真剣で私に恋しなさい!S 〜春霞の月、秋露の花〜 作:霜焼雪
源実朝
激しい剣技による決闘から数日後、源義経は川神山の麓にある小さな館に三人を伴って訪れていた。義経はその館の主に招待されていた。
一人は彼女の従者として名高い、武蔵坊弁慶のクローンとなった女子。名前もオリジナル通りの武蔵坊弁慶。今回は護衛という形ではなく、ただ一緒についてきてくれと主に頼まれたために、ちょっとした休暇気分でここにやって来ている。それでも、主に何かあってはオリジナルの名に泥を塗ることになる。お気楽に振る舞っていても、多少の警戒心は残したままでいる。
一人は義経と同じ女剣士、黛十一段の娘である黛由紀江。義経が館に訪れる際につれてきて欲しいと、館の主からの唯一の頼み事であった。剣士としての憧れの英雄であり、学園では一つ年上の先輩に誘われたということもあり、由紀江はガチガチに緊張して刀の入った袋を力強く握りしめていた。
そしてそれを宥めているのが最後の一人、前回の決闘の立会人である武神、川神百代である。百代は由紀江を見守る保護者のような立場を含め、義経を呼んだ館の主ともう一度じっくりと話したいためにここにやってきていた。無論、しっかりと許可は得ている。
義経ら四人が館の門の前に到着する。館は高い塀に囲まれていて中の様子は全く解らない。しかし、その外観が全て見えなくても、義経や由紀江はここから滲み出る和やかな雰囲気を感じ取っていた。自然との調和に成功した人工物、山麓と折り合いをつけた山荘。
そこで弁慶があるものを発見する。この和風の屋敷には全くもって似つかわしくない、機械仕掛けのインターホンであった。数秒程俊巡した結果、弁慶はインターホンを独断で押した。
ピンポーン! と、自然溢れる川神山の中に電子音が響き渡った。
突然の高音に義経は身体をビクッと揺らす。心の準備ができていなかったために、義経が慌てふためきながら弁慶を叱るも、弁慶は飄々としたまま聞き流して反省の素振りを見せなかった。弁慶があまりに言うことを聞かないので、義経がしゅんとして落ち込み始めると、弁慶は愛らしいペットを愛でるように義経の頭を撫でていた。伝承と立場が逆転しているが、これでも主従関係は保てている。
『ようやく来たのう。ささ、上がりなさい』
義経が落ち込むタイミングを見計らったかどうかは定かではないが、ちょうどその時にインターホンを介して館の主の音が聞こえてきた。
その声に義経はすぐに気を引き締めた。何せ義経は招待された側である。客人として相応の振る舞いをしなければ無礼というものである、そう堅く考えていた義経を暖かい眼差しで見ていた弁慶は、義経の生真面目さに呆れたように溜め息をついた。
館への立ち入りが許可されたため、百代が館の門を両手で全開にした。いきなりの行動に由紀江と義経は慌てたが、百代と弁慶は特に気にする様子もなかった。
門を開けるとそこには、小さな池と枯山水が作ってあり、縁側には赤い布が敷いてある、まるで茶屋のような造りの家が建っていた。
そしてその縁側に座っているのは、年老いたことを印象づける白い角刈り頭と白い顎髭で着物姿の老人がいた。
「お邪魔します、銑治郎さん」
「よく来たのう。まあここに座りなさい。今から茶菓子と茶を出すからのう」
「おじいさん。私はおつまみが欲しいな。川神水にぴったりの奴」
「こ、こら弁慶!」
「かっかっか! 良か良か! ちくわでいいかい?」
全く遠慮のなかった弁慶の申し出を義経が叱りつけるが、銑治郎はそれを気にした様子はなく、寧ろ心地いいのか豪快に笑っていた。銑治郎はそのまま笑いながら奥へと姿を消した。
