水音の乙女   作:RightWorld

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2019/6/9
司令塔と艦橋の区別間違いを修正しました。
以前111話でおかしなシュノーケルの使い方への指摘がありましたので、その背景として考えていたもののボツにしていた暗雲内での航行制約についてもう一度見直し、加筆しました。




第99話「救助」

 

 

潜水艦『伊号401』は立ちはだかる壁に突入せんとしていた。

艦橋には千早艦長をはじめ当直員の他、イオナとシィーニーもいた。

壁と言われていた暗灰色の雲は、近付くとやはり霧や雲のようであり、水蒸気の雲と違うのは光をほとんど反射しない事だ。つまり密度が濃いために光が通らなくて暗いのではなく、吸収されてしまって暗いのだ。密度は霧ほど濃くはなく、視界はおよそ1000m。そして相変わらず無風。

 

「とは言え、体への影響はまだ分からない。モルモットは私達に任せて艦長達は一旦艦内へ」

 

イオナが促すと、シィーニー以外のみんなが梯子を下っていく。最後に千早艦長が敬礼してハッチを閉めると内側からロックされる音がして、伊401は潜航するのと同じ状態になった。その証拠に潜望鏡が静かに伸びる。艦内にいるものが外を見る方法は潜望鏡しかないのだ。

 

「急に潜ったりしないですよね?」

「危険な状態と判断すれば、艦長はためらうことなく潜る」

「ひえっ」

「さあ、軍曹も保護魔法を」

「そ、そうでした」

 

シィーニーが魔法力を発動させる。耳と尻尾が出ると、成層圏へ上がっても生きることができる強力な生命維持魔法で体を包んだ。

 

「艦長、こっちは準備できた」

 

イオナが魔導インカムを使って艦内と連絡を取った。

 

≪了解。何かあったらすぐ連絡せよ。シィーニー軍曹も気を付けて≫

 

「ありがとうございます。扶桑の方々は親切ですねぇ。クセになりそう」

 

シィーニーはシンガポールの基地では受けない厚遇に--厚遇してるつもりはないのだが--、嬉しさでうっとりする。

 

≪モーター始動。両舷半速≫

 

スクリューが立てる艦尾の泡立ちは大きくなり、伊401は速度を増した。電池による走行に切り替わったのだ。

 

黒い霧の境を通り越し、頭上の太陽は隠れ、急激に暗くなっていく。後方の明るい青空と海が途端に霞んで、白い航跡さえもよく見えなくなっていった。

やがて周囲は完全に闇となり、海面に向けられたライトと艦橋横の艦番号を照らす明かり、左右の赤と青の航行灯、艦首と船尾の位置を示すライトだけがぼうっと浮かぶ。

イオナは手押しポンプを使って浮き輪のようなものに空気のサンプルを採取した。

 

「軍曹、呼吸はどう?」

「別に何ともありません」

「空気成分に害のあるものはないみたいだ」

「あれ?」

 

シィーニーが身を乗り出す。艦の10時方向から白い粒粒が飛んできた。編隊を組むように飛来し、シィーニーの頭上を飛び越える。そしてすぐひらりと反転してきた。

 

「カモメです」

 

明かりを見つけて吸い寄せられたように艦橋の周りを飛び回る。何羽かは海上に降りてぷかぷか浮かび、2羽ほどが艦橋後方の対空機銃座を囲む手摺りの上にとまった。

 

「大丈夫そうですね」

「鳥は酸素濃度が低くても平気だから念のため……」

 

イオナはポケットからオイルライターを取り出すと火を点けた。大きな炎があがる。航行風で煽られるが、火は消えることはなかった。

 

「海抜0m相応」

 

イオナも納得した。

 

「発令所、こちらイオナ」

 

≪艦長だ≫

 

「カモメが8羽、闇の奥から飛来した。カモメは元気だし、私達にも異常はない。酸素濃度も正常。生物生存環境としての問題はないようだ。出てきても大丈夫だと思う」

 

≪そうか。それじゃ志願者を募ってそっちへ行くとしよう。何か持っていくかい?≫

 

