咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

9 / 102
『神にその手を抱かせるモノ』

 ――大沼秋一郎、日本最強クラスのプロの一人。彼に並ばんとするのなら、まずかの女流最強、小鍛治健夜が関門であるとされるほどの実力者。

 著書多数、後任の育成には熱心で、彼の思想をまんべんなく彩った、彼の本は多くある。――その中でも、麻雀の初めて、というハウツー本は今ではプレミアが付くほどなのだが――彼は同時に、シニアリーグでプレイする現役雀士でもある。

 自分自身が最前線に立ち、麻雀に生きて麻雀に死ぬ、そんな姿を見せることが、麻雀を好きになってもらうということだ――そう語る彼は、現場に立ち、指導という形で人を導くある女性雀士と、対照的に比較されることがある。

 

 そんな彼が、素人――彼の目線から見れば、であるが――相手に麻雀を打つ、ある種、誰もが憧れる光景であり――誰もがそう有りたいと思う情景であるのだが……

 

「あー、ハジメマシテ、といっておこうか。俺が大沼だ、衣が随分世話になっているそうだな」

 

 それがもし、本当に目の前で起こりうる現実だとすれば? ――なかなか戦慄を覚える光景だ。この場で平然としているのが、衣と瀬々――既知の人間と、麻雀を余り知らない素人――しかいないのがその証左だ。

 

「……今日は衣の頼みだ。後人の練磨も役目と思い、引受させてもらった。――と、堅苦しい挨拶はこのくらいにしておいたほうがいいか」

 

 彼の表情は堅い、というよりも余り変化を見せないのだろう。対局中、ひたすら他家が意地になろうと、それをただ黙って受け流す、テレビの向こう側ではお約束の光景だ。

 当然、それは人を気圧すには十分なものだが――

 

「そういえば、かねてよりの疑問に思ったのですけど、なぜ麻雀の入門書は一度しか書かれていないのです? 大沼プロの本は数多くありますが……入門書となるのは、かの一冊のみ、それはなぜでしょう」

 

 それでも、自身の意をはっきりと押すのが透華だ、目立ちたがりの部分があるが、即ちそれは我が強い、状況に対して流されないというプラスポイントである。

 特に透華は、目立とうとすることそのものこそが、透華を透華たら占めているといっていい。

 

「そもそも、入門のために必要なものは誰が書いても変わらん、一度書いてみたが、余り売れなかったしな。……自分でも説明が下手なのは自覚しているんだ、余り触れてくれるな」

 

 すらりと飛び出す言葉の力強さは、彼が今もまだ壮健であることが然りと知れた。

 

「それに、ああいうものは最前線に立つ者が書くべきだ。もっとも身近に感じられる目標だからな。それを書いた当時はそれが俺だった、それだけだ」

 

 ――なるほど、透華は頷いてそれから礼を言う。面白い話だと思う、透華に取って、大沼秋一郎は尊敬の相手でこそあれ、越えようと思う相手ではないだろう。

 立場が遠すぎるのだ、越えることすら考えられないような相手、そんな相手は、象徴として君臨しているだけで、それ以上にはなれない。誰かが絶対の目標とするような人間には、きっとなれない。

 

 それでも、彼は衣という存在を魔の淵から救い上げ、今日、こうして透華達と麻雀を打とうとしている。

 

「それじゃあ打とうか? まずは……誰からだ?」

 

 纏めてかかってこい、とでも言うかのように、秋一郎は室内に置かれた麻雀卓へと手を付ける。

 

「衣は後から打つ! 折角だからお楽しみは後で、というやつだ!」

 

「……」

 

 無感情に視線だけを向けると、秋一郎の雰囲気に少しばかり硬直していた三名、透華、水穂、一に対して、顎でくいっと、何がしか合図をする。

 言わずとも、確かめずとも解る。

 “こい”、と言われているのだ。

 

「――まずは一半荘、見させてもらおうか。牌譜を眺めるよりも、こうして手に牌を握るのが、俺の性分なのでな」

 

 意識するものでもあるのだろうか、秋一郎は至って直線的な目つきでもって、挑発するように三者を迎え入れる。――場決めが終わった。

 東家に座るは国広一、南家が透華、西家が秋一郎、ラス親は水穂という形になった。

 