茶菓子の用意をしてくれているなら待っていた方がよいだろう思った四人は、先に中へ入って靴を脱いで縁側に座った。
百代と弁慶は銑治郎が持ってくる飲食物が目当てでウズウズしていたが、義経と由紀江は縁側感じられるだけの自然を感じ取っていた。
隣接する川神山の木々がさわさわと音を立てて葉を揺らし、山鳥が囀ずったり木の枝の上で毛繕いをしていたり、段々と熱くなってきた気候から来るとは思えない清涼な風が吹いていた。池はどうやら山から涌き出る天然水で出来た川に繋がっているようで、山の中で生きる小さな魚や蟹が住んでいる。木々の間を縫って僅かに差し込む日光が池の水面を不規則に輝かせ、小魚の体を宝石のように照らす。山紫水明、それを感じ取れるこの館に二人は趣を感じていた。
「待たせたのう」
暫くして、銑治郎が盆の上に人数分の茶碗と茶菓子、それに弁慶が所望したおつまみを乗せて姿を現した。
「すいません」
「気にすることはなか。剣聖のご息女殿。客人は客人らしく、堂々と構えておれば良か」
由紀江は申し訳なさそうに頭を下げた。手伝いもせずにのんびりとしていたことが由紀江にとっては滅多にないことだったのだろう。しかし、銑治郎はそんなことは全く気にせずに弁慶につまみを渡し、残りの三人には抹茶と柚子饅頭を渡した。
「おー! このちくわ美味しいな。竹ちくわだね」
「うむ。何と言ったかのう……。上半身剥き出しの偉丈夫が四国のアピールだの何だので、駅前で四国の名産店を開いておったのでな。徳島の竹ちくわを買ってみたのじゃが、気に入ってくれて何よりじゃ。すだちもある、よければ絞ってみなさい」
「遠慮なーく」
「四国の大男と言えば……天神館の火達磨になった奴だな。まだこっちにいたのか」
三人がお抹茶という上品なものを飲んでいる傍らで、弁慶は川神水を飲みながら差し出されたちくわを口に放り込んでいた。どうやら弁慶のお気に召すところだったようで、銑治郎もつられて嬉しくなった。
「美味しい、この抹茶……! どこの抹茶ですか? 京都とか静岡とか……」
「京都でも静岡でもないわい。愛知県じゃ」
「え……愛知……?」
「抹茶の生産量全国一位、抹茶の食品加工に先駆けて手を出したのがこの西尾茶じゃ。抹茶と言えば儂は西尾茶なんじゃが、如何せん知名度が低い。まあ良ければ覚えておいてくれ」
由紀江はほとんど知らなかった知識を披露されて感嘆の声を漏らした。亀の甲より年の功、その格言通りのことを今実感したのであった。
そんな知的な会話があったにも関わらず、百代は『苦い……』と呟いて直ぐに飲み干し、口直しとして甘い餡で口を満たして満足そうな顔をしていた。
弁慶はもう大分出来上がってきたようで、顔が紅潮して上半身がふらふらとしていた。いつの間にか差し出された竹ちくわも完食していて、残されていたのはまっさらな皿だけだった。
「これが弁慶かい。源平の軍記とはかけ離れておるのう。クローンとは言え、やはり完全再現ではないのじゃな。性別も変わっておるし。それはクローンと言うのかどうなのか、実に怪しい所を彷徨いている訳じゃな。日本がこれを大々的に許可しているというか黙認しているのもそれが所以なのかもしれんのう。九鬼が圧力をかければ何とかなるかもしれん、という風潮も捨てがたいのじゃが」
「も、申し訳ない。主である義経が弁慶を制さなくてはいけないのに」
銑治郎が弁慶と義経を見て所感を述べていると、義経が実に申し訳なさそうに落ち込んでいた。しかし、銑治郎はやはりそのことは気にしないで、義経の頭を優しく撫でた。
「せ、銑治郎さん?」
「うーむ、一気に孫が増えたようじゃ。何せ七十年以上一人身な訳じゃ。伴侶なぞおらんかった故、子の顔も親に見せれず仕舞い、孫なんてできぬと思っておった。じゃが、こうして若い者を我が家に招き、語り合うだけでこれ程の喜びが得られようとは。寧ろ儂は感謝しておるのじゃよ、義経や」
