Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
……確か、最初にこんなやり取りがあったのだ。
あの後、必要な会話を済ますとワイアッドは自分でももう少し調査をしてみたいといって、さっさと出かけていってしまった。
ワイアッドが単独行動に出たことについては凛にも思うところがあったのか、誰に向けるでもなく独り言のような苦言を呈していた。
「散々調べた、とは言ったんだけどね。それでも自分で霊脈を診てみたいっていうのよね。まあ、あれも魔術師のならいってやつかしら」
すると静かに声を尖らしてそれに応じたのは、テーブルの隅にひっそりと陣取っているテフェリーであった。
「マスターは東西の洋を問わぬレイライン及び地相占術の専門家です。畑違いの方々の見解とは得る物も違って当然でしょう」
「……」
「何か?」
「いいえ、別に。けど、よかったのかしら、あなたも置いていかれちゃったみたいだけど?」
「……それがマスターの意向なら是非などありません」
「へえ、そう?」
「……」
それ以降、両者共に言葉を発することもなく、どこか上の空のセイバーも含めて居間には重苦しい沈黙が横たわっているのであった。
協定についての話が終わったころ、時刻は既に午後の一時に近かった。よって衛宮士郎はいそぎ昼食の用意に取り掛かっていた。
手伝いが要るようなことでもなかったので、残りの三人は居間で待たせてあったのだが……厨房にいてもそれとなく耳に入る斯様な会話を聞いていた士郎の背中には、得体の知れない冷たい汗が筋を引いていたのであった。
居間に横たわる重く刺々しい空気を、これ以上悪化させるわけにも行かない。これから共闘していくというのならなおさらのことである。
何はともあれ、まずはテフェリーが打ち解けてくれるのが一番だ。セイバーと凛だけなら険悪になることはないのだから、しかし……
「さっきもお茶を出しただけで妙な圧力を感じたからな……」
先ほど昼食までのつなぎとして彼が用意した紅茶を一口含むなり、テフェリーは鉄面皮をさらに凍りつかせてなにやら眉間に皺を寄せていたのだった。
何せ相手は本場(?)英国の、しかも本業のハウスメイドである。下手な料理なぞ出そうものならさらに機嫌を損ねることもありえるのだ。そうなってはあの居間の空気を緩和するどころの話ではなくなってしまう。
そう考えるにつけ、自然と調理の手にも力が入るというものであった。ここは腕の見せ所である。義理の父が亡くなってから、まがりなりにもこの家の台所を取り仕切ってきた彼である。ここで奮い立つべき矜持くらいは持ち合わせがあった。
それに、ここでそれなりの評価がもらえればそれをかわきりに打ち解けていく切っ掛けを掴んでいけるだろう。と、どこか使命感のようなものにも駆られて、衛宮士郎は持てる力の総てをそそぎこもうとさらに調理の手に意識を集中しようとした。
しかし、そのとき叩きつけるように響き渡った轟音が屋敷そのものを震わせた。
大排気量の車両が屋敷の前に乗りつけたような音が聞こえる。それも大気を揺らすかのような、まるで炸裂音かと聞き違うほどの大音量であった。
居間にいた士郎以外の三人は、すぐさま外に飛び出した。
士郎もそれに続こうとするが、それを見止めて振り返ったセイバーに、
「こちらはお任せください。シロウは昼食の準備に支障なきようにご注意を!」
と、至極まじめな顔で言われてしまった。出るに出られず、仕方なく彼は食事の用意を再開した。
遠坂凛、セイバー、テフェリー・ワーロックの三人が庭先にまろび出たとき、そこにいたものは見るからに大排気量の大型バイクとそれを駆る長身の女性バイカーの姿であった。
その姿は確かに一見すると上下一揃いのライダースーツに身を包んだ女性に見えた。しかし――。
その女性はおもむろに、やたらと重厚で硬質な感のあるヘルメットを脱ぎ去った。
「いやあ、これはこれは一同おそろいで……っと。おほぉ、これはなんとも眼福な眺め……」
ヘルメットの下から溢れ出たのは、陽光の泉の如く
だが一同が息を呑んだのは、それだけが理由ではなかった。誰もが瞠目せずにはいられない訳がそこにはあったのだ。言うまでもなく、ランサーの姿は昨夜のものとは一変してはいたのだが、彼女は別に当世風の衣装を着込んでいたわけではなかったのだ。
バイクに跨るそのタイトな装束は、昨夜と同様の鉱石の装甲板で構成されていたのである。
重厚な鎧姿からは想像もできない、細く、しなやかに引き締まった肢体はタイトなライダースーツのごとく変容したプレートメイルで覆われていたのだ。極力光沢を押さえた質感とオーダーメイドでも有り得ないほどの身体との一体感のおかげで一見してそれが甲冑だとは判じがたいが、さすがに限界はある。
その格好で街中を疾走してきたというのでは、平日の昼間とはいえさぞかし人目を引いたことだろう。
しかし執拗な視線を受けた当のランサーは、
「ぅん、どこか変か? たしかこんな感じだったはずだが……」
と呑気に声を上げるばかりである。そこで閉口する凛とセイバーをおいて、真っ先にランサーへと詰め寄ったテフェリーが開口一番詰問じみた声を張り上げる。
「ランサーッ、なんなのですかそれは?!」
テフェリーが指す「それ」とは今現在ランサーが駆る大型の二輪駆動装置のことだ。無論のこと先の爆音はこれが原因なのは明白だ。
「うぅむ。よくぞ聞いた。戦利品だ。こいつはなかなか具合がいい」
その返答にさしものテフェリーも閉口し、もはや何から驚いていいものか困惑する一同を前に泰然と佇むランサーは喜色満面で持ち前の美貌を綻ばせている。
「何が、……何があったのです? 私は偵察を……」
咽ぶかの如き息を、何とか落ち着かせて問おうとする主の言を、しかしみなまで聞かずにランサーが応えた。
「うむ、その偵察中にちょいと戦り合っている奴らを見つけてな。ちょっかいをかけたんだが、一方がいきなり逃げ出したもんだから、自然と追いかける形になってだな、そしてそうこうしているうちにこの時間になって……」
「……私が、あなたに命じたのは、偵察だけだった筈——ですが? それに随分時間がかかったようですね?」
「いやあ、それはまぁ……成り行きというか、勢いというか。それに先の戦闘は我らの初陣だというのに無粋な邪魔が入っただろう?」
見上げてくるツートンカラーの視線が、不動のままに零下にまで冷却されていく。それを前にしてようやくランサーも己の不覚を悟ったらしく、やおら言い訳じみた言葉を重ね始めた。
「だか……ら、その、な? 憂さを晴らしたかったというか、」
「…………」
「その、なんというか、ノリでな。……そのまま街をほんの二・三……四五周ほど……」
「……………………」
「い、いや、直接の戦闘は避けたのだぞ? 本当に。だから、少しだけと思って……」
