島々に囲まれた昼とも夜ともつかない暗い内海。そこに商船と護衛艦の黒い船体が幾つも重なりあう。空に星は見えないが、代わりに舷梯の窓から漏れる明かりが
その時、平らなシルエットの船にライトがパパパッと灯った。航空母艦だ。
灯ったとはいっても飛行甲板の誘導灯が点いただけで、基本的には暗いまま。島型艦橋から甲板を照らす明かりも赤色灯だ。それを合図に、空母の前に並ぶ護衛艦たちがサーチライトを点ける。こちらは通常の白色灯。照らすのは海面で、空母の前方が回廊のようになって南水道の方へ延びていった。だがネウロイが撒いた黒い粒子のせいで思ったほど明るくない。
空母の飛行甲板の真ん中に四角い大きな穴がぽっかりと開いていて、穴の底では赤いライトに照らされた中で人がうごめいている。ブザーが鳴り、底の床がせり上がってきた。艦内格納庫から飛行甲板へ航空機を運び上げる2基のエレベーターのうち、艦橋の横にある前部エレベータだ。
エレベーターにはユニットケージが2つ載っていた。作業員がケージに群がり、エレベータよりやや後ろの甲板へと押していく。そこで待っていたウィッチがユニットケージの梯子に昇り、ストライカーユニットに足を通した。
前のユニットケージにセットされているのは艦上戦闘脚仕様にされているシー・グラディエーター。ウィッチはシィーニーだ。腰にぶら下げた皮の鞘に収められた大ナタを少しずらすと、ストライカーユニットと繋がったランドセルのようなエンジンを背中に背負う。ベルトを調整して身体にぴったり密着させるとエンジンを起動させた。最初排気管から黒い煙が出るが、すぐに消えてほぼ透明な白灰色の排気になり、呪符のプロペラが現れアイドリングが始まる。ウェポンベイが開き、出てきた7連装の『マイティラット』ロケットランチャーを担ぎ上げた。
後ろのユニットケージには艦上雷撃脚TBF・アヴェンジャーが乗っている。ウィッチはジェシカ。ストライカーユニットに足を通すと、すぐにエンジンを起動する。1900魔力もあるR2600エンジンの図太い音はグラディエーターのエンジン音をかき消してしまうほどだ。ウェポンベイからは7.62mmのM1919機関銃を取り出した。
「シィーニーちゃん頑張ってー」
「ジェシカ任せたぞ!」
天音や優奈ら扶桑ウィッチ達とレアが艦橋の下に集まって手を振っている。
前部エレベーターの左横にあるカタパルトの前にユニットケージが置かれると、シィーニーはギヨッと目を見開いた。
「ち、ちょっと待って下さい! こんな短い滑走距離で飛ぶんですか? 風もないのに!」
「あれ? シィーニー軍曹、カタパルトで飛んだことないの?」
「カタパルトどころか空母から飛ぶの初めてです!」
「艦上機のシー・グラディエーターなのに?」
「わたし空軍ですよ。グラディエーターだって本国に余ってたとかいうキット使って改造されちゃったんです」
「ブリタニアも大胆ねぇ」
「重たいアヴェンジャーをこの距離で飛ばせられるんだ。軽いシー・グラディエーターなら楽勝なんじゃないか?」
レアが軽く言うのを「他人事だと思って」というジト目で見返す。そこに卜部が出てきた。
「95式って扶桑の複葉水上偵察脚使ってた時の、水上機母艦の火薬式カタパルトでの経験だけど、二枚羽は滑走中から浮かび上がってくるのが分かるくらい揚力が単葉機とは段違いだから、そんなに心配いらんと思うぞ。コツは肩の力抜いて、飛び出すまで変な操作しない事」
「ウラベ少尉さすが! そういうアドバイスが欲しかったんです」
「発艦はそう難しくありませんよ」
ジェシカも一生懸命笑顔を作って言った。
「空母は飛ぶより降りるのが大変なんで」
とこちらは聞こえないように斜め下向いて呟く。聞こえなかったシィーニーは顔をパンパンとはたいて気合を入れた。
「分かりました。もうどんと来いです。やってみます!」
ブライドルワイヤーがシー・グラディエーターに引っ掛けられシャトルと繋げられた。
「軍曹、回してください。エンジンフルパワー!」
「エンジン、フルパワー」
シィーニーは言われた通りエンジンを全開にする。
「準備整ったら合図してください。撃ち出します」
「準備? 武器も持ったし、もう他にすることないんでは?」
「了解。シィーニー軍曹準備完了! 射出!」
横に立っていたカタパルトオフィサーが右舷側に下がってしゃがみ、右手に持ったパドルを艦首の方に指し示した。それを見たカタパルトオペレータが射出ボタンを押した。高圧空気が作動油をシリンダー内へ押し出し、ピストンが作動。ピストンに引っ張られたワイヤーによってシャトルが、そしてシャトルと繋がったシー・グラディエーターが艦首に向かって急発進した。
