ひとりでぐっと背を伸ばした一人の少女の手に、降り注いだものがある。あわててそれをキャッチすると、投げ入れられた方向を、恨めしげに少女は見つめた。
「――照」
宮永照はそれが、普段から愛飲している飲み物であることを認めると、即座に声を賭けたものの意図を理解し、プルタブを捻った。
それから一度両手でそれを持ち、勢い任せに煽ると、3分の1ほどを飲み干して、それから改めて礼をいう。
「ありがとう……菫」
「難儀なもんだな、さすがにトップを取れずに控室には帰れないか」
何せ、照がレギュラーを任されて――つまり、公式戦に出場し、トップでなかったことなど、これが初めてのことなのだから。
「うぅん、別に。ただ、このまま帰ると皆が色々言ってきそうだなって」
「あんまり慰められるのは好みじゃないか。お前も、なかなからしい生き方をするよな」
「……らしい?」
「カッコつけしいってやつだな。照、お前は普段から孤立気味で、しかもそれを好む質だ。周りからどう見られるか解るか?」
ぼんやりと首をかしげると、菫は嘆息を混ぜてから続けた。
「――“格好良い”だよ。まったく、お前の事を憧れてる奴らに、今のお前が何を考えているのか教えてやりたいものだな」
軽く苦笑気味に見れば、今の照はどこかぼんやりとして、物憂げにし、両手で缶ジュースを握りしめて、座りこけている。
格好良い、と菫は言ったが、本当にこの少女は、絵になることが得意な少女だ。
それも天然で、気を使うこと無く生きている。
「……思うところはあるだろうが、相手は強敵だ。絶対に気を抜くんじゃないぞ? 少なくとも照、お前の全開より強い相手ではない」
「……うん。でも大丈夫」
「――ほう? 珍しいな、お前がそんな風に言うなんて」
思いの外、照という少女は真面目な性格をしている。無論、見た目は真面目な文学少女なのだが、照をよく知る菫にしてみれば、照はどこか抜けている。
しかし、そんな真面目では在るが抜けている照が、何の天然も発揮せず、実力を発揮する分野が在る、無論、麻雀だ。
そんな照が、この状況で大丈夫というのは、些かおかしい。照が相手をするのは間違いなく自分と同格の相手。まさか推測で、自身が勝てると楽観することはないだろう。照とはそういう少女だ。
「これから私は、私よりも強い相手と戦う。そういう思考で勝負に臨む」
「――それほど強いのか、天江衣は」
菫の言葉に、照は頭を振った。その意味するところは否定。一度目を閉じて髪を揺さぶるようにして、横向きに首を振った。
それから一拍おいて、
――淡く揺らめく、炎を灯して菫に答える。
「違うよ」
それは、覇気。
爆発的に強まる意思の奔流。
そう、照はそこで改めて対局者としての自分をすり寄せたのだ。そうして放たれる一言は、勝利宣言であり一種の自身を鼓舞させるものであった。
「――そう考えれば勝てる相手だ、って言いたいの」
♪
最終戦。
残る半荘はこれが最後。思い在るものは居るだろう。この大将戦においては緋菜がそれであり、タニアもそこに属すものだった。
とはいえ緋菜はそれ以上に前向きな意気が強いし、そもそもタニアは、どちらかと言えばこのインターハイを祭りというより戦場と見ている。
戦場は場所を選ばない。インターハイに、大きな意義をタニアは持ち込まない。そうして大将戦の主役は、そもそもこれが最後のインターハイではない。
天江衣も、宮永照も、身も蓋もない見方をすれば、ここで負けても失うものは何一つないのだ。
そうして大将戦は、周囲の熱気とは裏腹に、驚くほど静かに、薄暗く、闇のように――開始した。
席順。
東家:宮永
南家:穂積
西家:天江
北家:トムキン
順位。
一位龍門渕:117300
二位臨海 :115000
