「おーい、衣、こっちこっち!」
親しげに、天江衣に話しかける者が一人。うろうろと子どものように周囲を見渡していた衣が、目をキラキラと輝かせて彼女に走り飛びついた。
ふんわりとしたボブの黒髪。元気の良さそうな快活とした笑みに、名は体を表すと言わんばかりの体つき。
――名を大豊実紀。現在は大学生、かつて風越にて三傑と呼ばれた者の一人である。
服装はメイド服。レースが少なく、ミニスカートのウェイトレス風。実際、彼女が現在行っていることは、メイド喫茶なのだから間違っていない。
ここは長野県某大学。
現在そこは、大学祭のため一般に開放されているのだ。何をすることだってできる大学だ、その内容は、思う以上に多岐に渡る。
例えばそれは実紀達が運営する麻雀部のメイド喫茶にも言える。
「はじめまして、ですわね。大豊さん」
「こちらこそはじめまして、貴方が龍門渕透華さんかな? 話は衣から聞いているよ、ようこそ我が“麻雀メイド喫茶”へ。私のことは実紀、でいいよ。私も透華さんって呼びたいし」
「あ、あたしは渡瀬々、よろしく」
「よろしくー」
衣を抱えながら、実紀は同伴している透華、そして瀬々に挨拶をした。
――実紀達が運営しているのは麻雀メイド喫茶、つまり麻雀が打てるメイドさんのいる喫茶店だ。ただ少し特別なのは、そのメイドさんの中に全国トップクラスの雀士が三人もいる、ということだ。
当然、この麻雀喫茶はメイドさんとも打つ事が可能である。
「あ、ごめんね、私忙しいから、詳しいことは中で打ちながら話そうよ。あ、優待券持ってる?」
「二枚持っていますわ。私の分と、衣の分」
優待券。
コレがないと、おそらく満足に三傑と麻雀を打つことも敵わないだろう。全国クラスの相手と打てる機会など貴重もいいところ、現在メイド喫茶は満員御礼である。
「あはは、やっぱりそっか。ごめんね、私達でも優待券は系六枚しか融通してもらえなかったんだ」
そのうち、四枚が衣達へ送られてきたのである。
「残り二枚は静希と柚月のところだね」
「二人も来ているのか!?」
衣が歓び混じりに問いかける。
「うん、今ちょうど薫がボコってるところだと思うよ。他の龍門渕御一行様も木葉がボコってるとこ」
さすがに、三傑の身内だからといってこのメイド喫茶で打てる人間は限られる。龍門渕麻雀部ではこれの争奪戦が行われ、見事純と透華と一が手に入れた。
水穂は一応秋のコクマに出るため引退してはいないが、争奪戦には参加しなかった。
瀬々は最初から必要ないと辞退している。
「じゃあ、瀬々さんはこのボックスからくじ引いてもらえる?」
と、カウンターの横に備えられた黒い箱に収められた棒を実紀は指し示す。
「……因みに、実紀さんはどの席に座るんですか?」
「今は九番が空いてるよ。透華さんと衣にはそこに入ってもらうね。それ以外の席もいくつかあいてるけど」
「そーですか。じゃあ――」
瀬々が少しだけ瞳を細める。そうしてくじを睨みつけ――淀みなく、手を伸ばした。
「――あたしも九番に座ります。それでいいですよね」
御幣のような形で棒に貼り付けられた紙を一瞥もせず、瀬々はそう実紀へ言った。
ニィッ、と。実紀の頬が三日月のように歪んだ。
♪
麻雀喫茶の室内はかなり広い。人が数十人は余裕を持って収容できる場所を使用しているのだ。麻雀卓は十を軽く超える。
そのうち二卓が現在、見学者によって囲まれていた。
この麻雀喫茶は、ドリンクを買いさえすれば、卓に付かずとも自由に麻雀喫茶の中を飲み物片手に歩きまわることができる。
囲まれている二卓には現在、この喫茶の目玉、三傑である赤羽薫と、小津木葉が座っていた。
そして、さらに言えばその同卓者には、インハイ団体のファイナリスト国広一の姿もある。かなり豪華と言って良い。
そしてその片方。
赤羽薫の卓が、開始十分で早くもオーラスを迎えようとしていた。
因みに、この麻雀喫茶のルールは東風戦である。
ちらりと瀬々はその様子を眺めた。衣がこちらに寄って行っていたので、それに付き添う形だ。静希と柚月が、衣の姿を見て嬉しそうにしている。
点棒状況が見えてきた。
――順位。
一位薫 :“28300”
二位静希:23900
三位柚月:23900
四位 :23900
おおよそ簡単に状況は想像がつく。
つまり、赤羽薫はここまで三回和了し、それら全てが“一翻しかないゴミ手”だということだ。そして、この局も――三巡目。
「ツモ。ツモのみ、500オール」
和了して、対局が終了した。
「あ、ありがとうございましたー」
「……ありがとうございました」
柚月と静希が、しゅんとしたようにしている。ほとんど何もできなかったのだ。それを衣が慰めている。ふむ、と瀬々はそれを一瞥してから件の赤羽薫を眺めた。
