Fate/after Silent Noise (フェイト/アフター サイレント・ノイズ)   作:どっこちゃん

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七章 謡う合鳴鐘「カリヨン・トランス」-1

 

 星の無い、凍てつくような空の下、極寒の海原を漂うひとつの球体があった。

 

 まるで暗い闇色の空を写しとったかのような海面に、唯一淡い光を撒いて瞬くそれは、夜の片隅に取り残された星屑の残滓のようであった。

 

 その金色の粒子を振り撒く、つるりと滑らかな卵の中で、それは笑う。

 

 わらいながら、潮流の揺籃に揺られまた嗤う。(わらべ)のように、ふるりと、……微笑(わら)う。

 

『魔剣――繭』幾重にも連ねられた金の霊糸によって編み上げられた、シルクのような光沢を放つ金色の繭玉であった。

 

 編み上げられた金糸の外殻が作り上げる、この魔剣にとって最も強固な防御態勢。それはあたかも至高の芸術作品のようですらあり、しかし同時に傷ついた身体を癒す、休息のための揺り篭でもあった。

 

 今、この魔のインテリジェンス・ソードはこの上なく傷つき、瀕死に近いところまで追い詰められていたのだ。

 

 にもかかわらず、その金の卵のような神衣の中で胎児のように身体を丸めながら、その薄く愛らしい口元には、まるで蛇のような悪辣な笑みが浮かんでいる。引きつるような口角だけが、歪んだように微笑を刻む。

 

 甚だ不本意ではあった。あった――が、その顔にはあどけない幼子のような笑いがこみ上げてくるのだ。これはどうしようもないことであった。こみ上げてくる喜気に観念して、口元は笑うに任せてあった。どうにも、波の揺らめきが心地よく、快く、少し、眠いのだ。

 

 あれほどの恐怖、あれほどの高揚、あれほどの渇望――――久しく無いことであった。

 

 何時以来であっただろうか。そう、あれはまだこの魔剣が一個の自我を獲得して間もなかった頃。人の命を貪り続けねば、すぐにも霧散してしまうような、露のような自我であった頃だ。

 

 常に死との、消滅の恐怖との鬩ぎあいであった。その頃のことのを思い出すと、また、満足げな笑いがこみ上げてくる。心からの満足感が、不本意ながら、魔剣の頬を燻らせる。

 

 楽しい。戦うことは、そして勝つことはなんと嬉しく楽しいことなのだろうか。そうだ、最後にこのような死力を尽くした闘いに廻り合えたことは、むしろ僥倖であったとさえ言えるだろう。

 

 それほどに、今は気分がいい。死を賭した勝利とはいつも限りなく心地がいい。久しく忘れていた感覚だ。

 

 おそらくはこれが最後になるだろう。次に目覚める時、おそらく己は至高の存在へと昇華することになるのだ。何者をも凌駕して余りある。甚だ完全なるものへとなるのだろう。永遠の代名詞となるのだろう。

 

 魔剣は、その未来を想い。そして、また、笑うのだ。

 

 しかし、それも少し先のことだ。今は動くことも出来ないのだから。

 

 それも良いだろう。暫く眠ることにしよう。嗚呼、それにしても――気分がいい。

 

 そうして、鈍い光を放ちながら、波に揺られる繭玉は己の行き先も知らず、ただゆっくりと蒼から次第に褐色の強まる深海へと落ちていった。

 

 

 

 

 ――――――事は、約一時間ほど前に遡る。

 

 

 空を行く、二つの飛翔体が暗い色の空を二重に引き裂きながら舞い上がって行った。

 

 それらは幾重にも激突を繰り返し、その度に、天蓋を埋め尽くした雲の向こうで雷鳴にも似たうねりが轟き渡る。

 

 一方は金濁の光に輝く蝶。そしてもう一方は、ひどく形容しがたい形態(かたち)をしていた。

 

 とても奇異で、ただおぞましく、殊更にグロテスクであった。しいて表現するなら、――それは癌細胞に似ていた。

 

 大気がうねり、見下ろすことさえ叶わぬはるか下方の海面が、ゆっくりと持ち上がろうとしているのが感じられた。

 

 大雲が、押し込められた綿の如く幾重にも重なり合い、押し込められるかのように、それに集束し始めていた。

 

 はるか彼方の雨の気配が此方に向かって引き寄せられるのが分かった。

 

 

 ――――まさしく慮外の事態であった。事態は己の望むとおりに展開した筈だった。後は文字どおり王手をかけるだけだったはずなのだ。

 

 ――にも関わらず、魔剣は逃げていた。その身に四体もの英霊を取り込み、すでに並ぶものなき真性の荒神となったはずの己が、今無様にも逃走をはかっている。

 

 一抹の危惧さえ抱くことのなかったその思考は、今屈辱と不可解な事態に対する混乱とで焼き切れそうになっていた。

 