「麦茶」

 

≪了解した≫

 

 

 

 

足元のハッチからキュイキュイとハンドルのようなものを回す音がして、音もなく滑らかにハッチが開いた。千早艦長が真っ先に飛び出してきた。

 

「ご苦労さん」

「問題ない」

 

麦茶の入ったポットを手渡される。

 

「本当に真っ暗だな」

 

千早艦長がぐるりと見渡す。水平線さえも見分けられないのだ。

 

「これでは計器飛行でも飛べないなあ」

「電探は?」

「何も映ってない。島影も映らないからだめだろう。突入してからラジオ放送も聞こえなくなったし、この中では電波はほとんど使えないみたいだ」

「電波誘導もしてもらえないとなると、母艦に戻るのはまず無理」

「この闇ってネウロイが作ってるんですか?」

 

シィーニーがイオナから麦茶を分けてもらって、それを飲みながら聞く。

 

「十中八九間違いないな」

「空から探されないようにしてるってことですかね? よっぽど嫌だったんですねぇ」

「面白い考えだね。ネウロイにもそんな思考力めいたものがあるかもしれないとシィーニー軍曹は思うんだね」

「考えられる。植物だって感情あるか分からない。だけど動物のように機敏にではないが嫌なものを避けたりする。実際ネウロイは進化している」

「そうだとすると、凄いな。我々人間が航空機による偵察を嫌って、付近一帯の空を暗くしてしまおうなんて思うかい?」

「煙幕くらいなら」

「そうだね。でもネウロイのスケールはもっとでかいようだ。副長、艦長だ。動力バッテリーからディーゼルに戻せ」

 

≪了解、動力ディーゼルに戻します≫

 

ディーゼルエンジンが再び始動し、艦尾横から排気煙が白く海上にたなびいた。

 

「このまま船団のいるところまで行くんですか?」

 

シィーニーが再び聞く。

 

「いや、もう少し暗雲について調べてからだ。どれぐらい広がっているか、泊地に一番近い突入口はどこかとかね。電探は使い物にならないが、目視だとどれくらいまで見渡せるんだ?」

「探照灯で照らしてみましょう」

 

艦橋の探照灯が海面を照らした。次第に遠くを照射してみる。

 

「識別できるのは1キロメートル以内ですかね」

「水中はどうだ?」

「水測。聴音機、探信儀はどうだ?」

 

≪こちら水測。海底の反射を拾えています。水中は変わりないようです≫

 

「成る程な。本当に航空機だけが嫌いなようだ。そうすると使えてるセンサーは水中探信儀と水中聴音機だけって事だ。潜水型ネウロイの接近だけは見つけられるかもしれないな」

「ということはその逆、ネウロイも水中から我々を見つけ出せるということ」

 

≪艦長、こちら発令所≫

 

「艦長だ」

 

≪艦内が暗くなってきました。電圧が落ちて照明が暗くなったのかと思いましたが、違います。空気のようです≫

 

「!!」

 

艦橋にいた者達がはっとなって見合わせた。

 

「暗雲の粒子か!」

「艦橋のハッチ閉めろ!」

 

イオナが飛び付いてハッチを閉じた。隙間も完全に閉じてしまうためハンドルを回しながら首だけ上へ向けた。

 

「艦長、このままだとディーゼルエンジンに艦内の空気を吸われてしまう」

「分かっている。動力バッテリーに切り替え!」

 

≪了解。エンジン停止、バッテリーに切り替えます≫

 

ディーゼルエンジンの鼓動が止まり、艦尾の排煙もなくなる。艦は静かに海上を漂った。

 

「艦橋のハッチを閉じた。艦内の視界はどうだ? 体に異常ないか?」

 

≪こちら発令所。艦内は薄暮のような状態です。今のところ体に異常はありません≫

 

「分かった。180度回頭、全速。暗雲の外に出て換気する」

 

≪了解。180度回頭、全速。念のため隔壁閉鎖し、空調を止めますか?≫

 

「そうだな。ただし各区画とは連絡を密に取れ」

 

