Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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一章 過加速「ディーン・ドライブ」-1

 

 ……あの日、薄暗い城の地下牢の深奥で、勇者は囚われの妖精の姫君を見つけた。

 

 それからというもの、その小さな勇者は毎夜愛しい姫君の元に馳せ参じ、いつか自分がこの城の王となり、彼女を助けることを誓いながら、その証にいくつもの詩を贈る。

 

 妖精の姫は人のものとも思えないほどに美しい、宝石のような瞳を瞬かせながら毎夜運ばれてくる泡沫の調に銀色の絃音で応えるのだった。

 

 あの日、そんな、まるで始まりの戯曲の一幕のように――――。

 

 

 ……眼が覚める。テラスから差し込んでくる日の光に開きかけた瞼を眇める。時刻はもう正午を過ぎた頃合らしい。そこは薄暗い城の地下牢(ダンジョン)ではなく、仄かな光の差し込んでくる、既に見慣れはじめていた彼の寝室であった。

 

 確かに、石に囲まれた暗鬱な空気だけはよく似ている。それで、あんな夢を見たのだろうか。

 

 豪奢な洋室の一間だった。広い床にはそこかしこに何かが散らばっている。それは楽譜であった。しかし、奇怪なのはそこに刻まれているのは単なる音符ではないことだ。

 

 そこには奇妙な図形や数式の羅列までもが複雑怪奇に、音符の変わりに刻まれているのだ。

 

 これは彼の手癖のようなものであった。耳にした雑多な声音や雑音を数値化し、そこから任意の音だけを取り出して一種の暗号として情報化すること。彼にとっては慣れ親しんだ初等魔術の一工程に過ぎなかったが、とりわけ難易度が高いわけでもなく、これだけでは魔術として成立もせず、何の意味もない作業であった。

 

 しかし彼は暇をもてあますと手慰みに手ごろな雑音を解体して無聊を慰めることが多かった。静かな森の中の石造りの城にいてさえ耳を澄ませばいくらでも音を拾うことは出来る。

 

 年のころは十四・五歳程度だろうか。線の細い、柔らかそうな白銀の髪は四肢とともに投げ出され、長い前髪がその顔を隠してしまっているがその面相はまだまだあどけなさの残る、幼い少年のものであることを容易に窺わせた。

 

 しかしその若々しい、染みひとつない眉間には彼の年齢にはまるで似つかわしくない縦皺が刻まれている。

 

 その苦りきった苦悶の表情はその心痛を物語って余りあるものだった。ベッドから起き上がろうとすると、(なず)むような脱力感だけが体中を埋め尽くしたかのようだった。

 

 体が、ひどく重く感じる。そういえば昨日からなにも食べていない。体中痛いし、疲労感のせいで動きたくもない。本当に、踏んだり蹴ったりだ。本当に何もかも――。

 

「……全部、アイツのせいだ……」

 

 寝返りを打って横になりながら何度目かも判然としない愚痴をこぼす。絹のような髪が指と指の間を流れ落ちた。そしてふいに右手の甲のあるそれを仰いで見る。刻まれた聖痕。

 

 その意味を、少年はあらためて反芻する。彼がそれを有するということの意味を。

 

 彼はなんとしてでも勝たなければならなかった。それ以外の未来は用意されていない。その未来を掴み取らなければ彼という存在にはもう未来などない。そこで、終わりなのだ。

 

 ――選ばれた七人のマスターがそれぞれに「サーヴァント」と呼ばれる専用の使い魔を使役し、互いを標的として戦闘を行う。

 

 そうして残り六人の敵を殲滅し尽くした者にのみ、あらゆる望みをかなえるという宝物「聖杯」が与えられる。――

 

 それが彼に教えられたこの「聖杯戦争」なる儀式の大まかな概要だ。そしてここからは彼が拙いながらに調べ上げたその儀式の詳細である。

 

 サーヴァント――それは受肉した過去の英霊であるという。英霊とは神話や伝承に名を残す超人や、歴史にその名を刻まれた偉人たちのことである。

 

 真偽と問わず、人の間に永遠の記憶となった彼らは死後、輪廻の枠から外されて崇め奉られることによって、擬似的な神または精霊に近しい存在に奉り上げられる。

 