 しかし神代の頃より培われてきた魔の危機感知能力は絶えず規格外の警鐘を鳴らし続けているのだ。何の確証も勝算もなく()()()()()と戦うわけには行かなかった。

 

 

 当初より、いきなり姿を変え始めたその敵の正体がなんなのかを、魔剣は判じきれずにいた。それを率直に評するなら、それは、蛇。

 

 爛れ、腐乱してなお身悶え蠕動する毒蛇の群のようにも見受けられた。――それはおぞましいまでの呪詛の念の塊だった。まさに荒ぶる神であった。邪神であり、悪神だった。

 

 一方で荒れ狂う無貌の蛇の群れが時としておぞましく蠢きながら立ち上がり、奇怪な海栗(うに)の棘のように逆立ってもみせる。かとも思えば、それは一時たりとも形状を定型化させることがない。

 

 次の形態(かたち)は球形だ。不定形に蠢く蜂球(ほうきゅう)のように成る。それを形作るべく(ひし)めくのは、またもや顔なしの毒虫の群だ。

 

 それが、今度は解けて交じり合い、ついでは長く引き延ばされ、滑らかな夜空の上に、実に汚らしい、ジクジクと蝕むような黒濁の筋を引いたかと思えば、一変してのっぺりとした無貌の大蛇か、はたまた百足のように変幻するのである。

 

 とても正視に堪える光景ではない。

 

 そして口々に、気がふれたかのように、おぞましい呪詛を謡うそれは、(むご)たらしく、おぞましく、憎悪の念を謡う呪い神のようであり、その雄叫びにひしめく大気までもが悪意の念に染め上げられていくようであった。

 

 そこはあたかも昼のようでありながら、遥かなる天上に夜を頂く場所であった。広すぎる空間を埋め尽くす蒼すぎる大気の中で、燦然と輝く金と汚濁色の黒点とが凄まじい速度で浮上していく。

 

 今や、其処からは見下ろすことすら叶わぬ冬木の地から、やおら天空を目指して飛び立った双つの魔の飛翔体は、凄まじい速度で付いては離れを繰り返し、上昇を続け、ついには成層圏を越えて星々のきらめきを目撃するに至ったのだ。

 

 星灯りの照らす大雲の原にまろび出たそれらは追走劇を再開する。

 

 魔剣は金色の四肢で空を駆けながら、()()()()()()()()()()いく、まったく持って理解・推論の及ばぬ事態だったが、魔剣はすでに()()についての思考をやめていた。それがなんなのか、なぜそのようなことができるのかにすら、考えは及ばなかった。

 

 とはいえ如何なバケモノに化身しようとも、所詮は死に損ない。魔物に変化する宝具を見せられた時は何事かと思ったが、あれは間違いなくキャスターと言うサーヴァントであることは間違いのないことなのだ。――つまりは殺せる。そう、殺せぬはずのないものだ。

 

 自ら獲得し、また何よりも自負する理性に依り、その根幹の本能をさえ押さえつけるようにしてこの思考する魔剣(インテリジェンス・ソード)はその増殖し続ける魔の偽球体へと狙いをつけた――。

 

 

 

 ――奴は強い。

 

 もはや人としての根幹をも磨り減らしながら、それでも妖艶なる美貌の魔女――キャスターであったはずのソレは考える。急がなくてはならない。もはや記憶の前後すら混濁が生じている。単純に時間が残されていないのだ。

 

 恐ろしい。己が消えていくのが手にとるように解る。これはけっして最終手段などではない。これは戒めでしかったのだ。己が魔女であることの戒めであり、決して使用してはならないはずの機能であった。

 

 もしも使えば、彼女はどうしようもない恐怖の代償に、もっとも尊い筈の物を失っていくのだ。人格が消失する。記憶が掻き消される。だがもう時間がない。恐怖に震えている場合ではない。愛おしさの残骸に縋り付く暇はない。

 

 考えなければならない。タイミングを、絶好の勝機を計るために。

 

 

 ――ヤツは強い。四体ものサーヴァントを力として取り込んだあの魔剣に対抗できるものはもはや存在しないのかもしれない。たとえあの騎士王が全快したのだとしても、もはや対抗できる領域にはいない。それほどにあの魔剣は強大な力を得ている。

 

 ――ヤツはツヨイ。だが、否、だからこそ負けるわけにはいかナイ。故にキャスターたる己は、サーヴァントたる我ハ、いかなる手段に訴えてデモ――。そう、自ら禁じた筈の奥の手に訴えてデモ、己が手で護らなければならなイ。ソウ、タトエ、ドンナ手に訴えてデモ――。

 

 

 

『魔剣――(いかずち)!』

 

 瞬間、波打って蒼の大気を抉った金の筋がジグザグの斜線を描いて黒濁の魔を貫いた。

 

「やった――――か?」

 

 勝利を確信するより先に瞬間、巻き起こったこの上なくおぞましい、悲鳴のような獣の呻きに不吉な呪詛の淀みを感じ、魔剣は粉砕した筈の敵の残骸を前にしてなお己の必殺を疑った。

