Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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五章 高位受容「ノエマ・フィードバック」-3

 

『……で』

 

 聞こえる。

 

 きっと、外がどうなっているのかが少しだけ分かるのだろう。

 

 ひとり、屋敷の中に取り残されていたテフェリーはベッドの中で夢現に掠れるような雑音を聞いている。

 

 開かない目の変わりに耳が現実の何かを感じている。降り始めた雨の音に混じって彼女の耳に届いてくる声がある。否、はたしてそれは耳が、聴覚が感じ得る領域にあるものだったのだろうか? 

 

 それでも、彼女にはそれが耳に届く「声」に聞こえてならなかった。いつ聞いたのかも思い出せないけれど、とても懐かしい声だった。

 

 自然と応える声が口腔から漏れる。それがどういう意味なのかは分からない。

 

『……おいで』

 

「……さん……」

 

 寝台の四辺から流れ落ちる、滝のようだった銀色の糸が編みこまれて手足を形作っていく。まるで流動する水銀の時をそのまま止めてしまったかのような流線型のシルエットが浮かび上がる。

 

 完全すぎる造詣はもはやそれが人体の代用品であることを忘れさせるほどの美しさであった。

 

 テフェリーは起き上がる。身体は動く、しかし今自分が眼を覚ましているのかどうなのかは、わからない。現実感がひどく希薄だった。

 

 雨の音が聞こえる。それに混じって確かに響く声がある。それを捕らえているのが、耳なのかがわからない。

 

 仄赤い光を纏いながら無数の糸が四方に伸びていく。機能しない視覚を補うように、それらを触覚のように使って周囲を探る。

 

 そして、彼女はゆっくりと、まるで幽鬼のように歩き始める。

 

『……さあ、おいで』

 

「……あ、さん……」

 

 声に誘導されるように、そのままテフェリーは外に出た。身体を包みこむような寒さと、振り出してきた大粒の雨に晒されながらも、銀色の足は靴も履かずに濡れた町並みの中を惑うことなく歩いていく。

 

『さぁ、おいで、テフェリー』

 

 テフェリーは己を呼び続ける声をたどり、まるで魔笛に誘われる幼子のように歩み続ける。

 

「……お、母、さん……」

 

 己の唇からもれる、その言葉の意味さえ解さぬままに。

 

 

 

 

 ――考えろ、ヤツならどうする? 罠を張る以上、万全を期そうとする筈だ。ならこれは足止めではなく、敵を仕留めようとする罠に違いない。だとするならば…――

 

 この上ない窮地に立たされながら、怪人は敵の思考を読み解こうと思考を巡らせる。

 

 しかし飛来し続ける矢と光の礫は、ゆっくりとしかし確実に彼の身体と体力を削り取っていく。

 

 降り出した雨は寒々しい色をした石の庭にいっそうに勢いを増してしぶき始めていた。無論その程度のことでこの強固な結界陣が綻ぶはずもなく、雨はただ降りしきるのみである。

 

 逆に、DDにとってはこの雨はより一層の窮地を演出し得るものだった。このまま雨が勢いを増せば、次第に触覚と視覚・聴覚が奪われていくだろう。そうなればもう脱出の機会はなくなる。このままでは――。

 

 そのとき、一陣の矢が男の脚を貫いた。

 

 

 ようやく膝をついた標的に、衛宮士郎は終の矢を放つべく弦を引き絞った。狙いは心臓だ。あの怪人の脅威を身を持って知るが故に、この状況でも手心を加えようなどという気は微塵も起こらなかった。

 

 ここで仕留めねば、取り逃がすようなことになれば今度はどのような事態が訪れるか解からない。息をひそめ、いざ必中の射を放たんとした、そのとき。

 

『待って、――いま、誰かが屋敷の結界の外に出たわ。裏門の施錠が内側から開けられてる!』

 

 脳裏に直接声が響き渡った。声は凛のものだ。

 

 本来ならノイズのせいで如何なる通信もできないはずだったが、ここは彼女の工房の結果内。つまりは彼女の領域であり、遠坂の魔術師にとってもっとも自由の利く場所なのだ。

 

 故にこの結果内に限り、宝石の振動通信装置を解しての念話が可能になっているのだった。

 

 無論、屋敷の中に居たのはテフェリーだけだ。それを察して、三者三様に動きが止まり、滞った。

 

 