≪了解≫

 

「迂闊だったな」

 

千早艦長は帽子を取って頭を掻いた。イオナは首を振る。

 

「こちらもすまない。瘴気ではなかったから油断した」

「つまりどういう事ですか?」

 

シィーニーだけ一人、目の前で繰り広げられた事に今一つ理解が及んでない顔をしている。イオナは呆れてふぅ~と肩を落とす。千早艦長はにっこり笑って丁寧に説明した。

 

「ディーゼルエンジンを回すには空気が必要だが、その空気はエンジン室、ひいては艦内の空気を吸っているんだ。新しい空気は開いているハッチから入っていく。今回開いてたのはここだけ、艦橋のハッチからだ」

「ああ、それで結構な勢いで風がここから艦内に流れ込んでたんですね。艦内で一番涼しいところはハッチの真下ですもんね」

「問題は新しい空気がこの暗雲の空気だったって事だ。視界を悪くしている粒子が艦内に入ってしまい、艦内が暗くなってしまったんだ。それでハッチを閉めてエンジンも止めたと言うわけさ」

「軍曹にちゃんと付き合って艦長は辛抱強いな。私には無理」

 

イオナが肩をすぼませる。

 

「ほわー、それで閉じ込めちゃったんですか。可哀想に」

「これ以上暗雲の粒子を入れてもっと暗くなったら、もっと可哀想だ」

「ふうむ。それで浮上中にもかかわらずバッテリー走行に切り替えたんですねー。それじゃ暗雲の中ではずっとバッテリーでですか」

「暗雲の大きさがバッテリー走行で持つくらいならいいがな」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

ところが暫くして異変が現れた。

 

≪こちら魚雷発射管室。先程より部屋が暗くなってます≫

≪こちら発令所。ここもだ。おかしい≫

 

「なんだって? 外の空気がまだどこからか入ってきているのか? 各区画現況を報告せよ」

 

≪ガンルーム、居住区、厨房、暗くなってます≫

≪主機械室、こちらも暗くなってます≫

≪医務室も暗くなっている≫

≪補助発電機室、視界悪くなってます≫

 

「もしかして前後甲板のハッチが開いてるのか?」

 

イオナが身を乗り出して甲板を見た。

 

「いや、ここからは開いているようには見えない」

 

≪こちらモーター室。こちらは変化ありません≫

 

艦橋でみんなは顔を見合せる。

 

「モーター室は何が違うんですかね?」

 

首を傾げるシィーニー。イオナは

 

「見てくる」

 

と艦橋のハッチを開けた。

 

「軍曹、閉めておいて」

「エンジン回してなければ空気入っていかないんでしょ? だったら開けておいてもいいのでは?」

「少なくとも新しい暗雲の粒子が入ることはない。状況を変えると原因が分からなくなる」

「はあ」

 

イオナが艦内に消えるとシィーニーはハッチを閉めた。

少ししてインカムからイオナの声が届く。

 

≪確かに外より粒子の密度が濃い。凝縮された? ……いや少しずつ増えているようだ≫

 

「うわぁ、暗雲は勝手に増えるんですか?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

イオナは通路を艦尾へと向かう。

 

「そろそろ呼吸にも影響が出そうだ。埃っぽいというか、喉にひっかかる」

 

≪まずいな。発令所、艦長だ。総員にガスマスクを着用させろ≫

≪了解。総員ガスマスク着用。総員ガスマスク着用≫

 

「イオナさんも保護魔法使ってください」

 

≪大丈夫。使ってないときはないから≫

 

そうだった。イオナは清潔感維持のため潜水艦乗り組み中はずっと保護魔法を使っていることをシィーニーは思い出した。

発電機室、ポンプやディーゼルエンジンのある主機械室と通り抜け、スクリューを回しているモーター室に着いた。

 

「イオナだ。開けるぞ」

 

隔壁扉を開けた。とたんに風がぶわっと吹いて、イオナのさらさらの髪が舞った。

 

「なぜここには風が?」

 

