水音の乙女   作:RightWorld

186 / 193
第171話「天音編(その16) ~巴御前、帰国の途へ~」

 

 穴拭水軍とか言って我が物にしていた貨物船をシンガポールのコーストガードに引き渡した智子は、警備艇に戻ってきていた。ちょうどそこに天音たちも残りの子供を運びに水上機基地から戻ってきて、警備艇の甲板に上がってくる。

 

「筑波さん。二式水戦の燃料が乏しい。少し分けて」

「あら。いいわよ。天音は平気?」

「だいぶ減ってたよ。わたしも少し補給した方がいいかな」

「あのぉ、私にも……」

 

 アンウィンもその輪に何気なく加わってよそよそと手をあげた。3人の視線がアンウィンに注がれる。

 

「ボーファイターは瑞雲より航続距離あったはず。なぜもう飛べない?」

 

 千里が疑問を投げる。

 

「それはほらぁ、今日はホバリングとか慣れないことずっとやったし……」

「へたっぴってことね」

 

 後ろから一言で核心を突いたのは穴拭智子。正確かつ簡潔。軍人の鑑である。

 

「そんなはっきりみんなの前で言わなくても!」

「セレター基地に帰る分くらい全然構わないわよ。一宮二水、あたしの機から皆に燃料分けてあげて」

「ういっす」

 

 一宮はホースを調達してくると、ポンプがないのでサイフォンの原理を使って燃料を移し替える。天音は面白そうに理科の実験みたいだねと一宮にまとわりついて、煙たがられていた。

 

「皆お昼頃に飛び立ってるのに、なんでユーナ軍曹は人にあげられるくらい残ってるの? 水上偵察脚ってそんなに航続距離あるんでしたっけ?」

 

 アンウィンはそもそもな疑問を口にする。

 

「零式水偵脚は3千キロ以上飛ぶけど、あたしにかかれば6千キロ行けるわ」

「ど、どこまで偵察に行く気ですか」

 

 それを聞いて智子はポンと手を叩いた。

 

「あんたがあの体力お化けなのね。黒江大尉から聞いたわ」

「ホントですか!? ていうかその変な二つ名で広めないでほしいんですけど」

「ユーナ軍曹だけでなく、お三方もずっと稼働しっぱなしで、よく魔法力持ちますね」

 

 上空を旋回するのがメインだったアンウィンに対し、水偵ウィッチは空に水上にと忙しく動き回っていたので、アンウィンには不思議でならない。

 

「偵察部隊は長時間任務だからね。鍛え方が違うのよ」

「はあー。私もまだまだ未熟なのを実感します」

 

 そこに千里が付け加えた。

 

「アンウィン曹長のように戦闘脚使う人は空中戦で短期間全力疾走するような魔法力の使い方。私達偵察ウィッチは持久力。文字通り鍛えるところが違う」

「魔法力を長持ちさせるやり方ってことですね。センリ曹長は水上戦闘脚だから両方やってるってことですか」

「そう。あなたもやってみる?」

「ええー?」

 

 アンウィンは面倒事は嫌いな性分。しかし今日得た多くの経験値を考えると、ウィッチがシィーニーしかいないシンガポール空軍は、この人達と交流を持っていた方がいろいろ学ぶことがあると考えた。

 

「……いえ、ぜひ今度、教えて下さい」

 

 一宮が残量見ながら燃料移送作業する傍ら、勝田が残る3人の子供を括りつけにかかる。

 

 智子はそんな搬送準備作業を眺めていると、ふと昔を思い出して呟いた。

 

「そういえばこんな風に運んでたわね、あの時も」

 

 言葉を投げかけられた卜部は智子へちらりと目をやる。

 

「あん?」

「扶桑海の最後の戦い」

 

 扶桑海事変で怪異との決着をつけた最後の決戦。怪異に止めを刺したのはかく言う穴拭智子である。その過程で被弾した者や、魔法力を使い果たして落ちていったウィッチを救助し、後方へ運んだのは水偵ウィッチ部隊。当時まだ若輩者だった卜部や勝田だ。

