船団を率いる軽巡香椎は昨日の被雷で浸水し、応急修理にもかかわらず少し右に傾いているが、大山司令は変わらず香椎のマストに将旗を掲げている。その香椎が見守る中、防潜網内から最後の貨物船が出た。各船が所定の位置に着くと、HK02船団はルダン島泊地を出発した。
一方、神川丸は千里と優奈を収容した。千里はいつでも防空迎撃に出られるよう再び待機。優奈の零式水偵脚も再爆装と燃料補給をしていた。
搭乗員控え室では機体が仕上がるのを待つ優奈と千里がいた。
千里は「草加せんべい」と書かれた一斗缶の蓋を開けて、テーブルの上のお盆にがさがさと積み上げる。待機中ずっとかじっているつもりだろうか。
するとそこに控え室のドアがコンコンとノックされた。ガコンと扉が開くと、現れたのは葉山少尉だった。
「あ、少尉」
優奈と千里が起立して敬礼した。
「ああ、楽にしてくれ。これが卜部少尉だったら敬礼なんてしないんだろ?」
「ま、まあ……」
優奈は苦笑いして頬をぽりぽり掻いた。葉山はウィッチの溜まり場では少し砕けたいようだ。千里はそれを感じ取ると、せんべいが盛られたお盆を前に差し出す。
「葉山さん。お茶、飲む?」
「ああ、いただこう」
千里は部屋のすみの戸棚の方へと歩む。茶筒から茶葉を急須に落とし、魔法瓶のお湯をこぽこぽと注ぐ音が控室にこだまする。
葉山はお茶を待たず、優奈の横に座った。
「筑波君。……出られるか?」
葉山は手を、膝の上にある優奈の手に重ねた。
「!」
葉山の眉間に力が入る。
優奈の手は小さく震えていたのだ。
「筑波一飛曹……」
「しゅ、出撃前の、緊張です」
優奈はアリューシャンでの北極圏航空偵察作戦を立派に成し遂げたウィッチだ。今更出撃前に緊張で強張るような初心者ではない。別の理由、今朝の出撃が原因なのは間違いなかった。
葉山は優奈の手をぎゅっと強く握った。
「……いや、今日はもうやめよう。今日はブリタニアの基地空軍の支援が得られる。それほど無理して飛ぶ必要はない」
「で、ですが……」
そこにバーンと勢いよく、再び扉が開いた。
「筑波ー、いるか? 飛ぶぞーっ!」
入ってきたのはなんと卜部だった。
「卜部さん?!」
「卜部少尉!」
これには葉山もびっくり。卜部の零式水偵は天音を乗せて船団前方で水中哨戒の任についているはずである。
「卜部少尉、哨戒はどうした?!」
「パイロットは勝田と交代した。勝田の代わりの通信員は428空から1人借りた」
「だ、誰がそんな許可を?!」
「これから葉山少尉が出してくれればいい」
葉山は目の前が真っ暗になった。卜部はそんな葉山の事なぞ気に留める風もなく、優奈に向かって声を張り上げる。
「大方、初空中戦で震えが止まんないんじゃないかと思ってな」
腰に手を当て不敵な笑みを浮かべて仁王立ちする卜部が優奈を見下ろす。
「そ、そんな! ……軟じゃ……ない……」
そうは言ってみるが、両手を体に押し付けて震えが見えないように押さえつけていた。
「強がんなって! それが普通なんだから。千里、筑波の様子はどうよ?」
「……筑波さん、神経図太いからぜんぜん平気だと思ってた」
「ひ、ひどっ!繊細な乙女に向かって!」
軟じゃないと言いつつ繊細な乙女とは、どんな人だ? 千里も首を傾げるが、まずは謝った。
「……繊細かどうかはともかく、ごめん」
「千里なんか一晩泣いたもんな」
「せ、千里が?」
「うん。……怖かった」
感情の起伏をあまり見せない千里が一晩泣くなんて……。