 勝機! ――同刻、必殺の好機にもかかわらず矢の投射が途切れたことからそれを悟ったDDは、腰のホルダーから一枚の短剣を引き抜いた。

 

 その刀身がやおら曖昧な淡光を浮かべながら、錫の鳴るような小さく甲高い音を発し始めた。まるで震えるような光と音だ。

 

 男はその短剣をゆるりと執り成し、次いで横薙ぎに振るった。

 

 斬撃のように鋭くはなく、周囲を探るような緩慢な動きだ。するとある場所でその刀身の光と音が大きく喘いだ。

 

『――ここか!』

 

 その方角に在った石柱に神速で肉薄した男は、今度は目視も叶わぬ勢いで刃を振るった。刀身の発する音が弾け、光がとろりと滴った。

 

 途端に彼を取り囲む八陣に僅かな罅が生じる。男はそこに身体を捻じ込んだ。

 

 あの老魔術師とて、かつて自らが教えた徒弟である彼が、術式の摂理を把握している事を忘れてはいまい。必ず、罠を仕込けるはずだ。

 

 故に、進むべきは凶道。生門ではなく、そこと隣り合う傷門へ。

 

 どちらへ進もうとも悪辣な罠が待つというのならば、こちらはその裏をかくまでの事! 生とは約束されるものに非ず、自ら掴み取るものと見たり!!

 

 DDはさらに、血を撒いて加速する。この短剣が探知したのは安全な道などではなく、この結界内でより強力に魔力を帯びる一点である。すなわち、この魔術陣を操る術者そのもの。

 

 石柱の森を突き破ったその先に、捜し求めた敵の姿があった。

 

 

「ぬぅ――ッ」

 

 ワイアッド・ワーロックは不意を突かれ、引き攣るように喉を鳴らした。

 

 敵がもしも正門を見つけ出した場合に備えて、その先で敵を待ち受けていたのである。本来なら、敵が正門を抜けたとわかった瞬間に攻撃を開始し、討つつもりだった。

 

 しかしテフェリーが自ずから外に出たという慮外の事態と、敵が門の正面からではなく脇の壁面から、つまり予期し得なかった陣の亀裂から出てきたことで、この千載一隅の機を逃すこととなったのである。

 

 ワイアッドはすぐさま魔弾の照準を敵に合わせたが、散弾のごとく撃ち放たれた筈の宿り木の矢はあっけなく怪人の側をすり抜けていった。

 

『――ぬかった』

 

 気を抜いたことばかりではない。咄嗟の対処も悪手であった。己の主要武装だからとはいえ、ワイアッドはこの男に対してこの「宿り木の魔弾」を使いすぎたのだ。

 

 三度にわたり放たれた魔弾の射出性能や魔力の初動と言った〝癖〟は既に見切られていた。これでは、たとえ至近距離から放っても当たるものではない。

 

 老魔術師に肉薄した怪人は拳打とも開手ともつかぬ一撃を見舞い、そのまま胸倉を掴まえ近くの石壁に叩き付けた。

 

 傷ついた老翁の体が壁面に埋め込まれていく。しかしそうまでされてもなお、ワイアッドは苦悶の唸りすら洩らさず不敵な声音を洩らす。

 

「……どうした? 殺せ」

 

「この陣を解け」

 

 このまま殺すことは出来なかった。そうしてしまえば、この遁甲陣は二度と内側から解除することが叶わなくなる。そうすれば、それこそ本物の迷宮へと変ずることになるだろう。魔術師が背水の覚悟で闘いに臨む以上、それは当然の仕儀と言えた。

 

 己の命よりも己も目的を優先させるのが魔術師の理論である。それは良い。だが、今この男にとっての目的とは、本来魔術師が掲げるようなものでは無いのではないか――。

 

「ふっ、――魔術のいろはまで忘れとるわけではないようじゃな」

 

『ワイアッドさん!』

 

『ミスター?!』

 

 士郎と凛が震える宝石越しにそれぞれ声を上げた。しかし石壁と土中に埋め込まれるようにして組み伏せられながらも、ワイアッドは吼え猛るような念意を返す。

 

『かまわん、行ってくれ!』

 

 怪人は組み伏せたワイアッドの身体を、さらに強烈に地に押し付ける。それだけで気が遠くなるような激痛がワイアッドの傷ついた老体に見舞われた。

 

「……念話で何を通信している。どういう意味だ」

 

 通信の内容を知り得るはずもないDDが、ワイアッドを締め上げながら問い詰める。当然、帰ってくるのは不敵な微笑だけだ。

 

