Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ) 作:どっこちゃん
思いがけない障害の出現に、さしものセイバーも暫し動揺せざるを得なかった。来るとは思っていた。しかし、まさかこのタイミングとは――。
セイバーの瞳は、遥かな波丘の向こうに垣間見える、紅炎の揺らめきを捉えていた。
それだけで、彼女は既に引くことが出来ないことを悟る。もはやこの場所から一歩たりとも動くことは出来ない。
既に意を決した宿敵を前に、セイバーも瞬時に覚悟を決めていた。送られてくるあの男の眼光がそれ以外の行動を許さない。
両者は既に総てを承知している。もはや口頭による対話は何の意味も齎さない。事此処に至っては、己を示すべきは言葉ではなく英霊としての総てを掛けた一撃。即ち、宝具による最大の一撃によってのぶつかり合い。それ以外にはありえない。
自らの誇りに寄って立つ英霊にとって、それは互いの命を手にとってぶつけ合うに等しい行為だ。剥き出しの命の鬩ぎあいなのだ。
セイバーは始めて見た。この男が見せる、英霊としての剥き出しの矜持を。
凛たちのことも、無論気がかりではあった。しかし、為ればこそこの敵は速やかに下さなければならない相手だ。どちらにしても、この男を避ける方法はない。そして、避ける理由もまた、何処にも見当たりはしないのだ。
なによりも――この男をここまで焚き付けたのは己だ。ならば、この挑戦に応えることもまた、王としての責務。
――来るがいい。神与の王よ。貴様の渾身の「在り方」、我が総力を持って受け止めてやるッ! ――
「――風よ――」
セイバーの手にする不可視の剣から膨大な旋風が解かれていく。吐き出される風の中心にまろび出たのは、全き尊い貴刃の輝き。
そこから放たれる光は、暗鬱たる夜の影に捕らわれていた海と風とを解き放ち、金色の煌めきで染め上げていく。
そう。この光こそ、数多の伝説において無双を誇る人類最高の聖剣の輝き。古今東西、およそあらゆる闇の台頭を赦さぬ人類の灯火。
遥かな波濤の向こうで開帳されるその至高の光を、アーチャーの真紅の双眸がしかと捉える。
巻き起こる風とあふれ出す輝きの前に、アーチャーのサーヴァントはただ万感の思いで感謝の念を呟く。
受けてくれるか――騎士王。
漆黒の剛腕に執られた炎の弓が、そのとき揺らいだ。
「――
対峙する黄金の聖剣の輝きに呼応するように、夜気を染める炎の色が、赤熱の真紅から目も眩むような白光に変じていく。そしてその炎の隙間から解き放たれた光がいま、その手の内に、確かな白金の弓の形を暴きだしていく。
そこから溢れた光は夜を焼き、そこから発せられる熱量は唯そこにあるだけでアーチャーの足場になっている小船の外装を融解させ、海の表層を沸き立たせている。気化した大量の靄がその周囲を、その姿を包み込んでいく。
セイバーの黄金の剣を包み込む旋風がその聖剣の真名と強大に過ぎる魔力を覆い隠すための鞘だったように、この白金の弓を包み隠していた炎もまたこの弓の発する光と熱とを遮断し、外界を守るために据え付けられていた安全装置であったのだ。
何の遮蔽物もない大海原に向かい合う彼我の距離は、約一キロメートル余り。それほどの距離を隔ててなお、対峙する二つの貴光は闇色の波しぶきを超えて交差し、絡み合い暗い夜の波間を照らし出してく。
漆黒でしかなかった海原は今や、深い紺碧の色味を取り戻していた。その波間に在るものは、夜に冴ざやく海の潮騒のみ。そしてこの距離を経てなお、苛烈に交錯を繰り返す真紅と翠緑の眼光のみ。
先に動いたのは弓兵のほうであった。
緩慢に、そしてそれにも増して厳かに引き絞られた絃と弓の間には、やおら凄まじいまでの光が巻き起こる。もはや、常人の目には害となるほどの圧倒的な光量である。それが瞬く間に集束し、一本の白矢となってそこに収まった。