「それでも千里は戦闘脚乗り。反撃もできるさ。だが水偵脚は基本逃げるしかない。偵察は単機で行動。護衛もつかないしな」
「言われるまでもなく知ってるわよ、そんな事」
「欧州の狭い戦域偵察は戦闘機でも務まるが、洋上偵察、特に広大な海原に散らばる島伝いに作戦する太平洋戦域は航続距離が長い専用の偵察機でないと務まらない。それには長時間の偵察に耐えられる体力、魔法力、忍耐と精神力、洋上航法術、視力、識別力、判断力みんな備えたウィッチが必要だ。そんなウィッチは数少ないから、撃墜されたからって代わりを簡単に用意できるものじゃない。だから水偵脚使いは敵情を持ち帰るだけじゃなく、自らも帰還して初めて任務完了なんだ」
葉山が顔を背けて両手をぶるぶると振った。
「無理、私には無理」
卜部はにやっと笑った。
「筑波にはそれが全部備わっている。お前こそ私達水偵脚使いの伝統を継ぐ奴だ」
優奈は頬を紅くした。
「あ、天音は?」
想定外が飛んできて、卜部は、えっ? と表情を変えたが、フムと僅かな思案で回答に至る。
「あいつが飛ぶ素質を持ってれば十分担い手だ。ただ新ジャンルだな。私の知らない新しい水偵の世界をあいつは持っている。あいつには新しい可能性を切り開いてほしい」
優奈は上目遣いで卜部を睨む。
「……あたしも天音も、卜部さん達に引導渡してすぐにでも継ぐ気満々だから」
卜部、後輩が切ったタンカに一瞬あっけにとられる。が、すぐに豪快に笑った。
「んな、いきなり切って捨てないで、フェードアウトくらいにさせてくれよ。ま、そんな訳だから、今日は一緒に飛ぼう。ブリタニア軍がいるから実戦の空でも少し余裕がある」
優奈が驚いた。
「卜部さん、飛ぶの? ストライカーユニットで?」
「こないだは勝田が飛んだからな。今度は私の番だ」
「ネウロイ来たらどうすんの? シールド使えないんでしょ?」
「弾を避けるだけがシールドじゃないさ。その辺教えるにも丁度いいってもんよ」
「う、撃たれてもしらないわよ?」
「そんときゃ骨でも拾ってくれ。んじゃ、私は予備の零式水偵脚の準備してくる」
卜部は甲板に向かおうと控室のドアを開けた。
「わおう!!」
そこには有間艦長が立っていた。
「びっくりした!」
「やあ、すまんすまん。さすがにここは勝手に入るわけにもいかんのでな」
葉山が飛び跳ねて姿勢を正した。
「す、すみません! 卜部少尉がここにいるのは、そ、その……」
「ああ、いい、いい」
艦長はもう解っているようだった。
「卜部少尉、飛ぶのか?」
「いい機会ですから」
有間艦長は口角を少し上げると、優奈の方に向いた。
「嬢ちゃん、しっかり教わってこい」
「は、はいっ!」
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「トビ、発艦する!」
パーンという乾いた発破音とともに加速した零式水偵脚がふわりと空中に飛び上がった。
≪うほほほー、気持ちいいー!≫
神川丸の周りを旋回しながら高度を上げていき、500mくらいに上がったところでいきなりバレルロールをやり始めた。
≪やっべー、楽しー!≫
「卜部さーん。爆弾も積んでるんだから、楽しむあまりに我を忘れちゃって墜落しないでよー」
≪やっべー、墜ちても気になんないかも≫
「やめてよ、もう」
卜部は2発、3番2号爆弾を翼下に付けていた。優奈もいつも4発のところ、今は2発。まあリハビリということなんだろう。その代わり20mm機関砲を携行している。
