Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
当初の予想とは真逆の事態であった。
結局、テフェリーがよろめくような足取りで士郎・ランサーと合流したのは、独断行動していたセイバーが戻った後の事だった。
当然、セイバーを見つけるなり詰問攻めにするするかと思われたテフェリーは、しかし真っ青な顔をしてへたり込んでしまったのだ。
一同は
その間も慮るようなランサーの言葉にも、セイバーの詫びの言葉にも耳を貸さず、テフェリーは呆然と俯くばかりだった。敵のサーヴァントや魔術師に何かされた――というわけではないらしいが、その様子は甚だ尋常ではなかった。
そして事の仔細もはっきりせぬまま、彼女は衛宮邸に着くと、そのままあてがわれた個室に入ったきり出てはこなかった。
平時の彼女を知るだけに、皆その様子をいぶかしんではいたが、身体的に異常がない以上、出来る事はなかった。凛かワイアッドが戻るまでは様子を見守るしかないということで結論付けるしかなかった。
いつもよりも静かで、何処か堅苦しい夕食の後、士郎も一人台所に立ちながら煩悶するしかない。歯がゆい限りだが、一方でセイバーは今朝方まで消沈したように見えていた顔に、精気と強い決意の相が戻っていた。
それが救いといえば救いだったかもしれない。ただ、戦闘にはならなかったようだが、士郎に侘びを入れたときも、セイバーはそのときのことについては「何もなかった」としか語らなかった。戦闘こそなくとも、そこであのアーチャーとの接触があったのは確かなのだが。
「できる事を、やるしかないか……」
士郎は己に言い聞かせるように呟く。それがセイバーの意思なら、その邪魔はすべきではないのだろう。
とにかく部屋に籠もってしまったとはいえ、テフェリーも少しは食事を取ったほうがいい。そう考え、士郎はいつでも手を付けられるようにと、作り置きの出来る料理を用意しておくことにした。
本当ならテフェリー自身に教えながらの方が良かったとも思うが、問題はないだろう。何せ今邸に居るのは食の太い連中ばかりなのだ。機会はいくらでもあるはずだ。
衛宮士郎は、この時そう信じていた。信じようとしていた。真摯に。そして、頑なに。
――その頃、テフェリー自身は部屋の中で膝を抱えながら、鈍い思考を巡らせていた。
『食事の用意も手につかず、衛宮様に任せきりになってしまった。情けない。こんな姿をマスターが見たらなんと言われてしまうのだろうか?――』
しかしそう考えながらも、思考は流転して其処に行き着く。
誰なのだろう?
そして脳裏を過ぎる蒼い色。これは何なのだろうか。胸が、ざわめいている。五体が引きちぎれるかのようだ。割れるような額に手をかざす。
人は身体のどこかに苦痛を感じたとき、無意識の内に痛むところに己の手をおき、掌を当てていることがある。一説にはこれが治療の事を手当てという言葉の語源と考えられてもいる。
頭痛、歯痛、腰痛、腫れ物、打撲、切り傷、擦過傷。傷種を問わず、そこに自然と手を添えるのは本能的な苦痛を回避し和らげようとする行為であると考えられる。
その効果の由来とはなんであろうか。元来各々の伝説に名を残す聖人偉人が手をかざしただけで他者の病や苦痛を消し去るという伝説は数多い。
それが魔術や奇跡の類でなくとも、その行為がもたらす温もりといたわりの心から来る安心感が苦痛を癒すのは想像に難くない。人は時として何の変哲もない掌の一つで癒されるものなのだ。
しかし、今、彼女の手にはそれが叶わない。額に当てた掌は何の温もりも返してはくれない。その冷たく無機質な感触は何の安心感ももたらしてはくれない。慣れない寝具にしどけなく身を横たえ、やりきれない苦痛に耐えながら、テフェリーは不意に、誰かの暖かい掌の温もりも思い出した。
いつか、誰かの手に触れた記憶はあるのだ。ただ、それが誰だったのか、思い出せない。
今日、始めて街の中に一人佇んだときのことを思い出す。
誰も彼女のことなど知らない。気にもとめない。それが当たり前だった。彼女の生涯にとってそれは当然のことだった。
なのに、今日初めての例外がいた。あの少年は誰なのだろう。確かにマスター・ワイアッドに出会う以前、魔術師に拾われるまでの記憶は失われている。
だが彼女はそんなことを気にも留めなかった。己が身の様相を鑑みるなら、自分がどういうものなのかは明白だったからだ。私は一つの武器だ。私は道具で、一本の剣だった。どうして彼はそんなものに声をかけたのだろうか? 彼の知る私とは一体なんだったのだろうか?