凛とした顔つきに、セミロングのツインテール。背丈は大体透華と同程度か。発育は普通。
意思の強い顔つきは、如何にも何かの中心人物という風だ。事実、彼女は三傑のリーダーのような存在である。
「はじめまして。……貴方は?」
「瀬々、といいます。衣の戦友、みたいなモンですかね」
おそらく衣の姉のような存在に、親友というのは少し憚られた。ただそれ以上に、親友よりもしっくりくる表現が胸のうちにあったから、瀬々はそれを使った。
戦友。なんとなく、それが瀬々と衣の間を表す最適表現に思える。
「へぇ、やっぱり貴方が“あの”渡瀬々なのね。私は薫、下の名前でいいわ、よろしく」
軽くそれから握手を交わして、その場を離れる。透華と、それから実紀に呼ばれたのだ。
――それとは別の場所。
国広一と、井上純。そして――小津木葉が卓を囲んでいた。
順位。
一位木葉:40300
二位一 :24000
三位純 :20300
四位 :15400
こちらもまた、これがオーラスである。
薫と同様に、三連続で和了をし、親番であるこのオーラスを迎えている。一ですら満貫ツモで届かない状況、厳しいと言わざるを得なかった。
そして、こちらもまた三巡目。
――木葉、打牌はドラ。
対局者全員の頬が歪んだ。
「チー!」
純が動く。
(――これまで、全局において、この人は自分がドラを切った直後に和了した。そういう流れを作ってやがるんだ。だったら、ここで俺のすべきは、その流れをかき乱して、ついでに一発を躱すこと!)
他家も無難に安牌を払った。完全に萎縮している。
――それが、木葉の狙いであるとも気が付かず。
この東風戦における、木葉の戦術は簡単だ。――彼女は流れを操る雀士である。ただ、彼女にとって自身が操っているのは流れではなく、気配。
気配を萎縮させるのが木葉のやり口だ。
この場合、木葉はドラ切り直後の和了という印象付けを行い、更にこの局においても、三巡目という早い段階でドラを切り、他者に自分を印象づけている。
しかし、その狙いは純から鳴きを強要させること。
それにより、本来であれば“この局では薄かったはずの自分の気配”を増大させるのである。
これまで木葉は無茶をしていた。状況を操る代償に、自分の流れを支払っていたのである。よって、この三巡目の段階で、木葉の手牌はゴミクズ同然。六向聴である。
だからこそ、木葉は考えた。井上純は流れを操る。それはここまでの対局で理解している。だからこそ、“流れを作用する鳴き”を、純にさせたのだ。
純の認識を、鈍らせた上で。
結局その局は、そこから連続で六回、手出しにより手牌を整えた木葉が“もう一度ドラを切り”直後にツモアガリ。
「ツモ。1000、2000」
きっちり逃げ切りに、成功した。
♪
瀬々達が座る九番テーブル。それまで麻雀喫茶内をあてもなく歩いていた観客たちが、こぞってこの卓に詰めかけた。
無理もない、対局者は、あの大豊実紀に、インハイ団体ファイナリスト二名、そしてインハイ個人戦第二位である。もはやどこのテレビの向こうか、というほどの対戦カードである。
因みに、麻雀喫茶内に入らずとも、外のモニターで中継されている。こちらもかなりの盛況ぶりだ。なお、このモニターが設置された本来の目的は、未だ果たされていない。
さて、対局は現在東二局だ。
――東一局は、瀬々、衣、実紀共に動かなかった。様子見という面が大きいが、そのために、普通にデジタルで手を進めた透華が、安手で和了している。
(まぁどちらにせよ、ここからは少し難しいでしょうねぇ。本来なら私もこの争いに関わりたいですが、それはちょっと“惜しい”)
透華は一人、心境でごちる。
惜しい、というのは単純に成績の関わらないフリーの舞台で、実紀と戦えているというのにそれを無下するのは、惜しいという意味だ。
実紀のオカルトを、透華はあえて自身のオカルトで蓋をしなかった。これが公式戦であれば遠慮はしないが、フリーの卓である。実紀の“ショー”を間近でみたい気持ちが勝った。
(私、あまりオカルトは肯定したい人間ではありませんが、さすがにこの人ばかりは認めざるをえませんわ。――それだけ、見栄えがよろしいんですもの)
透華/打{8}
親番である。守りに入ってもしょうがないが、相手はあの大豊実紀、慎重に慎重を期しても非難はない。
ここまで、状況は異常であった。
――誰も字牌を切っていないのだ。否、一人いる。透華の打牌直後、大豊実紀が、字牌の{發}を切った。瞬間、瀬々と衣の警戒が一気に強まるのを他人ごとながら透華は理解した。
(聴牌、かしら。……ともかく、そろそろ見れそうですわね)
直後、実紀に右手が閃く。
――急速に、彼女は牌を引き寄せた。振り上げられた右手から、牌が豪速を伴って振り下ろされる――!