 怪異が飛び交い台風の強風が吹きすさぶ嵐の中、ラスボスの親玉『山』を葬る瞬間まで、水偵脚は挺身隊と共に戦場にいた。

 

「あんた達水偵ウィッチ隊が救ったのよね、台風の海に落ちた仲間」

 

 しんみりと語る智子に卜部は皮肉を込めて返した。

 

「ああそうだ。私達モブウィッチがな」

 

 智子もバツが悪そうな顔をする。

 

「わ、悪かったわよ、さっきの事は」

「台風の中は穴拭大尉でも大変だったんですか?」

 

 優奈は卜部や勝田からその時の話を聞いてはいるが、どこまで本当か知りたいという気持ちがあった。大ヒットした映画でも語られてない部分だ。それを挺身隊側目線で聞けるかもしれないと、思いがけないチャンスに優奈は目を輝かせる。

 

「その時の事、聞かせてください。」

「そりゃあ大変よ。戦闘なんかしなくたって、密度濃くって分厚い真っ黒な雲とか、めちゃくちゃに荒れた海とか、見ただけで危険度マックス。あそこへ落ちたら終わりだってみんな覚悟してたわ。だから下に落ちた子とはもう本気で会えないと思ってた。だけど……」

 

 天音も千里も耳を傾ける。ハーネスを締める作業が上の空になり、勝田に「手が止まってるよー」と注意されてしまう。

 

「帰投したら何人もいたのよ。死んだと思った仲間が。ちゃんと足生やしてね。めちゃくちゃ嬉しかったわ。あんたなんでいるの!? って目玉飛び出そうなくらい」

 

 優奈も天音も自分の事のように嬉しさが湧き上がってきた。

 

「退院して戻ってきた江藤隊長にその話したら、当然よって返された。あそこで命を懸けて戦ってたのは戦闘部隊だけじゃない。海面付近にいたから殆ど目に付かなかったけど、影のように張り付いてた部隊の事を説明されたわ。あんた達の事よ」

 

「卜部さん勝田さんの言ってたこと、本当だったんだ」

「おい、なんだその反応。ボク達を疑ってたってこと?」

 

 智子は続ける。

 

「だけどそんな影の活躍があっても、派手に宣伝されたり、ニュース映像で流れたりするのはいつも私達フォワードだからね。可哀想って言ったら、何だか偉そうなこと言って頑張ってるから平気よって、いつものように笑い飛ばされてね」

 

 すると卜部と勝田の口からそれは同時に発せられた。

 

「「裏方の仕事、信念を持って当たれ」」

 

 卜部を見上げた勝田は言う。

 

「宗雪司令や田山隊長が訓示で必ず言ってた」

「あ、そうそう、そんな感じよ」

 

 智子がポンと手を叩く。

 

「今でも卜部さんがよく言ってるわよ」

 

 優奈はそんな頃から言われてる言葉だとは思ってもいなかった。にこやかに天音は言う。

 

「偵察も救助も護衛も、裏方のお仕事だけど、わたし達がやらないと皆が困るもんね」

 

 智子はにこっと微笑んだ。

 

「あの時の魂はちゃんと受け継いでるみたいね」

 

 だがすぐ真顔になって言った。

 

「だけど卜部少尉。今日はあんた達の後輩を見てきたけど、この子達はもう裏方ではないわね」

 

 天音と優奈はハテナを浮かべた。天音は補給線を守る、優奈は敵情を偵察し知らせる、千里も含め時には救助活動もする。それが自分達の仕事。どれもフォワードにネウロイと正面からガチンコで戦ってもらう為に後ろで支える任務だ。それが自分達の役目と思って疑わなかったし、立派な仕事だと自負していた。だが智子は言う。

 

「海にもネウロイが出てきた今、この子達はいずれフォワードに回んなきゃいけない時が来る気がする。欧州の海が戦場になるのも時間の問題だろうし、この子達にはそれだけの力もあるしね」