だが答えを聞くまでもなく、見れば扇風機が回っている。

 

「通風が止まってしまってモーターの熱で部屋が暑いもんですから。潜水するとシャフトの隙間から海水が入ってくるので、水圧に合わせてこのスタンチューブパッキンを締め付けるんですが、入る海水のせいで湿気が高くてよけい暑くて……」

 

機関科の下士官が説明した。そして確かにこの部屋は他と違って暗雲の粒子かそれほど濃くない。多分外と同じだ。

 

「他の所との違いというと……風か?」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

艦橋に戻ってきたイオナの報告を聞いた千早艦長はうんうんと頷いた。

 

「成る程。空気が動かないでいると粒子が増えるのかもしれんと。それはこの暗雲の中が無風なのと辻つまが合うな。ネウロイがわざとそういう環境にしている可能性が高いな」

「そうするとですよ。さっき霧間少尉が浮き輪に採取したこの密雲の中の空気」

 

とシィーニーが透明な浮き輪状の気体サンプル入れを取り上げる。

 

「浮き輪の中は無風でしょうから、この中の暗黒粒子も増えてよさどうですけど、ほら。変わってないですよ」

「シィーニー軍曹、意外と観察眼が鋭いな」

 

問題点を指摘されたイオナだが、すぐもう1点違いに気づいた。

 

「もう一つ違いがあるとすれば、気圧だ」

 

貸して、とシィーニーから浮き輪を受け取ると、腕の中に抱えてぎゅうっと抱きしめた。

暫くそのままでいると、浮き輪の中が次第に黒くなってきた。

 

「あっ!」

「潜航すると水圧がかかって外から艦を押し潰そうとする力が加わるので、抵抗するためにハッチを閉めた潜航可能状態では艦内気圧を高めにしている」

「無風、かつ高めの気圧か」

 

≪こちら発令所です。それでは通風用ファンを回した方がいいですね。さっきファン止めて隔壁も閉めてしまったのは逆効果でした≫

 

「真っ暗になる前に通風を再開してくれ」

 

≪了解。艦内循環通風再開。全隔壁開けろ≫

 

艦内を前後に貫通している通風ダクトには送風用のファンが前後に付いていて、これを回すと前部ファンはダクトに空気を吸い込み、後部ファンは吹き出すようになる。後部ダクトから出た空気は艦内通路を前部に向かって流れる。これによって艦内の空気がぐるぐる回るようになっていた。

 

「まだ暗雲から出るにはもう少しかかりますけど。粒子が薄い外の空気を取り込んで薄めた方がよくないですか?」

 

シィーニーが心配そうに言った。

 

「いや、根本的に解決しよう」

「え? 暗雲を取り除く方法が?」

「艦内だけだけどね。副長。ディーゼルエンジンに切り替え」

 

≪は? あ、外気の取り入れですね?≫

 

「いや、ハッチは開けない。艦内の暗雲粒子入りの空気はエンジンに食わせてやれ」

 

≪それで新しい空気はどうするのです?≫

 

「浮上用の圧縮空気を艦内に放出する。おいしくないとは思うが、黒い空気よりはましだろう」

 

≪おお、名案ですね。了解!≫

 

 

 

 

暫くして、不味い空気を吸わされて機嫌の悪そうなディーゼルエンジンが始動した。

 

「軍医長、酸素濃度の監視頼みます。低くなったら酸素ボンベから足して下さい」

「わかっておる」

 

普段から潜航中の酸素濃度の調整は軍医の仕事だ。

 

「圧縮空気艦内へ放出」

 

シューッと音がして空気ボンベ内の空気が流れてくる。

 

「エンジンが吸い込む量に合わせろ」

 

艦内の空気はエンジンに吸われ、入れ替わって透明な空気が流れてきた。

 

「視界が……晴れてきた!」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

艦内の空気が透明に入れ替わった頃には、伊401は暗雲の外に到達していた。

 

「艦橋ハッチ開けろ」

 

イオナがハッチを開けると、艦橋から降りるタラップから勢いよく外の空気が艦内に入っていく。

 