三位白糸台:113800
四位千里山:53900
――東一局、親照――
――ドラ表示牌「{六}」――
「チー」 {横657}
照/打{9}
照の副露。
厄介な相手だ。衣は素直にそう思う。常識の埒外に存在する者を相手取るのは、これが初めての経験だ。
埒外。そんなことを言ってしまえば神代小蒔もそうではないのか、といえば、衣はそうではないと答えるだろう。何せ神代は衣にとって常識の範囲内にある存在なのだ。
無理もない。
衣という少女は生まれてからこれまでずっと、異常に慣れ親しんで成長してきた。両親は考古学者だ。父母から教えてもらった複雑怪奇な言の葉の群れも、かつて偉人たちが残した史跡も。全てが衣にとって異常であり、平常だ。
言うなれば、異常そのものが、衣にとって住処であり、ホームグランドであった。とはいえそれは知識の上での話。そんな知識が実感に変わるのは、衣という存在の根幹が必要であった。
言うに、バケモノ。
言うに、魔物。
言うに、異常。
誰が語ったか、もはや忘れてしまうほどそれは衣に刃となって向けられた。いな、中には刃ではないものもあった。それはある意味、刃以上に厄介なものではあっただろうが。
それは、両親から向けられたものだった。透華から向けられたものだった。一から、水穂から、純から、智紀からも、そして瀬々からすらも、向けられた。
認められた上で、そうであると認識されるのだ。
(――まぁ、そんなもの今更、気にするほどのことでもないが)
少なくとも衣は変わった。自分と同様に異質な存在は幾つも知っている。これからも、自分の知らない異常は衣の前に現れるだろう。
だからそれは余談だ。
そして、その筆頭が照なのだ。宮永照は雀士である。同時に勝負師でもある。衣のように、衣“イジョウ”に、誰かを穿つ槍は鋭い。
照が動く速度は異様の一言。しかし、一つ一つの打点は低い。四翻以上を和了られる前にケアを入れれば、優位に立つことは不可能ではない。
あくまで、机上の理論だ。
だがそれも衣ならば、不可能ではない。
(ようは戦術だ。太極を動かす選択は多くは小さな選択の集合だ。特に、“流れ”というものは、一つの流れが次の流れを産み、やがて究極的には奔流となる)
――衣手牌――
{二四七八九⑧⑧2336
「――ポン!」 {9横99}
衣/打{6}
一見それは、意味のないものに思える。狙うにしても、純チャンか、
事実。
「ツモ、500オール」
照の和了を、衣はここで許した。
周囲には、衣の鳴きは異様に見えるだろう。理解の及ばない闘牌をしていることだろう。とはいえ、照に対してはどう映るか。
――攻めが失敗した、という事実だ。
(衣は和了できなかった。止められなかったのだ。――宮永照を。そう見えるだろう? ならばそれでいい。それでいいのだ、今は――な)
――東一局一本場、親照――
――ドラ表示牌「九」――
「ポン」 {東東横東}
照/打{白}
第一打から照が動いた。鳴きによる特急券。こういった速攻の低打点の場合、照の動きは異様とならない。特にオカルトを相手としない場合、彼女はあまりに平素な動きを見せる。
(――“王道”それが宮永照の征く道か。否、それはあくまで誰かが定めた視点によるもの――こやつの“道”に名は存在しない)
強いて言うなら、宮永照の道。
(道程――か。よく言ったものだな、かつてのシナの文人も)
なればこそ――この手牌。
攻めずに行かずとは、誰が言えよう。
照/打{二}
「――ポン!」 {二横二二}
反転。ツモの流れが翻る。そう、流れ。衣が流れを組み替えるのだ。手牌事態はドウとも言えないもの。そこに、どうと言える流れを作る。
(――打牌{二}。手牌のど真ん中から切られたが、理牌読みは不可能で間違いないだろう。それでも解るぞ、今の打牌で{一二三}の順子ができたはずだ。でなければテンパイか)