「…………………………………………」
「す、すまん。確かに迂闊な行いであった。ああ、今後は気をつけよう、うむ」
さしものランサーもその沈黙と揺るがぬツートンカラーの視線に口元を引きつらせながらしどろもどろになる。それでも不動のままにランサーを見つめ続けているテフェリーに凛が声をかけた。
「もういいわ、それ以上のことは後にしてあげて」
「……承知しました」
その言葉に、テフェリーはおとなしく従った。もとより主からここでの行動についてはこの界隈の魔術師の代表でもある凛に従うように申し付けられていたからだ。
そこで大仰に安堵の息を洩らしたランサーは憮然と押し黙るテフェリーを尻目に、目が眩むほどの笑顔を咲き乱して今しがたテフェリーの叱責を止めてくれた凛に向き直った。
「いや、助かった。と、いってはまた主の心痛よろしからざるやもしれんが、しかしこのご恩は忘れようとてそうは行かぬもの。感謝いたしますぞ、若く麗しき魔術師殿」
「ランサーも元気そうで何よりだわ、顔を見せないから何かあったのかとおもったわよ」
「おお、まさか心配していただけるとは、これぞ光栄の極み!」
ランサーは感極まったように謳いながら、テフェリーから距離をとって凛とセイバーの方に近づいた。
「だって、期待した戦力がいきなり欠けたら共闘の意味がないでしょ?」
凛は微笑しながらぴしゃりと言い放った。
「っと、これは手痛い」
言葉とは裏腹に、すり寄ってくるランサーの美貌は光の奔流となって咲き乱れんばかりだ。
「ランサーとも初対面ではないのですね」
凛の背後に控えるようにしていたセイバーが主に声をかけた。
「会ったのは昨日ね。ワーロック翁が最初にうちに来たときは一緒にいたのよ。じゃなきゃいきなり聖杯戦争が再開されたって言われたった信じないわ。でも生のサーヴァントを見せられたんじゃそうも行かなかったってこと」
つまりランサーたちは昨夜セイバーたちとの戦闘を離脱したあとすぐにワイアッドと合流して共に凛の屋敷に向かったということになる。
「ふふ、こうして再会できたことは誠に嬉しい限り。昨夜は邪魔なジジイのせいでろくな挨拶も出来なかったのでな、それが心残りとなってまるで心の臓に矢傷を受けたかのような次第でしたぞ。いやぁ、邪魔なジジイがいなくなったのは本当に良……ハッ!」
浮かれて漏らした言葉に、距離をとられたテフェリーの双瞳が冷たい光を宿すのを感じてランサーは口を噤んだ。それから逃げるかのようにして足早に凛の眼前まで歩を進めた。
「兎角、感謝いたします。麗しきは魔術師殿。協力すると決まった以上、ご期待に沿えるようこの身を粉とするも厭わぬ所存」
そしてやおら方膝をついて丁重に騎士の礼をとったのだ。
「ええ、期待させてもらうわ」
大仰に礼をとる神代の女戦士に、凛も微笑を返した。それは少女の微笑ではなく騎士に賜わされる貴婦人からの賞賛の眼差しであった。
その威厳すら纏う物腰に、背後でそれを抜け目なく見守っていたセイバーにも誇らしげな感慨が湧き起こってくる。このような光景は彼女にとっても古き時代を呼び起こすものだった。――しかし、それが一瞬の隙となった。
ランサーは不意をつくように立ち上がり、一瞬で己よりも頭一つは小柄な少女の背後を取ると、そのまま抱き竦めるように腕を回したのだ。
飛燕のごとき、――否、まるで獲物を仕留めんとする豹の如き身のこなしであった。
やおら蛮行に走ったランサーは、そうして驚愕に曇り年相応の少女の顔に戻った凛の顔を直下に見下ろして、満足そうにくすぐるような笑みを浮かべている。その貌もまた牙を剥く美豹そのそれを想わせる。
人の顔というものはこれほどに美しさを保ったまま、その装いを変じるものなのだろうか。
「美しい。まるで新月の夜空を写し取ったかのようではないか。……テフェリーの黒銀のそれともまた違う」
そうして陶酔するように凛の黒髪を掬いながらささやく。白い耳朶を熱い吐息が過ぎり、さしもの魔術師も身を捩る。
「――――ッ、ちょ、」
「ああ、――失礼をした。あまりの
そうは言いながら、腕の中に捕らえた少女を放す気はないらしい。ランサーはそのまま話を続ける。
「ところで、不躾だが魔術師殿、「凛」と呼ばせてもらっても?」
「……名前まで覚えててくれたみたいね」
「忘れる筈がなかろうとも」
凛は息を整えるようにして溜息を漏らした。ここは冷静さを乱したほうの負けだ。挑発に乗って怒鳴り散らしては元も子もない。
「かまわないわ。でもこういうことはこれっきりにしてもらえる?」
そして背後に立つ長身の相手に向けて、今度は微笑ではなく厳しく刺すような視線を送った。
「さて、それは惜しい――」
その眼差しがさらなる愉悦を呼んだのか、さらに身を摺り寄せようとしたランサーを引き剥がすようにして、そのとき余人の一人が両者の間に割って入った。
「下がれ、ランサー! それ以上我がマスターに狼藉を働くことは許さん!」
セイバーであった。本来ならランサーが凛の背後に廻った時には反応する筈だったが、ランサーが何をするかもわからなかったので、今まで息を呑んで見ているしかなかったのだ。ランサーがその気ならば一瞬で腕の中の凛の身体を二つに捻じ切ることも容易い筈だったからだ。
しかしそんなことはなく、ランサーはおとなしく凛から手を放した。今度はセイバーがランサーの前に立ちふさがる形になった。これもまたかなりの身長差があるので、今度はセイバーの矮躯を長身のランサーが抱きこむような姿勢になってしまう。それでも見上げる翠緑の視線に怖じる気配などあろうはずもない。が、しかし
「おお、健勝かセイバー? 昨日の今日でまた妙な運びになったな」
向けられる視線の厳しさに関わらず、ランサーはこの上なく呑気な声を上げる。
「別にいいわ、セイバー、何をされたってわけでもないんだし」
凛は背後からセイバーを諌めた。少々、声のトーンに刺々しい我が出たが、ランサーはそれをも愛でるように眼を細める。
「んふ、失敬失敬。これは些か無礼が過ぎたようであったなァ。しかし貴殿ほどの英霊のマスターがまさか……とは思っていたが、」
ランサーの光を伴うような視線が、再び凛に向けられる。
「どうやら杞憂であったようだな。昨夜は何事かと思っていらぬ心痛を重ねたものだ。……しかしこれは良い運びとなったようだ。これが天の配剤だとするならば、我が父神に礼のひとつもを差し上げねばならんだろうなァ」
ランサーは加えて、近くに良い狩場でもあればいいが、などと独り言を洩らしつつ、この場に居合わせる三者三様の少女たちの顔を舐めるように見回して悦に浸っているのである。
「貴女は私の話を聞いていないのか? ……それと昨夜のことも含めてだが、昨夜の我が連れ合いもまた間違いなく私のマスターだ。故にそれ以上の侮辱は騎士として見過ごすことは出来ぬ」