「わたしが!?」

「あたしも!?」

 

 天音と優奈はびっくりする。千里は戦闘脚使いでもあり、水上機母艦が廃止されたら空母へ行くことを考えていたから、戦いの矢面に立つ気概もあった。だが天音と優奈は違う。

 

「わたし欧州で戦ってる人達には到底かなわないないと思いますけど。優奈も射撃下手だし、爆弾も当てられないし」

「あのね、たまにはどこか褒めてくれない?」

「何言ってるの。沿岸近くならまだしも、欧州で海の真っ只中でも戦えるウィッチは空母乗りの限られたウィッチ以外いないわ。そして水中の相手と戦うとなると、皆無だわ」

「でも、欧州には潜水型ネウロイはいないんですよね?」

「潜水型はいないけど、水上に現れる例はちらほら出てきてる。ビューリングは船を乗っ取ったネウロイとはもう一戦を交えてるしね」

 

 それは北大西洋に出現したものだ。『セイレーン』と呼称されたそれは、リベリオンの駆逐艦にネウロイが寄生することで海上を移動可能なネウロイの拠点になるという新しい形態だった。

 

「そんなのがいたのか?」

 

 卜部には初耳だった。特にビューリングが戦った事例は機密事項がてんこ盛りだったこともあり、当分一般兵の目には触れないだろう。

 

「潜水型だって時間の問題よ」

 

 智子は間違いなく来るよって予言した。

 そこへ一宮が最後の一人を千里の背中にきゅっと縛り付けて、準備完了を告げた。

 

「搬送者装着完了です。燃料は二式水戦のみ入れました。瑞雲は後から飛んでますからまだしばらく持ちます。アンウィン曹長のボーファイターは救援者の搬送を優先したんで、後回しにしました。なので入れてません」

 

「がーん」

 

 卜部は頷くと、天音達に号令をかけた。

 

「わかったご苦労。よし、それじゃ運んでこい!」

「「「了解」」」

 

 3人は海上に降ろされ、ビューリングが振る手のタバコの火に見送られて、先程と同じように優奈のサーチライトで誘導されて水上機基地へ向け飛び立った。

 

「水上ストライカーって面白いわね」

「だろ? 空と海と、両方にロマンを持つ贅沢なストライカーだ」

「穴拭大尉!」

 

 後ろから大慌てで警備艇の艇長が走ってきた。

 

「飛行艇基地からです。飛行規制が解除されたので、もう飛ぶと言ってきました!」

「え!?」

「乗客を忘れてないか?」

 

 慌てる智子に対し、ビューリングはタバコの先端を赤々と灯させて、淡々とした反応をみせる。

 

「私達がここで大事件に巻き込まれてること伝わってるでしょ!?」

「す、すみません。連絡し損ねてました。なので搭乗受付時間に現れなかったからこのまま飛ぶと……」

 

 あっけにとられた智子は、次にビューリングへ向き直って襟首を掴んだ。

 

「ビューリング! だから私はこんなの無視してとっとと行こうって言ったのよ!」

「智子が行こうって言ったのは夕日がきれいに見えるとこで、飛行艇基地じゃなかったぞ」

「夕日を堪能したら基地に行くんだったのよ。どーすんの! 飛行艇逃したら船便!? 船だっていつ乗船券取れるか分かったもんじゃないわ。便乗なんて融通が利いたのは今や昔よ!」

 

 頭の後ろで腕を組んだ勝田が尋ねた。

 

「そういや穴拭大尉は帰国するつもりだったんだっけ? ビューリング少尉は?」

「観光」

「って言ったらチケットなんて取れるわけないから、研修って名目の書類勝手に作ってるのよこいつ。だいたいここまで来るのだって軍用物資が優先されてて大変だったんだから!」

 

 一通りまくしたてると、はーっと肩の力が抜け、しゃがみ込んだ。まあまあと勝田が横に来て背中を撫でる。

 

「卜部さん。今、飛行艇基地司令は日辻少佐だよね?」

 

