咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『刹那最中のつばぜり合い②』

 ♪

 

 

 ――薫対局――

 ――東四局、親薫――

 ――ドラ表示牌「{1}」――

 

 

「ツモ! 500オール!」

 

 和了、赤羽薫によるものだ。

 ここまでの和了は、薫が二回、心音が一回、そして依田水穂が二回だ。トップは現在僅差ながら薫。

 ――ここまで、三翻以上の手が育っていない。

 

 

(はやいなー)

 

 ――心音手牌――

 {四五六八八③④} {横657} {三三横三}

 

 

(……いつものパターンだこれ)

 

 ――水穂手牌――

 {②③⑤⑤⑦⑧⑧456} {横七七七}

 

 

(……どうすりゃいいの?)

 

 ――美紀手牌――

 {一⑧2489東西發發} {白横白白}

 

 

 それぞれが難しそうに手牌を眺める。薫の和了は五巡、しかしそれまでに恐ろしいほど牌の飛び交う鳴き場であった。

 三者合計で四副露、薫に至ってはクソ鳴きにクソ鳴きを重ねた三副露である。当然、それは手牌の早さにはつながるが、絶対に打点にはつながらない。

 

 ただし、それは通常の場合、だ。

 

 薫であれば話は違う。

 ――赤羽薫に、打点という概念は存在しない。

 

 

 ――東四局一本場、親薫――

 ――ドラ表示牌「{西}」――

 

 

 ――この場において唯一、依田水穂は赤羽薫と対局経験がある。

 ゆえにこそ、薫の特性というものを、水穂は誰よりも理解しているのだ。なにせ、水穂が龍門渕でレギュラーを取ってから、彼女は永遠の宿敵であったからだ。

 

 風越女子先鋒。

 一年生エースとして期待された水穂を完膚なきまでに打ち破った相手。そしてそれ以降、ずっと水穂に土をつけつけた相手。

 

(……ライバル、っていうのはちょっと向こうの格が高すぎる、かなぁ)

 

 ――とまれ、何度と無く薫の前に立ちはだかる敵であるという自負が、水穂にはある。そしてそれは、恐らく薫にもあるだろう。

 

(こっちみられると、ちょっと怖い気がするよ?)

 

 この場に置いて薫が最も意識しているのは間違いなく水穂だ。それも当然、心音は実力者であるが速度は水穂ほどではない。

 美紀は水穂とくらべても、その実力は見劣りしてしまう。

 

(じゃあ、危険視されてるならされてるなりに、立ち回らせてもらおうかなぁ)

 

 この中では、水穂だけがよく理解している薫の特性。

 赤羽薫はクズ手しか和了しない。徹底的に、決定的に、ただひたすらに一翻のゴミ手を聴牌し続ける。

 無論、彼女に打点などという概念はない。一翻しか和了れない以上、一度でも満貫クラスを和了されれば、途端に点棒の差が開く。

 

 とてもではないが、強者とはいえないだろう。

 ただ安手を和了するだけならば。

 

 ――だがそこに、神がかり的なまでのスピードが伴えば?

 当然、薫のクズ手は周囲を支配するクズ手となる。たとえ満貫を和了されても、それを取り返すだけの連荘能力があるのなら、それだけで状況は決定される。

 

 そこが薫のオカルトだ。

 彼女の手は決定的なまでに安い。そこに彼女のスタイル、実力が合わさり、人域を圧倒した速度へと昇華される。

 後は語るまでもないだろう。インハイチャンプ宮永照の最大の武器が、和了スピードにあるように、赤羽薫の強みもまた、速度こそが自身の強みであるのだ。

 

「チー」 {横二一三}

 

(……やばい、かな)

 

 二巡目、赤羽薫が牌を喰う。恐らく今度は、先ほどよりも速い。

 

 ――水穂手牌――

 {二四四八九①⑦578東西西}

 

 決定的に、手が遅い。

 このままではどうやったって間に合わないだろう。三色が見えないでもない手、けれども決定的に、三色が遠すぎる手。

 ここにも、赤羽薫の強みがあった。

 

(――オカルトだ。赤羽さんのオカルトが、卓を完全に支配している――!)

