水音の乙女   作:RightWorld

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第122話「成層圏へ」

≪1万6千フィート≫

 

時たまウィラが高度を伝えてくる。今およそ5千メートル。まだ半分だ。

周囲は全くの闇。空母から発進する時、護衛艦達が照らしてくれていた海上の回廊がどれほどありがたいものだったことか。飛び立つときだけでなく、飛んでからもこっちが下だとずっと教え続けてくれていたのだ。

正面のウィラのF4U(コルセア)の赤と青の翼端灯を見失わないように意識して接近する。通常ならかなり危険な距離だ。だが事前にウィラが言っていたように、本当にここは夜の暗さとは全くの別の世界なのだ。同じ距離を維持していても翼端灯の明るさがふわふわと変化する。いつ見えなくなるか分からないという恐怖が絶えずよぎった。

後方気流に直接当たらないよう真後ろからは少しずらして位置取りしているが、近過ぎるからかあまり効果はなく、ぐらぐらと煽られっぱなしだ。かと言って離れて翼端灯が見えなくなっては元も子もない。これはもうしようがないと諦めるしかない。秋山はウィラの少し下になるよう位置を取る。

 

下?

 

とっくに向きの感覚は麻痺してる。ホワイト中尉が水平を保って飛んでるとも限らないので、下ではなく実際は右か左にいるかもしれない。でも垂直に上がっているわけではないだろうからやっぱり下なのかな。もしかすると上にいたりするかも。

 

恐怖にかられる夜間や悪天候での飛行では、自分の感覚に任せて飛んではいけないと座学では教わった。固有魔法があるなら別だが、普通の人間は視界のない中での空中姿勢や方向感覚を保つ仕組みが未発達の生物なのだ。それを補うのが飛行計器類であり、人間の脳でも判別できる情報に変換してくれることで状況を理解し、やっとこ飛べるようになる。

そんな自分の位置も向きも全く分からない中で、ホワイト中尉はさすが推測航法、計器飛行に長けた空母艦載脚のウィッチだ。高度計の数値は確実に増していっている。

 

≪2万フィート≫

 

後ろをチラッと見る。レアの翼端灯もぶつかりそうなほどすぐそこにあった。真後ろだ。

 

後方気流なんか全然気にしてないみたい。レアさんの体の輪郭は見えないけどこんなに近くに……

まさかあっちにはズボン見えてるんじゃ?!

 

変な考えがよぎるが、首を横に振って振り払う。

 

いえ、ズボンは別に恥ずかしい訳じゃなくて、サイズが小さくなったのを履いた結果が恥ずかしいことになってるんだ。着替え用に持ってきたのを古いのと間違えちゃったのかな。ちょっときつすぎるもの。

もしかしてレアさん、なんとか見ようと思ってぎりぎりまで接近してるんじゃないの?!

ぶつかんないでよぉっ。

 

 

 

 

ひたすらに黒い空気の中を切り裂いていたが、なんとなくさっきより肌で感じる空気に勢いがなくなったような気がする。高度計を見ると9500mを超えたあたりだった。

 

≪まもなく高度3万2千フィート。エンジンの調子どうか?≫

 

「秋山、問題ありません」

 

≪ナドー、問題なし。でもだいぶ元気なくなってきましたね≫

≪この高度だからな。少し前から上昇力が落ちてきてた。周囲が明るくなってきている。そろそろ暗雲の外に出る心構えを。きっと眩しいぞ。出たら暗雲との境付近に滞空し、レーダーで周囲をサーチする≫

 

3万4千フィート、およそ10400mといったあたりで、周囲が急に白やんできた。黒い粒子が薄くなってる!

 

≪出るぞ!≫

 

途端に周りがカッと真っ白に輝いた。目を細め急いでゴーグルをかける。そして目を見開いた。

 

そこに広がる空は、蒼!

右も、左も、頭上も、蒼、蒼、蒼!

 

そこには美しい蒼穹の空が広がっていた。暗雲の上にはいつもと変わらぬ青空がちゃんとあったのだ。

 

なんて美しい!