 勝田が卜部を見上げた。

 

「日辻さんか」

 

 卜部は勝田に相槌打つと、インカムのチャネルを変えて飛行艇基地へ繋いだ。

 

「こちら427空隊長の卜部少尉だ。基地司令の日辻少佐呼んでくれるかな」

 

 智子はぐすんと鼻をすすって卜部の会話の行方を窺う。卜部は智子へ向かってニカッと笑ってみせた。

 

「よう日辻少佐久しぶり。いつぞやかはうちの矢内が世話になったね。目の前のジョホール海峡の騒動は知ってるかい? そうそう私らがやってるんだ」

 

 智子は勝田にぼそぼそと聞いた。

 

「基地司令と知り合いなの?」

「ボクらの隊から飛行艇脚部隊にいったのがいてね。それであの人とは結構深い縁があるんだ。深ーいふかーい」

 

 意味深な黒い笑みををたたえる勝田に、「へ、へー」と額に汗して智子は応じた。卜部は楽し気にインカムでの会話を続ける。

 

「これを手伝ってくれた人が誰か知ってるか? 陸軍さんだけどさ。今も私の横にいるんだ。……違う。……それも全部外れ。扶桑海の巴御前だ。……なんだその裏返った声は。なんでも彼女扶桑に帰国するところだったらしいんだが……おう、察しがいいね。その飛行艇に乗るらしかったんだけど、もう分かったかな? 首を長くして待っておられるぞ」

 

 卜部はVサインを智子にした。

 

「サーンキュ。あ、もう一つついでにいいか? 『誉』を何カートンか積んどいてくれる? ……いいじゃんか、それ届けるのも私らが護衛する船団だろ。任せとけって。……ありがとさん。今度お茶しようぜ。それじゃあな」

 

 今度はビューリングに向けてウィンクした。

 

「賭けはあんたの勝ちだ。約束の誉は飛行艇で受け取ってくれ」

「お前、いい奴だなあ」

 

 ビューリングは今日一番の笑顔になった。

 智子は立ち上がるとポンポンと赤い袴をはたいた。

 

「ありがとう卜部少尉。それじゃ今から飛行艇基地に行って大丈夫なのね?」

 

 卜部はニヤリと笑って人差し指を横に振った。

 

「行かなくていいよ」

「え、どうして?」

「あっちから来るから」

「おー、さすが卜部さん。呼びつけちゃったか」

 

 勝田が指を鳴らす。

 

「巴御前が待ちくたびれてるって言ったら、お迎えに上がりますってあっちから言ってきたぜ」

 

 智子は切れ長の目をさらに細めて笑った。

 

「本当に? ありがとう」

 

 智子はこの数時間の事を振り返る。久々の最前線の空気に触れ、血がたぎった。

 

「やっぱり勝ち戦はいいわね。いい思い出になったわ」

「そこは私のおかげじゃないか?」

 

 ビューリングが智子の肩に肘を乗せてそう言うと、智子はパシッとその肘をはたき落とした。

 

「冗談。古き戦友からの贈り物よ」

「私も戦友だろ」

「友の字は抜いてくれる? たまたま同じ戦場にいただけでしょ」

 

 2人のやり取りを面白おかしく見ていた卜部は、勝田の手を引いて立ち上がらせた。

 

「それじゃあ私らは引き上げるか」

「ちょちょちょっと待って下さい! 私のボーファイターへの給油は!?」

 

 今まで大人しく見ていたアンウィンが血相を変えた。

 

「冗談だ。ブリタニア軍には色々便宜を図ってくれた恩もあるしな。零式水偵でセレターまで送るよ」

「ホントですか?!」

「それくらいやらんと艦長に怒られちまう」

「ありがとうございます。ああ、よかった~」

 

 アンウィンは胸をなでおろした。

 

「いいってことよ。一宮、ユニット輸送用の運貨筒にボーファイター入らないか?」

「ボーファイターはかなりでけえのでサイズが合わないと思う」

「そうかあ。じゃ、偵察員席にボーファイター乗っけよう。アンウィン曹長は翼にでも座ってくれ」

「え! 私、席に座れないの?」

 