 

 ――東一局、親一、ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 絶対的な崇拝とも言える尊敬者を相手にして、少女たちは全力の前傾で臨んだ。敵である他者を制して、いの一番に和了を決める。――先制するのは自分自身であると意気込んで。

 

 起親、国広一はその典型だ。三向聴の手を、三巡も待たずに一向聴へ、そして一段目の切り返し――七巡目にあたっての、テンパイ、ダマでも十分なタンピンドラドラ――満貫手。

 相手が大沼秋一郎であることを考慮して、その手を晒すことはしない、――もしリーチで自身を顕にすれば、すぐさま彼に食い殺される。勝算など、会ってな気が如し。

 

 だとすれば、そこでリーチを駆けるものはいない。三者三様のテンパイであった。しかし供託に、リーチ棒が登ることはその一局、なかった。

 

 

「秋一郎は、凡俗な雀士の視点に立てば、それほど大きな壁に映るかな?」

 

「……少なくとも、透華や一、水穂先輩を対して、凡俗、という言葉は普通使わないと思うけどな」

 

 秋一郎の後方から、手牌と捨て牌を眺めながら対局の行く末を衣たちは見守る。衣は秋一郎の手牌の変化に目を輝かせて感心している。

 見慣れたものを、懐かしんでいるようにも見えた。

 

 ――秋一郎捨て牌――

 {一九②⑧③北}

 {西4}

 

 若干速さはかいま見えるものの、端から見れば平素なものではある。ただし、六巡目、七巡目の字牌が手出しであるということを見抜けなければ――の話だが。

 ――一達が続々とテンパイした時、彼の手はテンパイを迎えていなかった。そこへ持ってきた有効牌がある。それを秋一郎は化け物じみた速度での小手返し――ツモ牌を手牌の端に寄せた牌と入れ替える技だ――を行い、他家に気取られることなく、自摸切りと称して安牌を払った。

 当然、他家がそれに気がつくはずはない。衣がそれをなした瞬間笑みを深くし、それから瀬々がツモの入れ替わりに気づいたがための驚き、それに気づいているのなら、ともかく。

 

「――あれも玄人の技というものだ。秋一郎の武器は経験と知恵……どちらも、ただ平々と麻雀を打ち続けてきたのでは辿れない境地だな」

 

 本来小手返しとは手出しを隠すための動作だ。それでも、衣ですら、実際に相対してみれば、気がつくかどうかは五分五分だろう。ましてや、秋一郎の視点からすればひよっこでしかない少女たちが、気付くはずもない。

 

「――しかも、その手牌もまた、異様なり」

 

 もはや隣だつ瀬々に対して、秋一郎の強さを煽りに煽っているかのような態度、単なる身内自慢のようなものであれ、多少なりともその意味を理解できる瀬々は、戦慄に身を震わせる。

 

 ――秋一郎手牌――

 {二三四六六六⑤⑦11888}

 

「……この手を、リーチかけないんだな」

 

「三暗刻への振り替わりもある。今が東発の平場であることを考えれば、余り怪態なことではない」

 

 ドラが二つある、打点としても十分なのだから、出和了りと裏ドラを狙うのは十分おかしなことではない。そしてそこで満足せず、直ぐに変化の見込める三暗刻を見据えることは、更に不思議足りうることはない。

 だが、それも通常の場合。

 

「まぁ、それなら両面を二つも蹴りだす必要はないのだが(・・・・・・・・・・・・・・・・・・)。だがこの手牌は、これだからこそ意味を持つ」

 

 両面待ちは麻雀において最強の待ちだ。有効牌八枚、どれだけ手が他家に透けていようと、それだけ待ちが広ければ、流局までに一枚はつかめる事も多い。

 だからこそ、その両面を二つも切り捨てて、嵌張にこだわるのは、端からみれば不思議でならないことだろう。だが、秋一郎の狙う手は、この待ちで無ければならないのだ(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 その意味を、衣は既に知っている。そして、答えの感覚を司る少女、瀬々もまた、その事実に一つ慄く。

 

(――確かに、たしかにそうだ。その手は、そう和了ればある意味が付く。だけど、普通はそんなこと考えない、例えばあたしだったら、例えば衣だったら、そんな前提がつかなければ、そんな手を普通、狙ったりはしない――!)