憤慨したように色めき立つセイバーに、しかしランサーはまともに取り合おうとしない。
「……何を馬鹿な。偉大なる騎士王の主があのようなガキだなどと」
ランサーはそう言い、呵呵と痛快そうな笑いを上げてセイバーの言葉を取り合おうとしない。どうやら彼女は昨夜、セイバーの傍らにいた士郎のことをマスターだとは信じていないらしい。
「二度は言わぬぞ、それ以上の侮蔑は聞く耳持たぬ」
「ふふ。まぁ、そう邪険にしてくれるな。セイバー、警戒せんでも戦闘の意志はない」
「大丈夫よ、セイバー。とりあえず今は引いて」
「凛っ、しかし……」
ランサーは今度は長身を屈めるようにしてセイバーに身を摺り寄せてくる。細まった視線は蛇の如きと称するには些か鋭すぎる鋭利さを持っていた。
一見おどけているように見えて、ランサーは微塵も気を抜いては居ないのだ。その実抑えきれぬほどの殺気を己という入れ物に押し詰め、必死に押さえ込んでいるようでさえあった。
「しかしも何もないものだ、セイバー。それとも、ここで始めるのか? どうしてもというなら、こちらもやぶさかでもないが、マスター同士が労を重ねて共闘関係を結んだ矢先にとは、いささか心苦しいものがあるなぁ。そうは思わんか?」
「むッ……」
言葉こそ放ってくる殺気とは裏腹だが、そういわれてはセイバーも口を噤まざるをえない。共闘の旨は既にマスター同士の間で執り成されたことだ。今この場で彼女がそれを反故にしてことを荒立てるわけにもいかない。
ここで声を上げたのはテフェリーだった。たまりかねたように声を上げる。
「ランサー、いい加減にしなさい。大体、あなたはなぜマスターについていかないのです! マスターはもう出かけられたのですよ!?」
「ふふ。まぁ、そう妬いてくれるなマスター。いくらあたしでも照れるぞ……ワイアッドの奴が要らんというのだから仕方あるまい」
「あなたは何度言ったら事の是非を理解できるのですか。あなたの主は我がマスター、ワイアッド・ワーロック様をおいて他にはありえません! どうして私をマスター扱いしてワイアッド様を呼び捨てになどするのです!」
語気を荒げた叱咤にも全く堪えた様子はなく、ランサーは鼻歌交じりに口を尖らせた。
「いいではないか、当の本人が気にせんといっとるのだから。枯れた爺をマスターなんぞと呼びたくないぞ」
「――――とにかく、あなたは一刻も早くマスターを追いなさい」
そこで息を巻くテフェリーに声をかけたのは凛だった。
「いいえ、これでいいのよ。ランサーには私たちと行動をともにしてもらうわ」
「……」
テフェリーは凛に訝る視線を向けた。その二色の双瞳には刺すような攻撃の色が浮かんでいる。どうやら、彼女自身凛の命に従うというのはあまり歓迎できる話ではないらしい。見た目にはクールな細面の少女であったがその実はかなり強情な我の持ち主なのかも知れなかった。
「説明するわ。ともかく中に入りましょう」
居間では斯様な次第で戻ってきた四人を、何も知らぬ士郎が出迎えた。
「ああ、そうかランサーが来たのか」
揃って居間に戻ってきた面々に、士郎は得心が言ったように漏らしたのだが、
「む、なんだお前は。いきなり無礼な餓鬼め」
「は……?」
「ふむ、狭いところだな。これでは――動きにくい」
言うが早いか、ランサーはやおら纏っていた外装の一切を総て脱ぎさってしまったのだ。
それまで着ていたはずの装甲は見る見るうちに首飾り程度にまで縮小し、まったく別の形に成形された。
それ以外は一糸纏わぬ状態となった彼女の身体からは光があふれ出して見える。その存在から放流するかのごとき山吹色の輝きは昨夜の比ではない。その存在を前にするだけで誰もが知らずの内に呼吸を忘れ、鼓動が早鐘を打つかのようであった。
そして周囲に溢れ出す、柔らかなサンライトイエローの光と共にランサーの衣装は先ほどのようなライダースーツのごときプレートメイルではなく、昨夜の荘厳な甲冑でもなくまったく別の外装を形成へと変容したのだ。
古くは古代ギリシャの胴衣として知られるキトン・ドレスと呼ばれるそれは、足首まで隠れるような多数の襞を形作る優美な装飾が見て取れる。否、しかしそれは装飾によって飾られるのではなく、それ自体が装飾物の塊であった。
そのドレスを形作るのは柔布ではない。それはあまりにも微細な装飾物を鱗の如くつなぎ合わせることによって人の身体を覆う役割を与えられているのだ。つまり、それは一種のチェーンメイルと呼ばれる、紛れもない武具の一種であった。ともあれ、宝石もかくやと言わんばかりに磨き上げられた鉱石の連続が、引き締まりながらも女性特有の柔らかな起伏を主張する白い肌の上に据えられる様は武装などという響きを許さず、いかな賛美を持ってしてももはや的確に言い表すことは出来ぬとさえ思わせた。
そしてそんな楚々とした華美な装いの貴人が近代日本のお茶の間にたおやかに佇んでいるこの状況を、如何な言葉で言い表すべきなのだろうか。
「な、何考えてるんだランサー。着替えたいなら先に言ってくれ!」
その行為に泡を食った士郎は暫し呆然とした後で文句を言ったのだが、当のランサーは、
「む? なんださっきから。小間使いのくせに無礼なやつめ。
などと言うばかりであった。
「……」
とはいえ、そのあっけらかんとした表情を見る限り、どうやらランサーには悪気は一切ないらしい。つまり、彼女は昨夜セイバーの傍らにいたはずの士郎の顔をまったくもって認識すらしておらず、今現在もそのときの同一人物とは思っていなかったということらしい。
そして、彼女にとって給仕に勤める男子などは人間だという認識すら薄いらしくもはや景色の一部としかみていないようであった。それゆえに裸体を見られることさえ斟酌しないらしいのだ。
「……なんだ、そうか。……はて、貴様、昨夜もこんな顔だったか?」
説明を受けてようやくその少年が昨日セイバーに付き従っていた人間なのだと理解したようだったが、ランサーはしげしげと士郎の顔を覗きこんで未だにそんなことを言っている始末である。
だが当の士郎としてはそれどころではなかった。覗き込んでくるランサーのその存在が放つ光に、あらためて感嘆の感情がわきあがってくるのだ。他の英霊達が身に纏う威光とは又違った輝きだった。
セイバーに惹き付けられる感情が彼女を仰ぎ見る羨望に近いとするのなら、ランサーの魅力は人を惹き付けるというよりは勇気付け、活力を与えるような煌めきだった。
一方、今改めてランサーの宝具特性を把握したセイバーは、士郎に対しての態度を咎めるのも忘れて、あらためて感心したような声を漏らした。
「なるほど、それが貴方の宝具特性ということか。……確かに、汎用性という意味では類を見ない……」
ランサーはそれを聞いて、満面の笑みとともにセイバーに向き直る。