衣/ツモ{一}・打
(正解は後者か? いよいよ役牌二つはないようだ。然るにここは――)
続けざま、衣が副露する。
「チー」 {横八六七}
周囲の目からはこれで衣は完全に喰い断を目指すと見えるだろう。それは、
――衣捨て牌――
{9①東白}
衣の捨て牌からも見て取れる。しかしこれは、オープンされた情報のみを見て取った場合だ。さすがに宮永照は想定済みだろうが、それでもこれがタンヤオ手であると、誰もが衣を見てしまう。
だが、違うのだ。
衣の狙いはそこにない。彼女の手牌に現在、“中張牌は一枚もない”。捨て牌とそれ以外の手牌を見ても、むしろ国士無双でも狙った方が効率的だ。
それくらい、衣の手は無残なものだ。とはいえ、ある種必然とも言える理由がある。流れを変えるには今自身の持つ流れを捨てる必要がある。
衣は本来、国士無双へ向かうにも厳しい“負”の流れが押し寄せているのだ。
そう、衣自身が流れを支配した。
――衣は支配している。流れを、己がチカラの全霊を持って、悪鬼羅刹のチカラでもって。それの意味するところは――衣のチカラが全極ではなく、太極を左右するものへと変質した、ということだ。
――一本場、和了は宮永照によるものであった。
テンパイ事態は和了が可能であるが、打点制限による実質片アガリの両面。よくやるものだと衣は感心する。思いの外彼女の和了は、綱渡りで出来上がっている物が多い。
その綱渡りが命綱なしで成功確率百%を繰り返し続けるのが宮永照だ。それは照にとって弱点ではない。それはつまり、“だからこそ強い”という一種の存在感にほかならない――――
――東一局二本場、親照――
――ドラ表示牌「{⑤}」――
――天江衣。
その本質は圧倒的な支配力、それに尽きる。本来の彼女の打ち筋は対局者の手を一向聴で制約する縛りの麻雀と、数巡でのテンパイ、そして圧倒的爆発力を誇るスピード麻雀にあった。
どちらも山を統べ、我を露わにする麻雀だ。
支配。それはオカルトにおける強さの指標とも言える。この世界における、異能とされる全てのオカルトが“支配”に直結することは、もはや語るまでもないだろう。
だが、そんなオカルトとは一線を画する、旧世代式オカルト――つまるところ、アナログと呼ばれるような人の世界に属するオカルトも存在する。
それが流れ。衣はこの流れを支配しようと試みた。何せ彼女はかつてこの“流れ”によって敗北したのだ。かの大沼秋一郎を始めとする玄人系雀士の存在。そして、かつて共に卓を囲んだ仲間の中には、アナログを大いに好む雀士とて、いた。
そうして出来上がったのが現在の衣式オカルト麻雀。これはいくつかの段階を踏むことにより、生まれうる隙を、それぞれの手法で回避することが戦略の趣旨だ。
まず、相手の戦術を見切って捌く受け身の麻雀。アナログの真骨頂とも言えるそれは、理牌読み、捨て牌読み、その他あらゆる現実的情報における分析を主な手法としている。特別なチカラを持つオカルト系雀士でもない限り、手牌の気配を読み取る衣に、化かされるのがせいぜいだ。
――二回戦、オカルトに近い性質をもつ小瀬川白望以外の雀士が、手玉に取られていたのが、この形態。
そして、ある程度の支配でもってオカルトを持つ対局者に有効な手牌を引き込む攻めの麻雀。これは瀬々が無意識に行っていた“豪運的”好配牌と同様で、基本はオカルトに属する。当然対処される側の能力であるがゆえ、対処されない相手に対してのみ、効果を適用させる。
――代表的であるのは、準決勝の前半オーラスに見せたリーチ。そして猛烈な支配力を要する神代小蒔相手に、隙を突くべく作り上げた手牌群。