「あ、はい……」
豪放磊落な老人の姿に隠れていた銑治郎の本音。今まで静寂に包まれて生きてきたのだと思わせる、弱々しくも今までで一番優しい顔。よほど今まで人との関わりが無かったのか、義経たちとの会話を心から楽しんでいるようだった。
「良ければまた来てくれ。これくらいのもてなしならばいつでもできる故」
「い、いいのですか?」
「拒絶する理由に皆目見当がつかん。好きな時に来なさい」
「遠慮なーく尋ねるとするよ、銑治郎のおじーちゃん。ここはダラけるにはうってつけだ」
「こ、こら弁慶! しかもいきなりおじーちゃんだなんて……」
「おじーちゃんか、良か良か! 本当に孫が出来たようじゃ。またつまみも用意しておこう」
他愛もない会話で和みを分かち合う。端から見ればみんなは家族のように見えただろう。内三人は刀を装備しているので、ひょっとすると師弟の関係に見えていたかもしれない。
そんな和やかな空気を、一人の女子が叩き崩した。
「それで、義経ちゃんと銑治郎さんはどっちが私と戦ってくれるんですか?」
「疾れ者狂いか、小娘。昨日は引き分けじゃったろうが。どちらも満身創痍の決着じゃ。クローンである義経は若いからまだよいが、儂は戦前から生きとるんじゃぞ? いい加減に体がもたんわい。見てみい、まだ右手が震えおるわ。それに、儂は刀同士の決闘にこそ滾ぎる。同じ“ケン”を発する物でも、儂は輝く刃にしか惹かれぬ」
「義経も、まだまだ決闘の申し込みが山積みで……」
「何だよー。結局どっちも戦えないんじゃないかー」
実のところ、百代は銑治郎と戦うことは初めから諦めていた。その理由は今銑治郎が述べたように、銑治郎の本気を見ることができないということが大きかった。本気を出さなくても銑治郎は強い、それもあの九鬼家のクラウディオが戦いもせずに敗けを認めたほどの使い手である。実際の戦闘となれば、銑治郎のやる気も加味され勝敗は予測できないが、全力同士でぶつかれば確かに銑治郎が僅かに上だ。それは解っているが、百代は手加減されるなどということに堪えられないのだ。
今まで来る敵来る敵全て薙ぎ払ってきた百代。そういった下に見られるということに耐性がない。最強などと周りからちやほやされてきたこともあってか、その耐久性の無さは車に轢かれれば地面と一体化してしまう蛙のようなもの。舐められる、見くびられる、軽んじられる、百代に長く根付いていた自尊心がそれを許さなかったのだ。
それも含めて、英雄である義経と戦いたいという気持ちは高まっていた。“英雄である義経に勝った”という名声に百代は興味はないが、“義経の言い伝え通りの強さ”というものに興味があったため、銑治郎よりも義経と戦いたい気持ちが強かった。
そんなプライドの高い百代に、思わぬ提案が発せられる。
「条件を飲んでくれるというのであれば、儂とて本気を出すことは吝かではないぞ? 百代」
「え?」
戦っても良いと、銑治郎から予想外の提案がされたのだ。まさか銑治郎そんなことを口にするとは思ってもみなかった百代は、暫く目を見開いて呆けていた。
「川神鉄心殿にお会いしたい。許可をとってくれぬか?」
「え? それだけでいいんですか?」
「ようやく敬語が“らしく”なってきおったのう。良か良か。で、その条件についてじゃが、取り決めもなしで訪ねる程、儂は鉄心殿に対して大きく出ることはできん。前もって約束もしておらんのに会いに行くという愚行は犯せん。そこで、お前さんから頼んでくれたら、儂も全力を以てお前さんと戦おう」
「それだけでいいのならよろこんで!」