「そういうことだ。わが秘蔵の第一宝具、『』にはこの時代までの古今東西、あらゆる時代の武具が内包さている。槍でも弓でも、必要なら言ってもらって構わんぞ? セイバー」
すると今度はセイバーが嘲るような、挑発的な笑みで応える。
「無用だ。我が身命を賭すに足りるはこの剣のみ」
「なるほどな。……ふふッ」
そういうと、ランサーは桜色の厚唇から見えるような吐息をもらした。セイバーはその視線に何か含むようなものを感じて声を尖らせた。
「なんだ。何か言いたいことでもあるのか、ランサー」
するとランサーは声を硬くするセイバーの細い肩を優しく抱くような格好で身を寄摺り寄せ、くすぐるような声で囁いた。
「いや、たとえ荊のような笑みであれ、そなたの笑顔を見れたのが嬉しくてな。ついこちらもつられたわ。――さて次は陽の下の野薔薇のような笑顔を見せてはくれまいか?」
「――ッ」
その吸い込まれるような美貌に妙な危機感を抱いたセイバーは、咄嗟にランサーの手を振り払い後退さった。
「んふ、つれんなぁ……まあ、それはそうと」
するとランサーはハンカチでも取り出すような動きで肩口の
「どうだセイバー、興味があるなら着てみてはどうだ? 武器でなくとも、服なら差し障りもあるまい。さあ、着てみても構わんぞ? というかむしろ着てくれ! ぜひとも!」
手には彼女自身が今身にまとうものよりも、遥かに装飾過多で雅なドレスがあった。どうやらサイズについても調整可能らしく丈の法もセイバーに合わせてあるようだ。無論そんなわけの解からない申し出を受けるセイバーではない。
「何を馬鹿なことを。だいたい、他の英霊が自分の宝具を纏うことに抵抗がない英霊などいない。それともそんな矜持を持ち合わせない手合いなのか? 貴女は」
すると覆いかぶさるように再び距離を詰めたランサーの桜色の厚唇が、セイバーの耳朶に触れそうな位置まで降りてくる。そして細い顎先に触れるか触れないかという距離で、その豪勇さから想像し得ないほどに細く美しい指先を遊ばせながら、
「そちらこそ、馬鹿を言ってもらっては困る。そなた以外の何者であろうとも、たとえ天上の神々であろうとも許しはしないさ。だが、そなただけは別だ……」
その真紅の瞳を潤ませるような光で満たしながら、頭上から降り注ぐたおやかな視線にさしものセイバーもたじろぎ、後退を余儀なくされる。そしてまた退がる。さらに退がり――、しかし後ろは既に壁際だった。
「――ッ」
ルビーレッドの瞳からこぼれる光がまるで熱を持ち、セイバーの白い肌の上を淡く炙るかのように燃え盛る。しかしランサーは焦らない。何時のまにか両の手に執った煌びやかなメイルドレスで左右へのエスケープを封じながら、ゆっくりと、そして確実に距離を詰めていく。
この窮地に至ってセイバーも覚悟を決める。もはや退路はない。ならばこの上はこちらから――どうするのであろうか? ランサーはセイバーに危害を加えようというのではない。ならばセイバーのほうから剣を抜くわけには行かない。そして迫り来るランサーを前にこれ以上退がることも出来ない。
全力で逃げれば逃げられるだろうが、それだとランサーも全速でセイバーを追うだろう。そうなれば必定、部屋の中はめちゃくちゃになるであろう。――
「……退がれ、ランサー。これ以上は遊びですまなくなる」
「そうまで嫌われたとあっては立つ瀬もない。……が、その展開もありだな」
八方塞がりとなったセイバーに打つ手はあるのだろうか。詰めるランサーと詰められるセイバー。趨勢は昨夜とは真逆であった。拮抗し、張り詰めた空気は今にも弾けそうなほどの臨界に達しつつあった。――
「……それはともかくとして、座ってほしいんだけどな……」
配膳のほうも既に終わり、セイバーとランサー以外の三人は既に座っていた。テフェリーがランサーを制してくれれば速いのだが、なぜか当のテフェリーは配膳された料理をじっと睨んだまま動かない。
「……追い詰められてるセイバーっていうのも珍しいわね」
凛も気の抜けたような声を上げるばかりだ。
「言ってる場合か」
「まあ、仲がいいならそれに越したことはないわよ。少なくともランサーのほうはセイバーを気に入ってて協力的みたいだし、好都合じゃない」
「けど……」
「……セイバーの心配ばっかりし過ぎなんじゃないの。士郎?」
「そ、そんなことないだろ」
「じゃ、いいんじゃない」
「……」
「ほら、さっさと食べましょ。私も朝はろくに食べる暇なかったからお腹へってるのよ」
――と、様々な障害に見舞われた感のある食事も無事に終わり、なぜか無用な疲弊を被った衛宮士郎は深々と嘆息した。これが毎食ごとに起るのではたまったものではない。
「なによ、士郎。今日はずんぶん豪勢だったじゃない」
「そ、そうかな」
そういって、士郎は横目で使用人服の少女を見る。必要以上に手に力も篭ろうというものである。彼女が自分の料理にどんな批評を下すであろうか、戦々恐々としていたのは事実なのだから。
そのとき、テフェリーの鋭い眼光が真っ直ぐ士郎に向けられた。案の定、人の憩うべき団欒の場が、いま再び張り詰めた空気に支配されていく。
士郎は身を硬くしたが、すぐに力を込めてその大粒の双瞳を見返す。悔いはない。どのような裁定が下されようとも、彼は出来る限りのことを成したのだ。ならば、後はすべての結果を真摯に受け止めるのみ。
しかしテフェリーはすぐに無念そうに眼を伏せ、洩らした言葉は、
「…………参りました……」
の一言であった。
「……は?」
「……あー、あまり気を落とすな。な、マスター」
ランサーはデザートの林檎に手を伸ばしながら、鉄面皮もそのままに意気消沈するテフェリーを気遣うような声を出した。
ちなみに、当然のことのように食卓に居たランサーはセイバーに負けず劣らずの健啖振りを見せていたのだった。
「……気遣いは無用です。そして私はマスターではありません。だいだいからしてランサー。なぜあなたがここにいるのです? サーヴァントが食事をする必要はないでしょう。まさかマスターからの魔力供給が不十分だとでも言うのですか?」
「いや、それについては不足ない。が、じじいの魔力だけでは足りんのだ」
「マスターとお呼びしなさい! 何が足りないというのです?」
「うまくは言えんのだが、何かが足りん。なにせじじいだし、その辺に問題が……」
「ランサー……ッッ」
いよいよ殺気を孕んだ低い声で唸るメイドを前に、ランサーは逃げるようにセイバーに水を向ける。
「ふむ、よい使用人と主を持っているようだなセイバー。なるほどこの男、ただの小間使いにしておくのはもったいないかも知れんな。少なくとも飯炊きについてはだが……」
「ランサー、料理についての評価は嬉しく思うが先ほどから思い違いをしているようだな。シロウは召使でもなんでもなく、間違うことなき私のマスターだ。――しかし、それはそれとして」