 それらが『英霊』と呼称される概念である。それを現世に呼び出して魔術師の走狗として現実の肉体を与えたもの、詰まるところの使い魔に近い存在であるが、そんな言葉で呼び交わされる有象無象とは一線を画す、まさしく規格外の存在なのだ。

 

 聖杯戦争――それは奇跡を叶えるという『聖杯』の力を追い求め、極東の国、日本は冬木なる場所で繰り返されてきた奇跡の争奪戦。七人の魔術師たちによる命をかけた相克の儀式である。

 

 とはいえ、今回の儀式ではそれは二次的な報償でしかないことは折り込み済みの話だ。大体今まで五度もおこなわれながら、一度たりとも成功してないなどという儀式を、しかも無断拝借も同然の形で再度行おうというのだ。

 

 まず、(くだん)の聖杯を降ろすことなど出来はしまい。

 

 つまり、重要なのは勝ち残ること。この闘争に勝ち残った者こそが我が魔道の家門サンガールの次期後継者となるのだ。それが、この儀式における彼らの本命の、そして第一の目的である。そして、彼は今現在、その闘争の真っ只中にいたのだ。

 

 彼の名はカリヨン・ド・サンガール。サンガール家の時期当主を決定するためのこの儀式において正当な権利を有する一人であった。

 

 そんな彼がこの部屋に引きこもって既に丸一日になる。その間食事も取らずにもくもくとこの手慰みの作業に没頭し、その挙句に眠りについてしまい、今に至るというわけである。

 

 ――やはり、少しばかり言葉が過ぎただろうか――繰り返し、昨日のことを少し思い返してみる。いや、しかし本当のことだ。

 

 だがやはり『期待はずれ』とは言いすぎたかもしれない。そこまで言うつもりはなかったのだ。それでもつい言葉が尖るのを抑え切れなかった。

 

 それもこれも、アイツのせいだ。アイツが居なければ総て――とまではいかずともそれなりに順調にいっていたというのに。

 

 いや、そうでもないのだが。……それでもこんな事態にはならなかったではないか。思い出すだけで実に腹立たしい。

 

 彼が従者を放り出して自室にこもってしまったのは思い通りにいかない状況に業を煮やしたことが大きな理由でもあったが、それは隠し切れぬ己の幼さゆえの醜態を隠し切ることができなかったからだともいえた。

 

 キャスターが自分のあずかり知らぬ間に、見ず知らずの敵と同盟を組んでいたことには正直腹を立ててはいた。しかしそれものは最初だけだ。やる気になってくれているのはむしろありがたい。頼りない戦力を少しでも増強しなければならないのは自明の理だったからだ。

 

 だからこそ昨日は少しくらいアイツの手伝いをしてやってもいいかという気になったのだ。しかし、

 

「――くそっ」

 

 それが大きな間違いだった。昨日はそのせいで一日中あの無粋な居候の妙な工作に付き合わされて泥だらけになった上に、今も体中が痛い。その上抗議のつもりで閉じこもってはみたが、あいつらはどうして自分が抗議しているのかさえもわかっていないのではないのだろうか。

 

 そう考えると、この篭城もなんとも報われない努力に思えてくる。この行為そのものが、そろそろばかばかしいものにさえ思えてきた。

 

 しかしキャスターもキャスターだ。人を子ども扱いしておせっかいばかり焼こうとするというのはいかがなものか! ――と、重ねて憤慨してはみるが、結局のところは頼りにならない主のために余計な気苦労ばかりが耐えないというのが正直なところなのだろう。

 

 こんなところでも、自分はお荷物以外の何ものでもないのだろうか?

 

 どうせなら、叱責してもらった方がまだマシだ。とさえ思う。

 

 昔からそうだった。いつだって自分にできるのは悔しさに歯噛みすることだけだったのだから。

 

 最初から、彼に期待を寄せる者は皆無であった。

 

 それが、その事実が彼を掻きたてている。最も見込みのない候補者、何の異能も開花できなかった不実の種――概ね、それは正しい。

 

 他ならぬカリヨン自身がそう思う。何の価値も力も意味もないストック。

 

 もとより選択肢などなかったのだ。何もできない自分。何の能力もない自分。それが彼という存在の全てであった。

 

 それでも、否、だからこそこれはチャンスだ。チャンスの筈なのだ。このままいけば一生を兄弟たちに何かあったときの代用品として据え置かれるだけだったのだ。

 

