咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『陽の光月満ちて』大将戦⑦

「――裏、一つ」

 

 

 ――裏ドラ表示牌「{西}」

 

 

「……6000、12000」

 

 

 生きた心地がしない。そんな言葉を天江衣は、生まれて初めて実感するに至った。少なくとも強者というものを、明白に感じたことはこれが初めてだ。

 ――だからこそ、安堵する。

 つながった。最後のオーラスに、勝敗を決める大一番に、首の皮一枚繋がった。照は次の和了に役満が必要。衣の逆転条件も、役満ツモ和了。和了る必要のある手はどちらも同条件。そこだけみれば決して悪い状況ではない。

 

 ――だが、見に頼った待ち構えの闘牌は使えない。すでにそれは、照を一度捉えている。二度も同じ過ちをおかす者が、強者であるはずもない。そもそもあれは、照の無茶があったからこそ可能であった芸当だ。

 そして、流れを支配するという芸当も、もはや照に通用しないことは証明された。そもそも、先手をとって行動を起こすということ自体がミステイクだったのだ。いくらでも、敵に対応のチャンスを送ってしまう。

 退路は断たれた。もはや衣に打てる手はひとつしか無い。

 

(……長い、旅が終わる。その終着点が、この“選択肢”であったというのは、何かの皮肉かな。――いや違う。これは衣の意趣返し、かつての己、今の己。その違いを証明することが、衣にとっての成長の証になる)

 

 衣の手に残った最後の希望。その一欠けは、衣が生まれた頃から共に歩んできた異能だ。――かつては、それに任せて麻雀を“打たされていた”。しかし今は違う。

 

(今の衣にとって、これは明確な選択肢――! 天江衣はもう、この地に一人で立てるということの証明――!)

 

 見ていてくれ、衣をよく知る者達よ。

 これが衣だ。

 

 ――天江、衣だ!

 

 

 ♪

 

 

 狭いマンションの一室。――一つの部屋が狭いのではない。一人暮らしには似つかわしくない豪勢なマンションの、そのうち一室が狭いのだ。ここに暮らす住人は全員が大学生。特待生として大学に招かれる立場とはいえ、資金に余裕が有るわけではない。

 

 だが、複数人であれば事情は変わる。要するにルームシェアだ。この部屋を間借りする三人の大学生は、生まれも育ちも共にして、姉妹と同様の関係で成長してきた。

 信頼関係で言えばもはや家族級。ルームシェアという難しい事情でも、ここまで半年、苦もなく問題もなく暮らしている。

 

 そのうち一人の私室にあるテレビが、明かりの落とされた暗がりで点滅していた。その事情は単純。彼女はリビングの大きなテレビを、キャスターを転がして占領しているのだ。狭く暗い一室はさながらシアタールームの如く。その画面では、大迫力の臨場感を伴って、全国高校生麻雀の頂点を極める大会――つまり、インターハイの中継が行われていた。

 

「……あ、ここにあったのね」

 

 ふと、扉の開く音がして、まばゆい光が差し込んでくる。思わず眼をくらました部屋の主が恨みがましい目線を向けた。

 

「入るならはいってよー。いまいいとこだかんね、この臨場感、逃さないでおくべきか」

 

「もうそんな時間? 時間の流れって早いのねー」

 

 ぞろぞろと二人ほど、部屋の主と同年齢の少女が入り込んでくる。部屋の主は肩をすくめて同意した。苦笑と、それから嘆息を同時に含めて。

 

「あぁ……オーラスか」

 

 状況を確認して入ってきた内片方。今まで声を発していなかった少女が感情を感じさせない薄弱な声で言う。

 

「そ、照が勝ってる。衣は大ピンチだね」

 

「……頑張れ」

 

「――それ、誰のこと応援してるのかしら」

 

 明朗な少女に、内気な少女。そしてはつらつとした少女。明朗な少女とはつらつな少女はどちらも勝ち気であることは同様だが、前者が不真面目、後者が真面目だ。

 

「……照。オーストラリア大会の時に……同室だったから」

 

