水音の乙女   作:RightWorld

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第121話「上昇」

 

二式水戦脚が低空に舞い降り、水平だった身体を引き立てるとフロートを展開し着水する。途切れることのない動作は無駄がなく、千里の高い練度を窺わせた。千里は卜部達水上脚の一団に合流すると、待っていた伊401の晴嵐隊と一緒に水上滑走で北水道へと向かった。

 

≪暗雲外周待機部隊、出発する≫

 

空母や護衛艦の甲板にいる水兵達が帽子を振ったり手を振ったりして見送る中、水上機隊は白い航跡を引いて北水道を出いった。

 

 

 

 

北水道を出て暫くすると、水上機隊は大きなうねりに煽られ始めた。

 

「うわ、今までべた凪だったのに、なんだいこりゃ~」

 

隙間に隠しておいたモモの缶詰が足元をころころと転がって出てきたもんだから勝田は嘆いた。

相変わらずむっとした空気は風もなく、息苦しさを感じるほどだ。そんな中を間隔はかなり広いものの、かなりの高さがある波が南から押し寄せてきていた。

 

「これ土用波じゃない?」

「そうだね。遠くに台風が来てると、まだ天気がいいうちから波だけが届くってやつです。イオナさんが言った通り、(ハリケーン)が来てるんですね」

 

浜育ちの天音と優奈はこういった海象をよく知っている。

 

「さすがのネウロイも海のうねりは止められないか」

「波のエネルギーは地球的な規模の物理的な力ですからね。無理でしょうね」

 

卜部の呟きに答える西條は、それでも気象という地球規模の現象をここまで制御してきた事に驚かざるを得ない。ネウロイが人類と同じように自然を支配できると本気で思っている驕り高ぶった愚かな存在であることを祈った。竜巻や台風などと同じ災害の一つだったら最悪だ。存在することを諦めるしかなくなってしまう。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

水上機部隊が北水道を出ていくのを上空で見届けたウィラ、レア、秋山、そして護衛のシィーニーは、船団上空で狭い編隊を組んで大きく周回しながら次第に高度を上げる。

 

「こっ、怖い!」

 

高度が上がるにつれ暗くなってくると、思わず秋山はひきつった声をあげた。

まだ下には船団のライトが見えてるからいいが、見上げると上は目印になるものや、目標物どころかそこに本当に空間があるかさえもわからない闇。夜の空とはまた違う異様さだった。広い空にいるはずなのに、言い表せないような閉塞感に囚われる。

 

「なんだ、手でも握っててやろうか?」

 

レアが冗談混じりに手を差し出すと、秋山が飛び付いてその手を掴んだ。

 

「え?!」

「あ、ありがとうございます、ナドー少尉……」

 

うるうるした瞳で見つめ返す。

 

「そんなに怖かったのか?」

「怖いです~」

 

不安で涙ぐんで腕にしがみついて子犬のように震える秋山。レアは本当に心配になる。

 

「そんなんで本当に大丈夫なのか? ネウロイの見えるところまで同行するくらいしかオレ達にできることはないんだぞ?」

「高いところにいるネウロイには訓練してますから少しはやる気もありますけど、闇で何も見えない、上も下も分からないところを飛ぶってのはまったく経験なくて、ちゃんと雲の上まで行けるんだか……」

「そのためにオレやホワイト中尉が先導するってことにしたんだ。特にホワイト中尉は夜間飛行も豊富なベテランだから、はぐれなければ必ず行けるって」

「はぐれちゃったら?! はぐれちゃったらもうだめですよね! うあああナドー少尉、手放さないでください!」

 

秋山は目を瞑って叫び、レアの手を握る力がいっそう強くなる。汗ばんだ手の平が湿っぽくなってきた。

 

「手を繋いで飛んでたのではスピードが出せないから、いつ上に着くか分からん。残念だがその手は離してもらう」

 

ウィラから非情な宣告がなされた。

 

「えぇー?!」

 

「翼端灯を見失わないようできるだけ機体を寄せて飛ぶんだ。先頭は私。秋山曹長はできる限り私のすぐ後ろにくっついて飛べ。殿はナドー少尉がついて秋山曹長をフォロー。まだ姿が見える今のうちに隊列を組むぞ」

「うう……」

 

なかなか手を離せない秋山をレアは身体を引き寄せて顔を近付けると優しくささやいた。

 

「さあ秋山曹長。大丈夫、オレはずっと曹長の後ろから離れない。一人ぼっちになることは絶対ないから安心して飛びな」

 