 例え万分の一の確率といえども、自らの力で当主の座を奪い取る機会と口実を得たことは僥倖と呼んでいい。

 

 この戦いに勝利できれば、まず誰も彼を蔑ろにすることなどないだろう。誰もが彼を認めてくれる。

 

 これが、きっと最初で――最後の、チャンスだ。

 

 当初、彼は此度の当主選定の儀式の詳細を知るや否や、勇んで準備を始めた。時期当主、それは彼が最も求めていた筈の力であったからだ。

 

 だからこそ万全を期するべく準備を整え、彼は一人でこの極東の地へと乗り込んできた。

 

 もっとも、彼が到着したのは他の兄弟たちに比べてはるかに遅かった。理由は明確だ。他の兄弟たちには一族の内外に幾らでも後援者がおり、資金と人材、労力を提供してくれる。

 

 それらの従者は戦場までは随伴してはならない取り決めなので、戦いは文字通りの一騎打ちと決められてはいるのだが、支援者を得られなかった彼は最初から総ての準備を一人で手配しなければならなかった。

 

 そうして、やっと極東の地に辿り着き、見知らぬ土地で四苦八苦しながらサーヴァントの召喚までこぎつけた。

 

 決して負けることが許されない彼が選んだのは最強の魔女。ある南海の、異国の教義において、それは世界の半分、つまりは全ての悪性を司るとされる最悪の魔物にして同時に神でもあるという。対となる聖獣と永遠に戦い続けるという不滅の闘争者。

 

 バトルロイヤルにおいて、これほど適した存在はいない。

 

 召喚対象としての格は度外視した。どの道、正攻法では他の候補者に対抗することなどできはしないのだ。ただでさえ勝ち目のない自分はその差を埋めて余りある程のサーヴァントを得られなければ、そもそも勝ち目などない。

 

 そして命と、それまでの人生と全ての想いと賭け、彼はそれを呼び出した。

 

 生涯一度きりのギャンブル。命を賭けることは他愛のないことに思えた。だがそれは彼にはかけられるものが最初からそれしかなかったということの裏付けでもあった。

 

 だが結果として、その命すら賭けた一か八かの挑戦は失敗に終わった。召喚術式それ自体が失敗したわけではない、命の危険があったわけでもない。むしろ未だ魔術刻印も持たず、師も持たず、ほぼ独学で魔術を習得してきただけの少年がサーヴァントの召喚を見事に成功させたことを思えば、それは充分に賞賛に値する結果だったかもしれない。

 

 ただ、呼び出されたサーヴァントがあまりに期待はずれだっただけのことだった。

 

 サーヴァントを召喚し、マスターと認められた者にはサーヴァントの状態を見通す透視力が与えられる。

 

 故に、彼には見えてしまったのだ。クラスはキャスター。事前に調査した情報から推測するなら、いうまでもなく最弱のクラスである。それでも人間には及びもつかない存在であるのは間違いなかったのだが、そのステータス能力値はどう見ても平均以下でもなければ以上でもない。

 

 勝てない。

 

 到底勝てるわけがない。ただでさえ低かった可能性がここで閉ざされたも同然だった。

 

 奴らの(カード)がどの程度のものであれ、この程度のサーヴァントであの怪物のような兄姉たちに挑むことなど出来はしない。

 

 その後、彼は呼び出したキャスターとろくに会話もせずに古い空き家の一室に設えておいた簡易的な寝床に潜り込んだ。

 

 あまりの失意に、そして召喚の疲れも手伝ってその後丸二日も目を覚ますことはなかった。

 

 だが、眠りにつきながら一方でそれが当然だと納得している自分もいたのだ。

 

「ああ、やはりこんなものだったか」「仕方がない。だって今までだってそうだったじゃないか」「いまさら、別の結果が出るものか」「いったい、なにも期待していたというんだ?」

 

 ――そんな、何処からか自然に湧き出してくる言葉に埋め尽くされて、彼は身動きも取れない眠りに落ちていく。いつものことだ。

 

 そして、夢現に思い至った。キャスターは自分を殺すかもしれない、と。

 

 サーヴァントはそれ自身が聖杯に賭けるだけの望みを持ってマスターの召喚に応じるのだという。呼び出しておいてやる気をなくしたなどという言い訳を了承するサーヴァントはいまい。

 