「ツモ! 8000、16000!」
――実紀手牌――
{東東南南西西北北白發發中中横白}
字一色。字牌のみで完成する役満。
周囲から歓声が上がる。
“また、役満を和了ったぞ!”
“これで何度目かしら”
“
透華自身、それに興奮を覚えざるをえなかった。
――オカルティックな雀士は幾らでもいる。彼女たちは人を魅了し、惹きつける。だが、彼女ほどその魅力が“解りやすい”者は他にいまい。
これぞある種、オカルトの究極形。
――次局。大豊実紀の親番。
三傑が一人。
大豊実紀のオカルトだ。
「ごめんね、衣、透華さん、瀬々さん。……私自身、これからだ! って思ってたんだけど」
――そして、手牌が開かれる。
「ツモ。天和」
――前局親番。透華の飛び終了で、半荘は終了した。
「――終っちゃった、東風戦」
――実紀手牌――
{1112345678999横1}
♪
にわかに、麻雀喫茶の入り口が騒がしさを増した。元より、衣と瀬々と、それから透華に実紀。四者の対局が人を集めていたわけであるが、それ以上の人が、更にこの麻雀メイド喫茶には訪れているように思える。
何事かと実紀が慌てて周囲のスタッフに問いかける中、――彼女は、周囲の視線を伴って現れた。
瀬々は瞬間、それを認識することがかなわなかった。
訳は単純――瀬々の感覚が正常に作用しなかったのである。
彼女は、恐らく二十と少し、本来であれば容易に察知しうるはずのその程度の情報もあまりに曖昧で、感じ難い。
ウェーブがかった挑発を後ろにリボンでまとめている。智紀や水穂――おおよそ一般的な女性の慎重に、特徴の薄い体つき。体が少し細いためか、相対的に割りと大きい物をおもちだろうが、いわゆる隠れ巨乳というやつだ。ゆったりとしたワンピースであるため、判別が難しいが。
――その女性は、平凡と呼ぶにはあまりに気配が希薄であった。
存在感がないのではない――幽霊が如く、幽鬼的。
ただ、異様なほど意識に残る女性であった。今まで、悪魔の様な雀士には、魔物のような人間には、何度も目通りしたことがある。神にだって、直接ではないが相対したことも在る。
――彼女は、そのどれとも違う女性であった。
女性に気がついた実紀が、嬉しそうに彼女へ駆け寄る。間違いなく、両者は面識が在り、それなりに親しい付き合いをしているのだろう。
「こんにちわ! 来てくれたんですね! よかった今日で、私達の妹分とその家族が今日遊びに来てくれたんですよ!」
「……」
楽しげに話す実紀に、女性は軽く微笑んで会釈をした。――ふと、瀬々は隣に衣の気配を感じる。少し所在なさ気であるが、どうやら飛び出す機会を失ったらしい。
「……なぁ、衣」
「何だ瀬々」
「もしかして、あの人がそうなのか?」
「……そうだ」
瀬々が名を挙げるのは、かつて衣から話を聞いて――“コクマの女王”。
彼女は、実紀を伴って瀬々と衣の元へやってきた。
衣に対して、実紀と同じように会釈をする。彼女にとっては、それが最大の信頼の証なのだろう。そして瀬々と、瞳を合わせた。
覗きこむように――光を伴わない瞳が瀬々と邂逅する。
「初めまして、衣の戦友やってます、渡瀬々です。あの、名前――聞いていいですか?」
それをきっちりと反転させるように、瀬々は問いかけた。
一拍、女性は瀬々を見据えて停止した。答えは、その直後。
衣や実紀に向けたようなほほ笑みで――
「神姫……と、呼ばれています」
神姫=ブロンデルそれが女性の名であった。
――神の姫、なんとも大層な話だ。
「よろしく」
瀬々が差し出した右手を、ふらりと神姫は握った。視線を交わし、それから離れる。――そこに、対局を終えたらしい薫と木葉がやってきた。それぞれ、実紀と同様に挨拶をする。
「じゃあ、この前話したみたいに、お願いしてもいいですか?」
「……構いませんよ」
何やら軽く薫が木葉と会話をした後、メイド喫茶の奥へ引っ込んでいった。数分、所在なさげに周囲が沈黙した。
思わぬ大物の登場に、萎縮しているというのが大きいだろう。
そして数分の後、部屋のそこらにあるスピーカーが勢いの良い声にかき鳴らされた。