 

 果たして、その判断は「是」であった。砕かれ、四散した魔物の体そのものがそれぞれに変容して黒い霧か汚泥のようなものに変じたのだ。それらは雲間からのぞく蒼の大気に放射状に飛び散ったかに見えたが、途端にその軌道を捻じ曲げて魔剣に向けて迫ってきたのだ。

 

『魔剣――函』

 

 最後の悪あがきか――。一時は肝を冷やした魔剣だったが、再び不敵にほくそ笑むと危うげなく金の糸を立方体形に編みこんで防御の姿勢をとった。しかしそのおぞましくも不快な魔の四散体はなぜか魔剣に触れようともせず、その近辺の虚空に集束し始めたのである。

 

 ――なんだ、これは? 訝るあいだにそれらは一所に集まると、やおら凄まじい勢いで()()()()()纏わりつき合い、廻り、踊りあって一つの黒い穴のようなものを作り出した。

 

 

 それは、癌細胞に似ていた。

 

 

 ひどく強大で、性急な、どうしようもない致命の病巣に似ていた。それは空間の歪みの如きモノだった。それは奈落の深遠にも似た虚穴だった。周囲のあらゆるものを巻き込み、呑み込みながら次第に肥大していく、黒い、穴。

 

 瞬間、魔剣は己の体に急激な、そして強大な引力を感じて身を強張らせた。エーテルの糸で空間そのものに金の函を固定し、必死にその吸引力に抗う。そう、引き寄せられているのだ。

 

 それこそが此度の儀式に際して呼び出された擬似サーヴァントの一人、キャスターの最終手段、『無限の爛沱(ノーリミテッド・イヴィル・ティア)』であった。

 

 それは己の自滅を前提とした、もはや手段とすら呼べぬ代物であった。それはいずれ世界をも殺すものであったのだ。

 

 それは世界の癌なのだ。世界の半身より内包されるものでありながら、それは時として異常に肥大して、いずれ世界をも殺すものであった。狂った要素なのだ。狂える細胞なのだ。故にそれは癌なのであった。故に――――世界は、それを許さない。

 

 魔剣はようやく理解していた。アレがなんなのかを。人はそれを「悪」と呼ぶのだ。それは世界の半分を担うもの。それ即ち悪性の極点なり。

 

 

 ――その名を〝魔女ランダ〟と言えり。

 

 

 それはこの世界の半分を司るとされる神霊であった。其は世界の双極の片翼を担う神の御名。単独での存在を許されることの無い、悪の極点。それは単体であってはならぬもの。

 

 悪性と善性、二つの極点はそれらが相対するが故に世界のバランスを保つ。即ち善と――そして悪。

 

 バリ・ヒンドゥーにおける善と悪の特徴は善悪二神の対立を主軸としながらも、最後までその決着がつかないことにある。かの教義において、善と悪とは常に対等であり、それらは永遠に拮抗したままなのだ。

 

 あらゆる善と悪とは万物の中に混在し、それが拮抗しバランスを保つことが世界の安定に繋がるのだという。

 

 ――故に『魔女ランダ』とは、本来ならこの世に単体で存在することを許されない神なのだ。もし、この魔女が拮抗するべき聖獣の存在を失ったなら何が起こるのか。それは世界の崩壊だ。

 

 無限の悪とは無限の正義が拮抗することによって始めて抑制されうるもの。その歯止めを失った魔女は世界にとって当然在りうべき存在でありながら、過剰に増殖し続け、いつか宿主を殺すのだ。これを魔の病理と呼ばずになんと呼ぼうか!

 

「この場の座標を維持することも難しくなってきたな――」

 

 もはや、戦うどころの話ではない。魔剣は強烈な引力にさらされながら、しかしそれでも生還の可能性を模索して思考を続ける。

 

 ――焦る必要はない。兎角、この座標から逃れられればそれでいいのだ。そうすればアレはこのまま自滅する。どうにかしてここを凌ぎきり、逃げ切れれば……。そうだ、これは捨ておけばこの世界をも喰らいつくす概念だ。故にこの世界そのものが、コレの存在を許容しないはず。もはや幾何の時を待たずしてこの化け物は消失する。

 

 ――耐えろ。あと数分でいい。急げ、世界よッ! 貴様とて、このまま安穏と喰われるつもりはあるまい!