 いや、そもそも相手はキャスター。魔術師のサーヴァントだ。殺されるよりもひどい責め苦が待っているのかもしれない。

 

 それでも構わないと思えた。どうせ、この儀式に参加した時点で選択肢は時期当主に選ばれるか、それとも死ぬか、その二つしかないのだ。

 

 結果は、もうでてしまったようなものだった――。

 

 諦めが少年の細い身体を弛緩させ、そこで意識はプツリと途切れた。

 

 抗いようのない、死にも似た深い眠りは絶望に澱んだ少年の身体を、ことのほか優しく連れ去ってくれた。

 

 そうして二昼夜の後に、優しく髪を撫でる気配で彼の意識は覚醒した。

 

 いつもは寝ながら頬を濡らす筈の朝露が拭われていることにも気がついた。そこには見知らぬ城の一室と、予想に反してかいがいしく彼を介抱してくれる忠実な、もとい過分にお節介なサーヴァントがいたのだった。

 

 あのときの手の感触を覚えている。――それを反芻しながら、考える。

 

 昨日のことだ。やはり、言いすぎてしまったと思う。『アイツ』はともかく、キャスターにまで八つ当たりしたのはよくないことだった。

 

 おかげでどうやって顔を合わせたらいいのかわからない。

 

 結局のところ、彼が未だに部屋に引きこもったままでいる理由はそちらの方の比重が大きいのであった。

 

 そのうちに考えるのも面倒になり、またゆっくりと瞼が下りてくる。ああ、またこのまままどろんでしまおうか。

 

 そうすればもう一度、あのころの夢を見れるかもしれないから――。

 

 しかし、そのときテラスから差し込む光の中から、見覚えのある使い魔が姿を現したのだった。

 

 

 

 まだ日も高いというのに、その森の中はまるで夜のように暗かった。

 

 鬱蒼と茂る木々の枝が、日の光の恩恵をここまで運んでくることを阻んでいるのだ。その暗がりのなんという冷たさなのだろう。

 

 その闇にただ見入るだけでじわじわと体の熱が奪われていくような悪寒が背筋に走る。まるで幾多の悪霊がその静寂(しじま)のそこら中に隠れ潜んでいるのではないかと思えるほどだ。

 

 否、事実、いる。その暗がりには、いや今この冬木という地には、今や数え切れないほどの悪霊が声を潜めて今か今かと夜の訪れを待っているのだ。

 

 取り分け、この森はひどいものだ。彼女がこの森の支配者に取って代わってから今日で丁度一週間になる。

 

 その間に期するでもなく自然とそれらは呼び集められ、彼女を慕い付き添うようにこの森に居座るようになったからだ。

 

 その森の深奥に魔女はいた。

 

 長い睫毛に彩られた瞳は慈悲深くまどろみ、何気ない慎ましげな所作でさえもがまるで聖母のそれであるかのように美しく稀有な神性に彩られている。

 

 しかし、その姿を聖母と呼ぶことは聊か以上に憚られた。清らかな菩薩のようとみえて、その実体は果たしてなまめく妖女のそれであったからだ。

 

 異様なほどに白い肌に浮かぶ漆黒の瞳と真紅の唇は、その美貌とあいまって清楚さや貞淑さからは程遠い淫靡さを漂わせている。

 

 軽く結い上げた黒曜石の如く煌めく黒髪も着崩した華美な衣装も雄の獣性を暴き出し助長するための記号にしか見受けられない。

 

 にもかかわらず、その視線が作り出す厳かな色合いには見るものを畏怖させずにはおかない威厳と凄みがある。そのアンバランスさは混沌の中にある神秘を垣間見るかのような印象を与え、万人を魅了する毒蛾の香気を漂わせている。

 

 しかし微笑の一つも浮かべたならばどんな男でも虜にしてしまえるであろう、その口元は一向に笑みを湛える気配がない。

 

「ふぅ、……」

 

 魔女は重ねて艶やかな厚唇から憂いの篭る溜息をこぼす。さて、これは今日何度目の溜息だっただろうか。

 

「引っ込みがつかなくなってんじゃないの?」

 

 たった二人で囲むには大きすぎる、豪奢なテーブルの隅で顔を付き合わせて食事をしていた女が眼前の妖艶な美女に向かって告げた。

 

