ここからが、宮永照の戦場であるからだ。
宣言の直後。ぞくりと身体を奔る、何かを感じた。
――東二局、親タニア――
――ドラ表示牌「{六}」――
照魔鏡。
宮永照の持ついくつかの異能“とされる”チカラの一つだ。瀬々曰く、それは他者からの視点によるものであって、実際は極限まで高めた技術を、オカルトにまで昇華させている、らしいのだが。
これもまたその一つ。特に“
そしてこの場合、それは東一局を見に回すことで、他家のチカラを見透かすものになる。
たとえば、衣の人を化かす麻雀であったり。
たとえば、タニアの直線的選択麻雀であったり。
穂積緋菜の――麻雀であったりする。
「チー」
副露、鳴いたのは宮永照だ。緋菜の第一打を、即座に鳴いて動かしている。
やばいと、“表情には出さす”考える。その様子はまさしく、凛々しく、そして鋭い大将の姿だ。
少なくとも、他者には緋菜がそう見える。彼女の姿は、強豪千里山が大将にふさわしく。強者を束ねる部長の姿に相応しい。
だからこそ、その内面を知るものは、凛とした姿に壮絶な違和感を覚える。
それほどまでに、
彼女の精神は、
(――どうなんですか!? どうなんですか!? 宮永さんにチーされて、一体私はどうなっちゃうんですかーッ!?)
――平々凡々を、行くものだった。
そう、穂積緋菜は凡人である。但しそれは、龍門渕が第二回戦で対決した、晩成高校のメンバーや、姫松の先鋒などとは少し違う。
あくまで本人が、自分自身を“凡人である”と自認しているというだけのこと。
そしてそれを否定することのない材料として、彼女には特筆すべきオカルトは存在していなかった。ただ、超強豪校の部長を務める程度の、人一倍強い責任感があるだけだ。
――余談ではあるがこの決勝戦。宮永照が照魔鏡を利用し驚いたことが二つある。一つはタニア=トムキンが、あの三巡選択スタイル以外のスタイルを持っていないということ。そして穂積緋菜が、本当に何のチカラもない凡人であるということだ。
(私がこんなところに居るのは、何だか場違いなようにも思えるなぁ)
緋菜には千里山でレギュラーを張るだけの実力がある。それでもそれは、――少なくとも千里山で頭角を現す時期までは――せいぜいが副将か次鋒。それもスコアラーではなく状況を“やり過ごす”ような場面で登用されるのがせいぜいだと、考えているのだ。
しかし、緋菜には自分自身でも理解の及ばないほど“天運に恵まれる”特性があった。
このチーの結果。白糸台の牌が流れた龍門渕が、かなり難しい顔をする。当たり牌を引いたか、何がしかを感じ取ったのか。
(まぁ、オリだよね、多分)
緋菜がそれを為したのだ。白糸台に副露を促し、結果として龍門渕の手を止める一打を緋菜が打った。これが緋菜の“天運”。それを感じ取るのは純粋な彼女の技量であろうが。
(――私だって、自分がそれなりに恵まれていることはわかってる。でも、それを上手くつかめない自分もいる。きっと、それは掴んじゃ行けないものなんだ。もしも“掴んでしまった”らその時は――)
「――ロン」
和了したのは、やはり白糸台。
当然だ。天江衣が手を止めざるを得なかった。加えてそこまで前傾ではない。であればここで、照を止められるものはいない。
(……その時は、私という存在が、陳腐に腐って消えてしまうんだろうね)
点棒を差し出すタニアに、自分ではなくて良かったとかんがえる平凡な緋菜。しかしそれで良いと思う。緋菜の持つ天運は、緋菜が思う以上に複雑なものだ。
異常な、ものだ。
――東三局、親緋菜――
――ドラ表示牌「{③}」――
「……ポン!」 {一横一一}
東三局、親番。
緋菜が動く。
――緋菜手牌――
{二四七②③11289中} {一横一一}
緋菜/打{中}
現状。ここから聴牌を狙いに行くには相応の無茶が必要になるだろう。三色か、チャンタか。そのどちらを狙うことも考慮した上で、鳴いた。
二巡目での副露としては、些か無茶が過ぎる。しかし、誰もコレを咎める者はいないだろう。何せ相手は宮永照。超絶聴牌速度を誇るバケモノである。
解説の小鍛治健夜が、否定をしなかったという時点でそれは“正解”と言える。
唯一顔をしかめるのはツモを飛ばされたタニア。だがしかし、即座に意識を切り替えたのか、敵意満面に緋菜を睨んだ。
(ひええ、怖いってば!)