「――そうか、()()()()()が外へ出たということか」

 

 しかしDDは察した。この老翁をして致命の隙を作るに至った要因。つまりは争いの焦点である、守るべき対象の消失。それ以外には考えられない。DDは窮鼠の如く彼方を仰いだ。どの方角だ。もはや猶予はないというのに――

 

 だがそのとき、組み敷かれた老翁の丸眼鏡の奥の瞳が、壮絶な光を宿した。

 

「否、――貴様がもう此処から出られんということじゃよ」

 

 そのとき、四方の巨石が鳴動を始めた。

 

「キサマ――」

 

「望みどおり、解いてやるわい。しかと味わえ!」

 

 四方の巨石が蠢いた。途端、それらの石群は怒濤の如き雪崩をうって彼らの居所を目指し、押し寄せてきたのだ。

 

 集束した岩石が凄まじい密度を持って石の牢獄を形成し始める。 

 

「わしの命はくれてやろう――。だからのぅ……貴様も、此処で往生せい!」

 

 石はさらに積み重なりながら強烈に密度を増していく。その凄まじいまでの圧力に晒されながら、二人の身体は急激に地の底に押し込められて行く――かに思われた。しかし、その小山の如き荘厳な墓石に、やおら蜘蛛の巣の如き亀裂が走った。

 

 瞬間、ドーム状に膨れ上がった岩盤は木っ端の如く粉砕されてしまい。はるか頭上まで巻き上がられ破片は、降り注ぐ雨と共に散らばった。

 

 遠坂邸の庭には今やクレーターの如き様相を呈する巨穴が穿たれていた。そこから這い出てきたDDは血だらけの両手で抱えていたワイアッドの痩躯を、支えきれなくなるようにズルリと投げ落とした。

 

 そしてそのまま、総身から血を滴らせながら、それでも休むこともなく立ち去ろうとする。

 

「待、て。…………待つのだッ」

 

 地に伏したままのワイアッドが怒声を浴びせかける。彼もまた総身を血に染めていた。自らが訴えた決死の最終手段は、生き永らえてなおその命を削っていた。魔力も、体力ももはや尽き果てている。

 

 今から治療を施しても、もはやテフェリーを追う事は出来まい。しかし、それはこの男も同じ筈なのだ。

 

「なぜじゃ! なぜそうまでしてあの娘を殺そうとする? ワシが憎いというのなら、どうしてワシではなく、テフェリーを! ――あの娘は、おまえの――――」

 

「……そうしなければならない。俺がこの手で、やらなければならないのだ。でなければ、恐ろしいことが起きる。」

 

 この期に及んでなお無感動な声で、男が応えた。

 

「な……に?」

 

 そして、血に染まる巨躯が崩れるように膝をつく。否、事実、崩れ始めている。もう残っていた時間は残らず使い果たしてしまったらしい。

 

「勘違いするな。俺はアンタのことも、テフェリーのことも、恨んでなど……憎んでなど、いない」

 

 男はあえぐように声を絞り出しながら天を仰ぐ、荒げた息を落ち着けるように、足りない呼吸を補うかのように。

 

 既に鏡面のような仮面は砕け落ちている。その素顔に降り注ぐ雨の雫が血の色をそぎ落としていく。蒼白の顔に似合わぬ煌びやかな双瞳が、初めて夜気に晒される。

 

「おまえ……」

 

 踵を返し、男はワイアッドのもとへ歩み寄る。

 

「どうやら、もう時間が来たようだ。ワイアッド・ワーロック……最後に頼みたいことがある」

 

 雨が、さらに勢いを増し始めていた。

 

 

 

 その昔、はるか南のある小国に、チャロナランという強大な魔力を操る魔術師があった。

 

 時には宮廷にも仕えた彼女には、ひとりの娘があった。夫は既に亡くなり、今では母一人子一人でそれでも何の不満も持つことなく暮らしていた。

 

 彼女は国で最高の魔術の担い手であったが、その魔術は破壊的な力を操る側面があり、それを恐れる国民はしばしば彼女を忌避することがあった。

 

 チャロナランは己の魔術の腕と己の在り方を恥じるところはなかったので、彼女自身に対する誹謗中傷や嫉妬から来る揶揄の類を気にかけてはいなかった。

 