「ほら、大人でもそうだけどさ、男の子って意地になっちゃっうとどこで引いていいかわかんなくなっちゃうんだって。だからこっちから何しても逆効果にしかなんないわけっ」

 

「それはともかく、お箸で人を指すのはお止めなさい」

 

 わかる? といって行儀悪く箸を向けてくるのを止めさせ、それを聞いた妖女はさらに重ねて溜息を漏らした。もう、これが何回目の溜息なのか本人にもわからない。

 

「そういうものかしら……でも、だからといってなにもしないでおくというわけにもいかないでしょう? それに、なんで怒こらせてしまったのかもよくわからないし……とにかく話だけでもきかないと……」

 

 食事もとらないままでは心配だ、と付け加えて魔女はうなじの辺りに結わえた艶やかな黒髪を揺らす。

 

 少し遅めの昼食の席であった。用意されている食事は三人分。しかし、そのうちの一皿には手をつける人間がいない。

 

「どうしてもっていうなら、……実力行使しかないよね。引っ張り出しちゃえばいいじゃない。後は野となれ山となれってね? 私が連れてこよっか?」

 

 憂いをこぼす妖女に対して、向いに座る若い女の、これもまた長い黒髪を後頭部で結わえただけのポニーテールがこぎみよく跳ねた。

 

「おやめなさい! どうしてあなたはそう極端なのです? そう、マスターの年頃ならもっとデリケートな問題なのかもしれません。もっと慎重に対処しましょう。だいたいですね、あなたは常識というものを踏まえながらあえて守らないというところがあるように見受けられますよ。悪癖です。直しなさい」

 

 その妖艶な外見には似合わぬ杓子定規な苦言に、ポニーテールの女は揶揄するように眉を顰めた。

 

「えぇー、不思議存在のサーヴァントに常識って言われちゃうの? なんか納得いかないような……。まあ、いいや。でもさ、だいたいからして気に入らないのよ。何も言わずに引きこもっちゃうのがさー。子供の癖に陰険っていうか……」

 

 そう言い返されたサーヴァントの女――キャスターはまた息を大きく吐き漏らした。

 

「お願いだから、喧嘩はしないでちょうだい。……そうね、やはり貴方と共闘する旨を事後報告にしたのがそもそもの問題だったのかもしれないわね……」

 

 キャスター自身としては最善を尽くしたつもりだったのだが、たしかにマスターにしてみれば気のいい話でもないだろう。

 

 あの日、自らを召喚したマスターと見えた少年はその後遺症からか丸二日ほど気を失ったままだった。

 

 それ自体は特に不思議なことでもない。サーヴァント召喚の後遺症は魔術師にとってもかなりの負担となるのだ。加えて、まだ年端もいかない彼女のマスターならば無理もないことであると言えた。

 

 とはいえ、そのままマスターが覚醒するまで待ち呆けるわけにもいかず、彼女は独自に行動を開始することにしたのだ。

 

 マスターの安全を確保するべく、できるだけ市街から離れた隠れ家を探し出した。幸運にも魔術師の持ち物らしい居城を見つけたので、無人なのを確認して拝借した。

 

 主である魔術師が去ってから久しいのか、手入れもろくにされていないようで随分荒れていた。――というかほぼ半壊していたのだが規模と立地は申し分ない。

 

 この場を己のものとすると同時に修繕するのに丸一日、自分だけでは戦力が不足していることも考慮し、街を出歩いてこの儀式に巻き込まれてしまったという人物を保護して協力を仰いだ。これでさらに一日。

 

 ところが目を覚ましたマスターにそれらのことを報告したところまではよかったのだが、『彼女』と主との相性はよくなかった、というかすこぶる悪かったようで……主の機嫌はまったくよくなる気配がなかった。

 

 彼が覚醒してから今日ですでに四日になるというのに、いまだに『彼女』――この、(さや)という女とは馴れ合おうとしてくれない。

 

 それに反して鞘はキャスターとは何の苦もなく打ち解け、既に数年来の友人の如く話に花を咲かせているほどであった。

 

 そして、目下彼女たちは昼食を伴った作戦会議中だったのである。

 

「変だよねー。昨日は結構機嫌よくてさ。私の手伝いまでしてくれたのに」

 

「……もしかしたら、と思うのだけど。……鞘、マスターはそのことで怒っている、ということはないかしら」

 

「? なんでぇー? だって楽しそうだったじゃん?」

 