「え?! あっ、心の準備が! って準備ってこれ?!」
叫び終わった時にはもう空中にいた。真下は後ろへ流れる海面。足を下ろす甲板や地面はもうない。
「ひゃあ! もう飛んでる!!」
だが卜部が言った通り、グラディエーターの二枚羽は既に揚力を生み出しており、飛行場で助走終わって浮き上がった時と同じ状態になってた。
「へあー、これがカタパルト。すんごいもんですね」
サーチライトで照らされた海面と、反射で映る護衛艦の艦体、それと計器を見て姿勢を確かめ、ゆっくり高度を上げながら船団が見える範囲で旋回する。
サンガモンの甲板ではウィッチ達がグラディエーターの翼端灯を目で追っていた。
「たいしたもんだ。もう掌握できてる」
レアが感心した。
「夜間飛行も問題なしですね。夜間戦闘経験はないけど移動はしたことあるって言うだけあって慣れてます。やだぁ、もうさすが対潜ウィッチの先輩だわ!」
ジェシカはきゃんきゃんとはしゃぐ。その間にもジェシカのアヴェンジャーが載ったユニットケージはカタパルトへと運ばれ、作業員のチェック、ブライドルワイヤーのセットが行われる。
「少尉、セット完了です」
「ラジャー。離れて」
ジェシカが左右に手を広げた合図で作業員たちはケージから離れた。ジェシカはもう一度計器や機体を確かめると、機関銃を持ち直し、皆のいる方に向いた。
「ジェシカちゃーん、頑張ってー」
手を振っている天音達に親指を立ててウィンクすると、カタパルトオフィサーに敬礼する。
「グッドラック! ジェシカ少尉、射出ー!」
空母の艦首方向に続くサーチライトの回廊に向けてカタパルトオフィサーの腕が向けられ、それに導かれるようにアヴェンジャーが撃ち出された。
そのジェシカを追う様に、横にいる空母スワニーからもジョデルのアヴェンジャーが飛び出して行った。
◇◇◇
サーチライトで照らされた回廊の一番突端では、南水道の防潜網が開かれようとしていた。防潜網の内側で待機しているのは伊401。頭上をジェシカのアヴェンジャーが通過し、ジェシカはサーチライトを点けると南水道を照らして南下していく。
≪こちらジェシカ。南水道に潜水型ネウロイの姿なし。ジョディ、擬態ネウロイもいないか、そっちでも確かめて≫
≪こちらジョデル。大丈夫、クリアです≫
≪了解。防潜網開けろ≫
小型艇が2艘、防潜網を引いて水路を開けた。
≪南水道オープン≫
「了解。伊401出撃する。両舷微速前進!」
千早艦長の号令で伊401の艦尾にスクリューの渦巻きが起こり、ゆっくりと防潜網の外へと出ていった。
◇◇◇
「行った行った」
「じゃあ私らも出撃準備に取り掛かろう」
格納庫に向かおうとするウィッチの集団で、一人秋山が艦首を向いて突っ立ったまま固まっている。
「秋山さん?」
優奈が横から顔を覗き込む。
「どうしよう! 私もこれで飛び出すの?!」
シィーニーに続いてまたこんなこと言ってるのが現れたとレアが口をへの字に曲げた。
「シィーニー軍曹と違って秋山曹長は海軍だろ? 蒼莱も海軍機だって言ってたじゃんか」
「海軍機ですけど、局地戦闘脚です! 艦上戦闘脚じゃなくて飛行場から飛ぶの専門です!」
「蒼莱も艦上から飛び立つことは考えて作られてあった。牽引フックや着艦フック付いてた」
イオナが指摘する。
「そ、それは将来に備えた装備で、実際使ったことないんですー」
「カタパルトは訓練で体験してるはず」
「それ訓練用練習脚で、軽巡の火薬式の呉式2号カタパルトからですよ?」
「リベリオンの空母用油圧カタパルトは次第に速度が出る感じだから、扶桑の火薬式より怖くない」
「ほんとですかあ?」
「イオナ少尉の言う通り、油圧式はゆっくりスタートするから、火薬式より身体に優しいよ」
レアが言い添えた。
「火薬式のでもカタパルト経験あるならヘーキヘーキ」
「うう……ダメだったらナドー少尉に代わってもらいますからね」
「カタパルトに乗っちゃったらもう代わりたくても代われねーよ」
涙目でとぼとぼ歩きだす秋山を、苦笑いして後からついて行くレアだった。
格納庫で個人装備と弁当などを受け取り、今一度卜部は427空の皆に声を掛ける。
「今日は久々の裏方仕事だが、水偵隊の本業は裏方だからな。縁の下の力持ちの仕事、誇りを持って励んでくれ。出撃ー!」
「葉山少尉、留守番頼むねー」
「皆気を付けてな」
「一崎のお守り、よろしくね、イオナ少尉」
「任された」