 

 わかっているのだ。秋一郎には、この待ちが正解であるということが。

 ――先程の小手返しを例にとってもそうだ。秋一郎の武器は経験。即ち彼に特別なチカラはないだろう、しかし、それを補って余りある――――衣すらも打倒しうる武器を、彼は持っている。

 

 その武器が、――万にも及ぶ経験が、彼のこの手を選ばせる。

 

(例えばそれはデジャヴと呼ばれるような、かつての経験に帰納する、既視感のようなもの! いつの日かに、そういう経験をした、その集積が、このツモを呼ぶんだ。――答え合わせだ、その答えを、この人は経験で知っている……!)

 

 

「――ツモ」

 

 

 ――ツモ、ドラ2、四十符三翻(・・・・・)

 

「1300、2600」

 

・大沼秋一郎『30200』(+5200)

 ↑

・依田水穂 『23700』(-1300)

・国広一  『22400』(-2600)

・龍門渕透華『23700』(-1300)

 

 大沼秋一郎の手は、基本二十符、ツモで二符に暗刻で八符。これでもし、待ちが両面であれば、その手は三十符二翻止まり、嵌張待ちでの二符を付け加えることで、文字通りこの手は跳ね上がる(・・・・・)

 それを見越しての、嵌張待ち。

 

 それこそが、秋一郎の為した結論。

 

「――どうだ、瀬々。これが衣よりも強い男だ。……面白いと思わないか? だが、これはな、序の口なんだよ、――秋一郎の真価は、ここから発揮されることになる」

 

 そうやって衣はちらりと視線を送る。瀬々はその奥を見た。衣が語る言葉の深淵、そして、衣の持つ絶対的な核心。それはきっと、衣の強さでも有り、彼自身――衣を超えうる強さの現れでもあるのだ。

 

 ゾクリと、何かが瀬々の背を伝い、這い上がる。

 

 返す笑みは、きっと本来の形を保てていなかったに――違いない。

 

 

 ――東二局、親透華、ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 打牌の流れが続き、それぞれの手が少しずつ完成に向かう、その中で、秋一郎の打牌。

 

 秋一郎/打{2}

 

 次巡、水穂の打牌、生牌の白、これに一が動く。

 

「――ポン!」 {白白横白}

 

 ニヤリと、口元にほくそ笑んだ笑みを浮かべて、それからすぐさま打牌を選択する。

 

(よし、これでテンパイだ。水穂先輩から嫌な感じがするけど、この手なら十分勝負ができる)

 

 ――一手牌――

 {122234578東東} {白白横白}

 

 一/打{1}

 

 ――絶好の満貫手テンパイ、これをものに出来れば、と思考するのも無理は無い、ここまで多少無理をしている以上、染め手であることはバレているだろうが、6―9索は未だ一枚も見えていない、ここで引ければ、問題はない。

 だからこそ、一は次巡ツモを、あることを見逃したまま自摸切りする。

 

 ――鳴きというのは、鳴いた相手のツモを引き継いでツモ番を維持する。だとすれば、その時一の最初のツモは、誰のものであるか。

 語るまでもない、“前巡テンパイしたであろう水穂のツモ番”だ。

 

 それをそのまま自摸切りしたのであれば――

 

 

「――ロン」

 

 

 面前でのテンパイにより、流れを得ていた少女の、餌食となる他にない。

 

「……今の、どこまで?」

 

 思わず瀬々は問いかける。今の場面、大沼秋一郎は、“どこまでこの状況を見透かしていたのか”。衣は応える、恐らくは、揺るぎない確信を持って。

 

「全て……といって差し支えないだろうな。あの二索切りで一の手は止まる必要を喪った。その上で、前局の闘牌から、秋一郎は水穂の特性までも、掴んでいるのだ」

 

 水穂の特性、つまり調子の好悪がそのままダイレクトにツモに及ぶ、そのオカルトじみた特性を、たったの一局で秋一郎は看破してみせた。

 