「ちょっとー、私達はいつだって衣の大ファンでしょ?」

 

「負けるとは……思ってない。…………だから、応援は照。負けないで……欲しい、から」

 

 らしいなぁ、とはつらつな少女がカラカラと晴天のように笑った。三人は、明朗な少女が座る場所――ベットの端に、並ぶようにして座る。

 

「さぁて、じゃあ見守りますか、天江衣――彼女の旅の、行く末を」

 

 

 ♪

 

 

「……やはり、そうなるか」

 

『ついに決勝――後半戦オーラス! トップは白糸台宮永照、追いかける龍門渕に臨海女子! 一歩遅れを取る千里山と、そして臨海女子は厳しい状況だ!』

 

 実況、福与恒子の声はテレビ越しで聞くよりも、はっきり轟くように聞こえるだろう。ここはインターハイ決勝の会場。多くの観客が詰めかける観客席。

 一人の少女が、決勝の行く末を見守っていた。――否、彼女は一人ではない。周囲には彼女と同様の制服をまとった少女たちが居る。全員が、同じ高校の生徒というわけだ。

 

 だが、明らかな違いがある。声を漏らした少女を除く、全員が瞳の何処か不安を揺らめかせているということだ。

 だというのに、一人の少女だけは一点を注視し、対局の全てを見逃すまいとしている。

 

 わかっていたことなのだ。少女にとってこの状況は。――少女が在籍するのは臨海女子、留学生を中心にオーダーを組む特異な高校。

 少女は日本人だ。どれだけ優秀だろうが、臨海では日本人はオーダーに選ばれない。

 

「この借りは個人戦……いや、コクマでもいいか」

 

 自嘲するように一つえんで、少女は睨みつけるような視線を、更に鋭いものへと変えた。

 

 

 ♪

 

 

「……竜華、セーラ」

 

 ――ある病室の一室。一人の少女が、ぽつりと漏らすようにこぼした。窓の外、誰もいない夜の街。月しか浮かばない都会の天窓。

 ひとりぼっち、なのだろうか。

 

「……負けたらあかんで、千里山」

 

 どこか自分すらも鼓舞するように、少女は呟いて、それからぽすんとベッドに倒れこむ。テレビの電源は未だ切られず、少女と外界の唯一の接点となっている――

 

 

 ♪

 

 

「おねえちゃん! おねえちゃん!」

 

 一人の少女が姉を呼ぶ。

 

「なぁに?」

 

 もう一人の少女が、指差す先に映る情景を見やる。

 

「何だかすごいことになってるよ! すっごいよ!」

 

「そうねぇ……楽しそうだなぁ。麻雀」

 

「今度、また誰かと一緒に麻雀、したいね」

 

 ――それは、ほんの小さな二人の願い。

 だが、それが叶う日は、決して遠い未来ではない。

 

 ♪

 

 

 ぽち、ぽち、とぼんやりテレビのリモコンを操りながら、少女が二人がけのソファーに倒れこんでいる。

 家族が出払っているために、現在は一人。静かな空間は嫌いではないが、誰か信頼の置ける人が自宅にいないというのは、なんとも言えない不安というものがあるものだ。それを紛らわすという意味でも、テレビを無作為に操作しているが、さしておもしろそうな番組はない。

 

 最後のチャンネルだ。これが退屈であれば、おそらく適当に、夕食でも少女は作って食べて、一日を終えていたことだろう。

 何の意味もなく、意味を求める理由もなく。

 

 

 ――だがこの日、少女の運命は大きく変革する。

 

 

「あ……麻雀」

 

 懐かしい、と最初に考えた。――麻雀は“嫌い”だ。しかしそれ以上に、懐かしいという感覚が大きい。少女にとって麻雀はどことなく忌諱を抱く程度のもの。根本的に麻雀自体を否定している訳でもない。

 押しの弱い少女のことだ。もしも無理やり知り合いに麻雀卓へ引っ張られたら、拒否はするが拒絶はしないだろう。

 