顔に出さず考えて、照の打牌を見据える。
切り出したのは手出し。緋菜から見て右端から、打牌{九}。二つに切り裂かれた手牌の短い方は、ちょうど三枚だ。
(……まぁ、関係ないか。天江さんがいる時点で、この三枚の牌はアンノウンだ)
理牌読みを息を吸うが如く行う天江衣が居る以上、手牌に細工がないとは思えない。かくいう天江衣は、それを見てすらいないのだが。
(全員、何を考えてるかわっかんないな。こっち睨んでくるトムキンさんが一番怖いけど、無言の天江さんと宮永さんも怖い)
直後、照が副露した。衣の打牌にともなって、手が即座に動いて副露が端に運ばれる。叩きつけるようなことはしなかった。律儀、といって良いものだろうか。
緋菜/ツモ{三}
(あっは、三色確定! もうチャンタ色はいらないよう!)
緋菜/打{七}
「ロン」
(……ありゃ?)
宣言は、照だ。
――照手牌――
{三三六八④⑤⑥567横七} {22横2}
(なるほどね、{六九八}の並び順か。まぁ、そんなものかな?)
思考しながらも、後悔はない。届かなかったかという悔しさは、すでに捨てて、次を考えるのだ。考えざるをえないのだ。
別に緋菜の切り替えが早いというわけでもなく。そうしなければならなかった。
何せ、
次は、宮永照の親番だ。
――東四局、親照――
――ドラ表示牌「{9}」――
風が、卓上を薙いだ。文字通り、対局者達を“薙ぎ払う”のだ。
タニアが――
(あぁ……思い出すなぁ)
唇をぷるぷると――興奮だ、風に圧されたわけではない――震わせて。
緋菜が――
(もう、ほんっとうに怖いんだから)
心底が、極端に熱が奪われていくのを感じながら。
――宮永照を、見た。
決して長すぎない前髪が、しかし前屈したことで顔を覆い、瞳を覆う。その瞳が望めないのだ。覗き込めない。見据えられない。
しかし、それはある種の幸運と言える。
宮永照は、当然のごとく人を“殺しきる”瞳を向けているのだから。
チカラ。
風圧。
そして――打牌。全てが誰にも向けられて、全てが破壊に傾いていた。
「――――、」
言葉が、響き渡る。
しかし、タニアにも緋菜にも、感じ取る事はできなかった。意識はそこにあったとしても、自分自身が“殺されている”ことには、ついぞ気付くことはなかったのだ。
理解する。
天江衣が点棒を宮永照に差し出したところで、ようやく。和了されたのだと。慌てて卓を見る。
――二巡。牌は二つしか河になかった。
認識するよりも早く、照は聴牌し、和了した。
点棒を受け取る照の右手から、猛烈な爆音が聞こえる。風が回転を始める音。タニアも緋菜も、自身が“口をぽかんと開けて呆けている”ことに、気が付かなかった。
衣にしたがって点棒を渡し、中央に開いた空白に牌を押し込めて、それから。
照が積み棒を置いたところで――回帰した。
ようやく世界を、取り戻した。
「――一本場」
――東四局一本場、親照――
――ドラ表示牌「{發}」――
風はすでに掃けていた。照の威圧も止んでいた。だが、同時に否応なしに解ってしまった。まだ風はある。後方で、無限が如く回転を続けている。
そう、ここは台風の目だ。
何もかもが消え失せて、ただ竜巻の黒雲だけが存在を明らかにする場所。
「チー!」 {横八六七}
タニアが鳴いた。
「ポン!」 {東横東東}
緋菜も――そして、
「カン」 {白裏裏白}
宮永、照も。
止められない。止まりようがない。
当然だ。緋菜も、タニアも、今在る世界から牌を引き寄せた。足りないものを補うように、牌を掴んだ。
しかし、違う。
照は違う。宮永照は、“すでにあるもの”が余剰したために、牌を引き寄せたのだ。それはまさしく、虚空から生み出すかの如く。
タニアにも、緋菜にも、オカルト染みた才能はない。だからこそ、無茶を通していくしか無い。
――新ドラ表示牌「{①}」
だが、宮永照は違う。余りあるほどのオカルト麻雀。それは、決してオカルトの強力さに拠るものではない。あくまで、オカルトを飼い慣らすがごとく“使いこなす”がゆえの麻雀だ。
奮闘むなしく、という表現が正しいだろう。
天江衣は副露しなかった。故に、宮永照の親番は否応なしに訪れる。避けきれないのだ。だからこそ、宮永照が左手を振り上げた時、すでに状況は決していた。
振り下ろされる右手は卓の端をつかむ。勢い良く構えた右手が、爆風、爆圧を伴った。
ただ、全てを破壊し尽くすために。
「――ツモ」
――照手牌――
{四五六②③④⑧⑧56横7} {白裏裏白}
「4000オール」
和了で、その局は終わった。
しかしそこに伴うのは――追撃。
「二本場」
――宮永照の悪夢は、終わらない。
今日から再開します。前七回。大将戦終了までお付き合い下さい。