 救いの手が差し伸べられたまではいいが、機械と人間の扱いが逆転たことにアンウィンはかなり動揺した。

 

「大丈夫だ。一崎なんか最初はずっとフロートに乗ってたからな。一宮、命綱つけてあげな」

「りょ、了解」

 

 アンウィンを翼の付け根付近に座らせると命綱を準備する。単なるロープだ。介添えに来た一宮がロープを仕掛ける。

 

「機体や翼には一崎軍曹が使ってた取っ手がある。それに引っ掛けるといいぞ」

「えーと、どう結べばいいのかしら」

「いや普通に結べば……」

「わかんないわ。やってくれる?」

「結べねえのかよ。……しかたねえ。それじゃやるから」

「ちょっと、太ももに触ってるわよ」

「す、すまん。でも手が届かなくて……」

「後ろ回ってこっち来たら?」

「そ、そうする」

「海落ちないでよ。狭いし暗いしだから。って今お尻触ったでしょ!」

「いや、く、暗いから見えなくて」

「だからってそこに手置く!? 早くこっち来てくれる?」

「す、すまん。……えーとこうやってだな……」

「ふーん。面白い結び方ね」

「これ取る時ここ引っ張るだけでほどけるから」

「どれどれ。あ、ほんとだ。かんたーん。って解いちゃった。ごめんね、もう1回結んでくれる?」

「せっかく結んだのに……移動中に引っ張るなよ」

「さすがにやらないわよ。それで体の方はどうするの?」

「腰で結わえるが普通だが、上半身にも紐回すとより安定するんだが」

「やって」

「い、いいのか?」

「だって分かんないんだもん」

「し、しかたねえ。失礼する」

「そ、そこ回すんだ。……あ、今おっぱい触ったね!?」

「い、いや、かすっただけ!」

「卜部少尉、こいつ触りました! やん! また触った!」

「も、もう一人でやってくれる?」

「私結べないわよ! 途中で私落ちたら、あなたブリタニア軍に捕まって首ちょんぱよ?」

「一宮、少々触ってもいいから縛っちまえ。私が許可する」

「私は許可しないわよ。あっ! いまのわざとでしょ!」

「う、動かねえでくれるか? こ、このままだと俺、ホントに死刑になりそうなんだが」

 

 さんざんドタバタして、智子とビューリングに笑われて、ようやくのこと零式水偵は出発準備が整った。

 卜部は零式水偵のコックピットに立って、智子とビューリングに別れの挨拶をする。

 

「それじゃ帰国の道中気を付けてな。よい空の旅を」

 

 勝田も立ち上がり、2人は敬礼する。翼の上に縛り付けられたアンウィンも敬礼。一宮は警備艇で留守番である。智子は手を振り、ビューリングも軽く片手を上げてそれに応えた。

 

「あんたらも生き抜きなさいよ。後輩達によろしくね」

「次の賭けを楽しみにしているよ」

 

 サーチライトを灯した零式水偵は夜のジョホール海峡を水上滑走し、やがて闇の向こうへと飛んでいった。

 入れ替わって扶桑の4発巨人飛行艇が図太い音を響かせてやってきた。それは旅客仕様の山西97式飛行艇だった。扶桑本土と南洋島とを結ぶ民間航空会社へ旅客輸送用として納入していたのと同じ仕様のものだ。トイレはもちろん、ベッドや調理室も備えている。

 

「いい退屈しのぎだったな」

「ちょっとやり過ぎね。あ、少年。荷物乗せるの手伝ってくれる?」

 

 巴御前に声を掛けられ、一宮は背筋をピンと伸ばした。

 

「う、ういっす!」

「扶桑は男までこんな子供動員しないとならないのか? お前いくつだ」

「14」

「ウィッチ並だぞ」

「親父が出港直前に腰を痛めて欠員が出たんで、補充要員として民間技術者特別徴用枠ってことで代わりに船に乗ったんだ」

「それにしてもよくその若さで徴用してくれたわね。確かに整備士としての腕は良かったわよ」

 