そう言ってランサーに負けじとデザートの皿に手を伸ばしているセイバーはどこか誇らしげに、うつむくテフェリーに勝ち誇ったような、やさしげな声をかけた。
「そう悲観されることはない。シロウの料理の腕は私が保証するところだ」
「……くっ」
テフェリーは己の無力を嘆くかのように苦悶の声を上げた。
「何でそこでセイバーが得意げなのよ。……まあいいわ、とりあえず落ち着いたわね。ちょっとみんな聞いてくれる? 士郎も片付けは後でいいから」
雰囲気を切り替えたかのように重みを増した凛の語調に、テーブルの上から食器を片していた士郎も手を止めた。
「どうしたんだ?」
「ここいらで本題にはいりましょうか」
その場にいた各人の視線を一手に絡めとって、凛がいった。
曇り空のせいか日中であるにも関わらず部屋の中はどこか平時よりも薄暗らかった。ただ、そのためなのか室内に顔を並べる稀人達の持つ輝きがあわく室内を照らしているようにも感じられた。
その様はまるで揺らめく灯籠の陰のように感じられた。
場は一時静まり返った。遠坂凛は調子を焦らせることなくしっかりとした語調で切り出した。
「とはいっても、現時点での情勢はまだ下調べの段階だけど、とにかくそれぞれの配置だけでも指示させてもらうわ」
その視線は確認を取るように各人の顔をざっと見回した。
「まず、セイバーの正規マスターである私はミスター・ワイアッドと同じようにこれからは一人で行動させてもらうわ。セイバーは今後も士郎と組んで。そしてランサーたちとも離れないように意識して頂戴」
「はい」
「士郎もいいわね?」
セイバーは即答したが、士郎は訝るような視線を返した。
「一人で行動するなんて大丈夫なのか? 遠坂」
「あら、心配してくれるの?」
凛はいつものように含んだように微笑を返しながら士郎を見る。
「そりゃあ……」
士郎は思わず目を逸らしてそういった。
「ありがと。でも問題ないわ。本来なら危険かもしれないけど、今はサーヴァントが二人いる。私が危険を感じてセイバーを強制召喚するような状況になってもランサーがいてくれるなら問題は解消されるでしょ?」
これがワイアッドと凛の用意した戦略であり、ランサーがこの場に残った理由でもある。マスターが危険にさらされた場合にも令呪を使ってサーヴァントを呼べるから問題は無い。加えてどちらかのサーヴァントが戦闘中に強制召喚されても、もう一方がその場に留まり対応することは出来る。
信頼できる代行マスターが居るなら、本当のマスターが別行動を取るというのも、なるほど一つの手だ。
「もちろん、それはあなたたちにもこちらの指示に従ってもらうって言う大前提があってのことだけどね」
凛はテフェリーとその脇で凛に向けて愛でるような視線を向けてくるランサーに向けて声を掛けた。テフェリーはいつものように抑揚のない声で応える。
「それはマスターの発案なのでしょうか?」
「そうね、ミスター・ワイアッドが提案してきたことよ」
「ならば私には異論はありません」
是非もないとでもいうような簡潔な応答だった。彼女にとってはその戦略がどうのということよりも、それが主からの指示なのかどうかが重要なようであった。
「貴女はどうかしら、ランサー」
テフェリーの反応に一拍息を漏らし、今度はその傍らにいるランサーに問うと間髪いれずにランサーはにこやかに快諾した。
「喜んで仰せに従おう」
「あら、私がいなくなって嬉しいのかしら?」
ランサーは染み一つない眉間に美しく整った眉を寄せて苦笑いをした。
「いやいや滅相もない。凛殿と離れるは心苦しい限りだが、あのジジイにしては気が効いていると思ったまでのこと。これでテフェリーとあのジジイの立場が逆だったなら心配で仕方がなかっただろうからな」
相も変わらずのこのランサーの発言に、済ましていたはずのテフェリーは幾度繰り返したかわからない調子で声を荒げる。
「何度言ったらわかるのです。私のことなどよりマスターの心配をなさい! マスターに限って危険なことなど考えられませんが、万位一つということもないとは言い切れません。敵がどのような罠を仕掛けているかもわからないのです。そうなったら、あなたはすぐにでも駆けつけなければならないのですよ。気を抜かないようになさい!」
「わかった、わかった。だからもう少し笑ってはどうだマスター。そんな仏頂面ではワイアッドも肩が凝るであろうに」
「――――ッ」
そう言われ、しばしテフェリーは硬直してしまった。
「そ、そうでしょうか。……いえ、関係ありません! ランサー、無用な戯言はやめなさい。そしてマスターは私ではないといっているでしょう。今の関係もあくまで代行という形なのです。それから、マスターに何かあったら些細なことでもすぐに報告なさい。昨日のようなことは許しませんよ」
まくし立てるテフェリーに、ランサーはどこか嬉しそうに生返事を反していた。
「そろそろ、続けてもいいかしら?」
凛がそういうと、テフェリーは怨めしげな視線を向けて「どうぞ」といった。その二色の瞳は、あなたが余計なことを言ったからではないか、とでも言いたげに見えた。
凛もそれを面白そうに一瞥したが、すぐに表情を引き締めて本題に戻った。
「じゃあ、後は今わかっている敵について整理しておきましょう」
「とはいっても昨日の今日だし、あのアーチャー以外に敵の情報なんてあるのか?」
士郎が口を挟むと、凛は心得ているというように頷いた。
「確かに、一番情報のありそうなのは昨日あなた達が戦ったって言うアーチャーね。コイツについては長くなりそうだから後回しにしましょう。他にわかっていることがあれば教えて頂戴。例えばさっきランサーが見たって言う敵のこととか」
それを聞いてテフェリーはランサーを見た。
「ランサー、あなたが偵察に行って行き当ったという手合いについて話しなさい」
そういわれたランサーは頭を掻きながら鷹揚に構えた。もっとも彼女がやるとまるで女神が陽光の穂先を捕まえて弄んでいるかのようにさえ見えてくる。
「大したことは何もわからんのだがな、あたしが乱入した時にもまだ始まったばかりといったところのようだったのでな」
「……なぜ、そこで静かに観察できなかったのですか」
生真面目なテフェリーの恨み言に、ランサーは何のこともないように微笑する。
「いやあ、近づきすぎたようだな。平気かと思ったんだが、すぐに気付かれた。のぞきはあまり趣味ではない」
むしろ、それは仕方がないのかもしれない。本来そこまで近づいた状態で気配を完全にたって諜報を行えるのはアサシンのクラスだけだ。ランサー本人の適正の前に、やはりそのまま気付かれずにやり過ごすと言うのは難しかったかもしれない。