 しかし彼女の年頃になった娘にまでそれが及ぶことは、辛く耐え難いことであった。娘は彼女に大丈夫だと言い続けたがチャロナランの苦悩は増すばかりだった。

 

 しかしそんな折、なんと年若い国王から彼女の娘を后に迎えたいという申し出があったのだ。母は誰よりもそれを喜んだが、それには一つの条件があった。「王の后になる者の縁者があまりにも破壊的な魔力を持ちそれを行使するのは問題がある」として、チャロナランにもう二度と魔術を使わずに生きていくのか、それともこの先ずっと国外の深い森の中で生きていくのかしてもらいたいというものだった。

 

 我が子のためとあらば仕方がないとして、彼女は森で暮らすことを決めた。魔術師である彼女が魔術を捨てて生きていくことは出来ないし、それで娘の邪魔になることもまた出来ないと思われたからだ。

 

 娘はもう母に会えぬことを深く悲しんだが、

 

「私のことは気にしなくていい。だから精一杯幸せになりなさい」

 

 そう言って母は、夜通し愛娘をなだめ続けた。

 

 暗い森の中に一人追いやられてからも、彼女はそれを苦しいとは思わなかった。娘が幸せに生きてくれることを想うだけで彼女の心は深い喜びと安堵に包まれた。

 

 そうして森の中で我が子の幸せを願い続ける生活がしばらく続いたあと、彼女の元に何年か前にひとり立ちしていた徒弟たちがやってきた。

 

 ただならぬ彼女たちの面持ちに、チャロナランは問うた。「いったいどうしたのか」と。

 

 徒弟たちが嗚咽と共に吐き出した言葉に、彼女の心は切り裂かれたかのような衝撃を受ける。

 

 約束は、破られていたのだ。

 

 彼女が森に追放されてからすぐ娘はどこかに連れ去られてしまい、その不在を理由に今は別の女性が后となっているのだというのだ。

 

「そんな、――バカな――ッ」

 

 彼女はすぐに城へと向かって、森を馳せた。王とその取り巻きたちにそれを問いたださんとした彼女たちを出迎えたのは兵士たちだった。

 

 総ては仕組まれていたことだったのだ。

 

 問答の余地さえも無く、徒弟たちは殺され、彼女も傷を負った。何とかして兵たちの追撃をかわした彼女は森の深遠に逃げのび、そこで怨嗟の嗚咽を張り上げ続けた。

 

「おのれ、おのれ、おのれ、おのれッ! 外道にも劣る卑劣なるケダモノ共め、いつか、いつの日か貴様らの首を切り裂き、この恨みを晴らしてくれるぞ!!」

 

 一人対一国の長い、長い闘いが始まった。

 

 辛かった。痛かった。憎かった。恐ろしかった。何よりも哀しかった。

 

 そしてたった一人で暗いその森に潜んで戦い続ける間に、魔術師の体と心は徐々に人のものではなくなっていった――。

 

 どこで、間違ったのだろう。――私はただ、

 

 ただ、あの子に、幸せになってもらいたかっただけなのに――

 

 

 

 センタービル屋上の片隅で転寝(うたたね)をしていたカリヨンは、叩きつけるような悲しみから逃れるように眼を覚ました。

 

 どうしようもなく、辛く、哀しくて見ていられなかった。アレはなんだ? 彼の知らない記憶だ。夢? あんなに鮮明な? ただ、あの女魔術師には見覚えがあった。自分のことよりも、人のことばかり気にしているお節介な、そう、彼のサーヴァントにそっくりで――

 

 そして、はっとして見回した彼の視界に飛び込んできたのは、見覚えのある漆黒の刃が、今まさにそのキャスターの身体を後ろから刺し貫いた姿だった。

 

「――え? ……サ、サヤ………………なにを――――」

 

 集路していたはずの魔力は霧散し、声もなく細い肢体は崩れるように血の海に沈んだ。その傍らで黒剣を握り佇むのは、さっきまで彼の隣に居たはずのサヤだ。

 

 キャスターの周りで舞っていた使い魔(レアック)達が咄嗟にサヤの喉笛目掛けて殺到した。が、血に湿った黒刃が一旋された瞬間、数十もの使い魔は泡沫のように掻き消された。

 

「言ったではないですカ、()()()()()

 

 背を向けたまま応える声はサヤのものだ。しかしその口調やそれが持つ雰囲気のようなものは、まったくの別人のモノのようであった。そしてカリヨンはその人物を知っている。誰だ? いったい誰の――

 