「発破カートリッジ交換完了」
「機体接続よし。カタパルト準備完了!」
「キョクアジサシ、いつでも行けます」
「ありがとう。回して」
カタパルトが右舷へゆっくり指向する。
優奈は何度か深呼吸した。
「大丈夫。飛ぶことは怖くない。空も海も、わたしを受け入れてくれる」
カタパルト上に魔法陣がぱあっと広がった。前傾姿勢をとり、魔導エンジンの回転を上げる。
「発射してください!」
「了解、ご武運を! テーッ!」
パアーン
ぐおっと牽引車に引っ張られ、ものの数秒で空中へ躍り出た。浮遊感。機体が沈み水面が近くなる。爆弾も積んでるし、直後はどうしても高度が少し落ちる。でもすぐストライカーユニットの小さな羽は揚力を感じ取り、すぅーっと進みながら上昇に入る。どうして勝田さんも卜部さんも、発艦直後に機体が沈まないのだろう。
高度600mに上がったところで、上空に好き勝手に飛行機雲を描いている卜部を呼ぶ。
「トビ、こちらキョクアジサシ。飛んだわよ。行こうよ」
≪おー、了解≫
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優奈は、降りてきた卜部と肩を並べて船団の前へ出る。すぐに前方の海面に零式水上偵察機が浮いているのが見えた。今は勝田が操縦し、天音が水中警戒をしている427空1番機。今のコールサインは「K2」だ。
≪優奈ー≫
インカムに天音の呼び掛けが聞こえる。
「ウミネコ、こちらキョクアジサシ。ちゃんとコールサインで呼びなさい」
先任としてここはけじめをつけようと、優奈はちょっと厳し目な声で返事をした。
≪う、うん。ごめん≫
「どうしたの?」
≪……うん。降りて……これない?≫
「はあ?」
まるで私用電話である。
だが天音の不安で一杯な声を前にして、彼女が何を心配しているのか想像がついた。友達が銃撃を受けるのを目の当たりにしたことで、不安で仕方がないのだ。
その気持ちは優奈もよく分かる。だって長距離哨戒に出て船団から遠く離れたところで八重櫻が沈んだという緊急電を聞いたとき、その近くにいたという天音も危ない目に遭ったのではないか、次は天音が狙われるのではないかと、無事な声を聞くまで、自分も心配でならなかったのだから。
だが優奈、ここは気丈に振る舞った。
「……天音。あたし達は扶桑海軍のウィッチだよ。いつだって覚悟はしてなきゃ。その為に日々を、行いを、一言一言を、悔いのないようにするんだ」
≪優奈……≫
「それに、あたしは必ず帰ってくる! それが偵察ウィッチの使命なんだから」
≪……そうだよね。横川さんにもそう教わってた。わたし達、世界を救うんだもんね≫
「そうだよ、こんなとこですぐくたばってどうすんの。まだアジアも出てないんだよ」
≪分かった。行ってらっしゃい、キョクアジサシ≫
「ありがとう、ウミネコ。行ってくるね」
卜部と優奈が天音たちの上空を通過した。天音がフロートの上から手を振っている。
通信を終えた優奈は、ゆっくり目を閉じる。そして微かな笑みを浮かべた。その顔を覗き見て、ニヤニヤしながら卜部が突っつく。
「なーにを偉そうに」
「う、うるさいわね! あたしは天音の教育係りでもあるんだから!」
「ウィッチ歴ではてんでかなわないのに」
「軍隊の方でよ! 一応あたしは基礎軍事訓練受けてきたんだから」
強がってみた。でもおかげで震えは止まったようだ。
天音を引っ張っていかなきゃ。あたし達で世界を救うんだから!