解からない。恐ろしい。味わったことのない恐怖感が少女の心を蝕んでいく。
テフェリーはただ、得体の知れない恐怖に冷たい身体を抱くことしかできなかった。
マスターに会いたかった。先ほど、夜になってから使い魔によって書簡による連絡があったそうで、ランサーが伝えに来た。時間が惜しいので今夜も帰らずに調査を続けるとのことだった。
それで、余計に動揺してしまったのだ。思えば七年もの間、彼女の主はいつでも会いにいける場所にいてくれた。それが、どれだけありがたいことだったのか、いま少女は噛み締めていた。
彼女にとっては、その七年がこの生の総てなのだから……
「マスター……」
呼んでみても、当然返事はなく、孤独感が増すばかりだ。おかしな話だ。あんなにも独りであることを受け入れていたはずの自分が、今はこんなにも一人であることを恐れているのだから。
そう考える内に、口をついて出ようとした台詞を飲み込んで、でも言ってみる。
「……カリ、ヨン……」
混沌は、深まる。なのに、それでも鼓動は収まって行くのだ。知らない言葉なのに、聞くだけで、言ってみるだけで心は平静を取り戻すのだ。彼はいったい己にとってのなんだと言うのだろうか。
「私は、いったい……」
答えを乞う声に、しかし応えてくれるものは何処にもなかった。ただ、何処からか聞こえてくる実感の伴わない耳鳴りが彼女をどこかに誘おうとしているかのように感じられた。
まるで
「『マスター』……。『カリヨン』……カリヨン……、カリ、ヨ、ン……――――」
夢現のうわごとにも、応える声は、何もない。
やはり、レイ・ラインが堰き止められている!
ワイアッド・ワーロックは昏い夕闇に泥む河川敷でひとり、苦悶の唸りを漏らした。
これほどの事態に、なぜ今まで気付けなかったのか。だが、巧妙と言えば巧妙であった。大河の流れを急激に押し止めようとするのではなく、除々に異物を堆積させ、緩やかに地脈の流れを断っていく。おそらくは新都全体の地脈にも同様の細工が施してあるに違いない。
なんという手際か、これほどの規模の儀式をかくも静かに行って見せるとは。この手練はサンガールの魔術師のものではない。おそらくはキャスターのサーヴァントの手によるものであろう。
その最終的な意図までは判じきれなかったが、ともあれ、少しでも流れをもとに戻しておかなくてはならない。それで多少は、この大規模な魔術の発動を遅らせることができるはず。
ワイアットはすぐさま踵を打ちつけて
老魔術師はやおら懐から取り出した、幾つかの金貨を河川敷の上に放った。
それらはつつ、と弧を描いて転がり、それぞれに光の尾を引きながら綺麗なサークルを描いていく。光彩によって陰から暴き出された円環状のラインは徐々に繋がり、交わり、絡み合い次第に巨大な魔方陣を地表に描き出していく。
そして最終的に陣形の中央に集結したそれらはそこで静止し、今度はまとまって地中深くに吸い込まれるようにして潜っていった。その地点は霊脈のツボとでも呼ぶべき澱みであり、そこに刺激を与えることでレイラインを操作しようというのである。
日本の伝承においては要石と呼ばれる、地脈・レイラインの操作・調律方の変形であった。
これに類似する魔術の痕跡は世界中に見ることが出来る。ピラミッドやストーンヘッジなどの古代遺跡もレイラインの要点、風水で言うなら龍脈の頭をそれらの石で押さえ込むことによって巨大な地脈の力をコントロールすることを目的としていたと考えられている。