「日はこちらで決めさせて欲しいとも伝えておいてはくれぬか。何せまだ傷が癒えておらん。数日後じゃな」
百代が銑治郎の提案に勢いよく飛び付いた。まるで呑気に雑草を貪っていて群れから外れた獲物に襲い掛かった肉食獣のような行動だった。それ故に、プライドはここでは霞んでしまう。百代にとっての飢えは“戦い”、獣にとっての飢えは“餌”。どちらもなければ餓死してしまうもの、自尊心はここには入り込めない。
百代はそんな極上の“
「いやー、楽しみだなぁ!」
「あまり期待するでないぞ? スタミナは若い者には敵わぬ故にな。おおそうじゃ、忘れておった。由紀江殿」
「はいっ!?」
興奮して止まない百代を放置して、銑治郎は何かを思い出したように和んでいた由紀江に声をかけた。突然の呼び掛けに驚いた由紀江は危うく茶碗を落としそうになったが、ぎりぎり落とすことなく確りと茶碗を握って事なきを得た。
「な、何でしょうか?」
「堅苦しいのう。それで剣聖よりも強いと言うのじゃから驚きじゃ」
「え…………父をご存知なのですか?」
「うむ。二十年近く前、儂は黛大成殿に挑んで、負けた」
ドクンと、由紀江は胸の奥の方が弾けたのを感じた。この胸の高まりは父親の名前を出されて起こったものなのか、それとも、由紀江の闘争本能に火が点いたものだったのか。
「儂が直に還暦を迎えようという歳、近年では“阿羅漢”と言うのか」
「おいじーちゃん。“アラ環”だからよ」
「こ、こら松風! 失礼ですよ!」
由紀江の持っている刀の入った袋に着いている馬のストラップが言葉を発した。
これは勿論このストラップが自我を持って話している訳ではない。簡潔に言えば、これは由紀江による腹話術であり一人芝居である。由紀江がこうなったことには様々な要因があるのだが、今は深くは追求しないでおく。
それを見聞きした銑治郎は目を丸くして松風に視線を向けた。
「んん? その馬は人語を解しておるのか? 摩訶不思議なこともあるもんじゃ」
「あ、はい! 九十九神の松風です。松風、御挨拶を」
「オッス、おら松風。シクヨロだぜじーちゃん」
「かっかっか! 愉快愉快!
銑治郎は膝をバシバシと叩きながら豪快に笑っていた。松風は九十九神という設定をあっさりと見抜き、銑治郎は本気でそのようなことをしている由紀江が珍しくて仕方が無かったのだ。それは銑治郎ばかりに言える事ではなく、至極当然の感情であるのだが。
「おっと、横道に逸れてしもうた。まあ何じゃ、ようは大成殿に完膚なきまでに叩きのめされた後、自分の不足している技術と心意気を身につけるため修行に出たのじゃが……。ここまでの強さを手に入れたのはここ最近じゃ。その前までは、もう衰えていくしかないと思っておったからのう。いつ死ぬか、戒名でも作ろうかなどと実に弱気であった。じゃが、今は違う。溢れんばかりのこの力、試したくて仕方が無い。そこでじゃ、由紀江殿。風の噂で、お前さんは既に師である父の力を超えていると聞いた。なれば、一人の剣士として申し込もう。手合わせをしてくれぬか?」
銑治郎は両拳を地面につけて深々と頭を下げた。その迷い無く頭を垂れた潔さに由紀江は言葉が詰まってしまう。
そして、こうまでして戦いたいという銑治郎の思い。そして、父が一度手合わせをしたという使い手。由紀江の奥底に僅かにある闘争意識が昂ぶられ、由紀江はそれを声にして銑治郎に伝える。
「…………は、はい。私でよろしければ……」
「真か! 忝い!」
銑治郎は由紀江の返事を聞いた途端に顔を上げ、由紀江の茶碗を握っている両手を上から力強く握って感謝の意を伝えた。由紀江はいきなり手を握られたので慌ててしまい、握っていた茶碗を割ってしまいそうな程力が入ってしまった。