 巴御前に認められたと、一宮は嬉しさで顔を崩した。

 

「ストライカーユニットの整備士か。そういやあの固有魔法持ちのウィッチとも仲良かったな。もしかしてこれか?」

「なんだその小指」

 

 ビューリングが突き出した小指に眉をひそめる一宮。

 

「……無垢なガキに悪かった。それにしてもお前のブリタニア語酷いな」

「や、やっぱそうなのか?」

「面白いからそのままでいいぞ」

「はあ」

 

 97式飛行艇が警備艇の横にやってきて停止する。扉が開き、ゴムボートが降ろされた。

 

「さあて行くか。達者でな」

「元気でね。これあげるわ」

 

 智子から一宮の首にあの白いマフラーが巻かれた。

 

 うわ、いい匂い……

 

 麗しいお姉さんの残り香が一宮の意識をトリップさせそうになる。暑いからマフラーなんかいらねえとは流石に言わない。

 ボートに降りた二人に荷物を下し「お気を付けて」と言うと、二人は笑顔とともに軽く手を上げて答える。きりっと引き締め自信に満ちたその顔はやはり戦闘脚使いだ。卜部達にはない鋭利な刃物のような雰囲気。そして統合戦闘航空団で活躍した本物のウィッチ。マジ本物。今更ながらに畏れ多い感情が湧いてきてブルブルっと背筋を走る。

 

 か、かっちょえー。

 

 一宮は姿勢を正して敬礼をし、飛行艇が飛び去るまで見送った。

 

 

 

 

------------------------------

 

 

 

 

「クォック!」

 

 夜のとばりがおりて、虫の音が周りの草むらで大合唱しているところを、その音を上書きするどかどかという多数の靴音が、ハノイ近郊の独立同盟の秘密拠点の廊下を響き渡らせた。

 

「兄者。どうされた。なぜここに?」

「子供を集めているというのは本当か?」

「ああ、そのことか」

 

 兄ホー・チ・ミンの突然の来訪に驚いた異母兄弟のファム・アイ・クオックは、労働者統一戦線のオラーシャ組織と独自に進めていた「党の子ら」の事を問い詰めに来たのだろうと予想し、意外と早く気付かれたなと思ったが、慌てる事はなかった。

 

「よもや王党派の使ったガリアの子らと関係するのではあるまいな?」

「関係するのかといえば、する。使う使わないは別として、我々としても研究はしておきたい。なにせそれで我々は痛手を受けたんだ。敵がどんなものか知っておく必要はある。情報はいくらあっても無駄ではない」

「情報か。それに実態の子供は必要なのか?」

「兄者、探している子は身寄りもなくて食い潰れている、そのまま放っておいては死んでしまう子だ」

「それをシンガポールでやっているんだな?」

「……よく調べたな」

「どうやって運ぶつもりだ」

「シンガポールは物資調達の重要拠点だ。同盟も統一戦線も複数のルートを持っている。海に出没するネウロイを対潜ウィッチがやっつけてくれてるおかげで、南シナ海も随分と安全になって海上輸送路も使えるようになった。心配いらんよ。中でも特に隠密性の高いルートを使っているんだ」

 

 一緒にやって来た他の者達が強い口調で聞いた。

 

「潜水艦か!?」

「潜水艦なのか!?」

 

 クォックもこれには目を見開いて驚いた。

 

「何言ってる。我々は潜水艦なんか持ってないじゃないか」

「統一戦線は、オラーシャの共産党は、持っている! しかも東南アジアで活動しているのはガリアから持ってきた船だ!」

 

 クォックも何か大変なことが起きたらしいと気付いてきた。

 

「何が、あったんだ?」

 

 ホーが紡いだ。

 

