咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『想い色のバトン』大将戦⑥

 ――南一局二本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{六}」――

 

 

「――――ツモ!」

 

 ――衣手牌――

 {|一一二三三七八九①②③11横二}

 

「……3200、6200だ」

 

 衣の和了に、緋菜とタニアがなるほど、と理解したように頷く。ここまで、衣の捨て牌を見ればそれは理解できるだろう。

 

 ――衣捨て牌――

 {4五⑤②3}

 

 ここから読み取れることは、衣が相応に無茶をしてこの手牌を組み上げたということだ。最初から決め打ちしなければ和了まで持っていけるような形ではない。

 色を残せば照に狩られる。照は間違いなくすでに聴牌で、悠々と次のツモでそれを掴んでいただろう。

 

 衣の表情に苦渋が見える。それは画面越し――龍門渕の面々にも伝わっていた。

 

 

 ――龍門渕控室――

 

 

「衣がやりましたわ!」

 

 透華が思い切り良く飛び上がって笑みを浮かべる。無理もない、状況はひたすら混迷しているのだ。そこで、跳満和了は大きい。次に繋がる原動力になる。

 だというのに、瀬々の顔は苦しい。それこそ画面越しの衣のように難しい顔で現在の状況を見据えている。

 

「……けど、苦しいな」

 

「どうして? 今衣はトップだよ? このまま逃げ切れるんじゃあ――」

 

 瀬々の嘆息めいた一言に、一は不思議そうに問いかけた。

 

「いや、そうでもねぇぞ」

 

 肯定するのは井上純。彼女だからこそ、それに気がつけた。他はオカルトには精通していないし、純のオカルトは衣の状況を察するにあまりに有効だ。

 

「――流れが消えてるんだよな。衣が今まで掴んでた流れ、全部手放しちまった。そうなると今の宮永照相手に、ただの速攻で和了するのは厳しいぞ?」

 

 流れ、つまり今の今まで衣が支配していた麻雀の太極を、衣自身が手放してしまったのだ。しかも、それによって抑えていたはずの照はすでに解き放たれて、縦横無尽に和了をしている。――衣がこの後半戦、序盤に握ったイニシアチブの全てを失ってしまったということになる。

 

「それに今の宮永だ。普段の宮永だって、三局もあればこのほぼ満貫ツモ条件、クリアしちまうってのに、今はそれ以上だ。間違いなくあのチャンピオン、親満程度なら速攻であがるぞ」

 

 逆風が吹き荒れている。どれだけ和了ができたところで、終局でトップでなければ優勝はできない。衣にとってはそう、だが照は違う。

 

 もはや衣にアドバンテージと言えるものが無くなったがために、あとに残るのは、勝利まで自分が走り抜けることなのだ。

 

「――客観的に見て、絶体絶命、かな。正直、後は全部衣次第だ」

 

「そんな……!」

 

「あっはは、それは厳しいねえ」

 

 思わず絶句した一に、水穂が同意する。想像もしなかったことだ。衣が負けるなど――たとえ実際に負けたのだとしても、想像が及ばないというのに。

 

「……衣」

 

 ぽつりと、智樹が抑揚のない声でつぶやく。しかし、それ以上に彼女の瞳は雄弁に語っていた。負けないで欲しい――チームメイトとして、信じているのだ。龍門渕の天江衣は最強である、と。

 

「――ふ」

 

 

 ――そこに、風が流れた。夜風か、しかしそれ以上にひんやりと肌を冷やす冷風。透華の風だ。

 

 

「――――ふふ、それでこそインターハイ、それでこその大舞台ですわ! 衣があぁも悩んで、麻雀を打っている。であれば私達は信じるだけ、衣の麻雀を、信じるだけですの!」

 

「……まぁ」

 

「そうだよねぇー」

 

 続けるように純が受け取り、水穂がのんきに笑って肯定した。

 

「信じる……」

 

「智樹、なんだか張り切ってるね」

 

 いよいよ、インターハイ団体戦も大詰め、長かった夢のうつつに終止符を打つ。それは、一万もの高校生雀士達との闘いを制し、駆け抜けてきた最強の高校達の義務だ。

 

 千里山も、

 

 臨海も、

 

