じりじりと痛覚というか、鋭い視線のようなものを前方から感じ、千早艦長は司令塔の前の壁を見つめた。
「……」
壁を睨み続けたまま、上目遣いで指示を続けた。
「3番、4番、5番発射管、準備しろ。発射諸元指示を待て」
皆が「え?」と艦長の方を見る。が、その何かに警戒している様子に水雷長も何も聞き返すことなく復唱した。
「3番、4番、5番発射管、準備。指示を待て」
そしてストップウォッチに目を落とすと秒読みを開始した。
「2番発射管あと5秒、4、3、2、1、発射!」
「2番発射!」
再びシュオオオと圧縮空気によって魚雷が撃ち出された。
とたんに水測室から探知報告が来る。
≪本艦前方2時方向に音源発生!≫
「「何?!」」
「もう1匹いたのか?!」
艦長が呟いた。
「やはりいたか」
≪2時方向の音源、ゆっくり3時方向へ変化。……その後、3時から2時方向に戻ってきます≫
「発射した魚雷を追っているのではないのか?!」
先程のネウロイのように魚雷に引きつけられたのではないかと思った副長が聞き返すが
≪いいえ、遠ざかる気配はありません≫
千早艦長には頭の中で情景が浮かんでいた。奴は右回りで回頭したのだ。
≪方位変化止まりました。方位210≫
回頭が終わった。つまりこっちへ向き終わった。今401は右舷を敵に晒している。千早艦長が矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「水雷長。針路変更後に3番、4番、5番を目標を挟んで左右2度の開度で散開させて撃て。雷速50ノット。水測、探信儀で艦右前方を捜索!」
「こっちの位置が完全にばれますよ?!」
「構わない。ただし1発で魚雷諸元を取れ。 副長、探信したら面舵。新針路270、深さ70まで潜航!」
「探信したら面舵。新針路270、深さ70、ようそろ」
「探信開始!」
水測員は絶対逃すまいとスコープの波形を睨み、ヘッドフォンの音に耳を澄ませる。意を決して発信ボタンを押した。ピーンと探信音波が放たれた。
≪敵探知! ……方位215、深さ30、距離1200。あ、高速推進器音! 数……2!≫
「「魚雷だ!」」
「水測、よくやった! ヘッドフォン音量気を付けろ、くるぞ!」
千早艦長が水雷長が並べているストップウォッチを覗いて叫んだ。
直後、爆発音が響いてきた。囮魚雷を追いかけたネウロイに2番魚雷が命中したのだ。
「当たった!」
「おお!」
喜ぶ間もなく千早艦長が命令を下す。
「爆発音に紛れて回避、移動だ、急げ!」
「面舵一杯、下げ舵15、全速!」
「3番、4番、5番、雷速50ノット、深さ30。射進角は指示を待て! 射撃指揮盤諸元入力」
歯車式のアナログコンピュータがカリカリと動く。
ぐぐっと前へ傾斜する伊401に、士官食堂で冷や汗をかいて固唾を飲んでいたウィッチ達は何が起こっているんだかわからずテーブルにしがみついた。
「おああ、エンドウ豆が!」
シィーニーがテーブルの上を滑る小皿をすくいとる。テーブルから手を離したので倒れそうになるのをイオナが支えた。
「軍曹、食べてしまいなよ」
「えへっ? 全部貰っちゃっていいですか?」
こんな場面でも食欲の湧く嬉しそうなシィーニーに対し、秋山は顔面蒼白で恐怖におののく。
「も、もしかして沈没?! さっきの爆発音で?!」
イオナが冷静な声で宥める。
「あれはもっと遠かった。本艦に魚雷や爆雷が命中した気配はない。潜っているだけ。ただ……」
「ただ?」
「左の方から嫌な感じがする」
「ヨーソロー、270度。なおも沈降中!」
≪左舷、魚雷来ます!≫
ビイイィーンという甲高いキャビテーションが急激に近づく。皆どこかに掴まる手に力が入り、あるものは目を瞑った。
しかし、シャアアアァーという水切り音とともに魚雷は頭上を左から右へ通過していった。急速潜航したことで深度差ができて躱せたのだ。
「魚雷、本艦上を通過!」
「やった!」
この間にも魚雷発射管室では魚雷の調定が続けられ、アナログコンピュータが弾き出した値が設定される。水雷長の前の表示盤に作業が終わったところからランプが灯っていった。
「斜進角、4番左85度調定完了。3番マイナス2度、5番プラス2度で調定完了」
「装填!」
「……装填完了!」
表示盤を見ながら水雷長は次々と指示を出す。
「発射管注水」
ドザアーと3つの発射管へ水の流れ込む音が艦内に響く。
「注水完了!」
「外扉開け」
「外扉開口完了!」
水雷長が表示盤のランプで発射準備状況を再度確認する。
「発射用意よし!」
「発射!」
「3番発射! 4番発射! 続いて5番発射!」
シュオオォと連続して空気がそれぞれの発射管に吹き出し、魚雷を押し出した。
「発射完了。外扉閉めろ」
「発射管内排水」
水雷長はまたもストップウォッチとにらめっこを始めた。
発射された魚雷3本は、4番魚雷を中心に左右2度ずつ進行方向に開きをつけてあるので、徐々に扇型に散開していく。
その時、魚雷の進行方向から……
キェアアアアァァ……
「「「!」」」
艦内にいても聞こえる奇声。身の毛もよだつネウロイの叫びが届いた。
「ネウロイの声だ!」
「奴の探信音か?!」
「水測、ネウロイの動きわかるか?」
≪まだ水中の騒音が静まりません≫
「予定深度到達。艦水平」
「深さ70」
前のめりになっていた伊401は深度70mで水平に戻った。その時、伊401が急にぐらぐらと揺れた。
「今のは?!」
副長が操舵員に聞く。
「分かりません。艦尾が煽られたような感じでした」
千早艦長の顔がまた厳しくなった。
「煽られたのは右からか? 左からか? 感覚でいい」
「左から来た感じでした……」
千早艦長は右後ろを睨んだ。
「ネウロイは艦尾左方向から右舷へ高速で通過した。奴は右後ろにいるぞ! 面舵! 水測、探信儀で右舷3時から5時方向を探信! 水雷長、7番、8番発射管準備!」
ピーン、ピーンと高周波の探信波が発射される。3発目がピーン、コーンとすぐさま返ってきた。
≪探知! ……本艦右120度、400m、深さ60!≫
「7番、8番、魚雷調定! 準備でき次第発射!」
右へ旋回する伊401。
だが、千早艦長は押しつけられるように当たる強い熱線のような感覚に『間に合わない!』と思った。
伊401の右後方ではネウロイの方が先に旋回を終え、顔の正面に伊401の大きな船体を捉えた。獲物を捕捉したことを喜ぶかのように、上部前寄りの瘤状の膨らみから赤い光が光った。ネウロイの艦首前面に並ぶ魚雷を撃つ穴が大きく開き、体内で生成されたばかりの魚雷の頭が黒光りして覗く。
そして発射されようとしたその時!
ネウロイの周りで閃光と爆発が起こった。
青白い爆炎は魔法力を伴っているから。
広がる魔法力の光はネウロイの装甲を蝕み、ヒビを入れ、ガラガラと崩していく。
先程の探信波とは違うネウロイの悲鳴が海中に響いた。
細かく切り刻み過ぎて3話で終わらなくなってしまいました。次回、水中雷撃戦ラストです。