顔を上げた秋山はすぐ目の前のレアの瞳を覗き込む。だんだんと秋山の頬が赤く染まってきた。

 

「ナドー少尉……」

 

秋山の目にはレアの背後に薔薇の花が咲き始めた。

 

はわー……ナドー少尉は背は高いし、ボーイッシュでイケメンだし、なんかカッコいいかも……

 

「王子様が私を護ってくださる……と?」

 

一方のレアもなんだか顔が熱くなってきた。胸の奥がきゅうっと締め付けられるように苦しくなる。

 

なんだろう、可愛いというか、愛らしいというか……妙に庇護意識が湧いてくるんだが……

 

「あ、秋山曹長。君、名前なんだっけ?」

「典子……ノリコです」

「おお、ノリコ……。心配すんなノリコ、オレがずっとついてる」

「はい……王子様」

「おほんおほん。ナドー少尉、お前は女だろう」

 

たまらずウィラが割って入る。

 

「はっ!! そうだ、オレは女だった!」

「ふわっ! わ、私ったらいったい何を!」

 

シィーニーが横から不思議なものを見るような目でじーっと一部始終を観察していた。

 

「女しかいない中だと色んな事が起こるとは聞いてましたが、実際目のあたりにできるとは思いもしませんでした」

「ちっ、違うんです! ナドー少尉がなんか男性っぽいから!」

「まぁー女性ホルモンが少なめと自覚はちょっとしてたんだが、こんなに惹かれてしまうとは……ノリコが妙に可愛いいからだよ」

「ノ、ノリコって言ってる! いけませんナドー少尉!」

「あれ、でもファーストネームやタックネームで呼び合うのは仲間同士じゃ普通じゃないか」

「そ、そうでしたか。そ、そしたら私も呼んでも……?」

「ああ、勿論だ。さあ、呼んでくれるかい?」

「……レ、レ、レア……さん」

「ああ! なんて可愛い声なんだ!」

「ノリコ、そろそろ真っ暗になりますよ。早いとこ隊列を整えた方がいいんでは」

「む。曹長って呼んでください。一応私の方が階級上なんですから」

「わたしはダメなんですか?! 仲間なのに! 植民地兵差別だー」

 

シィーニーがそんな理不審なと泣きっ面になる。

 

「シィーニー軍曹の言う通りだ。今並んでおかないともう見えなくなるぞ! 曹長、私の後ろに着け!」

「は、はい!!」

 

秋山はほっぺたを抓って正気に戻し、ウィラのすぐ後ろに着く。真後ろに移動すると後方気流に煽られるんで、斜め下に少しずらした。

 

「もっと寄れ、秋山曹長」

「も、もっと寄るんですか?!」

「それじゃ翼端灯が見えなくなるぞ。この暗雲は夜とは全くの別物だ」

 

それは以前、暗雲の中で行方不明になりかけたジェシカとジョデルを探して飛んだ経験からくるものだ。

 

「わ、分かりました」

 

ウィラに注意され、ぐぐっと近寄る。

こんなもんかなと、ちらっと後ろを振り向くと、それこそ手の届きそうなほど近くにレアとシィーニーがいた。だが何故か二人とも顔を真っ赤にしている。

 

「ナドー少尉、やばいです!」

「ノ、ノリコ、なんてプリティな」

「え? ……な、なんで、二人ともそんないやらしい目をしてるんですか?」

「秋山曹長、なかなか……キュートなヒップしてるよな。小振りでオレ好み」

「曹長、ズボンちょっとサイズ小さくないですか? 食い込みが半端ないですよ」

「え?! ヒップ?? 食い込み??」

 

慌てて秋山は上着の裾を引っ張って隠そうとした。

 

「ここんところちょっと背が伸びて、きつくなってきたなって思ってたんです! そ、そのせいで……や、やあー、見ないでえー!」

「じゃれるな、暗闇になれば見えなくなる! シィーニー軍曹ここまででいいぞ、護衛ご苦労だった!」

 

高度は既に2000mくらい。船団の灯りもほとんど見えなくなっていた。

 

「は、はい! 頑張ってください。そして無事ご帰還を!」

「了解した!」

「ありがとう。必ず帰ります!」

「軍曹もな!」

 

4人は敬礼してお互い謝意を表す。

 

「いくぞ!」

「は、はい!」

「いつでもいいぜ!」

「ロックンロール!」

 

ネウロイ迎撃に向かう3機はグオオオオとエンジン回転を上げて、暗雲の密集する真っ暗闇へ一列になって突っ込んでいった。手を振って見送るシィーニーの姿はすぐ見えなくなった。

 

 

 


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