 白糸台も、

 

 ――龍門渕も、

 

 自身の優勝を未だ疑わないものはいない。閉幕を飾るのは自分であると、高らかに叫んで譲らない。

 

「まぁ……後は全部衣に託すだけだよな。それしかできないし何より――あたしたちは、誰だってそれをしたがってるんだから」

 

 瀬々が、総括するように視線を向けた。透華が、一が、水穂が、純が、智樹が、同時に頷き笑みを浮かべた。

 

(――さぁ衣、後は全部終わらせるだけだ。全てを賭して勝ってこい。それでも負けるっていうんならその時は……そうだな、個人戦で衣をぶっ飛ばそうか)

 

 誰もの思いを載せて、

 

 

 ――南ニ局が、始まろうとしている。

 

 

 ――南ニ局、親緋菜――

 ――ドラ表示牌「{南}」――

 

 

 三巡目。

 

 ――照手牌――

 {四五六②②④④⑤⑥4555(横③)}

 

 照/打{②}

 

 ――そこで、衣の顔が心なしかこわばる。ただ、それが周囲に伝わることはない。単純に衣に意識が向いていないということ以上に、意識させるほど、明確に表情が揺れたわけではない。

 ただ、精神は揺れた。――照の風を、感じ取ったのだ。

 

 意識の上で、照がテンパイしたことを、理解した。近いうちに和了までたどり突くことは必定――照の平均和了スピードは六巡。それを加味しても、まさかここで当たり牌を引けないとは思えない。

 

 衣の手は二向聴、ここからでは、どうあがいても聴牌どまり、照の速度に――追いつけない。

 

 緋菜/打{發}

 

 衣/打{⑨}

 

 タニア/打{一}

 

 それは――加速に映る、タニア=トムキンの一打。ここまで動きはない――天江衣は手が出せない。

 

 それでも動いた。

 

「――ポン!」 {一一横一}

 

 衣/打{二}

 

 タニア/ツモ{4}・打{七}

 

 そして――右手を振り上げる。照の手が宙に風を描く。前進するのだ、留まることを知らず己を晒す。当たり前のように、闊歩する。

 

「ツモ」

 

 

 一言は、異様なほどに遠く。

 

 

 ――照手牌――

 {四五六②③④④⑤⑥4555横3}

 

 

 一打は、異常なほどに大きく見えた。

 

 

(……?)

 

 ――タニアが、即座に理解し違和を思考に浮かべる。衣は何を考えている? その意図をタニアは図りそこねた。

 

「――2000、4000」

 

 宮永照の点数申告。しかし、おかしい。明らかに、――仕組まれている。本来であればこれは二翻、つまり5001000(ゴットー)の和了で終わっていたはずだ。

 しかし、衣はあえてそれを避けた。わざわざ敵に塩を送るような真似をしてまで、巡目をずらした。ありえないことだ。――必要のないことだ。

 

 必要のないことをする意味は無い。であるならば、それは“必要なこと”なのだ。あくまで天江衣の中では。

 

 底が知れない。タニアは少なくともそう考えた。衣の強大さを理解し、認めた上で――笑みを浮かべた。

 

 続く南三局。

 

 

 ――天江衣、最後の親番だ。

 

 

 ――南三局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{④}」――

 

 

 しかし、あくまで衣の狙いは単純だ。タニアに理解が及ばないのも無理は無い。なにせ彼女は衣のオカルト、流れの支配を正確に把握しているわけではないのだから。

 あくまで東場、一時的に照の足を止めた何かがある、という程度。

 

 衣の目的は、そう。再び流れを引き寄せることだ。しかし、それは照という衣以上の速度を誇る相手が居るこの場ではもはや不可能。奇策で、衣は流れを引き寄せる他なくなった。

 

 とはいえ、方法は実に単純だ。前局、衣の狙いは照の和了が“衣の支配下にある”という前提を作ること。打点を引き上げ手作りを難しくするという、前提条件を作ること。

 流れは、表面的な事実に味方をする。小手先の一打に翻弄され、姿を変える。流れというのは当然ながら流動的なものだ。おワンに汲まれた水を箸でかき混ぜるだけで、流れは即座に姿を変える。

 