 

 しかし暴虐の悪露は引力を増し続ける一方であった。

 

「ぐううううううううううううッ!」

 

 五体の軋む音色を聞き、さしもの魔剣も引き攣るような唸りを洩らす。

 

「――化け物めッッッ!」

 

 甘く見すぎていた。侮りすぎていた! まったく以て化け物であった。この場においては不要なはずの悔恨が後から後から湧き起こってくる。

 

 いかな弱者であろうとも取るに足らぬ雑魚であろうとも、それが己の死すら厭わぬ特攻に打って出る時、それはいかな強者ですら打ち倒す可能性を持つのだ。そのような戦場の倣いすら、忘却していた己の思慮の浅さに思考は焼ききれそうになる。

 

「これしきの、これしきのことで……」

 

 しかし、どうしようもなく、引力は増大する。空間に固定されていた筈の金の編箱は徐々にその位置から移動し始める。空間そのものが歪み、そこに引き込まれようとしているのだ。

 

 奈落のような穴は軽を増し続ける。もはや猶予がないのは魔剣の方であった。魔剣は死の恐怖を感じる。生まれ堕ちてより始めて感じる絶対的な死の具象、真なる消滅の予感であった。

 

「死んで――、死んで、たまるかッ!」

 

 だが、その死の恐怖が、今まさにこの進化する魔剣に一様の変化をもたらそうとしていた。紅と翠の瞳が瞬く、今魔剣の素体となっていた少女の身体の、それまで使用されていなかった大部分の魔術回路が、このとき初めて完全に開放されたのだ。

 

 行き詰った濁流が堰を切るように、魔剣の内側で膨れ上がった死への恐怖が、生への飽くなき渇望が、その未使用の炉に初めて行き渡ったのだ。

 

 それまで完全には使用しきれていなかったサーヴァント四騎分の魔力が、今初めて正常なギアによって変換され、極大のトルクとなってその全機能を駆動させ始める。

 

 瞬間、その膨大な魔力から変換されたエーテルにより金の糸はその光量を拡大させた。それは空を覆うほどに拡大していく。そして一個の黄金の恒星と化した金の翼は漆黒の悪の極点に向けて閃き、突貫した。

 

 肥大しすぎた魔の大渦はその自重にて衛星軌道上でありえぬ歪となって自壊しようとしていたが、飛来した金色の穂先がその穴の中核を打ち抜いた。

 

 四散させられた魔の破片はいくつかの流星となって、今度こそ真蒼の空に幾重かの緋の筋を引いて――そして消滅した。

 

 全魔力を使い果たした黄金の魔剣もまた、一筋の朱筋となって海の底に落ちていった。今度こそ確信した勝利の笑みと共に、銀色の箒星のように、染み入るような深蒼の青の中へ。

 

 

 

 ――しばしの後、しかしそう遠くない未来に、やがて魔剣は眼を覚ますことであろう。そのとき、さらに強大な、極限の存在になった魔剣に、抗しうる者はいるのであろうか。

 

 そして、その者にそうするだけの意志は、果たしてあるのであろうか。

 

 

 

 

 

 ……あの日、薄暗い城の地下牢の深奥で、少年は囚われの妖精の姫君を見つけた。

 

 それからというもの、その少年は勇者となって毎夜愛しい姫君の元に馳せ参じ、いつか自分がこの城の王となり、彼女を助けると誓いながら、その証にいくつもの詩を贈る。

 

 妖精の姫は人のものとも思えないほどに美しい、宝石のような瞳を瞬かせ、毎夜運ばれてくる泡沫の調に銀色の絃音で応えるのだった。

 

 

 

 ――そんな、まるで始まりの戯曲の一幕のように、僕らは出会った――

 

 

 

 最初は、冒険のつもりだったのだ。いつも独りだった。でも、その頃はまだ自分の状況というものをよく知らなかったから、単に放任されていた自分を、意味もなく自由で、どこか誇らしいげに感じていた。きっと、そう思い込んでいたんだと思う。

 

 とにかく独りだったから、ただつまらなくて、ひとりで本を読んで、そこに書いてあるような冒険みたいな、何か面白いことがないかっていつも何かを探してた。

 

 自分を勇敢なる伝説の勇者に見立てて、暗く深い森の奥を駆け抜けたり、大きな滝壺にある大きなツララを龍の顎に見立てて、短剣をふるって闘いを挑んだりしていた。

 

 その短剣は城の地下を探索していて見つけたものだ。綺麗な装飾が施されていて、本物の宝物のように煌めいていた。

 

 それを見つけたときは有頂天になって喜んだ。ほんとうに宝物を見つけたみたいに、ひとりではしゃいでた。

 

 それからは気を良くして、僕は次第に深い地下牢の奥に入り込むようになったんだ。

 

 毎日が冒険みたいだった。話し相手が居ないことを除けば、何にも不自由だとは思わなかった。城の周囲一帯は僕の庭だった。できないことなんかないと思ってた。いつかこの城から出て、世界中を冒険するのだ――と、本気で思っていた。

 

 あの頃は、まだそう、心の底から思っていたんだ。

 

 しかし、毎日駆け回ればさすがに飽きが来る。取り立てて目新しいものもなくなり、さらには雪が降り始めて、城の外にも行けずにまた退屈していた。

 

 そんなときだ。僕はまた地下坑道の奥の方にいってみる気になった。多少黴臭いが、外ほど寒くはなかったから。

 

 そこはただの地下牢とは思われないほど深いところで、何でもご先祖様が何かのために掘ったのだという。外から見える砦城など、人の眼を欺くための飾りで、この地下に向けて伸びる部分こそが、本来はこの城の真髄なのだと聞いたことがあった。