 ――それは、キッカケにすぎない。

 

 それでも、扉は開かれた。テレビの向こうに映る、一人の少女の手によって。

 

「……ッ! おねえちゃん…………?」

 

 少女の名は、宮永咲。後に長野のとある高校に進学し、そこで麻雀の楽しさを思い出すことになる少女。だが、それがこの一瞬。ほんの偶然により未来は変化していく。

 

 咲は、テレビの向こうにいるひとりの少女。――姉、宮永照を見て、なんということはなく、本当になんとはなしに、つぶやいた。

 

 

「……楽しそう、だなぁ」

 

 

 ♪

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{⑨}」――

 

 

 開いた麻雀卓の隙間から、最後の山が姿を見せる。もうこの山が、この場所に、生まれ出ることはもうないのだ。自然と、誰もが大切そうにその牌を手に取る。それぞれが指定された牌を丁寧に手牌とした。

 

 インターハイ決勝大将戦。後半オーラスは、音もなく、声もなく、ただただ静かな形でスタートした。

 

 親であるタニアが、理牌もそこそこに手の中から牌を選んだ。若干打牌は上ずり、手は震えているようにおもえたが、それは結局のところ興奮と武者震い、歓喜による震えであった。

 

 ――タニア手牌(理牌後)――

 {一一九九④⑧1119東南發} {9}(ツモ)

 

 タニア/打{東}

 

 すでに理牌を終えた手牌から、照は大事そうに牌を抱えて打牌をした。――彼女は対局に感情を持ち込むことは少ない。それでもここはインハイ決勝。人の子である以上、宮永照も、万感の想いを込めて打牌するのだ。

 

 ――照手牌――

 {一九①④467東南西北白發} {1}(ツモ)

 

 照/打{④}

 

 めまぐるしい速度で手を動かしながらも、穂積緋菜は前に進むことを諦めない。ここまで来たのだ、どれだけ絶望的な状況だろうが、食らいつくのが流儀というもの――

 ふと、並び替えていた牌が手の中から零れ落ちそうになる。慌てて見せ牌をしないよう抱えて、一息を入れる。緊張しているのだ。この歳で、大舞台にそれなりに慣れた自分が緊張している。何度も繰り返し深呼吸をしてから、終わりを告げる、第一打を打った。

 

 ――緋菜手牌――

 {五②③⑤⑧⑧6西北白白中中} {白}(ツモ)

 

 緋菜/打{6}

 

 

 ――そして、天江衣が。四者一巡、最後の一打を放つ。

 

 

 ――衣手牌――

 {①④⑤⑥⑦⑨東東南南西北發} {發}

 

 衣/打{④}

 

 ――ただ、音だけが響く。

 

 タニア/打{南}

 

 照/打{6}

 

 緋菜/打{西}

 

 衣/打{⑤}

 

 ――発声も、勝利の雄叫びも何一つ無く。

 

 タニア/打{發}

 

 照/打{7}

 

 緋菜/打{北}

 

 衣/{⑥}

 

 ――打牌の音だけが、静寂に伝わってくる。

 

 タニア/打{④}

 

 照/打{4}

 

 緋菜/打{五}

 

 衣/打{⑦}

 

 ――そして、四者の行く末は、ここにきて明白となろうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 ――タニア手牌――

 {一一一九九九1118999(横①)}

 

 タニアの手から、青い火花がちったように思えた。この瞬間、風圧は照ではなくタニアの手に生まれ、そして消えていったかのようだった。

 

 ――タニア/打{⑧}

 

 

「ポン」 {⑧横⑧⑧}

 

 

 閃き、それを緋菜が掬い取る。

 

 ――緋菜手牌――

 {②③③⑤⑤白白白中中中} {⑧横⑧⑧}

 

 緋菜/打{③}

 

 ――ここで、緋菜が選んだ打牌は{③}あくまで打点は二の次、聴牌で流局。ないしはタニアが他校二人を撃ちぬくことの支援。――これが緋菜の取るべき選択。よってここで選ぶのは、より“和了れそうにない牌”。それが{①}―{④}の待ち。