「はやり外の空気の方が美味いです」

 

タラップ下の司令塔にいる副長が上を見上げて嬉しそうに言った。

 

「軍医長、乗員の体調を検査してくれ。大丈夫そうなら一休みしてからもう一度暗雲突入をトライする」

 

艦の後ろになった暗雲の壁をイオナとシィーニーが恨めしそうに見上げていると、副長が艦橋に上がってきた。

 

「これじゃあ暗雲の中を行くときは、潜らないまでも潜航状態と同じにしてないとでしょうか」

「いや、もしかするとシュノーケルでいけるんじゃないかと思うんだ。シュノーケルで取り込んだ空気は主機械室に流れ込む。排煙もシュノーケルから出ていくのだし、主機械室の隔壁を閉じてしまえば外の空気が出入りするところをここだけに限定できる。どうだろう?」

「成る程! できると思います。主機械室のエアダクト出口を塞いでしまえば、前部と後部区画との通風もできますし、人の行き来には支障ありますが、電池の消耗なく暗雲の中を航行できます」

「後部区画の乗員には食料の缶詰をたっぷり持たせてやろう」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

「見張り員配置完了」

 

伊401は暗雲の中でのディーゼルエンジン航行を試すため、2度目の暗雲突入に向かっていた。

 

「シュノーケル上げ」

 

≪シュノーケル上げ≫

 

千早艦長の後ろでシュノーケル、吸気筒と排気筒が上へ伸びていく。

暗雲に入る前からディーゼルエンジンへの給気をシュノーケルへと切り替えておくのである。

 

「エンジン吸排気、シュノーケルへ切り替え」

 

≪吸排気、シュノーケルへ切り替え≫

 

後ろの背の高い吸気筒から空気を吸う音と、低い方の排気筒から煙が出始めた。なお潜水状態でのシュノーケル航行では、水面に出るのは吸気筒だけで排気筒は水中に潜ったままになり、排気は水中に放出される。

 

≪シュノーケルへ切り替えました≫

 

「艦橋ハッチ閉じろ」

 

イオナが大きな蓋を閉じ、ハンドルを回してロックする。

 

≪艦内循環通風問題なし。艦内準備完了≫

 

「よし。第1戦速維持。このまま暗雲に突入する」

 

≪第1戦速維持、ようそろ≫

 

伊401の2度目の暗雲突入は目論見通り上手くいき、暗雲の中ではシュノーケルを使えばディーゼルエンジンで航行し続けられることが確かめられたのだった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

巡航速度で暗雲の中を進む伊401。

戦闘態勢は解かれ、半数は配置についたまま、残りは即応態勢で静かに待機している。艦外の見張りは通常の2倍の人員が当てられていた。

 

引き続きイオナとシィーニーも艦橋にいた。暑苦しい艦内の部屋より快適で体力を温存できるからだ。勿論イオナの身だしなみ維持に使う魔法力も節約できる。

 

「1時の方向に明滅する光らしきものあり!」

 

見張りの一人が叫ぶ。艦長や艦橋にいたみんなが1時の方に目をやる。白いボヤっとした光が闇の奥で点滅していた。他の見張りは見ていたい誘惑を抑え、すぐに自分の持ち場の方向へ目を戻す。

 

「もしかしてモールスじゃないか?」

 

トントントン・ツーツーツー・トントントン

 

SOSだ。繰り返されている。

 

「要救助信号と認む。針路変更。距離は?」

 

横に長い測距用の望遠鏡を覗く見張りが答える。

 

「およそ1200m」

「ライトの光は意外とよく届くんだな」

「念のため警戒を強化する。対空機銃配置着け。イオナ、機関銃持って前甲板に待機」

「了解した」

 

イオナは艦内へ機関銃を取りに降りていった。

 

「わ、わたしはどうすればいいでしょうか?」

 

シィーニーの問いに千早艦長はニッコリして答える。

 

「ここにいてくれればいいよ。もし撃ってきたらシールド張ってくれると嬉しいね」

「そりゃ下手な装甲板より頼りになりますな」

「軍曹、お願いします」

 