「解るもんなの?」

 

「解るさ、衣とて、それくらいのことはできる。まぁ、衣の場合は衣のチカラに依るものが大きいが、な」

 

 圧倒的な衣の支配力、それに依らずともそれと同等以上のことを可能とする人間、熟達の雀士は、その手を伸ばし、その瞬間まで時を止め、足を止めていた賽の目を、ゆっくりと回転させてゆく――

 

 

 ――東三局、親秋一郎、ドラ表示牌「{8}」――

 

 

 八巡目、この局を先制したのは前局親番の透華、失点は少ない、だからこそ前に出ようと、そのてから繰り出される牌を、曲げる。

 

「リーチ! ですわ」

 

 威勢のよい掛け声が、室内中を飛び回り、一と水穂がそれぞれの反応を見せる。――不敵に笑うのは一だ、無論、それが張ったりでないことは捨て牌の中張牌から知れる。

 

 ――一捨て牌――

 {西白8北二9}

 {④五}

 

 恐らくは既に聴牌しているのかとでも想像を巡らせるような、ドラの自摸切りと手出しの牌、三巡目からの中張牌は好手の象徴だ。

 この一局に、端から自身以外の和了を、考えてすらいないかのようだ。

 

 対照的に、しまったという風なのは依田水穂、しかし彼女の場合、すぐさま自身の調子を引き戻し、ツモを最適化サせかねない。そう考えれば、この状況、彼女に決して足かせであるとは思えなかった。何より――

 

「ポン!」 {横999}

 

 そのポンで、少女の手が大きく動いたのは、誰の目から見ても明らかだ。打牌は、秋一郎。そしてその意味するところも、直ぐにしれた。

 

(――この局、透華が和了るのは難しいだろうな)

 

 ひと鳴き、それだけで卓の流れは随分と変わる。秋一郎から水穂が鳴いたことで、透華のツモは秋一郎へと移る、そうなれば自摸れたはずの和了り牌は絶対に出ないことは明白で、秋一郎が振り込むことなど考えられない。他家からの出和了り以外は難しいだろう。

 

(……とはいえ、このほぼ二件リーチの状況、ボクとしてはオリにくい事この上ないな)

 

 ――三十符二翻の手、完成度はいいものの、これをそのまま和了へ持っていけるかといえば、少し怪しい。テンパイから未だ一巡、そう和了れるものとも思えなかった。

 

 だが、それに憂慮が必要であるほど――その一局は複雑ではなかった。自摸切り安牌からの次巡、水穂が当たり牌を切り出したのだ。

 

「ロン、3900」

 

 一の宣言に、うわっちゃぁ、と水穂が奇声を上げる。これでドラ3とリーチの二択は崩した。恐らくそれが正解なのだろう。

 

 だからこそ、

 

(――どこまで、狙ってのことなのかな?)

 

 疑問に思う。状況は静かだ、点棒もほぼ平ら、だからこそ、一はこの状況を違和感として捉える。

 

(……風が静かだ。こんな闘牌、久しぶりかもな。卓上に、牌の音がほとんど響かない、発声のハリが、いつもより弱い。――この場に居るのは、ボク達だけのはずなのに、周りが静かだから、もっとそれは、響いてもいいはずなのに)

 

 もし平生の――麻雀部として打つ対局ならば、これほど静かではないだろう。周囲には雑音がまみれ、自身もまたその雑音に一石を投じている。

 だが、この状況はそうではない。

 

 まるで何か、重積の詰まった玉石を、その背に科されているかのように。一のもつ、信頼としての鎖ではなく、誰かを押しとどめる、そんな――隔絶的な、足枷が。

 

 世界に、張り付けられているかのように――――

 

 

 ――東四局、親水穂、ドラ表示牌「{②}」――

 

 

 それぞれの手牌が、変幻自在に変化してゆく。その道筋は数多にわかれ、正解と呼べるものは複数存在する。それが麻雀の難しさだと、瀬々は思う。

 

 だからこそ、この局、誰もが和了しうる、瀬々の視点からはそう思えた。それを加味した上で、東四局、前半折り返しの今局は進行していく。

 その、刹那での瞬きに、それは起こった。

 