それがわかっているからなのか、テフェリーも眉根を寄せただけでそれ以上の言及には及ばず、仔細についてを促した。
「では、わかることを述べさない。人となりはどうだったのです?」
「一人は髭面の男だ。まるで刃のような目をしていたな。アレはかなり面白そうな手練れと見えた。で、もう一人が女だ。華奢な格好の、黒髪の美人だった。身の丈ほどの剣を持っていたが、さて、こちらはおかしな手合いで」
「どのクラスだったかはわかりますか」
セイバーが聞いた。なるほどサーヴァントを外観から推察しようという場合は、まずはそこから推察していくのは常道だろう。
「さてな。しかし両者とも相対してみた感じでは狂っているようには思えなかった。バーサーカーではあるまい。それから魔術を使うような素振りも見えなんだ。そして両者とも得物は剣だったように見えた」
「じゃあ、その二人はセイバーとライダーってことかな?」
士郎が言うと、しかしランサーは首を捻った。
「さて、それがおかしいといった故でなぁ。あの男の方も別に何かに乗っていたわけでもないし、なによりも黒髪の美人の方が、どうにも妙でなぁ」
どうにもすっきりしないとでも言うように、ランサーは長い五体を余すことなく使って捻じ曲がっている。確かにおとなしく座っているのが苦手なたちのようだ。
「美人かどうかは関係ないでしょう。ランサー」
「いやいや、大事なことでないか。もしかしたらその外面から正体が割れるかも知れんのだしな。そうそう、その煌めく鋼のような黒髪は良く御主に似ておったぞ」
振り乱したせいで雄獅子の
「こんな髪色は、この辺りでは珍しくないのでしょう」
「こんな、とは随分だなマスター。もっと自身を持つがいい。これほどに杞憂な髪を持て余すは逆に罪と言うものだ。まるで融解し流れ出した黒真珠のようではないか、ふふ、誠に美しい……」
ランサー自身の乱れきった髪は手串を入れただけで嘘のように整ってしまい、手持ち無沙汰になった彼女は繊細なる硝子細工でも愛でるかのような手つきで、うっとりと束ねられたテフェリーの黒髪に手を伸ばし、叨々と賛美を口に続けている。
「その髪色に似ているということは長剣の女性はこの国の英霊だというのですか? もしくは東洋の?」
セイバーがそう聞くと、ランサーは手に取った主の黒髪を見つめる艶やかな視線もそのままに応えた。
「……いや、そうではなかったな。手にしていたのは北欧辺りで流行っていた古い型の剣だった。いや、妙といったのはそこでな。その女、なぜか当世風の服装をしていたようでな」
「当世風? セイバーみたいに?」凛が平時の白い洋装に身を包んだセイバーを見た。
「うむ。先ほどあたしが真似ていた格好がそれだな」
一同はランサーが着ていた、まるでライダースーツのような甲冑を思い出した。ランサーはその人物からあのバイクを拝借したのだろうか? しかし霊体化して移動できる筈のサーヴァントがわざわざそのような格好までしてバイクに乗る理由が見当たらない。
「それはサーヴァントじゃないんじゃ……」
士郎が呟くと、ランサーもテーブルに肘を突いてまた首を捻った。
「そこが、どうにもわからんところでな。見るからにこの時代の人間らしいのだが、確かにその近くからサーヴァントらしき気配がしていたのは確かだし、手にしていた長剣もおそらくは宝具だと思うのだが……それにしても、妙でな。いや、美人なのは間違いないのだが……」
古今東西の武装を余すことなく操って見せるランサーが、敵の武装の程度を見誤る筈はなかった。だとすれば、その剣士がやはりセイバーのサーヴァントだと見るべきだろうか。
「他には何かある?」
ランサーが言葉を切ったのを見て取って凛が言った。
「後は、マスターが昨夜行き当たった敵について伝え聞いております」
士郎は昨夜テフェリーが泡を食ったように離脱して言ったときのことを思い出していた。確かにあの時彼女はマスター、つまりワイアッドが戦闘中だといって焦燥に駆られているようであった。
「昨夜、夜になるのを待って遠坂さまのところへ向かったマスターは近くで火災が起きたのを感知してそこに立ち寄ったそうです。それがただの火災でないことはすぐに察せられたのだといいます。そこにはサーヴァントがおり、火の中で佇んでいたとか……」
「そのサーヴァントが火をつけてたってこと?」
「おそらくは……、その後僅かに小競り合いをしただけでサーヴァントのほうが姿を消したということですので、仔細については何も……とのことです」
「そっちも、いまいちパッとせん話だな」
今度は頬杖をつくだけでは飽き足らずにテーブルの上にぐにゃりと突っ伏しているランサーがテフェリーを見上げながら、つまらなそうにそういった。
まるで退屈しきった猫のようであった。いや、彼女の実情を察するならそれはなんとも厄介な虎であっただろう。
「何を言うのです。むしろその程度の小競り合いで済んだのは僥倖でした。いくらマスターとえども単体でサーヴァントと戦闘を行うのは危険が大きすぎます」
「ま、序盤なら誰でも全力の戦闘は避けるのが普通よ。小競り合いが多くなるのは仕方がないわ。でもそのサーヴァントも見た目の特徴くらいはわかるんでしょ?」
凛がそう言って促すと、テフェリーは応えた。
「そのサーヴァントは「和装の女性」だったとのことです」
「和装? 着物ってことか? そんなサーヴァントいるのか……」
士郎が不可解そうな声を上げた。
「聖杯の機能のリピートだけあって、随分融通が利くようになっちゃってるみたいね。ま、もともと英霊じゃないものも随分呼んでたみたいだし、驚くほどのことでもないわ。
とにかく、そいつらについては早合点しないほうがいいわね。決め付けてかかるとかえって危険だわ。……じゃ、次よ。今度こそ、そのアーチャーについて聞きましょうか。みんなそれだけ戦ったのならある程度の辺りはついてるんじゃない?」
そういうとランサーが背筋を伸ばした。
「まぁな、あんな名乗りを上げたくらいだから、向こうもあまり真名を隠すつもりもなかったんだろうさ」
「じゃあ、あいつが誰なのかわかったのか」
士郎の問いに、ランサーはさもありなんと首肯した。
「というか、あれほど出鱈目な阿呆は東西の洋を問わず数えるほどしかいまいよ。調べればすぐわかることだ」
するとテフェリーが脇からランサーの言葉を継いだ。
「アーチャーの真名はおそらくラーマ。古代インドの宝典『ラーマーヤーナ』に語られる神の化身にして人の理想を極めた絶対の王だと言われます。その威名はたしかに騎士王のそれにも劣るものではないでしょう」
「理想の……王」
セイバーはその言葉を小さく、そして反芻するようにくりかえした。
「なるほどね、セイバーがボロボロになった理由がわかったわ」
凛は得心が言ったように漏らしたが、士郎にはその言葉だけではよくわからなかった。西洋の伝承や神話ならともかく古代インドとなると彼には知識がなかった。