アナログという面から、そしてオカルトという面から、衣は状況に対して手を打つすべを身につけた。これには流れというそれそのものは影響しないが、当然だ、衣は自身の支配のほとんどを流れの消失――アナログに作用される余地を潰すために使用しているのだから。
しかし、最後の形態。流れを自身の支配で活性化させるこの麻雀だけは違う。
これまでの衣の打ち筋は戦略的で、戦術的な面は薄い。つまり、ひとつの対局に例えばこの東一局二本場のみに効果を表すわけではない。
これは永水の薄墨初美が代表的であろう。自身が北家の時にのみ効果を作用させる。言うなればそれは“戦力”の麻雀だ。
(然るに、一騎当千。衣の麻雀は本来その戦力を全極に渡って作用させ、敵をねじ伏せる麻雀。しかし、それでは隙を突かれた時に敗北は必定。よって現在衣は、死角の殲滅という手段を取る)
――その例外が、これ。
「ポン!」
一つ。
「それもポンだ!」
二つ。
「チー!」
三つ。
「カン!」
そして、四つ。
ここに来て、誰もが衣の異様に気がついたことだろう。衣が何をしようとしてるかにかかわらず、ただそれが“異常”であると、気がついたはずだ。
(照魔鏡――といったか。
――衣手牌――
{8} {横7777} {横③②④} {五横五五} {2横22}
最後の大明槓。それをここでする必要はなかっただろう。流れを引き寄せるにしても、もっとやりようはあったはずだ。
だが、衣の仕様としていることは流れの操作ではない。
――流れの“支配”なのである。
衣/打{8}
この打牌、ここがキーポイントだ。照の瞳が驚愕に揺れる。――否、照が二連続和了で惹き寄せた、風がその気流を乱そうとしている。
そう、風だ。照から吹く風、向かい風。そして照の追い風だ。
それを削ぐ。削ぎ取り削り取り奪い去る。この対局に風はいらない。天江衣と宮永照の気配だけがあればいい。そのための一打だ。
要旨はこうだ。
天江衣の打{8}には意味がある。宮永照に対する牽制、――宣戦布告だ。ここで{8}を打つということは、単騎待ちに{8}以上の意味があるということだ。
そう、この{8}は勝利を引き寄せる牌。敵を狙い打つには最適な牌だ。その上牌事態も端の端、安全策としてこれ以上、出てきやすい牌はない。
ならば目的は? 簡単だ。打ち取る以上に意味のある牌――ドラである。無論、衣がそんなストレートな待ちを取るとは誰も考えないだろう、照以外は。
そう、これは照にのみ作用する罠。情報を“持ってしまったがために”照は考えざるをえないのだ。もしもこれがただの雀士であれば、情報の信憑性からドラ待ちの可能性を否定して打牌を選択することもできるかもしれない。
だが、照はできない。
――照/ツモ{⑥}
照魔鏡は絶対の指標だ。だからこそ、その指標によってもたらされた情報を無視できない。
情報は武器だ。しかし同時に毒でもある。知恵のあるものは、情報故に惑わされ、身動きがとれなくなるという可能性は生まれうる。
この場合の照がそうだ。
(――切れないだろう、そのツモを。不要なツモだ。ここからそれを使うのであれば、面子を一つ崩さなくてはならない。だからこそ、切れない。絶対に)
衣の待ちは、まず間違いなくブラフだ。
そうしてそれは事実である。衣のツモはなんということはない、単なる{西}――日没の、西。
(どうした? どれほど悩んだところで可能性は消えない。その牌が当たり牌である“可能性はある”しかし、それは所詮可能性だ。切れば楽になる。だが、――切れない、だろう? 切れるはずもない、情報を持つ、
振り上げる。右手を。
照が動きを見せた。結論を出し打牌を選択する。しなくてはならない。長時間の思考はあまり好まれるものではないのだ。