 理由は単純。――{④}はすでにほぼ枯れている。おそらくは、引き入れることはないだろう。そして{①}は――おそらく、宮永照の待ちであるからだ。

 

 

 ――千里山控室――

 

 

「これは……!」

 

「なんて、状況ですの――?」

 

 一と透華が驚愕をシンクロさせる。後ろでは、思わずテンションを上げた水穂が、ゲラゲラと大声を上げて笑っている。

 

「ありえない……」

 

「なんて状況だよ――この、オーラスに来て!」

 

 現在、ほぼ優勝の芽が消えている千里山を除き、全員が役満以上を勝利に必要とするという、明らかに異様な状況だ。

 その上で、その中の一校。臨海女子が条件を満たした。このオーラスにきて、四暗刻清老頭のダブル役満を手牌に揃えた。この、土壇場でだ。

 

 そして、天江衣と、宮永照の手牌もまた、異様。

 

 片方は、語るまでもないだろう。

 

 ――照手牌――

 {一九①⑨19東南西北白發中}

 

 そして衣もまた、逆転手に“近い”手を完成させていた。

 

 

 ――衣手牌――

 {①⑨⑨東東南南西西北北發發}

 

 

 だが、これでは足りない。唯一驚愕を覚えていない瀬々が、むしろ苦渋を浮かべて、苦々しく口を開いた。

 

「けれども、どうやったってこれじゃあ“役満”にはならないんだよな」

 

 ――そう、そのとおりなのだ。

 

 ここまで裏ドラになりうる{⑧}、{⑨}、{東}、{南}、{西}、{北}、{發}が全て手牌と捨て牌の中にある。特に{⑧}は唯一四枚、山に残りうる牌であったのだが、すでに三枚が枯れ、そして――

 

 緋菜/ツモ切り{⑧}

 

 これで、ドラが全て消えたことになる。よって現在衣が作りうるこの手牌の最高打点は――

 

 立直、一翻。

 門前清自摸和、一翻。

 一発、一翻。

 七対子、二翻。

 混一色、三翻。

 混老頭、二翻。

 ――そして、ドラが二翻。以上系十二翻。役満には、あとひとつ翻数が足りない。そう、足りないのだ。どうやったって衣には、宮永照に勝利する手立てがない。

 

「……ここまで、なのかな」

 

 我に返ったように、水穂が笑みを真面目な顔に切り替えて問いかける。

 

「いいえ、次がきっとありますわ! このままだれも和了できず流局すれば、次の局で――!」

 

 衣と、タニアが{①}で待ち、照の手は十三面待ちという圧倒的な待ちの数を誇りながら、その実和了るための牌全てが他家の手牌と捨て牌に置かれた状況。実質{①}での待ち。最後にのこった山の一筒を誰も――正確には、穂積緋菜以外の誰も掴まなければ、この局は流局する。

 

「だが、次の局、宮永照が“地和”を和了らない理由がどこにある? あいつがもしそれを手牌に引き寄せれば、衣は絶対になすすべがない。あたし達の負けが決定するんだよ……!」

 

 透華の言葉に、しかし瀬々は遮って否定した。思わずといった様子で声を荒らげて、即座にまた、鎮痛そうな表情を浮かべる。

 

「どちらにせよ……この局、衣が役満を和了れないっていうのなら、……あたし達は、どうやったって勝てないんだよ」

 

 退路はすでに断たれている。もしもこの局で決着がつかないのならば、圧倒的なまでにあっけなく、端的に言って淡々と、――宮永照が地和を和了って終わる。

 渡瀬々の感覚には、そういった答えの“確信”があった。

 

「――ねぇ、瀬々」

 

 そこに、一が。

 

 

「――――{①}は、どこにあるの?」

 

 

 あまりにも単刀直入に、その一言を問いかけた。

 

 瀬々には解る。山の中身が、全ての牌の在処が。――そのチカラをもって結論として、一は瀬々に問いかけようとした。

 だが、即座に帰ってきた瀬々の答えは、一の予想をはるかに上回るものだった。

 