 

 原理は簡単。

 オカルトと威圧の二枚刃一閃。

 軽く解説しておこう。赤羽薫のオカルトは自分の手が安くなる変わりに速度を伴うのではない。“誰もが安手しか和了できなくなる”チカラだ。

 簡単にいえば三翻以上の手を望めなくなる。基本一翻、できて二翻だ。

 

 これに加えて、薫にのみ速度によるブーストが見込まれる。

 

 この場で、それを破れる可能性があるのは二人。自分と、心音だ。

 

 心音に関しては、リーチ後に一発の可能性が高く、それを使用すれば薫の支配を破ることができる。そも、瀬々の劣化版とはいえ、牌の察知能力がある心音は、支配に逆らって三翻以上の手を作ることは容易だ。

 薫のオカルトはそこまで強烈ではない。

 これは昨年のインハイにおける一幕。

 

 赤羽薫と宮永照が、個人戦の舞台で激突した。この際照は、難なく三翻以上を和了している。ただし、階段和了の一段目と二段目は必ず踏んでいた。

 これは水穂にも適用できるはずだ。水穂が三度の和了をすれば三度目は、三翻程度の火力になるはず。それが親番であれば、決定的な和了にもつながりうる。

 

 最大の問題は、あの宮永照ですら、満貫に届かず薫に連続和了を止められることが何度もあったということか。

 とにかく薫は速い。宮永照に勝るとも劣らない速度。

 事実、彼女は照をあと一歩のところまで追い詰めたのだ。火力はなくとも、決定力はなくとも、彼女は三傑。

 

 地方の強豪レベルでしかなかった風越を、全国常勝にまで押し上げた実力者。

 それが赤羽薫。

 

 

「――ツモ。600オール」

 

 

 ただ、オカルトで他者の打点を下げているのではない。オカルトを使用した上で、周囲を威圧するほどの速度。周囲は悠長に構えられない以上、打点を犠牲にしてても速度を優先せざるを得ない。

 

(強い……な)

 

 相性が良い水穂にしても、あくまで驚異的な相手。

 ――赤羽薫

 

 

 ♪

 

 

 それぞれの対局は緊張を伴ったまま進んだ。

 大豊実紀。

 小津木葉。

 赤羽薫。

 

 それぞれが大きく動きをみせることなく、だ。

 実紀は役満を和了せず、木葉はここまで焼き鳥を貫いている。薫に関しては、打点が足りない、トップでこそある、がここで水穂に和了を許せば逆転される状況。

 

 実紀対局順位。

 一位るう子:34600

 二位白望 :26900

 三位やえ :23500

 四位実紀 :15000

 

 のらりくらりと対局を続けていた実紀であるが、オーラス直前南三局。るう子の満貫に放銃した。これで二度の役満聴牌により、るう子が大きく前にでる形。

 やえと白望は、それを追いかける形となっていた。

 

 木葉対局順位。

 一位尊  :30000

 二位清梅 :28500

 三位みどり:25300

 四位木葉 :16200

 

 ここまで木葉は何度も放銃を繰り返している。三度、それぞれが一度ずつツモ和了りをしているものの、それだけだ。結果として、木葉は微妙な点数で四位に位置づけている。ここまで、大きな和了が一度も無いのは、さながら赤羽薫の対局のようであった。

 

 薫対局順位

 一位薫 :28700

 二位水穂:27600

 三位心音:23000

 四位美紀:20700

 

 大きく策略の伴わない順当な順位として、ここまでの結果が反映された。若干実力不足を否めない美紀を覗き、それぞれが健闘の結果そこにいる。

 とはいえ苦しいことに、三位以下は、三翻以上の和了が必須。戦いの行末や如何に。

 

 

 ――薫対局――

 ――オーラス――

 

 

(……劇的に、なりそうな手牌が来たかなー?)

 

 ――心音手牌――

 {三四七八八⑦⑧⑨12西西西(横3)}

 

(間違いなく解る。――次のツモが私の和了り牌、ってネェ!)