 

 そのときはよく意味が解からなかったので聞き返したのだが、そいつらは詳しい事を教えてくれなかった。

 

 兄さんたちばかりにかまって、僕はいつもほうって置かれていたのだ。

 

 それでも僕は気にしなかった。あんな奴等は頼まれたって冒険になんかつれてってやるもんか。と、その思いも手伝ってか、その日はとても深い、もう誰も踏み入らないような場所にいってみる気になった。

 

 あまり深い所には行くなといわれていたけれど、それより浅いところにはもう見るべき物などなかったし、もっと深いところになら、この短剣のような宝があるかも知れない。

 

 諫言など無視して、いざ未踏の場所に足を踏み入れた。

 

 ――は、よかったがいきなり行き止まりだった。この深い穴には幾つも入り口があるのだが、僕が知っているのは人目につくところばかりで他の穴からは中に入れない。困ってしまった。行き止まりなんてあんまりだ。

 

 いや、待てよ。僕は考えた。もしかしたら隠し扉があるのかも知れない。

 

 しかしそれは同時に罠であるかもしれないのだ。慎重を期すべきだ。冒険者は隠し扉や罠を潜り抜けて地下の迷宮を踏破するのだ。迷宮だ。そうだ迷宮なのだ。世界を見るより先に、ここを制覇してやるのだ。

 

 ここも僕にとってはまだ見ぬ未踏の地には違いない。僕は行き止まりの壁にランプをかざして、つぶさに何かないかを探した。すると、装飾剣が震えだし、鳴動し始めた。

剣をかざすと、その音が強くなる箇所を見つけた。

 

 よく見ると、妙な呪文のようなものが刻み込まれている。やった。やっぱり冴えてるぞ! これで新しい冒険の幕が上がる…… 

 

 しかし、よく考えてみたらそれをどうしたらいいのか解からず、それからしばらく試行錯誤を繰り返してみた。こすったり、押したりしてみたが、どうにもよくない。

 

 仕方がない、と思って僕は持っていた短剣を壁に押し当てた。これで壁を掘ってやろうと考えたのだ。

 

 壁は鉄ではなく石で出来ていたし、何とかなるかも知れないと思ったのだ。とりあえず、彫ってあった呪文の辺りを切っ先で引っかいてみた。

 

 すると、途端に、パキンッ、と言う、何処か変わった響きの音が聞こえて、壁が崩れたのだ。いや、崩れたというよりは、どこかに吸い込まれたとでもいうのが正しいだろうか。

 

 すごいッ! これは本当に魔法の剣だったんだ。もう興奮は止まらなかった。その上、持っていた短剣はさっきにも増して強く鳴り響き始めたんだ。まるでこの先にもっと凄い何かがあるのだとでも言うように。

 

 僕はどんどん奥へ進んでいき、そして、――そこで何か動くものを見つけたのだ。

 

 心臓が梟の爪に鷲づかみにされてしまったかの様に、ぎゅっと引きつった。まさか本当に魔物が居たのだろうか? 心臓がドキドキしたけど、僕は負けなかった。

 

 勇気を振り絞って、硬く思う。本当に魔物ならやっつけてやる。

 

 もう一度そいつを見てみた。暗くてよくわからないが、それほど大きいわけじゃない。どうやらドラゴンじゃないみたいだな……。トロルでもオーガでもなさそうだ。というか、あれは……なんなんだろう?

 

 それをよく見てみて、なんだか気が抜けてしまった。魔物、というには相応しくないくらい、そいつは綺麗だったんだ。

 

 どうやら人間ではないようだったけど、悪いヤツには見えなかった。

 

 いきなり斬りつけては可愛そうだと思った僕は、そいつの前に出て行った。

 

 僕に気付いたそいつは呆気に取られたように大きな目をしばたかせた。しかし僕が持っていた剣を見て、そいつは僕を睨みつけてきた。しまったと思い、僕は短剣を放って、丸腰なのを示しながらそいつに近づいていった。

 

 そいつは細長い手足で僕の身体を探るように、恐る恐る触ってきた。僕は意を決して声を掛けた。

 

「ことば、解かる?」

 

 すると、そいつは思ったよりもずっと綺麗な声で、言った。

 

「アナタ、ダレ?」

 

 話が通じる。僕はなんだか嬉しくなった。そんなふうに自己紹介をするのが初めてだったんだ。

 

「始めまして、色違いさん。僕は、カリヨン」

 

 そいつは色違いの大きな深緑色と茶褐色の瞳を瞬かせていた。

 

「……カリ……ヨン?」

 

「うん」

 

「……カリヨン」

 

「うん。君の名前は」

 

「……」

 

 尋ねると、そいつは首を捻った。見たこともないような艶のある黒い髪が流れ、暫くして、思い出したように、

 

「テ、フェ……リー……」

 

 と、そう言った。

 