「飛翔せよ。『
白金の弓から放たれるのは眼も眩むような白光に輝く一本の矢。それは一対の翼をはためかせ、一直線に光の筋を描いていく。
その白光の翼が擦過するだけで海原は引き裂かれ、波しぶきは沸騰し、大気までもが大規模な熱断層となって引き裂かれていく。
眼前に迫り繰る灼熱の気配を、しかしセイバーの視線は冷然と受け止める。
この間合い――剣士が弓兵と対峙するに、はあまりにも不利な条件であるように見受けられるかもしれない。しかしセイバーに怖じる気持ちなどあろうはずもない。なぜなら、この間合は彼女にとっても必殺の間合いに他ならないからだ。
既に手に執る剣はその威光を示すかのように高く掲げ上げられ、あとはその刃を振り下ろすのみだ。この剣が己の手の中にある限り、彼女にとって勝利とは予測ではなく確定された事実に他ならない。
セイバーはただ真摯に、その光の翼目掛けて全身全霊の一撃を振り下ろす。いかな状況であれ、手を抜くことだけは出来ない。そして、しない。そう、決めていたのだから――
「
謳い上げられる奇跡の真名。上天へ、そして四方の暗闇へ向けて極光が迸る。地上の星の光を纏め上げ、地から天に昇る万物を照らし出す一条の光の柱が、今、圧倒的な刃となって夜を裂く!
「――
見るがいい化身の王よ。この世のあらゆる正義を、その道を歩む総ての者を、等しく照らし導く天に瞬く星屑の大河。これが、これこそが騎士王たる彼女の王道だと、そう謳い言祝ぐかのように、光は奔る。光が溢れる。星屑の怒濤が夜の暗雲を掃い去っていく。
――及ばない。
誰の目にも明らかであろう。それに挑むにはこの光の翼は余りにも矮小であり、脆弱すぎた。相手は空さえ分断する人類最強の神造兵装。いかなる英霊、いかなる宝具とて真っ向から立ち向かって敵う道理などあろうはずもない。
光の剣は飛来する白光の翼を消滅させ、そのまま黒き空と海とを射手もろともに両断する――――――――――――はず、だった。
しかし。
嗚呼、しかし。ここに一抹の例外が存在する。
――王よ。騎士達の王よ。王たる〝人〟よ。果たして知っていたのだろうか?
その聖剣の光が夜を裂き、人を正義へと導く星の光だと言うのなら、この神弓の光こそ夜さえ掃う、あまねく人の正義を照らし出す天上の陽光。そして汝が世の闇を掃わんがため人によって齎され、天に昇る地上の輝きの極点であったというなら、今対峙するその男もまた、神によって齎され、地に降り注ぐ天上の輝きに他ならぬのだという事を。
そう、汝は今こそ知るのだ。太陽に――近づきすぎた者の末路を――
「な――に?」
サーヴァントとしてのセイバーの視力は、眩い光の中で一刹那のうちに行われたそれを明確に捉えていた。
白光の翼をはためかせる矢は迫り来る極光の帯に飲み込まれようとした刹那、収束した翼を中心に周囲の空間と世界とを巻き込むようにして反転した。
そしてその虚空だけが漆黒の夜から裏返えされ――次の瞬間、
テフェリーと士郎、カリヨンの三人はランサーの助けによって新側の沿岸に辿り着いていた。言葉も交わさず河川敷を駆け上がり、人気の失せた異様な雰囲気の繁華街を抜け、闇が鬱積したようなビル群の間を駆け抜けていく。
とにかくサーヴァント達の戦闘領域から逃れるのが先決だった。いつまでもランサーのことについて心を残していては、先に進むことも出来ない。だから、三人はそれを振り切るようにして自らの足で馳せていた。
するとテフェリーの影から滲み出した灯火の光が、彼女たちを
先行する光は眼前の高層ビルに行き当たると、道なりに回りこむこともなくその壁面を一直線に登っていった。地中を進むレプラコーンにとっては何の痛痒にもならないらしいが、余人にとっては眉を顰めかねない通路と思えた。