皆におだてられて鼻息を荒くした。

 

「お、おまかせください!」

「発光信号で返信。所属を問え」

「は!」

 

通信員がバシャバシャと信号灯を点滅させて信号を送る。程なく返答が来た。

 

「U…S…N…」

「専門の通信員ではありませんな。少したどたどしい」

「CVW771です」

USN(リベリオン海軍)CVW(空母航空団)だ。771ってどこのだ?」

「77任務部隊第1群。HK05船団を護衛している空母艦隊の所属ですね」

「救援対象の当事者だよ。早く拾ってあげよう」

「トンボ釣りですね。我々にしちゃぁ珍しく真っ当な任務ですな」

トンボ釣り(Dragonfly fishing)?」

 

シィーニーがまた頭の上にハテナを浮かべた。

 

「海に落ちた飛行兵を救出することさ。潜水艦の任務のひとつだよ。撃墜されると敵勢力圏の近くに墜落する可能性が高いから、隠れながらこそこそやらなきゃで、潜水艦にうってつけの任務とされてきた。地中海はネウロイがよく飛び回るから、ブリタニアやカールスラント、ガリアの潜水艦が随分と頑張ったって聞いてるよ」

「ほぁ~、それをトンボ釣り(Dragonfly fishing)

「ま、扶桑での俗語の直訳だけどね」

「わたし達はトンボという訳ですね。羽が4枚あるから、複葉脚使うわたしはあながち間違ってなさそうです」

「軍曹はユーモラスだねえ」

 

 

 

 

探照灯で海面を照らし、停止した伊401はゴムボートを脹らまして降ろした。油の少し浮いた海面にライフジャケットを着けた一人の男性が浮いて両手を振っている。

ボートはえっちらおっちら要救助者のところまで漕いで、少々乱暴に引っ張り揚げると、伊401に戻ってきた。甲板では毛布と温かい緑茶、そして軍医が待っていた。

 

「ありがとう、ありがとう」

「もう大丈夫ですよ。軽く診察します。気分は?」

「ホッとして力が抜けそうだ」

「見たところ怪我はないようだね」

 

イオナが来て横に座った。背中に担いでいた99式13mm機関銃が甲板に触れてゴトリと音を立てる。

 

「お腹減ってないか? 温かいもの、柔らかいもの、甘いもの、リクエストあれば。扶桑の食べ物になるが」

「それ全部」

「……元気そうで何よりだ」

「あんたウィッチか? 潜水艦になんでウィッチが?」

「この潜水艦には航空歩兵2名と水上ストライカーユニット、水上攻撃機2機が積んである」

「なんだって?」

 

飛行服を脱がした軍医がそれを受けて続ける。

 

「少尉さん。この艦はちょっとした潜水空母だ。HK05船団の救援に駆けつけた。少尉さんは船団の関係者かね?」

「も、申し遅れた。俺は第77任務部隊空母シェナンゴの戦闘機パイロット、ジェフ・アンダーソン少尉。HK05船団の護衛部隊だ。哨戒中に急に真っ暗になって位置を見失ってしまって、母艦を探しているうちに燃料切れになって不時着したんだ。機体は沈んじまった」

「この闇は急にやって来たというんだね?」

「ああ」

「はい、いいですよ少尉さん。体に問題なし。まずはゆっくり休んでください。おい、士官休憩室に案内して差し上げろ」

「はっ!」

 

水兵が肩を貸して体を起こした。イオナはその水兵に言った。

 

「温かくて柔らかくて甘いものがいいそうだ。……あんまんを司厨員に用意させて」

「りょ、了解」

 

水兵はおこぼれが貰えないだろうかと少し期待した。

イオナは艦橋に上がると、千早艦長に聞いたことを報告した。

 

「うんうん。激しい戦闘があった感じではなさそうだな」

「哨戒飛行だと言っていた」

「わかった。ひと息ついたらゆっくり話を聞くとしよう」

 

ボートが片付けられると、伊401は再び闇の中を進み始めた。

 