「テフェリー?」

 

 今度はぼくが言い直した。するとそいつは自分が発した言葉に合点がいったかのように大きく頷いた。

 

「テフェリー」

 

 僕が笑いかけると、不思議そうにそれを見ていたテフェリーも、ぎこちなく笑ってくれた。

 

 

 僕に、初めての友達が出来た。

 

 

 それから、僕は毎日そこに通った。テフェリーはそこから動けない、出てはいけないのだといっていたから、僕の方から会いに行くのだ。結局、地下の回廊はそこまでのようで、それ以上奥には進めなかったけれど、僕は満足だった。宝はなかったけど、そこには妖精が居たのだ。

 

 僕の胸は以前にも増して高鳴っていた。だって、宝が見つかってしまったら冒険はそこまでだけど、そこにいたのが妖精のお姫様だったら、それは新しい冒険の始まりのようだと思ったからだ。

 

 毎日、いろんな話をした。僕がやった冒険の話や、外にはどんなものがあるのか、ということ。本に書かれていたこと。話せることはなんでも話した。

 

 でも、テフェリーは外にはそんなものはなかったと言うのだ。テフェリーは外から来たらしい。ならば、と、逆に外の事を聞くと、よくわからない、憶えていない。というのだ。ここで僕は考えた。きっと、テフェリーも僕と同じでまだ小さいから、よくわからなかったんだ。

 

 外の世界にはすばらしいもの、面白いものが、確かにあるのだ。でも、それは少し解かりにくく隠されていて、頑張って見つけないといけないんだ。それが冒険なんだ。

 

 僕は一生懸命説明しようとした。でも、テフェリーはよくわからないという。僕は困ってしまった。そこで暫く困って、それで簡単な答えが出た。説明してもわからないなら、実際にやってみればいいのだ。

 

 僕は言った。「なら、一緒に行こう。テフェリー。冒険するんだ。僕はいつか絶対ここから出て世界中を見て回るんだ。いつか、僕は行く。行くんだ。絶対だ。だからそのとき、一緒に行こう。外の世界を、ホントの世界を一緒に見に行こう」と。

 

 でもテフェリーは外には出られない、と重ねて言う。それでも、僕はその度にいつか君を連れ出してあげるから、と繰り返した。

 

 

 

 ――そこまで思い返してみて、思う。嘘をついたのだ。僕はあの時、嘘をついていたんだ。無自覚な嘘を。出来もしない事を語ってみせることで、それで友達が傷つくことなんて、考えもしないで。

 

 そのころ、僕は自分が誰よりも自由なんだと信じていた。でも今ならわかる。あのころから僕は兄弟たちと比べられていたのだ。そして、何の素養もないと断じられて、用もないから籠の中で自由にされていただけなんだと。

 

 

 僕は嘘をついた。

 

 

 僕は本当にできると思っていたんだ。そのときは。何も知らないのだということは無限の未来と自由なのだと信じていた。でもそれが同時にいつか来る不自由を確約することなのだと僕は本当にわかっていなかった。それが無自覚な、最初の嘘。

 

 本当はそんなことが出来るかどうかなんてわからなかったんだ。だから、あの時も声に出してみて初めてちょっと怖くなったのを覚えている。

 

 

 その日、それから暫く経った満月の夜だった。自分で掲げた見栄に急きたてられて、とうとう、僕は旅立つ決心をした。外にはまだ雪が残っていて、春はまだ来ていなかったけど、もう我慢できなかったんだ。

 

 いつものように世話役が眠りについたのを見計らって、急いで準備をした。自分の荷物や宝物の短剣。上着を着て、もう一着、毛皮の上着をもった。テフェリーの分だ。いつも寒そうな格好していたし、実際、寒いといっていた。それで毛布を持っていったら喜んでいたのを思い出したのだ。外に出るならこれが必要な筈だ。

 

 でも、いきなり行こうと言ってテフェリーはついてきてくれるだろうか? 前に聞いたときはここから出てはいけないから、と繰り返すばかりだった。その事を思い返して、少し心配になった。けど、とにかく、もう決めたのだ。意を決して、ぼくはいつもの場所に向かった。

 

 少し遅くなってしまった。遅れたのは初めてだから、テフェリーは怒ったりするだろうか。考えながら、足を速めた。

 

 その日、森の向こうにあった、僕だけの秘密の扉は開いていた。

 

 淡い月光の下で、銀色の四肢を持った妖精が二色の瞳を哀しげに伏せながら、冷たい風に揺られるがままに靡く黒金(くろがね)の髪を揺らしていた。

 

 テフェリーは外に出てきていたのだ。僕は驚いて声をかけた。

 

「テフェリー、自分で出れたじゃないか」

 

 僕はなんだか嬉しくなった。だって月の下で佇んでいたテフェリーはそれまで見たどんなモノよりも綺麗だったから。しかし、テフェリーは無言で僕のところまで歩いてきた。やはり怒ってるんだろうか?