「あうあういえその私などがそんなに大したお相手ができるかどうかはまったくもって自信が無いのですが銑治郎さんのお気持ちに答えなくてはと思い返事をしてしまいましたが一体全体私なんかがどれほど銑治郎さんを満足させられるかが皆目見当がつかないのですけれどああしかしやるといったからにはやらなくてはいけないのがこの世の摂理と言うか現代におけるマナーと言うか人間的な常識と言うかとにかく言ったことには責任を持たなくてはいけないのですよねそれなら私もこの身を刀として鋭利にさせて全力でお相手して差し上げるのが至極当然なのでしょうがやはり私なんかが――――」
「落ち着けまゆまゆ!」
ほぼ初対面に近い人物に頭を下げられ、歳が離れているとは言え異性に手を握られ、その人物が自分と同じ剣士で、かつて父親と刀を交えた強者であり、かの剣豪として名高い源義経と引き分けにまで持ち込んだ偉大な人物であるという、由紀江の緊張して焦っている頭では処理しきれない出来事が一気に襲い掛かったせいで、由紀江の発せられた言葉は息継ぎ無しで暴走したものになってしまった。
それを抑えるために先輩である百代が由紀江の頭に軽いチョップを入れて意識をはっきりとさせた。そこでようやく由紀江も我に帰り落ち着いたようで、呼吸を大きくして心拍数を調整して銑治郎と再び向き合った。
「す、スイマセン! 緊張しちゃって……」
「良か良か。面白いものが見れたわい。日程はこちらで決めても構わぬか?」
「あ、はい!」
「そこのお二人さん。決闘をするなら立会人がいるんじゃないですか?」
「百代、今回は立会人に対する褒美は存在せぬぞ」
由紀江と銑治郎の決闘、そのどちらかの勝者と戦えることを百代は期待していたが、その願望は銑治郎にばっさりと切り捨てられた。
「なんだ、じゃあ率先してやる必要はないな」
「欲望に忠実な奴め。まあ、立会人候補ならこちらにもいる。今日ももうすぐ来るじゃろう」
「来る?」
銑治郎の言葉に百代は興味を持った。立会人、それも由紀江と銑治郎という剣の道の達人同士の戦いの立会人。それなりの実力者でなければ決闘の経過が確認できない筈だ、そう百代は考えていた。
「こんにちわー! 新聞持ってきましたよー!」
百代が立会人について本格的に気になり始めたその時、門の外側から元気のよい声が聞こえてきた。
「おお、噂をすればじゃな。入りなさい」
「お邪魔しまーす!」
銑治郎の許可が降りたのと同時に、木製の門が軋みながらも開かれた。
そこから現れた人物に、百代は驚愕せざるを得なかった。
「…………あ、梓……!?」
そこから現れたのは、百代が川神学園に入学したての頃、まず真っ先に仲良くなったと言っても過言ではない元クラスメイト、南浦梓だった。
百代は勿論のこと、その百代を視認した梓も当然のように驚いていた。
「あれ……? モモちゃんがいる……? 銑治郎さん、モモちゃんと知り合いだったんですか?」
「そちこそ、百代と知り合いじゃったのか」
今度は銑治郎と梓が顔を合わせて驚いていた。二人の知り合いが一致しただけでなく、それが川神百代であるということが驚きだったのだろう。
「な、何だよ梓。何でここに……」
「梅屋のアルバイト帰りの新聞配達のアルバイト、というか銑治郎さん直属なんだけど。バイト先の人誰もここに行きたがらないんだもん。ここってば道が険しいからさ、バイクなんかじゃそうそう簡単には来られないし。舗装したらって銑治郎さんには言ってるんだけど……」
「折角の自然を壊してなるものか」
「という感じに断られております」
「そ、そうか……。う…………うう………………」