しかし鬱積するノイズを駆逐するため灯火について先頭走っていたカリヨンは光に続くように跳んだ。そのままビル壁に駆け上がって先を急ぐ。テフェリーもすぐに糸を飛ばしてカリヨンの後を追おうとし、呆気にとられる士郎に急いたような声をかける。
「急ぎます、エミヤ様は私に摑まってください」
事実、彼女は焦っていた。事は一刻を争うかもしれないと思われた。仕方のないことだが、もはや彼女の心は焦燥の虜と成り果てているのだ。
「いや、待て」
しかし士郎がテフェリーの手を引きとめた。彼女の慮外の焦燥を察し、危惧した。――と、いうだけのことではない。
「誰かいるぞ」
その視線の先を追ってみれば、朦朧とした隈のような路地の陰から、溶け出すようにして現れ出てきたものがあった。
「っ……あぁ」
先に到達していたカリヨンはビルの屋上からそれを見下ろして息を呑み、そして絶望のうめきを漏らした。
嗚呼、そうだ。自分は何のためにテフェリーに会いに来たのか。
そこにいたのはモザイク柄のスケイルに総身を包み込んだ、奇怪な男であった。DD――絶対に彼女に合わせてはならなかった筈の相手。
「ようやく……。また、会えたな」
「……誰です」
磨かれた鏡のような無謬の仮面の下から向けられる視線と声は、過たずテフェリーに向けられている。またか、と彼女は思った。カリヨンと会ったときと同じだった。この男を前にした瞬間から、彼女の中にまたもや得体の知れない感情が巻き起こっていたのだ。
この男は彼と同じように己の過去を知る者なのだろうか? だが抱いた感情は全く別種のものだった。確かにカリヨンの時と同様に不可解ではあった。が、むしろこの男に感じるのは酷薄な嫌悪に近い、今も冷然と向けられて来る殺意とあいまって、この男へ対して沸き上がってくるのは、あの時ほど処理に困るようなものではなかった。
ただ不快で危険なものだとだけ感じた。この男は判ずるまでもなく、彼女の敵だった。
それがこの状況に限っては功を奏した。危機感、嫌悪感、不快感。それらは彼女に根幹に染み付いた馴染みのある感覚だと思えたからだ。きっと、彼女の記憶が手放してしまった過去、彼らが知る以前の自分にとってそれは日常のことだったのだろう。
ならば危惧こそすれ、混乱させられることはない。
加えて、ワイアッドを懸念する心情がそれ以上のこの男についての思考を拒否した。この敵が自分にとってのなんであろうと構わない。今ここを退かないというのならそれはただの障害物でしかないのだ。
「そうか、全てを忘れたか……。それでいい。そのほうが……いいことだな」
虚ろに言いながら、怪人は無造作に二人との間合いを詰めてくる。テフェリーと、そして士郎は身構えた。
カリヨンは必死だった。必死に己の五体に命令を下していた、動け、と。しかしその命に従う部位は今の彼の体の内にはなかった。戦ってはいけない。逃げなければならない。そう叫ばなければならないはずの口腔でさえもが、彼の命令を拒絶していた。
仕掛けたのはテフェリーたちが先だった。無遠慮に間合いに入ってくる男に向けて幾重にも輪を描いた銀の絃糸が舞い、士郎の手に一瞬にして現れた陰陽の夫婦剣が弾丸の如く投擲された。
弧を描く飛刀と銀色の筋が、闇の中で瞬くように光を弾きながら怪人の身体に迫る。――が、
暗闇に描かれた筈の銀の弧線が歪んだ。鉄骨でさえ飴のように切り取る銀の線剣は怪人の巌のような腕によって強引に絡めとられていた。
虎の剛爪を想わせる指だった。奔流の如く幾重にも奔った筈の糸は今やそれによって一所に絡めとられ、強引に集約され今にも引き裂かれんとする蜘蛛の巣の様相を呈していた。
そして士郎の放った投刃は、当然のようにその戦慄く蜘蛛の巣に弾かれたのだった。
二人は巨大な壁がじりじりと迫ってくるかのような威圧感を感じた。まるでサーヴァントと対峙したかのような錯覚さえ受ける。この男、何者だ?