 

「……なんで出てきたのか、解からない。でもカリヨン、来ないから、どうしたのかなって、たくさん思ってたら、ここまで来てしまった……」

 

 僕は途端に嬉しくなってテフェリーを抱きしめた。テフェリーはことばを繰り返している。

 

「今日は来ないのかと思った……」

 

 やっぱり、ちょっとだけむっとしてるみたいだ。僕は笑って謝る。きっと逆の立場だったら僕も怒ると思ったから。

 

「おくれてごめんね。寒くない?」

 

「……ちょっと」

 

「これを着て」

 

 僕は毛皮の上着を着せてあげた。

 

「……」

 

 テフェリーは僕を不思議そうに見つめた。

 

「カリヨン、ちょっと違う、いつもと」

 

 僕は真面目な顔になって、言った。

 

「テフェリー、僕がもうここに来ないって言ったらどう思う」

 

「いや。すごい、すごく、いや。とても……」

 

 テフェリーは哀しそうに眉根を顰めて即答した。僕は一気に切り出した。

 

「テフェリー、僕は行く。外に行くんだ」

 

「……」

 

「ひとりでだって、行く。でも、僕もテフェリーと会えなくなるのはいやだ。とっても辛いし、怖い。だから……僕と一緒に来て欲しいんだ。行こう。前に言ったように、一緒に行こう。まだ見たことのないものを見に、一緒に行こう」

 

 テフェリーは暫く黙っていた。僕にはそれがすごく長い時間に感じられた。

 

 でもそれは、夜の空を流れる雲が、一時月の光を遮って、また流れたくらいの少しの時間だったのだと思う。それから不意に視線を上げたテフェリーは僕の視線を真っ直ぐに受け止めて、言った。

 

「いく」

 

 

 

 僕らはいつもみたいに話をしながら、森を抜けて、大きな滝壺に差し掛かった。別名竜の顎。命名は僕。冬になると巨大な牙みたいなツララが生える場所だ。ここを超えると、本当に今までいったことのない場所に出ることになる。

 

 テフェリーは嬉しそうにしていたが、僕は少し怖くなってきた。滝壺を超えるにはもっと浅瀬に行かないといけない。川沿いを歩こうとして、僕は足を滑らせてしまった。そんなに深いところまでは行かなかったけれど、水浸しになってしまった。とても寒い。

 

 河から這い出して、途端に心細くなってきた。上着を脱いで、どこかで乾かさなきゃならない。風が吹いて、首を撫でていった。涙をこらえる。恥ずかしくなった。テフェリーの前なのに。

 

 すると、テフェリーは自分の上着を僕にかけてくれた。それがどうしようもなく温かくて、いい、って、断ることも出来なかった。

 

 でも、そうするとテフェリーは殆ど裸だ。平気かと聞いても、いつもこうだから我慢できると言われた。それで、申し訳ない気持ちも手伝ってテフェリーもすこしは温かいかと思って、抱きしめた。いや、抱きついた。想像通り、手の先はすごく冷たかったけど、テフェリーの身体は温かかった。

 

「ごめんね」

 

「いい。私のほうが、お姉さん」

 

 そういえば、立っているのを見たのは今日が始めてだったのだが、テフェリーの背は僕よりも少し高かったのだ。それでも、そんなふうに思われていたのかとちょっとムッとした。したが、テフェリーが温かくて、なんともしようがなかった。

 

 僕は安堵しかかっていた。あれほどに恐怖に苛まれていたはずの僕の心臓はもう落ち着いていた。テフェリーがいれば大丈夫なんだと思って、僕は心から安堵できた。

 

 もうテフェリーがいなくなるなんて、僕も考えられなかった。僕の初めて友達。ずっと一緒なんだと思ってた。

 

 しかし、先に進もうとして滝に差し掛かると、テフェリーは脚を止めてしまった。どうしたのかと聞くと。ここが領土の端だから、と言う。つまりここから先はまだ知らない世界だということになるのだ。

 

 それで、テフェリーは動けなくなってしまったのだろうか。

 

「大丈夫だよ」

 

 僕はテフェリーの冷たい手をとって、大きな滝の裏を通っている道を目指した。

 

「うん」

 

 しっかりとつかんだ手は外れる事なんかなかった。そうして、僕らは新しい世界に踏み出したんだ。

 

 

 

 ――そのときだ。アイツが、現れたのは。

 

 

 テフェリーの手を引いてまた歩き出そうとしたとき、僕は夢見心地のまま突き飛ばされた。分けも解からずもんどりうって空を見上げた。そいつは虚空を蹴るようにして、テフェリーに襲いかかった。

 

 どうしよう。わけが解からない。どうしよう。テフェリーが殺されてしまう。相手はなんなのだろう。なぜ? どうしてこんなところに!?