しかし、いまワイアッドによって使用されているのは霊石の類ではなく金貨であった。無論のこと唯の金貨ではなく。彼の使役する西洋の妖精からもたらされた
代々、地中に生息する妖精とのかかわりを強く持ってきた西洋魔術の大家ワーロック家の当主を継いだワイアットは、しかし若年のころより東洋の魔術である風水と呼ばれる地相占述や地脈、竜脈についての術式に多大な興味をしめした。
彼は従来の西洋魔術の欠点をそれらで埋め合わせることで、レイラインを遡ることによって根源に至ろうというワーロック家代々の試みに、新たな展開をもたらそうとしたのだ。
あらゆる人間がそれに繋がっているように、地中に走る龍脈には根源に至る道がたしかに在る。その可能性を確信したワイアットはさらに研究に没頭した。時期当主であったはずの一人息子が姿を消したことなど、気にも留めずに――
――古い話だ。
苦い追憶をそこで断ち切り、老人は作業に集中しようとする。
「しかし……」
ここで老紳士は物憂げにかねてからの疑問を口に出す。
「なぜ誰も聖杯を降ろすための拠点を確保していない?」
この冬木にある四つの霊地の内、遠坂の屋敷に位置するそれにはその主がいる。教会や竜動寺は押さえられてはおらず、もう一箇所の候補地にもそれらしい手は入っていない。
なぜだ? まだ序盤とはいえ、皆が皆ここまで無頓着なのは一体……。
特に監督役だ。この聖杯戦争という儀式はある程度進行すると、陣取り合戦の様相を呈してくるのが必定とされる。聖杯の代替として宝典を設置するなら、どこかの霊地にだろうと当たりをつけていたのだが、そうではないらしい。
もしや何処にも設置せずに移動しているとでも言うのだろうか? 意味のないことのようにも思えるが、何者かが既に宝典を手に入れ、常に所持して持ち運んでいるというのならば話も分かる。とはいえ、ただでさえ不安定な宝具をそのように扱うというのはあまりにも下策に思えるのだ。
やはり、彼奴らには聖杯を完成させるという意図そのものが無いというのだろうか。
そもそも、彼奴らがわざわざこの儀式を選んだ理由はなんなのだろうか。今更になって、かねてからの疑問が頭を擡げてくるのであった。どうにも解せないのだ。当主の選定に、なぜこれほどまでに手の込んだ真似をするのだ?
ワイアッドはそこで堆積し始めた思考の澱から一度手を放した。これ以上は疑心暗鬼になるだけだ。思考は常に柔軟に保っておかなければならない。それが行住坐臥、いつ襲われるとも知れぬバトルロイヤルならば、なおさらのことである。
今は一度戻ろう。己にもしばしの休息が必要だ。なにより、今度こそ違えてはならない誓いがあるのだから。――
「――貴様、魔術師だな」
心の内からの刺すような痛みが一瞬、この老練の魔術師の思考を滞らせたそのとき、川面に立つ声が巨大な猛禽の爪の如くその身体を捕らえていた。
悔恨を持て余し反芻するかのような思考が、在りうべからざる稚気が、この老練の魔術師の反応をわずかに遅らせることになったのだ。
「ッ!?」
ワイアッドは長身を翻し、老いた鷹のような視線で既に黒く染まり始めていた水面を見据えた。色眼鏡越しに見た其処には、広い河の中腹に立つ洒脱な男の艶姿があった。
それが声の主だと判じた次の瞬間、しかし、既に決着はついていた。退避の魔術を起動しているはずであったワイアッド・ワーロックの魔術刻印は沈黙し、その視界は暗転する。
そして何重にも防備されていたはずの老魔術師の意識と思考もまた、そこで細糸を断つかのように、ふつりと途絶された。