あっ。
その時、優奈の零式水偵脚の電探が何か捉えた。
「卜部さん、電探に反応。K2の140度方向、距離8000mに艦影」
卜部が双眼鏡を覗く。
「駆逐艦か、もっと小さい海防艦クラスだな」
この距離だと陽炎で揺らぎ、小さな船はさらに識別が難しい。が、そこはさすがに偵察ウィッチだ。
「よく見えるわね」
「そりゃあ本職だからな」
≪こちらウミネコ。ウミネコからの方位140、距離8090mに水上艦。全長は80mくらいです。速度12ノット≫
「一崎の水中探信でも見つけたみたいだぞ」
「電探と同等の索敵力って、相変わらず天音は凄いね」
≪あー、こちらHK02船団、前方哨戒機のK2だ。接近中の艦に告ぐ。所属と艦名を答えよ≫
「K2、こちらトビ。我々は接近して目視確認する」
≪K2了解≫
しばらくして通信が返ってきた。
≪こちらブリタニア東洋艦隊所属の王立インド海軍スループ「インダス」。HK02船団を迎えに来た。この先の航路は我々東洋艦隊が見張っている。安心して航海してくれ≫
≪インダス、こちらK2。航路の安全確保感謝する。宜しく頼む≫
○427空1番機 零式水偵勝田機
操縦席にいる勝田が天音に声をかけた。
「天音、良かったねー。ブリタニア海軍が露払してくれそうだよ」
いつも卜部がいるところから、髪を縛った一回り小さい勝田の顔が見えるのが何だか妙に感じる天音である。
「一安心です。それじゃあ南東のネウロイ、やっつけに来てくれたんですねー」
「……何の事?」
勝田が固まった。
「ネウロイがいるの?」
天音が笑顔のまま固まった。
「今しがた……見つけました。インダスが近付いていくから、やっつけるつもりなんだなぁと思って……」
「戦闘配備してる風には見えないぞ」
天音の口元がひくひくと少しひきつる。
「インダス、こちらHK02船団のウミネコ。横にいるネウロイはお任せしていいですか?」
≪ウミネコ、こちらインダス。横に誰がいるって?≫
天音が勝田を見上げる。
「……ぜんぜん当てになりません」
天音の顔が青くなった。
「トビ、キョクアジサシ、こちらウミネコ。インダスからの方位085、距離1210m、深度30mに潜水型ネウロイ1隻!」
≪トビ了解。敵の速度、針路も頼む≫
「速度8ノット、旋回してます。今頭は270向いてます!」
○インド海軍グリムズビー級スループ 『インダス』
「何だ、どういう事だ?」
前方をウィッチが2機、東の方へ慌てて飛んで行くのを見て、インダスの艦橋は騒めいた。
≪インダス、こちらウミネコ。ネウロイが頭をそちらに向けてます! 狙われてますよ!≫
「ネウロイだって?」
≪ネウロイが撃ちましたー!!≫
インダスの艦橋の者達が顔を見合わせたその時、
「ソナーです! 高速推進機音、右舷80から90!」
「なにー?!」
「ぜ、前進一杯!」
○427空 零式水偵脚卜部機、優奈機
「筑波、インダスに当たりそうな魚雷を爆弾で吹っ飛ばせ!」
「はい!」
優奈は右へロールすると、雷跡目掛けて降下していった。2本の魚雷が真っ直ぐインダスへ向かって突き進む。魚雷を後ろから追い越すと、2発の爆弾を魚雷の進路前方に落とした。
ドドッと2つの大きな水柱が上がる。水柱の先に魚雷は出てこなかった。
「こちらキョクアジサシ。魚雷、破壊しました!」
続いて卜部。
「ウミネコ、ネウロイの針路、速度変わってないか?」
≪針路265、速度8ノット、深度30m。魚雷発射時と変わらず、です≫
「了解。ここだ!」
卜部が右翼の1発を落とす。爆弾はネウロイの艦底下で爆発した。すると損傷を受けたネウロイは浮上を始めた。損傷部位が下側だとはいえ、ネウロイはあまり損害を受けたようには見えない。やはり卜部の弱まった魔法力では爆弾の威力を現役世代ほど強められないようだ。
「でももう1発あるからな!」
卜部、零式水偵脚を真っ逆さまに急降下させ、左翼の爆弾を切り離す。最後の1発をネウロイの背中の瘤に叩きつけた。
弱まったとはいえ、急所の瘤に魔法力を纏った爆弾の爆発はネウロイにとって苦手なものらしい。瘤が粉砕してかち割れた。亀裂から赤々としたコアの光がこぼれ漏れ出る。
「チェックメイトだ!」
止めは13mm機銃。急降下からフロートを展開して水面を掠めながらの水平飛行に移ると、ネウロイの周囲を旋回しつつコアめがけ機銃を連射する。コアが弾丸を受けて割れると、一呼吸おいて硬質な破裂音と共にネウロイが真っ白な破片になって散った。
○インド海軍グリムズビー級スループ 『インダス』
一連の出来事を唖然と見ているのはインダスの乗員。艦橋の者も、甲板にいる者も、空から舞い落ちる白い破片に見入っていた。
「は、ははは……」
「扶桑の対潜ウィッチ、噂通りやるじゃないか」
「ソ、ソナー! 何やっとるか!」
「申し訳ありません! しかし、本当に何も捉えてなくて……」
「恐るべしだな、ウォーター・サウンド・リスニング・ガール」