風をまとって、無骨な機会の轟音が如き音叉を伴い回転する東風は、そして――
照/打{8}
その一打で、霧散した。
直後、照は連続で{8}を打牌する。刻子が捨て牌に完成した。無論それは語るまでもない、衣のドラ待ちを警戒しての遠回りだ。
おそらく和了は照であろう、ここから衣が和了に手を持っていくことはほぼ不可能だ。ハイテイまで巡目が回るのならともかく、照が居る卓でそれは望めない。
だが、
(――気は、止めた。これで宮永照の流れは宮永に向かない。遅かったのだよ宮永。衣を止めるつもりなら、そちらも全力で――衣を殺す気で動けば良かった。)
それができなかったのは照の敗北だ。
一切合切、なんの言い訳も通用しないほど、宮永照はこの戦局で失態を見せた。天江衣に、付け入る隙を与えたのだ。
「――ツモ」
声は、弱い。否、それ自体はいつもの彼女通り、澄ましたものだ。しかし、三連続で和了したにも関わらず、その声に風雲が伴わない。
「……1800オール」
点棒を受け取ると同時、宮永照は積み棒を積んだ。チャ――と響く音はどこか弱々しく、回転を始めたサイコロは、即座にその動きを停止した。
――東一局三本場、親照――
――ドラ表示牌「{⑤}」――
「決まったァ――! 宮永照の連続和了が三度炸裂――! もはやその独走は、誰にも止めることはできないのか――!」
実況室から発信され、会場中、どころか日本のテレビの向こう側、全国中に響き渡る福与恒子のけたたましい声。
状況は最高潮だ。決勝戦、しかも大将戦後半。残すところ半荘は後一回。その一回も、すでに局を消費しようとしている。
恒子は手のひらに、脂汗のようなぬめりを感じた。それを興奮に置き換えて、続く言葉を紡ごうとする――
しかし、それを妨げるように、解説である小鍛治健夜が口火を切った。
「……いえ、宮永選手は無茶をしました。結果として、現在の宮永選手は本調子とはいえない……いいえ」
一拍置いて、首を否定の方向へ振りながら、続けた。
「調子を“削ぎ落とされている”」
「な――ッ」
直後、恒子の顔が驚愕に歪む。続けようとした唇は動かなかった。しかし、音声だけでもその驚愕は、彼女の言葉を聞くもの全てに、伝わったことだろう。
当然のことだ。誰もが納得という様子でそれを聞くだろう。何せここまで宮永照は順調に和了を重ねている。
天江衣は確かに宮永照の手を止めた。しかし、和了まで止めることはなかったのだ。それどころか、和了を諦めたかのように{西}を抱え、沈黙している。誰もがそう考えていた。
それはあくまで、優位者は照であり、衣は苦戦を強いられていると誰もが信じて疑わなかったことを指し示している。
だが、健夜はそれを否定した。
「……“それ”って、どういう意味です?」
直後、我に返ったと言う風の恒子が小首を傾げて問いかける。おそらくは天然であろうが恒子はその言動で周囲の意識を引きつけ――効果的に、健夜の二の句を引き出した。若年ながらインターハイ決勝という大舞台を任されるに足る手腕、と言ったところか。
「天江選手が、アナログ的……シニア的と言い換えてもいいのでしょうけれど、そういった打ち方をする選手であることは、解説しても問題無いと思います」
「そうですね……つまりこれって――これ、って……」
一瞬、恒子の言葉が詰まった。無理もないことだ。
無理も、無いことだ。原因は単純、宮永照の手牌にある。
――照手牌――
{一三七②④⑥⑧189東西北} {4}(ツモ)
最悪の手牌。もはや形という概念そのものが消え失せて、手牌としての体をなしていない。通常であれば、国士無双ないしはチートイツを意識して配牌からのベタオリを選択する状況。
「アナログ的に言えば、流れによる手牌の悪条件化でしょう。そうなるよう天江選手が仕掛けた、と言えます」