「……」

 

 キャスターが自信なさげに首を捻るのもさもありなん、であった。

 

 それは一昨日のことである。暇をもてあました彼女は森中の防衛対策の一環として簡易的な罠(ブービートラップ)作りを自ら進言し、有無を言わさず危険な工作に打って出たのである。

 

 不用意にその手伝いに駆りだされてしまった少年は半日にわたる彼女の蛮行に涙すら浮かべて嬌声を張り上げさせられていたのであった。

 

 あれを愉悦の歓声、と捉えてしまって果たしてよいものなのかしら。と、キャスターは判じかねて傍観していたのだが……。

 

 それが原因なのかどうかはわからなかったが、その後癇癪を起したマスターをなだめようとしたところ、今度はキャスターのほうが『期待はずれのサーヴァントめ、何の役にも立たない!』とまで言われてしまったのだ。 

 

 そして現在、それっきり自室に引きこもってしまった少年に二人は今も手を焼いている次第であった。

 

「ていうか、あの子の態度よくないよ。キャスターもさ、なんで期待はずれ、なんて言われて何も言わないのよ」

 

「別に目くじらを立てるほどのことでもないでしょう、思い当たることもありますし……。」

 

「それよ。せっかくサーヴァントの方がやる気出してるのにさ、それを本人が期待はずれだから ヤル気なくした だって! どういう育ち方してんのあの子!」

 

「……マスターも不安なんでしょうね。とにかく、何とかマスターには自分の目標をしっかり見据えてもらわないと……」

 

 それを聞いた鞘は呆れたような顔になり、幾分声のトーンを落として苦言を呈した。

 

「……ちょっと待ってよ。それって、あの子が自分で考えなきゃならないことじゃないの? 誰かに助言してもらえるのは方法論まで、目標や目的なんてのは人に決めてもらうものじゃない。自分で考えて、自分で決めるものよ。……ちょっと甘すぎるんじゃない? キャスター」

 

 鞘の意外な提言にキャスターは一瞬呆気に取られたが、うって変わって生真面目そうな顔になって眉をひそめた。

 

「そうかしら……、いえ、そうね。解かってはいるのだけれど……」

 

 ことのほか深刻そうに意気消沈するキャスターの様子に、鞘も見かねたように溜息を吐いて語気を和らげた。

 

「まぁ、私も嫌われてるっぽいのは、なんとなく解かるけどね。……でもさ、お互いに利得があるからこうなったんだし、いまさら臍曲げられても困るんだけどなぁ」

 

 そう言って猫のように大きく伸びをした彼女――伏見(ふしみ)鞘(さや)が数日前からキャスターの協力者としてこの城にいるのは、彼女らに助勢することだけが目的ではない。

 

 この街で偶然魔術師たちの儀式に巻き込まれてしまった一般人であるという彼女には戦うよりも先に圧倒的に情報が足りていなかったのだ。

 

 だからこそ彼女はキャスターからの共闘の申し入れにもすんなりと応じたのだろう。多分、そこに深い熟慮はなかったに違いない。彼女の方はカリヨンと違って特に斟酌する様子もしていないようだったが。

 

「マスターは鞘のことを嫌っているわけではないとおもいますよ。そうね、多分恥ずかしがっているというのが正しいんじゃないかしら」

 

 鞘につられて微笑みながらキャスターは言う。彼女の一見、鋭角で怜悧な面相はしかし、ひとたび柔らかい笑みを浮かべると、ひどく優しい色合いを帯びるのだった。

 

 まるで聖母神のごとき柔和な笑顔は、その華美な意匠や雰囲気には実に似つかわしくないようにも見えるのだが、鞘もその笑顔を嫌ってはいなかった。

 

「そっかな?」

 

 鞘が笑い返すと、キャスターの頬も自然とゆるんだ。

 

 そう、マスターがなんと言おうと、キャスターにとってこれは最善の選択だったことは揺るがない事実であった。

 

 キャスターというクラスが最も警戒しなければならない敵を味方に引き入れることができたのだ。これを最善といわずなんと言おう?