 凪の小波から――暴風雨の大波へ。

 

 

 衣は状況を支配しようとした。己のオカルトで、持ちうる限りの戦力で。

 

 

 照の次の和了条件は跳満以上。もしもここで照が倍満を衣に“和了らされた”となれば次は三倍満が必要になる。

 そしてその場合、衣の逆転条件は三倍満ツモ。――同条件だ。

 

 同条件を衣が“作った”ともなれば、流れは大きく衣にかたよる。大きな流れさえあれば、状況が衣に偏ることはすでに南一局二本場で想定済み。

 綱渡りにはなるだろう、しかし、勝機はすぐそこにあるのだ。

 

 ――照手牌――

 {七八九九①①②⑦⑧⑨789()}

 

 照/打{②}

 

 二巡。照が聴牌

 高め純チャン三色ツモで跳満確定。――純チャンだ。衣があの二本場で和了ったものと同様。しかし、その形はずいぶんと違う。すでに一枚が使われていることが見えてしまっている嵌張と、この待ちが薄いとはいえ、手広く受けることのできる三面張では。

 

 ――大きく、状況が違う。

 

 だがそれでも、これが衣にとって絶好の機会であることは変わらない。

 

 意識を込めて牌をつかむ――手の中で、牌が滑るのを衣は感じた。汗がツモを鈍らせている。そんな幻覚がふと浮かび――すかさず否定し消し去る。

 

「……カン!」 {南裏裏南}

 

 引き寄せた牌を即座に晒して見せる。

 

 ――新ドラ表示牌「{八}」

 

(……これで)

 

 照はそれを防げなかった。もしもこの{南}が槍槓で防がれていれば衣が逆転する眼は消え失せていた。しかし、それがない。であるのならば衣にもはや恐れるものはない。

 

(……この勝負、衣の勝ちだ!)

 

 衣/打{②}

 

 手牌から安牌を選んで切り、タニアが打牌。照が牌を掴みにかかる。モーターの駆動音が如き耳に響く音を周囲にまき散らしながら、ツモる。

 

(もしもここからフリテンリーチなどしようものなら、その間に衣が和了する……どちらにせよここで、衣に流れが惹き寄せられる――!)

 

 照の風に呼び起こされるように、波が――大きな流れが衣の足元から吹き上がる。それは即座に周囲を満たす“海”となり、世界を浸し、世界を侵した。

 

(さあ和了れ宮永照! 和了って己の敗北を、自分自身の手で刻み込んでしまえ!)

 

 吹き上がる。

 爆発的に、

 

 流動的に、

 

 

 激動的に――それは、宮永照に風をも飲み込み、喰い尽くさんと襲いかかる――――!

 

 

 ――だが、

 

 

 それは、為されなかった。

 

 

 突如として、流れが、海原が無職の斬撃に切り()()()()

 

 

「――は?」

 

 思わず漏れた。

 衣の口から、間抜けにも、気が抜けたように音が漏れた。

 

 照は“続ける”。凛とした顔付きで、睨みつけるように衣へ向けて言葉をかけた。

 

「聞こえなかった?」

 

 ――一拍、置いた。

 その一拍は無間のように衣を傷めつけた。

 

 

「――――私は、自摸った瞬間に()()と発声していたはずだ」

 

 

 天江衣は、墜落を感じた。己が広げた天への翼。白の無垢に染められた両翼が宮永照の風刃に切り裂かれる。白雪のごとくその羽は飛び散り――海へと消え散る。

 

 即座に重力が、衣の体中を這いまわり、引き寄せるように、力を込めた。

 

「ツモではない!?」

 

「当たり前、ここで終わるのはミステイク」

 

 ――新ドラ表示牌「{八}」

 

 照/ツモ切り{①}

 

 

「リーチ」

 

 

 たんたんと、照は続けた。その一つ一つが刃となって衣に襲いかかる。直撃、――落下速度は見る見るうちに加速し、衣は海に意識を投じた。

 

(……馬鹿な――これじゃあ、衣は、何もない、流れの全てを消し飛ばされた――!)