「……流れを操ったと?」
「実際に流れを操っているいないにかかわらず、そう見えてもしかたがないかと」
非効率、非現実の世界を、現実に当てはめるのはなかなか労の要する作業だ。特に健夜はオカルトを肯定もしなければ否定もしない。少なくとも解説という立場においては、だが。
「――前局、宮永選手は一度和了を諦め、打点を下げて改めて和了しています。キーポイントはあのドラツモ抱えでしょうが、それがなければ彼女は、五十符二翻ではなく、三十符三翻を和了っているはずでした」
「それは……そうですね」
すでに一度語ったことを、改めてと言った様子で健夜は語る。続けて、現在の状況に一息で踏み込んだ。
――龍門渕控室――
「――――その結果がコレだ。流れを失った宮永照。ここから和了に持っていくには最低で五巡はかかる。そうなるように、衣が流れを仕向けたんだ」
健夜の言葉を受け継ぐように、龍門渕高校の控室では、渡瀬々があくまで得意気に、語る。
「衣のチカラ、その最奥にあるのは流れを“支配”することだ。そしてソレを戦力的、簡単に言えば支配なんて抽象的なものではなく、もっと実態を伴う、法則性を伴うオカルトとして使用するんだ」
法則性を伴うオカルト。瀬々で言えば、この決勝戦後半から取得した、必ず配牌がテンパイになる、あのオカルトに近いだろう。
本来の衣も、そういった法則性を持つオカルト雀士であった。しかし、法則は必ず隙がある。瀬々のそれが、必ずゴミ手にしかならないという特徴を背負っているように。
「けどさ、今まで僕達との……それこそ瀬々との対局にすら使ってこなかったチカラを、このタイミングで初お披露目する意味は、なに?」
「……結局のところさ、衣の本質は法則のオカルトなんだよ。どれだけアナログで取り繕っても、最終的には“あの”月を従える一人ぼっちの天江衣に行き着いちまう」
一の問いに、少しだけ瀬々は寂しそうな顔をしながら答える。衣にとって、一人ぼっちの“天江衣”は、あまり好まない存在だろう。しかしそれが、衣の本質であるということは、“親友”である瀬々には、些か響く。
「まぁそりゃあ、衣自体も好き好んで使いやしねぇだろうけどよ。それでも“その”衣は“今の”衣にとって、単なる選択肢の一つだろ」
純が何気なしに指摘する。
彼女は、一のように“天江衣”を実感してはいないし、瀬々ほど衣に近くはない。どこか他人ごとのようではあるが、しかし思考は冷静だ。
瀬々もそれは否定しない。あくまで理解し、そして返答する。
「それだけ“宮永照”は強いってころだろうけどさ、複雑だよな」
続ける。嘆息気味に、モニターを投げやりに眺めながら。
「ひたすらに強い相手ってのは“天江衣”にとってはいいんだろうけども、衣にとっては、どうなんだろうな」
瀬々にはそれがわからない。強者と相対する衣の心情が。――フラッシュバックする。しかしそれは衣のことではない。宿敵、アン=ヘイリーのことだ。
『ですが、最後にあなたと戦えて本当に良かった。負けて悔しい、本当に悔しいですよ。――また、こういう場所であなたと闘いたいと思うくらいには』
“インターハイ決勝で、瀬々と戦う”。
なんとなく、意味するところも、意義のありかも解る。解らないではない。
そしてその言葉と、今の衣はどこかで重なる。それがどこかはわからない。解りようがない。――きっと、この瞬間に、瀬々が見ている衣という少女は、瀬々の“主観”による衣の姿なのだ。
『ツモ!』
テレビの向こうで衣が和了の宣言をする。
――大将戦前半。終了時に瀬々は、楽しげに衣の和了を見ていた。けれども今は違う。どこに、その違いの生まれる余地があるというのか。
判らない。
――少なくとも、今は、まだ。