「もう、時間は残っていないのでスよ。なぜなラ、もう待つことガ叶わなくなりまシた」

 

 振り返り、人形のような微笑で見つめてくるその瞳が、見る見るうちに狂気の色に濁っていく。

 

『だっテ、もう待テなイ……もう……待ァッテらッレねエんだよぉぉぉぉォォォォオ!!』

 

 吼え猛けた不快な金切り声を前にして、カリヨンはぼんやりとしたまま動くことが出来ない。思考も、五体も、なにもかもが弛緩したかのように動かなかった。反撃など念頭に昇ることさえ無かった。

 

 これは悪夢なのだろうか? 先ほどの哀しい夢の続きなのだろうか? なら、なんて悪辣な夢なのだろう。出来ることならはやく――はやく、褪めて欲しい。

 

 掲げ上げられる長剣の輝きを見つめる。黄金に澱む光が、柄から染み出すようにして漆黒の刃に絡み付いていく。

 

 その濁った金色の光はサヤの瞳からあふれてくるそれと一緒だった。

 

 改めて、サヤには似合わないな、と。まじまじとそれを見上げながら、カリヨンはただぼんやりとそんなことを考えていた。

 

 金色に濁った刃は彼の頭上に振り下ろされ――そして彼の前髪に触れたあたりで急静止した。

 

「マスターっ! ――逃げてください。それは、サヤじゃ、ない! 急いで!!」

 

 血に伏したままの姿勢で、キャスターの白い右腕が掲げられている。そこから漲る魔力の奔流が、どうやらサヤの身体を縛り停止させているようであった。

 

『ゥぬぅぅぅゥゥゥゥ―――ッ!?』

 

 微動だにすることもできないのか、剣を掲げ上げたそのままの姿勢で()()が吼える。まるで錆びた金属同士をすり合わせるような、男なのか女なのかもわからない不快な声音で。

 

「――あ、う――」

 

 しかし少年の矮躯は微動だにしない。そのときカリヨンの顔に何かがぶつかった。

 

「はやく!!」

 

 キャスターが投げた短剣だった。鞘に入れられたままの、波打つようにうねった刃を持つナイフだ。カリヨンが用意した触媒のひとつで彼女の直接の遺物ではなったが、気に入ったといって彼女が携えていたものだ。

 

 我に返ったカリヨンは、そのまま背を向けて走り出した。センタービル屋上から虚空へと飛び出し、闇の中へ消えていく。

 

 それを見届けて、キャスターはホッと息を吐き、身体から力を抜いた。そして苦労して身体を仰向けにすると己を見下ろしてくるソレに視線を向けて疑問の言葉を吐いた。

 

「おまえ……は、誰だ……? いや、貴様は……()()?……鞘は、どこ、に……」

 

 身体の自由を取り戻したソレはキャスターの声には応えず、すばやく長剣を投擲して地に伏したキャスターを串刺しにした。

 

 しかしその瞬間にキャスターの身体は幾重もの白布となって四散した。(デコイ)である。キャスター本人は霊体と化し既にこの場より離脱している。両名を逃がしたにもかかわらず、ソレは不適に笑った。

 

『フンッ、よクやる――まァ、イイだロう』

 

 初手で心臓を貫いてあるのだ、どうせ長くは持つまい。あのガキのほうも放っておいて問題ない。いつでも捕まえられるだろう。

 

『マヌケ共のおかげで、ヤリ易くてたすカる』

 

 バカな女だ。抱いた疑念から自ら目を逸らした。人を信じたいが故に問題を先送りするとは。まったくもって愚か者の極み。

 

『ク――クククッ』

 

 ソレは心底から可笑しそうに嘲い。――そして唐突にドス黒い血を吐き出した。尋常ではない量だった。足許にはそれ以外にも、無数の紅い掌ほどのモノが広がっている。鞘の身体はもはやその内側から、そしてその末端から綻び初めているのだ。

 

『ヤレヤレ。やはリ、()()()()には耐えられんカ。時間が無イな。……でハ、急ギ、新しい器ヲ迎えに行くとしよう……』

 

 浮かべた魔性の笑みを、降り始めた雨が濡らしていた。しかし、無機物の如くそれを無視したまま、()()はあらぬ方向へを踵を返した。まるで求めるものがその先にあることを知っているかのように。

 

 まるで、結実が近い事を知っているかのように。金濁色の光でその瞳を満たしながら。

 

 

 

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