 

 

「……ツモ」

 

 

 衣の瞳が、いよいよ大きく見開かれる。瞳孔が狭まるほど目一杯。際限なく、躊躇なく。

 

(……頼む)

 

「リーチ、一発ツモ」

 

(頼む――頼む、頼む、頼む!)

 

 もしもここで、裏がのれば間違いなく役満。衣に、勝ちは一切なくなる。それは衣の選択ではない。完全に衣の上を言った、宮永照の選択だ。

 

「――ドラ八」

 

(ここで、衣は負けたくない。こんなところで! こんなところでッッッ!)

 

「裏は――」

 

 緋菜が、

 

 タニアが、

 

 ――モニター越しに、瀬々が、そして龍門渕の面々が。

 

 

 ――この戦いの行く末を見守るあらゆる者達が、照の指先、裏ドラ三枚の在処に、終幕を委ねた。

 

 

 裏ドラ表示牌「{五}」

 

 かすめる――照の最後のツモは{六}、つまりこれで――十二翻。

 

 

 あとひとつで、衣の敗北が決定する。

 

 

「――――――――ッッッッ!」

 

 

 二枚目。

 

 ――裏ドラ表示牌「{①}」

 

 

 これでは、無い。

 

 すでに照は{②}を切り捨てている。役満には、至らない。

 

(……衣は、何を間違えていた? 見誤ったのか? 否、それはない。前半戦で衣は此奴に勝利している。――衣と此奴の間に差は無いのだ。あるのは、勝敗を分ける時の運)

 

 跳ね上がった飛沫が水柱と無し、宮永照が見下ろす天蓋へと手を伸ばす。即座に形をなした二の腕は、照へめがけて伸ばされて、握りつぶさんとする――!

 

 が、

 

(……馬鹿な、そんなものに衣が勝負を左右されるなど。衣は麻雀を支配しうるのだぞ? それが完全ではないとはいえ、闘いが完全でないはずはない。ならば……)

 

 照は、それを身動き一つせず振り払った。

 ただ黙然とし、仁王立ち。振るわれるのはそれを支える単なる風の群れだけだ。宮永照は不動のまま、天江衣を見下ろしている。

 

 弾き飛ばされ、広がった水滴。薙ぎ払われたのはそれだけではない。海は割断され、落下する衣はさらにその奥、深海へと実を落とす。

 

(そう、か。衣は何も間違えてはいなかった。 ――ただ、衣の正解に――()()()の正解が上回った、それだけのこと、か)

 

 自嘲するかのように笑みを浮かべる。

 

 

 ――照が、最後の裏ドラに手を伸ばす。

 衣は一度だけ眼を閉じた。意識を沈めて――それから浮上させる。見つめるのは、宮永照の、その瞳。

 

(……だが、ここだけは譲らない。ここで宮永照が役満を和了れば、次はダブル役満。おそらく地和にもう一つ、そしてそれは、どれだけずらしても自摸られるだろうな。対面の衣では自分がないて防ぐことも、不可能)

 

 この最後の裏ドラ。

 もしもこれが乗ってしまえば、それだけで全てが終わる。衣の手のだし用もなく。なればこそ、これは宮永照と天江衣の――運気の勝負。

 どちらも、間違いなく“人類”トップクラスのツモ運を有していることは間違いない。

 

 であるならば、そのトップクラス二つの内どちらが勝つか。

 支配に関して言えば、宮永照の支配は控えめだ。衣の絶対的な支配が上を行く。要所要所に照が支配でブーストを効かせるならばともかく、ここは単なるツモ運の領域である、はずだ。

 しかし、アドバンテージでは照が優勢である。なにせ今からめくるのは照のカンによるカン裏。流れは間違いなく照に向いている。

 

 ――これが最後を決める裏ドラ。状況は同一に思える。しかし、条件は天江衣の圧倒的不利、そもそも衣は、ここで引かれなかった場合、あくまでオーラスでの勝負が可能であるという条件でしかない。

 

 それでも、ここで裏を引かれないことが、衣が勝利する最低条件。

 

 厳しくはある。だが、確定的ではない。

 

 

 ――未だ、勝負は決しない。

 

 

 ――しかし、決しかねないほどの爆弾を有した最後の裏ドラ。照の手が翻る。隠されたドラが――めくられる。

 

 

 結果は――――――――


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