 

「……わかんないんだよ」

 

 

 瀬々の言葉は、一は愚か、龍門渕全てに、はてなマークを浮かべるには十分だった。例外はといえば、瀬々のオカルトを本質の意味で理解できる透華くらいなものだろう。

 

「瀬々が解らない……なんて事があるの?」

 

「そうですわねぇ、言葉にするのが難しいですけれど……」

 

 透華が考えこむようにする。――状況は終幕へと向かい、闘いは閉幕を待ちわびている。瀬々は、その最後を飾るように、透華の思考を受け取って、続けた。

 

「原因は、衣にあると思うんだ。そうするとすんなりと答えにたどり着ける」

 

「……あぁそうですわねぇ、そうするとわかりやすく言えますわ――」

 

 ――準決勝、大将戦オーラス。

 似たようなことは前にもあった。それは天江衣と神代小蒔の闘いに端を発する。

 

 ――解らない。そう、瀬々にはどうしてもそれが解らなかった。神代小蒔が、何故あそこで和了に必要な牌を引き寄せられなかったか。

 だが、解る。今なら解る。二度も同じ手を使えば、他の誰かならばともかく瀬々と、それと同様の神を有する透華ならば。

 

 

「つまり……衣は、何か自分で選んで、この状況を戦術的に作り上げたんだ」

 

 

 ――対局室――

 

 

 タン、

 

 タン、

 

 タン。

 

 打牌は、止まらず、滞ることなく続けられる。照の勝利はほぼ目前にあった。タニアが逆転手を聴牌していても、衣が逆転にあと一歩のところまで来ていても。

 

 勝負は、すでに決している――はずだった。

 

 だが、未だそれは決定していない。照は牌をつかんでいない。衣も、タニアも、緋菜も。誰も最後の{①}を、掴まない。

 

 無為に、時間だけが流れていく。照の平均和了スピードはよほどのことがなければ六巡を超えない。だというのに、明らかにそれは、照の速度を逸脱した速度であった。

 

 遅い。

 

 終息が、あまりにも遠い。

 

 ――焦燥感であろうか、はたまたもっと別の、筆舌に尽くしがたい感覚の群れであろうか。いくつにも麻しんのように浮かんだそれは、照を、そして対局者達の神経を撫で上げ、そのまま走り去るようにきえていく。

 

 須らくその表情は不和に変わり、牌を握る手はチカラのこもったものへと変わってゆく。

 

 ただ一人――天江衣だけを除いて。

 

 

(――長い)

 

 

 それは、独白。

 

 

 ただ一人、衣だけが零す、ちっぽけで不確かな、想いの矛先。

 

 

(――――長い、旅だった)

 

 

 父と母は、すでに衣の手の届かない場所にいる。そして衣は、自分を救ってくれた祖父母と、友人たちの下からも巣立って、一人、このどことも知れない洋上にいる。

 

(海は、孤独だ。あまりに広く、世界と呼べる場所を、人と人がつながりあうはずの場所を逸している。それはどうにも寂しく、衣には意味が無い場所に思えた。衣が、意味のない存在に思えた)

 

 ――だが、

 

(……だが、違うのだな。たとえそこが静かな世界であれど、それが永遠に続くわけではない。衣が歩みだせば、誰かが衣に気がついてくれるのだ。世界は、衣に存在を教えてくれるのだ)

 

 透華、一、純に智紀に、水穂。そして――瀬々。衣は歩き始めて、そうして仲間と呼べる者に出会えた。

 

(そうでなくとも、衣に海の上を踏みしめて、会いに来てくれた者もいた。感謝するぞ宮永照。衣は――今、この場所でお前と、麻雀を打っているのだ)

 

 タン。

 再び、ツモ切り。だが、今回は違う。少しだけその姿を変えて――タテが、ヨコに変わる些細な変化。だというのにそれは、必要以上の意味が込められていた。

 

(さぁ)

 

 そう。

 

 

「リーチ」

 

 

(……終わりにしよう、この闘牌を!)