ランサーは構わず続けた。
「奴の宝具は少なくとも二つ。弓兵としての主武装である烈火の弓と、あの漆黒の身体そのものだ」
そうだった。士郎は昨夜の記憶を反芻する。確かに奴の宝具はあまりにも不可解でありあまりにも強力無比な代物ものだった。セイバーの剣を弾く剛体。そしてセイバーの魔力を食い荒らす怪炎。
アレは双方とも、ある一定の理を顕著させる概念武装と見て間違いない。
「それについての分析は出来てるの?」
凛の問いに、ランサーが微笑を持って答えた。
「腹立だしいことこの上ないのだが、昨夜あたしは除け者にされてしまったのでな。セイバーとあの阿呆の闘いはつぶさに見させてもらった」
ランサーの流し目にセイバーは強い視線で応えた。目に力が篭るのはやはり昨夜の劣勢が記憶に新しいからであろう。テフェリーが続けた。
「まず、アーチャーの防御についてですが」
「あの黒い身体か……」
「そうです」士郎の声にテフェリーは首肯した。
「そのアーチャーの体のこと?」
昨夜の光景を見ていない凛に、士郎は掻い摘んで昨夜見たあのアーチャーの脅威的な防護性能について語った。
「体が青くなって、さらに黒く、か……」
凛もその情報から敵の背景を推察しているようだった。
「続けてもよろしいですか」
「……いいわ」
しかし、テフェリーは凛の推察を待つことなく話を続けた。
「セイバーの剣がほぼ無効化されていたのに関わらず、ランサーの攻撃はまだ傷をつける程度には効果がありました。攻撃が弱体化させられている点は共通ですが、ダメージ軽減の比率に差があるのです。これはセイバーとランサー攻撃力の差から来るものではなくの性質の差から来るものだと推察されます」
「それは?」
凛の声にテフェリーは真っ直ぐに視線を合わせた。
「神霊適正です。ランサーには神霊適正がありますが、セイバーにはそれがありません。化身王は神の加護――どころかヒンドゥー教における主神の一柱そのものといっても過言ではない存在です。おそらくですがあの宝具は神以外のものが神に抗する事を禁じる神威なのです」
凛はテフェリーの視線をそこで受け流し、ひとり頷いた。
「それで体色が変わるのか……なるほどね」
「遠坂、なにがなるほどなんだ?」
得心言ったように漏らした凛に、士郎が聞いた。
「う――んと、……インドの古い寺院とか書物なんかに描かれてるラーマや他の神様って蒼い肌で描かれてたりするの、見たことない?」
「いや、それはちょっと……そもそもインドの神話自体、詳しくは知らないし」
士郎がそう言うとテフェリーが、「少々お待ちを」といって当初から彼女が持ってきたスーツケースから何冊かの本やファイルを取り出した。
「昨夜から目星はついていましたので、あのアーチャーについての資料は少し集めさせていただきました。遠坂様が仰ったのは、このような絵のことですね?」
そこには、寓意的に描かれた絵巻物のような絵が並んでいた。
「この、弓を持ってるのがラーマ王子ね」
「本当だ。確かに蒼いな……でもどうして……」
「インドの絵画なんかではこういう風に書くのが一般的らしいんだけど、これは人間との乖離を表すものらしいのよ。神様の血を引いている英雄がその辺の人間と同じはずはないってことらしいんだけどね」
「へえ」
士郎が感心したような声を上げると、凛はさらに続けた。
「それから、実はこういう人間との乖離を表す場合って、最初は全身黒で描かれてたらしいのよ。こういう風に蒼く描いてあるのは、絵として描いた時に真っ黒になっちゃうと見栄えが良くないからなんだって、何かで読んだことがあったの。
おそらくだけど本来の神としての側面を表面化させた、その全身が真っ黒になった状態こそが神の化身としての、アーチャーの本当の姿なんじゃないかしら」
「神そのもの……か。厄介な敵だな」
昨夜の弓兵が見せたあまりの規格外さを思い出して、士郎が重そうに言葉を絞り出した。
「そうね、セイバーだけじゃ攻略は難しいかもしれない」
「では、攻撃力のほうについてですが……」
しかし、今度はテフェリーの言葉を凛が遮った。
「それについては必要ないわ。今までの話しで、私にも大体の予測はついてる」
テフェリーはムッとしたように凛の目を見た。
「……お聞きしましょう」
そしてなぜかランサーは真横からそのテフェリーの顔を見てにんまりと微笑んでいる。なぜかご満悦といった表情だ。どうも彼女のふくれっつらが面白いらしい。
「本当なのか、遠坂」
「そいつがラーマ王子だっていうんなら話は簡単よ。セイバーの魔力が食い荒らされたのも納得がいくわ。士郎、その火の弓って鳥の翼みたいな形だったんでしょ?」
「あ、ああ」
「それはきっと神鳥ガルダの力よ。ラーマの主神であるヴシュヌ神の
「そうか、それで……」
士郎はセイバーの装備や風王結界の魔力を食らい尽くそうとした怪炎を思い浮かべた。
龍殺し。つまりあの炎の弓は一級品のドラゴンキラーに他ならないのだ。セイバーとの相性は最悪の部類に入るだろう。単純な強さではなく、もはや揺るがしがたい「相性」の問題なのだ。ジャンケンでグーがパーに勝てないようなものだ。
「どうかしら?」
凛はテフェリーを見た。表情こそ硬いままであったが、テフェリーは素直にその論を肯定した。
「……異論はありません。私達も騎士王であるセイバーの魔力が「食われた」理由は他にないと考えておりました。ラーマ王子は神話上においてもガルダの加護を受けた矢によって悪魔の放つ
「にしても遠坂、良く調べもしないでわかったな」
「まあね。でもこの話ってかなり有名よ? ギリシャ神話のイリアスやカレワラっていうフィンランドの神話なんかと一緒に、世界三大叙事詩って言われてるくらいだし、 士郎も一度ぐらいは目を通しておいて損はないんじゃない?」
「……って、簡単にいわれてもな」
するとなぜかランサーがふてくされたような声を上げた。
「ああ、無理に読まんでいいぞ、坊主。実際とはかなり違うことばかり書いてあるようだからな。あんなもの出鱈目だ」
「はあ?」
「余計な事を言うのはやめなさい、ランサー」
声を顰めたようにテフェリーが言った。
「それにしても、セイバーも厄介な相手に狙われたものね」
首を傾げたシロウを余所に凛は話を続けた。テフェリーも首肯する。
「そうですね。何よりも危険なのは、未だあのアーチャーの底が知れぬという点です。真名が知れても、あの化身王には弱点らしい弱点がない。ランサーの助力があっても攻略は容易ではないかと思われます」
テフェリーの意見に凛も首肯せざるを得なかった。確かに神話上においてもあのアーチャーには弱点というものがない。一つ上げるとするならば、それは彼に付き従っていた一人の姫君の存在ということになるのだが……。それはこの聖杯戦争という儀式においては意味のない要素に思えた。