 

「ところで鞘、『セイバー』の調子はどう?」

 

 すると、それまでまるで童女のようだった鞘の笑い顔がやにわに歪み、次いで能面のように凪いだ。虚空を見つめた彼女はボソリと、虚ろに声を漏らす。

 

「いいよ。(すこぶ)る、いい」

 

 魔術師と、そして剣のサーヴァント。戦うとなれば最悪の相性も、共闘するとなれば最良のそれに転ずるだろう。主の杞憂とは裏腹に、備えは万全だった。あとは――戦端の開く夜を待つばかり……。

 

 と、そこで何かが食堂に入り込んできた。

 

 一匹の蝶だった。まるで宝石細工(エメラルド)のような色合いの大きな蝶であった。

 

 するとキャスターは口内で何事かを呟き、石膏の彫像のような右腕をかざして宙を舞う蝶に向ける。

 

 すると蝶はその空間に虫ピンで繋ぎ止められたかのように静止し、やおら融解してなんとも美しい一枚の翡翠色のガラス板に姿を変えた。否、一見してガラスと見えたそれは紙なのか石なのか、ようとして判じがたいものであったがやはりガラスの板のように見えた。

 

「いきなり結界の中に入ってきたから何かと思っていたけど……」

 

 それはそのままキャスターの手元に引き寄せられ、人ならざる美麗な指にからめ執られた。

 

「……手紙? かしらね」

 

 キャスターがそう言うと、虚ろだった鞘の顔がまた一転して豊かな表情を取り戻し、子供のように身を乗り出してきた。

 

「へー、誰から? つーかさ、ねえ、それってヴードゥー教?」

 

「……ぜんぜん違います。でも何かしらね、これは……? 手紙というか、カバラの数秘術か何か似ているようだけど……なにかの暗号?」

 

 紙面を見たキャスターはそこで、はて、と首を傾げざるを得なかった。そこに書いてあるのはただ奇妙な数字の羅列だけであったのだ。

 

「カバラってなに? フォース?」

 

「ええと、だから……」

 

「なにを言っても無駄だぞ、キャスター」

 

 言葉を捜して空を仰いだキャスターの背中に声が掛かった。

 

「あら、マスター」

 

「オハー、お寝坊さんだねー」

 

「一々付き合うな。そいつに魔術の解説をしてたら日が暮れるぞ」

 

 丸一日振りに部屋から出てきたカリヨンは意図的に鞘を無視してキャスターから手紙を受け取る。

 

「これはカヴ=エリの変形だ。暗号だよ……監督役からの呼び出しみたいだな」

 

「呼び出し……か。ねっ、なんかやったの?」

 

 意地の悪そうな顔で上目遣いに見上げてくる鞘を、カリヨンは眉尻を上げながらも再度無視する。

 

 彼はどうにもこの日本人が気に入らない。何かと、キャスターとは違った形で自分を子ども扱いするところも、意味もなく体のラインを強調するような服装も、どうにもやり切れないようなもどかしい想いを蜂起させるのだ。

 

 妙になれなれしいところも、知性の感じられない口調も癇に障る。というか、いちいち対応に困る。

 

「これには候補者全員が集まるように書いてある。僕らを名指してってことじゃないらしい」

 

「全員、ですか。……どうしますマスター。使い魔を行かせれば危険はないと思いますが」

 

「……いや、行こう。ここで隠れていても仕方がない。準備してくれキャスター」

 

 これは後継者を選定する儀式だ。ただ勝てばいいというものでもない。時期当主に相応しい『器』を示さなければならないのだ。カリヨンはそう考えた。

 

「――でっ? 私はなにをすればいいのっ?」

 

 満面を喜色に輝かせながら顔を突き出してくる鞘を見やって、顔を見合わせたサーヴァントとその主はともに、一瞬だけなんともいえないような困った顔を見せあったあとで、

 

 片や表情の削げ落ちた真顔で、

 

「……まぁ、ダメだろうな……」

 

「……は?」

 

 片や底知れぬほどに朗らかな笑顔で、

 

「朝までには戻れると思いますから、おとなしくしていてくださいね」

 

「え――と、つまり?」

 

「留守番だ」

 

「お願いしますね、サヤ」

 

「いっ―――――――」

 

 やだッ! との声が城中を突き抜けるように響き渡ったが、それ以上の問答の一切を切り上げたカリヨンはもとより、キャスターもまた抗議しようとする鞘の声をやんわりといなしつつ、会合への準備に取り掛かった。

 

 取り敢えずは、腹を減らした主の食事を暖めなおすところからである。

 

 

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