 

 

 ツモ切り、リーチ。

 衣の狙いは全てここにある。あの{⑧}は、裏ドラという可能性を、排してしまう牌ではない。衣の勝利を確定させる福音となる牌なのだ。

 

 

 ――麻雀には、幾つもの役があり、中にはそうそうお目にかかれない物もある。

 

 

 タニア=トムキンは、何かを察したように目を見開いて、理解したようにした後、自摸った牌を、確認もせず放り出した。当然、{①}ではない。

 

 

 ――それは、役満であったり。嶺上開花や槍槓といった、特殊な状況を想定した“一翻”であったりする。

 

 

 宮永照は、眼をぎゅっと一文字に閉じ、何かを願うようにしながら、牌に手を伸ばした。――すでに、彼女に風はない。天江衣を撃墜させた、あのチカラはもう、宮永照に宿っていない。

 選択を間違えたのだ。――宮永照は、天江衣を見くびった。最後の最後で詰めを誤り、逆転のチャンスを衣に与えた。あの準決勝オーラスを、直に眼にしておきながら、その答えにたどり着かなかったのだ。

 そうして切った。――和了ではない、ツモ切りである。

 

 

 ――そしてその中に、ある状況下においてのみ、与えられた役がある。

 

 

 穂積緋菜は、一瞬だけ緊張に満ちた表情で盲牌をして、即座にそれを切る。視るまでもない、ただ少女は平々凡々に祈りを乗せて、自身の思いを込めたに過ぎない。

 

 

 ――山の深くに埋められた牌。最後の一つをドローした時にツモが成立すれば役が付く。その名の意味は、海に浮かぶ月を掬い取る――

 

 

 衣が、手を伸ばす。誰もが見据える最後の牌に、――己が定めた勝利の場所に。

 

 

 ――ある三人の少女が、興奮を隠しきれずにモニターに食いつく。

 

 

 ――周囲の熱狂を浴びながら、ただただ冷徹な瞳で、ある少女が行く末を見守る。

 

 

 ――ある一人の少女が、病院のテレビを、ぼんやりと眺めるようにしている。

 

 

 ――麻雀が嫌いなはずの少女は、しかし握りこぶしを作ってテレビに集中していた。

 

 

 ――二人の少女が、楽しげに食事をしながら、最後の瞬間を待っている。

 

 

 ――――そして、

 

 

 誰もいない街頭モニター。夜の闇に染められた世界にひっそりと光を篭もらせるその場所に、女性が一人、佇んでいた。

 悠然と、忽然と――幽雅に、淡く、どこか、亡霊めいた雰囲気を伴って。

 

 

 ――龍門渕も、白糸台も、臨海も、千里山も、等しく、闘いの終着点を見守っている。

 

 

「……ツモ」

 

 

 ――その役の名は、

 

 

「――――海底撈月」

 

 

 ――衣手牌――

 {①⑨⑨東東南南西西北北發發横①}

 

 

「リーチ、一発ツモ、混一色混老頭、七対子ドラ2…………」

 

 それは――終わりを告げる鐘。

 

 世界に、そして衣に、響き続ける祝福の鐘――――

 

 

「――――8000、16000」

 

 

 かくして、インターハイ団体戦は終わりを告げた。

 

 

 長い長い夜の終わりに、浮かんだ月を――後にして。

 

 

 ――最終結果――

 一位龍門渕:149200

 二位白糸台:144500

 三位臨海 :77500

 四位千里山:28800




インターハイ終了!
天衣無縫の渡り者もおおよそ着地点まで来ることが出来ました。

とはいえ、これで本作が終わりかといえばそうではなく、あとひとつ、大きな大会を残しています。
それは本作の総まとめでもあり、お祭り的なエクストラステージとなっています。
ちょっと強引だったり強引じゃなかったりしますが、あんな人やこんな人、そして名前だけ出てきてたあの人達も登場します。

因みに来年度インターハイはありません。

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