 

 考えているうちに、初めて見る、殺意でぬらつく剣がテフェリーに向かっていく。だけど、次の瞬間その白刃はそれにも増して白々と輝く幾筋もの銀の閃きによって、仄暗い夜と諸共に、幾重にも両断されたんだ。

 

 テフェリーは虚空を舞った。僕の目には敵の姿は動きが速すぎて捉えることが出来なかったけど、それだけはわかった。テフェリーは強いのだ。今襲い掛かってきた敵だって、凄く強そうな大男なのに、テフェリーはぜんぜん負けていないのだ。

 

 銀色の閃きが瞬くたびに、敵が近づくことも出来ないで居るのが、僕にもわかった。

 

 でも、二人が暗い木陰の闇の中に入ると、もう僕には何がどうなっているのかわからなかった。

 

 二人の姿を追って、走る。

 

 加勢しなくては、と思ったのだ。見たところあの敵とテフェリーは互角だ。なら、ここは僕が何とかしなくてはならない。

 

 僕が木陰から飛び出した時、ちょうど月の光が雲の間から垣間見えた。目に飛び込んできたのは掲げ上げられた二本の剣と、それに絡めとられているテフェリーの銀糸だった。すぐにわかった。今度はテフェリーの方が身動きを封じられてしまっているのだ。

 

 やはり、そうか。

 

 いくら強くてもテフェリーだけじゃあ駄目だったんだ。

 

 僕は持っていた短剣を抜いた。いつかのように剣が唸るような声で鳴いている。

 

 走る。剣を構えて、敵の大きな背中を目指す。本当に、ホントに大きな、黒い背中。その奈落の闇のような影を見つめる。まるで怪物か、本物のドラゴンのように思えて、怖かった。

 

 それはとても邪悪な、死の影だった。でも、大丈夫だ。テフェリーを助けるのだ。だって、これは僕にしか出来ないことなんだから、――僕が、テフェリーのたった一人の友達なんだから――。

 

 眼をつぶって、体ごと突っ込もうとして、何かにぶつかってしまった。冷たい感触が顔を包み込む。逆に熱い何かが鼻頭を突いた。転んだのだ。雪の下の石で切ったのか口や鼻から血が出ていた。でもそんなことはどうでもいい事で――。

 

 顔を上げて、次の瞬間見たものは、いつの間にか、僕の前に居て、投げ出されたように横たわったまま動かないテフェリーの姿だった。

 

 驚くほど血が出ていて、河べりの雪と氷を紅く染めていく。よく解らなかったけど、凄く良くない気がして、すぐにテフェリーの所に行こうとして手をのばした。上着の端をつかんだけど、テフェリーはどんどん滝底へ向けて落ちていってしまう。

 

「だめだ、テフェリー! 諦めちゃ、だめだ!」

 

 僕は必死で叫んでいた。でもどう頑張っても、テフェリーの身体を引き上げることが出来ない。

 

 最後には河べりの氷雪に足を滑らせて、手を放してしまった。赤く染まったテフェリーの身体はすぐに見えなくなった。

 

 僕は訳ががわからなくなって、剣を構えて、まだそこに立っていた男に切りかかった。お前のせいで、お前のせいでテフェリーが!

 

 でも、そこでいきなり、世界が瞬転した。

 

 殴られたのだ。そのまま吹き飛ばされて、その後どうなったのか、よく、憶えていない。

 

 ただ、とても不思議だった。そうして僕はこいつをやっつけられないんだろう? どうして、僕はテフェリーを助けられないんだろう。どうして、どうして――

 

 

 気がついたら、僕はいつもと同じ部屋にいて、いつもと同じように野放しにされていた。多分、あの男のことで皆忙しくて、僕にかまっている場合じゃなかったんだろうと思う。そうでなくても同じことだっただろうけど。

 

 ただ一つ、テフェリーには二度と会えなかった。そして、それが自分のせいなのだということ、僕がテフェリーを連れ出さなければ、僕が戦うテフェリーの邪魔をしなければ、あんなことにはならなかったということを悟った。

 

 総ては自分のせいなんだと、そのとき初めて知った。夢現に、悟った。

 

 僕は、嘘をついていた。嘘をついていたんだ。ただ、自分がひとりきりで外に出るのが怖いから、だから一緒に行って欲しかっただけなんだ。嘘をついて、世界を見せてあげるなんて適当な嘘をついて、僕がテフェリーをあんな目にあわせてしまった。

 

 僕は知らなかったんだ。自分が何も出来ない、唯の子供だって事を知らなかった。僕が繰り返してフェリーに約束したことが、全部出来やしないまやかしだったなんて知らなかった。

 

 その日からずっと、力が欲しかった。嘘をつかないでいられる強さが欲しかった。そして、何よりも君に謝りたかった。

 

 だから、再会した君に今度こそ何かをしてあげたいと思ったんだ。今度こそうまくやれると思ったのに。

 

 でも、だめだった。

 

 そんなことも無駄だった。僕はまた、君を助けられなかった。「大丈夫だ」って、言ったくせに――。

 

 

 僕は、また君に嘘をついてしまった。

 

 

 

 

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