空母で留守番の葉山を残し、卜部と勝田は舷梯に吊るされたタラップを降りて係留されている零式水偵へ。他はユニットケージに固定されているストライカーユニットに飛び乗った。
作業員が後部エレベーターへユニットケージごと運び、ブザーが鳴るとエレベーターがせり上がっていく。飛行甲板に現れた扶桑水上脚部隊は、そこからクレーンで海上へ降ろされる。卜部の零式水偵の周りに集まると、卜部から命令が下った。
「秋山上飛曹の発進を援護する。全員サンガモンの艦首前方水面へ展開。千里は艦首すぐ横な」
「「「了解」」」
幾筋もの航跡を引いて水上脚部隊は空母サンガモンの前方に向かって水上滑走し、サーチライトで照らされた回廊に点々と位置についた。秋山の発進援護とは、つまり海上に落下した時、すぐ救助できるようにするための配置だ。
空母スワニーからは一足先にウィラの
サンガモンの飛行甲板もレアの発進準備で忙しい。
「ホワイト中尉、発艦完了。右旋回。シィーニー軍曹は現在艦後方にあり。針路クリアです!」
「了解、離れろ!」
レアが手を左右に広げて作業員の退避させる。エンジンが高鳴り、猛烈な風が吹き荒れ、魔法陣がひと際明るく広がる。
「レア・ナドー、出撃する!」
敬礼をすると、カタパルトオフィサーが行けとばかりにパドルを艦首へさし伸ばした。一呼吸おいてグッと引っ張られ、どんどんスピードを増してレアの
「ナドー少尉、発艦完了。続いて秋山曹長スタンバイ!」
秋山の蒼莱がカタパルトまで押され、作業員が手際よくブライドルワイヤーを翼の付け根近くの胴体にあるフックに引っ掛ける。別の作業員が周囲を回って最終チェックする。
「曹長、機体問題ありません!」
「ありがとう。リベリオンの空母は手順が整っててしっかりしてますね」
分業やマニュアルが整備されていて、沢山の人が機能的に動く様は、さすが合理主義リベリオン。秋山も感心せざるを得ない。
「秋山曹長、グッドラック!」
「ありがとう!」
作業員は下がるが、右横に残っているカタパルトオフィサーはまだ発進OKを出していない。カタパルトの油圧シリンダーを押す高圧空気の充填を待っているのだ。そして合図が来た。
「曹長、エンジンフルパワー!」
「了解、エンジン全開にします!」
マ43発動機が唸りを上げた。大人しくアイドリングしていたエンジンは一転して2200魔力の力を見せ始める。キィーーーンという過給機の音、2重反転6枚ブレードの呪符プロペラ、巻きあがる噴流で胸元を大きく開けていた作業員の上着が脱げそうになる。
「すげえ。曹長、いつでもどうぞ! 合図で
「はい!」
カタパルトオフィサーが下がった。秋山は艦首前方のサーチライトで照らされた回廊を見て唇を舐める。口の中はカラカラに乾いていて唇はざらついていた。
≪こちら勝田。蒼莱は高速機だから速度がないと揚力が得られない、たぶん空中に飛び出ても暫くは機体が沈んでいくと思う。でも慌てずに風を感じ取るまで機体操作は控えて。まあもし落下してもすぐ救助する。肩の力を抜いて訓練通りやるように≫
「りょ、了解!」
カタパルトオフィサーと射出操作員が秋山の指示を見逃すまいと凝視している。秋山は目を一度閉じると、敬礼を返した。
「秋山、行きます!」
見開いて艦首前方を見据えた。
ドオッと力強く引っ張られ、飛行甲板がものすごい勢いで過ぎ去っていき、あっという間に空中に放り出された。
サーチライトで照らされる水面と空との境を見つめる。
だがどんどんと境目が上に上がっていき、視界から水面の占める割合が増えてくると、秋山は蒼莱が十分に揚力を得るまで待てず、慌てて操作してしまった。機首を上に向けたせいで余計に揚力を失い、蒼莱は左に回転し失速しそうになった。
「きゃあ!」
落ちそうになったところを風のように千里が滑り込み、がっと秋山の右手を掴んで引き上げた。秋山の射出に合わせ横から離水してすぐ後ろに並んでいたのだ。
「ふああーっ、助かったー! ありがとうございます!」
「ここで墜ちては困る」
シィーニーもすぐさま寄ってきた。
「曹長、大丈夫ですか?!」
「す、すみません!」
秋山は千里とシィーニーに左右の腕を支えられてゆっくり高度を上げていった。
ぐるりと回ってウィラとレアもやってきた。
「心臓が縮んだぞ」
「何にしても飛べてよかった」
「す、すみません、ご心配かけます」
「下妻曹長、ありがとう、もういいぞ」
「わかった。皆さん御武運を」
ウィラに促され、千里は敬礼するとくるりと宙返りし降下していった。
次回こそBGMに『成層圏に向かって』を流したい!