 

 ここまでニ巡、副露は赤羽薫の一度のみ。

 一度であれば和了まではまだ遠い。当然、和了の可能性は十分にある。それでも、それは自分が“負けてしまった”という事実が残るだけ、

 

 この決着に、何ら問題は起こらない。

 

(さぁ勝負と行こーじゃないか! どんなトンデモが、飛んでくるっていうのかなァ!)

 

 

「リーチ」

 

 

 心音/打{七}

 

 美紀が、水穂が、薫が――その言葉に、それぞれの反応をもって受け入れた。

 ――水穂は諦めを覚えたような。美紀は、端からこの勝負についていけていないというような。

 

 そして、薫は――

 

 

(……やっぱり、破られそうにはなるわよね)

 

 なんとはなしに、感嘆を持ってそう思考する。言うに及ばず、ピンチである。これまで常勝を誇った薫が、この一次予選で初めて敗北するかもしれないピンチだ。

 とはいえ、ここで負けたからといって何かに響くわけでもないが。

 

(今までいくらでもあったピンチ。これからもいくらでも起こりうるピンチ。……乗り越えられないのは、強者じゃない、かしら?)

 

 薫は三傑において、中心に立つ存在だ。まとめ役であり、顔役。実紀は賑やかしという面が大きく、あくまで薫を支えてくれる存在だ。木葉に関しても同様。

 自分の強い三傑にとって、最も周囲に対して責任を持ってあたるのが、薫の仕事だ。

 

 同様に、彼女は自分の強さに、プライドを持っている。責任があるのだ、三傑と呼ばれる人間が、無様な負けをするなどゆるされない。

 

(別にそれでも構わない。性分だもの、今さら変えるつもりはさらさらない。だから、今回も)

 

 ――ゆっくりと、手を伸ばす。

 手牌を見落とし、思考する。

 

 聴牌ではある、が振り替わりの必要な役無し手。これを和了するには、最低でも数巡が必要。速度の雀士である薫をして、三巡程度で和了は不可能。

 本来ならばそれで十分だったのだろう、しかし、今はそうではない。

 

 ――ならば、ここで和了るしかない。

 

 手変わりなど待たず、さりとてこの一瞬で和了する。

 ――方法は、ある。

 

(――今回も、勝利していく。そのための自負は、とうにできてる!)

 

 

「……カン」

 

 

 明槓。

 加槓による嶺上牌。感嘆な話だ、これを掴めば嶺上開花が成立し、“役がなくとも”和了できる。

 考えてみれば当然のこと。

 ――薫の手牌にはブーストがかかっている。一翻でしか和了れないのではない“一翻で和了れる”それが薫のチカラである。

 

 ならば、役のない手牌が、そうそう入ってくるはずはない。多少の工夫は必要であるが、薫はあくまでオカルト雀士なのである。

 

 であれば、どういうことか。

 ――役は既に、完成しているということだ。

 

 

「――ツモ、嶺上開花。700オール」

 

 

 逃げ切るように。

 ――薫の、和了。

 対局の、終了であった。

 

 

 ――木葉対局――

 ――オーラス――

 

 

 木葉の気配は異様に沈んでいた。

 尊でなくとも解る。オカルトを感じる人間であれば、木葉が異様なまでに気配を薄くしていることなどもはや自明の理。

 問題は、その意図だ。

 木葉の戦い方は変幻自在、闘牌の内容どころか、スタイルすらも不定形のものである。一貫していることは、それを不定形たらしめるのが、流れという曖昧なものであるということ。

 

 彼女が流れを操る雀士であることは、誰もが知っていることだ。

 一体彼女がどのようなメカニズムで流れを操作しているか――それを知るものは誰一人としていない。無論、瀬々のような例外を除くが。

 

 その本質は、ゲームメイクという面にある。

 文字通り、対局全体を自分の思うがままに変える雀風。

 

 ――それは、格下であれば何ら問題はないだろう。いくらでもゲームを思うがままに進めることができる。

 しかし、今回の場合――ある一定のレベルを超えた実力者が集まる場合はどうか――思うように行かないこともある。それでも、戦い方は無いではない。

 それが木葉の、答えである。

 