「皆さん、本日はご来店いただき誠にありがとうございます! 麻雀メイド喫茶、楽しんでいただけているでしょうか。本日は特別ゲストをお呼びしています! 既にご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、それは今年のインターハイで輝かしい成績を残した龍門渕高校の皆さんです!」
薫のアナウンス。
同時に周囲の意識が衣、瀬々、透華など、インハイで活躍したメンバーに向けられた。既に彼女たちは注目の的であったが、当然どよめきは起こる。
だがそれは、続く薫の言葉で場内はしん、と静まり返ることとなる。
「更には、あの、神姫=ブロンデルさんにも起こし頂きました!」
――コクマの女王。無敵とされる神姫の名を冠する雀士。
神姫=ブロンデル。知名度で言えば、今年初めて台頭してきた、衣達の比ではない。
「そこで、エキシビジョンマッチとして、私、赤羽薫と、小津木葉、大豊実紀、そして神姫さんの四人で卓を囲み、東風戦を行いたいと思います!」
瞬間、周囲が沸き立つのが解った。
この熱気はインハイの観客席に相当するだろう。――瀬々も、衣も、透華達も、それを直で感じるのはこれが初めてのこと。
思わずの圧巻に、息を呑むのであった。
直後、マイクを手にし、薫が表に現れる。
実紀、木葉――そして神姫が彼女の元へと集まった。場所は九番テーブル、そこに中継用のビデオカメラが持ち込まれる。
(外のモニターはこのための物か。用意周到なこって)
瀬々は楽しげにそう思考する。
これから見れる物は、きっと自分にとって大きな意味が在る。そうでなくとも、コクマでだってそうは見られない、とっておきの対局であることは自明の理。
瀬々と、衣と、それから透華達龍門渕メンバー、静希に柚月。観客たちがことの様子を見守っている。
――対局はかくして、始まった。
♪
結論から言おう。
勝負は神姫の勝利であった。
「――Your rudeness. ツモです、4000オール」
――神姫手牌――
{三四五⑤⑥⑦2345688横7}
――ドラ表示牌:「{三}」 裏ドラ表示牌:「{東}」
あまりにも、平素な手であった。
コクマの女王を名乗る以上、その手は異様に染まるか――そんなことはない、これが神姫=ブロンデルの平常だ。
だが、ここまでの内容を鑑みれば、異様はくっきりと浮き彫りになる。
東風戦、オーラスまで、神姫以外のツモはなかった。出和了りも同様だ。四局、たったの四局を神姫は己のツモで切り抜けたのである。
その間、二度も薫は安手をテンパイし、状況を流そうとしていた。
けれどもどれも阻まれて、焼き鳥のまま終了している。
また、実紀にも二度の役満チャンスが訪れた。彼女は基本的に、おおよそ四局に一度――半荘中二回か三回、東風戦であれば一回か二回の役満チャンスが訪れる。
その中で、今回は二度、東風戦であることを考えれば、相当に恵まれていると言える。けれども、そのチャンスどちらにおいても、手はイーシャンテンから進むことはなかった。
そして木葉に至っては、全局において神姫の流れを突き動かすべく、行動を起こした。けれども全て空振り。
結局、他の二名に関してもそうだが、“いつもどおり”の結果に終った。
三者が、ごちる。
(――できうる限り、私達は協力を敷いていたはず。それでも和了は叶わなかった)
(それは、決して……私達のせいでは……ない、はず――)
(――だったらいったい、私達は“何をされた”っていうの?)
それこそが、神姫=ブロンデルの真骨頂。
不可思議の闘牌。
自分自身を不透明とし、他者を知れずすり抜ける。
宵闇に移るは亡霊が如き幽雅の化身。それが――神姫=ブロンデル。
これが、コクマで瀬々が、衣が、――やもすれば、透華達が、戦う事になるかもしれない相手。
三傑は脅威である。
――そしてそれ以上の相手が、更にいる。
瀬々は、何かを語りかけてくる己が感覚に、ほんの少しの――震えを見せた。
黒幕系雀士、神姫さん初登場です。
これまでいろいろな所でフレーバー的に登場しましたが、ようやくお目見えです。
次回更新は書き溜めが一次予選終了まで書いたら、つまり未定です。しばしお待ちを。