 

だがいつもなら下からも白い雲の照り返しで眩しいはずが、今日はない。下で渦巻く墨でも流したような真っ黒な暗雲のせいだ。それがこの美しい空に見とれていさせるのを妨げていた。

 

「各機上昇止め! 暗雲のとギリギリ境界を飛べ。ナドー少尉、レーダースキャン開始!」

「了解!」

 

F4U(コルセア)の二人がレーダーを作動させる。蒼莱は電探を搭載してなかった。扶桑のより性能の高いブリタニア製の物を欧州に到着したら積む予定だったからだ。秋山は目視で探す。

 

「南の方に西から東へ一定間隔で10機。北に2機」

 

一早くレーダーで捉えたレアが報告する。秋山も言われた方位に首を回してネウロイを捉える。

 

「高度は3万9千フィート(約11900m)ってとこか。どれをやる? 秋山曹長」

「そうですね……敵は1列に並んでますから、1対1の戦闘になるよう端から攻撃します」

「成程。真ん中の奴を狙うと左右から挟撃されて、3対1になるからな」

 

鶴田隊長なら1回の突撃で最大の戦果上げられるよう真ん中から斬り込むかもしれないわね。突っ込みながら1機、すれ違いざまに振り返ってもう1機。私には無理。

 

「そうなると、どっちの端を狙う?」

「……東、ですね。今太陽は東南東にあります。太陽の中から奇襲します」

「その為には敵より高い高度を取らないとだぞ。せめて4万2千フィートは上がらないと」

「大丈夫。蒼莱なら行けます」

 

そのための蒼莱だ、と秋山の目に迷いはない。

 

「そうなると上昇する時間を稼いでやらないとだな。ナドー少尉、私と一緒に北側の2機を牽制攻撃して敵の目を引き付けよう。南の奴らは気象制御で忙しいからおそらく手出しはしてこない。秋山曹長は私達の攻撃には加わらず、南側の奴らに悟られないよう上昇する隙を窺ってくれ」

「り、了解」

「暗雲の東まで雲との境界付近を飛行して移動する」

 

3機は暗雲に入ったり出たりしながら東へと移動した。

 

「奴ら気付いた様子はないですね」

「暗雲の中はネウロイでも見えないようだな」

 

途中レアとウィラはちらちらとネウロイを確認するが、動く気配はない。

そして北側のネウロイが左のやや上に見える位置まで来るとウィラは移動をやめた。南側の東端にいるネウロイは右のずっと高いところにいる。

 

「この辺で仕掛けるぞ、秋山曹長」

 

秋山はネウロイの位置、太陽の位置をもう一度確認する。

 

「了解」

 

ウィラは秋山とレアそれぞれに目をやる。レアがマイティラットを肩に担ぎなおし、秋山は30mm機関砲の薬室に大きな弾を送り込む。お互い頷き合った。

 

「いくぞ、アターック!」

 

ウィラとレアはF4U(コルセア)のパワーをありったけ出して暗雲を飛び出し、北側のネウロイに向かって急上昇した。秋山もついていく。F4U(コルセア)は一直線に距離を詰めようとするが、レアが思わず悪態をついた。

 

「くそっ、じれったい!」

 

この高度ではF4U(コルセア)といえど上昇スピードが鈍いのだ。思い描くような速度で距離が縮まってくれない。

ようやく射程に入ったところでウィラがマイティラットを2発間欠発射した。巨大なネウロイの下側にあって気圧をコントロールしている扇風機のようにぐるぐる回っている部分に命中し、大爆発して扇風機が吹っ飛んだ。だがコアのある本体の方にはさほど被害はなくネウロイは健在である。ネウロイは相当驚いたようで、赤いパネルが光るとビームをめくら撃ちし始めた。どこから撃たれたのか把握できてないようで四方八方に赤い光線が飛び交う。

 

「きゃあ!」

 

秋山が思わずシールドを張った。

 

「ノリコ、よく見ろ! こっち来るビームはないぞ」

「うあ、でも怖くて……」

 

レアは秋山の傍に寄ると、手と肩を取って顔を寄せた。

 

うわっ! 顔、近!

 

「やばいのは点に見えるようなビームだ。線で見えてる奴は逸れる。線が長く見えるほど明後日に飛んで行く奴だ。ただし自分が向かうところに衝突コースで来るのは危ない。それは見越し射撃されたやつだからだ」

 

実際に飛んでるビームを指差しながらレアが説明する。

 

「なななななにさりげなく顔寄せてるんですかあ!!」

「ノリコの目線で教えたかったんだよ」

「レアさんに目が行っちゃって集中できません!」

「ノリコ……そんなにオレのことが?」

「え? あ、いえ、ち、違います!」

 

≪止まるな、狙われるぞ!≫

 

ウィラに怒鳴られ、二人ははっとして飛びのく。ビームが近くを通過していった。

 

「ノリコ、暫くオレについて来てみな。意外と当たんねえもんだぞ」

 