(……すごい)

 

 まず、木葉は感嘆した。

 このオーラス、最初の思考がそれである。対局者達へ対する賛辞であった。無論、それは木葉が状況を支配する余裕があってこその思考である。

 ――が、それでも、まさか全員に自分の想定を越えられるとは思わなかった。

 

(だから……七連続放銃、できなかった……すこし…………手牌が不安)

 

 放銃は流れの放出を生む。

 流れが消え失せ、尽きが去っていった後に、何が残るか。それは極端な偏りである。最も端的に言えば――牌がヤオチュー牌にかたよるのである。

 

 ――木葉手牌――

 {一一三五八九①④79東南南}

 

(本当なら、純チャン……この場合は、染て行くのが……いい、かな。……チャンタ、ホンイツ、ツモで跳満)

 

 木葉の逆転条件は跳ねツモだ。

 比較的それが満たしやすい形。多少遠いが、決して不可能ではない。――なにせ、木葉はここまでゲームを自分の意思で進めてきたのだから。

 

(……強敵。なら、それ相応に……私は気概をもって……あたる、だけ)

 

 木葉の戦い方は不定形であり、けれども融通の効かない流れ麻雀。ならば、強敵に対する対処の方法はひとつだけ――そう。

 

 気合、である。

 

 

 ――オーラス。

 ここまでいいところのない小津木葉が何かを仕掛けるのは自明の理。

 であれば、それは一体何か、それが見えないのも、また小津木葉の強みである。緊迫を禁じ得ない状況で、尊は憎々しげに手牌を見下ろした。

 

(……遅い)

 

 ――尊手牌――

 {三三四①②③④⑥⑥7789}

 

 手牌が遅い。

 けれども、決して安くは済まない手。{⑥}はドラである。しかも、育てていけば良好な手になることは明白。

 ――この状況では、決してありがたくない手牌である。

 

 現在尊はトップ、和了り止めありのこの状況で、最善手は速攻による逃げ切りだ。しかし、現在の手牌はそれを許さない。何処を見たって、鳴いて行ける手牌ではない。

 

({6}が出れば鳴いていける。けれど、それを鳴いてもシャンテン数は変わらない。逆に流れを逃すことになる――!)

 

 よく出来た手牌だと、舌を巻かざるを得ない。もしもこれが、全て木葉の思うがまま出会ったのだとすれば、尊にもはや挽回の余地はないだろう。

 

 ――ちなみに言えば、木葉はこのオーラス、尊が“高いが遅い”手を引くことを想定していた。どころか、木葉を含めた全員が、高い手作りをせざるを得ない手を引き寄せる事を、ゲームメイクの目標としていた。

 故に正確な答えは、高い手は想定外、流れのずれる鳴きは想定外、だ。

 

 とまれ、安手であれ勝負が見えるこの状況で、全員の手は遅さを持った。粘り気の強い打牌が続く重苦しい場。

 変化は決定的に訪れず、ゆえにこそ、焦りの生まれる闘牌が続く。

 

(……呑まれている)

 

 その思考は、決して尊だけのものではない。木葉の除く三名が、木葉を意識し、その陰におびえている。状況を変えるには一歩が足りない。

 そして足りないからこそ、動くわけにはいかないジレンマな訳で。

 

 そうなってしまえば、気がついた時にはもう、周囲は蜘蛛の巣によって覆われている――――!

 

 

 はたと、誰かが気付いた。

 今、一体自分は何巡目にいる? ――答えは明白、十三巡目。

 それはもはや、河が二段の切り返しを覚える頃であった。決して牌を見ていなかったわけではない。

 決して警戒が薄かったわけではない。

 

 それはただ、そこに至るまでの間に、この場に座る対局者達が、何かをすることができなかったというだけの話。

 

 

「――ツモ」

 

 

 発声。

 この時それが、初めて、顕在化し、実体化する。

 小津木葉が――浮かび上がるのだ。

 

 ――木葉手牌――

 {一一一二三七八九東東東南南横一}

 

「3000、6000」


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