梓の話が終わると、百代が少し顔を伏せて何やら唸り始めた。由紀江や義経は何事かと焦っていたが、元クラスメイトである梓はそれに慌てることなく、むしろ溜め息をついていた。
そして次の瞬間――――
「――――ぅ梓ぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
百代は梓に飛び込んだ、抱きついた。所謂ハグというものであった。梓はそれを予測していたのか、全く動じることなく百代を受け止めて後頭部を優しく撫でていた。
「はいはい。久し振り」
「んもー! 少しくらい連絡くれたっていいじゃないかー! ああ、この豊満なおっぱいが懐かしい……」
「私はモモちゃんのお母さんかいな……。まあ、確かに連絡しなかったのは悪かったね。ごめんごめん」
「暫く抱き締めさせてくれたら許す」
「ん、いいよ」
許可が降りると同時に、百代は梓の胸に顔を埋めて快楽に浸っていた。そのセクハラ紛いなことをされている梓はというと、もうこの行為に慣れてしまっているのか、殆ど動揺することはなく百代の頭を撫で回していた。この流れが非常にスムーズすぎたせいか、その場に居合わせた者たちの顔の驚き様は実に滑稽であった。
するとそこへ、川神水の飲み過ぎで出来上がってしまっていた弁慶がゆっくりと起き上がり、覚束無い足取りで梓に近寄っていった。
「…………失敬」
梓の目の前――正確にはその間に百代が挟まっているのだが――に弁慶は立ち、一度両手を合わせて梓にお辞儀をした。
そして徐に、梓の胸を揉みしだいた。
「あんっ」
梓は思わず声を漏らしてしまったが、全く嫌そうな顔をしていなかった。
同姓の元同級生に顔を胸に埋められ、初対面の同姓の人物に胸を揉まれている梓。自分よりも身長の小さい梓に温もりを求める同姓の百代。何の躊躇いもなく見ず知らずの同姓の胸をたっぷりと揉んでいる弁慶。
取り残された銑治郎と義経と由紀江は、目の前の奇妙な光景に呆気をとられていた。
「…………勝った」
「んっ……! 私のは、形重視だから」
「母性も強いよ……はぁ……安らぐ……」
「気持ち良さそうだ……次、私もいい?」
「初めての人は安くしとくよ?」
「あらら有料か」
「私の胸はそんな安売りできるものじゃないのさ」
「弁慶……頼むから自重してくれ……」
「お盛んなメス立ちだぜ……」
「松風、お口が悪いですよ!」
「うーむ、一気に騒がしくなりすぎたかのう……。まあ、これはこれで」
芸術も人生と同じで、深く分け入るほどにいっそう広くなる
ゲーテ
◆◆◆◆◆◆
現時点で最強のハーレムを築き上げているのが還暦など遥か昔に通り過ぎたお爺さんというのは……。これはこれで斬新ということで評価されませんか? されませんね。
それにしても、書いていて全然登場しないキャラが多すぎて泣きそうです。特に風間ファミリーですら全員登場していない状態で大変申し訳ありません。実はこちらに移転する前もクリス完全に空気でした。今度はもう少し早く出してあげようかなと思っております。
今回は少し、タイトルの和歌に触れようかなと思います。全てにちゃんと意味があるのですが、今回はかなり迷いました。これは知っている人なら知っている、鴨川の石碑に刻んである和歌です。鴨川といえば、風景描写の題材にされ、山紫水明と評価されました。京都でも有名な河川ですね。今回の話の題材は“山麓の隠居生活”でして、山紫水明と地の文で使ってしまいましたが、つまりは自然の多い和をイメージして欲しかったのです。
あと、石碑には四つの和歌があるのですが、もうすぐ春だということで春の鴨川を描いた和歌にいたしました。あと、朧と書いてあったので。
結論。朧の汎用性の高さは異常。