 

 

 

------------------------------

 

 

 

 

アンダマン諸島東の泊地から出られないでいるHK05船団。護衛艦隊旗艦の空母サンガモンでは、船団の主要メンバーを集めて、これからの行動について話し合いが行われていた。

 

「レーダーも無線も使えず、おまけに暗闇で視界も奪われ、航空機を使った哨戒が出来ないとなると、我々空母艦隊の牙がもがれたようなものです」

「ソナーは使えるようだが、その為には駆逐艦を防潜網の外に出さないとソナーを使った潜水型ネウロイ探査が出来ない」

「しかし防潜網を開けると魚雷攻撃されます」

「だからといって、このままいつまでもここにいる訳にはいかないだろう」

「この状態でもし飛行型ネウロイでも現れたら全滅の可能性もありますぞ」

「救援を待つしかないのか」

「だがこの状況下で救援と言っても何ができる?」

「シンガポールからの航空支援は遠すぎて望めない。そうすると派遣されてくるのは艦船だろう。空母はいないから駆逐艦か海防艦のような対潜艦艇が来る可能性が高い」

「ソナー装備艦の到着を待つのか? 馬鹿げている。我々の駆逐艦にもソナーなら付いてるのに」

「扶桑の12航戦が来る可能性はないか?」

「12航戦は整備休養に入ったのではなかったのか?」

「HK06船団の護衛をすることになったようだ。だがまだ香港を出たばかりだろう。ここまで来るのは当分先だ。それも自分たちの船団の護衛を途中放棄したとしてだ」

「それはあり得ない」

 

スプレイグ少将がペンの底で机を叩く。

 

「つまりはそういう事だ。外に助けを求めても新しい解決策はない。自分たちで切り開くしかないのだ」

「自分たちで……」

「そうだ。現有兵力で打破する方法を考えてくれ」

「しかしそれでは先程の、“航空機を使った哨戒は出来ない” “護衛艦を防潜網の外に出さないとソナーを使った捜索が出来ない”という、当初の問題に戻ってしまうではないですか」

「まあ待て。何をしなければならないか、もう一度思いだそう。最終的なミッションは輸送船団をシンガポールに届けることだ。それには当然船団を泊地の外に出さねばならないが、それを邪魔しているのが潜水型ネウロイと、この暗雲だ。私はこれの排除から始めるべきだと思う。この驚異を取り除かない限り、私は船団を泊地の外に出すことを許可しない」

「成る程……」

 

司令官によって方針が示されると、それまで単に状況説明や希望をあげているだけだったものが目的を持った視点に変わり、議論は進み出した。

 

「逆を言えば、暗雲を取り除けば対潜ウィッチが出撃できるようになり、ウィッチが出撃できれば潜水型ネウロイを排除出来るようになる」

「と言うことは、優先は暗雲か」

「だがどうやって暗雲を取り除くんだ?」

「発生源とか、どれくらい広がっているのかとかを調べないとですね」

「上空には広がってないかもしれないぞ? あの電波妨害粒子も高空に行くほど薄れるんだろう?」

「上空の調査には飛行機かウィッチを飛ばさないとだ」

「航空機は飛べないじゃないか」

「航空機が飛べないのは視界が効かない、目標物が見えないからだ。何か手はないか?」

「ライトの明かりは意外と届くじゃないか。あちこちライト置いたらどうだ? 島の外周ぐるりとか」

「リベリオン得意の物量作戦か? それなら任せろ」

「さすがに外周はないだろう。突端とか主要なポイントでいいじゃないか」

「灯台ですね」

 

スプレイグ少将も皆が導き出した結論に満足して笑った。

 

「面白い。それでは灯台作りから始めるとするか」

 

そして会議に加わっている、海軍とは異なる軍服を着た人の方へ向き直った。

 

「海兵隊は手伝ってくれますか?」

 

東アフリカに派遣される予定の海兵隊の司令官が大きく頷いた。

 

「こんな状況だ。我々もずっと積み荷でいるわけにはいかんでしょう」

 

 

 


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