レアはウィンクしてついて来るよう手で合図する。

 

「うう、ホントですか?」

 

ようやくネウロイもウィッチを見つけたようで、まったく無関係な方角に撃っていたのが少なくなり、こちらに向かってビームを集束してきた。

 

「うわああ!」

「ノリコ、単純な機動で飛ぶな!」

 

レアはビームを見ながら不規則に回避行動を取る。秋山は速度を上げてレアについて行った。

確かにレアに追随しつつよく見れば、ネウロイのビームはこの距離だとあまり正確ではないようだ。赤いパネルは扇風機のようなファンの付け根が付いている側に4ヶ所。なので飛んでくるビームも最大4本。反対面にも4ヶ所あるようで、そっち側を飛んでいるウィラをやはり4本のビームが追いかけている。

 

「やろうもう一発くらいやがれ!」

 

レアが隙を見て急加速、ロールを切りながら突っ込んで、至近距離からマイティラットを発射する。今度はファンの根本部分に命中した。再生が始まっていたがマイティラットの威力は再生速度よりはるかに強力で、本体にも被害がおよぶ。たまらずネウロイはビームを撃ちつつ上昇を始めた。

 

「ええい、まだ上昇するか。追うぞ!」

 

ウィラがネウロイに追いすがる。レアも続いた。

が、さすがにこの高度ではF4U(コルセア)にはきつかった。

 

「があーくそー、昇れえー!」

 

エンジンがせきつく。回ってはいるが全くパワー感がなく、まるで空回りしているかのようだ。ネウロイとの距離がぐんぐん離される。焦るレアとウィラを見て秋山は唇を噛んだ。

 

ここで行かねば何のための私だ、蒼莱だ。何のためにここに来たんだ!

 

「私が、行きます!」

 

秋山が叫んだ。蒼莱がガオオォォとさらに吠え上がった。それまでも十分に回っていたと思ったエンジンがさらに回りだす。そして息を切らしながら上昇しているF4U(コルセア)の脇を、まるで曲芸飛行のような急角度でロケットのごとく蒼莱が抜き去り急上昇していった。

 

「なに?!」

「げえっ、マジか!」

 

ウィラとレアが仰天する。

二人の頭上を蒼莱はジェットエンジンのような甲高い音を残しみるみる小さくなっていく。もう見えるのは蒼莱の呪符プロペラと青い排気煙、そして秋山のズボンだけ。高高度迎撃脚の肩書通り、この1万メートル超えの高空で、まるで飛行場から飛び上がった直後のような高機動を蒼莱は見せつけたのだ。摸擬戦を1万2千メートルでならやってもいいと言っていたのは伊達ではなかった。

 

「たまげた、この高度であの機動力かよ!」

 

蒼莱はあっという間にネウロイの上に出ると、秋山は30mm機関砲を構え引き金を引いた。

ドカンドカンドカンとものすごい音と反動がくる。弾倉には徹甲弾と魔導炸裂弾が交互に仕込まれており、2発がネウロイの上部に命中した。最初命中したのは炸裂弾で、爆発が起こると命中点を中心に広範囲がぼろぼろにひび割れる。そこへ徹甲弾が叩き込まれ、弾丸は周囲を破砕しながら貫通し、ネウロイの上の方が砕け散った。

ギェアアアとネウロイが悲鳴を上げる。だがコアはもう少し下の中心付近にあるのでネウロイはまだ死なない。頭上に現れた大きな脅威にネウロイは下へと逃げていった。

 

≪秋山曹長、よくやった! もうこいつに構うな。後は私達でやる!≫

≪マジに惚れちまったぜノリコ! オレのハートは今ノリコの30mmで撃ち抜かれたぜ!≫

 

「な、な、なにを言ってるんですか!」

 

≪帰ったら抱きしめてキスしてやるからなー!≫

 

「ええぇぇー?! ま、待って! だってレアさんは、レアさんは」

 

『秋山曹長、馬鹿に構うな、行けっ! ナドー少尉、右に回れ。挟み撃ちだ!』

『了解! ノリコ、後はオレ達に任せろ! グッドラック!』

 

暗雲との境付近まで降りていったネウロイを2機のF4U(コルセア)がぐるぐる回って追い詰めていく。秋山は自分のやるべき事を思い出した。

 

「わ、分かりました、お二人ともご武運を! 秋山行きます!」

 

蒼莱はさらに高空へと舞い上がっていった。

 

 

 




やっとBGM『成層圏に向かって』を使ってもよさそうなシーンにたどり着きました。


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