「セオリーではあるけど、やっぱりマスターと引き離してそっちから叩くべきかしらね。士郎、確かそのアーチャーは今のところこの儀式を監督してるヤツについてるんだったわよね」
「ああ、確かにそう言ってたな」
「たぶん嘘のうまいタイプじゃないだろうし、その言葉は信用できると考えるわ。なら、向こうから責めさせるのは得策じゃないわね。出来るだけ早くその監督役をやってる魔術師を見つけなきゃならないわ。……私はそれを念頭において諜報に入るから、ミスター・ワイアッドにもこの件の報告を……」
「いいえ、奴は恐れるには値しません」
そのとき断固とした声が響いた。それまで黙して耳を傾けていただけのセイバーが一喝するかのように声を発したのだ。一同の視線がセイバーに集まる。
「確かにあのアーチャーは、戦闘力の上では私よりも優れているかもしれません。決して簡単に退けられる敵でないことは分かります。しかし、それでも私が敗れることはありえません」
セイバーは強い視線をテーブルの上に落とし、毅然と言い放った。
「セイバー……」
「なぜです」
声をかけようとした士郎のそれに先んじて。取って返したように、テフェリーが言った。セイバーの視線が向けられる二色のそれに重なる。
「論拠を述べていただきたい。それなりの理がなければ貴女の言葉は――」
「まあ、そうだな。あの腑抜けではセイバーは討てぬ」
やおら詰問の色を帯び始めようとしたテフェリーの声を、しばしその桃色の唇をお茶を啜らせることに専念させていたランサーが遮った。
テフェリーの視線は、一翻、すまし顔のランサーに向けられる。
「……昨夜もあなたはそう言っていましたね、ランサー。よもや意地や矜持などを押し通そうとするあまりにそのような言葉を口にしているというならば、それはサーヴァントとしての役割からの逸脱行為です。戦闘代行者である貴女たちが戦略に口を挿む必要はありません。あのアーチャーに対してはあなた達が共闘して対するは当然の戦略で――」
「出来んなァ、そんなことは」
素っ気ないランサーの応答に、テフェリーはそれまでまくし立てていた声を顰め、低く絞った声音を発した。
「……そんな物言いが通ると思っているのですか、ランサー?」
「さて困ったことになったな。これは契約条件について話し合う必要がありそうだ。これ以上何かを強制するつもりなら、正規マスターであるワイアッドを通してもらおうか。代行マスターにそんな強制権はないからな」
「…………ッ!」
普段は散々己の主、マイマスターとテフェリーのことを持ち上げておきながら、いざとなるとこれである。テフェリーはしばし白い顔を怒りで赤らめさせた後、セイバーに視線を向け、その後で凛を見据えた。
「セイバー、あなたもそのように無益な稚気を振りかざすつもりですか? そして遠坂さまはこのサーヴァントをどう御されるおつもりですか」
「ま、ちょっと落ち着いたら?」
いきり立つテフェリーに、凛もまた冷やかな態度で応じた。
「わからなくもないけど、英霊ってそういうものよ。それにセイバーが勝てるというなら、そこには論がなくとも理があるのよ。私達はそれを信じたいわ」
テフェリーは絶句している。言葉を無くしたままのテフェリーの脇からランサーが喝采の声を上げた。
「いやぁ、さすがにわかっておられるな。これは見習わねばならんぞ、マスター?」
「ランサー……ッ」
調子の良すぎるその物言いに、いよいよテフェリーの怒気が膨れ上がるのが明確に察せられた。するとランサーはそれまでの調子を一変させ、幼子にいい含めるようにいいった。
「……いいか、テフェリー。我ら英霊にとっての闘いとはそういうものではないのだ。打算、採算……損か得かの計算など意味がない。勝てるからやる、勝てぬからやらない、英霊の戦いとはそういうものではない」
「それが我侭でなくて、なんだというのです!」
テフェリーはいよいよ鬼気さえこもった目でランサーをにらみつけたが、とうのランサーはまったく斟酌せず、それどころか少し困ったようにテフェリーの視線を受け流していた。
「セイバー、テフェリーのいうことにも一理ある。せめて理由だけでもいってくれないか」
声を上げたのは士郎だった。これはテフェリー自身も慮外のことだったようで二色の瞳を丸くしていた。
「――シロウ、この件については私に総てを預けてはもらえないでしょうか」
「俺だってセイバーを信じたいのは同じだ。ただ、また昨日のような戦い方を繰り返すなら、手放しで賛成は出来ない」
「…………」
セイバーは押し黙り、テフェリーは改めて焦れたような視線をセイバーと凛へ交互に送る。
しかしここでまた刺々しいイントネーションが響いた。
「なによ、珍しいじゃない士郎。セイバーの味方をしないなんて」
「……あのな、それじゃあ俺は常に考えもなしにセイバーの意見に乗っかってるだけみたいじゃないか。時には諌める事だって必要だ」
「ええ、そうよね。常に考えた上でいつもセイバーに優しいのよね?」
なぜまた急に凛の矛先が自分を突付きはじめたのかわからず、士郎も妙な疲弊を感じていた。どうにも空気が重いのだ。
考えてもみれば、彼女のテフェリーに対する態度も少々大人気ないのではないのだろうか。平素ならばもう少し柔らかい対応もできるはずなのだが……。
「いや、ちょっと落ち着こう。こんな状態で話し合っても意味がない。テフェリーも少し気を静めてくれないか? 何も君の意見を蔑ろにしようとしてるんじゃないんだ」
「……わかりました。確かに少々取り乱したかもしれません。それについてはこちらに非があると認めます。しかし、納得の行く説明もなしに戦略に反対されたままにはして置けません」
幾分トーンは下がったものの、それでも詰問の姿勢を改めようとはしないテフェリーに士郎も辟易する。
悪い娘ではないのだろうが、こうも杓子定規では場を和ませるどころの話ではない。しかしこの生真面目さにはどこか既視感があるようにも思えた。
「どうしたのです? セイバーもランサーも黙ったままでは……」
そのときであった。無言で耳を済ませていた二人のサーヴァントがカッと目を見開いたのと同時にチャイムがなった。
「あっ、藤ねえかな?」
これ幸いと立ち上がろうとする士郎だったが、
「お待ちください。シロウ」
ただならぬ鬼気をはらんだセイバーの声色に、士郎も息を呑んで足を止めた。
「どうしたんだ?」
「……正気か? これはまたバカがいたもんだな」
士郎の言葉には答えず、ランサーが驚愕を洩らす。
二人のサーヴァントは、共に驚愕の表情を浮かべたまま硬直している。
「……門の前に居るのはサーヴァントです。シロウ」
重苦しい響きとともにセイバーがつぶやいた。その手にはすでに不可視の剣が握られている。