「シンガポールで潜水艦が沈没したらしい」

「沈没? 確かなのか?」

「シンガポールの海軍港湾基地に潜り込ませている者からの特急速報だ。ダイバーやサルベージ船を用意しようとしているらしい。そこから推測すれば沈んだと考えるのが妥当だろう」

「……そうか。どこの潜水艦だろうな。事故か何かか?」

「お前は事故だと思っているのか?」

「ブリタニアか扶桑の潜水艦が事故で沈んで大騒ぎしてるんじゃないのか?」

「速報にはもう二つある。その港の沖で爆雷攻撃が行われていた、というものだ」

「……ならネウロイだったのだろう」

「ネウロイをサルベージするか?」

「ないとは言えんな。ネウロイの残骸からコアを回収しようとするのは、裏社会ではブームだ」

「速報のもう一つ。そこから子供を救い出そうとしているらしいということだ」

「子供というのはその研究とやら用のではないか!?」

 

 憤る仲間を抑え、ホーはグイっと顔を近付け、ゆっくりと付け加える。

 

「その子供にウィッチが含まれるらしい」

「ほう!」

 

 一瞬目に興味の色を見せた。材料にウィッチを使うというのか? それはかなり興味深い事だ。だが次の言葉で表情が消えた。

 

「ウィッチは『水音の乙女』だという噂だ」

 

 クォックは慌てた。

 

「ちょっとまて。対潜ウィッチの水音の乙女は現役働き盛り。我々が求めているのは10歳ともっと小さい子だぞ」

 

 ぱさっと新聞が机の上に投げ出された。それはアンナンの新聞だったが、外信記者がHK05船団救援の功績で勲章授与が行われた時の事を書いた記事が載っていた。写真もある。授与されたウィッチがずらっと並んでいる大きな写真。その中で中央付近にひと際小さいのが1人いる。ちなみにシィーニーは会場にいたアンウィンの方が受勲者だと勘違いされ、写真に写ってない。

 

「この小さいのが水音の乙女だそうだ。13歳らしいが見るからに幼い。間違えて捕まえたんじゃないか?」

 

 クォックは新聞を拾った。

 その少女は13歳になったばかりと言えば見えなくもないが、12、いや11歳辺りが妥当に見えた。

 

「それにしても10歳と見るのは行き過ぎじゃないか? ただ……」

 

 クォックは写真に食い入った。

 

「この容姿の良さは何なんだ……。これでは少女趣味なんかなくても、持って帰りたくなるのも分かる」

「クォック、お前もそう思うか」

 

 兄弟はむふっと一瞬顔を緩めた。問題の少女に限らず、写っているウィッチはどれもが好みを抜きにしても美少女に分類するだろうレベルばかりだ。催眠少女兵との最大の違いはもしかするとこれかもしれない。マブゼは容姿にも拘ったらしいが、催眠兵士の材料条件に見かけは入ってない。だがウィッチは神が条件を付けているとしか思えないほど、美少女にしか発現しないのである。

 兄弟は真顔に戻った。

 

「1、2歳条件からずれていても、これでは攫いかねないのではないか?」

 

 クォックの顔が青ざめた。

 

「こ、子供達は救出されたのか?」

「まだ不明だ。しかし爆雷攻撃だぞ」

 

 ホーの側近達が次々とまくし立てた。

 

「万が一死んだとなったら。いや、生きてても水音の乙女を拉致したなどとなったら!?」

「サルベージで潜水艦がガリアので、乗員にオラーシャ人がいるとわかったら!?」

「当然、アンナンのエージェントも乗っていたのだろう!?」

 

 冷徹で名を馳せたクォックも蒼白になった。唇を震わせ、やっとのことで声を絞り出した。

 

「世界中が、オラーシャ、ガリア、アンナンの共産主義組織の駆り出しに走る、な」

 

 ホーは立ち上がり、クォックを見下ろした。

 

「大変なことをしてくれたな」

 

 

 




 
天音編、現在下書き段階で20話を越えることが決定……(-_-;
なぜこうなった!?
最後まで見放さないで読んでくださいね!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。