 水穂/打{⑧}

 

「チー――――」

 

 一の発声だ。{⑦⑨}筒の固まった手牌に手をかけ、勢い良く言葉を音に載せた。その瞬間だった。それよりも早く、そこに動いたものがいた。

 

 

「――ポン」 {⑧⑧横⑧}

 

 

 動いたのは、大沼秋一郎。

 それは紛れもなく、一の手を食いつぶす、そんなひと鳴きだった。――本来一はその鳴きでテンパイへと手を持っていくはずだった。

 しかし、その鳴きは、一の手を差し止めた。

 

 衣が楽しげに、その様子を眺めながら手を打った。

 

「秋一郎が鳴いたぞ、珍しいこともあるものだ」

 

「……でも、すごく効果的だよね」

 

 少なくともこの状況のいて、この鳴きは単なる楔以上の意味を持つ。――大沼秋一郎から繰り出された一打。それの保つ意味を、彼は最大限に利用している。

 

「――あんな鳴きを魅せられては、意識を寄せないという方が無理というものだ」

 

 衣が同調し頷く。

 ――ようは簡単なことだ。この対局、もっとも意識されているのは間違いなく秋一郎である。そしてそれはこの極限状態で――秋一郎がトップに居座るという状況のなかで――爆発しかけの爆弾とでも言えるものだ。もしそれに、火を灯せばどうなるか。

 秋一郎の鳴きという、火種をぶち込めば、如何様に変化を見せるか。

 

「……見ろ、一の意識が一層散漫になっているぞ? あれでは、意識のしようもないな」

 

 ――言葉の通り、手を止めざるを得なくなった一はすぐさま次に映らざるを得なくなる、そうなったときもっとも不要な牌は何か、無論、単独の対子煮でもならない限り、用をなさなくなった⑨筒である。

 しかしそこに、ピンポイントで罠を仕掛けるものがいれば、どうなるか。

 

 ――語るまでもない。一の打牌、迷わずの⑨筒。それを、待ちわびていたもの――龍門渕透華が反応を示す。

 

 

「――ロン! 6400!」

 

 

 単純なことだった、前巡に純カラとなった八筒のノーチャンス、⑨筒単騎での七対子。もしだれかが⑨筒を所持していれば、まず間違いなく出和了りの望める手。

 

 それを、透華が和了った。

 

 まるで計ったかのように、透華が――和了った。

 

 

 ♪

 

 

 対局は流れ行く。

 

 そのさなか、衣は瀬々に問いかけていた。

 

「瀬々は――化け物じみた闘牌というのを見たことがあるか? もしくは、体験したことがあるか?」

 

「……いちどだけ、小鍛治プロの闘牌を偶然ネットで見たことがあるよ」

 

 それならば解るだろう、そんな視線に瀬々は頷く。あまりにも人間離れした闘牌、それを瀬々は知っている。そんな瀬々の反応に衣は頷きながら、楽しげに付け加える。

 

「衣もそうだ。――むしろ、衣もそういった、“人ならざるモノの闘牌”が、可能であるかどうかと問われれば――可能である、と応えることができるな」

 

 そんな言葉に、瀬々はそうだろうなと、なんとなく衣から感じられる気配に納得しつつ、すこしだけ、自身と衣との隔絶を感じていた。

 ――瀬々は異様ではある、しかしそれが万人に全てをさらけ出してまで見せつけられるものではない。

 単なるチカラの一つであることを、瀬々は自覚している。

 

 そして、そんなチカラ、そんなバケモノの存在を越えるものが、そこにいることを、知った。

 

「――――秋一郎のそれは、果たしてそんなものではない」

 

 ――オーラス、対局が終わろうとしている。

 

「端的に表するならば“常軌を逸した闘牌”、人ならざる者が持つ共通の“バケモノ”という符号すらも、人間の極みとも評すべき、熟達のそれすらも超越した到達点、それが秋一郎の闘牌だ」

 

 ――二位、秋一郎を追いかける透華がリーチを仕掛けてトップを狙う。静かな対局を締めくくる、堅実ながらも爆発力を持つ満貫手。

 それを、狙う。

 