士郎は再び新たな双刀を、今度は同じものを一対ずつ四本用意しながら息を呑み、テフェリーは染みひとつない眉根を寄せながら虚空に描いた銀の斜線で牽制する。
カリヨンはあまりの驚愕にその場にへたり込みそうになっていた。足が動かない。解かったのだ。あの男がなぜか異様なほどに強化されているのだということに。
先夜の、そして
「お前たちが探している者たちは確かにこの先にいるはずだ。――しかしやめておけ、
なんの抑揚もなく響いたその声に、テフェリーは自身でも驚くほど動揺していた。考えないようにしていたワイアッドの安否についての言及が、彼女の心を抉ったのだ。
そしてそれ以上に、深刻な何かが彼女の五体をからめ取っていた。まるでフラッシュバックに見舞われたかのように彼女の体が躊躇してしまう。これはなんだろうか? 恐怖? 止まってはいけない。動かなければならないはずなのに、なぜか脚が前に出ようとしない。
どうして、こんな時に――
「おとなしくしていろ、お前が
しかし、テフェリーに迫る男の巨躯の前に士郎は立ちふさがった。
「させない。お前は今「探している者たち」と言った。つまり、その先にはワイアッドさんだけじゃなく、遠坂もいるってことでいいんだな?」
「……」
「答えろ。何のために聖杯を求める? おまえの、いや、お前たちの目的は……」
石木の如く、一切の応答は途絶えた。怪人は士郎の存在をまったく無視したまま、真っ直ぐに間合いを詰めてくる。
「答えない、か……」
瞬時に意志は決定された。士郎の手の甲から惑うことなく二画目の令呪が消失する。
「――
「……退け、土地の魔術師」
詠唱を始めた士郎に対して些かの警戒色を強めながら、それでも男の歩みは滞ることが無い。
「――
男が迫る。
「――
士郎は詠唱を続けながら再び四本の飛刀を投擲した。四枚の閃きが宙空に舞う。
しかし同時に、舞い上がる火の粉と共に怪人の側で実体化したバーサーカーが、仄白い異形を
「――
「バーサーカー、邪魔者を始末しろ」
仄白い狂女が巨爪と白髪を振り乱して棒立ちの士郎に迫る。しかし士郎はそれに対しての防御を取ろうとしなかった。ただ、途切れなく続いていた詠唱が今、ここに完成の時を迎える。
「――
瞬間、炎が奔った。まるで空間を隔てるように、虚と実を飲み込んで幻燈の篝火を灯すかのように境界がぼやかされ、ついにはあらゆるものが変革を余儀なくされた。
「これは――固有……結界!? エミヤ様、あなたは……」
そのとき、炎陰から滑り込んできた小さな影が声を上げようとしたテフェリーの身体を抱き抱え、瞬時に加速した。ようやく踏み込む機を得たカリヨンである。
DDの前に立ちふさがる士郎を残し、二人は離脱する。
「待って、カリヨン。エミヤ様が――」
「構わない! 行ってくれ!」
士郎の叫びと共に炎の境界線がDDとバーサーカーを取り込み、同時に世界が裏返されていく。そうはさせじと、カリヨンたちを追って同様に結界の外に出ようと加速したDDとバーサーカーへ、剣線の雨が降り注いだ。
「――――ッッ!」
「悪いが、あんたには此処にいてもらう!」
無言のままに士郎と対峙した怪人の内容が、爆発的な怒りによって染め上げられていく。己が内面で埋め尽くした筈の世界を、逆に席巻しかねないほどの憤怒を感じ、衛宮士郎は迫りくる巨壁の如き戦慄に固唾を呑んだ。
アスファルトの上にまろび出た二人の後ろで炎の境界線は萎縮し、ついには現実の空間から消失した。
「カリヨン、どうして……」
「いいから、逃げるんだ。じゃないと、またアイツにやられてしまう。また、あの時みたいに……」
「あの時? 何のことです……」
「……」
カリヨンは何も応えられなかった。今はただ、冷たいテフェリーの手を引いて走ることしかできなかった。