 しかし、

 

「――たとえるならば、神にその手を抱かせるモノ、神という一つの到達点に、その身を寄せるだけの、力を持つもの」

 

 秋一郎が動いた。一声の発声、三度目のそれは、二度目の鳴きでもあった。“チー”、静寂の卓に、ひとつの風が駆け抜ける。

 

「衣達のそれとは違う、衣達の持つそれはさながら神の加護、神に許されたがためにそこにいる。だが、秋一郎は違う」

 

 それを後押しとして、動きを見せたものがいた。

 現在再開である彼女が、劇的に手を進め、リーチ者の透華に追いすがる。流れが向かないのはラス親水穂、三位の着順を確保しながらも、手牌をその身に燻らせていた。

 

「秋一郎は紛れもない人間だ。そして、ア奴は人間であるがままに、その究極の場所にいる。人の身でありながら、神の下にある、衣達の上を越えてゆくのだ」

 

 ――瀬々は、思考する。

 

(初めての麻雀で、あたしは衣をその頭上に見た。きっとそれは、超えたいという思いと、勝てないという傍観がまじったもの。今がそうであるとは思わないけど、それでも、その上に――あの人はいる)

 

 ――見つめるのは古ぼけた一人の雀士の背、どこまでも遠く、小さく見えるその背を眺めて、どこか、瀬々はそれに“楽しげな様子”を感じ取る。

 

「……なぁ瀬々、面白いとは思わないか? 秋一郎のような、到達点ともいうべき麻雀があることを。――衣はそれに魅せられた。初めて奴と麻雀を打ったその時から、じいじやばあばや、秋一郎に、麻雀を楽しむということを教えてもらったその時から、誰かと卓を囲むことが、どうしようもなく愛おしくなった」

 

 衣の言葉を、瀬々は1つずつ飲み込んでゆく。

 

 衣が居るのは、瀬々の向かう先とは、少し違うかもしれない。それでも、彼女は明確に瀬々の前を行く人間だ。ただの一人の少女である瀬々には、眩しすぎる存在だ。

 

(――可愛いんだけどさ、それが、あたしと衣の違いなんだと思うと、すこしだけ、寂しい)

 

 そうやって、衣の言葉に聞き入りながら、そっと瀬々は、そんな風に吐息を漏らして、

 

 

「――ロン、5200」

 

 

 ――対局の終わりを、見守った。

 

 

 ――最終結果――

 一位大沼秋一郎:30200

 二位国広一  :27100

 三位依田水穂 :24300

 四位龍門渕透華:18400

 

 ――ここまで、秋一郎の和了はたったの一回、それも、東発に放った5200の低くはなくも高いとも言えない手、それによって手にした点棒を、彼は最後まで奪われることはなかった。

 それも、奪い返したことにより、結果として点棒を保ったのではない。文字通り、彼の点棒は不動だった。

 

 

 つまり、対局のべ七回――いちどの連荘もなかった――その間に、彼はいちども点棒の移動をおこなっていない。

 

 

 ツモ和了がなかった。加えて、満貫以上の和了は、テンパイこそすれ、和了されることは絶対になかった(・・・・・・・・・・・・・・・)

 その言葉の、意味するところは、少女たちの表情を見れば、すぐに知れる。

 

 完敗。

 ――この半荘、だれも彼の手元に手を延ばすものはいなかった。だれも彼に手を届かせることが出来なかった。完全に、手玉に取られ、完璧に、敗れ去った。

 

 大沼秋一郎。

 神すらもその手中とせしめるほどの男。その一端は、あらゆるモノの風をかき消して、ただ牙城として、かれの存在を晒すのみ。

 

 それこそが、この半荘のすべての結果。そして待つは次なる半荘、秋一郎をこの者達の中でもっともよくしるもの、天江衣が、卓へ付く。

 次なる半荘が、始まる。




化け物じみた闘牌というのは、まぁ色々あるものですが、今回の闘牌は、それから一線を画すものであると思います。
まぁ要するに、バケモノとはべつのとんでもない雀士、ってことですね。

感想の門戸を大きくしてみました。純粋なものから考察的なものまで、色々欲しいところですので、歓待しています。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。